・三輪先生の時々の思い ⑪権力の座が男性に与える魅力と危険性

 たしか数日前のNewYorkTimes、アメリカ大統領トランプ氏が民主党が連邦議会に諮る弾劾決議に関して、「トランプがなぜ欠陥だらけに見えても、それなりのも区民的支持を維持できているのか」について、心理学的というか、一応の説得力のある論説を載せていた。昨日10月29日付けの日本経済新聞にも、トランプ氏の権力基盤について、似たような記事があった。

 ”Sovereign masculinity”-学界でどのような日本語になっているのか、詳らかでないが、「最高権力者なるがゆえに体現して見える、並び無き魅力的な男らしさ」とても言おうか。それがアメリカ大統領の責務をトランプに付与している権力基盤、つまり、超法規的な権力の根源だ、と言う。

 男性特有の暴力的言動すらが、「男性ホルモン、テストステロンの一大効果」の一つである「即断即決」ゆえに是認され、拍手で迎えられたりする、と言うのである。

 中国との貿易摩擦においても、「強硬」な姿勢こそが、トランプ氏の人気に貢献する。これが彼の”Sovereign masculinity”として大衆に迎えられ、アメリカの民主主義政治は運行されている、と見ることができるのだ。

 ムッソリーニは「大衆は羊の群れである」と言った。差し当たって、今すぐアメリカ合衆国がどうなる、というのではない。言いたいことは、一介の政治家であろうとも、最高権力の座に登り詰めれば、風の吹き回しで、とんでもない独裁者になってしまうかもしれない、ということだけである。

(2019.10.31記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

2019年10月31日

・Sr.岡のマリアの風 ㊹あまりにも悲しい、訪問したばかりの首里城本殿全焼

 日韓の女子修道女会総長会(10月28日~11月1日)の手伝いで、沖縄に来ています。わたしたちは、まさに昨日訪れたばかりの首里城の火災、本殿など全焼のニュースに唖然としています。悲しいです。県外から来たわたしたちでさえ、こんなに悲しいのだから、地元の方たちの悲しみは、どれほどだろうと思います。

 昨日、ガイドしてくださった下地さん(平和ネットワークガイド)が「沖縄の伝統的な建物や踊りは、ただ過去のものではない。先人たちがそこに『心』を宿して、継承してくださったものです」と話してくださって、心を打たれたことを思い出しました。琉球王国の身分の高い人たちが、海を渡って旅をする前に、「使命を無事に果たして帰ることが出来るように」と拝みに来た場所には、今でも、子や孫たちの安全を祈願するために、おじいちゃん、おばあちゃんが拝みに来るそうです。

 首里城の場所には(1)琉球王国の王都(2)日本軍司令部(3)琉球大学(4)(大学移転後)復元・再建された首里城…という、四つの歴史がある、と下地さんが話してくださいました。「世界遺産」は、建物それ自身ではなく(最近、復元されたものなので)、復元を可能にした、発見された「礎石」(首里城が建っていた場所を特定できた)です。

 火災の後も、礎石は残っていると信じます。「本土」から搾取され、差別され続けてきた沖縄の人たちは、きっとまた、自分たちのアイデンティティーの象徴として、首里城を再建するでしょう。わたしたちも、何らかの形で協力しなければ、と感じます。

 長くなりました。あまりにショックだったので…

 祈りつつ

2019年10月31日

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㊱「闘病記文庫」へようこそ

 歌手の堀ちえみさんが10月に刊行された闘病記『Stage For~舌がん「ステージ4」から希望のステージへ』(扶桑社)が話題を集めている。私自身も、舞台で活躍するお笑い芸人や演歌歌手らが病と向き合う小説『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』(講談社)を9月に上梓したばかりだったこともあり、不思議なめぐり合わせを感じた。

 堀ちえみさんの著作に限らず、病を抱える人が体験をつづった闘病記は、数多くの患者や医療関係者の心のよりどころになる――と改めて注目を浴びている。各地の公共図書館でも手にしやすくなり、自分にあった本を探す手立ても整備されている。

 日本文学の中で闘病記は、確立した一つのジャンルだと言える。明治期から

昭和のはじめに至るまで、結核などの感染症に倒れた若き文学者らの手で、数多くの作品が主として私小説の形で生み出された。1980年代以降は、医療機関でがんの告知が進み始めたことを受け、市井の人々の作も含めて、がんの闘病記の刊行が急増したという。そのいくつかを手に取ると、治療の選択肢や、病気との共生、家族の絆など、さまざまな視点から作品がつづられている。

 ところで闘病記は、図書の分類上、一つの独立したカテゴリーを与えられていない。これに、本のタイトルだけでは闘病記と判断されにくいという傾向も加わり、まったく同じ闘病記が、図書館や書店によって、「文学」「ノンフィクション」「エッセイ」「医療」など異なる書棚に分かれてしまいがちだ。結果的に闘病記は、「読んでみたいが、探すのが難しい」と言われてきた。大手出版社でなく自費出版で刊行されるケースが多いことも、一般の読者の手に届きにくいという弱点だった。

 そんな状況に明かりを灯してくれたのは、東京都立中央図書館(港区南麻布)だ。同館は2005年に全国で初めての「闘病記文庫」を設け、図書分類の垣根を超えて関連する本を一つのコーナーに並べる試みを始めた。現在では、約260疾病にわたる約900冊の闘病記を館内に並べている。

 都立中央図書館の挑戦は、西日本へも広がった。鳥取県立図書館(鳥取市)も2006年に闘病記文庫を開設。現在では900冊以上の関連書籍を整えているという。その後も、大阪府立大図書館(羽曳野キャンパス)、大阪厚生年金病院(大阪市)、奈良県立医大付属図書館(奈良県橿原市)、奈良県立図書情報館(奈良市)などで同様の動きがあったという。

 首都圏は都立中央図書館の文庫が先駆的かつ中核的な存在だが、インターネット上で闘病記の検索を支援するシステムの発信地ともなっている。画面に現れる仮想の本棚に約700冊分の闘病記を分類して紹介する「闘病記ライブラリー」(http://toubyoki.info/index.html)は、表紙のイメージや目次などの情報、貸し出しサイトへのリンクもあって便利に使える。

