・「いかなる代償を払っても子供たちを守る」とシクルーナ大司教が”サミット”冒頭で言明

(2019.2.21 VaticanNews Linda Bordoni)

 サミット初日のメイン・テーマは「責任」。マルタ教区長でバチカンの教理省次官補でもあるシクルーナ大司教の基調報告のタイトルは「性的虐待の諸案件への対処と虐待防止について責任をとる」で、教会における司法の分野で司教たちの対応は、神から受けた責任、教会に対する忠誠についての根源的な試練の一つだ、という点を強調。

 「私たちは、民の世話をゆだねられています。それは、民を守り、彼らが虐待された時に正義を行う神聖な義務です」と語り、聖職者による未成年に対する性的虐待の個々の案件の主要な経過について言及。また、いくつかの実際的な提案も示し、「忍耐、最も良い方法、そして、私たちの罪のない子供たちと若者たちを守るこの上ない思いをもって、対応する必要がある」と強調した。

 さらに、大司教は、「性的不法行為に関する報告」「性的不法行為の案件捜査」「教会法的な処罰の手順」「司法当局との接点」「教会法上の決定の実行」「性的虐待の防止」に関する教会が取るべき政策と手段について、言及した。

 そして報告の最後に、教皇が2018年8月20日に出された「神の民に対する書簡」を次のように引用した。「私たちは、教会として、神に生涯をささげた人々、聖職者たち、そして最も弱い人々を見守り、世話をする使命をゆだねられた全ての人が犯した残酷な行為を、悲しみと恥ずかしさをもって、確かめ、弾劾しなければなりません。私たち自身の罪、他の人々の罪に赦しを願いましょう。罪を知ることは、私たちに過去の過ち、犯罪、そして、負わされた傷を確かめる助けとなり、今の私たちに、新たな変革の旅を開かれた心で始められるようにするのです」。

 また、大司教は「私たちが世話をする信仰共同体は、私たちが本気であることを知るべきです。私たちが彼らの安全の友、彼らの子供たちと若者たちの友であることを、知るようになるべきです。私たちは、率直で、謙遜の心で、彼らと繋がります。私たちは、あらゆる代償をはらって、彼らを守ります。私たちは、私たちに任された羊たちのために身を捧げます」と決意を述べた。

 シクルーナ大司教の基調報告の英語全文は www.pbc2019.orgに。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2019年2月22日

・「正義を求める小さな者たちの叫びを聴こう」と教皇-”性的虐待サミット”始まる

Opening summit, Pope urges ‘concrete, effective measures’ on abuse

 (Credit: Vincenzo Pinto/Pool Photo via AP.)

(2019.2.21 VaticanNews  Lydia O’Kane)

 「教会における未成年者保護」を主題とする全世界の司教協議会会長たちによるサミットが21日、バチカンのシノドス・ホールで、祈り、朗読、短い沈黙とそれに続く教皇フランシスコの開会のあいさつをもって始まった。

 教皇は、東方教会の総主教、カトリックの枢機卿と大司教、司教、主要修道会総長、その他の教会指導者を前にして、「子供たちに対して教会の男性たちによってなされた性的虐待の悪疫に直面して、私たちは聖霊に耳を傾け、その導きへの従順さをもって、正義を求める小さな人々の叫びを聴くことができますように」と語られた。

 また今回の会議について、「司牧的、教会的な責任の重さで圧倒されています。教会と人間に影響を与えている悪にどのように対処するかについて、『シノドス方式』で共に、真剣に深く議論することを義務付けられています」と、その重要性と責務を指摘。

 そして、「神の聖なる民は、私たちに注目し、私たちが簡単な、予測可能な宣告ではなく、具体的で効果のある方策を用意することを期待しています」と強調したうえで、「信仰、最大限の率直さ、勇気、そして具体性で身を固め、私たちの旅を始めましょう」と激励された。

 さらに、議論の助けとして「さまざまな委員会と世界各国の司教協議会がまとめた対策案を、出席者たちが共有することを希望しています… それらの対策案は、皆さんに発言を求める深い検討を助ける指針となるもので、皆さんから寄せられ、返されることになる、議論の出発点であり、この会議で示されるべき創造性を取り去るものではありません」と希望を宣べられた。

 あいさつの最後に、教皇は、会議の準備に当たったバチカンの未成年者保護委員会、教理省、そして組織委員会のメンバーが「大きな貢献をもって素晴らしい仕事をしてくださいました」と感謝の言葉を述べ、シノドス・ホールに集まった人々を支えてくださるように、そして、「この(注:性的虐待という聖職者が犯した)悪行を(注:教会の)自覚と浄化に変えてくださるように」と聖霊に願われ、「幼児性愛の酷い行い子供たちと信徒たちに与えた深い傷を癒すことに努めるよう、私たちを導いてくださるように」と聖母マリアに祈られた。

 (翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

2019年2月21日

・枢機卿顧問会議、バチカン改革の新使徒憲章案と”性的虐待サミット”について協議

(2019.2.20 VaticanNews)

  教皇フランシスコの助言機関、枢機卿6人による顧問会議が18日から20日にかけて開かれ、議論の焦点は策定中のバチカン改革に関わる新たな使徒憲章案と21日からの「教会における未成年者保護」の全世界司教協議会会長たちによる会議に絞られた。

 バチカン報道局のアレッサンドロ・ジソーニ暫定局長の発表によると、会議には、ピエトロ・パロリン国務長官はじめ6人のほか、教皇も水曜恒例の一般謁見の時間を除いて出席され、まず、新使徒憲章の原案の再読が行われた。

 新使徒憲章「Predicate evangelium」(仮題)は長期間にわたってとりまとめ作業がされてきたが、「実質的に完成」の段階に達しており、残っているのは、顧問会議付法律家、マルコ・メリーノ大司教による教会法の見地からの検討、だという。教皇の意向では、今後、司教協議会とバチカンの関係部署との二回目の協議を行った後、教皇の最終決裁に回され、公布の運びとなる予定。

 続いて、21日に始まる全世界の司教協議会会長たちによる「教会における未成年者保護」についてのサミットに関して意見が交わされ、サミット閉会後の25日にバチカンの関係部署とサミット組織委員会の代表、数名の専門家も参加してフォローアップ会合を開くことになった。枢機卿顧問会議は4月8日から10日にかけて開催する。

 顧問会議のメンバーでバチカンの未成年者保護委員会の委員長を務めるショーン・オマリー枢機卿は、会議後、ジソーニ暫定局長に、今回のサミットは昨年9月の顧問会議の提言を受けた極めて重要な会議であり、未成年者保護委員会も4月に全体会議を開いて、サミットを受けたフォローアップを行う考えを明らかにした。

 今回の顧問会議では、先日バチカンが発表した前ワシントン大司教で前枢機卿のセオドア・マカリックの司祭職はく奪についても議論され、教皇の承認を受けたバチカン教理省の今回の決定はマカリックが犯した犯罪と罪に対する司法の基本的な措置だ、との見解に達した。そして、”性的虐待サミット”で始まり、教皇と一致して次の段階に進むことは、いかなる形の虐待とも戦う教会の決意への神の民の信頼を高める、強力なメッセージとなる、との判断でまとまった。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2019年2月21日

・主要修道会総長が声明「児童虐待はいつ、どこでも悪。改革に女性の参加を」(Crux)

ローマ発=21日からの”性的虐待サミット”を前にした19日、世界の主要な修道会の総長たちが教皇フランシスコとバチカンで会見し、「児童性的虐待は、いつ、いかなる所でも悪」とするとともに、教会改革を進める努力に多くの女性の参加が必要であることを強く訴える声明を発表した。

  バチカン報道局を通じて発表された声明は、カトリックの修道会と諸団体のメンバーが幅広い状況の中で虐待問題の最前線にいることを確認したうえで、子供たちがとくに傷つけられやすい立場に置かれていることに焦点を当てた。

 声明は「修道者としての仕事をする中で、私たちは、子供たちが罵られ、無視され、虐待され、不要とされる多くの事態に遭遇します。少年兵に出会います。未成年の人身売買、未成年の性的虐待、未成年に対する肉体的、精神的な虐待にも。彼らは私たちに叫び声を上げます」と実情を説明。

 そのうえで、「子供たちは、私たちの社会で最も傷つきやすい存在です。貧しい子供たち、身体障害や生活困窮の子供たち、粗末に扱われる子供たち、低い社会階級やカーストの子供たちは、特に傷つきやすい存在です。そして、使い捨て可能と考えられています」と訴えた。

 そして、21日からの会議は、「何十年も前に遡る、こうした虐待に苦しめられている人たちの例えようもない苦痛の訴え」の結果としてもたらされたもの、と指摘。「このような虐待が、私たちの信徒の集まりと修道会で行われてきた事実を恥じ、私たちは頭を垂れます」と痛悔し、「虐待をした者たちが、それを故意に隠し、都合のいいように繕ったことを、私たちは知っています。当然ながら、虐待を暴くことは困難です。さらに恥じねばならないのは、それが起こってことを、私たちが認識しなかったことです」「児童虐待はいつ、どこでも悪です。うまく切り抜けられるものではありません」と自戒を込めた。

