・ある主任司祭の回想・迷想①「独裁者」と呼ばれた日々を振り返る

 私にとって「独裁者」というと、イメージはヒトラーですが、多くの方もきっとそう思われるでしょう。この「独裁者」という言葉は本当に悪いイメージですよね。ただ世の中にはちょっと面白い独裁者もいたらしい。

 こんな話を聞いたことがあります。かつてカダフィ(当時何故か元首なのに「大佐」と呼ばれた)という人がリビアにおいてクーデターを起こし、議会を解散させみずからが政権を握り、国民を等しく無税にし、学費、医療費は免除しました。石油輸出の儲けだけで充分なので、そんな政策が試行できたのでしょう。

 またもや消費税が上がる日本から見れば、「無税って何だよ」となりますが、日本は民主主義、資本主義なのに、リビヤはカダフィー独裁で軍事政権なのに無税でした。

 言うまでもなく独裁は危険なものだし、そもそもイスラム教の国ですから、本人たちが知ってか知らずか、欧米に敵対する過激なグループに無関係ではいられず、そこへ資金援助という流れに与してしまう現実があります。

 結果的にそういう理由でカダフィはアメリカから睨まれることになりました。英雄からテロリストへ、と評価が下がり、やっぱり独裁者は独裁者だ、となってしまうのですが、ヒトラーとはかなり異なるタイプだと思います(そもそも時代も地域も比較できないくらい違いますが)。

 実は不詳、この私、ある教会で、なんと「独裁者」というレッテルを貼られたことがあります。

 前任の神父様の方が決断力に富み、その時は、今日の教会では珍しいトップダウンを良しとしておられたはずなので、逆に決断にも判断にも鈍い気弱な私が「独裁者」と言われたのは何故だったのか。何度も振り返ってみましたが、決して好き勝手に横暴に振舞っていたとも思えず、反対に、かなりの叱咤と忠告に晒されていたので「神父さんにそこまで言わなくても」と、周囲から助け船を出されるほどの情けなさ(?)しか反省材料が見当たらないのです。

 そこでカダフィ前後のリビアのことが浮かんできたのです。カダフィは国民のためには色々な事をしましたが、中でも、石油利権を欲しいままにしていた議会を解散させたことが挙げられます。

 議会、つまりほんの一握りの人たちです。大衆から見た姿と、もともとエスタブリッシュメントだった階級から見た姿が違うのが、面白い。カダフィに「悪しき独裁者」のレッテルを貼ったのは、大衆ではなく、議会とアメリカだった、と考えられるわけです。

 全く異なる次元の話ではありますが、もしかして一小教区の主任司祭であった私にも、「独裁者のレッテル」を貼ったほうがいい、と思った人たちがいたとか? 少なくとも、私はその教会で多くの人から慕っていただき、司祭妙理に尽きる経験をさせていただいた、と感謝しているのですが、発言力があるのは目立たない信徒の方ではなく、いわゆる運営に携わる少数の人たちです。

 私には身を粉にして奉仕する委員さんたちの立場を軽んじたこともなく、尊いものだと実感していて、それは今も変わりありません。ただし、それは「特権」という立場では決してない。委員だ、という自負が心のどこかで首をもたげ、他の人と比べて優遇されるべきだ、と主張するのは、どこかおかしい-私が率直にそう思ったのは確かです。

 とは言え、感謝の念は、事ある毎にこの上なく申し上げていましたし(当然ですよね)、他の教会ではごく当たり前になっている価値観で、接していました。いずれにしても、すれ違う想いから委員会からはボロボロと人が抜けて行きましたから、今となっては苦い思い出でもあります。

 もちろん最後まで支えてくださった方もいました。委員さんたちも一枚岩ではなかったわけで、小教区もまた「自分たちとその他大勢」という発想で運営されるべきではないと考えていた人たちがいたわけです。

 「あの人たちの教会」から「この人たちの教会」に変わるだけなら、それは健全な変化とはいえない。単なる「二項対立」を繰り返すだけとなります。こうした点は、あらゆる教会であらゆる司祭たちが頭を悩ましている事柄ですが、できるだけ様々な機会にセミナーや全体集会などを企画したり、「そもそも教会共同体とはどのようなものか」という学びの場や、声なき声から聞こえてくる種々の教会理解に根気よく耳を傾ける努力を続けていかねばなりませんね。

(日読みの下僕「教会の共通善について」より)

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2019年9月30日