 聖路加国際大学は、「るかなび闘病記文庫ブックリスト」(闘病記は約1600冊分)をネット上で公開し、実際に本を読んだ学生や教職員が内容を150字で紹介し、市民が手に取りやすいようにしている。大田区立蒲田駅前図書館のように、闘病記を含めた関係書籍を「医療・介護情報コーナー」として館内の目立つ場所に展示・公開する取り組みもある。

 これらの作品群から学べるのは、病気の知識や医療情報というより、<病気になっても、いかに生きるか>を考えさせてくれる知恵と勇気だ。まさに読書がもたらす大きな力だと言える。秋の読書週間の一日、お近くの図書館に闘病記文庫があるかどうか、チェックしてみてはいかがだろう。

(みなみきょうこ・医師、作家: 末期がんや白血病、フレイル……病に負けず舞台を目指す人たちと女性医師の挑戦を描いた物語『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』を9月17日に講談社から刊行しました。終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=、クレーム集中病院を舞台に医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中です)

2019年10月31日

・地域社会に溶け込み、他宗教と連携して歩む姿に、日本の教会の進むべき道を見た-天草・崎津教会で450年祭

 天草の河内浦(現在の熊本県天草市河浦町)にキリスト教が伝えられて450年を祝う祭が10月27日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に昨年登録された同町の「崎津集落」にある崎津教会で行われ、天草全域はじめ、域外からも私たち夫婦など東京、大阪、静岡、福岡の信徒13人の竹田・島原・天草巡礼団(トラベリオ企画)が参加した。

 その模様は、翌日の熊本日日新聞や読売新聞など全国紙の九州版にも写真入りで大きく取り上げられ、信徒に限らず、幅広い人々の関心を集めた。

 イエズス会士、聖フランシスコ・ザビエルによって1549年に日本へキリスト教が伝えらえたあと、天草では1566年に同会のルイス・デ・アルメイダ修道士が1566年に宣教を開始。3年後に河内浦にキリスト教をもたらし、キリストの教えだけでなく、西欧の医療、文化などを伝えた。そして当時の天草氏の庇護のもとに信徒を増やし、江戸幕府による禁教令とそれを受けた藩の厳しい取り締まりの中にあっても、地域の仏教、神道と共存、変容しつつ、潜伏キリシタンとして生き続けた、という歴史がある。

 450年祭は、天草の崎津、大江、本渡の3教会(渡辺隆義・主任司祭)の共同主催で行われ、午前9時半から、300人近い信者たちが参加、福岡コレジオの森山信三・院長の司式で記念ミサを捧げた後、聖体行列に移り、聖体を納めた金色に輝く顕示台を掲げた司祭団、マリア像を担ぐ福岡コレジオの生徒たちを中心に、祈りをささげながら、約一時間かけで集落内を巡った。このあと、記念コンサート、天草キリシタン研究家の講演、さらに、この地域にある江月院から副住職、崎津諏訪神社から権禰宜が出席して「神道・仏教・キリスト教の対話」が渡辺神父の司会で行われた。

 記念祭のあいさつで、渡辺主任司祭は「この記念祭を通して、アルメイダ修道士がこの地にもたらしたキリスト教信仰が、今の私たちの信仰と同じものであることを確認し、当時の宣教師が求めていた人々の平安のために、私たちも、少しでも役立つ決意を新たにしたい」と語った。

 また、森山院長はミサの説教で「ザビエルの来日から幕府の禁教令までの5,60年の間にキリスト教文化が日本で花開いた。医師とし

ての専門技能を持つアルメイダは、貿易商として1550年代に来日し、宣教師の影響を受けて、病院建設、医師養成などを通して西欧の当時の先進医療を伝え、崎津では1000人を信徒とした。その後、キリシタンへの迫害が激しくなり、まさにこの崎津教会が断っている場所で、踏み絵が行われた、という。それでも潜伏キリシタンとして、信仰を続けたことを感嘆せざるを得ない。教皇フランシスコは、就任されて以来、一貫して貧しい人、世に見捨てられた人に手を差し伸べるよう訴えてこられ、ご自身もそのように行動されているが、天草で始まったキリスト教信仰は、まさに、教皇が発信されていること。そのことは、私たちにも、そうしたメッセージを社会に向けて発信していくことの意味を示唆している」と述べた。

 「キリシタンの島」と言われる天草諸島は面積約1000平方キロメートル、人口は約12万人だが、カトリック教会は崎津、大江、本渡の三つの教会で、信徒数は約450人。ご多分に漏れず、少子高齢化が進み、幼児洗礼はゼロ、新規受洗者も年に2,3人という。そして、司祭は御年71歳の渡辺神父ただ一人で三つの教会を掛け持っておられる。それでも、450年祭には、これほど多くの信者が集まり、僧侶や神主も司祭の呼びかけに応じて、進んで対話に出席してくれる。聖体行列の「花まき」には、洗礼を受けていない崎津保育園の園児十数人が嬉々としてその役を務めてくれていた。

 世界文化遺産登録で、観光客を当て込んだ飲食店や土産物店が出来、公園や道路も整備されて「以前の素朴な集落の良さがなくなった」と嘆く声も、以前を知る人の一部には聞かれたが、少子高齢問題などを抱えた地域社会に溶け込み、他宗教とも連携して歩む姿に、これからの日本の教会のあり方を見たのは、私だけではなかっただろう。

(「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

 

2019年10月29日

・Sr.石野の思い出あれこれ ⑯戦火の後も生々しいお屋敷跡に新修道院建設、まず瓦礫のかたずけ

 修道服についてだけではなく、カトリック教会に大変革をもたらした第二ヴァチカン公会議について話すのはまだ早すぎるーということで、今までの続きに戻ることにしよう。

 「尼さん」だの、「童貞さま」だの、「シスター」などと呼ばれながら、朝起きてから夜寝るまで、お祈りやプロパガンダ、お勉強、リクレーションと充実した日々が続いた。そのうち、一人また一人と、修道会への入会志願者が増え、阿佐ヶ谷の家も手狭になってきた。イタリア人のシスターたちは、新しい修道院を建てるための土地探しを始めた

