☩「欧州の”壁”が”玄関口”となるように」ー教皇、European Catholic Social Daysに

Refugees from Ukraine are seen as they arrive at the Polish-Slovakian border crossing in Kroscienko, PolandRefugees from Ukraine are seen as they arrive at the Polish-Slovakian border crossing in Kroscienko, Poland  (AFP or licensors)

*彼らの叫びは私たちに行動を求めている

 また、教皇は、European Catholic Social Daysの今回の標語である「コロナ禍を超えた欧州、新たな始まり」を取り上げ、「新型コロナの大感染は、欧州の社会、経済、文化、さらには教会に大きな変化をもたらしています。長引く苦痛の中で、恐怖が高まり、貧困が増大し、孤独が増している。多くの人が職を失い、不安定な生活を送る一方で、他者との関わり方が変っています」と指摘。

 「そのような中で、私たちは、ぼんやりと立っていてはなりません。キリスト教徒として、そして欧州市民として、私たちは勇気を持って、『私たちの故郷、欧州。私たちの故郷である欧州の共通善』を実践するよう求められています」と強調され、「欧州と欧州を構成する国々は互いに反目してはいない。そして未来の建設は、統一ではなく、多様性を認め合いつつ、絆を強めていくことを意味するのです」と説かれた。

*愛は、寄り添い、分かち合うことだ

 最後に、教皇は、European Catholic Social Daysのロゴに使われた「トゥールの聖マルティヌス」に注目された。この聖人は、貧しい人に施すために、自分のマントを二つに切った。「愛は、寄り添い、分かち合い、他人を世話することだと、私たちに思い起こさせます」と語られた教皇は、「紛争、飢饉、貧困から逃れようとする非常に多くの兄弟姉妹と一致することは正しく、人間的で、キリスト教徒的な行為です」とされ、欧州に依然として存在する壁は、「歴史的、信仰的、芸術的、文化的な財産への玄関口に変えられる必要がある。友愛に基づく人間の共存が進むように、対話と社会的友情が促進されねばなりません」と訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年3月19日

◎教皇連続講話「老年の意味と価値について」③年配者には、神がノアに託された役割がある

(2022.3.16 バチカン広報)

 教皇フランシスコは16日の水曜恒例の一般謁見で、「老年の意味と価値について」をテーマにした連続講話を続けられ、要旨次のように語られた。

 「老年の意味と価値について」をテーマにした講話で、今回は、新しい世代へ人生の真の持続的な価値を引き継ぐ際の、高齢者の重要な役割を考えたいと思います。

 聖書の最初のページで、神は、暴力と邪悪が地に広がったことで堕落した「ご自身の創造物の善なる姿」を取り戻す仕事を年配のノアに託されます。人類に決定的な救いと霊的な刷新をもたらす神の王国がやって来るとみ、回心するように私たちに注意を与えるために、イエスご自身が「ノアの日々」について語ります。

 あらゆる時代において、ノアの時代のように、私たちは、罪と堕落を当たり前のように受け入れ、貧しい人々の不当な苦しみと、自然環境の破壊から、目をそらす誘惑にさらされています私たちの今の時代で言えば、それは、物質主義的で自己中心的で精神的に空虚な”捨てる文化”です。ノアのような年配者は、こうした危険を人々に警告し、「私たちは神から与えられた創造物の守護者と管理者なのだ」ということを、人々に思い起こさせる役割を果たすことができるのです。

 高齢の人たちが、このことー自分たちに与えられた特別の能力ーを認識し、私たちの世界の将来と新たな創造の夜明けを待ち望み、気にかけ、希望する、新たな”箱舟”を建造するのを助けてくれるよう、ノアの模範と祈りが促しますように。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年3月17日

☩「教会はイエスの言葉を使う、”政治の言葉”を使ってはならない」ー教皇、ロシア正教指導者とビデオ会議

Pope Francis and Patriarch Kirill speak by video callPope Francis and Patriarch Kirill speak by video call 

(2022.3.16  Vatican News staff reporter)

  教皇フランシスコは16日午後(日本時間同日深夜)、キリル総主教らロシア正教会の指導者たちと、ロシアの軍事侵略によって深刻な危機を迎えているウクライナ情勢についてビデオ会議を開かれ、「政治の言葉ではなく、イエスの言葉を使うように」と強く求められた。

*ロシア、ウクライナの交渉に注目、教会も戦火を止める努力を共にする必要

 会議後にバチカンのブルーニ広報局長が発表したところによると、会議にはバチカンのキリスト教一致推進評議会のクルト・コッホ議長と、モスクワ総主教区の対外関係部門の責任者も参加。「ウクライナにおいて平和を確実に実現するためにあらゆる手段を尽くす上でのキリスト教徒とその司牧者の役割」に焦点を当て意見が交換された。

 その中で教皇はまず、キリル総主教に対して、民の羊飼いとして、平和への道を目指し、平和の賜物と戦闘の停止を祈ろうとする熱意によって持たれたこの会議に参加してくれたことを感謝された。