この日の前に、修道会総長たちは、自分たちが共通に持っている希望は「説明責任を果たす重要な手続きと体制を始めることができ、すでにその任にある人々が支援を受けることができることだ」と語っていたが、声明では、子供たちの保護を最優先する場である教会の中で、健康管理、教育、人格形成、霊的ケアも含めた、新たな文化を目指す動きをはじめる広範な呼びかけをした。

 教皇フランシスコの「聖職権主義」排除の努力は、「透明性と信頼、誠実、そして心からの悔恨と共に前進する私たちが仕える方との旅に、全力を傾ける」との表現で、声明に反映され、「私たちは、盲点となっているものを見ることを希望します。私たちは、いかなる権力の濫用も告発することを希望します」と付け加えた。

 さらに、声明は、性的虐待との闘いに、両親、とくに女性の関与を懇願し、「訴えを受けた案件の評価について助言と助けを女性に求めたなら、もっと強力で、迅速で、効果的な対応ができたでしょう。被害者と家族は、これほどの苦痛を感じずに済んだでしょう。しかし、私たちはそのような対応をしませんでした」と改めて反省した。

 最後に、被害者たちとその家族に対して謝罪し、「この問題に対して、不十分な対応の努力しかせず、あなた方の痛みを理解する用意を恥ずかしながら欠いていました」「私たちは、リスクを最小にすることを確実にするための新しい仕組みを作る作業に、あなた方の参加を求めます… 私たちは、教会が首尾一貫し、信頼できる、一致したやり方で、ほんものの癒しの、真に刷新された道を、新しい目と耳をもって進むことができるように、共に働くのに努めることを約束します」と誓いの言葉で結んでいる。

 21日から始まる”性的虐待サミット”には、全世界の司教協議会会長に加え、12の男子修道会と10の女子修道会のそれぞれ総長が出席する予定だ。

 三日間にわたる会議は責務、説明責任、透明性を基調とし、会議の冒頭と最後に教皇フランシスコの発言が予定されている。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。Cruxのニュースはグーグルで「Crux」と検索するとご覧になれます。

 

2019年2月20日

・マルタ大司教、聖職者性的虐待でさらなる”マカリック”の存在を示唆

 ローマ発-マルタのチャールス・シクルーナ大司教は、21日からの”性的虐待サミット”を前にしたCruxのインタビューで、翌16日に性的虐待の罪で司祭職をはく奪されたセオドア・マカリック前枢機卿と同じケースが他にもある、との見方を明らかにした。

 「もし、私たちがそうした者たちをまだ見つけていないなら、それは、どこにいるか分からない、ということです… 執事の役を果たす代わりに、司教たちが毒入りのカリスを渡すような事は、公けにし、緊急な案件として速やかに対応すべきです」と主張した。

 大司教は、教皇の指示を受けて、聖職者による大量の性的虐待発覚で危機に陥ったチリのカトリック教会の実態調査に当たった。その作業は、徹底究明で開かれた「パンドラの箱」の中でなされたが、自分は「清掃の仕事」を担当したのではない、とも語った。

 インタビューの後半の英語原文は次の通り。

Q:Without getting into the details of the case, can we say there are other McCarricks?

A:If we haven’t found them yet, it means that we don’t know where they are. I think that cases where instead of stewardship we bishops offer a poisoned chalice, should be disclosed and addressed immediately as a matter of urgency.

Q:There’s been a lot of talk leading to the meeting on whether we need a change in canon law to address bishop accountability. Can you help us put that debate to rest?

A:I think the principle of accountability is a part of the mission of a bishop. When he receives a mission, he’s a part of a college, accountable to God, the other bishops and certainly to the Holy Father. He’s also accountable to the people. I think that there’s so much scriptural wisdom about this, that this is a non-negotiable point… I think our challenge today is to understand how we need to be stewards in communion, with each other and our people.

Structures are important, but what we need on a radical basis, is the right motivation. We must move from any temptation of considering the bishop like being a monarch, to being a co-servant, a servant with others.

I like the phrase of the New Testament in which the apostle calls himself a friend, a cooperator of the joy of his people. We’re friends, we’re cooperating with you that you might find joy in the Lord. That’s also an expression of the beauty of being a steward together with your people and for your people. Somebody needs to lead, but this is a service. You serve together with other people.

Learning to be a bishop since 2012, first as an auxiliary, and in the past four years as an archbishop, I convince myself every single day that I can’t do it on my own. We need to do it together. What we’re trying to do is not our own mission, but the mission entrusted to us by Jesus Christ. Guaranteeing the safety of our kids is essential. The Lord says, ‘Let the children come to me, don’t hinder them.’ [Protecting minors from abuse] is a way of guaranteeing that his words come true in every generation.

 Another aspect which needs to develop is that we need to move away from any perception that a bishop who offends is going to be treated either leniently or enjoy some sort of impunity. That’s a counter-witness which is totally against the Gospel. If there’s a criterion in the Gospel, it’s when Jesus tells Peter the more that’s been given, the more will be asked. The standard should be higher.

I note that I’m talking about myself! I am, first of all, declared unworthy, in the sacred words of the Eucharist, because this is what the Church teaches me to pray. When I refer to myself in Mass, after mentioning the pope, I say, “And me, your unworthy servant.”

Apart from that, we need to realize that us bishops are held to a higher standard and that we’re accountable for our conduct.

Q:When the McCarrick thing arose, a lot of people said “everyone knew,” and others asked “how did he get as far as he did without anyone seeing anything, hearing anything, doing anything?” Will the people who knew be held accountable?

A:I don’t have the answer for that question. I would admit that it’s a legitimate question. But… can a person manipulate the system to such a state that he can actually survive a minefield of rumors? This is a fundamental question, which fortunately enough, does not belong to the competence of the CDF.

Q:There’s been reporting about the lifting of penalties against some priests who had been removed from the clerical state but then returned or had their penalties softened. Is there any truth to those reports?

A:There are instances when, on the level of review, the penalties are revised. But this is done in a case-by-case basis, and there’s a motivation for it. That’s why there’s a second instance, like a court of appeals. This is something that belongs to civilization. Once you’re condemned and punished, you have one instance of recourse.

But what needs to be said is that no decision would ever put minors at risk. Whatever the outcome, the fundamental policy dictated and prophetically expressed by St. John Paul II on the 23 of April 2002, when he addressed the U.S. cardinals saying there’s no place in the priesthood or religious life for anyone who would harm the young, is a principle that holds.

Q:Can you give us an update on what’s going on in Chile?

A:I know that we opened a Pandora’s box. There are a number of cases that are being reviewed. The material that was given to us during those two missions in Chile is huge, and every case needs to be studied on its own merits and given due process.

I think there are signs of hope, including this “Listening service” opened by the Chilean bishops is an important service, run by people who merit trust and who are competent. This is a very important sign of hope for the Church in Chile.

I think awareness brings responsibility and confronting the truth tends to be traumatic, but only the truth will set us free. And that is my best hope and prayer for Chile. A country blessed by saints, such as Alberto Hurtado, and Teresa de los Andes, and Francisco Valdez … I pray to them often.

Q:Many in Chile are frustrated because they see bishops who saw their resignations accepted, but there’s been no follow-up. Is something being done that we don’t know about yet?

A:Work is being done constantly on them. One of the things I’m sure you know is that the Holy See would never give the reason as to why the pope accepted a resignation.

Q:We all expect to know what happened with McCarrick. Why not the same for the Chilean bishops? Are they not big enough? Do Chileans not have enough money to make sufficient noise so that the Vatican is compelled to be transparent?

A:I’m not aware of any processes, but that’s because I don’t follow every single case. I don’t have information to either confirm or deny. I opened the lid, but other people will have to clean up the mess.

2019年2月20日

・「虐待犠牲者たちの声を聴き、信じよう」とオーストリア司教協議会会長(Tablet)

(2019.2.15 THE TABLET  Christa Pongratz-Lippitt) 21日からの”性的虐待サミット”を前に、オーストリア司教協議会の会長、クリストフ・ショーンボルン枢機卿が15日、教皇フランシスコにビデオ・メッセージを送り、性的虐待問題を扱う際に最も重要なことは、被害者たちの声に耳を傾け、そして何よりも彼らを信じることです」と訴えた。

 枢機卿は「これまでの30年間、私は多くの性的虐待の被害者たちに語ってきました。そこで私が学んだ最も大切なことは、耳を傾ける、ということです」と述べ、被害者にとって恐怖の敷居は格別に高いものとなっている、としたうえで、彼らが受けた虐待について、語ることができる、と思えるまでに、とても長い時-20年、あるいは30年-を要する、と指摘。「決定的な問題は、私たちが彼らを信じるかどうか、です。虐待被害者は、これまであまりにも多く、”押しのけられ”、信じてもらえない、という経験をしてきたのです」と述べた。

 ビデオ・メッセージを公表した後、枢機卿は記者団に対して、教皇が「被害者たちと会い、彼らの置かれた状況について知る」ように司教たちに強く求めるのは、正しいやり方だ、とし、あらゆる文化的背景をもってサミットに参加する司教たちが性的虐待について開かれた姿勢を持たねばならない、と強調。「もしも文化を変えることに心を開くなら、それは被害者たちに堂々と語るようにと励まし、加害者に警告し、司教たちの責任-別の方向を見たり、揉み消したりしないこと-を自覚させることになります」と語った。