 ある日、パオロ神父様の運転する自動車で土地探しをしている途中、自動車が故障してしまった。自動車の修理が終わるのを待つ間シスターたちは近くを散歩していた。すると、広い空き地が目の前に広がった。立派な家が建っていただろう、と想像できるその土地は、戦火の跡も生々しく荒れ果てていた。

 それから話がどのように進展していったのか、私たちは詳細を知ることなく、その土地が新しい修道院の建設予定地になった、と教えられたー東京都港区赤坂乃木坂。現在修道院が建っているところである。

 修道院新設が決まると、私たちは一日の働きや祈りの日課が終わり、夕食を済ませると、阿佐ヶ谷の修道院から乃木坂の新修道院建設予定地までジープで通った。焼け跡にごろごろしている瓦礫運びをするためだった。

 今思えば、私たちの働きなんか「焼石に水」に過ぎなかったのだが、たとえわずかではあっても私たちの汗と努力と愛、その上に今、私たちが住んでいる修道院が建っている-と思うと、身が引き締まる感がする。

 将来の修道院の夢を見ながら、夜遅くまで働いた。でも辛いと思ったことは一度もなかった。一日も終わり、お布団に体を横たえ、静かに目を閉じると、疲れと感謝がどっとこみあげてきた。

 「今日もこんなに疲れるまで、元気に頑張ることができました。神さま、今日も力と勇気と喜びをお与えくださり、感謝します」-そんな祈りのうちに大きな希望と理想に胸を膨らませ、豊かに成長した明日の聖パウロ女子修道会を夢見ながら、安らかな眠りについた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

2019年10月29日

・「教皇フランシスコの挑戦-闇から光へ」が新装版で春秋社から再刊されました

(2019.10.23 カトリック・あい)

 春秋社より、「教皇フランシスコの挑戦 闇から光へ」(ポール・バレリー/著 南條俊二/訳)新装版が10月中旬に再刊されました。教皇来日の準備として、教皇の現在の活動の原点を改めて理解するのにお役立てください。

 

出版社名: 春秋社
出版年月: 2019年10月
ISBNコード:978-4-393-33378-54-393-33378-0
税込価格 2,750円
頁数・335P縦

おすすめコメント・・・・・・・新装版には、訳者の「新装版に寄せて」で教皇就任以来6年半の軌跡と若干の評価が追加されています。

 世界中の驚きと歓喜のうちに誕生した新教皇フランシスコ。だが、歓喜の光にはまた闇もつきまとう。カトリックの総本山バチカンの複雑怪奇な権力構造と山積するスキャンダル。アルゼンチンの軍事政権時代、管区長としてスラムで働く司祭2人を修道会から追放し、拷問部隊の餌食になることを許した疑惑。さまざまな関係者の思惑が渦巻くなかで、新教皇はカトリック教会を光へと導くことができるのか。英国のバチカン専門家で社会派のジャーナリストが、多角的なインタビューも含めて、教皇庁の内幕や世界情勢、アルゼンチンの国内政治を丹念に取材し、新教皇の半生と現在、今後に待ち受ける試練をドキュメント・タッチで描く。

2019年10月23日

・菊地大司教の日記 (51)福音宣教の特別月間へ/10月の予定

2019年9月30日

 10月が始まります。10月はロザリオの月ですから、聖母マリアの取り次ぎにいつも以上に信頼しながら、聖母を通してイエスへと至る道を歩み続けたいと思います。主イエスとともに受難の生涯を歩まれた母の取りなしを、イエスが聞き入れないはずがないと、私たちは信じています。

また今年の10月は、福音宣教のための特別月間です。東京教区では、そのためのパンフレットを用意して、各小教区に配布したところです。パンフレットのPDF版が教区ホームページのこのリンクに掲載されていますから、ご自分でダウンロードして印刷していただくことも可能です。

 教皇様を迎える前に、あらためて福音を宣べ伝える使命をどのように果たすことができるのか、この一月考えてみたいと思います。

以下、10月の主な予定ですが、今月は、教皇訪日準備のために、週日の予定が大きく変更になる可能性があるため、主に週末の予定中心に掲載します。週日に関して、ご用の際には、教区本部の司教秘書であるディンド神父にお尋ねください。

10月5日(土) お告げのフランシスコ会誓願式 (11時)

10月6日(日) 新潟教会堅信式 (9時半)

10月7日(月) 東京教区司祭評議会 (10時半)

10月19日(土) 受刑者のミサ (14時 麹町教会)

10月20日(日) あきる野教会堅信式 (11時)

10月20日(日) 世界宣教の日晩の祈り・聖体礼拝 (17時 カテドラル)

10月21日(月)~23日(水) 東京教会管区司祭研修会 (札幌)

10月26日(土) 聖ヨハネ会誓願式 (14時)

10月27日(日) 大森教会ミサ (9時半)

10月27日(日) 高輪教会、宣教協力体合同堅信式 (14時半)

10月29日・30日 カリタスジャパン全国担当者会議 (新潟)

 

2019年10月6日

・三輪先生の時々の思い ⑩日韓関係炎上?

 文在寅大統領の韓国が危ない… いつか突然、韓国が地球上から姿を消しても、誰も吃驚しないだろう… どぎつい言辞が日本のメディアに踊っている。

 日本人の嫌韓意識も,ついにそこまで来てしまったか。

 韓国が消える、というのは、親北朝鮮路線を堅持している文在寅大統領のもとで南北統合が成立した瞬間に、自由も民主主義も抹殺されてしまうだろう、というのである。北の赤裸々な「覇道」が、南のセンチメンタルな「王道」を踏みにじることを意味している。

 同時進行的に予測されることは、朝鮮民族全体が、中国の政治経済圏に組み込まれてしまうことだろう。現在、すでに韓国の対中輸出は対日米の総額を上回っているのである。

(2019.10.2 記)

2019年10月5日

・Sr.岡のマリアの風 ㊸「福音宣教のための特別月間」の初めに-教皇の荘厳の挽歌で面白いことが…

 教皇フランシスコは10月、「福音宣教の特別月間」を、聖ペトロ大聖堂での荘厳な晩課をもって始めた。ここでも、おもしろいことが起こった(と私は思う)。

 普通、「宣教」をテーマに聖書の箇所を選ぶとすれば、イエスが弟子たちを派遣するところとか、聖霊降臨の場面とか…ではないか。でも、パパ・フランシスコは、マタイ25章14-30節、(まさに「十人のおとめのたとえ話」のすぐ後)、「タラントンのたとえ話」を選んだ。

