7月の教皇と日本の教会の祈りの意向

■7月の教皇と日本の教会の祈りの意向

*教皇の意向: 病者への司牧的ケアのために

「病者の塗油の秘跡が、それに授かる方とその方の愛する人たちに主の力を与え、誰の目にも『共感と希望のしるし』として映し出されますように」

(2024.7.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、2024年7月の祈りの意向について、次のようなビデオメッセージをよせられた。

 「今月は病者への司牧的ケアのために祈りましょう。病者の塗油は、臨終にある人のためだけの秘跡ではありません。これをはっきりさせておくことが重要です。司祭が塗油の秘跡のために、ある人に近づく時、それは必ずしもこの世との別れを助けているわけではありません。そう考えるなら、あらゆる希望を失ってしまいます。それは『司祭の後には葬儀業者がやって来るのだ』と思い込むことです。病者の塗油は、「癒し」と「回復」の秘跡の一つであり、魂を癒すものです。ある人が重い病状にある時、病者の塗油を授けることが勧められます。そして、ある人が高齢である場合、病者の塗油を受けるのは良いことです。祈りましょう。病者の塗油の秘跡が、それに授かる方とその方の愛する人たちに主の力を与え、誰の目にも『共感と希望のしるし』として映し出されますように」。

(編集「カトリック・あい」)

*日本の教会の意向: 難民のために

「命がけで国を離れる難民が、行く先々で出会う人を通して神のいつくしみの心に触れ、安全で安心した生活を送ることができますように」

2024年6月29日

■6月 の教皇と日本の教会の祈りの意向

■6月 の教皇と日本の教会の祈りの意向

https://youtu.be/dCMyBxoalqA
 (2024.5.28 バチカン放送) 教皇フランシスコは、2024年6月の祈りの意向について、次のようなビデオを通しメッセージをおくられた。

  「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今月は祖国から逃れる人々のために祈りたいと思います。

戦争や貧困から逃れるために祖国を後にせざるを得なかった人々の辛い体験に、もといた場所から引き離されて、自分の居場所がわからなくなる感覚がしばしば加わります。さらに、到達したある国々では、移民は恐れと共に、脅威とみなされます。すると、そこには壁の幽霊が現れます。家族を隔てる地球上の壁、そして心の壁です。

私たちキリスト者はこの考え方を共有することはできません。移民を受け入れる者は、キリストを受け入れるのです。私たちは、移民の権利と尊厳を守る社会的・政治的文化を推進しなくてはなりません。そして、彼らの成長の可能性と、統合を支援しなくてはなりません。移民は、見守られ、支えられ、統合される必要があります。

祈りましょう。戦争や飢餓から逃れ、危険と暴力に満ちた旅路を余儀なくされた移民が、受け入れ国で歓迎され、新しい生活の機会を見出すことができますように」

*日本の教会の意向: 病に苦しむ人たちのために

「キリストの犠牲に合わせて、病の苦しみを捧げる人たちが、キリストが与えてくださるいやしの恵みにあずかることができますように」

2024年5月29日

■5月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 修道士・修道女と神学生の養成

*修道士・修道女と神学生がそれぞれの召命の道を歩む中で、人間性、司牧性、霊性、共同体性についての養成を受けて成長し、信頼される福音の証人へと導かれますように。

(2024.4.30  バチカン放送)

教皇フランシスコは、この意向について、ビデオを通し次のように話された。

 

「全ての召命は、あらゆる面において、磨き、手間をかけ、形作るべき「ダイヤモンドの原石」です。良い司祭、修道女は、第一に主の恵みによって育てられ、形作られた一人の人間でなくてはなりません。それは自分の限界を知り、祈りと福音の証しに捧げた生活をおくる意志がある人です。

 彼らの養成は、統合的に、神学校あるいは修練期の時から、他の人々の生活に直に接しながら進められる必要があります。これは本質的なことです。その養成はある特定の時期に終了するものではありません。その人を知的、人間的、感情的、精神的に豊かにしつつ、一生の間、何年も続きます。

 共同体における生涯養成も同様です。共同体の生活は、たとえ時にそれが難しいものであっても、豊かさをもたらします。 なぜなら、一緒に暮らすことと、共同体において生活することは別物だからです。 祈りましょう。修道士・修道女と神学生がそれぞれの召命の道を歩む中で、人間性、司牧性、霊性、共同体性についての養成を受けて成長し、信頼される福音の証人へと導かれますように。

