・教皇、世界の”シノドスの道”の代表たちと会見、対話

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(参考「バチカン放送})

 26日の夕方行われた、教皇レオ14世との出会いと対話では、世界5大陸および東方典礼カトリック教会の代表が、教皇に”シノドスの道”の歩みや、シノダル(共働的)な教会のあり方をめぐり質問。レオ14世は、これらの問いに耳を傾けられ、原稿を用いずに率直な回答をされた。

 たとえば、シノダリティ(共働性)が「自分たちの司牧上の権威を弱めてしまうのではないか」と懸念する司教や司祭たちにどのように対応すべきか、という問いに、教皇は、「そのような抵抗は、しばしば恐れや、認識・理解の欠如から生じるものです」と指摘。「実際、各地域からの報告の多くが、育成の必要を最優先事項に挙げています」とされつつ、共に歩む教会の姿勢について、学校や、神学校、成人信徒を対象とするものなど、あらゆるレベルでの育成の重要性を示された。

 同時に、教皇は、「すべての人が同じ速さで走れるわけではなく、時には互いに忍耐し合う必要もあることを理解すべきです… 一部の人だけが先を走り、残りの人々を置き去りにしてしまうなら、教会生活に分裂を生みかねません」と注意され、「それぞれの地域の状況を把握し、どのような抵抗があり、その原因は何か、シノドス的な教会の交わりを生きるよう励ますために何ができるか等を知るための具体的な方法を見つけねばなりません」と述べられた。

 また、「私たちの社会がより包括的で、公平で、平和構築に貢献するものとなるために、”シノドスの道”の歩みは、どのようにそれを励まし、インスピレーションを与えることができのでしょうか」というラテンアメリカを代表した質問があった。

 これに対し、教皇は中南米の教会のシノドスへの長年の取り組みに謝意を表すると共に、「ラテンアメリカの信仰の恵みや情熱、交わりの精神、兄弟愛などから、真のシノダルな歩みを続けるうえで多くを学びました」と全教会からの感謝を述べられた。

 また教皇は、この質問に答えるにあたり、ご自分の「個人的」な体験、と前置きした上で、「私自身の人生で何かのプロセスからインスピレーションを得たことはあまりなく、むしろ、信仰における情熱を生きる人たちからインスピレーションを受けてきました」とされ、「今体験している聖年が回心、和解、そしてイエス・キリストから授かった新しい命への招きであることを理解し、シノダルな霊性はもとより、福音の霊性、交わりの霊性、教会でありたいと願う霊性を生きることが大切です」と説かれた。

 さらに、「キリストご自身との親密さの体験は、この歩みにおいて、『宣教的で忠実な弟子になりたい』との願望を心に燃え上がらせてくれるでしょう… この熱意と確信をもって生きる時こそ、より多くの人たちが私たちに加わり、平和と交わりの構築者となることを望むことでしょう」と話された。

 このほか、「シノダルな教会において、女性はどのような希望を正当に育むことができるか」という質問があり、教皇はここでも、「個人的な体験ですが」と前置きしたうえで、1970年代、米国で男女平等が盛んに話題にされていた時代、父親と共に非常に活発に小教区活動に携わっていた自身の母親に、「女性の皆さんは、男性と同じようになりたいと思っていますか」と尋ねたところ、「いいえ、私たちはすでに、もっと優れていますから」と答えを受けた、というエピソードを語られた。

 そして、「当時にすでに、自分の母親だけに限らず、女性たちは様々な意味で、家庭生活や小教区のために多くの才能を捧げることが可能だったのです」と回想された。

 教皇はもう一つの体験として、ペルーにおけるある女子修道会の話をされた。「この女子修道会のカリスマは、司祭がいない地域で奉仕することでした。修道女たちは洗礼を授ける権限を持ち、結婚式で公式の証人を務め、素晴らしい宣教活動をし、多くの司祭たちにとってもそれは信仰の真の証人たちでした」。そうした体験から教皇は、「問題は、女性に可能性が存在しないことではなく、文化的な障害が存在していることにあります」とされ、「すべての司教や司祭が、女性たちがその役割をよく果たすことを望んでいるわけではありません。この問題を皆が認識する必要があります」と強調された。

 さらに、アジアの教会へのシノドス的回心を励ますメッセージを求められた教皇は、「シノダリティ(共働性)のみならず、交わりや回心を推進しながら、今日、ここに到達するまでに大変な働きをしたアジアの教会に心から感謝します」と語られ、フィリピンを除き、キリスト教が少数派のあらゆる国・地域で、「多くの困難や抑圧にもかかわらず、信仰を生き、イエス・キリストの弟子としての姿を示し続けるアジアの教会、教会の今日と未来を表すアジアの地に、私たちは敬意を表さなくてはなりません」とと話された。

(編集「カトリック・あい」)

2025年10月25日

・シノドス事務局長が世界代表司教会議設立60周年で書簡ーこれまでの経験と理解をさらに前進させるためにあらゆる努力を」

Second session of the Synod of Bishops in the Vatican (October 2024)Second session of the Synod of Bishops in the Vatican (October 2024)  (Vatican Media)

 

(2025.9.17 Vatican News   Salvatore Cernuzio)

 バチカン・シノドス事務局のマリオ・グレック事務局長・枢機卿は17日に、世界代表司教会議(シノドス)設立60周年を記念して発表した書簡で、シノドスの変遷を振り返り、将来を見据えた展望を示し、全世界の教会に対し「 synodal process(シノドスの道)の第三段階が、synodality(共働性)の経験と理解におけるさらなる前進となるよう、あらゆる努力を払うように」と呼びかけた。

 事務局長は書簡で、「教皇フランシスコがsynodalityを『教会における交わりを達成するための特権的な方法』と定義され、教皇レオ14世も共有しておられる… 先週の日曜日の正午の祈りで、第2バチカン公会議が終盤を迎えていた1965年にシノドスを創設した教皇聖パウロ6世の『預言的な直感』を強調されています」と指摘。

 教皇は、このシノドス創設60周年が「教会の統一と使命への新たな献身を促す」ことを願っておられ、その願いは、グレック事務局長のこの書簡でも繰り返されている。

 2021年10月に世界の教区、現地教会レベルから始まったこのプロセスは、教区レベル、各国レベル、各大陸レベルを経て、2023年と2024年にバチカンで開かれた二回のシノドス総会に進み、二回目の総会で採択された最終文書をもとに、グレッチ枢機卿は各現地教会と修道会に、実践に移すよう呼びかけている。

*パウロ6世の「預言的な」洞察によるシノドス創設

 

 書簡の冒頭でグレック事務局長は、教皇パウロ6世が自発教令でシノドスを創設されたことにに遡り、「シノドスは、世界の司教団を『全世界の教会に対するペトロの特権である配慮』に参画させる、という公会議の父たちの要請に応えるために設立しました」とし、パウロ6世が教会に「全世界の司教とローマ教皇との間の結束と協力を促進し、神の民にとって決定的に重要な問題や疑問について助言をもって教皇を補佐する能力を備えた『全司教団を代表する中核的機関』の機能を与えたのです」と説明した。

*シノドスは教会活動の刷新に貢献した

 

 シノドス創設後、これまでに16回の通常総会、3回の臨時総会、11回の特別総会が開かれてきたが、事務局長は「歴代教皇が各総会で策定された提案や最終文書を受け入れ、それらを基に教会に向けた総会後に、使徒的勧告を発出され、教会活動の刷新に大きく貢献しました」と述べた。

*教皇フランシスコによるシノドスの重要な進化

 

 またこの60年間に、シノドスは、重要な進化も遂げたが、「これは歴代教皇、特に、教皇フランシスコが「司教会議を司教たちの集会に限定された行事から、段階的なプロセスへと変革し、教会全体が参加する場とすることを望まれ、実践された功績によるもの」。具体的に、第一段階として神の民との(小教区、信徒グループ、教区レベルの)協議が行われ、続いて司教協議会、大陸別総会、そして2023年10月と2024年にローマで開催された通常総会による様々な「識別」段階が実施されたことを実績として説明した。

 それ以前に、「教皇フランシスコはこれ以前、2015年10月にパウロ6世ホールで行われた司教シノド設立50周年記念演説で、この変革の兆しを示され、シノドスを”単発の行事”から”継続的プロセス”へ転換する条件を提示された。これは『相互的な傾聴』。一般信徒から司教団、ローマ教皇に至るまで、互いに耳を傾け合い、聖霊に耳を傾けること。教皇の言葉が2018年9月15日に公布された使徒憲章『司教の交わり(Episcopalis Communio)』の着想源となりました」と事務局長は述べた。

*教会における交わりを達成するのはsinodalityの実践だ

 

 グレック事務局長は書簡で、「近年の経験が、教会における交わりを達成するための特権的な道は、sinodalityの実践だ、ということを示しています。第16回通常総会で初めて導入された二つの会期にわたる会議で、私たちは、こうした進め方の素晴らしさと力を体験しました。聖霊が教会に語っていることに耳を傾け、互いに聴き合うことを学びました」と強調。

 これは「教会的識別」の段階を経て、最終文書の作成と採択によって締めくくられた「感動的な旅路」であり、教皇フランシスコはこれを「直ちに承認し、通常の教導権の一部として教会に授けられたのです… これらすべての出来事を振り返ることは、シノドス事務局にとって大きな喜びであるとともに、sinodalityの経験と理解においてさらなる前進となるよう、”シノドスの道”の第三段階に全力を尽くすよう招くものなのです」と述べている。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年9月18日

(読者投稿)菊地司教「シノドスの道の今後について」を読んで—「バチカン指示待ち症候群」から脱しなければ

菊地司教が表題の文書を7月16日に発表しました。(カトリック中央協議会ホームページ参照)読んだ直後、とても失望しました。カトリック司教協議会会長・枢機卿そしてシノドス特別チームメンバーである方が、この程度のことしか書けないのか、と情けなくなりました。ひと言で言えば「バチカン指示待ち症候群」です。これでは日本において「シノドスの道」が進んでいないのは当然です。更に日本の福音化が遅れているのも必然です。

 この文書全体を図式化すると、「バチカンの文書発表→日本語訳→聖職者の勉強会→信徒への指示」のようです。今回のシノドスが意図したことと真逆の方法です。

・全体としてバチカンの指示待ちになっていること。日本においてシノドスをどのように推進していくのかというビジョンがないから、そうなるのでしょう。

・文書の翻訳に時間をかけすぎて、そのために後手後手になっていること。日本の指導者たちは(”公式”の)翻訳が出ないと、何も発言できないようです。シノドス最終文書については、愛読している「カトリック・あい」では発表から一か月以内、昨年11月半ばから翻訳文を掲載していますが、お読みになってもいないのでしょうか。”公式”訳は、今月になってようやく、送料込み880円で発行しました。この8か月の間、シノドスについて司教団の沈黙と不作為が続きました。

・今回の菊地文書は、単なる経過報告です。シノドスの「今後について」何ら指針にはなっていません。指針を出す気力も能力もなさそうです。

・「具体的な取り組みに関しては、司教と担当者向けに勉強会を行い」とあります。勉強会を否定するつもりはありません。行動と並行しなければ、ただのお勉強です。対話を含めた行動から知恵が出てくはずです。信仰の感覚は、知識の積み重ねで養われるものではありません。しかも聖職者の勉強会を最初に行うというわけです。聖職者が得た知識を信徒に伝えることが司牧活動なのでしょうか。教会の中心に立つのは聖職者であるという従来の教会像に依り、そこからのトップダウン方式です。

・「シノドス特別チーム」は、これまで「チーム」としてどのような活動をしてきたのでしょうか。活動記録がどこかに報告されているのでしょうか。特にチームの中にたった1名の信徒がいますが、その方の意見を伺いたいものです。

・その後は「それぞれの教区で・・・取り組む」そうですが、これでは各教区への丸投げです。何のための「特別チーム」でしょうか。この「特別チーム」は各教区でシノドスにどのように取り組んできたのか実情を把握していません。調査をやろうと思えば今でもできるはずです。

・文書には「ロードマップ」なるものが示されています。3年間を三期に分けて、理解・取り組み・評価の3項目を当てはめています。それぞれの期において、何をやるのか具体性が全くありません。第一期における解説書を準備中とのことですが、9月上旬に公表予定であれば、概要は出来上がっているはずです。今すぐ公表できるはずですが、それをしません。ロードマップと銘打っていますが、ただのスケジュールのメモ表にすぎません。

 今回の文書は筆者が複数の方々の意見を参考にして、熟慮して書いたものではなさそうです。特別チームには、シノドス遂行の熱意も実行力もありません。彼らに任せたままでいると、日本のカトリック教会は、ますます衰退するでしょう。このような指導者に抗うのは困難ではありますが、志のある信徒・修道者・司祭たちによる下からの改革が必要です。

