Refugees from Ukraine are seen as they arrive at the Polish-Slovakian border crossing in Kroscienko, Poland (AFP or licensors)
(2022.3.18 Vatican News Francesca Merlo)
教皇フランシスコは17日、スロバキアの首都・ブラチスラバで始まった「 European Catholic Social Days」にメッセージを送り、ロシアによる軍事侵略が引き起こした危機の最中にあるウクライナの人々を欧州諸国が進んで受け入れ、保護することの重要性を改めて強調された。
*”ウクライナの惨事”は”コロナ後”に望んでいたことではない
メッセージで教皇は、「欧州大陸の中心部で起きている戦争の悲劇」に注意を向けられ、「このようなことは、新型コロナウイルスの大感染によって引き起こされた惨事のあとに、私たちが望んでいたことではない」と強調。
*“前世紀の大戦争”が繰り返されている
そして「このような、前世紀の大戦争が繰り返されるとは、思ってもみなかった。今なお、驚きが続いている」とされ、「人類が、権力と既得権益の乱用によって脅かされ、無防備な人々があらゆる形態の残忍な暴力に苦しめられることは、あってはならない」と批判された。
そのうえで、私たちは信徒の共同体として、「ウクライナの兄弟姉妹の助けを求める叫びが、私たちにこの問題を深く考えさせるだけでなく、彼らと共に泣き、彼らのために役立つことをするよう、強く促している」ことを強く認識せねばならない、と訴えられた。
*彼らの叫びは私たちに行動を求めている
また、教皇は、European Catholic Social Daysの今回の標語である「コロナ禍を超えた欧州、新たな始まり」を取り上げ、「新型コロナの大感染は、欧州の社会、経済、文化、さらには教会に大きな変化をもたらしています。長引く苦痛の中で、恐怖が高まり、貧困が増大し、孤独が増している。多くの人が職を失い、不安定な生活を送る一方で、他者との関わり方が変っています」と指摘。
「そのような中で、私たちは、ぼんやりと立っていてはなりません。キリスト教徒として、そして欧州市民として、私たちは勇気を持って、『私たちの故郷、欧州。私たちの故郷である欧州の共通善』を実践するよう求められています」と強調され、「欧州と欧州を構成する国々は互いに反目してはいない。そして未来の建設は、統一ではなく、多様性を認め合いつつ、絆を強めていくことを意味するのです」と説かれた。
*愛は、寄り添い、分かち合うことだ
最後に、教皇は、European Catholic Social Daysのロゴに使われた「トゥールの聖マルティヌス」に注目された。この聖人は、貧しい人に施すために、自分のマントを二つに切った。「愛は、寄り添い、分かち合い、他人を世話することだと、私たちに思い起こさせます」と語られた教皇は、「紛争、飢饉、貧困から逃れようとする非常に多くの兄弟姉妹と一致することは正しく、人間的で、キリスト教徒的な行為です」とされ、欧州に依然として存在する壁は、「歴史的、信仰的、芸術的、文化的な財産への玄関口に変えられる必要がある。友愛に基づく人間の共存が進むように、対話と社会的友情が促進されねばなりません」と訴えられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2022.3.16 バチカン広報)
教皇フランシスコは16日の水曜恒例の一般謁見で、「老年の意味と価値について」をテーマにした連続講話を続けられ、要旨次のように語られた。
「老年の意味と価値について」をテーマにした講話で、今回は、新しい世代へ人生の真の持続的な価値を引き継ぐ際の、高齢者の重要な役割を考えたいと思います。
聖書の最初のページで、神は、暴力と邪悪が地に広がったことで堕落した「ご自身の創造物の善なる姿」を取り戻す仕事を年配のノアに託されます。人類に決定的な救いと霊的な刷新をもたらす神の王国がやって来るとみ、回心するように私たちに注意を与えるために、イエスご自身が「ノアの日々」について語ります。
あらゆる時代において、ノアの時代のように、私たちは、罪と堕落を当たり前のように受け入れ、貧しい人々の不当な苦しみと、自然環境の破壊から、目をそらす誘惑にさらされています私たちの今の時代で言えば、それは、物質主義的で自己中心的で精神的に空虚な”捨てる文化”です。ノアのような年配者は、こうした危険を人々に警告し、「私たちは神から与えられた創造物の守護者と管理者なのだ」ということを、人々に思い起こさせる役割を果たすことができるのです。
