タイの人々は一般に新しい物事に素早く目を付け、関心と興味を持
新製品がいち早く市場に並び、広告宣伝の品が市民の手中に入る早
自由自在に自己表現した衣食住の数々、キラキラした好奇の目…生
タイ人の気性は、規制束縛されるのを嫌い、自由安泰に都合よく生
他人の目を気にして、ストレスを溜めて生きている日本人が、タイ
私自身をイエスの福音=岩の上に据え、何事にも動ぜずに生きる賢
愛読者の皆さん、お互いに聖霊の閃きを捉え導かれながら、頑張り
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
タイの人々は一般に新しい物事に素早く目を付け、関心と興味を持
新製品がいち早く市場に並び、広告宣伝の品が市民の手中に入る早
自由自在に自己表現した衣食住の数々、キラキラした好奇の目…生
タイ人の気性は、規制束縛されるのを嫌い、自由安泰に都合よく生
他人の目を気にして、ストレスを溜めて生きている日本人が、タイ
私自身をイエスの福音=岩の上に据え、何事にも動ぜずに生きる賢
愛読者の皆さん、お互いに聖霊の閃きを捉え導かれながら、頑張り
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
カトリックでいうところの聖人とは何でしょうか。聖人とは、一言で言えば、「亡くなった後、煉獄を経ずに天国に直行して神の御前に立てる方である」と今、地上で生きている人が証明できる人だろう。
カトリックでは、死後の世界を天国と地獄の他に煉獄があると信仰されている。地獄に行った人は永遠に地獄にあるが、煉獄は、死後すぐに天国に行けない人たちが、生前の罪の贖い(あがない)をするための場所で、幽霊はこの時のものである。手にイエス・キリストと同じ十字架の傷を受けた聖人のピオ神父のもとには、度々、煉獄の霊魂達が訪れ、天国に行けるよう祈って欲しいと訴えたという話が、まことしやかに伝えられている。これこそがまさに幽霊。
ピオ神父は度々、暗闇の中、「そこにいるのは誰だ!」と叫んでいたというが、考えてみたら、こわーい話ではある。
神父のことが書かれている「アレッシオ・パレンテ著、甲斐 睦興 訳、近代文芸社)の逸話を紹介しよう。
時は第二次世界大戦が激しいころ。イタリアのカプチン会の修道院での出来事。或る晩夕食後、修道院の門が閉ざされて長時間経ったとき、階下の入り口の廊下から、「ピオ神父万歳!(ビバ、パードレ、ピオ)」と数人が叫ぶ声が、修道士たちに聞こえた。煉獄の霊魂が、ピオ神父の祈りのお陰で、天国に行くことに決まり、ピオ神父に感謝の意を示すために修道院に来て、叫んだものだった。
そんなこと、知るよしもない修道院長が、部下のジェラルド修道士を呼び出し、「今しがた玄関に入ってきた人たちに、『もう遅いから修道院の外に出なさい』と言うように命じた。修道士は、言われるまま階下に行って、門を見ると、正面の扉は2本の鉄の棒でしっかり閉じられていた。彼はこのことを院長に報告した。翌朝、院長は、ピオ神父に、この出来事の説明を求めた。ピオ神父は説明した。「ピオ神父万歳」と叫んだのは、自分の祈りを感謝しに来た、戦死した兵士たちです、と。
もう一つ紹介したい。これはサレジオ会の創設者、聖ドン・ボスコが若いころ、神学校で仲の良い友人から「なあ、ボスコ、本当に天国ってあるのかい? 約束しようじゃないか。どちらか先に死んだ方が天国に行ったら、生きている方に報告しに来る、というのはどうだろう」と提案を受けた。暫くして、友人は病に伏し、病床でボスコに言った。「前に約束したことを必ず実行する」と。