 

日本の教会の意向: 子どもの成長

*将来を担う子どもたちが、神に愛された者として健やかに成長していきますように。

2024年4月30日

■4月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の祈りの意向: 女性の役割について

*女性の尊厳と価値があらゆる文化で認められ、さまざまな差別に終止符が打たれますように。

(2024.4.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオを通し次のように話された。

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 世界の多くの場所で、女性たちは最初に切り捨てられるべき物のように扱われています。

 ある仕事を始めるため、あるいは学校に行くための支援にアクセスすることを女性に禁じる国々があります。さらに、これらの場所では、女性たちはある種の服装を義務付ける法を課せられています。そして、多くの国で、今日もなお、女性器切除が行われています。

 女性たちから声を奪わないようにしましょう。虐待の犠牲者であるこれらすべての女性たちからその声を奪ってはなりません。彼女たちは搾取され、疎外されています。

 男性と女性は人間として同じ尊厳を持っていると、私たちは皆、理論上は同意しますが、実際にはその通りになりません。

 あらゆる場所で、政府が、差別的な法律を無くすように取り組み、女性の人権が保証されるように努力することが必要です。

 女性を尊敬しましょう。女性の尊厳と基本的権利を尊重しましょう。そうしなければ、私たちの社会は前進しません。

 祈りましょう。女性の尊厳と価値があらゆる文化で認められ、世界各地で女性たちが被っているさまざまな差別に終止符が打たれますように。

 

日本の教会の意向: 日本司教団アドリミナについて

*日本の司教団がペトロの後継者との絆をさらに深め、よい牧者として日本の教会を導いていくことができますように。

  注*アドリミナとは、各国司教団が5年おきにローマを訪問し、教皇に謁見して各国・各教区の状況を報告するものだが、世界的なコロナ禍で遅れていた。

2024年3月30日

■2024年3月の教皇と日本の境界の祈りの意向

教皇の意向: 新たな殉教者のために

*世界各地で福音のために生命の危険にさらされている人々が、その勇気と宣教の思いを教会に伝える者となりますように。

 教皇フランシスコの3月の祈りの意向について、ビデオ・メッセージは以下の通り。

 「今日の教会を映し出す一つの話を語りたいと思います。それはあまり知られることのない信仰の証しです。レスボス島の難民キャンプを訪問した時、一人の男性が私に言いました。「自分はイスラム教徒です。妻はキリスト教徒でした。私の国にテロリストたちがやって来て、私たちに『宗教は何だ』と聞きました。彼らは十字架を身に着けている妻を見て、その十字架を地面に投げ捨てるように言いましたが、妻はそうしませんでした。すると彼らは私の目の前で、妻の喉を切ったのです」。このようなことがまさに起きたのです。

彼は恨みはもっていませんでした。妻の愛の模範、それを受け入れ、死に至るまでの忠実を貫いたキリストに対する愛の模範に、焦点を当てていたのです。兄弟姉妹の皆さん、私たちの間には常に殉教者たちがいることでしょう。それは私たちが正しい道の上にいることのしるしなのです。ある専門家は、キリスト教の初期よりも、現代の方がより多くの殉教者がいると、私に言いました。殉教者の勇気、殉教者の証しは、皆にとって神の恵みです。

祈りましょう。世界各地で福音のために生命の危険にさらされている人々が、その勇気と宣教の思いを教会に伝える者となりますように。そして、殉教の恵みに心を開く者となれますように」

(バチカン放送訳、「カトリック・あい」編集)

 

 

 

日本の教会の意向: 性虐待被害者のために

*聖職者によって心と体に深い傷を負った方々が、いつくしみ深い神のいやしによって慰められますように。

2024年2月28日

2024年2月の祈りの意向

■2月の教皇と日本の教会の祈りの意向

【教皇の意向: 終末期医療のために】

*人生の最終段階を病の中で過ごしている方とその家族が、周囲の支えの中で、必要な医療と人間的なケアを受けることができますように。
(2024.1.30 バチカン放送)教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージの中で以下のように語られた。