高齢の人たちが、このことー自分たちに与えられた特別の能力ーを認識し、私たちの世界の将来と新たな創造の夜明けを待ち望み、気にかけ、希望する、新たな”箱舟”を建造するのを助けてくれるよう、ノアの模範と祈りが促しますように。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコ、イタリアの園児・児童らとの出会い 2022年3月16日 バチカン・聖ペトロ大聖堂 (Vatican Media)
(2022.3.16 バチカン放送)
教皇フランシスコは16日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、イタリアの教育団体「ラ・ゾッラ」運営の幼稚園・小学校で学ぶ子どもたちと保護者、教員たち約2000人とともに、ウクライナの子どもたちのために祈られた。
「ラ・ゾッラ」はキリスト教体験に基づく教育を目指すミラノの数組の両親らによって始められた保育所を基礎に1972年に設立され、今年で50年を迎える。
教皇は、子供たちへの話の中で、まず、「分かち合い」と「受け入れ」を、二つの大切なこととして教えられた。
「『分かち合い』とは、まわりにいる仲間たちと共に成長すること、知識だけでなく、もっと兄弟としての社会を築くための結びつきを育てるために、『チームを作ること』が必要です」と語られ、「私たちは、とても平和を望んでいますが、それは家や学校での『分かち合い』の中から作り出されていくものです」と説かれた。
また、「受け入れ」について、「社会には人々の関係を妨げる多くの壁があり、それが他者の疎外や切り捨ての原因になっています…。学校での、いじめや仲間外れも、決してあってはなりません。いつも橋をかけるようにしましょう」と励まされた。
最後に、教皇は、「遠く離れたウクライナの子どもたちのことを考え、祈ってください」と願われた。
「今、ウクライナでは、皆さんと同じ歳の子どもたちが戦争のために苦しんでいます。皆さんは平和な社会で育っていますが、ウクライナでは小さな子どもたちでさえ、爆弾から逃げなければならないのです」とされ、「ウクライナの子どもたちのことを思いながら主に祈りましょう。恐ろしい戦争の中で、爆撃の下で生き、食べるものもなく、寒さに苦しんでいる子どもたち、大人の高慢の犠牲者である子どもたちを、主イエスが守ってくださるように」と子どもたち、親や教員たちと共に祈られた。
(編集「カトリック・あい」)
Pope Francis bows his head in prayer for Ukraine (Vatican Media)
(2022.3.16 Vatican News By Devin Watkins)
ロシアのウクライナ軍事侵攻が激しさを増し、首都キエフ陥落を目指す中で、教皇フランシスコは16日の水曜恒例一般謁見の終わりに、参加した信徒たち、そしてインターネットを通じて世界の全ての人々と、ウクライナでの戦いの早期終結を共に祈られた。
祈りには、ナポリのドメニコ・バッタリア大司教が作成した祈りに、教皇ご自身が若干の追加されたものが使われ、戦争という残忍な行為ーこの地球を愛おしみ、世話するために神が作られた私たちの手を、死の道具に変える行為ーを犯す人類のすべてを赦してくださるように、神に懇願された。
祈りを唱える前に、教皇は、ウクライナでの戦争の苦しみの中にあって、神に赦しを求め、平和をくださることを、神に願うように、信徒たちに勧められた。
以下は、教皇の祈りの非公式英語訳を日本語に仮訳したもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戦争をする私たちをお赦しください。おお主よ。
主イエス・キリスト、神の御子、私たち罪人を憐れんでください!
主イエス、キエフに落ちる爆弾の陰で生まれたかた、私たちを憐れんでください!
主イエス、ハリコフの掩蔽壕で母の腕の中で亡くなったかた、私たちを憐れんでください!
主イエス、戦闘の最前線に送られた20歳の青年、私たちを憐れんでください!
主イエス、ご自身の十字架の陰で武器を持った手を見守り続けるかた、私たちを憐れんでください!
私たちをお赦しください、おお主よ。
私たちをお赦しください、私たちがあなたの手に打ち込み、十字架につけた釘に満足していないなら、武器で傷つけられた人々の血で喉の渇きを癒し続けようとするなら。
私たちをお赦しください、あなたが造られたものを養うために下さったこの手を、死の道具に変えてしまっているのなら。
私たちをお赦しください、おお主よ。私たちが自分の兄弟を殺し続けるなら。
私たちをお赦しください、自分の畑の石を拾い上げてアベルを殺したカインのようなことを続けるなら。
私たちをお赦しください、 私たちが労働で自分の残酷さを正当化し続けるなら。私たちが痛みで自分の行いの残忍さを正当化するなら。
戦争する私たちををお赦してください、おお主よ。戦争する私たちをお赦しください、おお主よ。
主イエス・キリスト、神の御子よ。私たちはあなたに心から願います!(注:アベルを殺し続けようとする)カインの手をしっかり握ってください!