(2025.7.20記 南の信徒)

 

 

2025年7月20日

・日本の司教協議会会長が「2028年10月までの”シノドスの道”の今後について」

(2025.7.17  カトリック・あい)

 バチカンのシノドス事務局が7月7日、「Pathways for the Implementation of the Synod:2025₋2028(シノドスの実施のための道筋:2025年から2028年)」と題する文書を、教皇レオ14世の承認を受けて発表。「カトリック・あい」では、翌8日から、同記事と共に、文書の要約版、シノドス事務局次長のVatican News とのインタビュー、およびCruxの評論を日本語訳で掲載しているが、日本の司教協議会会長で”シノドス特別チーム”担当の菊地・東京大司教が16日、カトリック中央協議会ニュースに、以下の文面を掲載した。全文次の通り。

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日本の教会のみなさまへ 2025年7月14日 シノドス特別チーム担当 菊地 功・日本カトリック司教協議会会長・東京大司教

 昨年(2024年)10月末に閉会したシノドス(世界代表司教会議)第16回通常総会は、「最終文書」を発表し、2021年から全世界の教会で、話し合い、学び合い、分かち合い、祈り合ってきたシノドスの道を、続けていくことが確認されました。なお最終文書は邦訳が整い、製本された書籍として発売されますが、その邦訳テキストは今後、教皇庁シノドス事務局公式ホームページにも掲載される予定です。
また今年3月15日付けで教皇庁シノドス事務局長グレック枢機卿様から、2028年10月に開催が予定されている「教会総会」に至るまでの道程について、教皇フランシスコの裁可を得た文書、「シノドスの実施段階における同伴の歩みに関する書簡」が発表されました(邦訳は中央協議会ホームページ)。
同文書にはその2028年の教会総会に至る道筋についての指示の文書が、今年の5月に発表されると記されていましたが、その後、教皇フランシスコが帰天され、新教皇レオ十四世の選出などの出来事が続いたため同文書の公表は遅れ、先般6月26日開催のシノドス事務局通常評議会で承認され、教皇レオ十四世の裁可を経て6月29日に公表されました。これについては現在邦訳を進めています。
また教皇フランシスコが設置された10の特別研究部会は、その報告を6月末に行うことになっていましたが、教皇レオ十四世は「さらに検討が必要である」として、「結論を年末までに行うように」と指示をされています。
これら一連のシノドス事務局からの文書を踏まえ、今後日本の教会においても、それぞれの教区、また小教区、修道院などの共同体で、「共に歩む」教会を目指して取り組みを継続していきたいと思います。概要は以下の通りですが、具体的な取り組みに関しては、今後、9月初めに全国の教区の司教と担当者向けに勉強会を行い、それぞれの教区で実情に応じて取り組んでいただきます。

 教皇庁シノドス事務局の提案とFABC(「カトリック・あい」注・「アジア司教協議会連盟 」)の指示を受けて、日本のシノドス特別チームは、概要で以下のようなロードマップと取り組みを考えています。

日本の教会のロードマップ(行程表)
2028年の「教会総会」に向けて以下のようなプロセスを踏みたいと考えます。

①2025年6月からの1年間 最終文書についての理解を深める期間。②2026年6月からの1年間 各教区、各分野で具体的に取り組みをする期間。③2027年6月からの1年間 各レベルでの評価を行う期間。

 「最終文書」に記されていることについて具体的にどのような選択をするのかは、それぞれの共同体が置かれている社会の現状や生きているコンテキストによって異なっています。しかし私たちの教会がどこを向いて歩んでいるのか、どのような困難を抱えているのか、そういうことを共有しながら、共に歩み、共に祈り、共に識別するすべを身につけることは重要であると思います。そのためにも、まず「最終文書」の理解を深める勉強会から始めていきます。
シノドス特別チームでは、2025年9月4日に大阪で、司教団と各教区の担当者を対象に、また9月8日には中央協議会で職員研修の一環として、折から訪日中のオロリッシュ枢機卿(今回のシノドス総書記)による日本語での講演を含めた「最終文書」の勉強会を行います。その後、各教区の担当者を通じてそれぞれの現場で、同じような勉強会が行われ、今回のシノドスが考えたこと、提示したことが、教会全体に浸透していくことを期待しています。
同時にそのための手段の一つとして重要な、「霊における会話」の研修も、これまで通り続けていきたいと考えています。
またシノドス特別チームでは、現在、「最終文書」を学び深めるための手引きとなる簡単な解説書を準備中です。これは9月に最初の勉強会を開催するまでには公表できる予定です。

 日本の教会は、1980年代以降、「共に歩む」ことを目指してきました。これからも多くの兄弟姉妹と「共に歩む」教会となるために、そして「宣教する」教会となるために、普遍教会の歩みに合わせながら取り組んでいくことが大切です。

 日本の教会のみなさまの、ご理解とご協力をお願いします。

 

2025年7月17日

(評論)教会は”国際企業”ではない、シノドス事務局は”ビジネス会議”が大好きなようだ(Crux)

(2025.7.9 Crux Managing Editor  Charles Collins)

*シノドス事務局は、教皇フランシスコの”警告”を聞いていなかったのか

 バチカンのシノドス事務局が7日、シノドス(世界代表司教会議)第16回総会の最終文書をもとにした実施文書を発表したが、それを読んで、教皇フランシスコが数年前に語られた「教会は、『”自社製品”をいかに売るのが最善かを入念に研究する経営者が率いる多国籍大企業』ではありません」という言葉を思い出した。

 フランシスコは2021年11月13日、記者団との会見で「教会は、自らのプロジェクトに基づいて自らを構築することはなく、前進するための力を自ら引き出すこともなく、”マーケティング戦略”によって生きることもない 」とも語っていた。シノドス事務局が発表した文書を読むと、フランシスコのこの発言のメモを事務局が受け取っていなかった印象を受ける。

 

*”シノドスの道”は昨年10月のシノドス総会で終わったのでは?

 「シノドス2025-2028の実施段階における道筋」と題されたこの文書は、フルカラーで引用、その他の装飾が施された24ページにも及ぶもので、世界の現地の教会に提供される「検討のための枠組み」と説明している。だが、こう考える人がいても不思議はないかも知れない— 「待てよ、これまで3年間の”シノドスの道”の歩みは、シノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議総会が終了した昨年10月で終わったのではなかったのか?」。

 3年間のプロセスは2021年に全世界の教区レベルから始まり、2022年に終了した。その年に大陸レベルが始まり、2023年に終了した。2023年には、10月にバチカンで3週間にわたる世界代表司教会議の第16回総会第一期が、2024年にも数週間にわたる同総会第二期が開から、これですべての歩みが終了するはずだった。しかし、今年の初めに、2028年までさらなる段階が行われることが発表された。

 教皇フランシスコが病院で治療を受けている間に発表されたこの新しい3年間のプロセスに先立ち、事務総局は「道筋」文書を発表している。

 7日に発表された新文書は、「実施段階は、正当な多様性を尊重しながら、そのカトリック性を顕現させ、一つの教会の中で地域教会の交わりを促進する賜物の交換を維持する機会である 」と述べ、「シノダリティを実践する新しい方法を鼓舞し、宣教の実りを高める創造性は、これらの相違から生まれる。このため、異なる文脈で得られた経験の成果は、教会間の対話を育みながら、共有される必要がある」と言明。

 「それゆえ、実施段階においては、FDに基づき、各教会において、また各教会間において、新たな対話のプロセスが始まるのである。(2024年世界代表司教会議総会の最終文書は、事務総局の新しい『道筋』文書全体を通して『FD』と呼ばれている)。

*「道筋」文書には”バチカン語”が氾濫、現地の教会に会議の急増が押し付けられる

 教皇フランシスコは正しかった。教会は多国籍企業ではない。だが、シノドス事務局は、多国籍企業のオフィスライフの最悪の部分を愛しているように見える。まず、物事を説明するのに不必要な言葉を使っている。先ほど引用した最初の段落は、同じ調子で長々と続いているが、実際には何も言っていないのと同じだ。

 公平を期すために言っておくと、”バチカン語”は悪名高い言語だ。内部で「教皇語」と呼ばれるこの言葉は、それを書く人たちでさえも、「うるさい」と誰もが認めている。いや、事務局の下で行われるシノドスの最悪の側面は、現在、そしてしばらくの間、世界中の現地の教会、教区に押し付けられている事務局会議の急増である。何が待ち構えているのか:

  • 現在から2026年12月までは、現地教会とそのグループでの活動が実施される;

  • 2027年の前期には、教区と大教会で評価集会が行われる;

  • 2027年後期には、国内外の司教協議会、東方諸階層機構、その他の諸教会グループにおける評価集会が行われる;

  • そして2028年の最初の4ヶ月には、大陸の評価集会がある;

 そして2028年10月、バチカンで開かれる教会会議の総会ですべてが終わる。

 今から1700年前、325年の第1回ニカイア公会議の教父たちは、イエス・キリストの神性を宣言し、イースターの日付を定めるのに3か月もかからなかった。私たちは”シノドスの道”の歩みを4年間続けてきた。シノダリティ(共働性)とは何なのかについて、その主要な主催者たちから、シンプルでわかりやすい声明、いわば作業上の定義をいまだに聞くことができない。

*肝心の「シノダリティ」の定義が、いまだにはっきり理解されていない

 バチカンの公式報道機関は、シノドス事務局次長のシスター、ナタリー・ベカーにシノダリティの定義を尋ねた。彼女は、まず昨年のシノドス総会の最終文書を紹介し、次に総会参加者だったオーストラリアの神学者オーモンド・ラッシュの「シノダリティとは一言で言えば第二バチカン公会議である」という言葉を引用し、シノドスのロゴのキャッチフレーズとなっている三重の流行語—「交わり、参加、使命」を引用した。

 そして続けた。「私たちは、第二バチカン公会議受容の現段階において、シノダリティが第二バチカン公会議の教会論を理解する方法であると言うことができます」とベカー次長は語った。「つまり、第二バチカン公会議の受容を継続することに他ならない。公会議は、ある意味、まだどこでも実施されているわけではない。だから、そういう理解でいいのです」。

 さらに彼女は「もう一つの方法は、これも簡単な方法だが、私たちのロゴに言及すること。 聖体拝領、参加、使命です。そして、『シノダリティ』とは、教会がより宣教的に、より参加的になるのを助ける方法であると言えます。つまり、シノダリティは、私たちの使命をよりよく発揮するために、神が今日の教会に求めておられるあり方なのです」と語った。

*行き着く先は「会議による死」か

 2028年まで開催される一連の会議で、この問いに対する真の答えを得ることは不可能ではないと思われる。そこで、シノダリティに関して教会が直面している次の多国籍企業のような問題に行き着く。それは、 「会議による死 」である。

 米国で行われた新しい調査によると、企業などの組織で働く人の76%が、いくつかの会議がある日は「消耗している」と感じると答え、78%が「会議のせいで、与えられた仕事を実際に達成することができない」と答えている。

 会議が企業や教会の参加者に強い緊張をもたらすのは、たとえ何も述べられていなくても、また特に明確に否定されていても、従業員や信徒たちが「期待された結果がある」と感じるからである。会議もまた、実際にそのようなことが大好きで、議題がどうであれ、どんなことでも最終的に自分の気持ちを話す機会を受け入れる少数の人々によって支配される傾向がある。

 ほとんどの人は、必要な会議でさえも好きではない。日程の都合をつけたり(あるいは弁明したり)、緊急に仕事を片付ける必要性を見つけたり、病欠の日を作ったりすることはすべて、古くからある会議回避の戦術である。

 しかし、ベカー事務局次長はバチカン・メディアに対し、今度の会議を避けるのは難しいだろう、と語った。「カトリック学校、カトリック大学、青少年宣教、カリタスのような慈善団体において、シノダリティを実施することは、シノダリティの教会を望むのであれば、非常に重要なことです。そして、彼らはすでにシノドスやその実施に深く関わっており、宗教的共同体もまた、シノドスへの呼びかけを真に受けているのです」と強調した。

 あなたは「警告」されているのだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年7月10日

・「シノドス(世界代表司教会議)総会の成果を実践する、世界の教会にとって極めて重要な段階は始まっている」—事務局次長が会見

Sister Nathalie Becquart, Undersecretary of the General Secretariat of the SynodSister Nathalie Becquart, Undersecretary of the General Secretariat of the Synod  (Catholic News Service)

(2025.7.7 Vatican News Christopher Wells)

   バチカンのシノドス事務局が7日、「シノドスの実施段階のための道筋:2025₋2028」を発表したが、同事務局次長のシスター・ナタリー・ベッカールが同日、Vatican Newsのインタビューに応じ、「この文書は現地の教会とシノドス事務局の対話を促進し、教会間のシノドス体験の交換を推進することを目的としています」と述べ、シノダリティ(共働性)に関するシノドス(世界代表司教会議)総会の成果の実施段階について説明。シノダリティの意味とシノドスの受容などについて語った。一問一答は以下の通り。

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問: シノドス事務局が発表したこの文書にある「実施段階」について、簡単に説明してください。

答:実施段階は、2024年10月に閉幕したシノドス(世界代表司教会議)第16回総会の閉幕直後に始まっています。”シノドス”の実施—この総会の成果を実践に移す—という、極めて重要な段階です。

 またシノドスの最終文書は、教皇フランシスコが直接承認され、それは、教導権の執行を意味し、多様な世界の現地教会の文脈において、創造性を持ってその成果を実践に移すことが求められているのです。最終文書は、”棚に置いておく”だけでは不十分であり、現地のそれぞれの教会が最終文書の推奨事項をどのように実践するかを判断し、取り入れる必要があります。

 

 

問:  実施段階には定められた期間があるのでしょうか、それとも、期限は定めないのでしょうか?

