・Sr.阿部のバンコク通信  (85)聖霊の閃きに導かれながら、頑張ろう!

タイの人々は一般に新しい物事に素早く目を付け、関心と興味を持っていて、その進取の気性の強さ、敏感さには常日頃驚いています

新製品がいち早く市場に並び、広告宣伝の品が市民の手中に入る早さ、すごい勢いです。食べ物、ファッション、携帯用品、化粧品、薬品、あらゆる生活娯楽用品。流行り廃れも激しく、姿を消す勢いもびっくりするほどです。携帯電話の普及状況と順応は見事で、対応と使い勝手の良さは日本に負けないほどです。

自由自在に自己表現した衣食住の数々、キラキラした好奇の目…生き生きした雰囲気が漲った若々しさ、タイで生活していていいなぁと思います。巷の此処彼処の活気溢れる市場は最たる場で、行く度に元気をもらいます。

タイ人の気性は、規制束縛されるのを嫌い、自由安泰に都合よく生きることを好みます。勤め先で上司や人間関係で居心地が悪いと、サッと辞める。何度も転職した事を誇らかに話す日本の会社のタイ人秘書。お手伝いさんも予告なしに給料もらってサッと姿を消すので、日本の奥さん達は困惑立腹。忍耐や忠実、根気強さを旨とする私にも意外に感じていました。

他人の目を気にして、ストレスを溜めて生きている日本人が、タイに来るとホッとする、と言いうのが頷けます。『帰ったら監視カメラに囲まれた生活ですよ』と。タイ人は確かに誰の目も気にせず、好みに合わせて服装を楽しみ、それぞれが信じ考えるところに従って自分の人生を生きています。束縛するほどの干渉と接触を避け、思慮ある間隔を保つことで住みやすくなる、と思います。

私自身をイエスの福音=岩の上に据え、何事にも動ぜずに生きる賢い人なりたいと心底思います。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても倒れなかった土台岩=イエスを述べ伝えて今年も邁進、捧げてまいります。

愛読者の皆さん、お互いに聖霊の閃きを捉え導かれながら、頑張りましょう。良いお年を❣️

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2024年1月6日

・カトリック精神を広める ①聖人の「奇跡」とは…

 カトリックでいうところの聖人とは何でしょうか。聖人とは、一言で言えば、「亡くなった後、煉獄を経ずに天国に直行して神の御前に立てる方である」と今、地上で生きている人が証明できる人だろう。

 カトリックでは、死後の世界を天国と地獄の他に煉獄があると信仰されている。地獄に行った人は永遠に地獄にあるが、煉獄は、死後すぐに天国に行けない人たちが、生前の罪の贖い(あがない)をするための場所で、幽霊はこの時のものである。手にイエス・キリストと同じ十字架の傷を受けた聖人のピオ神父のもとには、度々、煉獄の霊魂達が訪れ、天国に行けるよう祈って欲しいと訴えたという話が、まことしやかに伝えられている。これこそがまさに幽霊。

 ピオ神父は度々、暗闇の中、「そこにいるのは誰だ!」と叫んでいたというが、考えてみたら、こわーい話ではある。

 神父のことが書かれている「煉獄の霊魂は叫ぶ!『ピオ神父、万才!』」(アレッシオ・パレンテ著、甲斐 睦興 訳、近代文芸社)の逸話を紹介しよう。

 時は第二次世界大戦が激しいころ。イタリアのカプチン会の修道院での出来事。或る晩夕食後、修道院の門が閉ざされて長時間経ったとき、階下の入り口の廊下から、「ピオ神父万歳!(ビバ、パードレ、ピオ)」と数人が叫ぶ声が、修道士たちに聞こえた。煉獄の霊魂が、ピオ神父の祈りのお陰で、天国に行くことに決まり、ピオ神父に感謝の意を示すために修道院に来て、叫んだものだった。

 そんなこと、知るよしもない修道院長が、部下のジェラルド修道士を呼び出し、「今しがた玄関に入ってきた人たちに、『もう遅いから修道院の外に出なさい』と言うように命じた。修道士は、言われるまま階下に行って、門を見ると、正面の扉は2本の鉄の棒でしっかり閉じられていた。彼はこのことを院長に報告した。翌朝、院長は、ピオ神父に、この出来事の説明を求めた。ピオ神父は説明した。「ピオ神父万歳」と叫んだのは、自分の祈りを感謝しに来た、戦死した兵士たちです、と。
 

 もう一つ紹介したい。これはサレジオ会の創設者、聖ドン・ボスコが若いころ、神学校で仲の良い友人から「なあ、ボスコ、本当に天国ってあるのかい? 約束しようじゃないか。どちらか先に死んだ方が天国に行ったら、生きている方に報告しに来る、というのはどうだろう」と提案を受けた。暫くして、友人は病に伏し、病床でボスコに言った。「前に約束したことを必ず実行する」と。

 友人が亡くなった翌晩、20人の神学生たちのベッドが並ぶ寝室に寝ていたボスコは、夜中、多数の馬に引かれた馬車が寝室にやってきた、というくらいの凄まじい音を聞いた。他の神学生たちも同じ音を聞いた。その凄まじい音とともに、亡くなった友人がボスコのベットの脇に立ち、「ボスコ、私は救われた」と大声で叫んで去っていった。

 ボスコは、あまりの恐しさに病気になってしまった程で、以来、このような約束を交わすことを金輪際止めたという。20人の神学生が同じ音を聞いているから、この話も信憑性が高い。「完訳ドン・ボスコ」(テレジオ・ボスコ著、サレジオ会訳 ドン・ボスコ社刊)に書かれているが、よく書かれているので一読をお勧めしたい)

 亡くなった聖人が、いま天国にいるということを、生きている人がどうやって証明するか。カトリックでは、委員会を作って生前の友人や知り合いに聞き取り調査をする、手紙や著書を読み解くなどして、徹底的に調べる。少しでも疑いがあれば、疑いが晴れるまでは、調査を止める。もし神がその人を聖人の位にあげたければ、神ご自身が人間社会に働
きかけるだろうとカトリックは考える。

 調査には、墓をあばくことも入っている。昔は土葬だったため、土の中に葬られている棺を取り出し、中の遺体を調べることまでする。墓をあばく理由は2つある。一つは、もしも墓の中で生き返った場合に(もちろん、めったにはないことだが、実際に生き返った人がいたらしい)、絶望して死んでしまうかもしれない。それでは聖人になれない。

 もう一つは、体が腐敗しない、ミイラ化の処置をしていないのに、体が腐らないという奇跡を起こす聖人がいるのである。現在、ミイラ化されているご遺体は、例えば、北朝鮮の初代最高指導者の金日成(キム・イルソン)や、ロシアのレーニン、特殊な防腐処理(エンバーミング)を施され、モスクワ都心の「赤の広場」のレーニン廟に安置されている。これらには、防腐処理が施されている。

 読者が信じるか否かは分からないが、肉体が腐らない聖人たちがいる。例えば、南仏のルルド聖母の出現を体験したことで有名な聖ベルナデッタ。彼女は35歳で亡くなったが、聖母マリアのご出現を体験しただけではなく、修道院内でも聖女の誉れが高く、亡くなってから30年後、聖人の位をあげるのにふさわしいかどうかの調査で、衆人環視の中、墓の中の棺の蓋を開けてみたら、生前と変らない肌に弾力のある聖女が現れ出た。まさにこれは神の恵み。

 聖女のご遺体はフランスのヌベール市のサン・ジルダール修道院の聖堂に、安置されており、一般の人も直接、見ることができる。(巡礼ガイドなどは、 ヌヴェール愛徳修道会日本地区のホームページ (neversjapon.org)でご覧になれます)

 

(横浜教区信徒・森川海守(ホームページhttps://morikawa12.co)

2023年12月31日

・神さまからの贈り物 ⑥「カレン族の村で愛を浴びる」

  二十歳の成人式を迎える日、私はタイ北部のミャンマーの国境近くの山奥にいた。なぜなら、私は生き返りたかったからだ。

   そこに住むカレン族の村人たちと『共に生きる』ことを体験するこのプロジェクトは、日本での成人式を諦めてもいい、と思えるほど魅力的だった。人生で初めての挫折を経験し、心身ともに弱り果てていたから、なんとか立ち直りたかった。

  「『ご飯だよ』と『ありがとう』さえわかれば大丈夫よ!」と、お世話役のシスターに送り出された。私が滞在した家のモー(カレン語でお母さんの意味)は、向日葵のように明るく、菫のようにはにかんだ笑みを見せる人だった。モーは、惜しみ無く愛情を注いでくれた。

  忘れられないのが、とんでもなく辛い料理が出た朝食、あまりの辛さに私が「アヘー(辛い)!」と涙目になった。「オ ティー(水を飲め)」と家族全員が笑った。その時に出された水は、湯冷ましだった。村の水は綺麗だが、慣れていない日本人がお腹を壊すことがあるのを、モーはきちんと覚えていてくれた。翌朝「こっちは辛くないよ」とマイルドな味の料理も作ってくれたのも印象的だ。

  モーの愛情によって、日本で凍りついてしまった心がゆっくりと溶けていくのがわかった。一緒に食べ、笑い、祈りを共にすることで、安心が広がる。「モーの愛情を独り占めしていいの?」と聞くと、モーは声を立てて笑い、私をぎゅうっと抱き締めた。

  ある日曜のミサで、私は成人のお祝いをしてもらった。白い筒型のワンピースのような民族衣装には刺繍が施され、それは家によって形が違うらしい。そう言えば、前日の昼間にモーが熱心に縫っていたのを思い出した。

  祭壇の前で司祭たちから祝福を受けた。心に熱いものがあふれ、緊張感でピンと張りつめていたものが緩んだ。頬には、大粒の涙がぼろぼろ音を立てるようにこぼれた。生まれて初めて体験する深い安堵に「私の心は息を吹き返した」と確信した。

