・Chris Kyogetuの宗教と文学⑩「宮沢賢治の『よだかの星』ー灰の水曜日に」

 「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼(やけて)死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい」(「よだかの星」宮沢賢治より)

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(あらすじ) よだかは醜い鳥として生まれ、みんなから疎まれていた。鷹にはよだかと自分の名前が入っていることで「戒名」を押し付けられ、明後日の朝までに名前を変えていなかったら殺すと脅してきた。よだかはそれによって、殺されることの恐怖を覚え、また自分も餌となる虫を食べていることに嫌気をさした。居場所を探して飛び回るが、それでも彼を受け入れてくれるところは無かった。最後は、よだかは星になって、今でも輝いている。

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 賢治は法華経を信仰し、元は浄土真宗の信者だったが、どれほど彼の宗教観がこの作品に影響があるのかは分からない。仏教では、生まれたことへの苦しみを超越するために修行を重ねることが重要であり、誕生時の状況や環境は過去の業(因果)の結果とされる。よだかの星も、生まれながらの醜さや他の星々からの虐待を通じて、運命に抗いながら居場所を探し求めた。

 仏典によると、ネパールのカトマンズ盆地の東方の山中に「ナーモブッダ」という有名な聖地がある。ここはブッダがブッダとして生まれる「前世」において、お腹を空かせた虎の母親に自分の生命を投げ出して与えたという話がある(純粋贈与)。前世のブッダは自分に身体に対する執着を捨て去ることができたとされる。そこで「食べられるもの」と「食べるもの」の区別さえ消失している。「よだかの星」の構想は、この話の影響は無意識下でもあったのかもしれない。

 また、仏教では苦しみから解放されるためには、執着や欲望からの解放が必要とされる。よだかの星は周りからの差別や虐めに苦しむことで、物質的な欲望や世俗の価値観からの解放を迫られた存在として描かれている。

 よだかは、「はちすずめ」や「翡翠」の兄でありながら、醜かった。その上、心優しく、緩やかに「食事」をするという不浄を受け入れようとすることができなかった。居場所を求めるも、太陽や星々に拒否されてしまうが、最後は星になる。

 鷹から名前を戒名することを命令され、殺意を向けられてしまうが、不条理な殺生を受け入れられなかったよだかは、名前だけは「神様」にもらったものだと言って、星になった。これは、単なる自己犠牲と思われがちだが、鷹の命令に背いてまで彼は神から預かった名前を守ったのだ。それはカトリック信者で言えば「洗礼名」とも言えるのかもしれない。

 神の価値観と人の価値観の摩擦がこの作品には見られる。本来ならよだかも祝福されるべき存在であったが、彼には苦しい摩擦だけが訪れた。よだかは自分の生きていくための殺生を拒むことや、自ら命が尽きるまで飛び続けて星になってしまったことから、自死ともとれ、非暴力による攻撃力の高さとしても評価されているが、それ以前に鷹のような存在がまず「定め」と言って非暴力的に差別することは日常にある。

 

 今年、2024年は2月14日に「灰の水曜日」を迎えるが、その前日に多くの信者が「赦しの秘跡」(告解)を行うだろう。きっと多くの聖職者たちが「赦しの秘跡」の素晴らしさなどを語るのかもしれないが、私は8割の聖職者を信じることができないのかもしれない。現に、この秘跡の機会を”利用”され、強姦された女性信徒が、訴訟を起こし、その裁判が始まっている。

 私はそれを知った際に「そういう神父はいても不思議じゃない」というような経験が、私にもあった。さほど大したことがないことではあるが、だからと言って、これに関しては通報することはしなかった。

 私たち女性は、「神父は女性経験が少ない」「女性に慣れていないから」と等という理由に、デリカシーの無い発言や態度に色々と我慢していることがある。赦しの秘跡は教会によって個室でない所もあるが、色んな話を聞きすぎて、妄想を抱いている神父、というのが存在する。

 「職業病だ」と”同情”する意見もあるが、しかし、それらに理性をおいて一線を保つことも覚悟の上で神父になったはずだ。女性というのは、カトリックに限らず、女であるのなら、そう言うことは免れないので、目を瞑っていることが多い。

 「いちいち軽い『言葉』や多少、触れることを気にしていられない」というものも確かにある。だから、それが一線を超えて自分を傷つけていて、「異常だ」とすぐに気づけないことが多い。どこから「異常」が始まっていて、どこまでなら黙るべきなのか、気のせいなのか… すぐに被害を報告できない、というのは確かにあることだ。

 

 これからの灰の水曜日から自身を省みるとするのなら、信者に「赦しの秘跡」を勧める前に、私たちに「信仰かが遠のいている」と説教をする前に、赦しの秘跡の根本を見直すべきだ、と提案したい。

 例えば、教皇フランシスコが2014年2月19日の一般謁見での説教で、「迷える羊に対して善き牧者である私たちが、主になさるように、両肩に人々の魂の重荷を担う準備が整っているべきなのだ」と語っておられる。もっと、掘り下げたいが、長くなるので割愛する。

 生きる上で、「よだか」のようにこの世との摩擦は必ず訪れる。確かに、聖職者にも「書き味が悪いペン」がいたとしても、そういう存在も回心し、再起できる場所というのも理解はできるが、「秘跡」に不正を混ぜてしまうことは、矛盾でしかない。他の宗教や宗派にも真理があるというように、カトリックの教理が正しいかどうか、というのは問わないとしても、私達はイエスの名前を使って体系づけられたことに同意したことを、忘れがちである。

 自分自身の洗礼名に始まり、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」(マタイによる福音書18章20節)とあるように、イエスの名前を深く意識することを忘れてはならない。

 イエスキリストの存在は、シニファン、シニフィエのように単にシンボルや言葉の意味だけで説明できるものではない。彼の存在は、人々の信仰、経験、そして奇跡的な出来事により深く根付いていく。そのため、あらゆる言葉や概念に閉じ込めることはできない。イエスキリストの存在はシンボルや言葉の枠を超えているのだ。それには、心をどうしておくべきか、それこそ聖書に書かれてあるだろう。

 

 よだかは、自分の名前を守ろうと星になった。神様からもらった名前だからだ。これには魂の尊厳と神への忠誠心すら感じさせる。どんなに見た目が醜くても自分にも「小さな光のカケラ」があると、よだかが太陽に言ったように、誰しもそのような魂の尊厳がある。

 よだかの死について、よだかをバカにした鳥たちや、存在を拒んだ星々達は悲しむことはない。残念ながら、そういう人たちは、悲しまないのだ。そういう人たちから奪われたものは取り返すことができない、と私は思っている。けれども、その悲しみや死は心優しい読者を傷つける。非暴力の攻撃性というものは、愛してくれる人に大きな傷を与える。自死というものはそういうものだ、ということも隠喩としてあるだろう。

 鷹のようにならず、よだかの綺麗な心のように生きること、守り抜いた神様からもらった「名前」のようなものを人は誰しも持っている。それを賢治も訴えているように思う。それには、童話として架空の死を通す必要があったのかもしれない。

 

 遠くの訴訟や、会ったことのない人間が、どこかで苦しんでいる、ということを自分の痛みのように感じる必要はないのかもしれない。それでも、イエスの名前を使う限り、イエスは私たちに何かを求めていることを忘れてはならない。他者というものは「架空」のようにも思えるが、キリスト者は他者を宗教的に感じて、イエスの愛と正義を実践しなければならない。

 イエスが望んでいることは何なのか、自分自身の小さな光のカケラを探さなければならない。四旬節の始まりである灰の水曜日のこの日は、信者たちが過去の過ちに反省し、聖体拝領を受ける。

 灰の十字を受けることで、自分自身の罪や過ちを認識し、赦しを求めるが、学び直し、皆様が去年よりも気づけることを。

(Chris Kyogetu)

2024年2月4日

・カトリック精神を広める ②「あなたはUFOを信じますか?」

 最近、UFO 未確認飛行物体 (Unidentified Flying Object )の話題がかまびすしい。皆さんはUFO を信じますか?