答: 期限は定めませんが、シノドス事務局が前教皇フランシスコ、そして減教皇のレオ14世の承認を得た計画では、実施段階を支援するための3年間の枠組みが設定されています。現在、私たちはこの段階にあり、2028年10月までいくつかのステップを踏みながら進め、ローマで教会会議を開催し、実施段階の成果を共有し、評価を行う予定です。このプロセスは、教区レベルでの集会から始まり、国レベル、大陸レベルでも展開されます。

 現在、私たちはこの段階にありますが、教会全体、すべてのレベルでシノダリティ(共働性)を実施するのに時間がかかることは承知しています。しかし最も重要なのはプロセスであり、段階的に進めることです。最も重要なのは前進することです。その道筋は、より多くの指導や実践的な助言を必要とする人々を支援するためのものです。しかし、シノドスの最終文書が発表されて以来、既に多くの人がこのプロセスを開始しています。

 

 

問:  多くの人々は、いまだに「シノダリティとは何ですか?」と質問するかもしれません。一部の人は特定の意図をもって質問するかもしれませんが、多くの人は真摯な気持ちでこのような質問をしています。「シノダリティとは何ですか?私たちは何に召されているのでしょうか?」と尋ねられた場合の「シノダリティ」の基本的な定義を教えていただけますか?

答:シノドス第16回総会の最終文書に既に定義されています。最終文書の28項には「シノダリティは、キリスト者とともに、神の国に向かって、全人類と一致しながら共に歩むことであり、福音宣教を志向し、教会生活のさまざまなレベルで集い、互いに耳を傾け、対話し、共同体としての識別を行い、聖霊のうちに現存するキリストの表現としてのコンセンサスを形成し、差異化された共同責任において決定を下すことである」(「カトリック・あい」訳)と書かれています。

 また、2つの異なる方法で理解することも可能です。一つは、シノドス総会に参加したオーストラリアの神学者、オームンド・ラッシュ師が述べたように、「シノダリティは第二バチカン公会議の要約である」ということです。私たちのすべての文書、そしてこれらの道筋、最終文書においても、私たちがやっているのは第二バチカン公会議のビジョンに基づいていることが強調されています。シノダリティは、第二バチカン公会議の受容のこの段階において、その教会論を理解する道筋であると言えます。つまり、それは第二バチカン公会議の受容を継続する以外の何物でもありません。なぜなら、公会議はいまだにすべての場所で完全に実施されていないからです。これが理解の仕方の一つです。

 もう一つの方法、これも簡単な方法ですが、私たちは、三つのキーワードー共鳴、参加、使命—を強調しています。シノダリティは、教会がより宣教的でより参加的なものとなるのを助ける方法です。したがって、シノダリティは、神が教会に今日呼びかけている、私たちの使命をよりよく果たすための方法。つまり、本来の「教会」であるための方法です。

 これは、初期の教会から第二バチカン公会議を通じて取り戻された方法であり、まず第一に、私たちは皆洗礼を受けた者であり、神の子として共に洗礼を受けた者として、共に使命を遂行するよう召されていることを強調するものです。したがって、すべての洗礼を受けた人が使命の主人公となるよう呼びかけています。私たちは共に働くこと、使命に対する共同責任を果たすことを理解するよう促されています。もちろん、私たちは同じ召命を持っていないため、共同責任は多様です。召命、賜物、奉仕の多様性があります。しかし、私たちは神の民として、互いに共に歩む人々です。

 したがって、シノダリティを二つの意味において理解する必要があります。一つは、キリストの兄弟姉妹として教会である方法。もう一つは、他者と共に働くことで教会である方法です。したがって、これはシノドスの最も重要な成果の一つであるエキュメニズムと密接に結びついています。また、宗教間対話、社会との対話、すべての人々との対話とも結びつき、特に貧しい人や社会から疎外され、軽視されている人々の声を聴くことの重要性を強調し、すべての人々と協力して福音宣教を行う歓迎する教会であることが求められています。

 

 

問: 『シノドスの実施段階のための道筋』について、その目的と、この文書で達成したいことを簡単に説明していただけますか?

答*この文書は、いくつかのシンプルな質問に答えることを目的としています。

 まず第一に、シノドスの実施を現地レベルで支援することです。同時に、私たちが「贈り物の交換」と呼ぶ、現地の教会間の交流を促進することです。この「贈り物の交換」という概念は、最終文書の中核的な概念であり、シノダルの教会の核心的な概念です。この概念は、神の民の成員、教会の成員間の贈り物の交換に適用できます。私たちは皆、与えるものがあり、受け取るものがあります。しかし、これはまた、地方教会間の贈り物の交換の重要性を理解するものでもあります。

 グレック枢機卿やルイス司教をはじめ私たちシノドス事務局は、多くの地方教会の”シノドスの道”の歩みを支援するために、多くの旅をすることができました。そして、私たちの教会の美しさが見えてきます。私たちは一つの教会ですが、状況、文化、文脈の多様性を通じて一つです。したがって、多様な文脈で使命を生き、祝う方法、福音宣教を行う方法は、文化によっても形作られます。

 現地のそれぞれの教会には独自の歩みがありますが、孤立してはなりません。この文書は、単なる地方教会のシノダル(共働的)な転換を単独で行うのではなく、異なる地方教会が協力して働くことが非常に重要であることを強調しています。

 文書は、地方教会にもっと大きく重点を置くよう呼びかけていますが、同時に、地方教会間のこれまでよりももっと緊密な対話の重要性を強調しています。これは、管区レベル、教区間、司教協議会(通常は国単位)、そして大陸レベルなど、さまざまなレベルで行われるものです。

 この文書は、”シノドスの道”の歩みの成果を地域レベルで他者と共有することが重要であるという概念を明確にするのにも役立っています。そのため、教皇フランシスコが承認し、教皇レオ14世も承認した次の段階の計画では、異なる段階が強調されています。教区レベル、国レベル、大陸レベルでの集会を実施し、最後にローマで教会会議を開き、現地のそれぞれの教会と共働体性を確保します。

 

 

問:  実施段階は非常に具体的です。世界中の現地の教会だけでなく、個々の洗礼を受けた信徒—私たちは皆、このプロセスの一部として召されている—が、これまでの”シノドスの実施にどのように貢献できるか、具体的な提案をいくつか提示いただけますか?この文書を読んだ人が「どのようにしてシノダリティの旅のプロセスに参加できるか」と考えた場合、最初のステップは何でしょうか?

 まず、この文書は重要な文書ですが、実施段階を始める最良の方法は、シノドの最終文書を読むことです。それがこの実施段階の指針です。

 したがって、これらの道筋は、シノドスの最終文書に深く入り込み、それを慎重に検討し、聖霊から来る創造性をもって、地域レベルでどのように実施するかを考えるためのツールのようなものです。なぜなら、世界中の人々に対して一つの方法だけがあるわけではないからです。

 実施段階に参加すべき人々を強調することは非常に重要です。当然、その第一の責任者は教区または教区長です。しかし、誰もが役割を果たす必要があり、司教一人だけでできるものではありません。そのため、各教区と各司教会議にシンodalチームを設置するよう求めます。既に多くの教区や司教会議では、司教と共に前進する方法を検討するシンodalチームが設置されています。

 彼らは重要な役割を果たしますが、先ほど述べたように、すべての洗礼を受けた信徒は、このシノドスの受容と実施の主人公として呼びかけられており、コミュニティ内でイニシアチブを取ることができます。もちろん、常に司牧者との対話の中で行うことが重要です。

 また、教会の団体(グループ)の役割も強調しています。先ほど述べたように、それは教区管区、司教会議、大陸規模の組織(例えばアジアのFABCやラテンアメリカのCELAMなど)であり、既に大陸規模のシノドスチームが司教会議の旅路を支援するために活動しています。

 したがって、私が常に強調するように、誰も一人ではありません。共に取り組む必要があります。それぞれが自分の責任を果たすことが重要です。

 したがって、これはもちろん、教区や司教区でできることだけではありません。教会組織のあらゆる形態にも及ぶのです。例えば、シノダリティを実践する教会を目指すなら、カトリック学校、カトリック大学、若者牧会、カリタスなどの慈善団体でも重要です。これらの団体は既にシノドスと実施に深く関与しており、シノダリティの呼びかけに応えている宗教共同体も存在します。このように、教会の多様性全体が重要です。

 

 

問: あなたが繰り返し用いた言葉の一つに「受容」があります。人々は「受け入れる」という意味を一般的に理解しているかもしれませんが、バチカン第二公会議やシノドスを受け入れるという概念には、神学的な深みがあります。受容とは何を意味するのでしょうか?

答:公会議やシノドスがある時、それは神の呼びかけを 識別、真理を求めることなのです。教会のはじめから、シノドスや公会議は、特に時には対立がある場合、特定のテーマや問題に対処し、真実に至るために招集されてきました。私たちは、聖霊が私たちに語りかけ、呼びかける方法は、調和をもたらすことだと認識しています。

 そして、各会議やシノドスの終わりには、ある意味、文書が採択されます。通常は投票が行われますが、既に合意が形成された段階でです。ここで、最終文書[パラグラフ28. -編]に記された「シノダリティ」の定義を引用する必要があります。合意の概念は非常に重要です。参加者は——シノドス総会でその働きが見られたように——深い霊的、人間的、教会的な経験を積み、その後、シノドサリティの宣教師となります。

 しかし、前進の方向として見極められたものが、現場で受け入れられなければ——歓迎され、受け入れられなければ——、少数の人々が受け入れたり、文書として残るだけでは不十分です。したがって、受容の概念は、まさに…「抱きかかえる」と表現できる、評議会やシノドスを通じて見出された成果と目標、そして道筋を抱きかかえることです。通常、教会の歴史において、例えば、ある公会議を受け入れるのにほぼ100年や150年かかることが示されています。

 具体的な例を挙げて説明しましょう。トリエント公会議が招集された際、重要な議題の一つは司祭の養成でした。この公会議から生まれたのは、現在私たちが知るような神学校での司祭養成を組織化するアイデアでした。しかし、一部の国では、この公会議の勧告を実際に受け入れて実践するまでに100年以上かかったのです。

 私たちにとって、この「受容」という神学的な概念は、第二バチカン公会議の啓示のビジョンが、神が受動的な人々に対して教える教師のような存在であるというだけでなく、 神が友人のように私たちと対話する、という考えです。したがって、受容は「信徒の積極的な参加」という概念と結びついています。神からの贈り物を受け取るための、信徒の積極的な参加です。

 この概念は、公会議やシノドスの受容のビジョンにも適用できます。洗礼を受けた人々は、受容の主体として召されているのです。したがって、シノドスの成果を実践し実現するためには、地方教会における神の民の積極的な受容と積極的な参加が必要です。

問: フランシスコ教皇は確かにシノドスに関するシノドスに推進力を与え、その大いなるイニシアチブを提示されました。今後、私たちは、おそらく神のご計画により、新しい教皇、レオ教皇を擁しています。レオ教皇は最近、シノド事務局と会談されました。レオ教皇の下で、教会におけるシノダリティがどのように進展していくとお考えですか?