  ミサが終わると、村人たちみんなが長蛇の列を作り、順番にブーゲンビリアの花を手渡してくれた。モーの手にも、ショッキングピンクのその花があった。モーは「どうして泣いているの?」というようにニコニコ笑い、両手の指で涙をふいてくれた。私は彼女にしがみつくようにして泣いた。苦しい涙しか流せなかった私が、嬉しい涙を流していた。

  そういえば、生きているだけで喜んでもらえた最後の日は、いつだっただろうか?と振り返った。 物心ついた時には、既に周りの期待を背負って生きていたような気がする。

  日本社会では効率のよさが重視され、私は生きづらさを感じることが多い。けれども、今日も神さまは「あなたを愛している」ということを周囲の人たちを通して、伝えておられるのがわかる。

  過去の私は、苦しいことは避けたいと思っていた。でも、苦しい時の私は必ず誰かからの優しさを受け取っていた。必ず試練とともに逃げ道がある。そのことは、私に大きな希望をもたらした。

  新しい一年が、みなさまにとってすばらしいものとなりますように。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2023年12月31日

・愛ある船旅への幻想曲 (35)新年、教会がどう動いて行くか、しっかりと目を覚ましていよう

 イエスの御降誕、新しい年2024年の始まり、おめでとうございます。

 2023年12月24日、教皇フランシスコは、「自ら人間の心を持たれた神が、人々の心に人間性を呼びさましてくださいますように」と、お告げの祈りで挨拶された。教皇は、パレスチナ、イスラエル、ウクライナをはじめ世界各地で戦争や貧困などに苦しむ人たちの為に祈りと、愛情の温かさと、簡素さのうちに降誕祭前を過ごせるように願われたのだ。

 “人間性”・・今を生きる私たち一人ひとりが人間性をどのように見なしているのだろうか。世々限りなく限りなく、人間性の本質は同じで、万国共通なのだろうか。。

 私は、戦争を経験していない。以前、アメリカ人の若者から「自分の友達は誰も戦争をしたくなかったが、戦場に出ねばならなかった。無事に帰還しても心の傷は深く、精神状態は悪いままです」と、生の声を聞いた時、戦闘が引き起こすストレスは想像を絶し、身近な一人の若者が苦しむ姿の背後にはどれだけ多くの人の苦しみがあるのだろう、と改めて「戦いに導く人間の本性にある邪悪さ」を思い知った。真っ先に若者たちが犠牲になる戦争、日本での戦争体験者の話も決して過去だけのことではない。

 今年もイエス・キリスト生誕の地とされるパレスチナ自治区、ベツレヘムで恒例のクリスマスミサが執り行われたが、ほとんどのイベントは中止され、司祭の1人は「イベント中止は世界へ向けた『戦争をやめてくれ、殺戮をやめてくれ』というメッセージなのです」と語った。このメッセージを私たちは、真摯に受け入れただろうか。(戦地で働く司祭方を思いやる司祭が日本にはどれくらいいるのだろう… ).

 イエスのご降誕を祝う荘厳な司祭の祈りと、それに応え、心からミサ曲を歌う信徒の声がお御堂に響き渡った時、そこに神はおられ聖霊は皆の上に降るだろう。この時、聖霊の計り知れない賜物は、救い主イエス・キリストがご自分の使命が果たせるように、教会が豊かになるようにと導いてくださる、と私は信じてやまない。

 「淫行、汚れ… 敵意、争い…利己心、分裂… このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません。これに対し、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、誠実…」(ガラテヤの信徒への手紙 5章21―22節)

 一つ一つの小さな教会の熱心な祈りが世の平和のためにどれだけ必要か、どれだけの信者が感じているのか。

 降誕祭ミサに限らず、全てのミサに対する聖職者の姿勢に疑問を感じながら与らねばならない教会での平和の祈りは虚しいだけだ。今、一生懸命司牧する司祭方の面目を失くすような聖職者の存在がある。彼らは、人間イエスの“人間性”を知っているのか。自己満足な自分だけの平和を守る人からイエスの愛は伝わらない。

 その当時、通りすがりにでも、人間イエスに出会いたかった私である

 2024年、世界がそしてカトリック教会がどう動いていくのか。。しっかり、目を覚ましていなければならない。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2023年12月31日

(故森司教コラム再掲)②20数年前、日本の司教団は福音宣教活性化のため、すべての信者に大胆な呼びかけをしたが…

 今から20数年前のことであるが、日本の司教団が、日本社会での福音宣教の活性化のために、日本の教会のすべての信者に向けて、大胆な呼びかけをしたことがある。その中に次のような一文があった。

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「信仰を,『掟や教義』を中心とした捉え方から,『生きること、しかも,ともに喜びをもって生きること』を中心とした捉え方に転換したいと思います。」

 

「『掟や教義』から『生きること』を中心にした信仰の捉え方への転換」。この呼びかけは、伝統的な信仰生活に慣れ親しんできた西欧の人々には,奇異な印象を与えるかもしれない。が、その背後には,教会の扉を叩く人々の中に、心の傷ついた人や精神的に病む人々が多くなっていたという特殊な事情があった。

 

 周知のように、能力主義の浸透で競争が激化した結果、日本社会は経済的には発展したが、その陰で家族はその力を弱め、人と人とつながりはバラバラになり、いざ人生の壁に直面し、思い悩なければならなくなったとき、身近なところに、親身になって相談にのってくれる人を見出すことは,難しくなっていた。その表れが、自殺者や孤独死の増加であった。

 政府は、学校や職場にカウンセラーなどの専門家を置くようにしたり,ケースワーカーの増員を図ったりして対応しようとしてきたが、人の悩みや苦しみは複雑であり、カウンセラーやケースワーカーとの相談には限界がある。苦しみ悩む人々が、相談相手として最後に思いつくのが、教会であったのである。教会に行けば,生きていく力を見出せるのではないかという期待感を抱いて、教会の門を叩いていたのである。

 ところが、「教え」を伝えることに軸足をおいてきた教会は、こうした人々を求道者として受け入れ,教会の教えや聖書のクラスを紹介し、やがては洗礼に導いていくという流れの中で対応してきていたのである。 しかし、それは、必ずしもふさわしい対応ではなかった。と言うのは、教えは、日本人には馴染みのない用語がふんだんに使われていて、心の病んでいる人々や心身が疲れ果てている人々には,難しい。その上、そういう人々に限って、周りの人とコムニケーションをとることが難しく、たとえ教えのグループに入っても、人間関係に耐えられなくなって、いつの間にか姿を消してしまうのである。

 悩み苦しむ人々が、折角教会の扉を叩きながら,教会に馴染めず、いつの間にか姿を消してしまうということは,残念なことである。「教えに軸足を置いた宣教姿勢」に限界があることを知った司教たちは,その転換を図ろうとしたのである。

 「生きることを中心に」とは、厳しい人生を生きる孤独な人間のありのままを包み込むことに軸足を置いて、人と向き合うことである。人々は、苛酷な人生の現実にぶつかって、存在「being」そのものが弱り果て、いたたまれなくなって、教会の扉を叩こうとしているのである。そんな人々に何よりも先に必要なことは、揺らぐ存在「being」そのものをあたたかく包み込んでいくことである。「教え」は,その後のことである。

 日本の司教たちのこの呼びかけは、日本の教会全体に「労苦するもの,重荷を負うものは,私のもとに来なさい。休ませよう」という柔和謙遜なキリストの生きた証人になることを呼びかけた、と言えるのである。

(2016.10.1記)

 

2023年12月30日

“シノドスの道”に思う ⑦新年にあたって、日本の民話やグリム童話からシノドスを考える

*「猿長者」

 日本の民話を、あらすじです。まず、鹿児島県大島郡に伝わる「猿長者」。

 東長者は金持ちで、西長者は爺さんと婆さんの二人暮らしで子供も金もない貧乏者であった。ある師走の年の瀬に、神様は貧しい飯もらい坊主の姿になって、まず東長者の家へ行って、「すまないが、行きどころがないので、どうか宿を貸してください」と申された。ところが東長者は「今は年の瀬だぞ、帰れ」。

 飯もらい坊主は、こんどは西の爺さん夫婦の家へやって来て「宿をかして下され」。夫婦は「さあさあ、早く入りなされ。食べる物は何もありませんが、粟種を入れたお湯でもおあがりなされ」と坊主を喜んで迎えます。三人が食べ始めた時、坊主は二人に「一升鍋に青葉を三枚入れて、水を入れて炊いてごらんなさい」と言う。婆さんは言われた通りにすると、一杯の肴が出てきた。さらに坊主は財布から米粒を三つ取り出して、「さあ、これを釜に入れてご飯を炊きなさい」。すると釜一杯のご飯ができた。さらに坊主は「爺さん婆さん、お前たちは貧しくて年をとっているが、宝がほしいかい、それとも元のような若さがほしいかい」と聞く。「若さがほしいです」と答えると、二人は若夫婦になった。

 次の日、そのことを聞いた東長者は「とんでもないことをしてしまった。うちに泊めていたら、あのような運をさずかったものを。今からこの家に来てもらおう」と。そうして呼ばれた坊主は、東長者に赤い薬を渡した。それを風呂に入れて、夫婦で湯をあびると、二匹の猿になってしまった、という。

 

 

*「大年の客」

 

 次に、岩手県の「大年の客」。

 大晦日の晩、ある貧しい家に、どこからか一人の座頭(目の見えない人)が来て、泊めてくれと頼んだ。主人は困って、「うちは貧乏だから、どうか隣の家の長者さまの家に行って泊まってください」と答えたが、座頭は「俺は貧しい家で結構だ」と言って、その家に泊まった。

 明くる朝、座頭は「若水をくむ」と言って井戸ばたに行くが、すべって井戸にはまってしまった。家の人たちが縄を下ろしてやると、座頭は「これこれ家の人たち、大きな声で『身上』『身上』と掛け声をかけて縄を引き上げなされ」と言う。その通りにして、座頭は井戸の外まではい上がり、出しなに「上がった、上がった」と大きな声を上げた。それからというもの、この家はだんだんと豊かになって行った。