 そして、教皇は、総主教の同意のもとに、「教会は政治の言語を使ってならない。イエスの言語を使う必要がある」と語られ、さらに、「私たちは、神を信じる同じ聖なる民の羊飼いであり、聖三位一体、神の聖母を信じています。だからこそ、私たちは、平和の実現を助け、苦しむ人々を助け、平和の道を模索し、戦火を止める努力を共にせねばなりません」と付け加えられた。

 広報局長によると、教皇と総主教は会議で、「進行中のロシア、ウクライナ両国代表による和平交渉が極めて重要であることを確認」した。

*苦しんでいる人々を助けるのが司牧者の義務

 さらに、教皇は会議で、交渉によって速やかな停戦を実現せねばならない理由として、「戦争の代償を払うのは国民。爆撃されて命を落とすのはロシアの兵士たちと、一般市民だからです」と述べ、「司牧者として、私たちは戦争に苦しんでいるすべての人々と共にいて、助ける義務がある」と強調された。

 また、「教会においてさえも、『聖戦』や『正戦』(注:の正当性)について語った時がありました。だが、今、私たちはこのようなことを話すことができない。平和の重要性へのキリスト教徒の認識が以前よりも強くなっているのです」とも語られた。

 会議の最後に、教皇と総主教は、「平和と正義を強固なものとすることに貢献することが、教会に求められている」との認識で一致。教皇は、戦争が人々に強いる犠牲を嘆き、「戦争は常に不公平です。犠牲を払うのは神の民だからです。私たちの心は、戦争の犠牲となったすべての人、殺された子供たち、女性たちの前で涙を流すことしかできない。戦争は決してとるべき道ではない。私たちをつなぐ聖霊は、私たちに、羊飼いとして、戦争で苦しむ人たちを助けるように求めている」と語り終えた。

*教皇と総主教は、ロシアのクリミア武力侵攻を受けた声明で「教会の和平への努力」を確認

 教皇と総主教は2016年にキューバで会談し、ウクライナの領土であるクリミアにロシアが武力侵攻した後、続いていたウクライナ東部での紛争について、次のような共同声明を発表していた。

 「私たちは、多くの犠牲者を出し、平和に暮らしていた住民に数えきれない傷を負わせ、市民社会を深刻な経済的、人道的危機に陥らせた、ウクライナにおける敵対行為を、強く悲しんでいます… 私たちは、紛争のすべての関係者に、忍耐と社会的連帯、そして平和の構築を目的とした行動を求めます。社会的調和に向けて努力し、対立にくみすることを控え、紛争の激化を助けることのないように、ウクライナの諸教会に求めます」。

 さらに、戦争の速やかな終結を祈るように、次のようにキリスト教徒に呼びかけていた。

 「私たちは、すべてのキリスト教徒、神を信じる全ての人に対して、神が造られたものを破壊から守り、新たな世界大戦が起きるのを許さないように訴えます。堅固で永続的な平和を確実なものとするために、私たちの主イエス・キリストの福音に基礎を置いた、私たちを結び付ける共通の価値を再発見するために、特別の努力をせねばなりません」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年3月17日

☩ 「爆撃で苦しんでいるウクライナの子どもたちのために祈りましょう」イタリアの子供たちと共に

教皇フランシスコ、イタリアの園児・児童らとの出会い 2022年3月16日 バチカン・聖ペトロ大聖堂教皇フランシスコ、イタリアの園児・児童らとの出会い 2022年3月16日 バチカン・聖ペトロ大聖堂  (Vatican Media)

(2022.3.16 バチカン放送)

 教皇フランシスコは16日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、イタリアの教育団体「ラ・ゾッラ」運営の幼稚園・小学校で学ぶ子どもたちと保護者、教員たち約2000人とともに、ウクライナの子どもたちのために祈られた。

 「ラ・ゾッラ」はキリスト教体験に基づく教育を目指すミラノの数組の両親らによって始められた保育所を基礎に1972年に設立され、今年で50年を迎える。

 教皇は、子供たちへの話の中で、まず、「分かち合い」と「受け入れ」を、二つの大切なこととして教えられた。

 「『分かち合い』とは、まわりにいる仲間たちと共に成長すること、知識だけでなく、もっと兄弟としての社会を築くための結びつきを育てるために、『チームを作ること』が必要です」と語られ、「私たちは、とても平和を望んでいますが、それは家や学校での『分かち合い』の中から作り出されていくものです」と説かれた。

 また、「受け入れ」について、「社会には人々の関係を妨げる多くの壁があり、それが他者の疎外や切り捨ての原因になっています…。学校での、いじめや仲間外れも、決してあってはなりません。いつも橋をかけるようにしましょう」と励まされた。

 最後に、教皇は、「遠く離れたウクライナの子どもたちのことを考え、祈ってください」と願われた。

 「今、ウクライナでは、皆さんと同じ歳の子どもたちが戦争のために苦しんでいます。皆さんは平和な社会で育っていますが、ウクライナでは小さな子どもたちでさえ、爆弾から逃げなければならないのです」とされ、「ウクライナの子どもたちのことを思いながら主に祈りましょう。恐ろしい戦争の中で、爆撃の下で生き、食べるものもなく、寒さに苦しんでいる子どもたち、大人の高慢の犠牲者である子どもたちを、主イエスが守ってくださるように」と子どもたち、親や教員たちと共に祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2022年3月17日

