♰「耳を傾け、識別し、イエスに従って歩め」ー教皇、バチカン高官たちへの降誕祭前の挨拶で

Pope Francis greets members of the Roman CuriaPope Francis greets members of the Roman Curia  (Vatican Media)

 「耳を傾ける」という態度について教皇は、「天使のお告げを聞き、神のご計画を心を開いて受け入れた、聖母マリア」を模範として思い起こされた。

 聖書の中で「聴く」という動詞は、「耳で聞くことだけではなく、心や人生を関わらせることを表しています」と述べつつ、「マリアは天使のお告げに完全に自分の心を開いたからこそ、自身の動揺や問いを隠さず表しながらも、神のご計画を受け入れる決意を確かにすることができたのです」と語られた。

 そしてバチカンでの仕事の中でも「耳を傾ける」ことを学ぶ必要がある、とされ、「福音の精神に満たされ、先入観なく、誠実に、心を傾けて聞く姿勢」を持つことを強調された。

 次に、教皇は「識別する」ことについて、洗礼者聖ヨハネの振る舞いに注目され、「あの偉大な預言者ヨハネでさえも、イエスがその公生活を始められた時、イエスが誰にでも示す憐れみと慈しみに満ちた態度を見て、自分が抱いていたメシアのイメージを改めるために識別の必要を感じました。そして、牢の中から自分の弟子たちを送って、『来たるべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たねばなりませんか』(マタイ福音書 11章2-3節)と尋ねさせたこと」を回想された。

 そして、「バチカンの仕事においても、『自分はすでに何でも知っている』という思い込みや、いつもの形式や方法へのこだわり、論理を現実に優先させる態度を捨て、聖霊に従順に、世俗の基準ではなく福音に沿った識別ができるように」と出席者たちに願われた。

 最後に、教皇は「歩む」という姿勢の重要さについて、東方三博士に思いを向けられ、「福音の喜びを真に受け入れた者は、自分自身から抜け出し、主との出会い、命の充満に向けて歩み出します」とされ、バチカンにおける奉仕の中で、「自分の囲いの中に留まることなく、常に歩みながら、真理を求め、それを探究することを諦めないように」と促された。

 ご自分への協力者たちの日々の献身に感謝を表された教皇は、「これからも心で聴き、福音の光の下に時のしるしを識別し、神を求めながら謙虚さと驚く心をもって歩み続けてください」と希望された。

(編集「カトリック・あい」)

 

2023年12月21日

☩「飼い葉桶のイエスに『純朴さ』と『喜び』を学び、ウクライナ、ガザに平和がもたらされるよう祈って」-主の降誕を控えた水曜恒例一般謁見で

(2023.12.20  Vatican News  Christopher Wells)

 主の降誕を控えた20日の水曜恒例一般謁見で、教皇フランシスコは、800年前にイタリアのグレッチョ*で聖フランシスコが制作した最初の「キリスト降誕の場面」を思い起こされ、それが意味する「純朴さ」と「喜び」を体験することを信者たちに勧められた。また、それだけでなく、現在続いているウクライナやガザなどでの戦争で子供たちを含む多くの人が命を落としていることに言及され、「ウクライナ、パレスチナ、そしてイスラエルの人々のために、飼い葉桶におられるイエスに平和を願う祈りを捧げるようにと願われた。

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 教皇は、「小さな町グレッチョで『キリスト降誕の場面』を再現しようとした聖人の意図は、何だったのでしょうか? 」と信者たちに問い掛けられ、 聖フランシスコは「美しい芸術作品を作ろうとしたのではなく、ベツレヘムの貧しい岩屋に、主の究極の謙虚さ、私たちへの愛のために被られた苦難への感嘆を呼び起こすことを目的としたのです」と説かれた。

*「カトリック・あい」注*グレッチョは、アペニン山中の、聖フランシスコが様々な足跡を残した「聖なる谷」にあり、アッシジから少し南・ローマ方面に向かうこの地の洞窟で1223年にキリスト降誕の場面を制作したと言われる。そこには現在、フランシスコ会の修道院が建っている。