 「終末期医療について話す時、回復不可能と、治療不可能という、2つの言葉が混同されることがあります。しかし、それは同じことではありません。たとえ病気の回復の見込みがわずかでも、すべての病者は医療的、心理的、精神的、人間的な支援を受ける権利があります。時には、話すことができなくても、また私たちを認識できないように見えても、彼らの手を取れば、私たちとつながっていることがわかります。
 必ずしも常に治癒が得られるわけではありません。しかし、いつでも病者をケアし、病者をいたわることは可能です。聖ヨハネ・パウロ2世は「可能な限り治療し、ケアは常に」と話しておられました。ここでホスピス・緩和ケアが関わってきます。それは患者に医療支援だけでなく、人間的な支援と寄り添いを保証します。
 この試練の時、家族たちを孤立させてはいけません。家族の役割は大変重要です。彼らは身体的、精神的、社会的支援を提供するために、適切な手段をとる必要があります。
 祈りましょう。人生の最終段階を病の中で過ごしている方とその家族が、周囲の支えの中で、必要な医療と人間的なケアを受けることができますように。

【日本の教会の意向: 日本で働く外国人労働者のために】

*日本で働く外国人労働者が、よい生活環境に恵まれ、安心して仕事に励むことができますように。
2024年1月31日

2024年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向

2024年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 多様性という賜物のために

*キリスト者の共同体には賜物として多様なカリスマがあること、また、カトリック教会には多様な儀式の伝統があることを、聖霊の導きによって気づくことができますように。

 (2024.1.2 バチカン放送) 教皇フランシスコは2日、2024年1月の祈りの意向について以下のビデオメッセージをおくられた。
 「教会におけるカリスマの多様性を恐れることはありません。むしろ、この多様性を生きることを喜ぶべきです。すでに初期のキリスト教共同体の中に、多様性と一致はかなり存在していました。その緊張は高いレベルで解決される必要がありました。
 しかし、それだけではありません。信仰の歩みを進める上で、他のキリスト教教会や共同体の兄弟姉妹たちとのエキュメニカルな対話の必要もあります。それは混乱や困惑を生むものではなく、キリスト教共同体がただ一つのキリストの体として成長するための、神からの贈り物のようなものです。
 たとえば、東方教会について考えてみましょう。東方教会は独自の伝統、特徴的な典礼を持っていますが、信仰における一致を守っています。これは信仰を強めるものであり、分裂させるものではありません。
 私たちが聖霊に導かれるなら、豊かさや、差異、多様性は、対立の原因にはなりません。聖霊は、何よりも私たちが、「神の愛する子ら」であることを思い起させてくれます。神の愛において皆が同じであり、皆が異なるのです。
 祈りましょう。キリスト者の共同体には賜物として多様なカリスマがあること、また、カトリック教会には多様な儀式の伝統があることを、聖霊の導きによって気づくことができますように」。(編集「カトリック・あい」)

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日本の教会の意向: すべての命を守る

*神が与えてくださったすべての命の尊さを悟り、互いを思いやることができますように。

2023年12月30日

【12月の教皇と日本の教会の祈りの意向】

教皇の意向: 障がい者のために

*障がい者に社会の関心が注がれ、積極的な参加を大切にする誰一人排除しない諸施策が提供されますように。

(2023.11.29 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージの中で次のように話された。

 「私たちの間で、最も不安定な立場の人たちの中に、障がいのある方々がいます。彼らの中には、無知や偏見に基づく拒絶に遭い、疎外感を体験する人もいます。

  社会制度は、教育、雇用、また創造性を発揮できる場所へのアクセスを通して、彼らの計画を支えなければなりません。障がい者の受け入れを促進する計画やイニシアチブが必要です。 その中でも特に、付き添うことを望む人の大きな心が必要です。

 それは、社会においても、また教会生活においても、様々な能力を持ったこれらの人たちの貢献と才能に対して開かれたものとなるように、私たちのメンタリティーを少し変える必要を意味しています。それゆえに、完全にバリアフリーの小教区を作ることは、物理的なバリアを取り除くことを意味するだけではありません。それはまた、「彼ら」について話すのをやめて、「私たち」について話し始める必要があると理解することでもあるのです。

 祈りましょう。障がい者に社会の関心が注がれ、積極的な参加を大切にする誰一人排除しない諸施策が提供されますように」。

(編集「カトリック・あい」)