答;レオ教皇が選出された当初から、彼は様々な演説や方法で、私たちはシノダリティのある教会でありたいと強調してきました。彼はシノダリティの重要性と、このシノダリティの旅を続ける決意を本当に強調してきました。

 そして、私にとって、フランシスコ教皇が亡くなった時、神の民の多様性を持つ人々がすぐにフランシスコ教皇に敬意を表しに集まったことに、深く感動しました。つまり、フランシスコ教皇が亡くなった時、彼の顔を通じて、彼が人々とのつながり、人々との絆をすぐに感じることができました。バジリカでは、彼に敬意を表すために集まった人々の多様性が目立ちました。非常に貧しい人々、子供連れの家族;私がいた当時、イスラム教のイマームが祈りを唱え、正教会の司教、あらゆる人生を送る人々、車いすから立ち上がろうとする障害のある人々、あらゆる大陸から集まった人々。

 フランシスコ教皇の葬儀では、言葉なしで、教会のビジョンが明確に示されました。それは、そこに集まった人々の多様性を通じて表現されました。カトリック教徒だけでなく、多くのエキュメニカル代表、100人を超える他の宗教の代表者、大統領、政治家、社会の多様性が集まりました。

 レオ教皇がバルコニーに現れた時、同じことが起こりました。群衆がそこにいて、彼はすぐにその群衆とつながりました。したがって、教皇フランシスコとレオ教皇を通じて、人々との深い絆がすぐに感じられます。これは、就任ミサでも同じでした。ある意味、私たちはシノダリティが実践されているのを観察したのです。

 レオ教皇の興味深い点は、彼がペルーの司教だった頃、シノドスを開始したことです。彼は司教として、自身の教区で聴取段階、相談段階を実践しました。彼は非常に積極的に関わっていました。その後、彼は大陸会議が開催されていた時期にローマに到着し、参加しました。彼が初めてここに来たのは、総会のための『instrumentum laboris』を起草していた時で、私たちはすべての長官に私たちと対話するよう要請しました。その後、彼は2023年10月の総会に司教省長官として参加し、2024年10月にも参加しました。さらに、2つの研究グループにも参加しました。このように教皇レオ14世は、シノドス総会に初めから関わって来られました。

 そして、彼のリーダーシップのスタイルは、深い霊性を持って真摯に聴き取る点で、本当に類似しています。なぜなら、シノダリティは私たちの中から始まるからです。まず第一に霊的な態度ですが、それは構造や具体的な行動に反映されなければなりません。

 そのため、私たちの『シノドスの実施段階のための道筋』は、最終文書の前半で強調されている個人の回心やシノダリティの霊性の重要性を指摘するだけでなく、意思決定機関で取り組むべき具体的なステップにも目を向けるよう求めています。

 例えば、教区評議会や教区牧会評議会のような評議会の設置などです。そして、これからは——そして私はこれが継続すると考えます——教皇レオは、シノダリティとその重要性について語るだけでなく、既にこの形になる前にそれを実践していました。そして、彼は既に教皇としての務めをシノダリティのスタイルで果たしています。シノド事務局に赴いた際、私たちは既に彼と良い対話を交わしていました。

問: 何か見落とした点や追加したい点はありますか?

答*もし可能なら、追加したいことがあります。なぜなら、”シノドスの道”の始まりから聖霊がもたらしたものを理解するためにも、重要だと思うからです。シノダリティを正しく理解すれば、それはまさに今日、教会がより宣教的な教会となるための神の呼びかけだからです。このプロセス全体は宣教を目的としているからです。シノドス総会での主な質問は、「宣教におけるシノダリティ的な教会とは何か」に関するものでした。

 そして、この文書で強調しているのは、「私たちがやっていることが、本当に宣教に焦点を当てている」ということです。そして、より良いシノダリティのスタイルを実践すれば、宣教においてより多くの実を結ぶでしょう。そうすれば、教会は福音宣教をよりよく宣べ伝え、信仰を伝え、人々を愛し、仕えることができるでしょう。なぜなら、それが教会の使命だからです。

 そして、既に実施段階は始まっていることを強調したいと思います。なぜなら、先ほど述べたように、多くの人々は、この文書を待たずに既に始めているからです。そして、この文書を通じて、より多くの人がこのシノダリティの旅を続けることを願っています。また、シノダリティの実現状況について、地方教会での実施状況の概略を述べると、既に多くの司教会議や大陸機関、宗教生活のための国際連合会や他の国際的な運動団体などが、シノダリティチームを設立しています。私たちは、より多くの団体がこれに続くことを願っています。

 創造性を持って、国家委員会チームや教区レベルで活動しています。また、一部の教区では新たな役割を創設しています。例えば、シノダリティ担当の総代理や、シノダリティ実施担当の女性信徒を任命し、チームと協力して活動しています。多くの場所で、シノダリティが機関の構造に組み込まれていると言えます。

 次に、多くの教区が、地域レベルでのシノダリティの実施方法を検討するため、教区シノドスを組織しています。例えば、オーストラリアでは、全教区会議(Plenary Council)を開催した後、シノダリティに関するシノドスを実施しました。現在、ほぼすべての教区が、全教区会議とシノダリティに関するシノドスの成果を教区内で実施するため、教区シノドスを実施しています。または実施中です。

 世界中の他の教区では、教区シノドスを実施するだけでなく、シノダリティ集会やシノダリティプロセスも実施しています。例えば、コートジボアールのアビジャン大司教区では、牧会年のテーマを「シノダリティを実践する教会を導く」と決定し、牧会年の終了時に評価を実施しました。多くの成果が強調されており、非常に興味深い事例です。

 このようにして進められています。シノダリティに関する司牧書簡を書く地方の司教たち、例えば現在ミラノ教区で発表された牧書や、他の多くの地域でも同様の取り組みが行われています。

 多くの教区では、異なるカテゴリーを対象にした実施日を開催しています。例えば、司祭や牧会者、または異なるカテゴリー、あるいは全員を対象にしたものもあります。

 一部では、シノドの最終文書を自教区で実施するためのvademecum(手引き)を既に作成しています。これは非常に興味深い取り組みです。

 もう一つの分野で多くの取り組みがあるのは、シノダリティに関する形成と教育です。現在、シノダリティの永久的な学校がいくつか存在しています。例えば、フランス語圏のアフリカでは、シノドに参加した修道女が第一回総会後にシノダリティの学校を設立し、現在最終文書を本格的に取り上げています。また、カトリック女性組織の世界連合のような団体もシノダリティの学校を設立しています。大学でも、シノダリティに関するコースや学校が設立され始めています。神学や学術の世界では、研修コースや新しい部門の設立が数多く進んでいます。例えば、シノダリティ部門が設立されたり、博士号の論文や研究テーマにシノダリティを扱う学生が増えています。そのため、出版物や研究も増加しています。多くのプログラムやワークショップが開催されています。

 また、教育や教育方法に関するプロジェクトでも興味深い取り組みが進んでいます。例えばフィリピンのカトリック学校では、シノダリティの原則を統合したマニュアルや書籍を発行しています。

 さらに、創造的・文化的イニシアチブもあります。世界の一部では、シノダリティをテーマにしたコンサートを企画し、合唱団や人々にシノダリティに関する歌や賛美歌を創作させ、最終文書を音楽に翻訳してコンサートで披露する取り組みが行われています。

 また、霊的観点からのイニシアチブも多く、シノダリティをテーマにした霊的演習や、このような多様な取り組みが展開されています。

 最後に強調したい点は、シノドスに非常に強いエキュメニカルな次元があり、兄弟的な代表者が参加したこと、そして多くの他の教会が現在も対話を促進し、シノドスの経験を共有していることです。また、一部の国では、内部の宗教的対話を通じてシノドスを強調し、反映させる取り組みも行われています。

 この多様な取り組みと創造性が、聖霊が既に働いている姿です。私たちはシノドスウェブサイト「シノドス・リソース」でこれらを共有し、他者を刺激するためですが、単に「コピーアンドペースト」するのではなく、それぞれの文脈でシノダリティの転換をどう進め、シノドスの最終文書を実践するかを 識別 することが重要です。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年7月8日

・シノドス事務局の「シノドス実施段階への道筋:2025₋2028」の構成と内容の要約

(2025.7.8 カトリック・あい)

 バチカンのシノドス事務局が7日に発表した「シノドス実施段階への道筋:2025₋2028」の概要と内容の要約は以下の通り。(試訳「カトリック・あい」南條俊二)

「シノドス実施段階への道筋:2025₋2028」

  この文書は、シノドス事務局が通常評議会の承認を得て作成し、教皇レオ14世の承認を得たものであり、シノドス(訳注・用語の説明が十分とは言えないが、世界代表司教会議=シノドス=第16回総会がまとめた最終文書に集約された”シノドスの道”の成果、を指すと思われる)実施段階における事務局の支援活動の一環である。

 文書には二つの目的がある。一つは、世界中の現地の教会に、共に歩むことを、より容易にする共通の枠組みを提供すること。もう一つは、2028年10月の教会総会に向けて全教会を導く対話を促進することだ。文書は、イタリア語(原文)のほか、英語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、ドイツ語の公式翻訳版も同時に発行された。

 この文書は、実施段階の概要を示し、最近数か月、事務局に頻繁に寄せられたいくつかの基本的な質問にも答えている。文書の構成は以下の通り。

1. 実施段階とは何か、その目的は何か?

2. 実施段階には誰が参加するのか?その任務と責任は何か?

2.1. 教区司教または教区司教の責任

2.2. シノドス・チームおよび参加団体の任務

2.3. 教会グループの役割

2.4. シノドス事務局の役割

3. 実施段階におけるFD(世界代表司教会議第16回通常総会の最終文書)との連携方法

3.1. 全体ビジョンの維持

3.2.具体的な実践への投資

4. 実施段階において、どのような方法とツールが私たちの道筋を形作るのに役立つのか?

4.1. 教会の識別

4.2. プロセスの設計と付随するシノダル(共働的)アプローチ

・・・・・・・・・・・・

(内容の要約)

1. 実施段階とは何か、その目的は何か?

 *シノドスの実施段階は、教会の使命を果たすために、すべての信者が責任を持って参加するプロセスである。この段階では、教会の新しい実践と構造を検討し、共同体の成長を促進する。

  • シノドスは教会の使命に奉仕するための形態である。

  • 教会の生活をよりシノダル(共働的)にするための新しい実践と構造を検討する。

  • すべての洗礼を受けた人々がこのプロセスに責任を持つ。

 *実施段階は、教会の生活をシノダルにするための新しい実践を探求し、信者の参加を促進することを目的としている。この段階では、教会の使命を効果的に果たすための具体的な方法を検討する。

  • 教会の生活をシノダルにするための新しい実践を探求する。

  • 信者の参加を促進し、共同体の成長を支援する。

  • 教会の使命を果たすための具体的な方法を模索する。

2. 実施段階には誰が参加するのか?その任務と責任は何か?

   2.1. 教区司教または教区司教の責任

 *地域教会は、シノドスの実施段階において重要な役割を果たし、すべての信者が参加できるようにする責任がある。特に、司教はこのプロセスを主導し、進捗を監督する。

  • 地域教会はシノドスの実施において重要な役割を果たす。

  • 司教はプロセスを主導し、進捗を監督する責任がある。

  • すべての信者が参加できるようにすることが求められる。

   2.2. シノドス・チームおよび参加団体の任務

 *シノドス・チームは、地域教会のシノダルな生活を促進し、信者の参加を支援するために設けられる。これらのチームは、教会の実施段階において重要な役割を果たす。

  • シノドス・チームは地域教会のシノダルな活動を促進する。

  • 信者の参加を支援し、適切なツールと方法論を特定する。

  • 教会の実施段階において重要な役割を果たす。

 

   2.3. 教会グループの役割

 *教会は孤立した存在ではなく、他の教会との連携を通じて共通の使命を果たす必要がある。地域教会は、他の教会との関係を強化し、協力を促進することが求められる。

  • 教会は孤立せず、他の教会との連携が重要である。
  • 地域教会は他の教会との関係を強化する必要がある。
  • 協力を促進し、共通の使命を果たすことが求められる。

 

   2.4シノドス事務局の役割

 *シノドス事務局は、(”シノドスの道”の成果の)実施段階を支援し、教会間の対話を促進する役割を担う。世界の現地の教会の必要に応じた支援を提供する。

  • シノドス事務局は実施段階を支援する役割を担う。

  • 教会間の対話を促進し、地域教会のニーズに応じた支援を提供する。

  • シノダルなアプローチを奨励し、教会の成長を促進する。

 3. 実施段階におけるFD(世界代表司教会議第16回通常総会の最終文書)との連携方法

 *FDは、実施段階の指針として重要であり、特にシノドス・チームのメンバーにその理解を促進することが求められている。

  • FDは、シノダリティの神学的・霊的基盤を提供し、教会の全てのメンバーに変革の旅を促す。

  • FDの実施には、個人と共同体の祈りが不可欠であり、抽象的な分析では不十分である。

  • 教会の成長には、関係性の変革や新しい実践の開発が必要である。

3.1. 全体的なビジョンの維持

 *FDの内容を要約するのではなく、実施の指針となる重要なポイントを強調することが重要である。

  • FDは、第二バチカン公会議に根ざした教会の神学的視点を提案する。

  • 教会の使命は、神の国を宣言することであり、すべての信者がその特性を持って参加する。

  • 交流の視点と賜物の交換は、FD全体を通じての重要なテーマである。

3.2.具体的な実践への投資

 *実施段階の具体的な目標は、文化、関係、教会の実践の変革を見極めることにある。

  • 短期的な具体的変化がなければ、シノダル教会のビジョンは信頼性を欠くことになる。

  • 各地の教会は、FDのガイドラインを自らの文脈で実施する責任がある。

  • 具体的な分野での進展を共有することが求められる。

 4. 実施段階において、どのような方法とツールが私たちの道筋を形作るのに役立つのか?