 

 そして、この「驚嘆」について、「御言葉の受肉、イエスの誕生の神秘を前に、私たちはこの『驚嘆』という宗教的態度が必要です」とされ、さらに、この「キリスト降誕の場面」に特徴的なものとして「純朴さ」と「喜び」を挙げられた。

 まず「純朴さ」は、せわしなく、騒がしい、消費者主義にあふれた世間のクリスマスとは対照的なもの。その「キリスト降誕の場面」は、「私たちを、本当に大切なもの、つまり私たちの中にお住まいになるために来られる神に立ち返らせるために作られたのです」とされた。

 次に「喜び」について、「クリスマスの喜びは、豪華なプレゼントや豪華なお祝いからもたらされるのではなく、私たちを一人にしない、孤独な人たちに寄り添う神の優しさ、目に見える形-『降誕の場面』で体験する、心から溢れ出る喜びです」と語られた。

 また 教皇は、「キリスト降誕の場面」を、「希望と喜びの源」である神の間近さを汲み上げる”井戸”に例えられ、「それは、生きた福音、家庭的な福音と言えます。聖書に出てくる井戸と同じように、『キリスト降誕の場面』は、ベツレヘムの羊飼いやグレッチョの人々と同じように、私たちが人生の期待と心配をイエスに持ち込む、出会いの場所なのです」とされ、「『キリスト降誕の場面』の前に立つ時、自分が大切にしているすべてをイエスに委ねるなら、私たちも『大きな喜び』を体験するでしょう」と述べられた。

 そして、説教の最後に、 「『キリスト降誕の場面』の前に立ちましょう。飼い葉桶(に幼子のキリストがおられる)を見、そこに何かを感じるように」と信者たちに勧められた

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 説教に続けて教皇は信者たちに、ウクライナ、パレスチナ、イスラエルの人々のために祈るよう求められ、「皆さん、どうかパレスチナの人々のこと、イスラエルの人々ことを思ってください。 ウクライナの人々のことを思ってください。(戦乱の中で)苦しみ続けているのです」と訴えられた。

 そして、一般謁見に同席した駐バチカン・ウクライナ大使、アンドリー・ユラシュ氏の方を向かれ、「大使がここにおられます」と述べ、「戦争の悪に苦しんでいる人々を忘れないようにしましょう。戦争には必ず敗北が伴います。それを忘れないように。 敗北です。 武器メーカーだけが利益を得るのです」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年12月20日

☩「クリスマスとその先を導くキリストの光を、私たちが証しできますように」教皇、待降節第三主日の正午の祈りで

(2023.12.17 Vatican News)

   教皇フランシスコは17日、待降節第三主日の正午の祈りの説教で、この日の福音を取り上げ、イエスの到来の証人となるために神がおつかわしになった洗礼者ヨハネの姿をもとに「光を証しする」ことの意味について語られた。

 まず教皇は、ヨハネの証言の本質と彼が述べた光を振り返り、「洗礼者ヨハネの証言は、『率直な言葉、誠実な振る舞い、そして清貧な生き方』を通してなされました」とされた。

 彼は、罪の赦しを人々に得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝え、ユダヤ全土から多くの人が彼のもとにやって来る… 「それは、特に、彼の一貫した、真摯な振る舞いが、他の見栄えのいい、高名で力のある者たちとは違っていたからです。彼の正真正銘の、勇気ある精神が、人々を皆の手本となるような人生を送るためにもっと良いことをしたい、という動機付けになったのです」と説かれた。

 そして、現在も、「主は、(洗礼者ヨハネを派遣されたように)あらゆる年齢層の男女を、あなたのまわりに派遣されています。そのことをどうやって認識するか分かりますか?私たちは、そういう人たちの証言から学び、挑戦を受けようとしていますか?」と問いかけられた。