 さらに、枢機卿は、「沈黙の掟」がいまだに世界に蔓延していることを慨嘆する一方で、聖職者による性的虐待の問題が世界的な問題とされるようになってきたことを評価。「#Metoo運動」がその保証となっている、として、「それがどれほど辛いことであっても、それはチャンスであり、文化の大きな変化につながること」への期待を表明した。

 また、枢機卿が若い時に子供たちを鞭で打つような教育が行われていたことを取り上げ、「そうした事に関する限りは、社会は変わった。しかし、性的虐待と権威の濫用に関しては、変化は始まったばかりです。その変化は、社会全体に影響を及ぼす文化的な変革であり、好ましいことです」と強調した。

(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

2019年2月20日

・性的虐待被害者支援グループ、”マカリック”に続く大司教ら5人の司祭職はく奪を要請(Crux)

(2019.2.18 Crux VATICAN CORRESPONDENT Christopher White and Inés San Martín

 ローマ発-虐待被害者の支援、調査を進めている米国のグループ「Bishop Accountability(BA=司教の説明責任)」が18日の記者会見で、「多くの”マカリック”が存在する」との見方を示し、同じ司祭職はく奪の処分を受けるべきと考える米国、ブラジル、ベルギーの5人(大司教2人、司教3人)の実名を公表した。

 バチカンの聖ペトロ広場の外で行われた会見によると、5人は、ミネソタ州セント・ポール=ミノアポリス教区のジョン・二―センシュタット大司教、グアム・アガーニャ教区のアンソニー・サブラン・アプロン大司教、ブラジル・パライバ教区のアルド・ディ・シヨ・パゴット司教、ベルギー・ブリュージュ教区のロジェ・ヨセフ・ファンゲルウェ司教、米ワイオミング州シャイアン教区のジョセフ・ハート司教。

 BAのアン・バレット・ドイル共同議長によると、5人はすでに前職から退任させらているが、聖職者としての資格もはく奪すべきだ、と判断したという。共同議長は「マカリックの司祭職はく奪で説明責任を果たしたとするのは、世界のカトリック信徒たちに対する侮辱です。退任させた司教について、説明責任を果たしたとして、処分をあいまいにしてはならない。対応はまだ始まってもいません」と訴えた。

 カトリック教会には、なお”マカリック形”の案件が存在するとの示唆は、性的虐待罪についてのバチカンの前主席検察官でカトリック教会改革のリーダーの一人とされているマルタのチャールス・シクルーナ大司教も、18日掲載のCruxのインタビューでもなされている。

 大司教は、このインタビューで、「もし、私たちがまだ(注:性的虐待罪を犯した者を)見つけていないなら、それは、彼らがどこにいるのか、私たちが知らないということを意味します… もし、自らの責任を果たす代わりに私たちが毒入りのカリスを渡すようなことがあったら、明らかにし、緊急の案件として速やかに対応しなければなりません」と述べている。

 ドイル氏は、名前を挙げた5人について、司祭職はく奪を求める理由を次のように説明した。二―センシュタット大司教は、自分が宿泊していたホテルで、雨に濡れた二人の十代の少年に裸になるように求め、同じことを2005年にケルンで開かれた世界青年の日大会の際にもしている、という。「私たちは、彼が嫌悪すべき犯罪を隠蔽したのを知っています。これは遠い過去の話であるだけではない」とも語った。

 二―センシュタット大司教については、彼の後任のベルナード・ヘブダ大司教が昨年12月、「本人に関する訴追問題が解決するまで、セントポール=ミネアポリス教区での公的職務を果たすことはできない」と発表していたが、ドイル氏は、二―センシュタット師が2015年に教区長を退任した後も、「名誉大司教」の称号を与えらえていることは、極めて遺憾なこと、と批判。「『名誉』は、単なる『前司教』ではない、権利と責任において、特別な意味を持つ位格です」と説明した。

 またアプロン大司教は2016年、バチカンの調査中に教区の管理運営の職を退いたが、2018年に有罪の判決を受けた。そして彼が判決を不服として控訴していることから、形式上、グアムのアガーニャ大司教のポストに留まっているているが、「彼については、数えきれない害悪を犯した、との有力な証拠があります」とドイル氏は指摘した。

 パゴット司教に関しては、自分が選んだ司祭たちと「愚かな事」をしたという理由で、2016年にブラジル・パライバの教区長を退任させられたが、ドイル氏によると、彼は「性犯罪者を教区に呼び込んでいた」という。同教区は最近、ブラジルの裁判所から、司教が保護していた司祭たちに性的虐待を受けた被害者たちに対して350万ドル(約3億5000万円)相当の慰謝料を支払うよう命令を受けている。

 ベルギーのファンゲルウェ司教は、自分の甥二人を性的に虐待したことを認めているが、名誉司教の座に留まっており、ドイル氏は「どうして、このようなことが可能なのでしょう」と疑問を呈した。

 最後にハート司教について、教区は被害者たちと、十件にのぼる和解をしたが、現教区長のスティーブン・ビーグラー司教は2017年に、自己の教区長就任式のミサへのハートの参加を拒否し、ハートの虐待の可能性について、徹底的な調査に着手した。これについてドイル氏は「兄弟姉妹愛的な修正とはこのようなものです。ビーグラー司教の対応は、司教としての在り方の模範です」と評価した。

 虐待被害者として、ボストン・グローブ紙の調査チームと協力し、ボストン大司教区の性的虐待スキャンダルを暴いたフィル・サビーノ氏も、ドイル氏と行動を共にしているが、16日のマカリックの司祭職はく奪のニュースは「好ましい出来事」とする一方で、これが、教会の批判者たちを宥める動きかも知れない、と懸念し、「私が心配しているのは、今回の司祭職はく奪がバチカンを批判する人々と私のような被害者たち喜ばすだけのものにならないか、ということです」と語った。

 この会見の最後に、ドイル氏は、21日からの”性的虐待サミット”に関連して、”マカリック事件”の徹底捜査に向けた特別検察官が発表され、隠ぺいに関わった全ての人々に説明責任を負わせることを期待している、としてこう語った。「マカリック1人だけで終わりにはできません。教皇主導の”室内清掃の努力”に、いくらかの熱意、いくらかの厳しさ、そしていくらかの誠実さが必要です」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。Cruxのニュースはグーグルで「Crux」と検索するとご覧になれます。

2019年2月19日

☩会議目前、教皇、「聖職者による性的虐待は緊急を要する課題」と訴え、支援団体も声明(Crux)

(2019.2.17 Crux Senior Correpodent  Elise Harris )

 ローマ発-教皇フランシスコは17日の主日の正午の祈りで、21日から始まる”性的虐待サミット”が「聖職者による性的虐待に”緊急”対応する会議となる」ことに強い希望を表明するとともに、サミットのために祈るよう、全世界のカトリック信徒たちに求めた。

 「木曜日から次の日曜日にかけて、教会における未成年者保護を議題とする全世界の司教協議会会長との会合が、バチカンで開かれます」と述べた教皇は、このサミットを「現代の緊急課題に直面する司牧者の責任をもった力強い動き」と強調した。教皇のこの訴えは、米国のセオドア・マカリック前ワシントン大司教の性的虐待の罪による司祭職はく奪をバチカンが16日に発表した翌日になされた。

 教皇が「何かの決定を下す会議ではなく、司牧的な集まり」とする、このサミットには、世界の指導的立場にある高位聖職者、主要修道会の総長、そして性的虐待の被害者たちが出席する。教皇や何人かの会議関係者はこれまで、「この会議に対して過大な期待が寄せられている」と苦言を呈し、会議の目標は「大きな変化を引き起こすような結果を出すことではなく、少なくとも出席者全員が虐待問題で共通の認識をもつこと」と期待先行にブレーキをかけている。

 だが、虐待の被害者も含めて多くの人々は、この問題に行動をもって応えることを求めており、16日に発表されたマカリックの司祭職はく奪を「性的虐待だけでなく、その隠蔽にも厳罰を持って臨む動きの始まり」と見ている。

 マカリックの司祭職はく奪発表の翌日の17日、被害者支援グループ「 the Ending Clergy Abuse (ECA)」は声明を発表し、サミットに関して、「会議に出席予定の多くの司教たちは、児童に対する性的犯罪を隠蔽してきた」とし、「もしも、そうした司教たちが自身のための隠蔽を教皇から認められるなら、性的加害者に対する『zero tolerance(例外なき断固とした処分)』は一体、何の役に立つのか」と疑問を投げかけた。

 「何年もの間、司教たちや歴代の教皇たちはマカリック前枢機卿が性的虐待者だと知っていたか、さもなければ知っているべきでだった」と批判し、マカリックの司祭職はく奪は「遅すぎる決定」であり、彼のために隠蔽に関わった人々への処罰を考慮しておらず、これまで彼を昇進させ続けたのは「隠ぺいを続けさせる」に過ぎなかった、と関係者がこれまで彼を放置していたことも合わせて批判した。

 そして、隠ぺい問題に触れないなら、教皇は必然的に、高位聖職者たちに対して、適切な注意を払わなかった場合に「結果責任はない」とする書簡を送ることになる、と警告し、「『教皇が、性的犯罪を隠蔽した者に対して司祭職はく奪をもって対処する」ということを司教たちが知った場合に限って、教皇は(注:隠ぺい問題への)行動を強いられるだろう」と述べている。