 それを知った隣の長者は、不思議に思って、彼らから、わけを聞き出した。そして、ある年の大晦日に座頭を見つけ出し、嫌がるのを無理やり自分の家に泊め、同じようにして、もっと金持ちになろうとしたが、貧しくなってしまった…。

 

*「貧乏人と金持ち」

 

 三つ目はドイツのグリム童話の「貧乏人と金持ち」です。

 昔々、まだ神様が自身で地上を歩きまわっていた頃、ある晩、神様は自分の宿に着く前に日が暮れてしまった。道のそばに、二軒の家が向き合って立っていた。一方は大きくて立派な金持ちの男の家。もう一方は小さくみすぼらしい貧乏な男の家。

 神様は「金持ちなら負担になることもあるまい。今夜はあの家で泊まるとしよう」。神様がこつこつと戸をたたくと、金持ちの男は窓を開け、「なんの用か」とたずねる。「どうか、一晩だけ宿をおかしください」と答えると、粗末ななりをしているを見て、「だめだね、うちの部屋は薬草などでいっぱいだ。よそへ行ってくれ」と断った。

 神様は今度は向かい側の貧乏な男の家に行く。戸をたたくと、貧乏の男が戸を開け、「お入りください」と歓迎し、貧しいながらも精いっぱいのもてなしをした。翌朝、外に出た神様は「お前さ
んたちは情け深く、信心深いから、三つの望みをかなえてあげよう」と言い、古くてみすぼらしい家が、新しい大きない家になった。

 そのことを知った隣の金持ちは、急いで馬を走らせ、去って行こうとする神様を引き留め、自分のところにも泊まりに来るように、そして望みをかなえてくれるように、と執拗に願う。神様が承知してくれたので、喜んで家に戻ったが… 貧しくなってしまった。

 

 

*三つの共通点

 

 この3つの話は国は違いますが、内容はほぼ同じ、貧しい人と金持ちの話。貧しい人は、旅人への同情や憐れみから、自分の家に迎え、もてなす。喜んだ旅人は大きな報いを与える。それを見た金持ちは、「困った人を助けよう」という気持ちからではなく、「もっと豊かになりたい」という欲望から旅人を無理やり泊めようとする。貧しい人がしたことと、形だけは同じことをするが、惨めな結果になる-というパターンです。また、泊まる所が無くて困っている貧しい旅人が、実は神様だったという点も同じです。

 

 

*個々の文化を超えている神、人類普遍の民衆の神

 

 ではどういう神でしょうか。2つの日本の民話に出てくる神は、べつに神道教学に基づく神ではないし、グリム童話の神も、一応はキリスト教の神ですが、
この童話の元となった民話を語り継いだ民衆がキリスト教の教義や神学を知っていたわけではないでしょう。ラテン語を読めず、聖書を読む機会もなかったのですから。登場人物の貧しい人も、教義や神学をもとにした行動をとったわけではありません。ここに出てくる「神」は「世界の民衆に共通する憐れみの神」とでも言いましょうか。

日本でもドイツでも同じ話、同じ行動パターンに同じ結果があるということは、この世界を治めている「神」が、つきつめていけば、同じ存在だ、ということではないでしょうか。キリスト教の神、神道の神という区別は、文化的に頭の中で立てられたもの。『現代世界憲章』でも述べられているように人間は誰でも「神の像」に造られていますし、人間の中には「神からの種」「永遠性の種」があります。世界中で「苦しい時の神頼み」をしたことのない人はほぼいないのではないでしょうか。その時、どの神に祈るかと、いちいち考える人はいないでしょう。

 

*黄金律はシノダリティに通じる

 日本の民話でもドイツのでも貧しいほうは旅人を受け入れ、もてなした。「共に歩む、共に生きる」というシノダリティを無意識に実践しています。そして
その旅人が神であったというのは、マタイの福音書第25章「私の兄弟であるこの小さい者にしたのは、私にしてくれたことなのである」という言葉に合致し
ます。旅人が神とは知らずに、可哀想な人だと思って泊めました。実生活において、神への信仰は隣人愛(憐れみ)と分離できないのだと思います。イエスの言う「人にしてほしいと思うことを、あなたも人にしなさい。(これこそ律法と預言者である)」(マタイ7:12)という黄金律はユダヤだけでなく、どの文化にも共通するものです。なので、「聖書と伝統」だけでは足りず、人類に普遍的な、多文化共生的な視点でキリスト教を理解し、また教会を運営すること
が求められます。

*共通祭司職を中心にした教会へ

 現代まで教会が存続してきたのは、教義的なことを知らなくても、信仰を生きた民衆、大多数の一般信徒がいたからです。「信仰の感覚」を持つ信徒一人一人を重視し、神の民の声を聴くこと、また、これまでのように「教える人」と「教えられる人・学ぶ人」を厳密に分けないことは、当然のことです。したが
って教会の構造や運営も、共通祭司職を基本において再構築するべきではないでしょうか。

このように、これまでのヒエラルキー的教会の叙階に基づく「役務的祭司職」よりも、全信徒が持つ「共通祭司職」をもっと重視し掘り下げること、もっと信徒が活動できるようにすることが「シノダリティのためのシノドス」には求められていると思います。2023年10月のシノドス総会第一会期は参加者たちにとっては“シノダルな集会”だったのでしょうが、教区、国、大陸別の歩みを十分踏まえた「シノダリティのためのシノドス」と言えるのかどうか。

 例えば、第一会期の文書には「共通祭司職」という言葉は一つもないばかりか、それを警戒するような部分さえあります。今年10月の第二会期に至るこれからの歩みが、どのようになされるのか、注視して行きたいと思います。

     *文中の日本の民話は『日本の昔ばなし』岩波文庫全3巻に所収。

(西方の一司祭)

2023年12月30日

・Chris Kyogetuの宗教と文学⑨「ナボコフの『賜物』とマタイによる福音書25章」

 「つまり、引いていく潮のように、蝶たちは冬を越すため、南に向かうんだ。でも、もちろん、暖かいところに辿り着く前に、死んでしまう」(ウラジミール・ナボコフ「賜物」より)

 

   「賜物」というものを考えると、「持って生まれた才能」ということも意味するので、自分の人生を振り返る人は少なくはないと思う。「一体自分に、何が与えられていたのか」-それを敢えて前置きにしてしまうが、イエス降誕前より、個人の才能はギリシャ語で(Theodor)と神からの贈り物と考えられていた。ロシアという国の言語の歴史を辿ると元々は抽象的であり、聖書の「神は言葉と共にあった」を再現したように、聖書伝来と共にアルファベットが出来た国だと聞いた。ナボコフ自身、ロシア革命後に亡命し、「賜物」は彼にとって最後のロシア語で書かれた長編小説となった。

    この作品は、ナボコフの自伝ではないかと言われるが、本人は否定している。しかし、それだけこの小説はナボコフの人生、例えば亡命に限らず、蝶の専門家であったり、チェスプロブレムに費やしていたりと、類似点が多いようだ。

 主人公ヒョードルは作家への才能を「賜物」と信じている。母親も息子の才能を理解していて、行方知れずになった昆虫学者の「父」についての小説を書くように促されるが、彼は父を尊敬していたからこそ、父の伝記が世間の好奇な関心に晒されることを拒んだ。それで、彼は別の人物の伝記を書くことにした。リアリズムと夢想、幻想的な思索を行ったり来たりの作品だが、そこには昆虫学者の父親を追いかける思索の旅ともなる。

    作中で母国を失うということ、愛着を持たない住まいに対しての喪失感を「読者よ」と語りかけ、それはどんなことかをストレートに表現している。それが私には印象深い。

   「涙を流したり、感傷深くなるわけでもなく、魂の最良の一隅に置いて、命を吹き込んでやれなかっただけではなく、殆ど気にとめることもないまま、いま永遠に見捨てていく物たちへの憐みを感ずるのだ」彼の、無理して想像で愛そうとしない心や、悲劇を想像で補おうとしないその心が、うまく詩情へと変換され、より読者の想像力を掻き立てている。

    賜物については、マタイによる福音書25章の「タラトンのたとえ話」に書かれているが、よく説明されるのは「神が与えた才能」ということだ。才能の数は多いか、少ないのか、たとえ通貨一枚でも「価値」のあるものとしている。しかし、実際には聖職者でさえも、この話の続きをあまり触れることがないまま、「贈り物」と同義語のように単純に説明をしてしまうことが多い。

   まず、これは神からもらった「タラントン」、ではなくそもそも、『預かった』タラントン(財産)ということをまず覚えておかなければならない。増やせた人間は神から褒められたが、一枚しかもらってない人間が土に埋めたら、神は怒った。そして神は言われた。「誰でも持っている人はさらに耐えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。この役に立たない僕(しもべ)を外の暗闇に追い出せ。そこで泣き喚いて歯ぎしりするだろう」。

    この箇所は、非情と思われることが多く、「キリスト教」の神を嫌われる箇所でもあるみたいだが、この部分だけを見れば、仏教の「無常」ともよく似ている。尊師(釈迦)が死の床に入る前に、弟子たちに、「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」と、修行を続けることを言った。それから、侍者であるアーナンダに、「虚空のうちに在って地のことを想うている神々がいる」と語っている。

 イエスの「たとえ話」は壮大な神の知恵や教え、預言をまとめただけでなく、イエスの話を通すことで、父と子と聖霊を循環させると私は考えている。だからこそ、一度わからなくても、よく耳を済ませて、心を開いておく必要がある。タラントンは、神から「頂いた」ものではなく、いずれは返すものであるので増やさなければならないものだと。