友人が亡くなった翌晩、20人の神学生たちのベッドが並ぶ寝室に寝ていたボスコは、夜中、多数の馬に引かれた馬車が寝室にやってきた、というくらいの凄まじい音を聞いた。他の神学生たちも同じ音を聞いた。その凄まじい音とともに、亡くなった友人がボスコのベットの脇に立ち、「ボスコ、私は救われた」と大声で叫んで去っていった。
ボスコは、あまりの恐しさに病気になってしまった程で、以来、このような約束を交わすことを金輪際止めたという。20人の神学生が同じ音を聞いているから、この話も信憑性が高い。「完訳ドン・ボスコ」(テレジオ・ボスコ著、サレジオ会訳 ドン・ボスコ社刊)に書かれているが、よく書かれているので一読をお勧めしたい)
亡くなった聖人が、いま天国にいるということを、生きている人がどうやって証明するか。カトリックでは、委員会を作って生前の友人や知り合いに聞き取り調査をする、手紙や著書を読み解くなどして、徹底的に調べる。少しでも疑いがあれば、疑いが晴れるまでは、調査を止める。もし神がその人を聖人の位にあげたければ、神ご自身が人間社会に働
きかけるだろうとカトリックは考える。
調査には、墓をあばくことも入っている。昔は土葬だったため、土の中に葬られている棺を取り出し、中の遺体を調べることまでする。墓をあばく理由は2つある。一つは、もしも墓の中で生き返った場合に(もちろん、めったにはないことだが、実際に生き返った人がいたらしい)、絶望して死んでしまうかもしれない。それでは聖人になれない。
もう一つは、体が腐敗しない、ミイラ化の処置をしていないのに、体が腐らないという奇跡を起こす聖人がいるのである。現在、ミイラ化されているご遺体は、例えば、北朝鮮の初代最高指導者の金日成(キム・イルソン)や、ロシアのレーニン、特殊な防腐処理(エンバーミング)を施され、モスクワ都心の「赤の広場」のレーニン廟に安置されている。これらには、防腐処理が施されている。
読者が信じるか否かは分からないが、肉体が腐らない聖人たちがいる。例えば、南仏のルルドで聖母の出現を体験したことで有名な聖ベルナデッタ。彼女は35歳で亡くなったが、聖母マリアのご出現を体験しただけではなく、修道院内でも聖女の誉れが高く、亡くなってから30年後、聖人の位をあげるのにふさわしいかどうかの調査で、衆人環視の中、墓の中の棺の蓋を開けてみたら、生前と変らない肌に弾力のある聖女が現れ出た。まさにこれは神の恵み。
聖女のご遺体はフランスのヌベール市のサン・ジルダール修道院の聖堂に、安置されており、一般の人も直接、見ることができる。(巡礼ガイドなどは、 ヌヴェール愛徳修道会日本地区のホームページ (neversjapon.org)でご覧になれます)
(横浜教区信徒・森川海守(ホームページhttps://morikawa12.co)
二十歳の成人式を迎える日、私はタイ北部のミャンマーの国境近くの山奥にいた。なぜなら、私は生き返りたかったからだ。
そこに住むカレン族の村人たちと『共に生きる』ことを体験するこのプロジェクトは、日本での成人式を諦めてもいい、と思えるほど魅力的だった。人生で初めての挫折を経験し、心身ともに弱り果てていたから、なんとか立ち直りたかった。
「『ご飯だよ』と『ありがとう』さえわかれば大丈夫よ!」と、お世話役のシスターに送り出された。私が滞在した家のモー(カレン語でお母さんの意味)は、向日葵のように明るく、菫のようにはにかんだ笑みを見せる人だった。モーは、惜しみ無く愛情を注いでくれた。
忘れられないのが、とんでもなく辛い料理が出た朝食、あまりの辛さに私が「アヘー(辛い)!」と涙目になった。「オ ティー(水を飲め)」と家族全員が笑った。その時に出された水は、湯冷ましだった。村の水は綺麗だが、慣れていない日本人がお腹を壊すことがあるのを、モーはきちんと覚えていてくれた。翌朝「こっちは辛くないよ」とマイルドな味の料理も作ってくれたのも印象的だ。