 同じく虐待被害者の支援、調査を進めているグループ「Bishop Accountability(BA=司教の説明責任)」も17日、マカリック処分に関する声明を出し、大きな国際的圧力を受けて、教皇は「遅ればせながら、正しいことをなさった」とする一方で、「マカリックの司祭職はく奪は、単なる第一歩」であり、「これまでの教会の対応を嘆き、懐疑的になっている人々に対して、教皇は『今回の処分で終わりではない』ことを証明せねばならない。性的虐待をしたことが知られている他の司教たちについても、速やかに司祭職をはく奪する必要がある」と強調。

 さらに教皇に対して、「マカリックについて何を、いつ知ったのか」確認することを求め、マカリック事件について、今回の処分で調査を終わらせず、バチカンの幹部たちも含めた徹底調査のさらなる実施、隠蔽した者に対する処罰と透明性の確保、訴追を確実なものとする「組織的変革」を強く要請した。

 BA、ECAはそれぞれ、今回のサミットについて「一石を投じる」ため、毎日のバチカンの公式会見を受けた会見を継続する予定だ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2019年2月19日

・「会議の最大の目的は、司教たちの『沈黙からの離脱』」と準備責任者・シクルーナ大司教

(2019.2.18 Vaticannews Barbara Castelli )

 21日からの「未成年者保護」を議題とする全世界の司教協議会会長たちの会議を目前に、バチカン報道局は18日、会議について、教理省長官補のチャールス・J・シクルーナ大司教が出席しての記者会見を開いた。

 大司教は今回の会議の組織委員会の委員でもあるが、会見ではまず、教会によって「少し前に行われた”旅”の一部」をなすものであることを確認したうえで、会議では「具体的な”フォロー・アップ”をする正しい条件を作り上げることが重要だ」と指摘。そして、「(注:会議に各国の司教協議会の代表として参加した)司教たちは、自分の教区に戻って作業を続けることになりますーそれは、対応の具体的手順を作成し、自分たちの責任をさらに認識することです」と、会議の後に、司教たちの果たすべき任務があることを強調した。

 会議の議題である「罪のない人々の保護」について、大司教は「(注:問題への対処を)やめてはなりません」とし、「教会が、どの人にとっても、特に子供たちにとって、安全な場所である」ための適切な解決策を追求する必要があり、この会議では、出席者たちが「道理をわきまえる」必要を明確にすることが期待されている、と述べた。

 また今回の三日間の討議で全ての問題を解決することはできないが、この会議で大事なことは「私たちが『沈黙の掟』から離脱すること。沈黙は容認できない」と力説した。

 この会見には、組織委員会の委員である米シカゴ大司教のブレイズ・J・キュピック枢機卿も出席し、多くの記者団の質問に答えて、今回の会議は「透明性に関する限り、新たな夜明けになる」と指摘、大半が各国の司教協議会の会長である参加司教たちは、この点に関する自分たちの責任を明確に理解せねばならないこと、しっかりとした「保護プログラム」がこれまで起きた悲劇を繰り返さないことを可能にすることを強調した。

 さらに、枢機卿は、会議出席者の多くが、教皇の要請を受けて、虐待の犠牲者たちに面会しており、教会に所属する者たちによって虐待の被害に遭った人々の”傷”を抱えてくることも、会議の持つ意味として指摘した。

 また、今回の会議で司会を務めるヨゼフ・ラッツインガー=ベネディクト16世基金理事長のフェデリコ・ロンバルディ師(イエズス会士)は会見で、「責務、説明責任、そして透明」を基調として行われる三日間の協議の進め方について次のように説明した。

 ➀バチカンのシノドス・ホールに集まった190名の出席者は、木曜日から土曜日にかけて、一日に三つの報告を聴く。

 ②九つの報告のうち三つは女性が行い、それぞれの報告を受けた質疑応答の時間が設けられる。

 ③出席者は、全体会議の後、使用言語別の作業部会に分かれて協議する。

 ④それぞれの日の初めと終わりに、虐待を受けた被害者による証言と祈りの時間を設ける。

 ⑤会議は木曜に、教皇フランシスコの基調講演をもって開幕し、日曜日のミサ後、締めくくりの挨拶をもって閉幕する⑥ミサは午前9時半にバチカンの王宮の間「サラ・レジア」で捧げられ、オーストラリア司教協議会会長のマーク・クラリッジ大司教が説教を行う。

 ⑥告解の祈りは土曜日の午後行われ、日曜のミサとともに、 Vatican Newsで実況中継される。

 また、ロンバルディ師によると、一連の行事とは別に、会議の組織委員会が被害者たちと被害者の団体の代表と会合を持つことになっている。

 会議の内容についての情報公開では、会議に関する公式のウエブサイト「 “Protection of Minors in the Church” Meeting www.pbc2019.org」を開設し、会議終了後も「会議後の具体的取り組みを発展させる手段」として利用できる事が説明された。教皇庁立グレゴリアン大学の児童保護センター長を務めるハンス・ゾルナー師(イエズス会士)は、バチカンの未成年者保護委員会の委員でもあるが、このウエブサイトは定期更新され、常に最新の情報が得られる、と説明。最後に、バチカン報道局の暫定局長補佐のシスター・ベルナデット・ライスが、会議を取材する記者やメディア関係者用に、デジタルの報道資料を配布した。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2019年2月19日

・米国司教団、「正しく、断固とした意志を示したもの」と教皇の決定に感謝(Crux)

ローマ発-教皇の判断は、聖職者による性的虐待に関わる広範な教会刷新への重要な一歩だーセオドア・マカリック元枢機卿の司祭職を剥奪するという16日の教皇フランシスコによる歴史的決断は、米国の司教団から大きな支持を持って迎えられた。

 マカリックが司教、そして大司教を務めたニュージャージー州のメツチェン、ニューアーク両教区の教区長は17日、声明を発表、このうち、ニューアークのジョセフ・トービン枢機卿は「我々の教区の大司教を14年にわたって務めた教会指導者がイエス・キリストの司祭としての使命とキリスト教徒としての生き方に反する行為をしたことを知って、深い悲しみと動揺を覚えます」と強く遺憾の意を表明。

 そのうえで、「教皇フランシスコが指導者として、このような困難な真相究明と決断をなさったことを感謝します。教皇の決断は、弱く、傷つきやすい人々を守り、人間としての尊厳を大切にし、責任を取り、教会の犠牲者たちへの癒し、和解、連帯を図る決意を再確認することで、問題解決を図ろうとする断固とした決意を示したものです」と教皇の決断を讃え、「苦しみの中にある私たちの兄弟姉妹を慰めるために、私たちは、教皇と一致して祈り、支え、奉仕します」と決意を表明した。

 そして、「教会によって聖職をはく奪されたという発表は、彼が実際に行った、隠されてきた破滅的生き方に対する正しい対応であり、教会の全ての人々に福音の示す高潔さが求められていることを全世界の教会に示す合図です。教皇フランシスコの指導者としての決然とした行為、問題に速やかに対応され、適切な結論を導かれたことに、感謝します」と教皇の決定に賛意を示した。

 また、マカリックが2006年に枢機卿・大司教としての現役を終えたワシントン大司教区も声明を発表し、教皇の決定は「教皇の行為の重大さを示すもの」と評価したものの、声明に具体的な人物の署名はなかった。これは、署名者であるべき教区長ポストが、ドナルド・ワール枢機卿が1980年代から1990年代にかけたピッツバーグ司教の時代の性的虐待問題への対応の誤りを批判され、教皇に教区長辞任を申し出、昨年10月に受理されて以来、空白になっているためだ。

 全米司教協議会会長のダニエル・ディナルド枢機卿は声明で、今回の教皇の対応は「虐待は容認できない、という明確な意思表明です。どの司教であろうと、どれほど影響力のある者であろうと、教会の掟を超える存在ではありません」と語り、「マカリックに虐待を受けたすべての方々のために、私は祈ります-今回の決定が、癒しに向けた多くの歩みの中の、一つの小さな一歩であるように。私たち司教にとって、イエス・キリストの福音に自分たちがふさわしい者となるように私たちの決意を強めてくれます。教会の対応を指導される教皇フランシスコの決然とした姿勢に、感謝します」と述べた。

 また、教皇が設置した未成年者保護委員会の長を務めるボストン教区長のショーン・オマリー枢機卿は「今回の最終的な(マカリックに対する)処分はとても重大なものですが、それ自体が、彼の司祭としての務めを踏み外した行為で酷く傷つけられた方々とその家族に癒しをもたらすことはありません」「教皇の行動はそれ自体、カトリック教会共同体と一般社会に必要な癒しをもたらしません。前大司教が教会生活で傷つきやすい未成年者たちと若い成人たちにこれほど長期間、害を及ぼしたことに、教会共同体も一般社会も愕然とし、強い怒りを感じているのです」と自戒を込めて語り、「教会の指導的立場にある枢機卿、司教として、私たちは、自らの言葉ではなく、行為によって正当に裁かれるのです」と気持ちを引き締めた。

 オマリー、ディナルド両枢機卿は、21日からバチカンで開かれる聖職者性的虐待問題に関する全世界司教協議会会長たちによる会議に出席する予定で、全米の他の司教たちも強い関心を会議に寄せている。