 一昔前のかつての少年なら、誰しもUFOを信じていたのではないだろうか。かく言う私も、若いころはUFOを信じていた。当時、公的機関がUFOのことを公けにすることはなく、好事家の間でひそひそ話のような塩梅で、口伝で広まったぐらいだった。

 だが最近では、2023年の8月、米国防総省(DoD )が、UFOとUAPに関する目撃情報を一般公開するホームページを立ち上け、米空軍などによって撮影されたUFO UAPの動画をアップするようになった、ということで、随分話題になっている。

 UFOと言わず、UAP 未確認空中現象( Unidentified aerial phenomenon )と呼称しているところが面白い。「未確認飛行物体」ではなく、「未確認空中現象」なのだ。一部に正体の知れない未確認のものもあるが、大方は航空機など既知の人工物、流星、蜃気楼などで、遠方のサーチライトや自然物(天体・雲・鳥など)の誤認だ、と報告されている。

 そもそも、「地球外生命体」が地球を訪れることは可能なのだろうか。我々が住む銀河には少なく見積もっても100個以上の居住可能な惑星があるという。しかし、その距離が問題である。地球から一番近い惑星でさえ、光の速さでいっても数十年以上かかる。常識的に考えても、地球を訪れることは不可能であろう。「未確認飛行物体」ではなく、「未確認空中現象」と言っているのは正しい。

 だが本当のところ、宇宙には我々人類と同じような知的生命体は存在しているのだろうか。かつてアメリカのドレイクという人が、私たちの銀河系の中に地球か、それ以上の文明をもった宇宙人が現在どれくらいいるのかを表す一つの式を考えた。

 「ドレイクの宇宙文明の式」と言われるもので、(文明の数)=(銀河系で毎年誕生する星の数)×(惑星系をもつ星の割合)×(そのうち生命に適する惑星の数)×(その中で生命が生まれる惑星の割合)×(文明をもつ宇宙人に進化する割合)×(文明の寿命)この式の中で、生命に適する惑星の数がいくらあっても、生命が生まれる割合は相当低いのではないか、と思う。

 最近読んだ「生物はなぜ誕生したのか: 生命の起源と進化の最新科学」 (ピーター・ウォード , ジョゼフ・カーシュヴィンク著=河出文庫) によれば、地球では、35億年前に生命が誕生してから、種の50%以上が大量絶滅した事件が5度といわず10回も起こっている、という。

 その一つが、6500万年前に起きた、いまもクレーターの跡が残るメキシコのユカタン半島に落ちた直径が15kmもある小惑星の衝突である。この衝突では、当時、地球を我が物顔に闊歩していた恐竜をすべて根絶やしにしてしまっている。全恐竜が絶滅した6500万年前、その時、人類の祖先はどこにいたのだろう。

 ネズミのような哺乳類の一つとして、自分の何十倍もある恐竜の足元で逃げ回っていた、という。人類の祖先は、小さい故に絶滅を免れたのだ。そのような全生命体の半数以上が死に絶えた事象が10度もあった、というから驚くではないか。全地球が凍結し、地球が雪の玉、全球凍結(スノーボールアース)になったことは一度や二度ではない。その度に、人類の祖先は存続し続けた。単なる偶然というべきか?

 生命が居住可能な惑星はいくつもあって、地球はその一つに過ぎない、と多くの宇宙生物学者が言う。しかし、この本の著者のピーター・ウォードは、「現在の地球にいる動物や高等植物のような複雑な生物が進化するには、様々な条件が必要になるという点は決して軽視できない。地球のような生命は多分唯一無二ではないにせよ、非常に稀である」と言っている。

 これが「レアアース仮説」で、「仮に宇宙に微生物が溢れているとしても、地球の動物のような生物を生むほどの進化が起きる条件を備え、環境の安定した時代が長く続くような惑星は間違いなく稀である」とウォードは言う。

 そしてこう続ける-ダーウィン以来、生物は長い年月をかけて徐々に、一直線的に進化してきたと思われてきた。しかし、そうではなく、生命は、メキシコ、ユカタン半島に落ちて恐竜を絶滅に追いやった小惑星のような、「たびたび恐ろしい事象に直面し、それをくぐりぬけ、最終的に今日見られる生物相に辿り着いた。試練は時に進化を大幅に加速させ、時に生物を絶滅の淵へ叩き込んだ。私たちはすべて、その嵐をかいくぐってきた生き残りである」と。

 

*宗教上からUFOを考えてみる

 カトリックでは、宇宙を創造された三位一体の神、イエス・キリストが人間になって、アダムとイブが犯した罪を償い、十字架につけられて死に、葬られ、3日目に復活されたと信じられている。宇宙に人類と同じ生命体がいたらどうなるだろうか。同じく、その星でも、その生命体での救い主となって十字架に付けられて死ぬのだろうか。

 そんなことはあり得ない。イエス・キリストが被った苦しみは並大抵での苦しみではない。新約聖書には、十字架に付けられて死ぬ前の日の木曜日の夜、園で、これから自分の身に起こる十字架上での苦しみを思って、血の汗を流されたという。

 私は断言する。180億年前のビッグバンから始まったこの宇宙は、魂を持つこの地球上の人類のためだけに造られたのだ、と
。天空にあまたの星々が輝くこの宇宙は、神様が人類のために用意されたものだ、と考えるとわくわくするではないか。毎夜、天体望遠鏡で星を見る筆者の習慣は止みそうにない。

(横浜教区信徒 森川海守)=ホームページ:https://www.morikawa12.com

2024年1月31日

・”シノドスの道”に思う ⑧シノドスをドイツの視点から考える (その2)

 昨年10月の「シノドスの道に思う⑤ドイツの視点から(その1)」の続きです。

 「カトリックあい」の「シノドスの道」の欄でもドイツ・シノドス批判の記事が少なくとも二つ紹介されました。一つは、「シノドスの進め方がエリート主義的であり、全信徒を含んでいない」というもの。もう一つは、「シノドス委員会や2026年春までに設立しようとしている『シノドス評議会』はこれまでのカトリックの教会観を壊すものであり、カトリック教会の秘跡的構造と一致しないので承認しがたい」というものです。

 シノダリティ(共働性)を、どのように教会にもたらすのか(回復するのか)という点から見て、重要だと思われる経過を簡単に見ていきたいと思いますが、その前に、ドイツの司教協議会と共に”シノドスの道”を歩んでいる一般信徒の組織、「ドイツカトリック者中央委員会」(ZdK)について少し紹介したいと思います。

 

*ドイツ・カトリック者中央委員会(ZdK)について

 ZdKの活動は、①ドイツ社会と教会において、公的にカトリック者の関心事を代表する②教会とカトリック者の使徒的行動に示唆を与え、さまざまな働きをコーディネートする③教区レベルを超えて教会の行政的事柄の決定に参画し、また司教協議会に助言する④「ドイツ・カトリックの日」などのカトリック者のイベントなどを共に主張する⑤カトリック者の関心と働きを海外でも、また国際レベルでも行ない、発信する-などです。

 メンバーはおよそ230人、そのうち97人はドイツ・カトリック組合の作業チームから選ばれ、84人は各教区の信徒連合から約3名ずつ選ばれ、45人は個人として選ばれた人たちです。

 

*「シノドスの道」と司教協議会の関係

 ドイツ司教協議会とZdKは、2019年に承認・採択した「シノドスの道の規約」に基づいて4つのテーマで審議と決議をしてきました。この規約によると、シノドス集会で議案が審議されたあと、第11条で「ドイツ司教協議会の参加メンバーの3分の2以上を含む参加メンバーの3分の2以上の賛成で決議となる(議案の通過)」とあり、さらに「シノドス集会で可決した決議案は、それ自体としては法的効果を持っていない。法的効力を持つためには、司教協議会と個別教区司教の権威が法的規範を公布し、それぞれの権限の範囲内で教導権を行使することが必要である。」と定められています。

 「シノドス集会」が「シノドスの道」の最高議決機関ではありますが、実際には司教協議会と個別の司教の権威、権限の下にあるのです。

 

*「シノドスの道」は第2段階へ:シノドス委員会の設立

 批判され、問題とされているのは、主に、以下のことです。

 2022年9月にシノドス集会で採択された実行文書「シノダリティ(共働性)の持続可能な強化:ドイツのカトリック教会のためのシノドス評議会」によると、これまでの「シノドスの道」の歩みをさらにシノダル(共働的)なものにするための審議と決議の場となる「シノドス評議会を2026年3月までに立ち上げること、そしてその準備をする「シノドス委員会」を新たに作ること、となっています。委員会は27人の教区司教、同数のZdKのメンバー、そしてシノドス集会から選ばれた20名で構成されます。

 委員会の目的は、まず、シノドス評議会を2026年3月までに準備することですが、同時にこれまでのシノドス集会で決議されたことを実践していくこと、また諸団体との関係を深めながらシノダリティの概念の理解を深めることにあります。

 

*「シノドス評議会」とは 

 「シノドス評議会」とは、先の実行文書によると「助言し決議する団体として、教会と社会の大きな発展のために助言し、司牧計画や将来の展望、一司教区だけで決めることのできない経済的、財政的事柄の決断をすることにある。評議会の委員構成はシノドス集会のメンバーの比率に合わせ、決議した事案はシノドス集会と同じ法的効力を持つ」とあり、バチカンなどから出されている批判は、「この評議会が、司教協議会の権限を上回る機関になるのではないか」、それゆえ、「司教たちと一般信徒の<共同統治>を含むシノドス評議会モデルはカトリックの教会観と一致しない、カトリック教会の秘跡的構造と一致しない」というものです。

 

*シノドス委員会で決議はされたが・・・

 2023年3月のシノドス集会で、シノドス委員会を設立することが決まり、11月に第一回の設立集会がエッセンで開かれ、シノドス委員会の規約と議事進行規定が決議され、その後のZdK総会で圧倒的多数の賛成で、規約が採択されました。ただ、最終的に効力を持つには司教協議会総会の決議が必要なため、2月にアウクスブルクで開かれる総会がどのような展開となるか注目されています。

 

*“一致”の乱れ、委員会の合法性、運営資金などの問題

 総会で問題とされそうなのは、シノドス委員会の規約で、投票・議決に関する条項に「この規約で何か他のことがない限り投票数の単純多数で議決される。シノドス委員会の最終投票(決選投票)では投票数の3分の2の多数で議決される」とある点です。

 これまでのシノドス集会の「ドイツ司教協議会の参加メンバーの3分の2以上を含む参加メンバーの3分の2以上の賛成で議決される」と比べると、司教優位から、司教も一般信徒も同等の投票に変わっており、4名の(保守的な)司教が委員会から外れてしまったため、司教たちとZdKとのパワーバランスが信徒優位になったと理解されています。