 また教皇は、「ヨハネのやさしい輝きのような性格は、キリスト、この世に来られるイエス、神の子羊、そして『救いの神』の光を証しすることから来ているのです」とされ、ヨハネが集まった人々に「自分は光でも、メシアでもない、御言葉に向かって自分の兄弟姉妹と共に歩む『声』だ。光はキリストで、自分はランプだ」と語ったことを思い起こされて、「キリストだけが、私たちを請け出し、解放し、癒し、啓発してくださるのです」と強調された。

 さらに、洗礼者ヨハネの証言は、私たちに「神の中にだけ、私たちは人生の光を見出し、神の恵みによって、私たちは他の人々への奉仕、謙遜、そして誠実な生き方を通して、輝くランプとなり、他の人々がイエスを出会う道を見つけるのを助けることができるのです」と説かれた。

 説教の最後に教皇は、信者たちに、「私たちが日々の暮らしを通して、どのように、クリスマスとその先を導くキリストの光を証しすることができるか」を自問するよう勧められ、「聖母マリア、聖なる者の鏡が、私たちをイエス、この世に来られる光を映すものとなるよう、助けてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年12月17日

☩「待降節に、イエスの誕生を祝う心の準備をして」と教皇—17日に87歳の誕生日

 教皇フランシスコが17日、87回目の誕生日を迎えられ、世界中から誕生日を祝う声が殺到する中で、信徒たちに「今の待降節に、イエスの誕生を祝う心の準備をするように」と勧められた。

 毎年の行事として教皇はこの日、聖マルタ診療所の医療支援を受けている子供たちとその家族との集まりを持ち、誕生祝いのケーキをプレゼントされた後、「ハッピーバースデー」を共に歌われた。

 聖マルタ診療所は 1922年に教皇ピオ11世によって設立され、困窮者の子供たちや家族に医療支援を提供してきた。バチカンの教皇公邸の目と鼻の先にある。Birthday cake for Pope Francis

  教皇は子供たちとその家族に、誕生日のお祝いをしてくれたことに感謝を述べ、 また、今の待降節に、キリスト教徒として、イエスの誕生を祝う心の準備をするように勧められ、 「私たちは来週に迫ったクリスマスという素晴らしい祝宴に向けて準備を整える必要があります… それは、イエスが私たちの中に来られた時のことを思い起す祭りです」と語られた。

 また教皇は、バチカンのパウロ6世ホールに集まった子供たちと家族に対して、「目を閉じて、今年のクリスマスに、イエスさまに、どんな特別な恵みをいただきたいか、考えるように」と呼びかけられた。 そして、 「皆さん、よいクリスマスがあるように。あなたの顔に微笑みを浮かべ続けてください。そうすれば、主はあなたが望むすべてを与えてくださいますに。 ありがとう!”と呼び掛けられた。

 イタリアのセルジオ・マッタレッラ大統領も教皇に誕生日を祝うメッセージを送り、「お達者で、実りある教皇としての職務をお続けになられるよう、心から願っています」と述べた。 イタリアの司教団は、教皇の誕生日の機会に、改めて戦争で引き裂かれた世界の平和を祈り、 「それが、私たちの教会にとって最高の贈り物になると信じています… 私たちは、あなたと共に、戦争、憎しみ、無知、偏見の文化を克服する平和の職人になることを希望しています」とあいさつを送った。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年12月17日

☩ガザ地区カトリック関連施設へのイスラエル軍攻撃で女性二人射殺、修道院など破壊「これはテロだ、戦いを即時止めよ」と教皇

Smoke billows over GazaSmoke billows over Gaza  (AFP or licensors)
The late Samar Kamal Anton

*カトリック教区に対するイスラエル軍の攻撃

16日、イスラエル軍はガザの唯一のカトリック教区一帯に攻撃を行った。エルサレムのラテン典礼カトリック教区は声明を発表し、イスラエル軍の戦車が、神の愛の宣教者会の修道院を攻撃し、発電機を破壊し、大規模な火災を発生させた。伝えられるところによると、さらに二発のロケット攻撃があり、マザーテレサの姉妹会が運営していた54人収容の身障者施設が破壊され、居住不能になった。