    「タラントン」というのは、主人から預かっておきながら、直ぐに機転を効かせて増やした人もいれば、臆病になってしまって土に埋めたものがいるように、それが何なのか、本来は分かりにくいものなのかもしれない。特に、ナボコフの「賜物」のように目指すものが作家や詩人という「芸術家」については、最も例えやすいが、他者にとって難解な才能なのかもしれない。この話が簡単に説明できないように、祖国を失う運命ですらもそれは「ギフト」だったのか? それは終盤である五章の亡命後で、出版と愛がテーマとなっても隠喩めいている。

 

  亡命の感情というものは定点を持たない。私の祖父も、ロシア革命の亡命者だったそうだ。当然ながら、棄教もしている。葬儀は葬儀屋で仏教葬になった。生前、認知症になる前はルター版の聖書が気に入っていたので「プロテスタントでもいいかな」とは言っていたそうだ。そういう話と私の「信仰」は全く別の歯車として動いていた上に、「亡命者」というのは祖父の死後に聞かされた話だった。象牙の聖典(聖書だったかどうか不明)や、イコン画などは引き取り手があるとか、お金になるとかで、親戚同士で分けあった。それなのに我が家には回ってこなかった、と、その話は覚えている。特に欲しかったのは象牙のものだったが、私に見せたかった、と父親が話した。

    祖父は、意識がまだしっかりしている時にこうも言ったそうだ。「私達は、キリストの苦しみを背負うことを享受していた。けれども、それを利用される、もう懲り懲りだ」。

 その無常に対してどう思ったのか、想像し難いものだったので、言葉になったことはない。だからこそ作中の「涙を流したり、感傷深くなるわけでもなく、魂の最良の一隅に置いて、命を吹き込んでやれなかっただけではなく、殆ど気にとめることもないまま、いま永遠に見捨てていく物たちへの憐みを感ずるのだ」という箇所が特に、印象に残った。

    カトリックに入ると、そういった悲壮と無縁のように思えた。けれども、実態は「キリストの苦しみを背負うことに対して、利用される」その言葉が突き刺さるようなこともあった。私が「過去」に尊敬していた神父は、神はどんな罪も許してくれて、愛してくれると神の審判の代弁者のようだった。

 けれども、その人も不正があった上に、聖職者として失格な人だった。(教会法上)けれども、その人が言っていた「神の愛」だけは揺るがないものとして私に残り続けている。「ゴミ」のような存在だと思った日もあったが、私は破片を拾うことにする。それが、私の「経験」であるからだ。私は安易に、そう言った経験に「感謝」はしないし、苦しみを「ギフト」とは言わない。簡単に、神が与えた「試練」だとも言わない。そんなものは簡単に言ってはならない。だからこそ違うアプローチで語り直そうと思う。

    神から預かったもの、それは何なのか不確かで、直ぐに気持ちを幸せにしてくれるものだけではないのかもしれない。けれどもキリスト者は常に、「無常」のように思える現実でも、神から預かっているという意識を持ち続けなければならない。世に放り出された感覚であっても、イエスの譬え話は私達と神を繋ぐ通り道である。最後に、ロシア語で「賜物」Дар(ダール)は逆から読むと、paД(ラート)「嬉しい」と意味する。彼はこの書籍のタイトルを元々は、Да(ダー・Yes)としていたそうだ。それすらも、逆から読めばaД(アート・地獄)と、表裏一体が付き纏っている。

  神は与えることもあれば、奪うこともある。全て、人の叡智で語れないながらでも、私達は支え合って言葉を交わす。言葉にならないことでも、言葉にして。足りない言葉に添えるために、愛や涙がある。たとえば、自分の不幸や、大切な人の不幸に、そして、私ながらに… 私ながらに。私の言葉で、多くの不幸に閃きを与えることはできないが、本当に自分を奪えるのは「神」だけだと、そう思うことにしている。だから、まだ「残っている」。それは聖職者であっても、何人(なんびと)も完全には奪えない。世は魂の尊厳や全てを奪えないし、奪わせてはならない。

    臆病になってはならない、土に埋めてはならない。常に増やすことを意識すること。

    引用の詩のように辿り着けなかった蝶は、母国に帰れなかった。けれども、天の国へ、「それ」は返せたのかもしれない。天との繋がりが羽ばたきとなること、生命力。  それが強さになるのではないのではないだろうか。

(Chris Kyogetu)

2023年12月30日

・Sr.阿部のバンコク通信(84) 漫画で体験するイエスの福音のタイ語版の出版、クリスマスに間に合いました!

 クリスマスを前に、“ซุปเปอร์ฮีโร่ของฉัน” My Super Heroと題する漫画で体験するイエスの福音を、タイ語-英語訳で出版しました!

 サンパウロ出版、柴田千佳子作画「はるかなる風を超えて」1.2.3 の合本、458頁リボン付きA5版上製本です。

 日本の漫画が好きなタイの人々に、まさに「福音」です。タイ語と英語が同じ吹き出しに入っています。どちらかの言葉が分かれば、あるいは字が読めなくても、素敵なイエス様を漫画で楽しめます。老人ホームの神父さまが「入居者のおじいちゃん。おばあちゃんが奪い合って見てますよ」って… うれしいですね。作者からの「是非に」との希望で、柴田さんが描かれた日本聖書協会出版の中国語カラー刷り原画のタイ語版です。さらに魅力的にイエスの姿、福音が心に迫ります。

 少しでも安く頒布するために、校正中の試し刷り抱えて予約の注文取りに回りました。学校、教会、友人…を訪ねて”予約特価”

で交渉しました。そのかいあってか、4000冊余りの注文がとれ、姉妹の了解を得て7000冊印刷しました。

 本が出来上がりると、30年来の付き合いの印刷屋の社長さんが、用意した納品伝票を持って配達を引き受けてくれ、クリスマスの贈り物に間に合いました。出版の、小さな”生みの苦しみ”と祈りを込めて、捧げました。

 漫画は、巷のクリスマスセールから始まります。ケーキの大安売り「安い、買っていこうよ」「食べ切れないよ」「何でケーキ食べるの、誰の誕生日?」「キリストの誕生だよ」… 町中に、「吹き出し」の言葉の声が飛び交います。そこへイエスが、さっと登場。「ケーキを食べる前に、聞いて欲しい話がある」と、ご自分の誕生の誕生の出来事から、救い主としての生涯の物語を語られます。

 愛読者の皆さん、主のご降誕、おめでとうございます。今日も現実の私たちのこの世界に、救い主がお生まれになり、「神ともに在します」「私は世の終わりまで共にいる」。真理を実現してくださいます。

 漫画物語は現実の世界に戻り、イエスが私たちのそばに居てくださることを物語って、終わります。

 ”Gloria in excels Deo et in terra pax hominibus bonæ voluntatis.” 心よりの信仰告白を捧げ、世界中の人々を胸に祈ります。そして… Happy Birthday Jesus in your heart!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2023年12月21日

・「大きな光輝く星は… クリスマスに思うこと」(西方のある司祭)

 三人の博士が見た星は、どんな星だったのだろう。

 普通にはあるはずもないところに、大きな光り輝く星が、周りの星々を圧倒するような様子で輝いていたのだろう。それが「ユダヤ人の星」「メシアの星」である、と博士の心に、静かに、しかし力強く語りかける声を一人ではなく、同時に三人の博士が聴いたのだろう。

 「これは間違いない」と確信した三人は「この星の示す人が、自分たちの運命にも関わる大事な存在なのだ」となぜか知らないが、分かったので、誰ともなく、「さあ、出かけよう、拝みに行こう」と言い出した。砂漠の旅は楽ではなかったが、希望のほうが心を占めていたので、歩み続けることができた。

 エルサレムに着いて間もなく王宮でヘロデ王に会ったが、彼はそのことを理解していないし、星が示す場所はここではない、と知って、その場を後にした。外に出ると、夜でもないのに東方で見た星が輝き、「ついて来なさい」と言うかのように、彼らの先を進んでいく… 不安は消えて、喜びが三人に湧いてきた。

 そして間もなく、一軒の家を見つけ、中に入ってみると、幼子は母とともにいた。彼らはひれ伏して拝み、用意してきた宝の箱を贈り物として捧げた。そして幼子と母のやさしい眼差しを心におさめ、
長居はせず、別れの言葉を述べて 別の道を通って、帰っていった。それぞれの心に幼子の姿を思い出しながら…。

        ☆

 皆さま、主イエスの誕生おめでとうございます。一人ひとりの心に幼子イエスがとどまってくださいますように。

 “真砂(まさご)なす数なき星の其(そ)の中に吾(われ)に向かひて光る星あり“

 正岡子規の短歌ですが、この星は、皆さん一人ひとりを導く星でもあります。

(西方のある司祭)

2023年12月21日

・【森司教のことば/再掲】「極貧、独裁者、難民、虐殺、民族宗教などキーワードで キリスト誕生の物語を読み解く」

 クリスマスが近づくと、日本社会全体がクリスマス一色に染まってしまう。デパートや商店街には、イルミネーションが飾られ、街中にはジングルベルの軽やかな歌が流れ、人々は明るい気分に包み込まれる。

 しかし、それは、福音書が伝えるキリストの誕生の物語に込められている光とも異質のものであり、キリストがこの世界にもたらそうとしたメッセージとも無縁のものである。それは、キリストの誕生の場面を伝えるルカ福音書、マタイ福音書を丁寧に読んでみれば、明らかである。

*極貧

 ルカ福音書が伝えるキリストの誕生の物語には、天使たちや羊飼いたちが登場し、表面的には、心を和ませるような牧歌的な印象が与える。が、それに惑わされてはならない。というのは、天使たちや羊飼いたちが登場する前に、ルカ福音書は、「キリストが極貧の中に生まれた」ことを殊更に強調しているからである。

 注目すべきは、「宿屋には彼らが泊まる部屋がなかったからである」と記している点である。

 『泊まる部屋がなかった』理由として、客が多くて、どの宿も満室だったということも、考えられなくもないが、それよりも、私には、ヨゼフに泊まるためのお金がなかったから、とか、ヨゼフが人々の目にみすぼらしく映ったから、と思われるのである。もし、金銭的に余裕があれば、そして裕福そうにみられれば、部屋の一つや二つは融通してもらえたかもしれない。