 保守派とされる4名の司教は、これまでのシノドス集会で、シノドス評議会やシノドス委員会の規約について反対票を投じただけでなく、自らシノドス委員会から手を引きました。司教団の“一致”が壊れた、とも言えるシノドス委員会や評議会に「合法性」はあるのか、という疑問も持たれているのです。

 司教4名の退出で、委員会の運営資金の調達にも支障が生じています。ドイツの全司教の承認がなければ、ドイツ司教区連盟(VDD)から運営資金が出せないことになっているからです。

 

*秘跡的構造とシノダリティのせめぎ合い・・・

 教会が「秘跡的な構造」であるというのは、『教会憲章』で、教会は救いの「目に見える秘跡」となるように神は望まれたが、その中で聖職者と一般信徒との間に区別を定め、司教たちの教導の下に司祭や一般信徒がいる、「共同統治」は「カトリック的でない」という見方でしょう。

 しかし2022年8月にドイツ司教協議会が出した、世界シノドスのための報告書の「権威と参加」の項に、「私たちは私たちについてだけ決議されることを望んでいない、私たちと共に決議されることを望んでいる」とあり、翌9月のシノドス文書にも、「人間の諸権利なしの人間の尊厳は、ただの要請にすぎない」とあります。一般信徒に一票を与えることなしに尊厳はあるのか、ということです。同年2月のシノドス文書には「教会のシノダリティ(共働性)は、司教たちの団体性以上のものだ」とあります。改めて、シノダリティの定義が問われていると言えるでしょう。

*ドイツ司教協議会www.dbk.de ドイツカトリック者中央委員会www.zdk.de
シノドスの道www.synodalerweg.de など参照      

(西方の一司祭)

 

2024年1月31日

・故森司教の言葉再掲③日本人の心に響かない教会の言葉—日本の教会に求められる創造力

 日本で働く宣教師たちが,異口同音に口にする言葉は、日本社会における宣教の難しさである。

 過去を振り返るとき、日本社会全体が、カトリック教会に好意を寄せ、カトリック教会に積極的に近づこうとした時期がある。それは,第二次世界大戦(1945年)が終わり、天皇を中心とした軍国主義の呪縛から解放され,人々が,新しい光,新しい希望を求め始めた頃である。

 その願いに応えるような形で、1950年代の初めには,欧米諸国から多くの修道会・宣教会が大挙して来日し、日本のカトリック教会がかってなかったほど活気づいたことは事実である。

 各地に創設されたカトリック学校教育施設や福祉施設などの存在は、人々のカトリック教会への信頼をかち得るために大きな力となり、人格的に魅力ある司祭や修道女たちの働きで、多くの人々が洗礼に導かれ、1950年代の後半には年間の成人の洗礼者数は一万人を超えるようになったこともある。

 ところが、60年代に入ると、年間の成人の洗礼者数は減少し始め、70年代にはさらに激減し、4000人台にまでになってしまうのである。それは、社会が高度経済成長に向かって猛烈に走り始めた時期であった。

 当時の教会の中では、洗礼者数の減少の原因を社会の流れに転嫁して、人々が物質的な豊かさを積極的に求めるようになったことに問題がある、と分析・指摘する聖職者たちが大半であったが、しかし、それでは、減少の原因のすべてを説明仕切れないという思いが、当時の私にはあった。

 というのは、その頃,日本社会に新たな宗教へのニードが高まってきていたからである。実に、1970年代には、立正佼成会や創価学会などの仏教系の新しい宗教が勢力を拡大したり、1980年代になってからも次から次へと新しい宗教が誕生したりして、若い人々を引き寄せるようになっていたからである。

 それは、人々が経済的な豊かさに満足できず、人間を根本から支える真の光に飢え渇いていたことを証すものであり、宗教に対するニードは衰えるどころか、強まっていたことを証すものである。

 社会に宗教的なニードが高まっているにもかかわらず、カトリック教会に近づき、洗礼を受けようとする者が数の上で激減してしまったと言うことは、カトリック教会の側に、何らかの原因があったというべきなのである。

 さまざまな理由が考えられる中で,私にとって最も根本的な理由と思われるものは、伝統的な教義を伝えようとする司祭や宣教師たちが使う言葉が、日本人の心に響かなかったという点である。実に教えの中で使われる用語や教会で使われる言葉が,人々の実生活や日本人の思考方法からあまりにはかけ離れていて、それを受け入れ理解していくことは、日本人にとっては容易なことではないと言うことである。

 それを、別の言葉に言い換えれば,1945年以降,新たな宣教活動を開始した日本の教会が、人材面でも財政面でも欧米からの修道会・宣教会に依存しすぎて、独自性を育てられなかったこと、つまり自分たちなりのキリスト教理解を深め、自分たちなりの言葉を紡ぎ出すことが出来ずにきてしまったことである。

 今、日本の教会に求められることの一つは、日本の人々の心に届く「言葉」を生み出して行こうとする創造力である。

(2016.12.1)

2024年1月31日

・神さまからの贈り物 ⑦「心臓がドキドキしてる!」

 カトリックの世界に馴染みのなかった私は「修道女は、物静かでおっとりしている」というステレオタイプな見方を持っていた。でも私が出会ったシスターYさんは、明るくパワフルで、お茶目な一面を見せてくれることもあった。

 彼女とは、今から約20年前に、カレン族の村で共に過ごした。心身ともに頑丈で、腕相撲勝負では男子大学生にも負けなかった彼女とは、長年、航空郵便で繋がっていた。

 海を越えて届く手紙には、色とりどりの切手が貼ってあり、手書きの文字で住所が書かれていた。彼女は、波乱万丈な毎日を送る私のことを『一番ちっちゃな妹』として、祈り続けてくれていた。

 今から数年前、私の心臓がいつもバクバクしていた時期があった。小さな物音にも敏感に怯え、悪夢を見て睡眠がとれなくなった。食も細くなり、外出すると涙が出る始末だった。

 「何かがおかしい」と思い、病院で診察してもらったところ、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が出ていますね」と医師から言われた。自分には関係ない、と思っていた診断に、私はとても混乱した。事情を知ったシスターYが「日本に帰ったら飛んでいくわ!」と約束してくれた。

 シスターYが帰省のため日本に来られた翌日、彼女は本当に、私のところに、飛んできてくれた。見慣れた彼女の青色をしたベールがひらりと見えただけで、私は思わず、ほろりとしてしまった。シスターは大きく腕を広げ、満面の笑みでまっすぐ歩み寄り、ぎゅっと私を抱きしめた。

 彼女はこう言った。「ああ、よかった!麻衣ちゃんの心臓がドキドキしてる!生きてる!!」。気が付くと、私はシスターYにしがみついて、赤ちゃんみたいに泣いていた。

 ひとしきり泣いた後、私の中に今までとは違う考えが浮かんだ-私の心臓は、恐怖でバクバクしているのではなく、「生きたい!」と私に訴えるためにドキドキしていたのだ、と。それは、私が生きていることを心の底から喜んでくれる人が目の前にいたからこそ、気付けたことだった。

今年は2024年、幼い二十歳だった私も、あと少しで四十路に手が届く。中年の入り口にふさわしく、体はふくよかになり、一丁前に白髪も生えてきた。いまの私は、「心臓がバクバクしている」と思っていた頃の過去の私に、こんな言葉をかけてあげたい。

 「今の私は、将来の夢を描いてワクワクしているよ。だから、安心して未来に歩いておいで」と。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2024年1月31日

・Sr.阿部のバンコク通信  (85)聖霊の閃きに導かれながら、頑張ろう!

タイの人々は一般に新しい物事に素早く目を付け、関心と興味を持っていて、その進取の気性の強さ、敏感さには常日頃驚いています

新製品がいち早く市場に並び、広告宣伝の品が市民の手中に入る早さ、すごい勢いです。食べ物、ファッション、携帯用品、化粧品、薬品、あらゆる生活娯楽用品。流行り廃れも激しく、姿を消す勢いもびっくりするほどです。携帯電話の普及状況と順応は見事で、対応と使い勝手の良さは日本に負けないほどです。

自由自在に自己表現した衣食住の数々、キラキラした好奇の目…生き生きした雰囲気が漲った若々しさ、タイで生活していていいなぁと思います。巷の此処彼処の活気溢れる市場は最たる場で、行く度に元気をもらいます。

タイ人の気性は、規制束縛されるのを嫌い、自由安泰に都合よく生きることを好みます。勤め先で上司や人間関係で居心地が悪いと、サッと辞める。何度も転職した事を誇らかに話す日本の会社のタイ人秘書。お手伝いさんも予告なしに給料もらってサッと姿を消すので、日本の奥さん達は困惑立腹。忍耐や忠実、根気強さを旨とする私にも意外に感じていました。

他人の目を気にして、ストレスを溜めて生きている日本人が、タイに来るとホッとする、と言いうのが頷けます。『帰ったら監視カメラに囲まれた生活ですよ』と。タイ人は確かに誰の目も気にせず、好みに合わせて服装を楽しみ、それぞれが信じ考えるところに従って自分の人生を生きています。束縛するほどの干渉と接触を避け、思慮ある間隔を保つことで住みやすくなる、と思います。