  4.1 教会における識別の重要性

 *FDの81-86項では、シノダル(共働的)な教会に特有の識別の方法が概説されている。

  • 教会的な識別は、さまざまな専門知識の貢献を必要とし、文脈を深く理解することが求められる。

  • 参加者は、祈りの雰囲気の中で準備され、対話にオープンである必要がある。

  • 効果的な識別プロセスには、明確な目標設定が不可欠である。

  4.2. シノダルなプロセスの設計と付随するシノドス的アプローチ

 *シノダルな方法論は、さまざまな状況やプロセスに適用可能である。

  • 教会的な識別のプロセスは、ミッションの優先事項を特定するために必要である。

  • シノダリティに関するトレーニングコースは、経験の共有と祈りの雰囲気の中で行うことが効果的だ。

  • 地域内での対話や交流のプロセスは、デジタルツールを活用して実施することができる。

・英語版全文は⇒https://www.synod.va/en/the-synodal-process/phase-3-the-implementation/resources.html

2025年7月8日

・バチカン・シノドス事務局が2028年教会会議に向けた”シノドスの道”の実施段階の指針を発表

(2025.7.7 Vatican News   Christopher Wells)

 バチカンのシノドス事務局が7日、「Pathways for the Implementation of the Synod:2025₋2028(シノドスの実施のための道筋:2025年から2028年)」と題する文書を、教皇レオ14世の承認を受けて発表した。

 前教皇フランシスコは、2020年10月に、司教、司祭・修道者、一般信徒が耳を傾け合い、共に歩む教会とすることを狙いに”シノドスの道”の歩みを始められた。そして小教区、司教区、司教協議会、世界の地域の対話を経て、一昨年、昨年の二度の世界代表司教会議(シノドス)総会での討議をもとに、それまでの成果として最終文書がまとめられたが、前教皇は、さらに女性の助祭叙階の是非など課題として残されたものについて判断するための「Ecclesial Assembly(教会会議)」を2028年10月に開くよう指示されていた。

 シノドス事務局が7日発表した文書は、全世界の教会に対して、2028年10月に向けて”シノドスの道”を「共に歩むことを容易にするための共通の枠組み」を提供し、「対話」を促すのが狙い。

 文書は冒頭で、シノドス事務局長のマルコ・グレック枢機卿が「シノダリティ(共働性)は、教会の使命に仕えるもの… この使命の緊急性が、私たちをシノドスの実施へと駆り立てる。これは、すべての洗礼を受けた者が責任を共有する任務だ」と指摘。文書を準備した同事務局はその狙いとして、「世界の現地の教会の人々の声に耳を傾け、その努力を支援し、何よりも教会間の対話と贈り物の交換を活性化するのに貢献する」ことを挙げている。

 そして、本文は、実施段階とその目的の説明から始まり、実施段階の参加者、その任務と責任を説明し、昨年10月のシノドス総会で発表された『最終文書』との関わり方を提案し、この段階のシノドスの道の歩みの主要な指針となる文書との関わり方を示ししている。また、実施段階において「私たちの道を形作るのに役立つ方法とツール」に関する助言を提供している。

 グレック事務局長は、「私たちはこの文書で、これらの道筋を、シノドスの旅の主体をなす『神の民』全体に、特に司教と(東方教会の)大主教、シノドスチームのメンバー、実施段階に様々な形で関与するすべての人々にに伝える。文書の目的は、人々に私たちが支援していることを感じてもらい、”シノドスの道”の歩み全体を特徴づけて来た『対話』を継続することにあります」と説明している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年7月8日

(評論)2028年に至る”シノドスの道”の新たな段階は、世界的危機への教会の対応だ(La Croix)

(2025.4.10 La Croix  Massimo Faggioli

 時代の兆し―2025年から2028年の”シノドスの道”の旅を承認された教皇フランシスコは、現在の世界的な政治危機に対する教会の対応を示し、独裁専制主義に異議を唱え、意思の疎通、一致、そして福音宣教の”生命線”としてのシノダリティ(共働性)を提示している。

 ベテランのバチカン特派員を含む多くのカトリック信者を驚かせたのは、教皇が3月11日、バチカンのシノドス事務局による(”シノドスの道”の)これまでの成果の実施する段階に入ることを、承認された、というニュースだった。

 この「synodality(共働性)」に関する”シノドスの道”の新たな段階は、2028年10月の最終的な「教会会議」までの3年間の実施段階と規定されている。教皇が 5週間にわたる入院中に判断され、発表されたこの決定は、教会の観点から見て非常に重要である。 次期教皇選挙の課題と後継者に関するメッセージという意味で、教会政治の観点からも重大な決定だ。

 それはまた、現代の世界におけるシノドス(教会会議)のプロセスの価値を理解する上でも、非常に重要な意味を持っている。2013年のフランシスコの教皇就任に始まるシノドス(共働性)を念頭に置いたカトリック教会の刷新と、世界で多くの民主的・立憲的システムの危機が加速していることとの間には、ほぼ完璧なほど時系列的な重なりがある。

 それは宗教と深く関わる世界的な危機であり、例えば、米国でドナルド・トランプに、あるいはイタリアでジョルジャ・メローニに投票したカトリック教徒の数といった問題よりも、はるかに深いレベルでの問題だ。

 4月1日、欧州史を専門とする米国の歴史学者ティモシー・スナイダー氏が、ニューヨーク公共図書館でのロバート・B・シルバース記念講演会で、新しい異教主義―私たちの政治を理解するための枠組み」と題する講演を行った。

 彼は講演の中で、「新しいものへの執着が非常に古いパターンから目をそらすような現代は、キリスト教ではなく、はるかに古い異教的なものに根ざした政治的宗教として理解するのが最も適切である」と論じている。(これは、1月にイタリア語で出版された著書で私がトランプと米国のカトリシズムについて述べた内容と類似した主張だ)。

新しい異教の要素

 

 スナイダーは、この新しい異教の要素を、現在の政治を考えるうえで5つ指摘している。まず1つ目は「言語」だ。私たちは、複雑な文章を読んだり理解したりする能力が低下しているため、読み書きのできない人々になりつつある。これは単に個人の問題ではなく、私たちと私たち自身の間でコミュニケーションが取れなくなっているという、深刻な問題だ。

 2つ目は「神託」。私たちは、隠された知識の源から語られる神託の時代に生きている。そしてもちろん、真の権力の源が見えないことが、陰謀論を煽り、真実や事実が存在するという考えそのものへの不信感を煽っている。

 3つ目は、「犠牲を求める政治力学」。寡頭制(米国、ロシア、およびその間の多くの国々における”デジタルおよび炭化水素エリート”)に支配された疑似ポピュリズムは、自らが耐えることを正当化するために、他者に目に見える苦痛を押し付けようとする。移民政策や強制送還、ビザやグリーンカードを持つ学生の路上拉致といった新たな暴力の表出は、英雄政治を崇拝するために犠牲が必要だ、という典型的な苦痛の光景である。移民政策の施行は、今や私たちがお互いを憎み合うように仕向けるショーとなっている。

 4つ目は「カリスマ性」。カリスマに基づく政治は、多くの国々における強権者の台頭とともに、法律に基づく国家および制度構築のプロセスを覆すものだ。この新しい異教主義は、政治、社会、文化、そして宗教の制度を破壊し、作り直すというプロジェクトである。

 5つ目は「価値観」である。私たちのヒーローは、富の概念を蓄財と考える億万長者であり、それは私たちが共同体の一員として生きているという概念を否定することを意味する。また、富は不滅であるという信念から、富は死後も持ち運べるという考え方でもある。しかし、その不滅性を保つことは、脅威の源である人々から離れていればこそ可能なのだ。

*”シノドスの道”は教会に命を与えるコミュニケーションである

 

 シノダリティ(共働性)のための教会会議は、政治システムではない。そして、教皇フランシスコがしばしば私たちに思い出させてくれたように、「議会」ではない。しかし、これは、教会の神学と精神性が今日、政治と法制度の歪められ、米国による「兄弟愛の」プロジェクト、つまり進行中の人間性の変革プロジェクトに対する暗黙の回答でもある。

 ”シノドスの道”は、聖書と祈りから出発し、教会における言語と命を与えるコミュニケーションを回復することを目的とした運動だ。インターネットの神託の力とデジタル(教会)政治へのその影響力を拒絶するものだ。

 イエスは、異教の神殿の神託とは対極にあり、曖昧な答えを返すものではない。”シノドスの道”は、「私たち対彼ら」という政治、最終的には、恐怖と憎悪の政治の名のもとに共同体メンバーを犠牲的なスケープゴートにするという結果を招くことに対する強力な批判だ。カトリックの伝統的機関に新たな生命を吹き込むことを目的とし、教会の運動と機関を共に保つ新たな方法を想像することを目的としている。なぜなら、それらもまた、カリスマ的な「シーザー主義」や独裁専制主義的な権力形態への回帰によって危機にさらされているからだ。

 最後に、”シノドスの道”は、人間としての死すべき命に意味を与える真の価値を指し示している。すなわち、神の似姿として創造された私たちが、「神の被造物であるこの地球という惑星上で、ひとつの家族として生きる」ための命である。

 ”シノドスの道”は、世界が新たな1939年の奈落へと落ちていくのを食い止めるための努力において、カトリック教会が貢献しうる多くの可能性のうちのひとつである。

 2025年から2028年にかけての”シノドスの道”の歩みについては、まだわからないことがたくさんある。教皇の役割、2021年から2024年の世界代表司教会議に至る歩みに加わわらなかった現地教会からの反応、そして次の教皇選挙への影響などだ。

 だが、カトリック教会が内部の相違や極端化に対処するためにシノドスプロセスを導入した例は、ポピュリズムとポスト民主主義の時代の英雄たちが提示したモデルとは大きく異なる。”シノドスの道”は、政治における新たな異教主義への対応という意味でも、福音宣教の道だ。

 スナイダーが別の最近の講演で述べたように、2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降の世界の歴史の瞬間は、第二次世界大戦をまだ食い止めることが可能だった1938年の欧州のようだ。”シノドスの道”は、世界が新たな1939年の奈落に落ちるのを食い止めるための取り組みにおいて、カトリック教会が貢献できる多くの可能性の一部なのだ。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=「シノドス」「シノダリティ」の用語は、教皇フランシスコがそのプロセルを始めた2021年当初から、その意味、定義も含めて使い方に混乱が続いています。これはシノドス事務局が、用語の明確な定義をしないまま、世界の司教団もそれに対して意見しないままにしてしまったことによりますが、世界の信者たちの間に、この運動がいまだに浸透しない一因にもなっています。「カトリック・あい」では、当初からその問題を日本の司教団のリーダーに対して指摘してきましたが、対応がされていません。そこで「カトリック・あい」では、教皇が願われる「教会におけるシノダリティ(共働性)の確立」を目指す取り組み全体を”シノドスの道”あるいは、その歩み、とし、「シノドス」そのものは本来の意味、つまり「世界代表司教会議」と明確に区別してきました。この翻訳でも、それを踏襲しています。ただし、3月のバチカン発表の2028年までの新たな歩みの仕上げとなる会議は、これもまだ定義は明確でなく「教会会議」とされているので、本稿の翻訳では、こちらを使っています)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

LA CROIX international is the premier online Catholic daily providing unique quality content about topics that matter in the world such as politics, society, religion, culture, education and ethics. for post-Vatican II Catholics and those who are passionate about how the living Christian tradition engages, shapes and makes sense of the burning issues of the day in our rapidly changi
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2025年4月12日

(評論)2028年「教会会議」への新たな道のりー教皇は”シノドス”の実践を見届けることを望んでおられる(LaCroix)

(2025.3.17   La Croix   Mikael Corre)

 3月15日、バチカンは入院中の教皇フランシスコの承認を受け、シノドス事務局が世界の司教たちに送った書簡を公開した。この書簡は、世界中の司教たちに、昨年10月に閉幕したシノダル(共働的)な教会のあり方をテーマにした世界代表司教会議(シノドス)第16回総会の成果を実践することが「任意」でないことを、思い起こさせるものだ。