私たちの良心を照らしてください。
私たちの思いが実行されませんように。
自身勝手な行動に走ろうとする私たちを見捨てないでください!
私たちを止めてください。おお主よ、私たちを止めてください!
そして、あなたが(注:アベルを殺めようとする)カインの手を抑えられた時、彼をいたわってください。彼は私たちの兄弟です。
おお主よ、暴力を止めてください!
私たちを止めてください、おお主よ!
アーメン
(英語仮訳)
Forgive us for war, O Lord.
Lord Jesus Christ, Son of God, have mercy on us sinners!
Lord Jesus, born in the shadows of bombs falling on Kyiv, have mercy on us!
Lord Jesus, who died in a mother’s arms in a bunker in Kharkiv, have mercy on us!
Lord Jesus, a 20-year-old sent to the frontlines, have mercy on us!
Lord Jesus, who still behold armed hands in the shadow of your Cross, have mercy on us!
Forgive us, O Lord.
Forgive us, if we are not satisfied with the nails with which we crucified Your hands, as we continue to slate our thirst with the blood of those mauled by weapons.
Forgive us, if these hands which You created to tend have been transformed into instruments of death.
Forgive us, O Lord, if we continue to kill our brother;
Forgive us, if we continue like Cain to pick up the stones of our fields to kill Abel.
Forgive us, if we continue to justify our cruelty with our labors, if we legitimize the brutality of our actions with our pain.
Forgive us for war, O Lord. Forgive us for war, O Lord.
Lord Jesus Christ, Son of God, we implore You! Hold fast the hand of Cain!
Illumine our consciences;
May our will not be done;
Abandon us not to our own actions!
Stop us, O Lord, stop us!
And when you have held back the hand of Cain, care also for him. He is our brother.
O Lord, put a halt to the violence!
Stop us, O Lord!
Amen.
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコ (Vatican Media)
(2022.3.13 バチカン放送)
教皇フランシスコは13日で、在位9年となられた。
アルゼンチンのブエノスアイレス大司教、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿は、2013年3月13日、第266代目のローマ教皇に選出され、教皇名をフランシスコと名乗られた。
世界の平和を強く希求される教皇は、登位から今日に至るまで、様々なアピールやメッセージ、会見や司牧訪問の機会を通し、対話の構築、兄弟愛と連帯、貧しい人々や移民また環境問題への関心、出会いの文化の推進へと人々を招きながら、人民間の平和と和解のために働きかけ、福音の希望のメッセージを伝えてこられた。
教皇は、選出9年目の日を、ウクライナにおけるロシアの一方的な軍事侵略という歴史上の危機の中で迎えられた。刻々と変化するウクライナ情勢㋾注視しつつ、自らのアピールやバチカン外交を通しウクライナの平和のために心を砕いてきた教皇は、この日もバチカンで行われた日曜正午の祈りで、子どもたちをはじめとする市民の殺害を非難すると同時に、神の名において、攻撃を中止し、殺戮を止めるよう、苦悩と共に訴えられた。
また、教皇はこの日のツィートで「多くの避難民の受け入れを改めて呼びかけたいと思います。これらの人々の中にキリストがおられます。大きく形成された連帯のネットワークに感謝します」と支援の輪を励まされた。前日のツィートでも「戦争は決して起こしてはなりません。特に子どもたちのことを考えてください。戦争は子どもたちから尊厳ある人生の希望を奪ってしまいます」と、戦争が子どもたちの未来にもたらす傷を憂慮し、攻撃の停止を呼びかけておられる。