私自身をイエスの福音=岩の上に据え、何事にも動ぜずに生きる賢い人なりたいと心底思います。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても倒れなかった土台岩=イエスを述べ伝えて今年も邁進、捧げてまいります。

愛読者の皆さん、お互いに聖霊の閃きを捉え導かれながら、頑張りましょう。良いお年を❣️

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2024年1月6日

・カトリック精神を広める ①聖人の「奇跡」とは…

 カトリックでいうところの聖人とは何でしょうか。聖人とは、一言で言えば、「亡くなった後、煉獄を経ずに天国に直行して神の御前に立てる方である」と今、地上で生きている人が証明できる人だろう。

 カトリックでは、死後の世界を天国と地獄の他に煉獄があると信仰されている。地獄に行った人は永遠に地獄にあるが、煉獄は、死後すぐに天国に行けない人たちが、生前の罪の贖い(あがない)をするための場所で、幽霊はこの時のものである。手にイエス・キリストと同じ十字架の傷を受けた聖人のピオ神父のもとには、度々、煉獄の霊魂達が訪れ、天国に行けるよう祈って欲しいと訴えたという話が、まことしやかに伝えられている。これこそがまさに幽霊。

 ピオ神父は度々、暗闇の中、「そこにいるのは誰だ!」と叫んでいたというが、考えてみたら、こわーい話ではある。

 神父のことが書かれている「煉獄の霊魂は叫ぶ!『ピオ神父、万才!』」(アレッシオ・パレンテ著、甲斐 睦興 訳、近代文芸社)の逸話を紹介しよう。

 時は第二次世界大戦が激しいころ。イタリアのカプチン会の修道院での出来事。或る晩夕食後、修道院の門が閉ざされて長時間経ったとき、階下の入り口の廊下から、「ピオ神父万歳!(ビバ、パードレ、ピオ)」と数人が叫ぶ声が、修道士たちに聞こえた。煉獄の霊魂が、ピオ神父の祈りのお陰で、天国に行くことに決まり、ピオ神父に感謝の意を示すために修道院に来て、叫んだものだった。

 そんなこと、知るよしもない修道院長が、部下のジェラルド修道士を呼び出し、「今しがた玄関に入ってきた人たちに、『もう遅いから修道院の外に出なさい』と言うように命じた。修道士は、言われるまま階下に行って、門を見ると、正面の扉は2本の鉄の棒でしっかり閉じられていた。彼はこのことを院長に報告した。翌朝、院長は、ピオ神父に、この出来事の説明を求めた。ピオ神父は説明した。「ピオ神父万歳」と叫んだのは、自分の祈りを感謝しに来た、戦死した兵士たちです、と。
 

 もう一つ紹介したい。これはサレジオ会の創設者、聖ドン・ボスコが若いころ、神学校で仲の良い友人から「なあ、ボスコ、本当に天国ってあるのかい? 約束しようじゃないか。どちらか先に死んだ方が天国に行ったら、生きている方に報告しに来る、というのはどうだろう」と提案を受けた。暫くして、友人は病に伏し、病床でボスコに言った。「前に約束したことを必ず実行する」と。

 友人が亡くなった翌晩、20人の神学生たちのベッドが並ぶ寝室に寝ていたボスコは、夜中、多数の馬に引かれた馬車が寝室にやってきた、というくらいの凄まじい音を聞いた。他の神学生たちも同じ音を聞いた。その凄まじい音とともに、亡くなった友人がボスコのベットの脇に立ち、「ボスコ、私は救われた」と大声で叫んで去っていった。

 ボスコは、あまりの恐しさに病気になってしまった程で、以来、このような約束を交わすことを金輪際止めたという。20人の神学生が同じ音を聞いているから、この話も信憑性が高い。「完訳ドン・ボスコ」(テレジオ・ボスコ著、サレジオ会訳 ドン・ボスコ社刊)に書かれているが、よく書かれているので一読をお勧めしたい)

 亡くなった聖人が、いま天国にいるということを、生きている人がどうやって証明するか。カトリックでは、委員会を作って生前の友人や知り合いに聞き取り調査をする、手紙や著書を読み解くなどして、徹底的に調べる。少しでも疑いがあれば、疑いが晴れるまでは、調査を止める。もし神がその人を聖人の位にあげたければ、神ご自身が人間社会に働
きかけるだろうとカトリックは考える。

 調査には、墓をあばくことも入っている。昔は土葬だったため、土の中に葬られている棺を取り出し、中の遺体を調べることまでする。墓をあばく理由は2つある。一つは、もしも墓の中で生き返った場合に(もちろん、めったにはないことだが、実際に生き返った人がいたらしい)、絶望して死んでしまうかもしれない。それでは聖人になれない。

 もう一つは、体が腐敗しない、ミイラ化の処置をしていないのに、体が腐らないという奇跡を起こす聖人がいるのである。現在、ミイラ化されているご遺体は、例えば、北朝鮮の初代最高指導者の金日成(キム・イルソン)や、ロシアのレーニン、特殊な防腐処理(エンバーミング)を施され、モスクワ都心の「赤の広場」のレーニン廟に安置されている。これらには、防腐処理が施されている。

 読者が信じるか否かは分からないが、肉体が腐らない聖人たちがいる。例えば、南仏のルルド聖母の出現を体験したことで有名な聖ベルナデッタ。彼女は35歳で亡くなったが、聖母マリアのご出現を体験しただけではなく、修道院内でも聖女の誉れが高く、亡くなってから30年後、聖人の位をあげるのにふさわしいかどうかの調査で、衆人環視の中、墓の中の棺の蓋を開けてみたら、生前と変らない肌に弾力のある聖女が現れ出た。まさにこれは神の恵み。

 聖女のご遺体はフランスのヌベール市のサン・ジルダール修道院の聖堂に、安置されており、一般の人も直接、見ることができる。(巡礼ガイドなどは、 ヌヴェール愛徳修道会日本地区のホームページ (neversjapon.org)でご覧になれます)

 

(横浜教区信徒・森川海守(ホームページhttps://morikawa12.co)

2023年12月31日

・神さまからの贈り物 ⑥「カレン族の村で愛を浴びる」

  二十歳の成人式を迎える日、私はタイ北部のミャンマーの国境近くの山奥にいた。なぜなら、私は生き返りたかったからだ。

   そこに住むカレン族の村人たちと『共に生きる』ことを体験するこのプロジェクトは、日本での成人式を諦めてもいい、と思えるほど魅力的だった。人生で初めての挫折を経験し、心身ともに弱り果てていたから、なんとか立ち直りたかった。

  「『ご飯だよ』と『ありがとう』さえわかれば大丈夫よ!」と、お世話役のシスターに送り出された。私が滞在した家のモー(カレン語でお母さんの意味)は、向日葵のように明るく、菫のようにはにかんだ笑みを見せる人だった。モーは、惜しみ無く愛情を注いでくれた。

  忘れられないのが、とんでもなく辛い料理が出た朝食、あまりの辛さに私が「アヘー(辛い)!」と涙目になった。「オ ティー(水を飲め)」と家族全員が笑った。その時に出された水は、湯冷ましだった。村の水は綺麗だが、慣れていない日本人がお腹を壊すことがあるのを、モーはきちんと覚えていてくれた。翌朝「こっちは辛くないよ」とマイルドな味の料理も作ってくれたのも印象的だ。

  モーの愛情によって、日本で凍りついてしまった心がゆっくりと溶けていくのがわかった。一緒に食べ、笑い、祈りを共にすることで、安心が広がる。「モーの愛情を独り占めしていいの?」と聞くと、モーは声を立てて笑い、私をぎゅうっと抱き締めた。

  ある日曜のミサで、私は成人のお祝いをしてもらった。白い筒型のワンピースのような民族衣装には刺繍が施され、それは家によって形が違うらしい。そう言えば、前日の昼間にモーが熱心に縫っていたのを思い出した。

  祭壇の前で司祭たちから祝福を受けた。心に熱いものがあふれ、緊張感でピンと張りつめていたものが緩んだ。頬には、大粒の涙がぼろぼろ音を立てるようにこぼれた。生まれて初めて体験する深い安堵に「私の心は息を吹き返した」と確信した。

  ミサが終わると、村人たちみんなが長蛇の列を作り、順番にブーゲンビリアの花を手渡してくれた。モーの手にも、ショッキングピンクのその花があった。モーは「どうして泣いているの?」というようにニコニコ笑い、両手の指で涙をふいてくれた。私は彼女にしがみつくようにして泣いた。苦しい涙しか流せなかった私が、嬉しい涙を流していた。

  そういえば、生きているだけで喜んでもらえた最後の日は、いつだっただろうか?と振り返った。 物心ついた時には、既に周りの期待を背負って生きていたような気がする。

  日本社会では効率のよさが重視され、私は生きづらさを感じることが多い。けれども、今日も神さまは「あなたを愛している」ということを周囲の人たちを通して、伝えておられるのがわかる。

  過去の私は、苦しいことは避けたいと思っていた。でも、苦しい時の私は必ず誰かからの優しさを受け取っていた。必ず試練とともに逃げ道がある。そのことは、私に大きな希望をもたらした。

  新しい一年が、みなさまにとってすばらしいものとなりますように。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2023年12月31日