 教皇は1か月にわたる入院・治療中にもかかわらず、執務を続けておられる。それはここ数日、バチカンから発せられているメッセージであり、シノドス事務局長のマリオ・グレック枢機卿が署名し、全世界の司教宛てに3月15日付で送られ書簡を公表する決定の背景にある理由だ。

 この書簡には、2021年に教皇が開始した大きな教会改革(精神面と運営面の両方)を完了させることを目的とした、新たな段階のスケジュールについて「3月11日、教皇は最終承認をなさった」と明記されている。

 書簡の送付を承認した時点で、88歳の教皇は26日間入院されており、急性呼吸器疾患の危機を何度か乗り越えたばかだったが、医師団は、教皇の容態は「安定しており、わずかながら改善の兆しが見られる」と述べていた。教皇の退院の可能性について、バチカンで教皇に次ぐ地位にあるパロリン国務長官が3月14日に言及した。長官はこの日、バチカン駐在の各国大使を招いて、パウロ礼拝堂で行われたミサの冒頭で次のように述べた—「私たちは今朝、教皇の健康を祈るために集まりました。教皇は回復し、私たちのもとに戻ってこられるでしょう」。

*2028年「教会会議」への新たな歩みは「すでに教区で実践されていることを支援、評価する」こと

 このように、政治の世界に安心感を与えるメッセージが出された後、教会に向けられたこの”シノドス”に関する書簡は、教皇の健康状態について懸念が残っていることや、教皇の辞任の可能性に関する憶測がたびたび報道されることを踏まえると、決して軽く扱えるようなものではない。昨年10月26日にシノドス第16回総会の最終文書が発表され、即座に教皇によって承認された(これは珍しいことである)際、複数の関係者は、聖職者主義をなくし、教会をより水平的なものにするために開始されたこの取り組みは、教皇の遺言的な性質を持つものだ、と指摘した。

 3月15日に出された教皇承認の書簡は、この長期間にわたる、時に理解するのが難しい”シノドスの道”の旅が軽視されないようにすることを目的としている。「これは、世界代表司教会議(シノドス)の成果の実践段階そのものを目的とするものではない。すでに多くのことが各地域で実践されている。そうした中で、『何から始めたらいいか分からない人々を助けるための方法を示すものだ」と、バチカン関係者は慎重に説明した。

 この書簡は、2028年10月までの非常に詳細な日程が示し、「教会会議」の開催も盛り込まれている。そしてその目的は、実際に教区で実践されていることを「支援し、評価する」ことと述べている。「実践」には、例えば、女性が教会で指導的地位に就くこと、財務の透明性に関する規則の制定、虐待防止策の策定・実施、司祭や司教の協議会の設置などが含まれる。

*シノドス事務局長の書簡の内容は義務的な性質

 グレック事務局長は、この書簡の中で、この支援と評価の期間を「歩んできた道のりを固めるプロセス」と表現した。これは、「教皇が、この『シノドスの最後のテキスト』を承認することで、教義上の権威を与えた」ということを、強く印象づけるものでもあった。つまり、その内容は、教皇ご自身が書かれたものと同等に、世界の教会や司教たちに拘束力をもつ、ということ意味しているのだ。

 教会内部で統治の変更を求める声に反対する意見もあるが、この書簡に示された新しいプロセスは「これまで”シノドスの道”の歩みにあまり関与してこなかった教区が、まだ完了していない段階に追いつき、独自のシノドス・チームを結成する機会を提供する」と書簡は主張している。

 この”指令”が義務的なものであることを示すものとして、署名者のグレック事務局長は、世界の各教区に対し、枢機卿団チームの「構成と参考資料」を、枢機卿のメッセージに添付された専用フォームでバチカンに提出するよう求めている。

 書簡で発表された日程表には、教皇が引き続き中心的な役割を果たす新たな協議が含まれている。バチカン報道官室は3月14日の夜、「教皇の健康状態が安定している限り、健康状態に関する最新情報は今後はより少ない頻度で発表されることになる」と述べた。2028年まで「教皇は、教会全体にとって有効とみなされるこの新しい段階からの方向性を聞き、確認することができる」と、この書簡はさらに詳しく説明している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。
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2025年3月18日

・シノドス事務局長が会見「特別教会会議は、教会のシノダル(共働的)な歩みを助けるのが目的」

(2025.3.15  Vatican News   Andrea Tornielli

   シノドス事務局長のマリオ・グレック枢機卿が15日、バチカンの取材陣と会見し、「2028年の教会会議は(昨年10月に閉幕した)『シノダリティ(共働性)』をテーマとする世界代表司教会議(シノドス)第16回総会の期間中に熟した成果を集める機会となるだろう」とし、「シノドス事務局が世界各地の教会に提示するこの旅の目的は、仕事をさらに増やすことではなく、教会がシノダル(共働的)なスタイルで歩むのを助けることにある」と説明した。

 以下は、その会見での一問一答の一部。

グレック事務局長:多くの人々は、昨年10月のシノドス総会第二会期をもって”シノドスの旅”が終わったと考えていたでしょう。しかし、実際には、使徒憲章 Episcopalis Communioによって、”シノドスの旅”はイベントからプロセスへと変貌し、「準備」「祝典」「実践」という3つの段階に構造化されたのです「(EC4項)。

 この変貌には、真の「転換」、すなわち教会の実践に根付くまでに時間を要する考え方の変化が必要です。この構造は根本的なもの。単に「文書」を公表するだけでは、教会生活にシノドスの取り組みの2つの段階で浮上したものを実行に移すには不十分です。「文書」(第16回シノドス総会最終文書)は、教会の識別の成果として、また回心の地平として受け入れられる必要があります。

 そして、まさにそのことが起こっています。教会の一致の原理であり、シノドスの旅の保証人である教皇は、最終文書に対する補足文書の中で、各地方教会とそのグループに、その地方の文脈に合わせて総会の勧告を適用する任務を委ねられました。多くの教会がすでに前向きに応え、動き出しています。総会終了後も、歩みは止まることはなかったのです。

 

問:2028年までの間に何が起こるのか?

事務局長:今始まったのは、すでに進行中の実践段階の支援と評価のプロセスだ。教皇は、総会で選出されたメンバーが大半を占めるシノドス事務局の通常評議会の貢献により、この決定に達した。

 このプロセスは、各教会がシノドスの成果を独自の方法で受け入れ、適用する役割を減じるものではない。むしろ、むしろ、教会全体が責任を負うことを奨励するものであり、実際、大きな共同責任である。なぜなら、地元の教会を尊重することで、司教団も教皇の司牧活動と関連付けられるからだ。

問:では、このプロセスの正確な目標は何だろうか?

 それは、実施段階で得られた洞察について、教会間の対話を促進することを目的としたプロセスである。地域レベルでの作業期間(2026年まで)を経て、教会会議のスタイルで、教会間の対話と賜物の交換の場を創出することが目標である。

 これは、これまでのシノドス会議の旅から生まれた最も価値ある側面のひとつだ。目的は、各教区や教区が別個の存在であるかのように実践が孤立して行われることがないようにすることであり、国、地域、大陸レベルでの教会間の絆が強化されることだ。同時に、これらの対話は、真の歩み寄りを可能にし、共同責任の精神において、なされた選択を評価する機会を提供する。2027年と2028年初頭に予定されている会議は、当然ながら2028年10月の教会会議へとつながっていく。この最終の会議は、教皇がペトロの後継者としての識別を助けるために、教会全体に提案する見通しを立て、真の教会体験の成果である貴重な洞察を教皇に提供できる。実践と評価は、ダイナミックで共有されたプロセスの中で絡み合いながら同時に進められなければならない。これがまさに最終文書で呼び起こされた「説明責任の文化」だ。

問:2026年は、さまざまな教区の活動に専念する年となる。あなたは何を期待しているのか?

事務局ちょう:傾聴の段階で行われた作業から再出発することが不可欠であるが、まったく同じことを繰り返さないことも同様に不可欠だ。この段階では、神の民の声を聞くことや、神の民の声を収集することだけが課題ではない。教会指導者やシノドスチームが、シノドス全体から浮かび上がった内容について、神の民の残りの人々と対話を続けることが重要だ。そうすることで、この旅が彼らの文化や伝統に適応されることになる。これはまた、キリストの預言的機能の共有者(LG 12参照)として、また信仰の意味の主体者として、神の民全体に訴えるもう一つの可能性でもある。教会内および教会間の循環性の原則が、教会の通常の実践において有効に機能することを願っている。

問:各現地教会はどのように活動すべきだろうか?

事務局長:私たちは、繰り返すだけでなく、神の民のすべての構成員を教会生活の能動的な主体とし、その認識された能力に基づいて各教会の道筋を定めるよう招かれている。この最初の1年半は、これまで”シノドスの旅”にあまり積極的に参加していなかった人々を関与させる機会にもなるだろう。世界代表司教会議(シノドス)総会の経験を持ち、私たちの共同体をこれほどまでに成長させてきた聖霊の対話を経験する。今、全体像がより明確になり、シノダリティ(共働性)についての理解がより共有されるようになったので、誰も排除することなく、私たちは新たな活力をもってこの旅を続けるための手段を見つけることができる。

問:神の民をより多く関与させるために、私たちは何ができるだろうか。シノドスが「専門家」や教会の構造にすでに関与している人々のための主題に限定されたままであるというリスクを避けるために。この新たな挑戦的な一歩が、他の事務的な仕事に追加されたもう一つの仕事として経験されないようにするにはどうすればよいだろうか。

事務局長:シノドス第16回総会の準備文書は、まさに「神の教会は、シノドスにおいて召集される」という文言から始まっている。シノドスの道ほど、教会全体と教会内のすべての人々を巻き込むものはない。それは、最初の段階で、地域教会における神の民の声を聞くことで明らかになった。今後の進め方も同じだ。この実践の取り組みは、特に叙階された、制度上の、あるいは事実上の司祭といった「牧者」の活動をさらに増やすことを求めるから困難なのではない。

 実践への参加とは、シノダル(共働的)な視野の中で、シノダルなメンタリティーをもって、各教会の教会的な旅路を生きること、そしてシノドス的な教会の形の前提条件であるシノドス的なスタイルを成熟させることだ。この問題がメンタリティーの問題であることを強調するために、形容詞を繰り返す。シノドス事務局が各教会に提案している”道”の意味は、外部や上層部からの要求に応じて仕事を増やすことではなく、教会がシノダルなスタイルで歩むのを助けること、ひと言で言えば、司祭団や奉仕グループの助けを借りて司教に司牧が委ねられた神の民のそれぞれの部分が、福音を体現し、その場において関係する主体としての教会となることだ。

問:シノドス総会の最終文書で詰めが残された課題を検討する10の研究グループの作業はいつ完了するのか?