Angelus in St. Peter’s Square (Vatican Media)
(2022.3.13 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは13日、四旬節第二主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたルカ福音書の「イエスの変容」(9章28-36節参照)の場面を思い起こされ、この場に立ち会った弟子たちのように、私たちもまた、「他者のために祈り、奉仕しようという願望」を呼び覚ます神の光を必要としている、と語られた。
*”特別重要な時”に眠りこける弟子、私たちも…
ルカ福音書のこの場面で、イエスがペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて山に登られ、祈っておられるうちに、顔の様子が変わり、衣は白く光り輝き、その場に現れたモーセとエリアと、ご自身の最後について話される。
教皇は、ルカ福音書で、「その時、ペトロと仲間の弟子は、イエスのそばで眠りこけていたが、目を覚まし、イエスの栄光を目の当たりにした」と書いていることに注目。
そして、「ゲッセマネでイエスが苦悩の中で祈られていた時もそうですが、このような特別の時に、弟子たちが眠りこけてしまう、というのは驚きです。変容の場面で、弟子たちは、イエスの変容が始まる直前に眠りに落ち、その間、イエスは祈りを捧げておられました。そしておそらく弟子たちは、眠りに落ちるまで、イエスと共に祈っていたのでしょう」とされたうえで、「私たち自身の暮らしの中でも、同じことを体験します。忙しい一日を過ごした後に祈ったり、家族と過ごしそうとしたりするときに、タイミング悪く眠りにさそわれることがある。目を覚まし続け、なすべきことをするのに苦労します」と指摘された。
*四旬節は、内なる”眠り”から私たちを目覚め絶好の機会
そのうえで教皇は「四旬節は、私たちを内なる”眠り”から目覚めさせる絶好の機会を提供します」とされ、「だが、私たちは、それを自力ではできません、祈らなければ、いただけない恵みです。神の霊の力で、私たちは体の疲れを克服することができる。それが難しいときは、聖霊に助けを求めるべきです」、さらに「今日読まれたルカ福音書にあるように、三人の弟子たちが自分の力で目を覚まし続けることができません。そして、イエスの変容の最中に、イエスの光が彼らを覆った時に、目覚めたのです」と強調。
「私たちも、神の光を必要としています。それは私たちに別の方法で物事を見るようにさせます。私たちを引き付け、私たちを目覚めさせ、祈り、自分自身の内面を見、他の人に時間を捧げたい、という私たちの欲求と強さを、再燃させるのです」と語られた。
*主は私たちの日々の暮らしに予期しない光を与える
説教の最後に教皇は、「四旬節の間、私たちは常に神の光の中に身を置き、私たちを驚かせ、私たちの心を目覚めさせる機会を、主に差し上げるように努めましょう。導きと刺戟を得るために福音書を読むことによって、あるいは十字架につけられたイエスを黙想し、神の限りない愛の素晴らしさを体験することでによって」と信徒たちを促された。
そして、「神は、私たちの気力を失わせることが決してありません。神は、私たちの日々の暮らしを変容させ、日々の暮らしに新しい意味を与え、新しい、予期しないような光を与える力を持っておられます」と強調され、私たちの心を目覚めさせ、神がくださるこの恵みの時を喜びをもって迎え入れるのを助けてくださるように、聖母マリアに祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)
聖イグナチオ・デ・ロヨラと聖フランシスコ・ザビエルの列聖400年記念ミサ 2022年3月12日 ローマ・ジェズ教会 (Vatican Media)
(2022.3.12 バチカン放送)
教皇フランシスコが12日、ローマのジェズ教会で、聖イグナチオ・デ・ロヨラと聖フランシスコ・ザビエルの列聖400年記念ミサを共同司式された。
聖イグナチオは,、教皇も会員であるイエズス会の創立者で初代総長、聖フランシスコ・ザビエルも創立メンバーで、日本にキリスト教を伝えた「東洋の使徒」。1622年3月12日に、アヴィラのテレジア、フィリッポ・ネリ、そしてイシドロ農夫と共に列聖されている。
12日のミサは、イエズス会の現総長、アルトゥーロ・ソーサ神父を主司式者とし、教皇フランシスコおよびイエズス会の司祭たちの共同司式によって行われた。
ミサ中の説教で教皇は、四旬節第二主日の福音朗読、ルカ福音書の「主の変容」のエピソード(9章28b-36節)を取り上げられ、「イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた」(28節参照)というエピソードの冒頭部分と、「すると、雲の中から、『これは私の子、私の選んだ者。これに聞け』と言う声がした。この声がしたとき、イエスだけがそこにおられた」(35−36節)という後半の部分に注目。