・愛ある船旅への幻想曲 (35)新年、教会がどう動いて行くか、しっかりと目を覚ましていよう

 イエスの御降誕、新しい年2024年の始まり、おめでとうございます。

 2023年12月24日、教皇フランシスコは、「自ら人間の心を持たれた神が、人々の心に人間性を呼びさましてくださいますように」と、お告げの祈りで挨拶された。教皇は、パレスチナ、イスラエル、ウクライナをはじめ世界各地で戦争や貧困などに苦しむ人たちの為に祈りと、愛情の温かさと、簡素さのうちに降誕祭前を過ごせるように願われたのだ。

 “人間性”・・今を生きる私たち一人ひとりが人間性をどのように見なしているのだろうか。世々限りなく限りなく、人間性の本質は同じで、万国共通なのだろうか。。

 私は、戦争を経験していない。以前、アメリカ人の若者から「自分の友達は誰も戦争をしたくなかったが、戦場に出ねばならなかった。無事に帰還しても心の傷は深く、精神状態は悪いままです」と、生の声を聞いた時、戦闘が引き起こすストレスは想像を絶し、身近な一人の若者が苦しむ姿の背後にはどれだけ多くの人の苦しみがあるのだろう、と改めて「戦いに導く人間の本性にある邪悪さ」を思い知った。真っ先に若者たちが犠牲になる戦争、日本での戦争体験者の話も決して過去だけのことではない。

 今年もイエス・キリスト生誕の地とされるパレスチナ自治区、ベツレヘムで恒例のクリスマスミサが執り行われたが、ほとんどのイベントは中止され、司祭の1人は「イベント中止は世界へ向けた『戦争をやめてくれ、殺戮をやめてくれ』というメッセージなのです」と語った。このメッセージを私たちは、真摯に受け入れただろうか。(戦地で働く司祭方を思いやる司祭が日本にはどれくらいいるのだろう… ).

 イエスのご降誕を祝う荘厳な司祭の祈りと、それに応え、心からミサ曲を歌う信徒の声がお御堂に響き渡った時、そこに神はおられ聖霊は皆の上に降るだろう。この時、聖霊の計り知れない賜物は、救い主イエス・キリストがご自分の使命が果たせるように、教会が豊かになるようにと導いてくださる、と私は信じてやまない。

 「淫行、汚れ… 敵意、争い…利己心、分裂… このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません。これに対し、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、誠実…」(ガラテヤの信徒への手紙 5章21―22節)

 一つ一つの小さな教会の熱心な祈りが世の平和のためにどれだけ必要か、どれだけの信者が感じているのか。

 降誕祭ミサに限らず、全てのミサに対する聖職者の姿勢に疑問を感じながら与らねばならない教会での平和の祈りは虚しいだけだ。今、一生懸命司牧する司祭方の面目を失くすような聖職者の存在がある。彼らは、人間イエスの“人間性”を知っているのか。自己満足な自分だけの平和を守る人からイエスの愛は伝わらない。

 その当時、通りすがりにでも、人間イエスに出会いたかった私である

 2024年、世界がそしてカトリック教会がどう動いていくのか。。しっかり、目を覚ましていなければならない。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2023年12月31日

(故森司教コラム再掲)②20数年前、日本の司教団は福音宣教活性化のため、すべての信者に大胆な呼びかけをしたが…

 今から20数年前のことであるが、日本の司教団が、日本社会での福音宣教の活性化のために、日本の教会のすべての信者に向けて、大胆な呼びかけをしたことがある。その中に次のような一文があった。

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「信仰を,『掟や教義』を中心とした捉え方から,『生きること、しかも,ともに喜びをもって生きること』を中心とした捉え方に転換したいと思います。」

 

「『掟や教義』から『生きること』を中心にした信仰の捉え方への転換」。この呼びかけは、伝統的な信仰生活に慣れ親しんできた西欧の人々には,奇異な印象を与えるかもしれない。が、その背後には,教会の扉を叩く人々の中に、心の傷ついた人や精神的に病む人々が多くなっていたという特殊な事情があった。

 

 周知のように、能力主義の浸透で競争が激化した結果、日本社会は経済的には発展したが、その陰で家族はその力を弱め、人と人とつながりはバラバラになり、いざ人生の壁に直面し、思い悩なければならなくなったとき、身近なところに、親身になって相談にのってくれる人を見出すことは,難しくなっていた。その表れが、自殺者や孤独死の増加であった。

 政府は、学校や職場にカウンセラーなどの専門家を置くようにしたり,ケースワーカーの増員を図ったりして対応しようとしてきたが、人の悩みや苦しみは複雑であり、カウンセラーやケースワーカーとの相談には限界がある。苦しみ悩む人々が、相談相手として最後に思いつくのが、教会であったのである。教会に行けば,生きていく力を見出せるのではないかという期待感を抱いて、教会の門を叩いていたのである。

 ところが、「教え」を伝えることに軸足をおいてきた教会は、こうした人々を求道者として受け入れ,教会の教えや聖書のクラスを紹介し、やがては洗礼に導いていくという流れの中で対応してきていたのである。 しかし、それは、必ずしもふさわしい対応ではなかった。と言うのは、教えは、日本人には馴染みのない用語がふんだんに使われていて、心の病んでいる人々や心身が疲れ果てている人々には,難しい。その上、そういう人々に限って、周りの人とコムニケーションをとることが難しく、たとえ教えのグループに入っても、人間関係に耐えられなくなって、いつの間にか姿を消してしまうのである。

 悩み苦しむ人々が、折角教会の扉を叩きながら,教会に馴染めず、いつの間にか姿を消してしまうということは,残念なことである。「教えに軸足を置いた宣教姿勢」に限界があることを知った司教たちは,その転換を図ろうとしたのである。

 「生きることを中心に」とは、厳しい人生を生きる孤独な人間のありのままを包み込むことに軸足を置いて、人と向き合うことである。人々は、苛酷な人生の現実にぶつかって、存在「being」そのものが弱り果て、いたたまれなくなって、教会の扉を叩こうとしているのである。そんな人々に何よりも先に必要なことは、揺らぐ存在「being」そのものをあたたかく包み込んでいくことである。「教え」は,その後のことである。

 日本の司教たちのこの呼びかけは、日本の教会全体に「労苦するもの,重荷を負うものは,私のもとに来なさい。休ませよう」という柔和謙遜なキリストの生きた証人になることを呼びかけた、と言えるのである。

(2016.10.1記)

 

2023年12月30日

“シノドスの道”に思う ⑦新年にあたって、日本の民話やグリム童話からシノドスを考える

*「猿長者」

 日本の民話を、あらすじです。まず、鹿児島県大島郡に伝わる「猿長者」。

 東長者は金持ちで、西長者は爺さんと婆さんの二人暮らしで子供も金もない貧乏者であった。ある師走の年の瀬に、神様は貧しい飯もらい坊主の姿になって、まず東長者の家へ行って、「すまないが、行きどころがないので、どうか宿を貸してください」と申された。ところが東長者は「今は年の瀬だぞ、帰れ」。

 飯もらい坊主は、こんどは西の爺さん夫婦の家へやって来て「宿をかして下され」。夫婦は「さあさあ、早く入りなされ。食べる物は何もありませんが、粟種を入れたお湯でもおあがりなされ」と坊主を喜んで迎えます。三人が食べ始めた時、坊主は二人に「一升鍋に青葉を三枚入れて、水を入れて炊いてごらんなさい」と言う。婆さんは言われた通りにすると、一杯の肴が出てきた。さらに坊主は財布から米粒を三つ取り出して、「さあ、これを釜に入れてご飯を炊きなさい」。すると釜一杯のご飯ができた。さらに坊主は「爺さん婆さん、お前たちは貧しくて年をとっているが、宝がほしいかい、それとも元のような若さがほしいかい」と聞く。「若さがほしいです」と答えると、二人は若夫婦になった。

 次の日、そのことを聞いた東長者は「とんでもないことをしてしまった。うちに泊めていたら、あのような運をさずかったものを。今からこの家に来てもらおう」と。そうして呼ばれた坊主は、東長者に赤い薬を渡した。それを風呂に入れて、夫婦で湯をあびると、二匹の猿になってしまった、という。

 

 

*「大年の客」

 

 次に、岩手県の「大年の客」。

 大晦日の晩、ある貧しい家に、どこからか一人の座頭(目の見えない人)が来て、泊めてくれと頼んだ。主人は困って、「うちは貧乏だから、どうか隣の家の長者さまの家に行って泊まってください」と答えたが、座頭は「俺は貧しい家で結構だ」と言って、その家に泊まった。

 明くる朝、座頭は「若水をくむ」と言って井戸ばたに行くが、すべって井戸にはまってしまった。家の人たちが縄を下ろしてやると、座頭は「これこれ家の人たち、大きな声で『身上』『身上』と掛け声をかけて縄を引き上げなされ」と言う。その通りにして、座頭は井戸の外まではい上がり、出しなに「上がった、上がった」と大きな声を上げた。それからというもの、この家はだんだんと豊かになって行った。

 それを知った隣の長者は、不思議に思って、彼らから、わけを聞き出した。そして、ある年の大晦日に座頭を見つけ出し、嫌がるのを無理やり自分の家に泊め、同じようにして、もっと金持ちになろうとしたが、貧しくなってしまった…。

 

*「貧乏人と金持ち」

 

 三つ目はドイツのグリム童話の「貧乏人と金持ち」です。

 昔々、まだ神様が自身で地上を歩きまわっていた頃、ある晩、神様は自分の宿に着く前に日が暮れてしまった。道のそばに、二軒の家が向き合って立っていた。一方は大きくて立派な金持ちの男の家。もう一方は小さくみすぼらしい貧乏な男の家。

