・地域社会に溶け込み、他宗教と連携して歩む姿に、日本の教会の進むべき道を見た-天草・崎津教会で450年祭

 天草の河内浦(現在の熊本県天草市河浦町)にキリスト教が伝えられて450年を祝う祭が10月27日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に昨年登録された同町の「崎津集落」にある崎津教会で行われ、天草全域はじめ、域外からも私たち夫婦など東京、大阪、静岡、福岡の信徒13人の竹田・島原・天草巡礼団(トラベリオ企画)が参加した。

 その模様は、翌日の熊本日日新聞や読売新聞など全国紙の九州版にも写真入りで大きく取り上げられ、信徒に限らず、幅広い人々の関心を集めた。

 イエズス会士、聖フランシスコ・ザビエルによって1549年に日本へキリスト教が伝えらえたあと、天草では1566年に同会のルイス・デ・アルメイダ修道士が1566年に宣教を開始。3年後に河内浦にキリスト教をもたらし、キリストの教えだけでなく、西欧の医療、文化などを伝えた。そして当時の天草氏の庇護のもとに信徒を増やし、江戸幕府による禁教令とそれを受けた藩の厳しい取り締まりの中にあっても、地域の仏教、神道と共存、変容しつつ、潜伏キリシタンとして生き続けた、という歴史がある。

 450年祭は、天草の崎津、大江、本渡の3教会(渡辺隆義・主任司祭)の共同主催で行われ、午前9時半から、300人近い信者たちが参加、福岡コレジオの森山信三・院長の司式で記念ミサを捧げた後、聖体行列に移り、聖体を納めた金色に輝く顕示台を掲げた司祭団、マリア像を担ぐ福岡コレジオの生徒たちを中心に、祈りをささげながら、約一時間かけで集落内を巡った。このあと、記念コンサート、天草キリシタン研究家の講演、さらに、この地域にある江月院から副住職、崎津諏訪神社から権禰宜が出席して「神道・仏教・キリスト教の対話」が渡辺神父の司会で行われた。

 記念祭のあいさつで、渡辺主任司祭は「この記念祭を通して、アルメイダ修道士がこの地にもたらしたキリスト教信仰が、今の私たちの信仰と同じものであることを確認し、当時の宣教師が求めていた人々の平安のために、私たちも、少しでも役立つ決意を新たにしたい」と語った。

 また、森山院長はミサの説教で「ザビエルの来日から幕府の禁教令までの5,60年の間にキリスト教文化が日本で花開いた。医師とし

ての専門技能を持つアルメイダは、貿易商として1550年代に来日し、宣教師の影響を受けて、病院建設、医師養成などを通して西欧の当時の先進医療を伝え、崎津では1000人を信徒とした。その後、キリシタンへの迫害が激しくなり、まさにこの崎津教会が断っている場所で、踏み絵が行われた、という。それでも潜伏キリシタンとして、信仰を続けたことを感嘆せざるを得ない。教皇フランシスコは、就任されて以来、一貫して貧しい人、世に見捨てられた人に手を差し伸べるよう訴えてこられ、ご自身もそのように行動されているが、天草で始まったキリスト教信仰は、まさに、教皇が発信されていること。そのことは、私たちにも、そうしたメッセージを社会に向けて発信していくことの意味を示唆している」と述べた。

 「キリシタンの島」と言われる天草諸島は面積約1000平方キロメートル、人口は約12万人だが、カトリック教会は崎津、大江、本渡の三つの教会で、信徒数は約450人。ご多分に漏れず、少子高齢化が進み、幼児洗礼はゼロ、新規受洗者も年に2,3人という。そして、司祭は御年71歳の渡辺神父ただ一人で三つの教会を掛け持っておられる。それでも、450年祭には、これほど多くの信者が集まり、僧侶や神主も司祭の呼びかけに応じて、進んで対話に出席してくれる。聖体行列の「花まき」には、洗礼を受けていない崎津保育園の園児十数人が嬉々としてその役を務めてくれていた。

 世界文化遺産登録で、観光客を当て込んだ飲食店や土産物店が出来、公園や道路も整備されて「以前の素朴な集落の良さがなくなった」と嘆く声も、以前を知る人の一部には聞かれたが、少子高齢問題などを抱えた地域社会に溶け込み、他宗教とも連携して歩む姿に、これからの日本の教会のあり方を見たのは、私だけではなかっただろう。

(「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

 

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2019年10月29日