そして、イエスの「連れていく」「登る」「祈る」「イエスだけがいる」の4つの動きに注意を向けられた教皇は、まず、「イエスは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて」という言葉の中に、「イエス自らに愛され、選ばれ、召し出される恵み」を観想。
次に、イエスの「山に登る」という行為を取り上げて、「イエスの道とは、登り坂の道です。イエスに従うためには、平地の生ぬるさや下り坂の安易さを捨て、習慣から抜け出し、外に向かうことが求められます」と説かれた。
また、「祈る」イエスの姿から、「変容は祈りから生まれます」とされ、「祈り」の中に、「現実を変容させる力」、「絶え間なく取り次ぎを願う、という生きたミッション」を読み取られた。
最後に教皇は、「これは私の子、私の選んだ者。これに聞け」という神の声が聞こえた時、「そこにはイエスだけがおられた」と書かれていることに注目し、「心を神に向け、この世の過ぎ去るものではなく、神によるもの、本質的で過ぎ去らないものを識別すること」の大切さを強調され、「イエズス会の父、聖イグナチオの『識別』という霊的遺産を、今日の教会と世界のために受け継いでいきましょう」と呼びかけられた。
(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)
ウクライナ首都キエフ北西イルピンで避難する家族 2022年3月7日 (AFP or licensors)
(2022.3.7 バチカン放送)
教皇フランシスコが、2023年にリスボンで予定する「世界青年の日大会(WYD)」を準備する若者たちを励ますビデオメッセージをおくられた。
メッセージは、教皇が「世界青年の日リスボン大会基金」会長のアメリコ・マヌエル・アグイアル・リスボン補佐司教と3日にお会いになった際、司教が録画した。
その中で、教皇は今、世界が直面している重大な問題を取り上げ、新型コロナウイルスの世界的大感染とそれが世界各地でもたらしている経済危機から回復を模索している中で、ロシアによるウクライナ軍事侵略ていることを「起きうる限りの最大の悪」と強く批判された。
そして、「このようないくつもの危機の中で2023年の大会を準備せねばなりませんが、大会が若く、生き生きとした、創造的なものとなることを願っています」と述べられた。
さらに、「『一人ひとりが個性を持った存在であり、コピーではない』とイタリアの若き福者、カルロ・アクティス(1991-2006)が語ったように、この大会が他の大会のコピーではない、固有のもの、創造性あるものとなるよう皆で力を合わせていきましょう」と激励された。
Refugees from Ukraine arrive in Poland (ANSA)
(2022.3.2 Vatican News Linda Bordoni)
2日の灰の水曜日は教皇フランシスコが提唱された「ウクライナの平和のための祈りと断食の日」となったが、教皇は同日の水曜恒例の一般謁見で、謁見に参加したポーランドの信徒たちに、戦火を逃れ、国外に脱出を余儀なくされているウクライナの人々を進んで受け入れているポーランドの人々に感謝を伝えるように求められた。そして、今もロシア軍の武力攻撃で被害を受けているウクライナの人々に寄り添うよう、世界の全ての信徒たちに願われた。
教皇はまず、パウロ6世ホールでの一般謁見に参加したポーランドの信徒たちに向かって、「あなたがたポーランドの人々は、ウクライナ支援に最初に手を挙げ、戦火から逃れてくるウクライナの人々に、国境を、心を、そして家の扉を開きました」と感謝。
「ポーランドの人々は、大きな悲劇の中にあるウクライナの人々が尊厳を持って生きるために必要な、すべてのものを惜しみなく提供しています」と讃え、祝福された。
教皇はまた、謁見に参加したウクライナ人の修道士を指して、「ポーランド語で朗読をしてくれたフランシスコ会の修道士は、ウクライナの人です。彼の両親は今、首都キエフの近郊で、爆撃から身を守るため地下の避難所におり、彼は私たちと一緒にここにいて、彼の義務を果たし続けているのです」と紹介された。そして「私たちは、彼の両親のように苦しんでいる人々を心に留めています」と語られた。
さらに教皇は、謁見に参加した英語を話すグループへの挨拶の中で、改めてロシアのウクライナ軍事侵略に触れ、「ウクライナの平和のための祈りと断食の日」から四旬節の旅を始めることの意味を強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
A child fleeing war in Ukraine at a temporary camp in Przemsl, Poland
(2022.3.2 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは2日の水曜一般謁見で、先週始められた「老年の意味と価値について」をテーマにした連続講話をお続けになり、今回は、「象徴と機会としての長寿」について考察された。
バチカン放送まとめによる講話の要旨は次のとおり。