 神様は「金持ちなら負担になることもあるまい。今夜はあの家で泊まるとしよう」。神様がこつこつと戸をたたくと、金持ちの男は窓を開け、「なんの用か」とたずねる。「どうか、一晩だけ宿をおかしください」と答えると、粗末ななりをしているを見て、「だめだね、うちの部屋は薬草などでいっぱいだ。よそへ行ってくれ」と断った。

 神様は今度は向かい側の貧乏な男の家に行く。戸をたたくと、貧乏の男が戸を開け、「お入りください」と歓迎し、貧しいながらも精いっぱいのもてなしをした。翌朝、外に出た神様は「お前さ
んたちは情け深く、信心深いから、三つの望みをかなえてあげよう」と言い、古くてみすぼらしい家が、新しい大きない家になった。

 そのことを知った隣の金持ちは、急いで馬を走らせ、去って行こうとする神様を引き留め、自分のところにも泊まりに来るように、そして望みをかなえてくれるように、と執拗に願う。神様が承知してくれたので、喜んで家に戻ったが… 貧しくなってしまった。

 

 

*三つの共通点

 

 この3つの話は国は違いますが、内容はほぼ同じ、貧しい人と金持ちの話。貧しい人は、旅人への同情や憐れみから、自分の家に迎え、もてなす。喜んだ旅人は大きな報いを与える。それを見た金持ちは、「困った人を助けよう」という気持ちからではなく、「もっと豊かになりたい」という欲望から旅人を無理やり泊めようとする。貧しい人がしたことと、形だけは同じことをするが、惨めな結果になる-というパターンです。また、泊まる所が無くて困っている貧しい旅人が、実は神様だったという点も同じです。

 

 

*個々の文化を超えている神、人類普遍の民衆の神

 

 ではどういう神でしょうか。2つの日本の民話に出てくる神は、べつに神道教学に基づく神ではないし、グリム童話の神も、一応はキリスト教の神ですが、
この童話の元となった民話を語り継いだ民衆がキリスト教の教義や神学を知っていたわけではないでしょう。ラテン語を読めず、聖書を読む機会もなかったのですから。登場人物の貧しい人も、教義や神学をもとにした行動をとったわけではありません。ここに出てくる「神」は「世界の民衆に共通する憐れみの神」とでも言いましょうか。

日本でもドイツでも同じ話、同じ行動パターンに同じ結果があるということは、この世界を治めている「神」が、つきつめていけば、同じ存在だ、ということではないでしょうか。キリスト教の神、神道の神という区別は、文化的に頭の中で立てられたもの。『現代世界憲章』でも述べられているように人間は誰でも「神の像」に造られていますし、人間の中には「神からの種」「永遠性の種」があります。世界中で「苦しい時の神頼み」をしたことのない人はほぼいないのではないでしょうか。その時、どの神に祈るかと、いちいち考える人はいないでしょう。

 

*黄金律はシノダリティに通じる

 日本の民話でもドイツのでも貧しいほうは旅人を受け入れ、もてなした。「共に歩む、共に生きる」というシノダリティを無意識に実践しています。そして
その旅人が神であったというのは、マタイの福音書第25章「私の兄弟であるこの小さい者にしたのは、私にしてくれたことなのである」という言葉に合致し
ます。旅人が神とは知らずに、可哀想な人だと思って泊めました。実生活において、神への信仰は隣人愛(憐れみ)と分離できないのだと思います。イエスの言う「人にしてほしいと思うことを、あなたも人にしなさい。(これこそ律法と預言者である)」(マタイ7:12)という黄金律はユダヤだけでなく、どの文化にも共通するものです。なので、「聖書と伝統」だけでは足りず、人類に普遍的な、多文化共生的な視点でキリスト教を理解し、また教会を運営すること
が求められます。

*共通祭司職を中心にした教会へ

 現代まで教会が存続してきたのは、教義的なことを知らなくても、信仰を生きた民衆、大多数の一般信徒がいたからです。「信仰の感覚」を持つ信徒一人一人を重視し、神の民の声を聴くこと、また、これまでのように「教える人」と「教えられる人・学ぶ人」を厳密に分けないことは、当然のことです。したが
って教会の構造や運営も、共通祭司職を基本において再構築するべきではないでしょうか。

このように、これまでのヒエラルキー的教会の叙階に基づく「役務的祭司職」よりも、全信徒が持つ「共通祭司職」をもっと重視し掘り下げること、もっと信徒が活動できるようにすることが「シノダリティのためのシノドス」には求められていると思います。2023年10月のシノドス総会第一会期は参加者たちにとっては“シノダルな集会”だったのでしょうが、教区、国、大陸別の歩みを十分踏まえた「シノダリティのためのシノドス」と言えるのかどうか。

 例えば、第一会期の文書には「共通祭司職」という言葉は一つもないばかりか、それを警戒するような部分さえあります。今年10月の第二会期に至るこれからの歩みが、どのようになされるのか、注視して行きたいと思います。

     *文中の日本の民話は『日本の昔ばなし』岩波文庫全3巻に所収。

(西方の一司祭)

2023年12月30日

・Chris Kyogetuの宗教と文学⑨「ナボコフの『賜物』とマタイによる福音書25章」

 「つまり、引いていく潮のように、蝶たちは冬を越すため、南に向かうんだ。でも、もちろん、暖かいところに辿り着く前に、死んでしまう」(ウラジミール・ナボコフ「賜物」より)

 

   「賜物」というものを考えると、「持って生まれた才能」ということも意味するので、自分の人生を振り返る人は少なくはないと思う。「一体自分に、何が与えられていたのか」-それを敢えて前置きにしてしまうが、イエス降誕前より、個人の才能はギリシャ語で(Theodor)と神からの贈り物と考えられていた。ロシアという国の言語の歴史を辿ると元々は抽象的であり、聖書の「神は言葉と共にあった」を再現したように、聖書伝来と共にアルファベットが出来た国だと聞いた。ナボコフ自身、ロシア革命後に亡命し、「賜物」は彼にとって最後のロシア語で書かれた長編小説となった。

    この作品は、ナボコフの自伝ではないかと言われるが、本人は否定している。しかし、それだけこの小説はナボコフの人生、例えば亡命に限らず、蝶の専門家であったり、チェスプロブレムに費やしていたりと、類似点が多いようだ。

 主人公ヒョードルは作家への才能を「賜物」と信じている。母親も息子の才能を理解していて、行方知れずになった昆虫学者の「父」についての小説を書くように促されるが、彼は父を尊敬していたからこそ、父の伝記が世間の好奇な関心に晒されることを拒んだ。それで、彼は別の人物の伝記を書くことにした。リアリズムと夢想、幻想的な思索を行ったり来たりの作品だが、そこには昆虫学者の父親を追いかける思索の旅ともなる。

    作中で母国を失うということ、愛着を持たない住まいに対しての喪失感を「読者よ」と語りかけ、それはどんなことかをストレートに表現している。それが私には印象深い。

   「涙を流したり、感傷深くなるわけでもなく、魂の最良の一隅に置いて、命を吹き込んでやれなかっただけではなく、殆ど気にとめることもないまま、いま永遠に見捨てていく物たちへの憐みを感ずるのだ」彼の、無理して想像で愛そうとしない心や、悲劇を想像で補おうとしないその心が、うまく詩情へと変換され、より読者の想像力を掻き立てている。

    賜物については、マタイによる福音書25章の「タラトンのたとえ話」に書かれているが、よく説明されるのは「神が与えた才能」ということだ。才能の数は多いか、少ないのか、たとえ通貨一枚でも「価値」のあるものとしている。しかし、実際には聖職者でさえも、この話の続きをあまり触れることがないまま、「贈り物」と同義語のように単純に説明をしてしまうことが多い。

   まず、これは神からもらった「タラントン」、ではなくそもそも、『預かった』タラントン(財産)ということをまず覚えておかなければならない。増やせた人間は神から褒められたが、一枚しかもらってない人間が土に埋めたら、神は怒った。そして神は言われた。「誰でも持っている人はさらに耐えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。この役に立たない僕(しもべ)を外の暗闇に追い出せ。そこで泣き喚いて歯ぎしりするだろう」。

    この箇所は、非情と思われることが多く、「キリスト教」の神を嫌われる箇所でもあるみたいだが、この部分だけを見れば、仏教の「無常」ともよく似ている。尊師(釈迦)が死の床に入る前に、弟子たちに、「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」と、修行を続けることを言った。それから、侍者であるアーナンダに、「虚空のうちに在って地のことを想うている神々がいる」と語っている。

 イエスの「たとえ話」は壮大な神の知恵や教え、預言をまとめただけでなく、イエスの話を通すことで、父と子と聖霊を循環させると私は考えている。だからこそ、一度わからなくても、よく耳を済ませて、心を開いておく必要がある。タラントンは、神から「頂いた」ものではなく、いずれは返すものであるので増やさなければならないものだと。

    「タラントン」というのは、主人から預かっておきながら、直ぐに機転を効かせて増やした人もいれば、臆病になってしまって土に埋めたものがいるように、それが何なのか、本来は分かりにくいものなのかもしれない。特に、ナボコフの「賜物」のように目指すものが作家や詩人という「芸術家」については、最も例えやすいが、他者にとって難解な才能なのかもしれない。この話が簡単に説明できないように、祖国を失う運命ですらもそれは「ギフト」だったのか? それは終盤である五章の亡命後で、出版と愛がテーマとなっても隠喩めいている。