☩教皇が、ウクライナでの戦いの即時終結を願う特別の祈り(VN)

Pope Francis bows his head in prayer for UkrainePope Francis bows his head in prayer for Ukraine  (Vatican Media)

(2022.3.16 Vatican News By Devin Watkins)

 ロシアのウクライナ軍事侵攻が激しさを増し、首都キエフ陥落を目指す中で、教皇フランシスコは16日の水曜恒例一般謁見の終わりに、参加した信徒たち、そしてインターネットを通じて世界の全ての人々と、ウクライナでの戦いの早期終結を共に祈られた。

  祈りには、ナポリのドメニコ・バッタリア大司教が作成した祈りに、教皇ご自身が若干の追加されたものが使われ、戦争という残忍な行為ーこの地球を愛おしみ、世話するために神が作られた私たちの手を、死の道具に変える行為ーを犯す人類のすべてを赦してくださるように、神に懇願された。

 祈りを唱える前に、教皇は、ウクライナでの戦争の苦しみの中にあって、神に赦しを求め、平和をくださることを、神に願うように、信徒たちに勧められた。

  以下は、教皇の祈りの非公式英語訳を日本語に仮訳したもの。

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 戦争をする私たちをお赦しください。おお主よ。

 主イエス・キリスト、神の御子、私たち罪人を憐れんでください!

 主イエス、キエフに落ちる爆弾の陰で生まれたかた、私たちを憐れんでください!

 主イエス、ハリコフの掩蔽壕で母の腕の中で亡くなったかた、私たちを憐れんでください!

 主イエス、戦闘の最前線に送られた20歳の青年、私たちを憐れんでください!

 主イエス、ご自身の十字架の陰で武器を持った手を見守り続けるかた、私たちを憐れんでください!

 私たちをお赦しください、おお主よ。

 私たちをお赦しください、私たちがあなたの手に打ち込み、十字架につけた釘に満足していないなら、武器で傷つけられた人々の血で喉の渇きを癒し続けようとするなら。

 私たちをお赦しください、あなたが造られたものを養うために下さったこの手を、死の道具に変えてしまっているのなら。

 私たちをお赦しください、おお主よ。私たちが自分の兄弟を殺し続けるなら。

  私たちをお赦しください、自分の畑の石を拾い上げてアベルを殺したカインのようなことを続けるなら。

 私たちをお赦しください、 私たちが労働で自分の残酷さを正当化し続けるなら。私たちが痛みで自分の行いの残忍さを正当化するなら。

 戦争する私たちををお赦してください、おお主よ。戦争する私たちをお赦しください、おお主よ。

 主イエス・キリスト、神の御子よ。私たちはあなたに心から願います!(注:アベルを殺し続けようとする)カインの手をしっかり握ってください!

 私たちの良心を照らしてください。

 私たちの思いが実行されませんように。

 自身勝手な行動に走ろうとする私たちを見捨てないでください!

 私たちを止めてください。おお主よ、私たちを止めてください!

 そして、あなたが(注:アベルを殺めようとする)カインの手を抑えられた時、彼をいたわってください。彼は私たちの兄弟です。

 おお主よ、暴力を止めてください!

 私たちを止めてください、おお主よ!

 アーメン

(英語仮訳)

Forgive us for war, O Lord.

Lord Jesus Christ, Son of God, have mercy on us sinners!
Lord Jesus, born in the shadows of bombs falling on Kyiv, have mercy on us!
Lord Jesus, who died in a mother’s arms in a bunker in Kharkiv, have mercy on us!
Lord Jesus, a 20-year-old sent to the frontlines, have mercy on us!
Lord Jesus, who still behold armed hands in the shadow of your Cross, have mercy on us!

Forgive us, O Lord.

Forgive us, if we are not satisfied with the nails with which we crucified Your hands, as we continue to slate our thirst with the blood of those mauled by weapons.
Forgive us, if these hands which You created to tend have been transformed into instruments of death.
Forgive us, O Lord, if we continue to kill our brother;

Forgive us, if we continue like Cain to pick up the stones of our fields to kill Abel.
Forgive us, if we continue to justify our cruelty with our labors, if we legitimize the brutality of our actions with our pain.
Forgive us for war, O Lord. Forgive us for war, O Lord.

Lord Jesus Christ, Son of God, we implore You! Hold fast the hand of Cain!
Illumine our consciences;
May our will not be done;
Abandon us not to our own actions!

Stop us, O Lord, stop us!
And when you have held back the hand of Cain, care also for him. He is our brother.
O Lord, put a halt to the violence!
Stop us, O Lord!
Amen.

