修道服についてだけではなく、カトリック教会に大変革をもたらした第二ヴァチカン公会議について話すのはまだ早すぎるーということで、今までの続きに戻ることにしよう。
「尼さん」だの、「童貞さま」だの、「シスター」などと呼ばれながら、朝起きてから夜寝るまで、お祈りやプロパガンダ、お勉強、リクレーションと充実した日々が続いた。そのうち、一人また一人と、修道会への入会志願者が増え、阿佐ヶ谷の家も手狭になってきた。イタリア人のシスターたちは、新しい修道院を建てるための土地探しを始めた。
ある日、パオロ神父様の運転する自動車で土地探しをしている途中、自動車が故障してしまった。自動車の修理が終わるのを待つ間シスターたちは近くを散歩していた。すると、広い空き地が目の前に広がった。立派な家が建っていただろう、と想像できるその土地は、戦火の跡も生々しく荒れ果てていた。
それから話がどのように進展していったのか、私たちは詳細を知ることなく、その土地が新しい修道院の建設予定地になった、と教えられたー東京都港区赤坂乃木坂。現在修道院が建っているところである。
修道院新設が決まると、私たちは一日の働きや祈りの日課が終わり、夕食を済ませると、阿佐ヶ谷の修道院から乃木坂の新修道院建設予定地までジープで通った。焼け跡にごろごろしている瓦礫運びをするためだった。
今思えば、私たちの働きなんか「焼石に水」に過ぎなかったのだが、たとえわずかではあっても私たちの汗と努力と愛、その上に今、私たちが住んでいる修道院が建っている-と思うと、身が引き締まる感がする。
将来の修道院の夢を見ながら、夜遅くまで働いた。でも辛いと思ったことは一度もなかった。一日も終わり、お布団に体を横たえ、静かに目を閉じると、疲れと感謝がどっとこみあげてきた。
「今日もこんなに疲れるまで、元気に頑張ることができました。神さま、今日も力と勇気と喜びをお与えくださり、感謝します」-そんな祈りのうちに大きな希望と理想に胸を膨らませ、豊かに成長した明日の聖パウロ女子修道会を夢見ながら、安らかな眠りについた。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)