 貧しい者が、店先や宿屋の入り口で軽んじられたり、拒まれたりしてしまうのは、今も昔も同じである。またそこから、人々の冷たさも伝わってくる。臨月を迎え、お腹が大きくなった女性を目のあたりにしても、誰も、便宜を図ろうとしなかったのである。部屋がなかったとしても、片隅にでも、休ませることぐらいは出来たはずである。

 貧しさ。そして人々の冷たさ。そこで、止むを得ず、マリアは、家畜小屋で、出産することになる。家畜小屋とは、羊飼いたちが風雨を避けるための避難所のようなものである。決して心地よい小屋ではない。キリストは、柔らかなベットではなく、飼い葉桶に寝かせられる。

 誰もが、貧しさには目を背け、貧しさから抜け出そうと、必死である。貧者には哀れみの目を向けることがあっても、貧者に助けを求め、貧者に頼ろうとする者は、一人もいない。

 貧しさの極みの中で生まれた赤子が、人類の希望となるとは、常識的は理解できないことである。その非常識に目を向けるように呼びかけたのが、天使たちなのである。

 羊飼いたちは、天使たちの呼びかけを受けて、キリストの誕生の場に駆けつけていく。彼らが、何を感じとったか、記されていない。しかし、何かを感じとったに違ない。

 天使たちの呼びかけは、私たちへの呼びかけでもある。飼い葉桶に横たわるキリストには、人々を引き寄せる権力も富もなく、きらびやかなイルミネーションもない。しかし、そこに全人類を支え照らす光と力が満ちあふれているのである。

 極貧の中に誕生したキリストに出会うためには、私たちも裸になる必要がある。自らの心の奥に入り、自らを裸にし、自ら貧しい存在であるということを見極めることである。実に、キリストは、貧しさの中に誕生しているからである。私たちに求められるのは、私たちが普段囚われてしまっている常識的な価値観の転換である。

 

*独裁者

 マタイ福音書の2章は、ルカとは異なって、独裁者ヘロデが権力を奮う社会の中でのキリストの誕生を語る。

 ヘロデは、ローマ皇帝の保護のもとにユダヤの王となった人物である。当然、ユダヤの人々には人気がなく、嫌われている。その上、猜疑心が強く、自分の息子たちが王座を狙っていると疑って、その母親たちと支援者たちを容赦なく虐殺してしまった過去のある、残虐な男である。そんな男の治世にキリストは誕生するのである。

 そんなヘロデのもとに東方から占星術師たちが訪ねてきて、『ユダヤの王は、どこに生まれしたか』と尋ねる。それは、ヘロデの前では、決して口にしてはならない言葉であったが、それは東方からの訪問者たちには分からない。不安に駆り立てられたヘロデは、禍根を残さないため、その地域一帯の二歳以下の幼子たちを殺してしまう。単なる政敵や反対者を虐殺するのではなく、無邪気な、罪のない赤子たちの命を奪ってしまうのだから、ヘロデの猜疑心は、異常ともいえる。

 ヘロデに限らず、自らの権力・地位の安定を求めて、邪魔な存在を抹殺する独裁者は、いつの時代にも、見られることである。思うがままに権力を奮う独裁者を通り過ぎていくところには、必ず踏みにじられたり命を奪われたりして、苦しみの叫びをあげたり、悲しみの涙を流したりする無力な「小さな人々」が現れる。

 我が子を殺された親たちは、当然、傷つき、悲しみ、叫ぶ。マタイは、その悲しみがどんなに深いものか、エレミヤ書を引用して証言する。

 『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない。子供たちがもういないから』(マタイ福音書2章18節)

 創世記も、兄のカインが弟アベルを殺した出来事を語りながら、強者によって人生を狂わされ、命を奪われていく弱者の無念さ、叫びを、次のように記している。

 「主は言われた。『お前の弟の血が、土の中から私に向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を口を開けて飲み込んだ土よりも、なお呪われる』」(創世記4章10節)

 強者によって弱者が踏みにじられ、その人生が翻弄され、その果てに命まで奪われてしまうという悲しい現実は、人類が誕生して以来、途絶えることなく、連綿と続いてきている。アベルも幼子たちも、その弱者の系列に属するのである。

 実に、この世界は、弱者たちが流す涙に溢れ、その流す血で真っ黒に汚されてしまっている、と言っても過言ではない。

 福音書は、キリストは、実にそうした幼子と親たちの苦しみ、悲しみ、叫びを背負って、その生涯の歩みを始めたことを、私たちに伝えているのである。

*難民

 独裁者の支配する所には、難民が生じる。その暴威・圧政に堪らなくなって故郷を捨て、異国の地に逃れていく人々である。

 ヨゼフとマリアも、ヘロデの手を逃れて、エジプトに逃れていく。幼いイエスを抱えてのエジプトまでの旅は、難儀だったはずである。その途中には、荒野がある。水や食べ物の確保も、身を横たえる場を見いだすことも、容易ではなかったはずである。

 ヘロデの手を逃れてエジプトを目指すヨゼフとマリアの姿は、現代世界のシリア、アフガニスタン、リビアなどなどの難民たちの惨めな姿に重なってくる。

 血も涙もない残酷な独裁者の手から、我が身、そして家族を守るためとはいえ、住み慣れた世界を捨てていくことは、不安だらけの決断である。すぐに住まいが見つかり、職が見つかり、生活が落ち着く保証はない。また言語・風習・伝統・文化・宗教が異なる人々からのプレッシャーが待っている。そこでの生活は、日現地の人々の蔑みの目に晒され、軽蔑されたり差別されたりする、屈辱的な日々になる。

 キリストの生涯には、惨めな生活を覚悟の上で、住み慣れたふるさとを捨てて屈辱的な人生を歩まざるをえない難民たちのDNAが刻まれているはずである。

*キリストの真実

 福音書が伝える救い主としてのキリストの誕生の物語には、人々を魅惑し、引き寄せ、鼓舞するようなスローガンを掲げて人々の前に立つ政治家たちにような華やかさはなく、剣をとって立ち上がり、不正と戦うと群衆を煽るヒーローたちの過激さはみられない。

 イザヤ書が「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない」(イザヤ53の2)と語っているように、常識の目で見れば『弱者の系列につながる』弱さであり『小ささ』である。実に極貧の中で生まれ、難民となった家族の中で成人し、指導者たちに煽られた群衆たちによって十字架の上で生を終えるキリストの生涯は、『弱者の系列』『小さい者の系列』に徹していたのである。

 しかし、そこにキリストの力、魅力が潜んでいるのである、つまり、人々との連帯である。

 ヘブライ人の手紙の著者も、次のように記す。

 「彼は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです。」(ヘブライ人の手紙4章15節) 「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることが出来るのです」(同5の2) 「事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(同2章18節)

 繰り返すようで恐縮だが、キリストの魅力、力は、富で権力でもなく、人々との連帯にある。自ら、重荷と労苦を負って生きざるをえない人々の中に飛び込み、人々のもがき、苦しみ、悲しみに共振しながら、その重荷と労苦に心を寄せながら生きることに、生涯徹したことにある。

 キリストが誕生してから、二千余年、多くの人々がキリストに引き寄せられた理由も、そこにある。

(2017.12.25記)

*森一弘(もり・かずひろ)師=1938年10月12日、神奈川県横浜市で生まれる。栄光学園高校在学中に洗礼を受け、1959年に男子カルメル修道会に入会。1962年ローマ・カルメル会国際神学院に留学し、1967年3月、ローマで司祭叙階1968年、同学院を修了して帰国、東京・上野毛の男子カルメル会修道院で生活しつつ、カトリック上野毛教会で司牧。その後、東京大司教区の教区司祭となり、1981年4月から関口教会の主任司祭を務め、1985年2月に司教叙階、東京大司教区補佐司教となる。司牧と福音宣教に努める傍ら、聖書研究に精励し数多くの著書を執筆。1993年から2000年までカトリック中央協議会事務局担当司教。2000年5月に補佐司教を退き、2021年6月まで真生会館理事長を務め、執筆・黙想指導などを続け、亡くなる直前まで同会館の講座を担当していた。2023年9月2日、東京逓信病院で帰天。享年84歳。生前の希望により、遺体は献体され、葬儀・告別式ミサの後、献体の受け入れ機関へ運ばれた。

・・・森司教は「カトリック・あい」の事実上の生みの親でもあり、創刊から1年余りにわたってコラムを担当してくださった。その内容には、今も日本のカトリック教会の信徒、司祭、司教にとって、十分に傾聴に値する言葉が多く含まれている。今月以降、コラム「森司教のことば」の中から、とくに現在の私たちに学ぶことの多い、あるいは警鐘となるものを選んで再掲していく。

2023年12月11日

・ガブリエルの信仰見聞思 ㉟聖母マリアの待降節(アドヴェント)の足跡をたどる

毎年、待降節(アドヴェント)第4主日に、教会は福音朗読の中で聖母マリアに焦点を 当てるようにしています―ルカ福音書1章26-38節(B年、本典礼年度)、同1章39-45節(C年)、マタイ福音書 1章18-24節(A年、聖ヨセフも登場)。教会はこのようにするのは、単に聖母マリアが主イエスの誕生と生涯において明らかに忘れられない役割を果たしたからではなく、主の降誕祭(クリスマス)が近づくにつれてマリア様が私たちの待降節をどのように生きるべきかの模範であるからだ、と思います。
待降節は、主イエスの降誕を祝うためだけでなく、主イエスの再臨を待ち望み、準備する季節です。この期待に満ちた希望の期間の中心には、主イエスの母マリアがおられます。そして、彼女の信仰、信頼、従順の旅路は、待降節が私たち一人一人に呼びかける霊的な準備を映し出しながら、導く助けとなると思います。

*聖母マリアの信仰を具現化すること

   マリア様はある意味で待降節の擬人化であり、待降節の本質を具現化していると思います。彼女の揺るぎない信仰と神様の御心に対する開かれた姿勢は、この典礼季節に私が行うべきことの模範となります。御父なる神様は、マリアが御子の母としてふさわしい者となるよう、その生涯の最初の瞬間(無原罪の御宿り)から備えておられたのです。マリアはイスラエルの忠実な娘たちと同じように、幼少期を通じてメシアの来臨を祈り続けていました。

 彼女はまだ若い少女の頃、ご自分がその祈りに対する神様の答えの一部であることを発見しましたが、それはどのヘブライ人の少女の祈りよりもはるかに超えていたものでしたーメシアは彼女の息子になるだけでなく、その息子もまた、神様の子でもあるというのです!