 テキサス州フォートワースのマイケル・オルソン司教は「セオドア・マカリックの司祭職はく奪という決定的な判断を教皇フランシスコが下されたことを支持し、感謝しています。こうした(マカリックの)行為を助け、あるいは隠蔽した者は皆、情報公開が求められることになる」と述べ、ミネソタ州セント・クラウドのドン・ケラー司教は「バチカンのこの決定が性的虐待の犠牲者と傷ついたすべての人の癒しにつながることを希望します。これは、教皇が”性的虐待サミット”を開く準備として情報公開の促進に向けた前向きな一歩です」

 また、全米で最も優れたカトリック大学とされているノートルダム大学は、マカリックに対して2008年に授与した名誉博士号を撤回した。

 マカリックの犠牲者の1人、ジェームズ・グレイン氏は声明で、「この問題で、勝者はいません。でも、教皇が私を信じてくださってうれしいです」と語り、「教皇の偉大な歴史的で聖なる業は、世界中の虐待犠牲者と全てのカトリック信者に安心感を与えています」と評価している。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

 

2019年2月18日

・バチカン、性的虐待のマカリック前米枢機卿に司祭職をはく奪の厳罰

(2019.2.16 Vatican News)

 バチカン報道局は16日、性的虐待の罪で告発されていた米国のセオドア・エドガー・マカリック前枢機卿に対し司祭職の剥奪を含む最終的な判断を下した、とする声明を発表した。

 声明は、聖職者の性的虐待犯罪を所管する教理省が作成したもので、マカリックについて「聖職者としての職務の期間中の犯罪行為―権力の濫用という嫌悪すべき動機をもって、告解の秘跡における教唆、未成年者と成人に対する教会の(注:姦淫を禁じた)第六の掟を破った罪-により有罪」とすることを決定、罰として「司祭職を剥奪」した、としている。

 マカリックはこの決定を不服として事前に申し立てをしていたが、声明は、13日に開いた教理省の通常の審判の場で申し立てについて審理を行い、「判決を確認した」とし、15日に本人に通告した。この決定は教皇フランシスコの裁可を得ており、最終的なものだ。

 マカリックの犯罪が明るみに出たのは、2017年9月に米ニューヨーク大司教区が、前枢機卿のマカリックについて「1970年代に当時十代の少年に性的虐待を働いた」との告発状を、バチカンに送ったことによる。これを受けて、教皇フランシスコは同大司教区に対し、徹底した調査を行うよう指示。同大司教区は調査委員会を設置して調査を進め、結果報告をバチカンの教理省に提出した。

 2018年6月にティモシー・ドラン枢機卿が公表した報告書によれば、マカリックに対する告発の内容は「信頼でき、実証された」と言明。ドラン枢機卿は、教皇の意を戴したピエトロ・パロリン国務長官がマカリックに対して「聖職者の職務の執行を認めない」と指示した、と述べていた。声明はまた、マカリックが調査に協力し、無実を主張してはいるものの、バチカンの判断を受け入れた、としていた。

 これと同じ日に、ニュージャージー州のメツチェン教区とニューアーク大司教区はマカリックについて、二件の法的和解も含めて性的な不適切行為があったことを認め、さらに数週間後に、これとは別に、未成年に対するさらなる性的虐待とともに、成人の神学生たちに対する不適切行為が発覚した。

 こうしたことを受けて、バチカンは昨年7月28日、教皇が、マカリックの枢機卿団からの退任申し出を受理し、本人に対し、あらゆる聖職者としての公的活動を差し止め、自宅謹慎と、最終的な判断が出るまで祈りと痛悔の日々を送るように通告した、と発表していた。

 さらに、バチカンは昨年10月6日、「虐待と隠ぺいはこれ以上、許容できず、虐待や隠ぺいの罪を犯した司教たちに対して、聖職者主義に基づくような異なる取り扱いをすることも許容しない」ことを確認する声明を発表。教皇が、教会内外での虐待の重大な犯罪に対する戦いのために、社会で最も罪のない、傷つきやすい者たちに対して二度とこうした犯罪を起こさないために、力を結集するよう強く求めている、と強調していた。

 21日からの全世界の司教協議会会長たちに参加を求めた聖職者による性的虐待問題に対する抜本的な対策を話し合うサミットを前にしたこの声明は、教皇が「神の民に対する書簡」で語られた次の言葉を引用している-「これほど多くの人生を暗くする悪に対して私たちがせねばならない対応は、神の民である私たちすべてに関する役務として、それを体験することです。被害を受けた人々と共に歩む歴史の一部であることを知ることは、内からの刷新を可能にする改悛の表明をもって、私たちに自身の過去の罪と過ちを認識させます」(2018年8月20日)。

 また、昨年10月7日に、司教省長官のマルク・ウエレット枢機卿が、マカリック問題に関連してバチカンの前駐米大使が教皇を公けに批判したことに対する文書を公表し、枢機卿が「どうして、マカリックのような人物、ワシントン大司教に任命され、枢機卿にも選ばれた人物にいくつもの機会を与えることができるのか」と問いただし、教皇のなさった人事はその時点で、最善の情報に基づき、誤りのないものであり、マカリックは自身に対する告発に対し巧妙に自己弁護をしているが、事実が証明されたら厳しい判断が下される、と言明していた。

 さらにウエレット長官はこの文書で、前教皇のベネディクト16世の治世の間、旅行したり、公の場に現れたりしないように、マカリックがいかに「強く指示されていたか」について説明した-マカリックはこうした指示を無視していた。長官は、こうした指示は前教皇による”制裁”ではなく、教皇フランシスコがこの指示を棚上げしたとする(注:前バチカン駐米大使の)主張を否認するとともに、現教皇は「ニューヨーク、メッチェン、ニューワーク、ワシントンでのマカリックの行為と何に関係もしていない」と言明。未成年に対する性的虐待の告発が信頼できると判断されたのを受けて、マカリックから枢機卿の階位をはく奪した。

 セオドール・エドガー・マカリックは1930年7月7日、ニューヨーク生まれの88歳。1958年5月31日にフランシス・スペルマン枢機卿によって司祭に叙階された。1977年5月に聖パウロ6世教皇によってニューヨーク補佐司教に任命、さらに聖ヨハネ・パウロ2世によりメツチェンの初代司教、ニューアーク大司教、ワシントン大司教に任命された。2001年2月に枢機卿となり、ベネディクト16世教皇を選出した2005年のコンクラーベに参加して一票を投じていた。

 バチカン教理省から出された声明の英語訳全文は以下の通り。

 On 11 January 2019, the Congresso of the Congregation for the Doctrine of the Faith, at the conclusion of a penal process, issued a decree finding Theodore Edgar McCarrick, archbishop emeritus of Washington, D.C., guilty of the following delicts while a cleric: solicitation in the Sacrament of Confession, and sins against the Sixth Commandment with minors and with adults, with the aggravating factor of the abuse of power. The Congresso imposed on him the penalty of dismissal from the clerical state. On 13 February 2019, the Ordinary Session (Feria IV) of the Congregation for the Doctrine of the Faith considered the recourse he presented against this decision. Having examined the arguments in the recourse, the Ordinary Session confirmed the decree of the Congresso. This decision was notified to Theodore McCarrick on 15 February 2019. The Holy Father has recognized the definitive nature of this decision made in accord with law, rendering it a res iudicata (i.e., admitting of no further recourse).

 

 

2019年2月17日

・「情報公開阻む文化-アジアの”恥の感覚”も」-サミット前に改革派のマルタ大司教(Crux)

(2019.2.15 Crux Rome Bureau Chief Inés San Martín)

 ローマ発-21日からの”聖職者性的虐待サミット”を目前に控え、カトリック教会の改革派のリーダーの1人で教皇フランシスコの信認が厚いマルタ教区長のチャールズ・シクルーナ大司教が14日、Cruxのインタビューに応じ、サミットへの展望などについて語った。

 大きな品物が、小さな包みの中に入っている-それがシクルーナ大司教について当てはまる。外見は小柄だが、聖職者による児童性的虐待問題への対応では、極めて高い名声を上げているのだ。性的虐待罪に関するバチカンの主席検察官を務めていたが、現在はマルタとローマ半々の生活を送っており、ローマではバチカン教理省の長官補の仕事をしている。聖職者の弱者性的虐待問題は2001年から教理省の担当だ。そこで、彼は、 Legion of Christの創設者のマルシアル・マルシエル神父の犯罪を摘発した案件を扱ったとされているが、昨年は、教皇に指名されて、性的虐待と隠ぺいで7人の司教が訴えられたチリの案件を担当している。

 インタビューでシクルーナ大司教は、聖職者による性的虐待とその高位聖職者による隠ぺい問題の対処について、今日に至るまで広範な失望を招いていることを取り上げ、「この問題の深刻さを理解しない司教たちがまだいます」と指摘。

 その一方で、「私たちは、文化的、地政学的、社会的、教会的に見て様々な制約と事情があることを認識せねばなりません。そのことは、私たちは、世界の異なった場所におり、同じ所にいるのではないのです」としたうえで、「今回の会議は、台本に書かれている問題を全て解決する”三日間の驚異”を起こすものではない。極めて重要な”鍛錬”なのです」と語った。

 このほか、このインタビューで、大司教は、「説明責任」「チリの教会の状況」「虐待との闘いにおける女性の役割」、そして「(注:性的虐待問題で枢機卿を解任された)セオドア・マカリック問題」にも言及した。

 インタビューの主な内容は次の通り

問=今回のサミットはなぜ招集されたのでしょう?この会議でどのような結果が出ると期待していますか?