 

  亡命の感情というものは定点を持たない。私の祖父も、ロシア革命の亡命者だったそうだ。当然ながら、棄教もしている。葬儀は葬儀屋で仏教葬になった。生前、認知症になる前はルター版の聖書が気に入っていたので「プロテスタントでもいいかな」とは言っていたそうだ。そういう話と私の「信仰」は全く別の歯車として動いていた上に、「亡命者」というのは祖父の死後に聞かされた話だった。象牙の聖典(聖書だったかどうか不明)や、イコン画などは引き取り手があるとか、お金になるとかで、親戚同士で分けあった。それなのに我が家には回ってこなかった、と、その話は覚えている。特に欲しかったのは象牙のものだったが、私に見せたかった、と父親が話した。

    祖父は、意識がまだしっかりしている時にこうも言ったそうだ。「私達は、キリストの苦しみを背負うことを享受していた。けれども、それを利用される、もう懲り懲りだ」。

 その無常に対してどう思ったのか、想像し難いものだったので、言葉になったことはない。だからこそ作中の「涙を流したり、感傷深くなるわけでもなく、魂の最良の一隅に置いて、命を吹き込んでやれなかっただけではなく、殆ど気にとめることもないまま、いま永遠に見捨てていく物たちへの憐みを感ずるのだ」という箇所が特に、印象に残った。

    カトリックに入ると、そういった悲壮と無縁のように思えた。けれども、実態は「キリストの苦しみを背負うことに対して、利用される」その言葉が突き刺さるようなこともあった。私が「過去」に尊敬していた神父は、神はどんな罪も許してくれて、愛してくれると神の審判の代弁者のようだった。

 けれども、その人も不正があった上に、聖職者として失格な人だった。(教会法上)けれども、その人が言っていた「神の愛」だけは揺るがないものとして私に残り続けている。「ゴミ」のような存在だと思った日もあったが、私は破片を拾うことにする。それが、私の「経験」であるからだ。私は安易に、そう言った経験に「感謝」はしないし、苦しみを「ギフト」とは言わない。簡単に、神が与えた「試練」だとも言わない。そんなものは簡単に言ってはならない。だからこそ違うアプローチで語り直そうと思う。

    神から預かったもの、それは何なのか不確かで、直ぐに気持ちを幸せにしてくれるものだけではないのかもしれない。けれどもキリスト者は常に、「無常」のように思える現実でも、神から預かっているという意識を持ち続けなければならない。世に放り出された感覚であっても、イエスの譬え話は私達と神を繋ぐ通り道である。最後に、ロシア語で「賜物」Дар(ダール)は逆から読むと、paД(ラート)「嬉しい」と意味する。彼はこの書籍のタイトルを元々は、Да(ダー・Yes)としていたそうだ。それすらも、逆から読めばaД(アート・地獄)と、表裏一体が付き纏っている。

  神は与えることもあれば、奪うこともある。全て、人の叡智で語れないながらでも、私達は支え合って言葉を交わす。言葉にならないことでも、言葉にして。足りない言葉に添えるために、愛や涙がある。たとえば、自分の不幸や、大切な人の不幸に、そして、私ながらに… 私ながらに。私の言葉で、多くの不幸に閃きを与えることはできないが、本当に自分を奪えるのは「神」だけだと、そう思うことにしている。だから、まだ「残っている」。それは聖職者であっても、何人(なんびと)も完全には奪えない。世は魂の尊厳や全てを奪えないし、奪わせてはならない。

    臆病になってはならない、土に埋めてはならない。常に増やすことを意識すること。

    引用の詩のように辿り着けなかった蝶は、母国に帰れなかった。けれども、天の国へ、「それ」は返せたのかもしれない。天との繋がりが羽ばたきとなること、生命力。  それが強さになるのではないのではないだろうか。

(Chris Kyogetu)

2023年12月30日

・Sr.阿部のバンコク通信(84) 漫画で体験するイエスの福音のタイ語版の出版、クリスマスに間に合いました!

 クリスマスを前に、“ซุปเปอร์ฮีโร่ของฉัน” My Super Heroと題する漫画で体験するイエスの福音を、タイ語-英語訳で出版しました!

 サンパウロ出版、柴田千佳子作画「はるかなる風を超えて」1.2.3 の合本、458頁リボン付きA5版上製本です。

 日本の漫画が好きなタイの人々に、まさに「福音」です。タイ語と英語が同じ吹き出しに入っています。どちらかの言葉が分かれば、あるいは字が読めなくても、素敵なイエス様を漫画で楽しめます。老人ホームの神父さまが「入居者のおじいちゃん。おばあちゃんが奪い合って見てますよ」って… うれしいですね。作者からの「是非に」との希望で、柴田さんが描かれた日本聖書協会出版の中国語カラー刷り原画のタイ語版です。さらに魅力的にイエスの姿、福音が心に迫ります。

 少しでも安く頒布するために、校正中の試し刷り抱えて予約の注文取りに回りました。学校、教会、友人…を訪ねて”予約特価”

で交渉しました。そのかいあってか、4000冊余りの注文がとれ、姉妹の了解を得て7000冊印刷しました。

 本が出来上がりると、30年来の付き合いの印刷屋の社長さんが、用意した納品伝票を持って配達を引き受けてくれ、クリスマスの贈り物に間に合いました。出版の、小さな”生みの苦しみ”と祈りを込めて、捧げました。

 漫画は、巷のクリスマスセールから始まります。ケーキの大安売り「安い、買っていこうよ」「食べ切れないよ」「何でケーキ食べるの、誰の誕生日?」「キリストの誕生だよ」… 町中に、「吹き出し」の言葉の声が飛び交います。そこへイエスが、さっと登場。「ケーキを食べる前に、聞いて欲しい話がある」と、ご自分の誕生の誕生の出来事から、救い主としての生涯の物語を語られます。

 愛読者の皆さん、主のご降誕、おめでとうございます。今日も現実の私たちのこの世界に、救い主がお生まれになり、「神ともに在します」「私は世の終わりまで共にいる」。真理を実現してくださいます。

 漫画物語は現実の世界に戻り、イエスが私たちのそばに居てくださることを物語って、終わります。

 ”Gloria in excels Deo et in terra pax hominibus bonæ voluntatis.” 心よりの信仰告白を捧げ、世界中の人々を胸に祈ります。そして… Happy Birthday Jesus in your heart!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2023年12月21日

・「大きな光輝く星は… クリスマスに思うこと」(西方のある司祭)

 三人の博士が見た星は、どんな星だったのだろう。

 普通にはあるはずもないところに、大きな光り輝く星が、周りの星々を圧倒するような様子で輝いていたのだろう。それが「ユダヤ人の星」「メシアの星」である、と博士の心に、静かに、しかし力強く語りかける声を一人ではなく、同時に三人の博士が聴いたのだろう。

 「これは間違いない」と確信した三人は「この星の示す人が、自分たちの運命にも関わる大事な存在なのだ」となぜか知らないが、分かったので、誰ともなく、「さあ、出かけよう、拝みに行こう」と言い出した。砂漠の旅は楽ではなかったが、希望のほうが心を占めていたので、歩み続けることができた。

 エルサレムに着いて間もなく王宮でヘロデ王に会ったが、彼はそのことを理解していないし、星が示す場所はここではない、と知って、その場を後にした。外に出ると、夜でもないのに東方で見た星が輝き、「ついて来なさい」と言うかのように、彼らの先を進んでいく… 不安は消えて、喜びが三人に湧いてきた。

 そして間もなく、一軒の家を見つけ、中に入ってみると、幼子は母とともにいた。彼らはひれ伏して拝み、用意してきた宝の箱を贈り物として捧げた。そして幼子と母のやさしい眼差しを心におさめ、
長居はせず、別れの言葉を述べて 別の道を通って、帰っていった。それぞれの心に幼子の姿を思い出しながら…。

        ☆

 皆さま、主イエスの誕生おめでとうございます。一人ひとりの心に幼子イエスがとどまってくださいますように。

 “真砂(まさご)なす数なき星の其(そ)の中に吾(われ)に向かひて光る星あり“

 正岡子規の短歌ですが、この星は、皆さん一人ひとりを導く星でもあります。

(西方のある司祭)

2023年12月21日

・【森司教のことば/再掲】「極貧、独裁者、難民、虐殺、民族宗教などキーワードで キリスト誕生の物語を読み解く」

 クリスマスが近づくと、日本社会全体がクリスマス一色に染まってしまう。デパートや商店街には、イルミネーションが飾られ、街中にはジングルベルの軽やかな歌が流れ、人々は明るい気分に包み込まれる。

 しかし、それは、福音書が伝えるキリストの誕生の物語に込められている光とも異質のものであり、キリストがこの世界にもたらそうとしたメッセージとも無縁のものである。それは、キリストの誕生の場面を伝えるルカ福音書、マタイ福音書を丁寧に読んでみれば、明らかである。

*極貧

 ルカ福音書が伝えるキリストの誕生の物語には、天使たちや羊飼いたちが登場し、表面的には、心を和ませるような牧歌的な印象が与える。が、それに惑わされてはならない。というのは、天使たちや羊飼いたちが登場する前に、ルカ福音書は、「キリストが極貧の中に生まれた」ことを殊更に強調しているからである。