 

日本の教会の意向: 召命のために

*司祭・修道者・信徒が、救いの福音を社会に伝え、神からの呼びかけに応えることができますように。

2023年11月30日

■11月の教皇と日本の教会の祈りの意向

♰教皇の意向: 教皇のために

・・教皇が、自らの使命を果たす者として聖霊の助けを受け、託された民の群れとともに歩み続けることができますように。

(2023.11.1 バチカン放送)

教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージで次のように述べた。

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・主が私を祝福してくださるように祈ってください。皆さんの祈りは、私に力をもたらし、聖霊に耳を傾けながら、識別し、教会に付き添うことを助けてくれます。

・教皇であることは自身の人間性を失うことではありません。むしろ、私の人間性は、神の聖なる忠実な民と共に、日毎に成長するのです。なぜなら、教皇であることもまた一つの歩み、牧者であることの意味に気づいていく過程なのです。そして、この過程の中で、より慈愛に満ち、慈しみ深く、また、神なる御父がこれほどにも忍耐強くあるように、何よりも忍耐強くあることを学ぶのです。

・すべての教皇は、その登位直後に、恐れや、めまいのような感覚、どのように厳しく評価されるだろうかとの思いに襲われるだろうと思います。なぜなら、主は私たち司教に、自分たちのしたことを真摯に理解するように命じるでしょうから。

・皆さんに情けある裁きをお願いします。そして、教皇が、− それが誰であれ、今は私の番ですが – 聖霊の助けを受け、その助けに従順であるようにと祈ってください。

・祈りましょう。教皇が、自らの使命を果たす者として、常に聖霊の助けを受け、イエスから託された民の群れとともに歩み続けることができますように。私に対する皆さんのこの祈りを、沈黙のうちに祈りましょう。

・私のためにお祈りください。どうかお願い致します。

(編集「カトリック・あい」)

 

 

♰日本の教会の意向: 死者のために

・・すべての死者が、神のもとで永遠の安息を得ることができますように。

2023年10月31日

■10月の教皇と日本の教会の意向

教皇の意向: シノドスのために

*教会が、生活様式のすべての場面で傾聴と対話を大切にする姿勢を、聖霊の導きによって、世界の隅々にまで行きわたらせることができますように。

(2023.9.29 Vatican News)

 教皇の世界祈りネットワークが制作した10月の教皇ビデオの中で、教皇は世界代表司教会議(シノドス)の力学がどのように教会の宣教の使命を前進させているか、を振り返られ、 「祈りと識別力を通して、聖霊は私たちが『耳の使徒職』、つまり神の言葉を語るために神の耳で聞くことを実行できるよう助けてくださいます」と語られた。

 そして、「そうして、私たちはキリストの心に近付きます。私たちの使命とキリストから湧き出て私たちをキリストに引き寄せる声です」とされ、メッセージの最後に「この声は、私たちに次のことを明らかにしています。それは、宣教の核心はすべての人に手を差し伸べ、すべての人を求め、すべての人を歓迎し、誰も排除することなくすべての人を巻き込むことです」と説かれた。

 また、世界のすべての信者に対して、シノドス総会の期間中、「教会が、その本来の在り方として、あらゆるレベルで耳を傾け、対話をするように、世界の隅々に聖霊によって導かれる」ように祈ることを勧められた。

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 シノダリティ(共働性)をテーマとするシノドス総会は、10月4日に始まる。それは、バチカンが準備文書と会合の準備に関する指示を発表した2021年9月に始まった2年間のプロセスを経たもの。この間、世界中の何百人ものカトリック教徒がそれぞれの教区で、準備文書で提起された質問について話し合ってきた。そのまとめは、それぞれ国・地域の司教協議会に集約され、それをもとに、大陸レベルで会合が開かれた。

 シノドス総会は、10月4日からの第一期に始まり、2024年10月の第2期の会合で閉幕する2部構成となる。今総会には、女性を含む議決権を持つ363人が参加。 これまでに総会の通例だった各国・地域の司教協議会の代表に加え、教皇フランシスコによって個人的に任命された者、一般信徒代表、「兄弟教会の代表」、「霊的アシスタント」、または「専門家および進行役」として者も出席する。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