 パパが言いたかったことの一つは(と私は勝手に思うのだが)、「宣教」とは、「わたしが福音を宣べ伝える」ということの前に、「ミッション」、つまり「派遣」、遣わされることであり、主人公は「わたし」ではなく、わたしを遣わす方である、ということだろう。

 わたしは、「遣わされる」のであれば、わたしを遣わす方の思いを、わたしの思いとすればするほど、それは実りをもたらすことになる。しかし…ここで注意!…、それは、わたしが望む」実りではなく、わたしを遣わす方の望む実り。そして、ひじょうにしばしば、わたしの思いと、わたしを遣わす方の思いは、根本から異なる。

 パパはまた、先日、ジャーナリストたちに、「キリスト者」とは(キリストの)「証し人」である、と明言している。(わたしたちが、「当たり前」と思って、わざわざ口にしないで済ませてしまうことを、はっきりと言って、「あなたは、本当にそれが分かっていますか?」と問いかけるのが、パパのスタイルだ)。

 「証し人」であるとしたら、わたしたち自身を宣伝するのではなく、この世において、キリストの「顔」(表情)を表す者となる、ということだ。キリストの「顔」がもっとも現れるのは、いわゆる「真福ハ端」の中。つまり、骨の折れる、ひじょうにしばしば、人間の本能的反応に逆流する生き方においてである。

 だから…と、パパは続ける、キリスト者であることは、楽ではない。わたしたちはいつも「少数」。なぜなら、わたしたちが求めているものと、この世の「大多数」が追い求めているもの(権力、富、快楽…)はまったく違うから。

 そうなると、問題なのは、「数」が少ないことではなく、わたしたちキリスト者が、少数でも、小さくても、この世において「パン種」、「地の塩」となっているかどうかである。パパは言う。

 わたしたちは少数です[…]。パン種のように少数、塩のように少数:これが、キリスト者の召命です!少数であることを恥ずかしがる必要はありません。[…]泣き言とあきらめは、キリスト者の精神ではありません。[…]恐れないでください。わたしたちは少数ですか?そうです、でも「宣教するmissionare」望み、人々にわたしたちが誰であるかを見せる望みとともに。証しをもって。もう一度、聖フランシスコが、兄弟たちを宣教に派遣するときに言った、あの言葉を繰り返します:「福音を宣べ伝えなさい、そしてもし必要なら、言葉でも」。つまり、最初に来るのは、証しです。(広報省総会の参加者たちへの講話、2019年9月23日)[試訳]。

 教会にいのちを与えるのは「教義の管理者」ではなく、証し人、特に「殉教者たち」である。パパは続ける。

 [わたしは]もうすぐ枢機卿になる[リトアニアの]名誉大司教を思い起こします。彼は、何年間、牢屋にいましたか?証しをもって、彼はひじょうに多くの善いことをしました!苦しみをもって…教会にいのちを与えるのは、わたしたちの殉教者たちです:わたしたちの芸術家たちでも、わたしたちの偉大な説教師たちでも、「真の完全な教え」の管理人たちでもなく…違います、殉教者たちです。殉教者たちの教会。そして、伝えるとは、このことです:わたしたちが持っている偉大な富を伝えること。

 パパ・フランシスコの中で、「宣教する」-「遣わされる」-とは、何かわたしたちの「外に」あるものを伝えることではなく、わたしたちが「すでに」、わたしたちの中にいただいた「賜物」、恵みを、「起動させる、動かす(activate)」ことだろう。

 だから、先ず「祈り」。祈りの中でわたしたちは、今いる場所で、今そばにいる人とともに、いただいた賜物をどう起動させたらよいのか教えてください、それを実現する勇気と力をください、と願い求める。だから、「すべてのキリスト者が」-病院のベッドにいる人も-派遣されている。聖霊は、わたしたち一人ひとりが、ユニークな方法で自分の派遣を生きるよう、導いてくださる。

 以下、ひじょうにパパ・フランシスコらしい表現を、そのまま。(宣教の月の始めに。晩課、2019年10月1日)

 誰も、教会の宣教から除外されて[いません]。そうです、この月、主はあなたをも呼んでいます。家庭のお父さん、お母さん、あなたを呼んでいます。偉大なことを夢見ている若いあなた、あなたを呼んでいます。工場で、店で、銀行で、レストランで働いているあなたを呼んでいます。病院のベッドの上にいるあなたを呼んでいます…

 主は、あなたが今いるところで、あなたのそばにいる人とともに、あなた自身を賜物にすることを求めています:あなたが命(人生)を我慢するのではなく、それを与えること
を;あなたが自分の上に屈み込むのでなく、苦しんでいる人の涙によって掘られるに任せることを求めています。勇気を出しなさい。

 主はあなたに多くを期待しています。主は、また、誰かが「出発する」勇気を持つことを期待しています。誰かが、希望と尊厳が、最も欠けている所に、ひじょうに多くの人々が、まだ福音の喜びなしに生きている所に行くことを期待しています。

 「でも…わたしは一人で行かなければならないのですか?」。いいえ、それはうまく行きません。もしわたしたちが、宣教(ミッション)を、事業計画とともに企業的組織をもって行うことだと考えているなら、それはうまく行きません。宣教の主人公は聖霊です。聖霊が、宣教の主人公です。あなたは聖霊とともに行くのです。

 行きなさい、主はあなたを一人っきりにはしません:あなたは、証しをしながら、聖霊があなたよりも先に来ていたことを発見するでしょう。あなたのために道を準備するた
めに。兄弟姉妹たち、勇気を出しなさい。母である教会よ、勇気を出しなさい。宣教の(派遣される)喜びの中に、あなたの実りを再発見してください!

   **********

 神の偉大なわざの「場」となるのは、小さい者たちのこころ-粘り強く、あきらめず、信じ、希望し続ける者たち、次世代の善のために、一緒に、具体的に動き出す者たちのこころだろう。 アーメン

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2019年10月2日

・Sr.石野の思いであれこれ ⑮シスターになって…長い修道服…公会議で大変化!