事務局長:研究グループが作業を完了する時期については、まだ断言できない。グループが設立された1年前に示されたように、「2025年6月まで」に、教皇に結論を提出することが求められているが、一部のグループは、この期限を守ることができても、追加の時間が必要なグループもあるかもしれない。いずれにしても、6月末までに作業の中間報告を行うことになる。また、2023年に設立された教会法の側面からの検討委員会も同時に活動しており、その権限の範囲内で10の研究グループを支援する態勢にある。また、一夫多妻制で生活する人々のための司牧ケアを目的として、SECAM(アフリカおよびマダガスカルの司教協議会)内に設立されたグループもある。

 

問:2028年に開くことになった「教会会議」について説明が欲しい。事務局長が世界の司教などに送った書簡では、それは「新しいシノドスではない」と明確に述べているが。

事務局長:2021年から2024年の”シノドスの旅”は、多くの点で「初めて」のものだったと言えるだろう。(2018年に教皇フランシスコが出された、シノドスへの一般信徒の関与などについて定めた)使徒憲章Episcopalis Communioの規定が完全に適用されたのは初めてであり、教会全体、そしてそのすべての構成員がシノドスの道の歩みに参加する機会が初めて与えられた。司教以外のメンバーがシノドス総会に参加したのも初めてのことだった。シノドス総会の最終文書が即座に教皇によって承認され、教皇の通常の教導の一部となったのも初めてのことだった。

 そして今、シノドスの道の歩みの第三段階において、私たちはまた初めての経験をしている。それが「教会会議」だ。世界の教会全体のレベルでの教会会議が開かれるのは今回が初めてのため、まだ多くの詳細を詰める必要があるが、これまでのシノドスの道の歩みの大陸レベル会議の経験を参考にすることができる。

問:それはどのような特徴を持つのか。2023年と2024年の二会期にわたったシノドス第16回総会とどのように異なるのか。

事務局長:「教会会議」の目的は、”シノドスの道”の最終段階において、先のシノドス総会の最終文書が示しているように、教会間および教会全体における賜物の交換の見通しを具体化することにある(120-121項参照)。これまでの”シノドスの道”では教区、司教協議会、司教協議会連盟などさまざまなレベルで、それぞれの小教区で始められた歩みの成果を分かち合い、対峙することによって、賜物の交換を実現することが可能となったとすれば、「教会会議」は、成熟した成果を教会全体のレベルで集める機会となるだろう。

 この教会会議の可能性は、シノドス第16回総会の第二会期会合の閉会にあたって教皇がなさった挨拶にすべて含まれている。教皇は「文書で指摘された教会生活のいくつかの側面、および、私に提案を行うために、自由な立場で取り組むべき10の『研究グループ』に委ねられたテーマについて、教会全体に関わる選択を行うためには、時間が必要です。私は、引き続き司教たちや彼らにゆだねられた教会の声に耳を傾けていきます」と語られた。シノドスの道の歩みの第三段階は、先のシノドス総会の最終文書が教会活動の中でどのように機能しているかを聴く時期であり、最終の「教会会議」の総会は、聴くことで得た成果を集約、総合する場となる。

 このため、この総会は「教会的」なものとなる。これは、昨年10月まで開かれたシノドス総会とは異なる性質と機能を持つ。シノドス総会は本質的に「司教たちの総会」であり、今後もそうあり続ける。シノドス総会の成果は最終文書であり、すでに述べたように、それはペトロの後継者の通常の教導権に参画するものだ。この最終文書に照らして、教会全体、すなわち、各教会と、自らの教会の一致の原理としての各司教が、第三段階を生きることが求められている。この段階は、教会会議の総会で目的地に着くことになる。この総会は、シノドス第16回総会の準備文書の冒頭に掲げられた「神の教会は、シノドスにおいて召集される」という真理を可視的な形で示すものであり、教会の”シノドスの道”の歩みの成果を証しするものであるべきだ。

 

問:事務局長が世界の司教たちに送られた書簡で提案された日程には、来年の10月に予定されているシノド・スチームの新しい聖年について言及されている。これは一体どういう意味か?

事務局長:聖年は巡礼と密接に関連している。シノダル(共働的)教会は「巡礼の教会」であり、それは神の民が神の国の成就に向かって「共に歩む」ことによって明らかにされる。シノドス・チームや参加型組織(これらの組織は、地元の教会におけるシノドス生活の場も提供している)の聖年は、神の民がペトロの墓へと向かう旅の中で、教会のシノドス的側面が明らかにされる祝祭の時となる。同時に、洗礼を受けたすべての人々、すべての教会、すべての司教の交わりの原理であるペトロの後継者の周りに集まる。繰り返しになるが、教会全体が巡礼の旅に出るべきである。私たちは、シノドス・チームを召集することを考えた。彼らは時間を割き、エネルギーを注いでシノドスの道の歩みに奉仕してきた人々で構成されているからだ。私たちは彼らに再活性化を求めた。彼らはこの実践の道の歩みにおける「先鋒」となるからだ。

 

問:この「教会会議」に何を期待するのか?

事務局長:私たちは、「教会会議」を単なる祝賀の機会としてではなく、教会の構成要素としてのシノダリティ(共働性)を深める「好機」としたいと考えている。シノダル(共働的)改革を望む教会の歩みにとって、この改革が意味するものはすべて、私たちが今生きている四旬節にあたって、教皇が私たちに思い出させてくださったようにだ。 このシノダル(共働的)回心の動きが、教会の刷新と新たな宣教の推進に役立つことを考え、期待を裏切ることのない成果を生むことを希望している。

問:司教と神の民に託されたこの書簡は、今日発表されるが、他に”補助教材”は用意されるのだろうか?

事務局長:現時点では、私たちは、この書簡で語られている以上の資料やさらなる指針を提供することは考えていない。 すでに、実施に向けて取り組むために必要なものはすべて、すなわちシノドス総会の最終文書が提供されているからだ。 また、この書簡で提示されたさまざまな側面は、司教たちの協力と、もちろん私たちの事務局の通常会議によって、より明確になるだろう。近年、私たちは司教や教区長、司教協議会や東方カトリック教会の同等の機関、司教協議会の国際会議などと、さまざまなオンライン会議を行っており、非常に有益だった。したがって、この新しい段階においても、プロジェクトの進捗について合意するために、同様の会議を開催することを排除するものではない。私はこれまでに何度か、シノドス事務局の務めは、「上から下ろされた指示を遂行すること」ではなく、何よりもまず、現地の教会から寄せられる要望、洞察、提案に耳を傾ける姿勢だ、と述べてきた。5月に予定されているものに始まるこの旅の間に提供しようと考えている補助資料も、教会の傾聴の実践の成果となるだろう。

問:シノダル(共働的)教会のあり方をテーマにした2会期にわたる世界代表司教会議(シノドス)第16回総会のメッセージの核心を改めて説明してもらいたい。

事務局長:シノドス総会のメッセージの「核心」を簡潔に述べたいと思うが、2つの会期でのメッセージとなると、非常に単純化してしまう危険性がある。 その中であえて私は、そのプロセスのダイナミクスを強調したい。第1会期から第2会期への移行は、熟慮を促す長時間の傾聴を通じて、教会的な識別がどのように機能するかを示した。最終文書は、段階を踏んだ辛抱強いプロセスを経て成熟した成果であり、そのプロセスの中で私たちはシノダル(共働的)様式と方法を学んだ。シノドスの道の歩みは、シノダル(共働的)な歩みが可能であること、教会のシノダル(共働的)スタイルが可能であること、教会のシノダル形態が可能であることを、すべての人に伝えている。そして、教会を福音の喜びの新たな福音宣教の証しへと導く聖霊に従順に、それを可能にするよう、すべての人に促している。

 

問:シノドス第16回総会の最終文書は、どのような役割を果たすのだろうか?

事務局長:最終文書は、シノドスの道の歩みの成熟した成果だ。その内容は、教会会議的な意味での教会の回心と刷新のための指針となる。今後3年間にわたって待ち受けているすべての作業は、この文書の内容に触発されたものであり、教会生活の中でそれらを実現する可能性を検証するために、実験的に試みられねばならない。2つの点を指摘したい。

 第一に、最終文書は第二バチカン公会議の権威ある受容行為であり、「その霊感を延長し、その預言的な力を現代世界のために再起動する」(DF 5)ものである。実際、文書は「シノドスの旅は、福音に耳を傾けることから生じる絶え間ない回心を通して神聖さへと招かれる神の秘義と民としての教会について公会議が教えたことを実際に実行に移している」(DF 5)と述べている。

 第二に、この文書に織り込まれたテーマを探究する際に、その第1章で述べられた「シノドス」の基礎から、あるいは他のどの章から入ろうとも、この文書の深い統一性と調和を理解することができる。それは、教会の美しさと刷新の可能性を理解させてくれる文書だ。「刷新」とは、シノドス的あり方と行動様式として出発したときに、豊かな伝統の中で実現される。

 極端に要約して言えば、メッセージの核心は、「洗礼を受けた私たちは皆、弟子であり、宣教師であり、現代の男女とイエスとの出会いを容易にするために、人間関係の変革に真剣に取り組むべきである」ということだ。シノドスの道の歩みは、教皇フランシスコが教皇就任当初から私たちに呼びかけている司牧的・宣教的な変革に、足と視点を提示してきた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年3月16日

・教皇、”シノドスの旅”の新たな段階へ、2028年に特別教会会議の開催を承認

(2025.3.15  Vatican News   Isabella Piro)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

(2025.3.15  Vatican News   Andrea Tornielli

 シノドス事務局長が会見「特別教会会議は、教会のシノダル(共働的)な歩みを助けるのが目的」

   シノドス事務局長のマリオ・グレック枢機卿が15日、バチカンの取材陣と会見し、「2028年の教会会議は(昨年10月に閉幕した)『シノダリティ(共働性)』をテーマとする世界代表司教会議(シノドス)第16回総会の期間中に熟した成果を集める機会となるだろう」とし、「シノドス事務局が世界各地の教会に提示するこの旅の目的は、仕事をさらに増やすことではなく、教会がシノダル(共働的)なスタイルで歩むのを助けることにある」と説明した。

 以下は、その会見での一問一答の一部。

グレック事務局長:多くの人々は、昨年10月のシノドス総会第二会期をもって”シノドスの旅”が終わったと考えていたでしょう。しかし、実際には、使徒憲章 Episcopalis Communioによって、”シノドスの旅”はイベントからプロセスへと変貌し、「準備」「祝典」「実践」という3つの段階に構造化されたのです「(EC4項)。

 この変貌には、真の「転換」、すなわち教会の実践に根付くまでに時間を要する考え方の変化が必要です。この構造は根本的なもの。単に「文書」を公表するだけでは、教会生活にシノドスの取り組みの2つの段階で浮上したものを実行に移すには不十分です。「文書」(第16回シノドス総会最終文書)は、教会の識別の成果として、また回心の地平として受け入れられる必要があります。

 そして、まさにそのことが起こっています。教会の一致の原理であり、シノドスの旅の保証人である教皇は、最終文書に対する補足文書の中で、各地方教会とそのグループに、その地方の文脈に合わせて総会の勧告を適用する任務を委ねられました。多くの教会がすでに前向きに応え、動き出しています。総会終了後も、歩みは止まることはなかったのです。

 

(以下、翻訳中)

What will happen between now and 2028?

What is now beginning is more of a process of accompaniment and evaluation of the implementation phase that is already underway. The Holy Father arrived to ths decision with the contribution of the Ordinary Council of the General Secretariat of the Synod, composed largely of members elected during the Assembly.

This process does not diminish the role of each Church in receiving and applying the fruits of the Synod in its own unique way. Rather, it encourages the entire Church to take responsibility—indeed, a great co-responsibility—because by valuing local Churches, it also associates the episcopal college with the exercise of the Pope’s ministry.

So, what is the precise goal of this process?

It is a process aimed at fostering dialogue among Churches about the insights developed in the implementation phase. After a period of work at the local level (until 2026), the goal is to create, in a synodal style, spaces for dialogue and exchange of gifts among Churches.

This is one of the most valuable aspects that has emerged from the synodal journey so far. The aim is to ensure that implementation does not happen in isolation, as if each diocese or eparchy were a separate entity, but that bonds between Churches at national, regional, and continental levels are strengthened. At the same time, these moments of dialogue will allow for an authentic walking together, offering the opportunity to evaluate, in a spirit of co-responsibility, the choices made. The meetings planned for 2027 and early 2028 will naturally lead toward the Ecclesial Assembly of October 2028. This final  Assembly will then be able to offer the Holy Father valuable insights—fruits of a real ecclesial experience—to aid his discernment as the Successor of Peter, with perspectives to propose to the entire Church. Implementation and evaluation must proceed together, intertwining in a dynamic and shared process—this is precisely the culture of accountability evoked in the Final Document.

2026 will be a year entirely devoted to the work of the various dioceses. What do you expect?

It is essential to restart from the work done in the listening phase, but it is equally essential not to repeat it to the identical. In this phase, it is no longer just a matter of listening and gathering the listening of the People of God, but rather of allowing the Church leaders and synod teams to carry on a dialogue with the rest of the People of God on the contents that have emerged from the synod journey in their totality so that this journey is adapted to their own culture and tradition. This is also another possibility of appealing to the whole People of God as sharers in the prophetic function of Christ (cf. LG 12) and subjects of the sensus fidei. I hope that the principle of circularity within and between Churches will become operative in the ordinary practice of the Church.

How should the local churches operate?

We are invited not only to repeat but to make all members of the People of God active subjects of ecclesial life and to set the path of each Church by reason of this recognized capacity, which must be supported and formed. This first year and a half will also be an opportunity to involve those who had previously participated less actively. To have synodal experiences, to experience the conversation in the Spirit that has made our communities grow so much. Now that the picture is clearer and a more shared understanding of synodality has developed, together-no one excluded-we can find tools to continue the journey with renewed energy.

What can we do to involve the People of God more, avoiding the risk that the synodal path remains confined among the subjects for “experts,” for people already involved in ecclesial structures? How to ensure that this new challenging step is not experienced as one more bureaucratic task added to the others?