 注目すべきは、「宿屋には彼らが泊まる部屋がなかったからである」と記している点である。

 『泊まる部屋がなかった』理由として、客が多くて、どの宿も満室だったということも、考えられなくもないが、それよりも、私には、ヨゼフに泊まるためのお金がなかったから、とか、ヨゼフが人々の目にみすぼらしく映ったから、と思われるのである。もし、金銭的に余裕があれば、そして裕福そうにみられれば、部屋の一つや二つは融通してもらえたかもしれない。

 貧しい者が、店先や宿屋の入り口で軽んじられたり、拒まれたりしてしまうのは、今も昔も同じである。またそこから、人々の冷たさも伝わってくる。臨月を迎え、お腹が大きくなった女性を目のあたりにしても、誰も、便宜を図ろうとしなかったのである。部屋がなかったとしても、片隅にでも、休ませることぐらいは出来たはずである。

 貧しさ。そして人々の冷たさ。そこで、止むを得ず、マリアは、家畜小屋で、出産することになる。家畜小屋とは、羊飼いたちが風雨を避けるための避難所のようなものである。決して心地よい小屋ではない。キリストは、柔らかなベットではなく、飼い葉桶に寝かせられる。

 誰もが、貧しさには目を背け、貧しさから抜け出そうと、必死である。貧者には哀れみの目を向けることがあっても、貧者に助けを求め、貧者に頼ろうとする者は、一人もいない。

 貧しさの極みの中で生まれた赤子が、人類の希望となるとは、常識的は理解できないことである。その非常識に目を向けるように呼びかけたのが、天使たちなのである。

 羊飼いたちは、天使たちの呼びかけを受けて、キリストの誕生の場に駆けつけていく。彼らが、何を感じとったか、記されていない。しかし、何かを感じとったに違ない。

 天使たちの呼びかけは、私たちへの呼びかけでもある。飼い葉桶に横たわるキリストには、人々を引き寄せる権力も富もなく、きらびやかなイルミネーションもない。しかし、そこに全人類を支え照らす光と力が満ちあふれているのである。

 極貧の中に誕生したキリストに出会うためには、私たちも裸になる必要がある。自らの心の奥に入り、自らを裸にし、自ら貧しい存在であるということを見極めることである。実に、キリストは、貧しさの中に誕生しているからである。私たちに求められるのは、私たちが普段囚われてしまっている常識的な価値観の転換である。

 

*独裁者

 マタイ福音書の2章は、ルカとは異なって、独裁者ヘロデが権力を奮う社会の中でのキリストの誕生を語る。

 ヘロデは、ローマ皇帝の保護のもとにユダヤの王となった人物である。当然、ユダヤの人々には人気がなく、嫌われている。その上、猜疑心が強く、自分の息子たちが王座を狙っていると疑って、その母親たちと支援者たちを容赦なく虐殺してしまった過去のある、残虐な男である。そんな男の治世にキリストは誕生するのである。

 そんなヘロデのもとに東方から占星術師たちが訪ねてきて、『ユダヤの王は、どこに生まれしたか』と尋ねる。それは、ヘロデの前では、決して口にしてはならない言葉であったが、それは東方からの訪問者たちには分からない。不安に駆り立てられたヘロデは、禍根を残さないため、その地域一帯の二歳以下の幼子たちを殺してしまう。単なる政敵や反対者を虐殺するのではなく、無邪気な、罪のない赤子たちの命を奪ってしまうのだから、ヘロデの猜疑心は、異常ともいえる。

 ヘロデに限らず、自らの権力・地位の安定を求めて、邪魔な存在を抹殺する独裁者は、いつの時代にも、見られることである。思うがままに権力を奮う独裁者を通り過ぎていくところには、必ず踏みにじられたり命を奪われたりして、苦しみの叫びをあげたり、悲しみの涙を流したりする無力な「小さな人々」が現れる。

 我が子を殺された親たちは、当然、傷つき、悲しみ、叫ぶ。マタイは、その悲しみがどんなに深いものか、エレミヤ書を引用して証言する。

 『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない。子供たちがもういないから』(マタイ福音書2章18節)

 創世記も、兄のカインが弟アベルを殺した出来事を語りながら、強者によって人生を狂わされ、命を奪われていく弱者の無念さ、叫びを、次のように記している。

 「主は言われた。『お前の弟の血が、土の中から私に向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を口を開けて飲み込んだ土よりも、なお呪われる』」(創世記4章10節)

 強者によって弱者が踏みにじられ、その人生が翻弄され、その果てに命まで奪われてしまうという悲しい現実は、人類が誕生して以来、途絶えることなく、連綿と続いてきている。アベルも幼子たちも、その弱者の系列に属するのである。

 実に、この世界は、弱者たちが流す涙に溢れ、その流す血で真っ黒に汚されてしまっている、と言っても過言ではない。

 福音書は、キリストは、実にそうした幼子と親たちの苦しみ、悲しみ、叫びを背負って、その生涯の歩みを始めたことを、私たちに伝えているのである。

*難民

 独裁者の支配する所には、難民が生じる。その暴威・圧政に堪らなくなって故郷を捨て、異国の地に逃れていく人々である。

 ヨゼフとマリアも、ヘロデの手を逃れて、エジプトに逃れていく。幼いイエスを抱えてのエジプトまでの旅は、難儀だったはずである。その途中には、荒野がある。水や食べ物の確保も、身を横たえる場を見いだすことも、容易ではなかったはずである。

 ヘロデの手を逃れてエジプトを目指すヨゼフとマリアの姿は、現代世界のシリア、アフガニスタン、リビアなどなどの難民たちの惨めな姿に重なってくる。

 血も涙もない残酷な独裁者の手から、我が身、そして家族を守るためとはいえ、住み慣れた世界を捨てていくことは、不安だらけの決断である。すぐに住まいが見つかり、職が見つかり、生活が落ち着く保証はない。また言語・風習・伝統・文化・宗教が異なる人々からのプレッシャーが待っている。そこでの生活は、日現地の人々の蔑みの目に晒され、軽蔑されたり差別されたりする、屈辱的な日々になる。

 キリストの生涯には、惨めな生活を覚悟の上で、住み慣れたふるさとを捨てて屈辱的な人生を歩まざるをえない難民たちのDNAが刻まれているはずである。

*キリストの真実

 福音書が伝える救い主としてのキリストの誕生の物語には、人々を魅惑し、引き寄せ、鼓舞するようなスローガンを掲げて人々の前に立つ政治家たちにような華やかさはなく、剣をとって立ち上がり、不正と戦うと群衆を煽るヒーローたちの過激さはみられない。

 イザヤ書が「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない」(イザヤ53の2)と語っているように、常識の目で見れば『弱者の系列につながる』弱さであり『小ささ』である。実に極貧の中で生まれ、難民となった家族の中で成人し、指導者たちに煽られた群衆たちによって十字架の上で生を終えるキリストの生涯は、『弱者の系列』『小さい者の系列』に徹していたのである。

 しかし、そこにキリストの力、魅力が潜んでいるのである、つまり、人々との連帯である。

 ヘブライ人の手紙の著者も、次のように記す。

 「彼は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです。」(ヘブライ人の手紙4章15節) 「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることが出来るのです」(同5の2) 「事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(同2章18節)

 繰り返すようで恐縮だが、キリストの魅力、力は、富で権力でもなく、人々との連帯にある。自ら、重荷と労苦を負って生きざるをえない人々の中に飛び込み、人々のもがき、苦しみ、悲しみに共振しながら、その重荷と労苦に心を寄せながら生きることに、生涯徹したことにある。

 キリストが誕生してから、二千余年、多くの人々がキリストに引き寄せられた理由も、そこにある。

(2017.12.25記)

*森一弘(もり・かずひろ)師=1938年10月12日、神奈川県横浜市で生まれる。栄光学園高校在学中に洗礼を受け、1959年に男子カルメル修道会に入会。1962年ローマ・カルメル会国際神学院に留学し、1967年3月、ローマで司祭叙階1968年、同学院を修了して帰国、東京・上野毛の男子カルメル会修道院で生活しつつ、カトリック上野毛教会で司牧。その後、東京大司教区の教区司祭となり、1981年4月から関口教会の主任司祭を務め、1985年2月に司教叙階、東京大司教区補佐司教となる。司牧と福音宣教に努める傍ら、聖書研究に精励し数多くの著書を執筆。1993年から2000年までカトリック中央協議会事務局担当司教。2000年5月に補佐司教を退き、2021年6月まで真生会館理事長を務め、執筆・黙想指導などを続け、亡くなる直前まで同会館の講座を担当していた。2023年9月2日、東京逓信病院で帰天。享年84歳。生前の希望により、遺体は献体され、葬儀・告別式ミサの後、献体の受け入れ機関へ運ばれた。

・・・森司教は「カトリック・あい」の事実上の生みの親でもあり、創刊から1年余りにわたってコラムを担当してくださった。その内容には、今も日本のカトリック教会の信徒、司祭、司教にとって、十分に傾聴に値する言葉が多く含まれている。今月以降、コラム「森司教のことば」の中から、とくに現在の私たちに学ぶことの多い、あるいは警鐘となるものを選んで再掲していく。

2023年12月11日