 着衣してから一夜が明けた。着衣したからと言って急に生活が変わるわけではない。外見は一人前、中身は半人前のシスターとして心機一転して、今までの生活の延長線上で、長い修道服を身に着けての生活が繰り広げられていく…

 朝は早くから目が覚めて、起床時間を告げる鐘の音が聞こえるのが待ち遠しかった。修道院ではクリスチャン・ネームで互いに呼び合う。着衣をし、シスターの卵になると、名前の前に「シスター」が付く。だから名前も「マリア・アヌンチアタ」から「シスター・マリア・アヌンチアタ」に変わった。

 当時、シスターのことを日本語では「童貞さま」と呼んでいた。着衣したての頃、「童貞さま、童貞さま」と誰かが呼ぶので、あたりを見回すと、誰もいない。実は私が呼ばれていたのだ、と気づいたことも何回かあった。

 どんなに頑張っても、着衣したての頃は、長い洋服の裾が足に絡む。普通に歩くときはまだよいが、階段の昇り降りが難しい。昇るときは、両手で服の前の方をちょっと持ち上げ、裾を踏まないようにする。階段を降りるときは、後ろの方をつまんで、洋服の裾が階段をこすらないようにする。はじめのうちは階段を昇るときに後ろをつまんだり、降りるときに前を持ち上げたり、なかなかスムーズに行かなかった。

 でも、毎日のこととて、やがて上手にさばけるようになった。修道院の中でも外でも常時、黒くて長い修道服を身に着けていた。真夏でも黒くて長い服を着ていた。今思うと、真夏に黒くて長い服を身に着け、町を行く私たちの姿は、異様に見えただろうと思う。「神様のためなら、暑くないんだな!」と、聞こえよがしに私たちのそばで言った若者がいたのを、今も思い出す。

 暑かった、すごく暑かった。夏は白っぽくて薄手の生地の服の方がいいのに、何度も思った。でも会の規則だから・・・そう思い直すよりほかに、道はなかった。

 ところが変わった。全く変わった。洋服だけではない、多くのことが変わった… 1962年から1965年にかけてバチカンで開かれた第二バチカン公会議のおかげで、たくさんのことが変わったのだった。

 ( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

2019年10月1日

・Sr.阿部のバンコク通信㊱アサンプション大聖堂…100余の歴史持つ市内の教会巡り

   友人達10人で、バンコク市内の100年余の歴史を持つ教会巡りをしました。

 アサンプションカテドラル(写真右下)でミサに与り、次いでロザリオ教会(左下)、サンタクルス教会と。古い市街地区を流れるチャオプラヤー川畔に、舟で往来ができるように建っていました。 

  タイのカトリック教会は創設350周年を迎えましたが、それ以前にシャム王国(タイ)はフランシスコ•ザビエル自身により、宣教の意向が書簡に記された地でした、中国にもタイにも辿り着くことなく、1552年ザビエル帰天。タイの教会はこの事実を大事に記録 しています。

  アユタヤ王朝(1351-1767)ナライ王時代(確かな記録は1662年~)ポルトガル、スペイン、フランスから宣教師が来泰。聖座が正式に教会設立を承認したのは1669年6月4日でした

   度重なるビルマ軍の侵攻により1769年、アユタヤ陥落。タイ側で戦ったポルトガル人と共にカトリック信徒のグループも破れて南下移動し、王の好意で地所が与えられ、1769年ロザリ教会(現教会1897年)、1770年サンタクロス教会(現教会1916年)、チャオプラヤー川の東岸と西岸に建立し安住しました。時はアユタヤ王朝に次ぐトンブリ王朝。

 次いで1821年フランス人宣教師によりアサンプション小聖堂建立(大戦で損傷)、1919年に現在のカテドラルが完成… 教会界隈にも当時の人々を偲ばせるものがありました。ポルトガルの焼き菓子とか... 美味しい珈琲をいただきながら、当時の館を偲ばせるカフェで語らいながら、いい時を過ごしました。

  歴史を刻み、人々と共に生きる信仰者の営みが、其々の教会に染み込んでいました。黒光りした祈祷台で祈りながら「主よ、私の信じる人生を、日々精一杯生きたいです」と。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2019年10月1日

・菊地大司教の日記 ㊿「ネットワークミーティング」と「葛西教会50周年」

2019年9月27日 (金)

Nwm1905

 9月21日の土曜日、お昼過ぎから、千葉の鎌取にある聖母マリア幼稚園を会場にして、全国から150名近い青年たちが集まり、ネットワークミーティングが二日間の日程ではじまりました。

 開会式のミサを依頼されたので、東京教区を中心に様々な教区から駆けつけた青年司牧担当の司祭とともに、野外でのミサを捧げました。またこの千葉の地にあっては、先日の台風の被害を受けて、復興に取り組んでおられる方々が大勢おられますし、この幼稚園の周囲でも樹木が大きな被害を受けている様子を目の当たりにしましたので、ミサの中では被害を受けられた方々のために、皆でお祈りをいたしました。

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*ネットワークミーティングとは

 中心になっているのは、カトリック青年連絡協議会です。ホームページがあります。そこに次のように記されています。

「1998年にカトリック中央協議会の青少年委員会が解散するにあたり、全国のカトリックの青年の動きを支えるものを何か残したいということで、カトリック青年連絡協議会の発足の準備が始まりました。従来の青少年委員会の反省から、司祭・修道者と青年が一緒に話し合い考えていくことができるような形の会を目指し、何度も話し合いを進めてきました。

その結果、青年や青年にかかわって活動している人たちが自由に話し合い、交流ができる場「ネットワークミーティング」と、会を責任を持って支えていく場「カトリック青年連絡協議会」とを分けるということが提案されました。そして、2001年9月、第1回ネットワークミーティングが東京にて開催されました」。

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 全国各地で、年に二回ほどネットワークミーティングが開催されています。もちろんこの集まりだけが、日本の教会のすべての青年を網羅しているわけではなくて、それ以外の共同体や運動体も教会にはいくつも存在しています(伝統的には例えばJOCとか、または新しいカリスマによって集まった運動体とか)。

