・愛ある船旅への幻想曲 (35)新年、教会がどう動いて行くか、しっかりと目を覚ましていよう

 イエスの御降誕、新しい年2024年の始まり、おめでとうございます。

 2023年12月24日、教皇フランシスコは、「自ら人間の心を持たれた神が、人々の心に人間性を呼びさましてくださいますように」と、お告げの祈りで挨拶された。教皇は、パレスチナ、イスラエル、ウクライナをはじめ世界各地で戦争や貧困などに苦しむ人たちの為に祈りと、愛情の温かさと、簡素さのうちに降誕祭前を過ごせるように願われたのだ。

 “人間性”・・今を生きる私たち一人ひとりが人間性をどのように見なしているのだろうか。世々限りなく限りなく、人間性の本質は同じで、万国共通なのだろうか。。

 私は、戦争を経験していない。以前、アメリカ人の若者から「自分の友達は誰も戦争をしたくなかったが、戦場に出ねばならなかった。無事に帰還しても心の傷は深く、精神状態は悪いままです」と、生の声を聞いた時、戦闘が引き起こすストレスは想像を絶し、身近な一人の若者が苦しむ姿の背後にはどれだけ多くの人の苦しみがあるのだろう、と改めて「戦いに導く人間の本性にある邪悪さ」を思い知った。真っ先に若者たちが犠牲になる戦争、日本での戦争体験者の話も決して過去だけのことではない。

 今年もイエス・キリスト生誕の地とされるパレスチナ自治区、ベツレヘムで恒例のクリスマスミサが執り行われたが、ほとんどのイベントは中止され、司祭の1人は「イベント中止は世界へ向けた『戦争をやめてくれ、殺戮をやめてくれ』というメッセージなのです」と語った。このメッセージを私たちは、真摯に受け入れただろうか。(戦地で働く司祭方を思いやる司祭が日本にはどれくらいいるのだろう… ).

 イエスのご降誕を祝う荘厳な司祭の祈りと、それに応え、心からミサ曲を歌う信徒の声がお御堂に響き渡った時、そこに神はおられ聖霊は皆の上に降るだろう。この時、聖霊の計り知れない賜物は、救い主イエス・キリストがご自分の使命が果たせるように、教会が豊かになるようにと導いてくださる、と私は信じてやまない。

 「淫行、汚れ… 敵意、争い…利己心、分裂… このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません。これに対し、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、誠実…」(ガラテヤの信徒への手紙 5章21―22節)

 一つ一つの小さな教会の熱心な祈りが世の平和のためにどれだけ必要か、どれだけの信者が感じているのか。

 降誕祭ミサに限らず、全てのミサに対する聖職者の姿勢に疑問を感じながら与らねばならない教会での平和の祈りは虚しいだけだ。今、一生懸命司牧する司祭方の面目を失くすような聖職者の存在がある。彼らは、人間イエスの“人間性”を知っているのか。自己満足な自分だけの平和を守る人からイエスの愛は伝わらない。

 その当時、通りすがりにでも、人間イエスに出会いたかった私である

 2024年、世界がそしてカトリック教会がどう動いていくのか。。しっかり、目を覚ましていなければならない。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2023年12月31日