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年3月16日

☩「戦争で、子供たちから人生の希望を奪ってはならない」教皇フランシスコ、13日で在位9年

教皇フランシスコ教皇フランシスコ  (Vatican Media)

(2022.3.13 バチカン放送)

 教皇フランシスコは13日で、在位9年となられた。

 アルゼンチンのブエノスアイレス大司教、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿は、2013年3月13日、第266代目のローマ教皇に選出され、教皇名をフランシスコと名乗られた。

 世界の平和を強く希求される教皇は、登位から今日に至るまで、様々なアピールやメッセージ、会見や司牧訪問の機会を通し、対話の構築、兄弟愛と連帯、貧しい人々や移民また環境問題への関心、出会いの文化の推進へと人々を招きながら、人民間の平和と和解のために働きかけ、福音の希望のメッセージを伝えてこられた。

 教皇は、選出9年目の日を、ウクライナにおけるロシアの一方的な軍事侵略という歴史上の危機の中で迎えられた。刻々と変化するウクライナ情勢㋾注視しつつ、自らのアピールやバチカン外交を通しウクライナの平和のために心を砕いてきた教皇は、この日もバチカンで行われた日曜正午の祈りで、子どもたちをはじめとする市民の殺害を非難すると同時に、神の名において、攻撃を中止し、殺戮を止めるよう、苦悩と共に訴えられた。

 また、教皇はこの日のツィートで「多くの避難民の受け入れを改めて呼びかけたいと思います。これらの人々の中にキリストがおられます。大きく形成された連帯のネットワークに感謝します」と支援の輪を励まされた。前日のツィートでも「戦争は決して起こしてはなりません。特に子どもたちのことを考えてください。戦争は子どもたちから尊厳ある人生の希望を奪ってしまいます」と、戦争が子どもたちの未来にもたらす傷を憂慮し、攻撃の停止を呼びかけておられる。

2022年3月14日

☩「神の名において言うーウクライナでの大虐殺を止めよ!」13日の正午の祈りで

 

A Ukrainian woman in front of the Volnovakha hospital destroyed from the bombardmentsA Ukrainian woman in front of the Volnovakha hospital destroyed from the bombardments 

(2022.3.13  Vatican News staff writer)

   教皇フランシスコは13日の四旬節第二主日の正午の祈りの最後に、現在も進行中のロシアのウクライナ軍事侵略とそれがもたらしている多くの犠牲者を改めて思い起こされ、戦闘の即時停止を再度、心から訴えられた。

 教皇は「今、私たちが主への執り成しを聖母マリアに願いましたが、その名前を冠したウクライナの都市、マリウポリが恐ろしい戦争で殉教者の町になっている」とされ、「子供たち、罪のない武器を持たない人々を殺戮している野蛮さ」に恐怖を表明。「ウクライナの諸都市が墓場になってしまう前に、この容認しがたい武力侵略を停止する」ことを、具体的に名をあげなかったものの、ロシアの指導者であるプーチン大統領を明らかに相手にする形で、強く訴えられた。

 さらに、「私は、心の痛みとともに、(無差別の)攻撃中止を懇願する人たちに声を合わせます」とされ、関係国の指導者たちに交渉による攻撃中止実現に全力を挙げるよう、被災者たちのために人道回廊の安全確保を図るよう求め、「 In nome di Dio, vi chiedo: fermate questo massacro!(神の名において、あなた方に求めますー大虐殺をやめなさい!)」と繰り返された。

 また、世界中で生まれているウクライナの人々と連帯する「キリストがおられる人たち」の努力に感謝しつつ、ウクライナからの避難民を積極的に受け入れるよう求められた。

 また、世界のすべての教区と宗教関係の共同体が、ウクライナに速やかに平和が戻るよう祈ることに一層、努めるよう求められ、「神は平和の神であり、戦争の神ではありません。暴力を支持する人々は彼の名前を冒涜しています」としたうえで、正午の祈りのために聖ペトロ広場に集まった人々に、苦しんでいる人々のために黙祷する中で、神が、人々の心を平和への確固たる意志に変えることを願うように促された。 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2022年3月13日

☩「大事な時に”眠り”から覚めるのに神の光が必要だ」四旬節第二主日の正午の祈り

Angelus in St. Peter's SquareAngelus in St. Peter’s Square  (Vatican Media)

(2022.3.13  Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは13日、四旬節第二主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたルカ福音書の「イエスの変容」(9章28-36節参照)の場面を思い起こされ、この場に立ち会った弟子たちのように、私たちもまた、「他者のために祈り、奉仕しようという願望」を呼び覚ます神の光を必要としている、と語られた。

*”特別重要な時”に眠りこける弟子、私たちも…

 ルカ福音書のこの場面で、イエスがペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて山に登られ、祈っておられるうちに、顔の様子が変わり、衣は白く光り輝き、その場に現れたモーセとエリアと、ご自身の最後について話される。