 また、わたし自身もそうだったのですが、こういった集まりで見知らぬ人と出会うのが苦手で、という人だっていることでしょう。一つの形式にとらわれずに、様々なスタイルで青年たちが教会につながってくれていることを期待すると同時に、教皇様が言われるように、青年は未来の教会の担い手なのではなくて、今の教会を作り上げている力なのですから、その力をまさしく「今」発揮していけるような教会共同体でありたいと思います。

 そして今回37回目となったネットワークミーティングのテーマは、なんと召命。「灯して照明!応えて召命!」でありました。

 もちろん召命は、司祭や修道者だけのことではなく、キリスト者としての召命全般のことを指しています。今回の集まりでの出会いによって、それぞれの青年たちが、自らに固有の召命に目覚め、司祭や修道者を含めて、それぞれの呼ばれている道を力強く歩み始めてくれることを、こころから願っています。

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 そして翌9月22日の日曜日は、都内の江戸川区にある葛西教会の創立50周年ミサでした。

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 葛西教会は、聖アウグスチノ会に司牧が委託されている教会です。現在の主任司祭は、フィリピン出身のアウグスチノ会員ジェス神父。日本の責任者である柴田神父様をはじめ、大勢の司祭が参加してくださいました。またこの教会出身の二人を含め、司牧を手伝ってくださる女子修道会の方がたを含めた奉献生活者も、大勢参加。これからも司祭や修道者の召命が、豊かに与えられるように祈ります。(写真の右がジェス神父、左が柴田神父)

 葛西教会の皆さん、50周年おめでとうございます。そしてこれから、次の100周年を目指して、さらに豊かな教会共同体となりますように。また準備してくださった皆さん、素晴らしいお祝いでした。感謝。

 以下、当日のお話の内容と少し離れますが、説教の原稿です。

葛西教会が誕生して50年が過ぎました。

1969年の松江教会献堂にはじまり、その後1985年に葛西教会の献堂を経て現在に至るまで、宣教と司牧に献身的に取り組んでこられた聖アウグスチノ修道会のみなさまに、心から感謝するとともに、お喜びを申し上げます。また、この50年の間、宣Kasai5002教師たちとともに教会共同体を育て上げてきた葛西教会の信徒の方々に、心から感謝申し上げます。

 今日お集まりの皆さんの中には、50年前、どのような思いを胸に抱きながら、新しい教会の誕生に立ち会ったのか、まだはっきりと記憶しておられる方も多くおられると思います。また34年前の葛西教会の献堂をはっきりと記憶しておられる方も、大勢おられることと思います。あっという間の50年、また34年であっただろうと思いますし、同時にその間には、語り尽くせぬほどの多くの出来事があったことだと思います。

 「あなた方は神と富とに仕えることはできない」と先ほど朗読された福音の終わりに記されていました。自らが仕える主人として、神を選択するのか富を選択するのかをイエスは迫っています。

 教皇フランシスコは、「福音の喜び」の中で、現代社会が直面する課題の一つとして経済の格差を上げ、「排他性と格差のある経済」は「「人を殺します」とまで指摘されます(53)。

 その上で、経済の優位性を最優先する現代社会には、「倫理の拒否と神の否定が潜んでいる」と指摘されています。

 わたしたちがイエスの福音に習って生き、その喜びを告げ知らせようとしているこの日本の社会は、いったい何を優先させているのでしょうか。教皇が指摘されているように、もしこの社会にも「倫理の拒否と神の否定が潜んでいる」のであれば、教会共同体は、神に至る道を選択するようにと告げしらせる努力をしなければなりません。教会に与えられた福音宣教の使命です。

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 わたしたちは、教会というのは単に聖堂という建物のことだけを指しているのではないことを良く知っています。第二バチカン公会議は教会憲章は冒頭で、教会とは何かを教えてこう記しています。

 教会は「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)。
ですからわたしたちは、この地域社会にあって「神との親密な交わりと全人類の一致のしるし」となるために存在する「神の民」であって、この「神の民」は、「神との親密な交わりと全人類の一致」をもたらす道具でなくてはなりません。

 教会はその存在を通じて、「神との親密な交わりと全人類の一致」に生きるとはどういう生き方を選択するのかを示していかなくてはなりません。わたしたちはそれを、自らの言葉と行いで成し遂げます。社会に対して共同体として、神との親密な交わりに生きるとは、人間が生きる上でいったいどのような価値観を優先するべきなのかを明確に示さなければなりません。教会共同体は、わたしたちは「神と富とに仕えることはできない」ということを、明確に証しする存在でなければなりません。

 神を選ぶことなく、神から離れた社会は、人間の存在の根本である生命に対する戦いを挑んでいます。
それは例えば、相模原市の津久井やまゆり園での障害者に対する殺傷事件です。

 犯行に及んだ元職員の青年の「重度の障がい者は生きていても仕方がない。安楽死させるべきだ」などという主張に賛同する人も少なくありません。すなわち、わたしたちの社会には「役に立たない命は生かしておく必要はない」と判断する価値観が存在していることを、この事件は証明して見せました。

 さらには、この数年、少子化が叫ばれているにもかかわらず、せっかく与えられた命を生きている幼子が、愛情の源であるべき親や保護者の手で虐待され、命を暴力的に奪われてしまう事件も相次いでいます。

 もっと言えば、1998年をはじまりとして、わたしたちの社会では毎年2万人から3万人を超える方々が、何らかの理由で自ら命を絶つところまで追い詰められてきました。

 また社会全体の高齢化が進む中で、高齢者の方々が、孤独のうちに人生を終えるという事例もしばしば耳にいたします。誰にも助けてもらえない。誰からも関心を持ってもらえない。孤立のうちに、いのちの危機へと追い詰められていく人たちも少なくありません。

 孤独のうちに希望を失っているのは高齢者ばかりではなく、例えば非正規雇用などの厳しさの中で、不安定な生活を送る若者にも増えています。加えて、海外から来日し、不安定な雇用環境の中で、困難に直面している人たちにも、出会うことが増えてきました。