日本の教会の意向: 福音宣教のために

*シノドスの歩みに合わせて、社会に福音を宣べ伝える使命を思い起こさせてくださいますように。

2023年9月30日

■9月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 周辺に追いやられて生活する人々

・社会の周辺に追いやられて非人道的な環境の中で生活する人々が、社会の仕組みから見落とされたり、必要のない者として扱われたりすることがありませんように。

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(2023.8.29 バチカン放送)教皇フランシスコは、この意向をめぐり、ビデオを通し次のように話された。

「ホームレスの人が道端で亡くなっても、インターネットの検索やニュースの最初のページに出ることはないでしょう。どうして、私たちはここまで無関心になることができたのでしょうか。経済的利益に見合わないから、と多くの人が切り捨てられる文化を、どうして容認できるでしょうか。私たちの生活、町、生き方を支配するこの文化をどうして認められるでしょうか。

この状況を直視しないで、無理に違う方向を見ようとするなら、首の筋を違えることでしょう。

お願いです。貧困や、依存症、精神疾患、障がいを理由に、周辺に追いやられて生活する人々を「見えない存在」にすることをやめましょう。受け入れに重点を置き、それを必要とするすべての人を認めることに力を入れましょう。それは、受け入れや、もてなしの文化、屋根やシェルター、愛や人間的温かさを与える文化です。

祈りましょう。社会の周辺に追いやられて非人道的な環境の中で生活する人々が、社会の仕組みから見落とされたり、必要のない者として扱われたりすることがありませんように」

(編集「カトリック・あい」)

 

 

日本の教会の意向: すべての被造物

・地球温暖化を止めるために働く人たちを力づけてくださいますように。

2023年8月30日

■8月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向:「ワールドユースデー(世界青年の日)」のために

(2023.7.27 バチカン放送)

教皇フランシスコは、8月1日からポルトガルの首都リスボンで開かれる「ワールドユースデー(世界青年の日)大会が、世界の若者たちにとって、生活の中で福音を生き、証しする良い機会となるように、次のような問答の形で期待を語られた。

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 若者たち:私の地区の教会に行くと、年配の人しか見かけません。もう教会はお年寄りのものなのでしょうか?

 教皇:教会は、”高齢者のクラブ”ではありません。また、同様に”若者たちのクラブ”でもありません。もし”お年寄りのクラブ”になるなら、教会は「死ぬ運命」にあるでしょう。聖ヨハネ・パウロ2世は「若者と一緒に生きるなら、あなたがたも若くなる」と言われました。教会は、年老いないように、若い人たちを必要としています。

 若者たち:親愛なる教皇フランシスコ、このワールドユースデーのために、『マリアは出かけて、急いで山里に向かった(ルカ福音書1章39節)』というモットーを選ばれたのはなぜですか?

 教皇:自分が神の母になることを知ったばかりのマリアは、そこで”自撮り”をしたり、目立とうとはしませんでした。マリアが最初にしたことは、奉仕するために、助けるために、大急ぎで歩き始めることでした。皆さんも、他の人たちを助けるために歩き出すことを、マリアから学ばなければなりません。

 若者たち:ワールドユースデー・リスボン大会に何を期待しておられますか?

 教皇:リスボンで「未来の世界の種」を見ることができたら、と思います。それは「愛が中心にある世界」、「私たちが兄弟姉妹である、と感じることができる世界」です。私たちは今、戦争の中にいます。私たちには、何か別のものが必要。それは、「福音を証しすることを恐れない世界」「喜びのある世界」です。私たちキリスト者が喜びを持たないなら、私たちは信頼に値せず、誰も私たちを信じてくれないでしょう。

若者たち:私たちは祈ります。リスボンで開催されるワールドユースデーが、若者たちにとって、生活の中で福音を生き証しするよい機会となりますように。

 

 

 

日本の教会の意向: 核兵器廃絶のために

被爆国として、核兵器廃絶に向かっての歩みを導いてくださいますように。

 

 

 

 

2023年7月30日

■7月の教皇と日本の教会の祈りの意向

教皇の意向: 聖体を中心に据えた生活のために

私たちカトリック教徒が、聖体の祭儀を生活の中心に据えて人間関係を根本から見直し、神とすべての兄弟姉妹との交わりへ導かれますように。

教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオの中で次のように話された。

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「私たちがミサを終えて退出する時、入った時と同じ状態でいるなら、そこには何か問題があります。聖体はイエスの現存です。それは人を深く変容します。イエスは来られ、あなたは変えられなくてはなりません。