大司教=教皇が判断されました。会議の招集を決め、世界の司教協議会会長たちにローマに集まるように求めた際、教皇は会議の意味をはっきりと説明されています。パナマで開かれた世界青年の日大会の帰りの機上会見で、三つの主題を言われました。それを短い言葉で表現すれば「自覚すること、何をすべきかを知ること、共に祈ること」です。教会の指導者たちを集め、具体的な問題を議論することは、それ自体がとても強力な意思表示だと思います。会議、シノドス…何と呼ぼうと、それは、教皇の下に、教会の指導者たちが一つの場所に集まることなのです。

 集まるのは、全世界の司教協議会の会長たち。それに、東方教会の指導者たち、主要な修道会と教皇庁の指導者たちのも参加について話しています。さらに、約200人の方々も教皇とともに、一つの会場で、このテーマについて意見を交わことについても。テーマとなるのは、若い人々を守ること、教会をあるべき姿にすること、安全な場所、虐待を防ぐこと、そして虐待が起きた時のこと、良い統治のための基準です。それが会議の主要目的であり、それが責務、説明責任、透明性について私たちが話している理由です。

問=なぜ、三つが主題なのでしょうか?

 大司教=これが統治、私たちの受託責任の果たし方、私たちの指導性に関するものだからです。そして、私たちの受託責任は一つの文脈の中にあり、その文脈とは霊的交わりと共同責任です。そしてそれが、 synodalityが意味するものです-共に歩むが、説明する責任があります。法に従わなくてもいいのではない。物事を隠すことをしない-それが透明でなくてはならない理由です。

 それから、あなたは世話役でもあります。あなたには羊の群れに責任があります。「それは「あなたのもの」ではありません。なぜなら、ペトロが羊の群れをゆだねられた時、キリストは「私の羊の世話をしなさい」と言われたからです。これはとても重要な発言です-「私の羊、子羊」。彼らは「わたしたちのもの」ではなく、独占する必要もない。しかし、あなたは報告しなければなりません。多く託されれば託されるほど、あなたは多く期待されるでしょう。そして、これがルカ福音書12章でイエスがペトロに説明責任の原則なのです。

会議の結果を受けた議論の継続がカギになる残る

問=この問題がどれほど広まっているのか理解しない司教たちがいまだにいることに、挫折感を感じませんか?

 大司教=答えはイエスでもあり、ノーでもあります。私には、世界を旅して、文化と対応の相違を知る機会がありました。もし、IMF(国際通貨基金)の高級幹部だとしたら、世界中の経済が同じでないことが分かるでしょう。たとえ高い基準を期待したとしても、どこでも同じものを見つける、ということはないでしょう。これは、教会の重要な問題についても言えると思います。私たちは、文化的、地政学的、社会的、教会的に見て様々な制約と事情があることを認識せねばなりません。そのことは、私たちは、世界の異なった場所におり、同じ所にいるのではないのです。

 今回の会議の大きな特徴の一つは、生きた経験として、地球上の、こうした異なる文化と異なる地点から参加する指導者たちが同じ場所に集まり、同じ話に耳を傾け、答え、失望と期待を述べることができること。そのようなことは、これまでなかったことです。

 米国の経験があります。誠実な、良い慣行における経験です。2002年に性的虐待の問題が大きく表に出て、その後、私たちは17年にわたってこの問題について話をしてきました。そして、世界の他の場所で、情報公開を阻む文化を変える必要が、まだ残っているのです。

 私は、マニラ大司教のタグレ枢機卿が2012年にグレゴリアン大学で開かれたシンポジウムで話したことを覚えています。彼は、アジアにおける性的虐待に対する文化的な反応について話しました。

 そこで彼が強調したことの一つは、アジアには個人のプライバシー、家族、特に一族の尊厳を守ろうとする「恥の文化」があること。そしてこれが情報の公開を制約している-人々は心に傷を負っているが、「恥の感覚」が自己防衛のメカニズムとして働くため、心の傷について語らない、「恥の感覚」がプライバシーと社会における尊厳を守る-ということでした。それが犠牲者が着せられる汚名なのです。

 こうしたことが、異なった対応を改めていくのに時間を必要とする、文化的側面です。ですから、今回の会議は”三日間の驚異”にはなりませんー台本にある問題を全て解決するのではなく、私たちが一緒に集まる中で行われる重要な鍛練なのです。

 「今後に続けていくこと」が会議の真髄になるでしょう。教皇は、この会議の二日後にローマで組織委員会を開いて会議の結果をもとに議論をするよう、求められました。これからも取り組みを続けていかねばならないことがある、と確信しています。短期、中期、そして長期にわたる継続した対応について、教皇庁と連携して話をしていく必要があります。

問=今回の会議が高位聖職者の集まりだとしても、こうした対応に女性がさらに多く関与していく道を見つけるべきではないでしょうか。

 大司教=正しいご指摘です。私たちは、カトリック教会における指導権について話をしており、司祭叙階されることなしに女性が教会で指導的立場につく、ということも話しています。私は、今回の会議に、主要な修道会総長が代表として参加し、司教たちに進言する女性の話し手が参加する、と理解しています。そして、会議が終わり、この問題についての検討がこれで終わり、ではなく、継続して行われるようになった時、地域の教会のレベルで、あるいは国、大陸のレベルで、司教たちは教会の指導的立場にある女性たちと協力するする必要が出てくるでしょう。

 あなたの指摘は重要です。なぜなら、私たちは安全を守り、世話をする保証である母性は推進されるだけでなく、権限を与えられるべきだからです。そして、このことは、指導権は霊的な交わりにおける主導権、民と共にある主導権であることを意味します。私は自分の教区、マルタの大司教であり、保護のための全ての取り調べで一般信徒を代表していますー一般信徒の多くは女性で、心理学、法律、社会福祉、社会科学、調査など異なる社会科学の専門家です。そして、彼女たちの知恵と対応が私たちの教会、そして保護政策に対する特別な賜物だということを知っています。

問=女性たちが”男性”クラブの一員でない、という事実は、彼女たちがそのクラブを守ろうとしない、ということ、それ以上に、女性たちは虐待で訴えられた人々の教員か学生ではなく、相談相手でも、被保護者でもなかった、ということをしばしば意味すると…

 大司教=私が知っている教会で指導的立場にある女性たちは、聖職者的な習慣を身に着けて歩きまわることを欲しません。巡礼の教会として共に活動することを好みます。ですから、私は、それが一種の間隔を保証し、同時に、被害者、そして加害者のケアの一定の水準を保証すると考えています。

 続く

(大司教インタビューの続きで、マカリック問題、より大きな説明責任、性的虐待の行為だけでなく、その隠蔽の問題にも触れる)

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2019年2月16日

・”聖職者性的虐待サミット”目前、全世界レベルでの問題解決求める声高まる(CRUX)

(2019.2.12 Crux Rome Bureau Chief Inés San Martín

ローマ発-21日から24日にかけ全世界の司教協議会会長と他の教会関係者がローマに集まって聖職者による性的虐待と児童保護に関する会議を開く。その会議を目前に、この問題は「世界全体で解決すべき世界の問題だ」と会議の行方を注目する声が世界的に高まっている。

 メキシコ司教協議会の会長で、モンテレイ教区長のロゲリオ・カブレラ大司教はこの会議に出席を予定しているが、10日の記者会見で、メキシコで過去9年間に性的虐待の訴えを受けた152人を司祭としての職務から外したことを明らかにし、「非行司祭の一部は刑務所に入り、他の者は司祭としての職務をはく奪された」と説明した。

 性的虐待を受けた被害者の数は明らかにしなかったが、「最近、被害者の何人かと面会した」と語り、メキシコのそれぞれの教区が虐待の訴えを司直の手に委ね、司祭による虐待に関する情報網を作ることの重要性を強調。

 さらに「私たちがせねばならないことの一つは情報をしっかりと集めることです。メキシコには情報を集めるセンターがない。なぜなら、司教たちがばらばらに問題に対応しているからです」と現状の不備を認めたうえで、「カトリック教会としてzero tolerance(例外なく厳しく対応する)を明確にすることで、犯罪が減少すること、そして、法に従って、司教たちが問題の対処に全力を挙げることを希望します。訴えを受けたら、速やかに司直に伝えねばなりません」

 スペインでは、聖職者による性的虐待事件が今も次々と明らかになっているが、一般信徒と聖職者がチームを組み、21日からの会議への準備にとどまらず、被害者と会ウ活動が始まっている。今月初め、男女の教師、心理学者、医師、ジャーナリスト、民法と教会法の専門家が集まって作られた「ベタニア協会」がそれだ。

 代表のマリア・テレサ氏は11日、Cruxに、協会は自主独立、継続的に活動することを保証するものとして「組織的」に作られた、とし、教会の教理の原則を認めるが、いかなる教会の規則にも縛られない、自主独立の組織であることを強調。「被害者とともにあることを第一としています。彼らは協会の存在理由ー虐待に苦しめられた人々と、私たちの心に訴える具体的な状況のもとで個人的、専門的につながること」「私たちの選択は被害者のため、私たちの活動は被害者との協力です」と語り、自分たちは「同じ精神的外傷を負った人々に対して、補助的に接しようとする者」の、個人ではできない活動を目指す集まりであることも強調した。