 教皇は、ルカ福音書で、「その時、ペトロと仲間の弟子は、イエスのそばで眠りこけていたが、目を覚まし、イエスの栄光を目の当たりにした」と書いていることに注目。

 そして、「ゲッセマネでイエスが苦悩の中で祈られていた時もそうですが、このような特別の時に、弟子たちが眠りこけてしまう、というのは驚きです。変容の場面で、弟子たちは、イエスの変容が始まる直前に眠りに落ち、その間、イエスは祈りを捧げておられました。そしておそらく弟子たちは、眠りに落ちるまで、イエスと共に祈っていたのでしょう」とされたうえで、「私たち自身の暮らしの中でも、同じことを体験します。忙しい一日を過ごした後に祈ったり、家族と過ごしそうとしたりするときに、タイミング悪く眠りにさそわれることがある。目を覚まし続け、なすべきことをするのに苦労します」と指摘された。

*四旬節は、内なる”眠り”から私たちを目覚め絶好の機会

 そのうえで教皇は「四旬節は、私たちを内なる”眠り”から目覚めさせる絶好の機会を提供します」とされ、「だが、私たちは、それを自力ではできません、祈らなければ、いただけない恵みです。神の霊の力で、私たちは体の疲れを克服することができる。それが難しいときは、聖霊に助けを求めるべきです」、さらに「今日読まれたルカ福音書にあるように、三人の弟子たちが自分の力で目を覚まし続けることができません。そして、イエスの変容の最中に、イエスの光が彼らを覆った時に、目覚めたのです」と強調。

 「私たちも、神の光を必要としています。それは私たちに別の方法で物事を見るようにさせます。私たちを引き付け、私たちを目覚めさせ、祈り、自分自身の内面を見、他の人に時間を捧げたい、という私たちの欲求と強さを、再燃させるのです」と語られた。

*主は私たちの日々の暮らしに予期しない光を与える

 説教の最後に教皇は、「四旬節の間、私たちは常に神の光の中に身を置き、私たちを驚かせ、私たちの心を目覚めさせる機会を、主に差し上げるように努めましょう。導きと刺戟を得るために福音書を読むことによって、あるいは十字架につけられたイエスを黙想し、神の限りない愛の素晴らしさを体験することでによって」と信徒たちを促された。

 そして、「神は、私たちの気力を失わせることが決してありません。神は、私たちの日々の暮らしを変容させ、日々の暮らしに新しい意味を与え、新しい、予期しないような光を与える力を持っておられます」と強調され、私たちの心を目覚めさせ、神がくださるこの恵みの時を喜びをもって迎え入れるのを助けてくださるように、聖母マリアに祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

 

 

2022年3月13日

☩「本質を識別する力を」教皇がイグナチオ、フランシスコ・ザビエル列聖400年記念ミサ

聖イグナチオ・デ・ロヨラと聖フランシスコ・ザビエルの列聖400年記念ミサ 2022年3月12日 ローマ・ジェズ教会聖イグナチオ・デ・ロヨラと聖フランシスコ・ザビエルの列聖400年記念ミサ 2022年3月12日 ローマ・ジェズ教会  (Vatican Media)

 教皇フランシスコが12日、ローマのジェズ教会で、聖イグナチオ・デ・ロヨラと聖フランシスコ・ザビエルの列聖400年記念ミサを共同司式された。

 聖イグナチオは,、教皇も会員であるイエズス会の創立者で初代総長、聖フランシスコ・ザビエルも創立メンバーで、日本にキリスト教を伝えた「東洋の使徒」。1622年3月12日に、アヴィラのテレジア、フィリッポ・ネリ、そしてイシドロ農夫と共に列聖されている。

 12日のミサは、イエズス会の現総長、アルトゥーロ・ソーサ神父を主司式者とし、教皇フランシスコおよびイエズス会の司祭たちの共同司式によって行われた。

 ミサ中の説教で教皇は、四旬節第二主日の福音朗読、ルカ福音書の「主の変容」のエピソード(9章28b-36節)を取り上げられ、「イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた」(28節参照)というエピソードの冒頭部分と、「すると、雲の中から、『これは私の子、私の選んだ者。これに聞け』と言う声がした。この声がしたとき、イエスだけがそこにおられた」(35−36節)という後半の部分に注目。

 そして、イエスの「連れていく」「登る」「祈る」「イエスだけがいる」の4つの動きに注意を向けられた教皇は、まず、「イエスは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて」という言葉の中に、「イエス自らに愛され、選ばれ、召し出される恵み」を観想。

 次に、イエスの「山に登る」という行為を取り上げて、「イエスの道とは、登り坂の道です。イエスに従うためには、平地の生ぬるさや下り坂の安易さを捨て、習慣から抜け出し、外に向かうことが求められます」と説かれた。

 また、「祈る」イエスの姿から、「変容は祈りから生まれます」とされ、「祈り」の中に、「現実を変容させる力」、「絶え間なく取り次ぎを願う、という生きたミッション」を読み取られた。

 最後に教皇は、「これは私の子、私の選んだ者。これに聞け」という神の声が聞こえた時、「そこにはイエスだけがおられた」と書かれていることに注目し、「心を神に向け、この世の過ぎ去るものではなく、神によるもの、本質的で過ぎ去らないものを識別すること」の大切さを強調され、「イエズス会の父、聖イグナチオの『識別』という霊的遺産を、今日の教会と世界のために受け継いでいきましょう」と呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2022年3月13日