  「お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ福音書1章38節)というマリア様の応答は、いつも私の心に響きます。神様様のご計画をそのような信仰と謙虚さをもって喜んで受け入れようとする彼女の姿勢は、私たちの人生において神様の呼びかけにどのように応えるべきかを考えるよう促すものだと思います。同様に、待降節は私たちに、神様の御心を受け入れるマリア様に倣い、この季節は外的な準備だけではなく、私たちの心を準備することを思い出させてくれます。

*信仰深い待ち望みの旅路

 お告げから主イエスの誕生までのマリア様の旅路は、信仰深く待ち望むことの深淵な例だと思います。待降節を通じて、私たちは神様の約束に対するマリア様の忍耐強い信頼を思い出させられます。この待ち望む期間は受動的なものではなく、むしろ私たちの信仰との積極的な関わりを伴うものです。

 マリア様が受肉の神秘を思い巡らしたように(「マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた」、ルカ福音書2章19節)、私たちもまた、観想的に主を待ち望むことの大切さを思い起こし、その受肉の奥深い神秘を思い巡らすように招かれています。

*謙遜と信頼を受け入れること

 待降節はまた、マリア様が体現されたように、謙遜と信頼の美徳を受け入れる時期でもあると思います。彼女の生涯は深い謙遜を反映しており、誇張や抵抗をすることなく神様の御計画における自分の役割を受け入れました。不確実性や潜在的な困難に直面しても、神様の御約束を信じました。「マリアの歌」(ルカ福音1章46-55節)に見られるように、マリア様が主を崇め、神様の御前で自分の小さい存在を認める彼女の模範は、私たちにとって力強いものであり、私たちは神様の恵みと導きに依存していることを認識し、謙遜と神への信頼を受け入れるよう求められているのだと思います。

*マリア様の「はい」と私たちの応答

 神様の呼びかけに対するマリア様の「はい、お言葉どおりになりますように」という応答は、待降節の礎だと思います。それは、神様のご計画の一部となり、予期せぬことや奇跡的なことを受け入れようとする意志を表しています。マリア様の模範に触発されながら、私たちは毎年の待降節に、神様に対する自分自身の「はい」ということの大切さを思い出させられます。これは、神様が私たちの生活で働きかけてくださるかもしれない予期せぬことに対して、心を開き、自分の意志を神様の御心とよりよく一致させるにはどうすれば良いか、を熟考し、神様の御心に従うことで生じる課題や喜びを受け入れる準備をすることを意味することだ、と思います。

*霊的成長の時期

 待降節は、マリア様のご経験を通じて、霊的な成長と刷新の力強い時期となります。信仰、信頼、従順というマリア様の美徳を振り返り、それらを自分の生活に取り入れる時期だと思います。主イエス・キリストのご降誕を祝う準備をすると同時に、私たちはキリストを新たに受け入れる心の準備も整えます。

 マリア様の旅路は、待降節がただ待つだけの期間ではなく、私たち自身の信仰の旅路を変容させ、深化させる時期であることを常に思い出させてくれるのだと思います。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

2023年12月10日

・愛ある船旅への幻想曲 ㉞待降節にー「若者たちが『喜びにあふれた主役』になる教会」とは程遠い現実

 待降節に入った。今の季節、夕暮れ時は家々の灯りが、たいそう愛おしく感じる。夕焼け空はオレンジ色のコントラストで彩られ一日の終わりを祝福してくれる。そこに神はおられる。

 しかし、激しい紛争を経験する国々に、このような夕暮れの平安はないのだろう。人間の残酷さがエスカレートし、『人命の尊重』は忘れ去られ、美しい自然は悲しみ色に染まる。そこに神はおられるのかと問い、祈り続けて一日を終えるに違いない。

 11月26日「世界青年の日」にイスラエルとパレスチナの間で停戦が実現し、人質の一部が解放されたことを教皇フランシスコは、神に感謝された。そして、若者たちに、「あなたがたは世界の現在と未来です。教会活動で『喜びにあふれた主役』となるように」と励まされた。(「カトリック・あい」より)

 先日、若者たちと詩篇を分かち合っていた時、「人間って、何なんでしょう」と質問があった。人としての自分の在り方が、上司や年長者たちから理解されず、自分の中で何もかもがストレスとなり、仕事も手につかない状態になってしまう、と言う。「今まで自分が出会った人の口は正しいことを語らなかった」と、ダビデの詩に思いを馳せる彼である。

 自分の受けた苦しみを共有できる聖書の箇所に出会い、飾りのない感想を語る。今、彼にとって聖書は救いであり、彼の代弁者でもある。いつの世であれ、生きている限り、人は同じような苦しみを経験することを、神は教えてくださる。

 彼は、高校時代からキリスト教に興味を持ち、プロテスタント教会にも足を運んでいたそうだが、なるべくしてカトリック信徒になった、という。キリスト教への憧れもあったのだろうが、癒しを求めて教会を訪れたことも事実である。キリストとの出会いに喜びを感じ、精神的にも弱い自分を信仰によって強めていこう、と思った若者の一人であろう。

 そのカトリック教会は、今、社会にだけでなく、教会内でもさまざまな不安や疑問の声が錯綜している。「教会とは何なのか」-まずは聖職者と修道者に伺いたい。余りにも次から次へと不祥事が明るみに出、「どういうこと?」と信徒として、訳が分からないことばかりが相次いで起きる。

 挙げ句の果てに、ある司祭からは「今の教会は、信徒の至らなさが原因だ」と説教台から一方的に非難される始末。ミサにあずかり、福音説教から糧を得て、祝福の喜びを感じ、派遣されようとする信徒を、見事に裏切り、見当違いの”説教”を聞かされ、その挙句に、「嫌なら教会にも来なくていい」と言い放つ司祭さえもいる。

 教皇フランシスコは「司祭は教会の一部でしかありません。私たち皆が教会です」(2014年6月18日の一般謁見で)と言われ、「祈らず、神の言葉に耳を傾けず、毎日ミサをささげず、定期的に赦しの秘跡を受けない司教も、司祭も、やがてイエスとの一致も失い、教会の役に立たない凡庸な者、となるのです」(2014年3月26日の一般謁見で)と注意されている。

 このような教皇の言葉をどれほどの聖職者が聴き、真剣に受け止めているのだろうか。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2023年12月1日

・Chris Kyogetuの宗教と文学⑧「私の聖家族ー太宰治『パンドラの匣』から」

 献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。太宰治:「パンドラの匣」

 よく飼っている猫のことを小説にしたら?と言われるけれども、それが「まだ」できない。と言うのは、あまりにも可愛く、愛おしくて、語彙力が低下してしまうからだった。何もかも全てが愛おしいのだ。我が家にいる猫のアダムは4歳で、0歳の頃から一緒にいるので4年、一緒にいる。

 私自身が2018年に事故があり、それから長い療養生活に入ったけれども2019年に、立ち直ろうとも出来ず、何もかも気力がなくなってしまって、ほとんど、太宰治か、もしくはゴッホと同じような心境になっていた。

 そのような心境になった時の彼らと、年齢が近かったせいかもしれない。人生で派手に奪われたことが3度あったが、これが3度目だった。もう3度目となると、若い頃のように強くもなれなかった。むしろ、もう世界中から嫌われて、未練なく消えたい、いや。でも感謝している人もいるのでどうしようか-そんなことに取り憑かれていたようだった。確実だったことは、「希望」が何もなかった。

 そんな最中で立ち寄った場所で白目をむいて眠っている子猫がいた。「あの子、大丈夫ですか?」と係の人を呼んだら、「眠っているだけだから、大丈夫ですよ」と言って見せてくれた。猫には瞼が二重にあることを私は初めて知った。ぱっちり目を開けた時に、この子は綺麗な青い目をしていた。それはまるで天の国を知っているような純粋な存在に見え、初めて会ったのに、初めてではない存在に思えて、惹き込まれてしまった。それが今の「アダム」だった。今まで動物なんか飼えないと思っていたけれども、何かを愛そうとすることは何らかの治療の入り口に建てたのかもしれない。

 この場合、ただ、愛するだけではなく、尽くさなければならないのは、決まっていた。自分一人で生活をするのなら、別に困らない食生活や、部屋の清潔度も自分だけのことだったので、非常に、今思えば、だらしがないものだった。それが愛おしい存在のための「責任」が伴うと、そうではない。もしも、まだ青春や人生を謳歌していないという不満があるのなら、これらの責任は窮屈になるかもしれないことだが、私の場合は、それが窮屈になるということはなく、むしろ楽しくなった。それが救いにすら思えた。苦しいのは精神なのか肉体なのか、両方悪かったので、悪循環を辿って下り坂だった私に、漸く転機が訪れたのだ。

 2020年頃は、ある病気で免疫力が下がっていたようで、指に膿が溜まることが度々あった。当時はパソコンで文章を書くのも痛かった。足も頻繁につる。物事を抽象的なことを考えようとすると、頭が捩れたように痛かった。心臓の薬か、心因性か、辛い以前に、自分の身の上で何が起きているのか分からなかった。入眠も思うようにいかず、動悸を激しくするような悪夢を見て起きる。何が悪いから今の状況なのか、分からなくなった。コロナでアルコールが全部売り切れたので、香水で指の消毒をした。ピンクの香水は青い色素があるので、手が青くなった。アルコールがずっと在庫切れ、段々と痛々しい指になってしまったが、そんな中でもアダムだけは育てていった。