 スペイン政府のサラマンカ大学で「カトリック教会の社会教説」の修士課程の科長、コンテ氏は、ベタニア協会のメンバー全員が被害者との関わりによって動かされ、被害者と共に活動し、彼らの生きざまだけでなく、彼らの能力と素質が「加害者が彼らに伝える罪の意識から彼ら自身を解放し、自己の存在を回復するのに役立っている」ことが分かってきた、と言う。

 そして、今回の全世界司教協議会会長たちが集まる会議について「被害者たちが『私たちの家族のメンバーたち』だ、ということを想起することが大事。教会で虐待された人々は、私たちの”家”で虐待されたのです-学校で、司祭館で、神学校、告解場など、霊的な寄り添い、召命の識別をする神聖な場所において」と語り、「被害者と会い、前に座り、目を合わせ、神に心を開く真実の告白に耳を傾ける。それは神秘-一方で悪に心を開き、また一方で、復活の神秘なのです」。教会によって虐待された犠牲者と会う人は誰でも、悪と出会うことを覚悟する必要がある、と説明した。

 さらに、「私たちは作業の初まりにいるのではない。途上にいます。数多くの情報を持っています。心の痛む証言を読み、報告を知り、とても強力な制度的な立場を手に入れました。そして、被害者たちに対して開いた心を持ちます。本当の話、彼らは時たま、怒ります。でもそれは正常なことです。ドアをたたいても相手が返事をしなかったり、返事をしてもドアを開けなかったりすると、怒るでしょう(それと同じです)」と語る。「何が問題でしょう?被害者たちが怒ることでしょうか?そうではありません。問題は、彼らが苦しまされてきた殊にあります… 被害者たちを恐れてはなりません。加害者たちを恐れるべきなのです。なぜなら、私たちは悪を受けた人たちではなく、悪を恐れねばならないからです」。

 コンテ氏はまた、教会共同体全体が、一般信徒も含めて、弱者虐待が問題になった時に敏感に対応するかどうかを問うように求められている、と指摘し、「私たちは、組織の評判を気にする思いに打ち勝ち、(問題があったら)ピンと反応する感性を持たねばなりません」とも述べている。

 バチカンの今回会議の準備委員会は、昨年12月18日付けで全世界の司教協議会の会長に個別に書簡を送り、「教皇フランシスコはご自身の証しと模範を通して、私たちに何をすべきかを語っておられます」と述べ、「何がイエスの見習うべき行為か?福音書が私たちに教えていますーキリストは、病んでいる人たち、罪人たち、助けを必要としている人たちの側に行かれました」「それに倣う第一歩は、何が起きていたのか、について真相を知ること」としたうえで、会議前に、それぞれの国で被害者のところに出向き、彼らのこれまでの苦しみを直接、知るように、強く求めていた。

 教皇が会議開催を発表した後、会議の重要さを弱めようとする試みが見られ、教皇ご自身も、過大な期待を持たないように、と発言されている。教皇の顧問会議は当初、聖職者による性的虐待に対してどのように対応したらいいか分からない司教たちがまだいることを知って、昨年の会議開催の可能性を議論した、という。ローマでの3日間の会議を「虐待を受けた子供たちの悲劇」を、一人ひとりの司教たちに理解させる土台とする、と教皇は言われた。すでにこの問題が深刻な事態を招いている地域に限ることなく、である。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

 

 

 

2019年2月13日

・カトリック教会の性的虐待で、国連委員会がイタリア政府に苦言(CRUX)

ローマ発-国連の「子供の権利委員会」が7日、聖職者による性的虐待への対処についてイタリアを非難する報告書をまとめ、「児童がカトリック司祭によって性的に虐待された数多くの案件があるにもかかわらず、わずかな調査、刑事訴追しかなされていない」ことに疑念を呈するとともに、独立かつ公正な調査委員会による実態究明を求めたことが明らかになった。

 子供の権利保護の専門家で構成される同委員会は国連・子どもの権利条約の順守状況を聴くため、イタリア政府関係者を1月22,23両日、ジュネーブの国連高等弁務官事務所に召喚。イタリア政府がカトリック教会における児童性的虐待に”連座”している、とされている問題が中心に扱われた。

 この場で、イタリア政府は移民、難民の子供たちに関して弱者の権利保護と、国内全域での注意喚起活動の実施状況について説明を求められたが、聖職者による性的虐待問題にも時間が割かれた。委員会は、児童に対する性的搾取防止のための政府の政策を問うとともに、政府として「カトリック教会の聖職者たちによる児童性的虐待の全ての案件について検討する独立、公正な調査委員会の設置」するよう求めた。

 報告書はこの他、「聖職者による性的虐待の全ての案件に関する公明正大で、効果的な捜査、訴えられた加害者の刑事訴追、有罪とされた者に対する徹底した刑事罰、現在成人している人も含めて被害者たちへの補償とケア」も提言している。また、虐待による被害を子供たちが安心して訴えられる窓口を開設し、有罪とされた加害者が彼らに近づけないような確実な体制をとることも、イタリア政府に求めた。

 委員会は1月のイタリア政府からの聴聞の席で、イタリア政府とバチカンが1929年に結んだ現行のラテラノ条約第4条が「教会は、聖職者による虐待についてイタリア当局に報告をしなくてもよい」と解釈できる内容になっている、と指摘していたが、報告で、イタリア政府に「加害者が処罰を免れることのないよう、児童性的虐待が疑われる聖職者を刑事訴追するにあたっての障害を、バチカンに取り除かせるためにあらゆる努力を払う」ように要請した。

 委員会は2014年2月に出した報告書で、バチカンが、子供たちの保護よりも教会と加害者の司祭たちの評判を「組織的」に優先する「沈黙の規範」を大事にしている、と批判するとともに、堕胎、避妊、同性婚に関するカトリック教会の教えを変えるように求めたが、今回の報告書では、「児童性的虐待に関するいかなるケース」も、イタリア政府に報告することを、教会に義務付けることの重要性を強調している。また、欧州議会が2007年に署名した「性的搾取と性的虐待に対する児童保護に関する協定」にカトリック教会の代表も加えるように、イタリア政府に提言している。

 今回の報告書について、イタリアで唯一の聖職者による性的虐待の被害者ネットワーク Rete L’abusoは高く評価している。代表のフランチェスコ・ザナルディ氏は「とても満足しています。国連が私たちの訴えを認めてくれたことは、大きな力になる」と語った。同ネットワークは、4大陸の18カ国の被害者で作る団体「Ending Clerical Abuse Global」にも参加し、昨年6月から、同委員会に資料を送って来た。

 イタリアでは、他の多くの国と同様、聖職者による弱者に対する性的虐待の被害件数やその正確な実態の掌握が難しい。教皇庁立グレゴリアン大学の児童保護センター所長で教皇庁の弱者保護委員会の委員であるハンス・ゾルナー神父によると、イタリアの状況は教区ごとに違っている可能性があり、「この問題に迅速かつ組織的に対応している教区もありますが、多くの教区の対応はとても遅れています。この問題に対応する有能な人材が不足していることも原因です」と説明する。

 Rete L’abusoは、国連の委員会のイタリアの調査に協力しているが、教皇フランシスコがこの問題に対処するために招集した21日からの全世界司教協議会会長会議を前にして、重要な役割を果たしている。同会議の準備にも関わっているゾルナー神父は「彼らの活動は、21日からの会議を、イタリアも含めた世界の各国司教協議会が様々な対応を加速する契機となる方向に効果を上げています。この会議は時宜を得たものであり、当然ながら、成果を出さねばなりません」と語っている。

 イタリアの司教団は、すでに2014年版に代わる、弱者保護の新たな指針を策定し、虐待防止に力を入れており、イタリア司教協議会として、被害者と聖職者を支援する全国ネットワークも作った。だが、虐待被害の実数は彼らにとっても、まだ明確になっておらず、最近の記者会見で具体的な数字がないことを認めている。

 ゾルナー神父は「数字はともかく、他の多くの国と同様、イタリアでは幼児性的虐待の問題が広く知られ、頻繁に報道されています」と述べ、メディア、聖職者、そして社会によって、これまでの(注:隠ぺいの)文化が大きく変わってきている、と指摘する。そしてこう語った。「問題は存在しており、否定すべきではありません...イタリアの教会もあらゆる方法で、決意をもってこの問題に取り組まねばならない」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

 

2019年2月13日

・21日から全世界の司教協議会会長による”聖職者性的虐待サミット”-日本の司教団どう対応?