**********
聖書に見られる始祖たちの系図で、私たちは彼らの非常な長寿に驚かされます。その中には数世紀にわたる長寿も記されています。父祖たちの、子をもうけた後に続く長い人生は、彼らとその子孫たちが世紀を超え、共に生きていく姿を意味しています。
このような世紀を刻みつつ流れる時間は、長寿と子孫との関係に象徴的な意味を与えています。それは、「人間の命の継承は、ゆっくりとした長いプロセスを必要とする」と言っているかのようです。そして、その長いプロセスの間に、様々な経験を読み解き、人生の神秘に照らし合わせるためには、異なる世代の間の支え合いを欠かすことが出来ません。
私たちの人生のあらゆる段階を、あまりにも早く駆け抜けようとすることは、個々の経験を表面的で「味わいのない」ものにしてしまいます。人生のそれぞれの段階には、適度な「熟成」が必要です。長く生きることは、こうした人生のステップを、急がずに味わうことを可能にしてくれます。
歳を取ると、「ゆっくりしたリズムで生きる」ことを余儀なくされますが、それは「無気力」とは異なります。そして、このゆっくりしたリズムは、「スピードに対する強迫観念」から解放された「人生の意味」に目を開かせるのです。ゆっくりしたリズムで生きる高齢者との触れ合いを失うことは、そうした人生の意味に触れる可能性を閉ざしてしまいます。
このような視点から、7月の最後の日曜日に「祖父母と高齢者のための世界祈願日」が設けられています。子どもたちと高齢者、若者と高齢者という世代間の絆は、全ての人の人間性を豊かなものにしてくれるでしょう。木が根から力を汲み取るように、若者が祖父母という根とのつながりを持ち、世代間の対話を持つことは重要です。
今日、人の寿命は、これまでになく長くなっっています。それは、様々な世代間の絆を育てる機会を与えてくれるのです。人生の意味は、誕生から死に至るまでのすべてにあります。すべての世代と対話し、愛情ある関係を育てることで、人は豊かに成熟するのです。私たちがすべての世代との調和、対話のシンフォニーを見出せるよう、神が助けて下さいますように。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコ 2022年2月27日のお告げの祈り (Vatican Media)
(2022.2.27 バチカン放送)
教皇フランシスコは27日、年間第8主日の正午の祈りで、この日の福音書の朗読箇所(ルカ6章9-45節)を取り上げ、説教をなさった。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
**********
今日の福音で、イエスは私たちの眼差しと話し方について考えるよう勧めておられます。
まず、私たちの「眼差し」について考えましょう。主は、自分の目にある梁(はり)を見ないで、兄弟に向かって「あなたの目にあるおが屑を取らせてください」(ルカ福音書6章42節参照)と言う危険に、私たちを気づかせます。
つまり、他者の欠点は、たとえおが屑のような小さなことでも、とても気になるが、自分の欠点は見過ごし、問題にしない、ということです。
実際、イエスの言うように、私たちはいつでも何かを他者のせいにして、自分を正当化しようとします。社会、教会、世界でうまくいかないことがあると、それを嘆くだけで、具体的に取り組むこともなければ、自分を変えるための努力もしません。
イエスは、私たちの目が見えない状態にある、と指摘され、「盲人に盲人の手引きができようか」と問いかけておられます(6章39節参照)。
イエスは、まず自分の惨めさを認めるために、私たちの内面を見つめるように、と勧めておられます。自分の欠点が見えないために、他人の欠点を大げさにしてしまう。自分の過ちや欠点を認めるとき、慈しみの扉が、私たちのために開くのです。
神はいつでも、人とその人の過ちとを区別されます。神は人を信頼され、いつも赦す準備ができておられます。神は、私たちにも、人の中に悪を探さず、善を見出すように、と招いておられます。
眼差しに続いて、イエスは、私たちの「話し方」についても考えるよう促されます。イエスは「心から溢れ出ることを、口は語る」(6章45節参照)と言われます。私たちが使う言葉は、自分がどのような人間であるのかを、物語りますが、時として、私たちは自分が話す言葉に注意を払いません。
私たちは言葉を通して、偏見を育てたり、隔ての壁を築いたり、さらには相手を攻撃し、破壊してしまうことさえあります。特にデジタル化した現代の世界では、言葉は早く伝わる一方で、怒りや攻撃性、偽の情報も早く伝わるようになりました。かつての国連事務総長、ダグ・ハマーショルド氏は「言葉の悪用は、人間を軽視することと同じだ」と語りました。
私たちが日頃使っている言葉について問い直してみましょう。その言葉が、配慮や尊重、理解や寄り添いを表すものか、それとも、自分をひけらかすためのものか。柔和さをもって話しているか。それとも批判や嘆きや攻撃性で、世の中に毒をまいているのか。
神がその謙虚さを顧みられた乙女マリアが、私たちの眼差しと話し方が清められるよう、助けてくださいますように。
(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)