 このご時世、迂闊に一部分だけを語ると「病気の癖に、ペットを飼うな」などと言われそうなところだが、そういうことを「公に」アピールさえしなければいい。全てがSNSや、誰かにウケるためだけにあるわけでもなく、アダムに関してはシャッターチャンスや企画力を考えずに、ただ共に暮らしていた。 私の回復は、アダムとの出会いがきっかけで、始まった。部屋を綺麗にする、アダムへのご飯を必ず、水を交換する、定期検診、長毛種なので念入りなブラッシング、爪切り、お風呂、(もしくは美容院)そして次は私自身も治さなければならない。自動であげられる餌やり機を当時は拒んでしまった。どうしても自分の手であげたかった。

 なので、夜中起こされることがあっても、私は愛情を注ぐことが重要だと思った。本来「定時にご飯をあげること」が望ましいもので、私のように欲しかったらあげるというのは躾としては賛否両論だが、人間が様々な育て方があり、合う合わないがあるように、私はあの子の「声」を信じた。家に来たとき、自分で水を飲もうとしないので、私が母猫のように四つん這いになって水を飲んだら、飲むようになった。舌はザラザラしていて、初めて舐めてくれた時、とても幸せになれた。

 「ペットの気持ち」などを特集している記事があると毎回読んでしまう。猫にとっての好きだという仕草なんかが当てはまれば、最高に嬉しい。あの子の「寂しい」を受け入れなければならないし、あの子が過剰に依存になれば辛くなるので、躾けるときは躾ける。この子はちゃんと分かってくれる時は分かってくれる、ダイエットだって頑張って適正体重になってくれた。私の子は賢いと信じている。

 体や心で「愛している」と伝えることで毎日が精一杯で、疲れていて意識を失いそうになっても、愛している、と言っていた。「生まれてきてくれて、ありがとう」と、あの子の姿を見るたびに言ってしまう。4年間、毎日のように言っている。本当に世の中が嫌なニュースばかりな時、それでも、この子が生まれてきた、ということだけで、頑張れる気がする。いつしか何処で人生を間違えたのか、という問いすら消えたのは、アダムに会えるのは私一人だからだ。その運命の地点に辿り着けるのは、私一人なのだ。だから、あの時の不幸も、あの時の嫌なことも全て、通り道だったと思える。「見る」べきことは降りかかる出来事だけではなく「意志」も見つけることだと、そう思う。

 太宰治の「パンドラの匣」は、血を吐いていたのを隠していた「ひばり」が終戦をきっかけに「健康道場」という療養施設に入るところから始まる。そこで、「君」という詩人に手紙を書いていた。新しい新人の看護師の「竹ちゃん」が美人だと皆が騒ぐが、ひばりは、マア坊という看護師の方が気になっていると書いていた。ただこの話は太宰治の特徴である恋愛模様だけではなかった。

 まず、「健康道場」とは何なのか。それは定かにはなっていない。サナトリウムともまた違い「道場」というだけあって「やっとるか」という掛け声があり、皆、「あだ名」で呼ばれる。そして、誰か一人、死んでいくのを見送る。その場所は、外に出られるのか、それとも死を待つ場所なのか、読者は分からない。竹ちゃんの結婚をきっかけに、「ひばり」は、マア坊ではなく竹ちゃんが好きだった事実が発覚する。それでも、竹ちゃんの幸せを願って最後は冒頭部分の「献身」についてのことが書かれてある。

 タイトルとなっている「パンドラの箱」とは、ギリシャ神話の話で、プロメテウスが登場する。プロメテウスはシモーヌ・ヴェイユも「イエス」的な立ち位置として、キリスト教観前の思索として登場する。プロメテウスは人間を愛したこと、そしてゼウスの命令に背いて「火」を与えたことに彼女は感じていたことがあったようだ。プロメテウスはゼウスに殺される前に、弟のエピメテウスに火を与えた後のこと全てを託した。ゼウスはプロメテウスを処分した後に、エピメテウスに「パンドラの箱」を渡した。エペメテウスは、言いつけを破り、箱を開けてしまうと病気、憎悪、妬み、悪意などの「人間の様々な悪」が飛び散ってしまった。それでも、一つだけ残っていたものがあった。それが「希望」であり、プロメテウスが残したものだった。

 太宰も作中にこのように書いている「正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々に依よっても規定せられている事実だ」

 太宰の文章が特段に好きだというわけではないが、私はあまり日本人の作家を知らないところがあるので、話すとしたら誰が良いだろうか、と思って太宰治を選んだ。太宰治が好きだという読者は他の文豪の愛読者よりも、太宰が「クズの作家」として認知されているせいか、張り合う「知性」が無いせいか、人柄が温厚だなと選んだところがある。

 見習うべき点とか、尊敬する点として太宰を見るのではなく、ネタとして弄るところに親しみが湧きやすい。作者自身、弱さやクズさを、よく理解している。それは、自覚という点では多いに彼は正直ではないだろうか。希望にも欺かれるが、絶望にも欺かれる、というのは、既に戦後と吐血という時点で、パンドラの匣は開いていたのだろう。社会から遮断された中で適切な治療というものが何なのか、上半身裸になって寒風摩擦をすることなのか、具体的な治療法が分からないまま、それでも「希望」となったものは、主人公にとって恋愛を通過点とし、恋に敗れた相手への幸せを願うこと、「献身」への気づきだったように思う。

 天へ通じる道はイエスを通るが、そのイエスを通る際にも色んな事がある。狭き門に入るために、どれほど私たちは小さくならなければならないのだろうか。例えば、カトリックの様々な問題を考えると、何も進んでいないと思うこともあれば、それでも誠意を尽くそうとしている人たちもいる。そのことも忘れてはならないが、絶望と希望は表裏一体なのかもしれない。深い絶望があっても、常に希望はあるのだと思う。もしかしたら、今、見えない存在に気づくことがあるのかもしれない。

 2019年に、自分の絶望の裏には、アダムが生まれていた、という「希望」を知った。太宰の最期のように、作品で生きる糧のような良い言葉が思いついたとしても、一大決心がついたとしても、その気づきが一切が過ぎていくように、すぐにでも考えが変わってしまうこともあるのかもしれない。それでも、絶対に変わらない、変えられないものもあったりする。それが信仰であって欲しいものであるし、それが私のアダムへの愛情であって欲しいとも思う。

 今年の夏に、奇跡的に検査結果が異常なしになった。指に膿が溜まるのも気づいたら治っていて、アルコールが品切れになったことですら忘れていた。変な健康詐欺だと思われたくないので、これ以上は掘り下げないけれども、アダムがいなかったら、辛い食事制限や自制ができなかったのかもしれない。

 苦しい上に、治療で、またさらに苦しいことが待っていた。それでも、逃げた先には何もなかったことも知っている。人生で初めて逃げてしまいたかった数年間の償いは、終わったのだろうか。それは兎も角、アダムは、綺麗な青い目に、ピンクの鼻に、とても温かい。どうしてこんな綺麗な子が私の目の前にいるのだろう、と思う。何がなんても、この子と共にすると決めている。

 降誕祭に向けて、今月はそのように変わらない「愛情」について考えることにしたいと思う。これが私の聖家族。

(Chris Kyogetu)

2023年11月30日

“シノドスの道”に思う ⑥第16回総会第一会期の総括文書を『カトリック・あい』試訳で読む

 10月に約一か月かけて行われた世界代表司教会議(シノドス)第16回総会第一会期の総括文書を読んでの第一印象は、地方段階、大陸段階の報告が人々の切実な思いが伝えられるものだったのに対して、上から目線の、教えようとする、やはり、これまで通りの”司教文書”だ、ということでした。

 それでも、この文書を3回、メモを取りながら読み返していくと、慣れてきて、下からの声を教会運営に反映させよう、具体化のための審議や研究を継続しよう、という意志が込められている、と思うようになりました。文中にもあるように、これは最終文書ではなく、「今後の識別に役立てるための道具」ですが、これをステップにして次の第2会期が持たれるのですから、丁寧に読む価値はありそうです。

*表面的には逆ピラミッドの教会にみえるが・・・

 「シノドス的教会の歩みは、神が第3千年期に期待しておられる歩みです」(教皇フランシスコ)。この言葉に始まった”シノドスの道”、共に歩む教会、第2千年期のヒエラルキーとは異なる逆ピラミッド型の教会という「下からの教会」、それを援助する組織構造に変わっていかなければならない(補完性の原理に従って!)、それが神の意思であると教皇も言い、われわれも希望を持ちたいが、今回の総括文書に、これからの教会が「下からの教会」、「逆ピラミッド」に変わりそうな気配はあるだろうか。

 とりあえず、第2部は「全員が弟子、全員が宣教者」という見出しで始まり、教会の構成員全体を述べたものなので、ここを見ていきます。全体は、8「教会は宣教(使命、派遣)」である」、9「教会の生活と宣教における女性」、10「奉献生活、信徒団体、信徒運動:カリスマ的しるし」、11「シノダルな教会における助祭と司祭」、12「教会の交わりにおける司教」、13「司教団体制におけ
るローマ司教」となっており、記述の順序は逆ピラミッドになっています。内容はどうでしょうか。地方教会のトップである「司教」の項を見てみましょう。

*司教の働きと権限は何か

 まず、12「教会の交わりにおける司教」の<一致した意見>のうちa,b,cを見てみます。 地方教会における、そして全体教会との関係の中での司教の働きと権限が述べられているからです。
aについて; 司教は使徒たちの後継者として「交わり」の奉仕に当たる存在であるとし、地方教会では教区民、司祭団、修道者などとの交わりの、そして他の司教たちやローマ司教との交わりの奉仕に当たるとする。

*言葉だけの<シノダル>にみえる

 bについて; 司教は福音宣教と典礼祭儀の責任、キリスト者共同体を導き、貧しい人々の司牧ケアをし、各種各様のカリスマと役務を識別し調整する仕事を持つ。特に新しい点はない。「一致の見える原理」が司教だと言うが、要するに司教自身の考えで全体が調和するように決めるということ。
「この役務はシノダルな仕方で実行される。すなわち統治が共同責任によって担われ、信仰深い神の民に聴くことによって教えを説き、謙虚さと回心によって聖化と祭儀執行がなされる時、シノダルな仕方といえるのである」 教会憲章20項などで、司教は統治、教え、祭儀の3つの権能(権力)を持つというのは周知の事実で、新しいことではない。なぜ「シノダルな仕方」と言えるのでしょうか?