 わたしたちが生きている現実の世界は、残念ながら、神から離れる道を選択し続けています。

 教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」において、教会は「出向いていく教会」でなければならないと言います。出向いていく教会は、「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」教会です。

 日本の教会はいま、とりわけ地方の教会において、少子高齢化の影響を大きく受けて、どちらかと言えば規模の縮小期に入っています。そういうときに私たちはどうしても、いまあるものを守ることを優先して、後ろ向きの積極性を発揮してしまいがちです。積極性は前向きに発揮しましょう。

 教皇フランシスコは、かつてブエノスアイレスの教会で司祭や信徒に対して語った言葉を、使徒的勧告の中で繰り返しておられます。

 「私は出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会の方が好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さ故に病んだ教会より好きです。中心であろうと心配ばかりしている教会、強迫観念や手順に縛られ、閉じたまま死んでしまう教会は望みません」

 教会創立50年という節目に、わたしたちの教会共同体のあり方を今一度見つめ直してみましょう。わたしたち一人ひとりの、福音を生きようとする姿勢を見直してみましょう。
わたしたちは神との親密な交わりと一致のしるしであり、道具となっているでしょうか。
わたしたちは社会において、神の道を指し示しているでしょうか。
わたしたちは後ろ向きではなくて、前向きの挑戦を続ける積極性を持っているであるでしょうか。
わたしたちは失敗を恐れずに、挑戦し続ける教会でしょうか。
わたしたちは困難に直面し、いのちの危機にさらされている多くの方々に、寄り添いともに歩もうとする共同体でしょうか。

 勇気を持って福音を告げしらせる共同体と成長していくことができるように、次の50年を見据えながら、聖霊の導きに教会共同体をゆだねましょう。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)(「司教の日記」より)

2019年9月30日

・ある主任司祭の回想・迷想①「独裁者」と呼ばれた日々を振り返る

 私にとって「独裁者」というと、イメージはヒトラーですが、多くの方もきっとそう思われるでしょう。この「独裁者」という言葉は本当に悪いイメージですよね。ただ世の中にはちょっと面白い独裁者もいたらしい。

 こんな話を聞いたことがあります。かつてカダフィ(当時何故か元首なのに「大佐」と呼ばれた)という人がリビアにおいてクーデターを起こし、議会を解散させみずからが政権を握り、国民を等しく無税にし、学費、医療費は免除しました。石油輸出の儲けだけで充分なので、そんな政策が試行できたのでしょう。

 またもや消費税が上がる日本から見れば、「無税って何だよ」となりますが、日本は民主主義、資本主義なのに、リビヤはカダフィー独裁で軍事政権なのに無税でした。

 言うまでもなく独裁は危険なものだし、そもそもイスラム教の国ですから、本人たちが知ってか知らずか、欧米に敵対する過激なグループに無関係ではいられず、そこへ資金援助という流れに与してしまう現実があります。

 結果的にそういう理由でカダフィはアメリカから睨まれることになりました。英雄からテロリストへ、と評価が下がり、やっぱり独裁者は独裁者だ、となってしまうのですが、ヒトラーとはかなり異なるタイプだと思います(そもそも時代も地域も比較できないくらい違いますが)。

 実は不詳、この私、ある教会で、なんと「独裁者」というレッテルを貼られたことがあります。

 前任の神父様の方が決断力に富み、その時は、今日の教会では珍しいトップダウンを良しとしておられたはずなので、逆に決断にも判断にも鈍い気弱な私が「独裁者」と言われたのは何故だったのか。何度も振り返ってみましたが、決して好き勝手に横暴に振舞っていたとも思えず、反対に、かなりの叱咤と忠告に晒されていたので「神父さんにそこまで言わなくても」と、周囲から助け船を出されるほどの情けなさ(?)しか反省材料が見当たらないのです。

 そこでカダフィ前後のリビアのことが浮かんできたのです。カダフィは国民のためには色々な事をしましたが、中でも、石油利権を欲しいままにしていた議会を解散させたことが挙げられます。

 議会、つまりほんの一握りの人たちです。大衆から見た姿と、もともとエスタブリッシュメントだった階級から見た姿が違うのが、面白い。カダフィに「悪しき独裁者」のレッテルを貼ったのは、大衆ではなく、議会とアメリカだった、と考えられるわけです。

 全く異なる次元の話ではありますが、もしかして一小教区の主任司祭であった私にも、「独裁者のレッテル」を貼ったほうがいい、と思った人たちがいたとか? 少なくとも、私はその教会で多くの人から慕っていただき、司祭妙理に尽きる経験をさせていただいた、と感謝しているのですが、発言力があるのは目立たない信徒の方ではなく、いわゆる運営に携わる少数の人たちです。

 私には身を粉にして奉仕する委員さんたちの立場を軽んじたこともなく、尊いものだと実感していて、それは今も変わりありません。ただし、それは「特権」という立場では決してない。委員だ、という自負が心のどこかで首をもたげ、他の人と比べて優遇されるべきだ、と主張するのは、どこかおかしい-私が率直にそう思ったのは確かです。

 とは言え、感謝の念は、事ある毎にこの上なく申し上げていましたし(当然ですよね)、他の教会ではごく当たり前になっている価値観で、接していました。いずれにしても、すれ違う想いから委員会からはボロボロと人が抜けて行きましたから、今となっては苦い思い出でもあります。

 もちろん最後まで支えてくださった方もいました。委員さんたちも一枚岩ではなかったわけで、小教区もまた「自分たちとその他大勢」という発想で運営されるべきではないと考えていた人たちがいたわけです。

 「あの人たちの教会」から「この人たちの教会」に変わるだけなら、それは健全な変化とはいえない。単なる「二項対立」を繰り返すだけとなります。こうした点は、あらゆる教会であらゆる司祭たちが頭を悩ましている事柄ですが、できるだけ様々な機会にセミナーや全体集会などを企画したり、「そもそも教会共同体とはどのようなものか」という学びの場や、声なき声から聞こえてくる種々の教会理解に根気よく耳を傾ける努力を続けていかねばなりませんね。

(日読みの下僕「教会の共通善について」より)