モーの愛情によって、日本で凍りついてしまった心がゆっくりと溶けていくのがわかった。一緒に食べ、笑い、祈りを共にすることで、安心が広がる。「モーの愛情を独り占めしていいの?」と聞くと、モーは声を立てて笑い、私をぎゅうっと抱き締めた。
ある日曜のミサで、私は成人のお祝いをしてもらった。白い筒型のワンピースのような民族衣装には刺繍が施され、それは家によって形が違うらしい。そう言えば、前日の昼間にモーが熱心に縫っていたのを思い出した。
祭壇の前で司祭たちから祝福を受けた。心に熱いものがあふれ、緊張感でピンと張りつめていたものが緩んだ。頬には、大粒の涙がぼろぼろ音を立てるようにこぼれた。生まれて初めて体験する深い安堵に「私の心は息を吹き返した」と確信した。
ミサが終わると、村人たちみんなが長蛇の列を作り、順番にブーゲンビリアの花を手渡してくれた。モーの手にも、ショッキングピンクのその花があった。モーは「どうして泣いているの?」というようにニコニコ笑い、両手の指で涙をふいてくれた。私は彼女にしがみつくようにして泣いた。苦しい涙しか流せなかった私が、嬉しい涙を流していた。
そういえば、生きているだけで喜んでもらえた最後の日は、いつだっただろうか?と振り返った。 物心ついた時には、既に周りの期待を背負って生きていたような気がする。
日本社会では効率のよさが重視され、私は生きづらさを感じることが多い。けれども、今日も神さまは「あなたを愛している」ということを周囲の人たちを通して、伝えておられるのがわかる。
過去の私は、苦しいことは避けたいと思っていた。でも、苦しい時の私は必ず誰かからの優しさを受け取っていた。必ず試練とともに逃げ道がある。そのことは、私に大きな希望をもたらした。
新しい一年が、みなさまにとってすばらしいものとなりますように。
(東京教区信徒・三品麻衣)
日本の民話を、あらすじです。まず、鹿児島県大島郡に伝わる「猿長者」。
東長者は金持ちで、西長者は爺さんと婆さんの二人暮らしで子供も金もない貧乏者であった。ある師走の年の瀬に、神様は貧しい飯もらい坊主の姿になって、まず東長者の家へ行って、「すまないが、行きどころがないので、どうか宿を貸してください」と申された。ところが東長者は「今は年の瀬だぞ、帰れ」。
飯もらい坊主は、こんどは西の爺さん夫婦の家へやって来て「宿をかして下され」。夫婦は「さあさあ、早く入りなされ。食べる物は何もありませんが、粟種を入れたお湯でもおあがりなされ」と坊主を喜んで迎えます。三人が食べ始めた時、坊主は二人に「一升鍋に青葉を三枚入れて、水を入れて炊いてごらんなさい」と言う。婆さんは言われた通りにすると、一杯の肴が出てきた。さらに坊主は財布から米粒を三つ取り出して、「さあ、これを釜に入れてご飯を炊きなさい」。すると釜一杯のご飯ができた。さらに坊主は「爺さん婆さん、お前たちは貧しくて年をとっているが、宝がほしいかい、それとも元のような若さがほしいかい」と聞く。「若さがほしいです」と答えると、二人は若夫婦になった。
次の日、そのことを聞いた東長者は「とんでもないことをしてしまった。うちに泊めていたら、あのような運をさずかったものを。今からこの家に来てもらおう」と。そうして呼ばれた坊主は、東長者に赤い薬を渡した。それを風呂に入れて、夫婦で湯をあびると、二匹の猿になってしまった、という。
*「大年の客」
次に、岩手県の「大年の客」。
大晦日の晩、ある貧しい家に、どこからか一人の座頭(目の見えない人)が来て、泊めてくれと頼んだ。主人は困って、「うちは貧乏だから、どうか隣の家の長者さまの家に行って泊まってください」と答えたが、座頭は「俺は貧しい家で結構だ」と言って、その家に泊まった。