 「共同責任によって担われ」は司祭団と一緒に、あるいは教区の司牧評議会などの諮問を経て、といったこれまでの組織の働きを念頭に置いているようです。また「神の民に聴くことによって」教えを説くという。どこで聴くのでしょうか。その機会をどこに設けるのでしょうか。法的、制度的な裏付けもなく、曖昧です。そして「謙虚さと回心によって」ミサその他の典礼祭儀を行なうこと、それらが「シノダルな仕方」なのだと言う。

 このシノドス参加メンバーは本気で言っているのでしょうが、典礼に心を込めることがシノダリティとは言えないでしょう。もっと信徒が能動的に参加できるように、典礼のあり方を変革することがシノダルな教会になるということではないでしょうか。

*「すべての人々」=信徒はどこにいるか?

 cについて; 次に「司教は地方教会で、シノダルな過程を生かし活性化していくという不可欠の役目を持っている」とし、「<すべての人々の、幾人かの、一人の>間の相互性を促進しながら・・・全信徒の参加、及び、より直接に識別と決定の過程に関わる幾人かの貢献を重んじることによって」とあるが、全信徒はどこでどのように参加するのでしょうか?また「幾人か」というのは、教区の司祭評議会や司牧評議会などでしょうが、主たるメンバーは司祭であり一般信徒はわずかな人数にとどまるのが実情でしょう。

 以上の内容で「シノダルな過程を活かして」いることになるのでしょうか。「シノダルな過程」は文章の単なる装飾句、読者を惑わす言葉にしか思えないのですが。

*ヒエラルキーの下のシノダリティにすぎない

 そして最後の一文「司教自らが採用するシノダルなアプローチ(取り組み方)と、彼が行使する権威の様式は、司祭と助祭、男女の一般信徒と奉献生活者がどのようにシノダルな過程に参加するかに決定的に影響するだろう。司教は全員のためのシノダリティの範例として召されている」 要するに、どのようなやり方がシノダルなのか、また教区民に提供されるシノダルな方法がどのようなものなのかは司教が決めるというのです。

 規範は司教にあるということです。これでシノダリティと言えるのでしょうか。これまで幾つかのシノドスに関する基本的な文書にあった中世の伝統「すべての人に関係することは、みんなで決められるべきだ」という原則は忘れられているように思われます。

*司教の考え次第で決まる

以上、12「教会の交わりにおける司教」のa,b,cを見てきましたが、大略すると、シノダリティの内容、従って定義も、司教の考えに沿って決まっていきそうな気がします。またこれまでの体制を変えることなく(ヒエラルキーの権力もそのままで)、ただシノダリティの精神をもって司教は教区を運営していく、ということらしい。自ら進んでシノダルにしていこう、と取り組む司教がいればの話になりそうです。ボッカルディ前教皇大使の言葉「教会位階こそが神の民の中に身を置き、すべての信者の声に耳を傾けながら、信者の一人として生きていくよう招かれているのです」がむなしく響いてきます。

*神の意思を知るには<民の声>に重点をおくべき

 第1部 2 f は三位一体の中の交わりと派遣から神の民のあり方を導きだそうとしていると筆者(西方の一司祭)は思います。父なる神の意思を知るためには「まず、聖書に記されている神の言葉に耳を傾けること、伝統と教会の教導職を受け入れること、そして時代のしるしを預言的に読み取ることの関係を、明確にする必要があります」と。伝統と教導職を受け入れることと言うのは上から目線であり、少し違和感を感じないでしょうか。

 これとほぼ同じことを前にも紹介しましたヘルダー社刊特集号にThomas Söding(*)が論じていますので簡略に紹介しますと—頂点に立つ一人の人がすべてを決める<ピラミッド>のイメージではなく、ガリラヤ湖で漁師が打つ<網>のイメージで考える。考えるべき幾つかの観点はそれぞれ孤立して存在しているわけではなく、緊密に関係し合う全体の複数の接合点のようなものである。

 第一に、神の言葉である聖書。旧約から新約へ歴史的に動的に発展している。私たちの解釈も時代に応じて発展する余地があるだろう。

 第二に伝統(伝承)。これも硬化したものではなく生命で満たされなければならない。Overbeck司教(*)の言葉によると「伝統」は動的な概念で、その核心において信仰の生ける伝達を持っ
ている。

 第三に「時のしるし」。元々はマタイによる福音書第16章3節にある言葉ですが、第二バチカン公会議文書の数か所に見えます。重要なことは「時のしるし」は教会の外でも「聖霊のしるし」としてあり得るという点です。

 そして第四に、「神の民の直観と声」です。これが忘れられかけているのではと危惧されます。神の民は「信仰の感覚」をもって真実を求め、うめいています。Vox populi vox dei(民の声は神の声)という格言をシノドス参加司教さん方はもっと重く受けとめるべきではないでしょうか。

 そして最後五番目に教導職Magisteriumと神学がきます。教導職の役割は信仰の単純かつ人を解放する真理を証言し、教会の素朴なメンバーに仕えることです。多様性が活かされるように「ローマのシノドス事務局が『自分たちは地方教会をシノダリティの創造で支援します』と言ったのは良いことである」とフランク・ロンジ(*)も言っていました。

 すべての人の中に「神からの種」は蒔かれています(『現代世界憲章』3)から、文化内に受肉した神学が求められていると思います。こういう訳で、シノドス参加司教さん方はもっと「民の声」をしっかり聴いて受け止めることが大切ではないでしょうか。そもそも司教中心の会議というのが、もう古すぎるのではあり、信徒も半分入れるべきでしょう。司教シノドスから神の民全員のシノドスに変化しなければならないと思われます。

 今回の総括文書、希望を持てる点も幾つかあると思いますが、今回は課題が残る点を述べました。

 注*Thomas Södingはボーフム大学新約学教授で国際神学委員会のメンバー(2004~2014)、またドイツカトリック者中央委員会の議長。フランク・ロンジはドイツ司教協議会で教義と教育部門のトップ、またドイツシノドスの道で事務局を指導する。 https://www.synodalerweg.de参照
*Overbeck司教については10月29日付けドイツ司教協議会のプレスリリース参照。第一会期終了直後に数名の参加司教と共に感想を寄せている。

 (西方の一司祭)

2023年11月30日

・神さまからの贈り物 ⑤「 『思いやり』のプレゼントは、何よりも嬉しい」

 12月で思い出すのは、学校でクリスマスの準備をしたことです。クリスマスを「ケーキを食べる日」だと勘違いしていた私が、その前から心や行動を捧げる期間として過ごす体験ができたのは、学校での行事があったからでした。それ以外にも、聖劇を演じる生徒がいたり、『しずけき』を全校生徒で歌ったり、とミッション系の学校ならではの懐かしい思い出がいっぱいです。

  もうすぐクリスマスという頃、私は生徒会の仕事として下校ギリギリまで校内冊子の編集をしていました。当時、生徒会の副会長だったので、前期も経験のある自分がいろんな責任を負わなければならないと気負いすぎていました。その頃の私は体調を崩していて、授業はほぼすべて欠席していました。けれども、「生徒会の仕事には穴を開けられない」と感じ、役員たちには相談していませんでした。

  校内冊子の原稿締め切り日当日、連絡がうまくいかず、同学年の他の役員の私以外の全員が現場にいませんでした。想定外のトラブルも多発し、私はひとりでみじめな気持ちで原稿を集めていました。下校時間を過ぎてしまうと、私の学校はその日の放課後の活動をするための書類を出す必要がありましたが、それを書く余裕もありませんでした。

  巡回に来た先生が、私の様子を見て優しく声をかけました。「こんなに遅くまで、ひとりでどうしましたか?」 私はその時、涙を目にいっぱいためて堪えようとしたのは覚えていますが、耐えられたかどうかまでは覚えていません。

 その時の私は、欠席した他の役員たちとはもう一緒に仕事をしたくない、と思いました。けれども、後日、思わぬことが起きました。役員の中の1人が、わざわざ私のクラスまでやって来て、ドアの向こうから「まいちゃーん!」と私を呼びました。うっすらアイラインを引いた彼女でした。「クラスのみんなから聞いた。ずっと体調不良で授業休んでるって。どうしたの?大丈夫?」

 まさか心配してくれるとは、と驚きと安堵でいっぱいでした。 彼女は外見も内面も華やかで明るく、私とは違うタイプの人だと思っていました。だから、仲良くなれるかずっと不安に思っていました。でも仲良くなりたい気持ちはありました。私の方が彼女たちに対して小さな偏見を持ち、自分から壁を作っていたと気づきました。

  それをきっかけに、ゆっくりと変化が生まれました。透明のマスカラをつけた役員は、勉強の遅れた私に化学のノートを貸してくれました。色つきのリップをしていた役員は、最も大変な作業の切手の貼り直しの作業を私の分までやってくれました。とても嬉しい「思いやり」のクリスマスプレゼントでした。

 「彼女たちに、お化粧を教わりたかったなぁ」と、今の私なら言えるけれども、当時の私には難しかったです。でも、そうやって、年を重ねるごとに素直に自由になっていきたいです。

 Merry Christmas!そして、よい年の瀬をお過ごしください。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2023年11月28日