☩「戦争は最大の悪だ!」-2023世界青年の日大会に向けたメッセージで

ウクライナ首都キエフ北西イルピンで避難する家族 2022年3月7日ウクライナ首都キエフ北西イルピンで避難する家族 2022年3月7日  (AFP or licensors)

 メッセージは、教皇が「世界青年の日リスボン大会基金」会長のアメリコ・マヌエル・アグイアル・リスボン補佐司教と3日にお会いになった際、司教が録画した。

 その中で、教皇は今、世界が直面している重大な問題を取り上げ、新型コロナウイルスの世界的大感染とそれが世界各地でもたらしている経済危機から回復を模索している中で、ロシアによるウクライナ軍事侵略ていることを「起きうる限りの最大の悪」と強く批判された。

 そして、「このようないくつもの危機の中で2023年の大会を準備せねばなりませんが、大会が若く、生き生きとした、創造的なものとなることを願っています」と述べられた。

 さらに、「『一人ひとりが個性を持った存在であり、コピーではない』とイタリアの若き福者、カルロ・アクティス(1991-2006)が語ったように、この大会が他の大会のコピーではない、固有のもの、創造性あるものとなるよう皆で力を合わせていきましょう」と激励された。

2022年3月8日

☩教皇が訴え「ウクライナで血と涙の川が流されている。速やかな平和実現と”人権回廊”の確保を」

(2022.3.6 Vatican News)

 教皇フランシスコは6日、四旬節第一主日の正午の祈りで、ウクライナの平和と被災者の保護を求めるアピールを発表された。

 その中で、教皇は、ロシアの軍事侵略に晒されているウクライナに速やかな平和が実現するよう心から訴えるとともに、被災者が安全に危険地域から脱出できる”人権回廊”を確保するよう、被災者、とくに母親と子供たちが必要な介護と支援をうけられるよう、関係国、機関に強く求められた。

 アピールの全文英語訳は以下の通り。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 ウクライナで血と涙の川が流されています。単なる軍事作戦ではなく、死、破壊、そして悲惨をまき散らす戦争です。それから逃れようとする人々、母親と子供たちが日を追って増え、犠牲者の数が増え続けています。苦難の最中にあるこの国に対する人道支援の必要性は、日を追うごとに、急激に高まっています。

 私は、爆弾と恐怖に押しつぶされている兄弟姉妹に対して強力な支援を提供するために人道的回廊がしっかりと確保され、(ロシア軍に)包囲された地域に確実に援助が届くようにすることを、心から訴えます。

 避難してくる人たちを受け入れているすべての人に感謝します。そして、軍事攻撃をやめ、(和平への)交渉が進められ、常識が通用するようになることを懇願します。国際法は再び尊重されるように!

 また、(現地からの)報道を続けるために命を危険にさらしているジャーナリストたちに感謝します。ありがとう、兄弟姉妹!人々の悲劇を現実のものとして知り、戦争の残酷さを理解することを可能にする活動に携わっている兄弟姉妹、ありがとう。

 ウクライナのために、共に祈りましょう。私たちの前にはウクライナの旗があります。兄弟姉妹として、ウクライナの女王、聖母マリアに共に祈りましょう。アヴェマリア…

 教皇庁は、この(ウクライナの)平和のためにあらゆる奉仕をする用意があります。このほど、2人の枢機卿が現地の方々に奉仕し、支援するためにウクライナに赴きました。教皇慈善活動室のコンラート・クライェフスキ枢機卿と人間開発省の暫定長官マイケル・チェルニー枢機卿です。2人の枢機卿は、(苦しんでいるウクライナの人たちに)寄り添い、「戦争は狂気だ!お願いだから、止めてくれ!この残酷さを見てくれ!」と叫ぶ、教皇だけでなく、すべてのキリスト教徒を象徴する存在です。

2022年3月6日

☩「神の御言葉で、悪の誘惑に対抗しよう」教皇、四旬節第一主日の正午の祈り

(2022.3.6  Vatican News staff reporter)

   教皇フランシスコは6日、四旬節第一主日の正午の祈りの説教で、世界の信徒たちに「私たちの人生の旅について来る」誘惑に注意を怠らないように警告され、「悪と合意しない」イエスに目を向けるように勧められた。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所ーイエスが霊によって荒れ野に道日から、40日の間、悪魔から試みを受けられたーを取り上げ、「”荒れ野”は、真の自由を選択することを学ぶための、悪の誘惑に対する闘いを象徴しています」とされ、さらに、イエスが、どのようなメシアであろうとするのかを、ことをはっきりと断言されるのは、「まさに、この『霊的な戦い』を通してなのです」と説かれた。

*誘惑との戦い さらに教皇は、イエスが荒れ野で、悪魔の誘惑と戦われる場面に注意を向けられ、「悪魔がどのようにして、イエスを誘惑するのか。『あなたが神の子なら、その力を使ってください!あなたがそれで何を得られるのか考えてください』と言って誘うのです」とし、「これは『心の奴隷』、つまり、すべての価値を、物、権力、名声を手に入れることに矮小化しようとする試みです」と語られた。