(2019.2.10 カトリック・あい)

 世界中で表面化、深刻化を続ける聖職者による未成年性的虐待と隠ぺい問題への対応を協議する全世界カトリック司教協議会会長会議が21日からバチカンで開かれる。

 この問題については、昨年10月の世界の若者を巡る問題と対応、召命に関する全世界代表司教会議(シノドス)でも話し合われた。だが、シノドスとしてこの深刻な過ちに公けに謝罪し、かねてからの教皇フランシスコの願いである「zero torelance(一切の例外、許容を認めない対応)」でこの問題に対処することを最終文書に書き込む寸前まで議論が進みながら、これは自分たちの地域の問題でない、などとするアフリカ、アジアなどの司教たちの頑強な反対で見送られた、という。

 教皇は、自らが招集した今回の会議で、世界中の信徒に限らず、多くの人々の間で教会、聖職者に対する信用を失墜させ、宣教活動にも大きな影響を与えているこの問題の深刻さについて、認識を確実に共有し、再発を許さない断固とした道筋を確認することを、強く希望しておられる、と伝えられている。

 果たして、今回の会議が教皇の思いを確実にと反映し、会議の結果を持ち帰る各国の司教協議会会長が具体的な方策の実施を通して、教会の、司教、司祭の信頼回復につながる歩みを踏み出せるのか。この問題について明確かつ具体的な対応を日本全体として進めずに来た日本の司教団も含めて、しっかりとした対応が求められている。

 日本では、聖職者による性的虐待が大きな問題として世界的に表面化し始めた2002年に、司教団が「子どもへの性的虐待に関する司教メッセージ」を聖職者、修道者、信徒当てに発出し、「不幸にして日本の教会において聖職者、修道者による子どもへの性的虐待があったことが判明いたしました。私たちはこの点に関してこれまで十分に責任を果たしてこなかったことを反省します。私たち司教は、被害者の方々に対し誠実に対応するとともに、その加害者である聖職者、修道者に対しては厳正に対処いたします」とし、翌年、「聖職者による子どもへの性虐待に対応するためのマニュアル」を発行、カトリック中央協議会に「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」を設置、その次の年に全国アンケート調査を実施し、回答111件の7割がセクハラがある、と答え、身体的接触があった、との訴えも17件に上った。

 だが、こうした反省をし、調査結果を公表したにもかかわらず、現在に至るまで、全国的な取り組み、対応がなされた、とは聞かない。福岡、大阪など教区によっては相談窓口を設け、実態把握や司祭教育に努めているところもあるようだが、その間にも、2009年に大阪でカトリック系大学の学長を務めたこともある司祭が信徒の母子に対する強制わいせつで逮捕されるなどの事件が起きている。事件化しなくても、神学生時代に女性との不適切な関係を繰り返し、レッド・カードを受けながら、他教区に移って最近叙階し、また同じことが疑われ、彼を信頼していた信徒たちを傷つける司祭もいる。2013年には、何の釈明もなく突然、教区長やその他の要職を放棄して出奔するという、司祭、信徒たちに大きな打撃を与える非常識極まる行動をとり、関係の問題も疑われながら、本人も司教団も未だに説明責任を果たさずにいる高位聖職者もいる。

 上記のアンケート調査でもその片鱗が明らかになったように、自らの恥を表沙汰にしたくない、組織、集団を傷つけたくない、教会や聖職者を糾弾したくない、とする日本的な風土の中で、表立って告発もできず、水面下で苦しみを受けている方も少なくないようだ。教皇フランシスコの全世界の司教団に向けた「性虐待被害者のための祈りと償いの日」制定の通達を受けて、四旬節第2金曜日をこの日とし、2017年3月17日からミサなどの行事を始めたが、それで済まされる問題ではないだろう。

 聖職者による未成年者への性的虐待と隠ぺい問題について、まさに2002年に、当時の自国の高位聖職者たちの圧力をはねのけ、聖職者による性的虐待の世界的スクープを報道、世界の教会がこの問題に顔を向けざるを得なくなる端緒を作り、以来、性的虐待・隠ぺい問題を追い続ける米国の有力日刊「Boston Globe」をルーツに持つカトリック系インターネット・ニュースCruxが、21日からの全世界カトリック司教協議会会長会議を前に、7日付けで掲載した解説には、日本の問題を考えるうえでも示唆的な内容が多く含まれている。以下に翻訳して転載する。

 (「カトリック・あい」南條俊二記)

(Cruxは、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けている。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています)

(Crux解説)「”Zero tolerance”は過剰な期待とは見なせない」

(2019.2.7 Crux Editor John L. Allen Jr.

 ローマ発ー聖職者による性的虐待に関する全世界の司教協議会会長たちによる会議が、21日から24日にかけて開かれる。我々は、この会議に過剰な期待を抱かないように、と最近、バチカンから二度にわたって”注意”を受けた。

 まず、バチカンの報道官、イタリアのベテラン・ジャーナリストであるアンドレア・トルニエリ氏が1月10日に、メディア関係者に対して、この会議について過大に扱い過ぎている、まるで「公会議と教皇選出会議の中間」のような報道がされている、と苦労を呈した。

 そして次は、会議招集者の教皇フランシスコ本人が、世界青年の日大会出席でパナマを訪問した帰りの機内での記者会見で「会議への期待は、少しばかり膨らみ過ぎのように感じています」と語り、「ガス抜きをする必要があります」と述べたことだ。

 会見で、教皇は、この会議の狙いについてどう見ているかについて言及された。まず、虐待された子供たちが経験した「ひどい苦しみ」について司教たちに自覚を促すこと。次に、虐待の案件に対処する手順を司教たちが理解するのを助けること。そして、この問題と対処の手順についての自覚が「全ての司教協議会」に及ぶことを確実にすること。

 ある程度の期待を盛り上げる努力は、完全に理に適っている。なぜなら、3日間の会議で世界を変えるのを期待することは、そもそも常識では考えられない。虐待問題に対処する努力は多くがバチカンではなく、それぞれの現地でされるものだ。成果の出る出ないは、「バチカンではなく、会議に参加した司教たちが戻ってからの、それぞれの地元での具体的な対応」によるのだ。

 ここ何十年も、性的虐待の被害者たち、問題解決に全力を傾けて来た関係者たち、信仰を揺らがされている一般信徒たちは、激しい不満を募らせている。中でも米国の人々は、1980年代半ばから繰り返し性的虐待のスキャンダルを知らされ、”厭戦気分”が強い。2002年には問題を解決するとの約束を聞かされたが、その後、17年経ってもまだ心に痛みを起こし続けねばならない、ということは、多くの人にとって理解しがたいことだ。多くの善意の人々にとって、期待を萎めることは、否定、無関心、あるいは最悪の場合、隠蔽という形で黙認してしまうことに、つながりかねない。

 では、2月の会議から現実問題として、何を期待すればいいのか?性的虐待撲滅のガイドラインで合意せねばならないとすれば、虐待の訴えへの対処を誤った司教たちをどの様に扱うのかについて真剣な議論が行われることが重要になる。だが、昨年10月の「若者シノドス」で性的虐待とからんで焦点となり、判断が持ち越された“zero tolerance”の扱いが特に緊急の課題となるように思われる。 10月のシノドスでは、最終文書に zero tolerance を書き込むことで合意寸前まで行ったが、アジア、アフリカ、それとイタリアなど欧州の一部の反対で、見送られた。

 反対の表向きの理由は、教皇が招集される2月の会議の前にそのようなことを決めるのは時期尚早、というものだったが、実際は、司教たちの中に、いまだに「 zero toleranceは”過剰反応”だ」「アングロ・サクソンの世界では文化的に適当な対策だろうが、他の地域ではそうではない」と考える者がいたのは明らかだ。

 そうした経過から、2月の会議は教皇にとって、zero toleranceがカトリック教会の「世界標準」であること明確にするのに適した機会となる。聖職者による性的虐待問題の文脈でzero toleranceの意味を考えると、教会は児童性的虐待について不寛容、となるだけでなく、一度でも未成年者に対する性的虐待が立証されれば、教会員は管理運営の職を永久に解かれる、聖職者であれば、聖職者としての地位をはく奪される、ということを意味する。

 これは、米国のような西側国では標準的な慣行となっているが、地域によっては、それを守らない方が評価される所がある。よく知られた例が、インドのタミル・ナードゥ州出身のジョセフ・パラニベル・ジェヤパウルの事件だ。2004年から2005年にミネソタ州で働いていた時、14歳の少女二人に性的いたずらをしたとして訴えられたが、逃亡、実家に戻った。2010年にインドの教区によって留置され、2012年にインターポール(国際刑事警察機構)に逮捕され、米国に連れ戻され、有罪の宣告を受け、刑務所に入れられた。だが、インドに帰国した際、一年もたたないうちに、地元の司教がバチカンに嘆願して、ウータカマンド教区での教会活動に復帰が認められた。

 このようなことは、2月で教皇は終わりにできる類のものであり、ご自身が繰り返し言明されているzero toleranceを支持する姿勢と合致する。

 教皇は、昨年のペンシルバニア州大陪審の同州の聖職者による性的虐待に関する報告を受けた書簡で、こう述べているー「私は、世界の様々な地域でなされている努力と働きを承知しています…zero toleranceと、これらの罪を犯したり、隠ぺいしたりする者すべてに説明責任の義務を負わすことを実行するために。私たちは、強く求められていたこうした行動を起こし、必要な制裁措置をとるのを遅らせてきましたが、それらの措置が、現在、そして将来、弱い者を守る、より大いなる文化を保証する助けになると確信しています」。

 道理をわきまえた人々は、2月の会議で教皇ご自身の公約が支持されるのを期待するのが「過大な期待」とは全く思われない、との見方に同意するに違いない。そして、教皇フランシスコも「過大な期待ではなかった」とお考えになるかどうか、間もなく判明するだろう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2019年2月11日