The Preparatory Document, which initiated the whole synod process, begins precisely with this statement, “The Church of God is convoked in Synod.” There is nothing that can involve the whole Church and everyone in the Church more than the synod process. This was seen in the first phase, with the listening to the People of God in the local churches. The way forward now is the same. This implementation path is challenging not because it calls for adding more activity for “pastoral workers,” especially ordained, instituted or de facto ministers. The commitment is to live the ecclesial journey of each Church with a synodal mentality, within a synodal horizon, maturing a synodal style that is the prerequisite for a synodal form of Church. I repeat the adjective, to emphasize how the issue is one of mentality. The meaning of the path that the Synod Secretariat is proposing to the local churches is not to add work to work in response to demands coming from outside or above, but to help the churches to walk in a synodal style; in a word, to truly be Churches, where the portio Populi Dei entrusted to the bishop with the help of his presbytery and ministries is truly a Church of subjects in relationship, embodying the Gospel in the place where they are.

When will this work be concluded?

It is still difficult to say when the Groups will conclude their work. As indicated a year ago when they were established, the Groups are asked to present their conclusions to the Holy Father “possibly by June 2025.” Some of the Groups should be able to meet this deadline. Others, on the contrary, may need additional time, but will still offer an interim report on their work by the end of June. Also at work at the same time are the Canonical Commission, established as early as 2023, which has made itself available to support the 10 Groups in matters within its purview, as well as a Group established within SECAM (Symposium of Episcopal Conferences of Africa and Madagascar) for the pastoral care of those living in polygamy.

Can you explain what the 2028 Ecclesial Assembly is? In the letter, it is explicitly stated that it will not be a new Synod…

I would say that the 2021–2024 Synod was a “first” in many ways.

It was the first time that the regulations of Episcopalis Communio were fully applied.

It was the first time that the entire Church—and everyone within it—had the opportunity to participate in the synodal process.

It was the first time that non-bishop members participated in the Assembly.

It was the first time that a Final Document was immediately approved by the Holy Father, thus becoming part of his ordinary Magisterium.

Now, in the third phase of the synodal process, we have another first: an Ecclesial Assembly.

Since this is the first time an Ecclesial Assembly is being held at the level of the entire Church, many details still need to be defined. However, we can draw upon the experience of the Continental Stage Assemblies, which were all ecclesial in nature.

What characteristics will it have? How will it differ from the two sessions of the Synodal Assembly that we experienced in 2023 and 2024?

The goal of the Ecclesial Assembly, which is the final event of the process, is no other than that indicated by the Final Document for the third stage, namely to make concrete the prospect of the exchange of gifts among the Churches and in the whole Church (cf. nn. 120-121). If during the stages of the third phase it will be possible to realize at the various levels of the groupings of Churches (Provinces, Bishops’ Conferences, International Meetings of Bishops’ Conferences) the exchange of gifts through the confrontation and sharing of the processes initiated in the local Churches, the Ecclesial Assembly will be the occasion to gather at the level of the whole Church the fruits that have matured.

The possibility of this Ecclesial Assembly is all contained in the Holy Father’s final greeting at the conclusion of the Second Synod Assembly. He clarified that “on some aspects of the life of the Church pointed out in the Document, as well as on the themes entrusted to the ten ‘Study Groups,’ which must work with freedom, in order to offer me proposals, there is a need for time, in order to arrive at choices that involve the whole Church. I, then, will continue to listen to the bishops and the Churches entrusted to them”. The third phase corresponds to this time of listening to how the Final Document operates in the life of the Churches, and the Final Assembly constitutes the moment of synthesis, capable of gathering the fruits of this listening.

This is why the Assembly is ecclesial, which is tantamount to emphasizing its different nature and function from the Synodal Assembly we have already celebrated, which is and remains essentially an Assembly of Bishops. The fruit of that Assembly was the Final Document, which participates, as we have already said, in the ordinary Magisterium of the Successor of Peter. In the light of that document, it is required of the whole Church – of every Church and every bishop as the principle of unity of his Church – to live the third phase, which will have its landing in the Ecclesial Assembly. This Assembly should be the visible manifestation of that truth that opened the Preparatory Document: “The Church of God is convoked in Synod” to witness what the fruits of the Church’s synodal journey are.

In the calendar proposed by the letter, there is mention of a new jubilee appointment scheduled for next October, that of the synodal teams. What is it all about?

Jubilee is closely associated with pilgrimage. The synodal Church is pilgrim Church, which is made evident in the “walking together” of the People of God toward the fulfillment of the Kingdom. The jubilee of synodal teams and participatory bodies (because these structures also offer spaces for synodal life in the local Churches) is meant to be the celebratory moment in which this synodal dimension of the Church is made manifest in the journey of the People of God to the tomb of Peter, gathering at the same time around the Successor of Peter, the principle of the communion of all the baptized, of all the Churches, of all the bishops. Again, the whole Church should be on pilgrimage. We thought of convening the synodal teams because they are made up of people who have put their time and energy at the service of the synodal process. We have asked for their reactivation because they will be “spearhead” in this path of implementation.

What do you expect from this meeting?

With them, we intend to experience it not only as a celebratory moment, but as an “opportune” time of deepening synodality as a constitutive dimension of the Church, with all that this entails for the journey of the Church, which desires to implement a synodal conversion, as the Holy Father also reminds us in his Message for Lent that we are living.  Considering that this synodal conversion will be able to help for the renewal of the Church and for a new missionary impetus, this is truly a reason for hope that does not disappoint.

Will this Letter to the Bishops and the People of God entrusted to them published today be accompanied by other aids?

At this time we are not providing material or further guidance than what is contained in the letter to the local churches. They already have everything they need to work on implementation: the Final Document. Also the various moments presented in the letter will be more defined with their help and, of course, with the Ordinary Council of our Secretariat. In recent years, we have had various online meetings, which have been very useful, with bishops and eparchs, with the Bishops’ Conferences and the equivalent Bodies of the Eastern Catholic Churches, with the International Meetings of the Bishops’ Conferences; therefore, we do not exclude holding similar meetings in this new phase as well to agree on the progress of the project. On several occasions I have said that the service of the General Secretariat of the Synod is not to have directions lowered from above to be carried out, but is first and foremost a willingness to listen to the needs, insights and proposals that come to us from the local Churches. The subsidies that we intend to offer during this journey, beginning with the one in May-as announced-will also be the fruit of this ecclesial listening exercise.

Can you say in a few words what is the heart of the message that came out of the two Synodal Assemblies dedicated to synodality?

Wanting to say in a few words even the “heart” of the message that came out of the Synodal Assembly, moreover in two sessions, risks being very reductive. I would certainly emphasize the dynamics of the process: the transition from the first to the second session showed how ecclesial discernment works, through prolonged listening that ripens consensus. The Final Document is the mature outcome of a patient process by stages, in which we learned a synodal style and method. The synodal process is telling everyone that synodality is possible; that a synodal style of the Church is possible; that the synodal form of the Church is possible. And it urges everyone to make it possible, in docility to the Holy Spirit who leads the Church in this direction, because it invites the Church to a renewed missionary witness to the joy of the Gospel.

What role will the Final Document approved in 2024 play?

The Final Document is the mature fruit of this process. Its contents are such that they constitute a map for the conversion and renewal of the Church in a synodal sense. All the work that awaits us in these next three years is inspired by the contents of this Document, which must be experimented with, in order to verify the possibility of realizing them in the life of the Church. Let me make two points. The first: that the Final Document constitutes an authoritative act of reception of the Second Vatican Council “prolonging its inspiration and relaunching for today’s world its prophetic force” (DF 5). Indeed, the Document says that “the synodal journey is in fact putting into action what the Council taught about the Church as Mystery and People of God, called to holiness through a continuous conversion that comes from listening to the Gospel” (DF 5).

The second: that whichever way one enters-whether from the foundations of synodality, expressed in the first chapter, or from any other chapter-when one explores the themes that weave the Document together, one grasps the profound unity and harmony of the text. It is a document that lets one see the beauty of the Church and the possibility of its renewal: renewal that, when it sets out on the path of synodality as a way of being and acting, is realized in the richness of Tradition. In extreme synthesis one could say: heart of the message is that all of us baptized are all disciples and all of us missionaries, seriously committed to a conversion of relationships to facilitate the encounter of Jesus with the men and women of today. The Synod has offered and offers legs and perspectives to the pastoral and missionary conversion to which since the beginning of his pontificate Pope Francis has invited us.

2025年3月15日

・シノドス総会が残した10の課題について、研究グループの代表が会議、検討状況を報告

(2025.2.18   Vatican News)

    昨年10月末に閉幕した「シノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会で浮上した課題を検討する10の研究グループの代表者が18日、バチカンで会議を開き、各グループの作業の最新状況を報告した。

 会議は、研究グループの設置者である教皇フランシスコの速やかな快癒を願う祈りで始まり、各グループの代表者が、それぞれの検討作業の進捗状況を発表し、使用した方法論、関与した人々や組織、最終報告書の提出予定時期、直面した困難、未解決の疑問点などを概説した。。

 この後、シノドス事務局顧問のジャコモ・コスタ神父から、「報告書の作成と提出における一貫性を確保するための指針」が示された。また、シノドス事務局長のマリオ・グレック枢機卿は、外部からの意見を考慮することの重要性が強調された。外部からの意見は、3月31日までに、事務局あての電子メール(synodus@synod.va)で提出することとし、関連する研究グループに速やかに転送される。

 10の研究グループは、シノドス第16回通常総会の第1会期後の昨年3月に設置された。総会では、教会の生活と使命に関する重要な問題がシノドスの観点から特定され、幅広い分野で合意に達し、最終文書として発表されたが、さらなる検討が必要とされる10のテーマについて、それぞれの研究グループで今年夏の結論を出すことを目途に詰めを行うこととされている。

 教皇は、研究グループ設置に関するグレック枢機卿あての書簡で、「真のシノドス精神」に則って研究グループの作業を監督するよう同枢機卿に求め、シノドス事務局に「私の指示を踏まえてグループの任務を定義する作業概要を作成する」よう要請されていた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年2月19日

☩「教会はキリストを中心としたシノダリティ(共働性)の神学的考察を必要としている」

(2024.11.28   Vatican News  Devin Watkins)

   教皇フランシスコは28日、教皇庁立神学委員会の総会に出席して神学者たちと会見され、「キリストを中心としたシノダリティ(共働性)の神学を発展」させるよう促された。

 教皇は総会でのあいさつでの冒頭で、ニカイア公会議の信仰告白に光を当てる文書に関する神学委員会の取り組みを称賛され、2025年の聖年は「父と子は本質的に同一である」と明言するニカイア信条を策定した最初の公会議から1700年目にあたり、「このような文書は、聖年において、信者の信仰を育み、深める上で非常に貴重なものとなり、また、イエスの姿に基づいて、キリストの人間性からインスピレーションを得た新しい文化的・社会的パラダイムに役立つ洞察と考察を提供することができるでしょう」と語られた。

 そして、この流れに沿って、キリストを研究の中心に据えつつ、常に共同体の神学を発展させるよう、神学者たちに求められ、「聖年は、キリストの顔を再発見する機会を提供しています… 神学者たちは使徒ヨハネが最後の晩餐でそうしたように、イエスの心に近づく必要があります… 主の心に近づくことで、皆さんの神学は源泉から汲み、教会と世界に実を結ぶでしょう」と注文を付けられた。

 さらに、教皇は、「神学は、高等教育を受けていない人も含めて、すべての信者がキリストとの出会いを育めるようにすることを目指すべきです… イエスにおいて、私たちは神の顔を知り、同時に人間の顔も知り、それによって、私たちは御子における息子や娘であり、互いに兄弟姉妹であることを理解するのです… この兄弟関係において、特に紛争に苦しむ世界において、キリスト教徒が平和と正義を促進するよう導くべきです」と説かれた。

 そのうえで教皇は、先のシノドス総会で、シノダリティ(共働性)について神学的側面から継続的な研究の必要が求められたことを思い起こされ、「教会の宣教目的に特に焦点を当てながら、シノダリティ(共働性)の教会論的側面を検討するように」と神学者たちに求められた。

 そして、「今こそ、勇気をもって一歩を踏み出し、シノダリティ(共働性)に関する神学を発展させる時です。それは、シノドスの道の歩みを助け、励まし、支える神学的考察であり、ケリュグマに触発され、教会生活のあらゆる要素を巻き込んだ、より創造的で大胆な新しい宣教段階のために必要とされています」と強調された。

 あいさつの最後に、教皇は、神学者たちに、日々取り組む重要な研究の中でも「ユーモアの感覚を失わないように… 聖霊は、喜びとユーモアの次元において私たちを助けてくださる方です」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年11月29日

☩「最終文書をもとに創造的実践と交わり、参加、宣教への新たな取り組みを進めるように」ーシノドス総会最終文書に教皇が覚書

File Photo: Holy Mass for the conclusion of the Synod of BishopsFile Photo: Holy Mass for the conclusion of the Synod of Bishops  (Vatican Media)

 

 

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年11月26日