*イエスは神の言葉で対抗された

 このような悪魔の挑戦に対して、「イエスは勝利の法則ーつまり、神の御言葉で対抗されます。『自分に都合よく神を利用してはならない』『特権を得るために自分の地位を利用してはならない』と」と説かれ、さらに、「幸福と自由の意味は、『所有する』ことではなく、『共有する』ことにあります。他者を利用するのではなく、他者を愛すること。権力に執着せず、奉仕の喜びの中にあることです」と強調された。

*「人生の旅について来る誘惑」に警戒せよ

 教皇はまた、「人生の旅について来る誘惑」につい信徒たちに注意を与えられた。「私たちは警戒しなければなりません。でも、恐れることはない。それはすべての人が経験することです」としつつ、「それでも、しばしば、”善”を装って近づいて来るので、注意が必要です。狡猾な悪魔は常に私たちを欺瞞します。神聖な、明らかに宗教的な動機で偽装する方法さえ熟知しているのです」とされ、「イエスは悪魔と言葉を交わされたことはありません。私たちも、言葉を交わさないように」と注意された。

 さらに、「私たちが悪魔のお世辞に乗せれるなら、私たちは”善意”で偽装することで、自分の虚偽を正当化することになります… 私たちを誘惑しようとする悪魔と言葉を交わしてはなりません。『それは深刻ではなく、誰もがそうしているのだから』と自分を納得させるような『良心の眠り』に陥ってはなりません」とも警告された。

イエスに目を向ける

 説教の最後に教皇は、「妥協を求めず、悪との合意をしないイエス」に目を向けるように、信徒たちに勧められた。「イエスは、悪魔よりも強い神の言葉で悪魔に対抗し、誘惑に打ち勝たれます」。

 そして、「この四旬節が、私たちにとって、(試練を受ける)荒れ野で過ごす時ともなりますように」と願われるとともに、 「沈黙と祈りに、少しばかり時間をかけましょう。それは私たちに良いことです。沈黙と祈りの中で、私たちは立ち止まり、心の中で動いているものー内なる真理を見て、…祈りの中で、神の御言葉の前に身を置き、私たちを奴隷にしようとする悪と正面切って戦い、心の自由のために戦いましょう」と勧められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2022年3月6日

☩「爆撃に苦しむ人々に寄り添おう」ー教皇、一般謁見でウクライナの避難民へのポーランドの支援に感謝

Refugees from Ukraine arrive in PolandRefugees from Ukraine arrive in Poland  (ANSA)

(2022.3.2 Vatican News  Linda Bordoni)

     2日の灰の水曜日は教皇フランシスコが提唱された「ウクライナの平和のための祈りと断食の日」となったが、教皇は同日の水曜恒例の一般謁見で、謁見に参加したポーランドの信徒たちに、戦火を逃れ、国外に脱出を余儀なくされているウクライナの人々を進んで受け入れているポーランドの人々に感謝を伝えるように求められた。そして、今もロシア軍の武力攻撃で被害を受けているウクライナの人々に寄り添うよう、世界の全ての信徒たちに願われた。

 教皇はまず、パウロ6世ホールでの一般謁見に参加したポーランドの信徒たちに向かって、「あなたがたポーランドの人々は、ウクライナ支援に最初に手を挙げ、戦火から逃れてくるウクライナの人々に、国境を、心を、そして家の扉を開きました」と感謝。

 「ポーランドの人々は、大きな悲劇の中にあるウクライナの人々が尊厳を持って生きるために必要な、すべてのものを惜しみなく提供しています」と讃え、祝福された。

 教皇はまた、謁見に参加したウクライナ人の修道士を指して、「ポーランド語で朗読をしてくれたフランシスコ会の修道士は、ウクライナの人です。彼の両親は今、首都キエフの近郊で、爆撃から身を守るため地下の避難所におり、彼は私たちと一緒にここにいて、彼の義務を果たし続けているのです」と紹介された。そして「私たちは、彼の両親のように苦しんでいる人々を心に留めています」と語られた。

 さらに教皇は、謁見に参加した英語を話すグループへの挨拶の中で、改めてロシアのウクライナ軍事侵略に触れ、「ウクライナの平和のための祈りと断食の日」から四旬節の旅を始めることの意味を強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

A child fleeing war in Ukraine at a temporary camp in Przemsl, Poland
A child fleeing war in Ukraine at a temporary camp in Przemsl, Poland
2022年3月2日

◎教皇連続講話「老年の意味と価値について」②「豊かな人生のために世代間連携が不可欠」

(2022.3.2 Vatican News  Christopher Wells)

   教皇フランシスコは2日の水曜一般謁見で、先週始められた「老年の意味と価値について」をテーマにした連続講話をお続けになり、今回は、「象徴と機会としての長寿」について考察された。