2019年9月30日

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㉟ 今、グレン・キャンベルを聴く

 伝説的なギター演奏で知られ、グラミー賞6回、グラミー殿堂賞3回など数々の栄誉に輝いたアメリカのミュージシャン、グレン・キャンベルが2011年から2012年にかけて敢行した「最後の全米ツアー」に焦点を当てた映画が、9月21日から全国で上映されている。

 公開初日に新宿の劇場へ駆けつけ、スーパースターの姿に圧倒された。スクリーンに大写しになったタイトルは、『アルツハイマーと僕~グレン・キャンベル音楽の奇跡』。そうなのだ――映画は、2011年にアルツハイマー型認知症と診断されたキャンベルに焦点を当てたドキュメンタリー作品だ。

 キャンベルは担当医師から、<ギター演奏は断念せざるを得ない>という忠告を受けるが、世間に病名を公表して全米ツアーに打って出る。そしてカメラは、キャンベルの記憶障害や舞台上のトラブルも容赦なく記録していく。彼は愛娘やスタッフの顔や名前を忘れ、時にコンサートでも歌詞を思い出せなくなっていく。

 だが、家族、長年の友人たちは、ステージをあきらめようとしない。キャンベルその人も、ギターを決して手放そうとはしない。舞台の上で、自分が自分として生き、もう一度輝くために――。映画の原題Glen Campbell: I’ll Be Meに込められた「僕は僕である」という言葉の響きが心に迫る。

 グレン・キャンベルだけではない。日本の誇る大歌手・美空ひばりや藤圭子、さらには三遊亭金馬、加瀬邦彦、それに往年のエルビス・プレスリーやマイケル・ジャクソンらも、さまざまな病気や体の不調に負けることなく、ステージに立ち続けた。

 そんな懐かしい芸能人たちの忘れられた話を2017年6月、「ひばり、圭子、プレスリー」と題して本コラムの連載8回目に書かせていただいた。「病を押してなおステージを目指す人々と、それを支える医師の姿を小説にしてみたい」という思いから、月刊「小説現代」に短編小説を発表したタイミングだった。

 あれから2年と少しが過ぎた。生と死、病の舞台で輝く小さな人間模様をシリーズの形で書き続ける試みに、一応の区切りをつけることができた。末期癌や白血病、糖尿病やアルコール依存症……。さまざまな人々が、自らの病に負けず、人生の夢や希望を成就させるために「ステージ」を目指す人たちの挑戦と、それを支える医療のあり方をつづった連作短篇集を、『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間(とき)』と題して9月19日に講談社から上梓した。スクリーンの中でキャンベルが見せてくれたパワーにも負けない登場人物たちの繰り広げる小さな物語を、ひとりでも多くの方に読んでいただきたい。

 (みなみきょうこ・医師、作家: 病気に負けずに「舞台」を目指す人たちと女性医師の挑戦を描いた物語『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』が9月19日、講談社から刊行されました。終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎文庫=、クレーム集中病院を舞台に医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中です)

2019年9月30日

・Sr.岡のマリアの風 ㊷土曜日のランダムな独り言…

  何か書かなければいけないのだけど、頭が働かない。真っ白、というわけではない。なんだろう…混沌…というか。

   混沌は、秩序のまえの状態なのだろう。混沌に秩序をもたらすのは、神の「霊」だ。混沌と秩序…天地創造の出来事は、今日まで、ずっと繰り返されている、と言えるかもしれない。

  言葉の混乱-バベルの塔-から、多様な言葉が一つの「ことば」を語る-聖霊降臨-へ。

  ばらばらに逃げ去った弟子たちの真ん中に、復活のイエスが来たとき、赦しから和解、そして派遣へと、弟子たちの心はもう一度、一つの方向へと向けられていく。弟子たち-わたしたち-の心の真ん中に、キリストのための場所を差し出すとき、キリストの夢は、わたしたちの夢となり、わたしたちは、その一つの夢の実現のための共働者となる。

   パパ・フランシスコは、「神のために場所を空けてください」と呼びかける。それは、何も特別なときではなく、毎日の普通の生活の中で、わたしの空間、時を、神のために差し出すこと。わたしたちの中で、神が働くことが出来るようにすること。わたしの、今日の中で、主語が「わたしが(好きなように)」ではなく、「神が望むように」となること。

 自分が好きなことをし尽くしたとき、わたしが好きなように生きた人生の後に、何が残るか?

  「わたしがしたいこと」は、「あなたがしたいこと」と必ずしも同じではない。ひじょうにしばしば、異なる。わたしがしたいように生きるとき、望もうと望むまいと、わたしの周りにいる人のしたいことは無視されていく。それでも、みんなが、「わたしがしたいように」生きるならば??

   パパ・フランシスコは、真の平和は、一人ひとりの心の中から生まれる、と言う。迫害され、裏切られ、見捨てられ、殺されたイエスが、復活した後、弟子たちに最初に言った言葉は「あなた方に平和があるように」だった。闇の中で、イエスの心の中に、真の平和があったからこそ、言えた言葉だろう。

   混沌の中の秩序。闇の中の光。それは、神の霊のはたらきだ。

   イエスの心、顔、表情は、いわゆる「真福ハ端」(マタイ5章1~12節)の中に透けて見える、とパパは言う。わたしたちはまさに、そのイエスの顔(表情)が、わたしたちの中に透けて見えるようにしなければならない、と。

 「善い知らせを告げる」(福音宣教)は、だから、宣伝ではなく、わたしの真ん中にイエスを宿して、人々に運ぶことに他ならない。それはまさに、お告げを受け、イエスを宿し、そのイエスの現存に突き動かされ、ユダの山地を急ぎ、エリサベトに会いに行く、小さく貧しいマリアの姿だ。マリアは何も宣伝しない。でも、マリアの中にイエスが透けて見え、エリサベトは喜びに満たされ、彼女の胎の子も喜び踊る。

 マリアは、それを自慢するどころか、賛美し、感謝する。それが「マリアの賛歌(マニフィカト)」だ。

 混沌から秩序へ。神の霊が造り出す秩序こそ、「平和」なのだろう。

 書かなければならない原稿がある。10月末締め切り。平和について書くためには、何よりも先ず、神の霊に自分の空間、時を明け渡しなさい、と言われているような気がする。

 祈りつつ…

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2019年9月21日