明くる朝、座頭は「若水をくむ」と言って井戸ばたに行くが、すべって井戸にはまってしまった。家の人たちが縄を下ろしてやると、座頭は「これこれ家の人たち、大きな声で『身上』『身上』と掛け声をかけて縄を引き上げなされ」と言う。その通りにして、座頭は井戸の外まではい上がり、出しなに「上がった、上がった」と大きな声を上げた。それからというもの、この家はだんだんと豊かになって行った。
それを知った隣の長者は、不思議に思って、彼らから、わけを聞き出した。そして、ある年の大晦日に座頭を見つけ出し、嫌がるのを無理やり自分の家に泊め、同じようにして、もっと金持ちになろうとしたが、貧しくなってしまった…。
*「貧乏人と金持ち」
三つ目はドイツのグリム童話の「貧乏人と金持ち」です。
昔々、まだ神様が自身で地上を歩きまわっていた頃、ある晩、神様は自分の宿に着く前に日が暮れてしまった。道のそばに、二軒の家が向き合って立っていた。一方は大きくて立派な金持ちの男の家。もう一方は小さくみすぼらしい貧乏な男の家。
神様は「金持ちなら負担になることもあるまい。今夜はあの家で泊まるとしよう」。神様がこつこつと戸をたたくと、金持ちの男は窓を開け、「なんの用か」とたずねる。「どうか、一晩だけ宿をおかしください」と答えると、粗末ななりをしているを見て、「だめだね、うちの部屋は薬草などでいっぱいだ。よそへ行ってくれ」と断った。
神様は今度は向かい側の貧乏な男の家に行く。戸をたたくと、貧乏の男が戸を開け、「お入りください」と歓迎し、貧しいながらも精いっぱいのもてなしをした。翌朝、外に出た神様は「お前さ
んたちは情け深く、信心深いから、三つの望みをかなえてあげよう」と言い、古くてみすぼらしい家が、新しい大きない家になった。
そのことを知った隣の金持ちは、急いで馬を走らせ、去って行こうとする神様を引き留め、自分のところにも泊まりに来るように、そして望みをかなえてくれるように、と執拗に願う。神様が承知してくれたので、喜んで家に戻ったが… 貧しくなってしまった。
*三つの共通点
この3つの話は国は違いますが、内容はほぼ同じ、貧しい人と金持ちの話。貧しい人は、旅人への同情や憐れみから、自分の家に迎え、もてなす。喜んだ旅人は大きな報いを与える。それを見た金持ちは、「困った人を助けよう」という気持ちからではなく、「もっと豊かになりたい」という欲望から旅人を無理やり泊めようとする。貧しい人がしたことと、形だけは同じことをするが、惨めな結果になる-というパターンです。また、泊まる所が無くて困っている貧しい旅人が、実は神様だったという点も同じです。
*個々の文化を超えている神、人類普遍の民衆の神
ではどういう神でしょうか。2つの日本の民話に出てくる神は、べつに神道教学に基づく神ではないし、グリム童話の神も、一応はキリスト教の神ですが、
この童話の元となった民話を語り継いだ民衆がキリスト教の教義や神学を知っていたわけではないでしょう。ラテン語を読めず、聖書を読む機会もなかったのですから。登場人物の貧しい人も、教義や神学をもとにした行動をとったわけではありません。ここに出てくる「神」は「世界の民衆に共通する憐れみの神」とでも言いましょうか。
日本でもドイツでも同じ話、同じ行動パターンに同じ結果があるということは、この世界を治めている「神」が、つきつめていけば、同じ存在だ、ということではないでしょうか。キリスト教の神、神道の神という区別は、文化的に頭の中で立てられたもの。『現代世界憲章』でも述べられているように人間は誰でも「神の像」に造られていますし、人間の中には「神からの種」「永遠性の種」があります。世界中で「苦しい時の神頼み」をしたことのない人はほぼいないのではないでしょうか。その時、どの神に祈るかと、いちいち考える人はいないでしょう。