 バチカン放送まとめによる講話の要旨は次のとおり。

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 聖書に見られる始祖たちの系図で、私たちは彼らの非常な長寿に驚かされます。その中には数世紀にわたる長寿も記されています。父祖たちの、子をもうけた後に続く長い人生は、彼らとその子孫たちが世紀を超え、共に生きていく姿を意味しています。

 このような世紀を刻みつつ流れる時間は、長寿と子孫との関係に象徴的な意味を与えています。それは、「人間の命の継承は、ゆっくりとした長いプロセスを必要とする」と言っているかのようです。そして、その長いプロセスの間に、様々な経験を読み解き、人生の神秘に照らし合わせるためには、異なる世代の間の支え合いを欠かすことが出来ません。

 私たちの人生のあらゆる段階を、あまりにも早く駆け抜けようとすることは、個々の経験を表面的で「味わいのない」ものにしてしまいます。人生のそれぞれの段階には、適度な「熟成」が必要です。長く生きることは、こうした人生のステップを、急がずに味わうことを可能にしてくれます。

 歳を取ると、「ゆっくりしたリズムで生きる」ことを余儀なくされますが、それは「無気力」とは異なります。そして、このゆっくりしたリズムは、「スピードに対する強迫観念」から解放された「人生の意味」に目を開かせるのです。ゆっくりしたリズムで生きる高齢者との触れ合いを失うことは、そうした人生の意味に触れる可能性を閉ざしてしまいます。

 このような視点から、7月の最後の日曜日に「祖父母と高齢者のための世界祈願日」が設けられています。子どもたちと高齢者、若者と高齢者という世代間の絆は、全ての人の人間性を豊かなものにしてくれるでしょう。木が根から力を汲み取るように、若者が祖父母という根とのつながりを持ち、世代間の対話を持つことは重要です。

 今日、人の寿命は、これまでになく長くなっっています。それは、様々な世代間の絆を育てる機会を与えてくれるのです。人生の意味は、誕生から死に至るまでのすべてにあります。すべての世代と対話し、愛情ある関係を育てることで、人は豊かに成熟するのです。私たちがすべての世代との調和、対話のシンフォニーを見出せるよう、神が助けて下さいますように。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年3月2日

☩「私たちは自分の欠点を見過ごし、悪口をばらまいていないか」年間第8主日の正午の祈りで

教皇フランシスコ 2022年2月27日のお告げの祈り  (Vatican Media)

(2022.2.27 バチカン放送)

 教皇フランシスコは27日、年間第8主日の正午の祈りで、この日の福音書の朗読箇所(ルカ6章9-45節)を取り上げ、説教をなさった。

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 今日の福音で、イエスは私たちの眼差しと話し方について考えるよう勧めておられます。

 まず、私たちの「眼差し」について考えましょう。主は、自分の目にある梁(はり)を見ないで、兄弟に向かって「あなたの目にあるおが屑を取らせてください」(ルカ福音書6章42節参照)と言う危険に、私たちを気づかせます。

 つまり、他者の欠点は、たとえおが屑のような小さなことでも、とても気になるが、自分の欠点は見過ごし、問題にしない、ということです。

 実際、イエスの言うように、私たちはいつでも何かを他者のせいにして、自分を正当化しようとします。社会、教会、世界でうまくいかないことがあると、それを嘆くだけで、具体的に取り組むこともなければ、自分を変えるための努力もしません。

 イエスは、私たちの目が見えない状態にある、と指摘され、「盲人に盲人の手引きができようか」と問いかけておられます(6章39節参照)。

 イエスは、まず自分の惨めさを認めるために、私たちの内面を見つめるように、と勧めておられます。自分の欠点が見えないために、他人の欠点を大げさにしてしまう。自分の過ちや欠点を認めるとき、慈しみの扉が、私たちのために開くのです。

 神はいつでも、人とその人の過ちとを区別されます。神は人を信頼され、いつも赦す準備ができておられます。神は、私たちにも、人の中に悪を探さず、善を見出すように、と招いておられます。

 眼差しに続いて、イエスは、私たちの「話し方」についても考えるよう促されます。イエスは「心から溢れ出ることを、口は語る」(6章45節参照)と言われます。私たちが使う言葉は、自分がどのような人間であるのかを、物語りますが、時として、私たちは自分が話す言葉に注意を払いません。

 私たちは言葉を通して、偏見を育てたり、隔ての壁を築いたり、さらには相手を攻撃し、破壊してしまうことさえあります。特にデジタル化した現代の世界では、言葉は早く伝わる一方で、怒りや攻撃性、偽の情報も早く伝わるようになりました。かつての国連事務総長、ダグ・ハマーショルド氏は「言葉の悪用は、人間を軽視することと同じだ」と語りました。

 私たちが日頃使っている言葉について問い直してみましょう。その言葉が、配慮や尊重、理解や寄り添いを表すものか、それとも、自分をひけらかすためのものか。柔和さをもって話しているか。それとも批判や嘆きや攻撃性で、世の中に毒をまいているのか。

 神がその謙虚さを顧みられた乙女マリアが、私たちの眼差しと話し方が清められるよう、助けてくださいますように。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2022年2月28日