聖体の中に、苦しむキリスト、ご自分を私たちに与えられ、私たちの生活がご自身に養われるにまかせるよう招き、私たちの兄弟姉妹の生活を培われるキリストがおられます。聖体の祭儀は復活されたイエスとの出会いです。それは同時に、イエスが教えられたように、自分たちを世界に向けて開くようにと、私たちを押し出す力でもあります。

聖体祭儀にあずかるたびに、イエスは来られ、ご自分が愛したように愛する力をわたしたちにくださいます。 なぜなら、イエスは、他者に出会いに行き、自分自身から抜け出し、愛をもって自分を他者に開く勇気を与えてくださるからです。

祈りましょう。わたしたちカトリック信者が、聖体の祭儀を生活の中心に据えて人間関係を根本から見直し、神とすべての兄弟姉妹との交わりへ導かれますように」

 

日本の教会の意向: 家族の絆のために

互いをいたわり、家族の絆を神の愛の実現として社会に示すことができますように。

2023年6月30日

■6月の教皇と日本の教会の祈りの意向

*教皇の意向: 拷問の廃止のために

国際社会で拷問廃止が実現され、被害者とその家族への支援を、具体的な方法で保証することができますように。

(2023.5.30  バチカン放送)

教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージで次のように語られた。

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・拷問。何ということでしょう、拷問とは! 拷問は過去の歴史ではありません。残念ながら、今日のわたしたちの歴史の一部です。いったいどうして人間の残酷な力はここまで大きいのでしょうか。

・非常に暴力的な形の拷問がある一方で、たとえば、屈辱的な扱いをしたり、意識を失わせたり、非人間的な状況の中で多人数を拘留するなど、人から尊厳を奪い去る、他の複雑な形のものもあります。しかし、これらは新しいものではありません。イエスご自身がどのように拷問を受け、十字架につけられたかを考えてみましょう。

・この拷問の恐怖を終わらせましょう。あらゆるものの上に人間の尊厳を置くことは根本的なことです。 さもなければ、拷問の犠牲者は人ではなく「物」になってしまいます。そして、無情な虐待によって、死を招いたり、一生残る心理的・肉体的ダメージをもたらす可能性があります。

・祈りましょう。国際社会で拷問廃止が実現され、被害者とその家族への支援を、具体的な方法で保証することができますように。

 

*日本の教会の意向: 聖霊の恵みのために

聖霊に満たされ、聖体に養われて、神の言葉をいつも守っていくことができますように。

2023年5月30日

■5月の教皇と日本の教会の祈りの意向

 

教皇の意向: 教会の諸活動と諸団体のために

教会の諸活動や諸団体が、宣教の使命を日々新たにし、世の中の求めに応じた奉仕に、そのカリスマを捧げることができますように。

(2023.5.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコの5月の祈りの意向についてのビデオメッセージは次の通り。

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教会の諸活動は一つの恵み、教会の豊かさです。それは皆さんです。これらの活動は、その対話の力をもって、福音宣教の使命の奉仕に向かって、教会を新たにします。そのカリスマにおいて、福音の魅力と新しさを示す新しい方法を日々見出します。

どのようにしてでしょうか? 異なる言語を話しながら、− それは異なるものに見えても、実際には違いを作り出している創造力なのですが – 常に理解し、理解させることによってです。そして、司教や小教区の奉仕のために働くことで、自分の中に閉じこもろうとするあらゆる誘惑を避けるのです。なぜなら、それは危険になりうるからです。

聖霊の力に、挑戦に、今日の世界の変化に答えながら、常に活動の中に留まってください。教会の調和の中に留まってください。なぜなら、調和は聖霊の賜物だからです。

祈りましょう。教会の諸活動や諸団体が、宣教の使命を日々新たにし、世の中の求めに応じた奉仕に、そのカリスマを捧げることができますように。奉仕のために…。

 

 

 

日本の教会の意向: 子どもたちのために

子どもたちが、聖母マリアの心を心とすることができますように。

2023年4月29日