The late Nahida Khalil Anton

*キリスト教徒の女性2人も殺害された

さらに16日の午後、イスラエルの狙撃兵が、教会の関連施設に避難していたキリスト教徒の女性を射殺した。年配のナヒダ・ハリル・アントン夫人(写真左)と娘のサマー・カマル・アントンさん(同右)は、教会の建物を出て、マザーテレサ姉妹会の修道院に向かう途中だった、という。教区の声明は「一人が、もう1人を安全な場所に連れて行こうとして殺されました」としている。

伝えられるところによると、狙撃兵は、安全のために教会の関連施設の中に瀕難する人々を助けようとした2人を射殺し、さらに7人を負傷させた、という。声明は「イスラエル兵は、射撃の前に、彼らに警告はしなかった。彼らは、武装した者などいないカトリックの教区の敷地の中で、冷酷にも打たれたのです」と強く非難している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年12月17日

☩「ガザ、ウクライナ…戦争で犠牲になった子供たちの記憶が『暴力の連鎖を止めるように』と私たちに求めている」ー教皇 、カトリック・アクションの子供たちに

教皇フランシスコ、カトリック・アクションの子どもたちおよび指導者らと 2023年12月15日 バチカン宮殿教皇フランシスコ、カトリック・アクションの子どもたちおよび指導者らと 2023年12月15日 バチカン宮殿  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2023.12.15 バチカン放送)

 教皇フランシスコが15日、バチカン宮殿で、イタリアのカトリック・アクションの子どもたちとその指導者とお会いになり、降誕祭前の挨拶交換を行われた。

 子どもたちが披露したコーラスを喜ばれた教皇は「情熱と、神秘を感じる心、喜びを忘れないように」と参加者を激励され、この出会いのために用意された挨拶の原稿を関係者に託された。

 この挨拶の中で教皇は「家庭や、小教区、学校など日常生活の場に愛をもたらし、今からでも人生を変え、希望を持つことは可能だと、皆が信じられるように、助けて欲しい」と願われた。

 教皇は特に紛争に苦しむ国々と戦争のために亡くなった子どもたちに思いを向けられた。

 最近の戦争のためにガザで、ウクライナで、イエメンで、数多くの子どもたちが犠牲となっている現実を見つめた教皇は、これらの子どもたちの記憶は、「私たちが世の光となり、人々の心に触れ、特に暴力の連鎖を止めるように」と求めている、と記された。

 さらに、「降誕祭は、神が私たちを愛し、私たちのそばに留まりたいと望んでおられることを思い出させてくれます」と指摘。「ご自分の愛を表し、私たちを愛へと導くために、イエスは幼子として生まれ、マリアとヨセフと共に家庭で生活し、今も私たち一人ひとりの隣におられるます」と説かれた。

 また、教皇は「神と人々を愛することはもとより、被造物をも愛するように」と呼びかけ、子どもたちが「まわりの人や自然の素晴らしさを認めながら、分かち合いと兄弟愛のうちに成長すること」を祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

Pope: May the killing of children touch the hearts of those who can stop war

(2023.12.15 Vatican News  By Lisa Zengarini)   Meeting some 70 boys and girls of the Italian Catholic Action Pope Francis turns his thoughts to the children suffering war in Gaza, Ukraine and Yemen and reminds them that the gift of God’s love at Christmas invites us to love Him, the others and also His creation.  Only by loving God and loving each other “will the world find the light and peace it needs,” Pope Francis said on Friday as he met young members of the Italian Catholic Action (Azione Cattolica Ragazzi) for the exchange the Christmas greetings.

 In his prepared remarks to the youths, accompanied by the President and the General Assistant, their leaders and educators, the Pope recalled the many peoples, especially children,  suffering war in the world.

Stopping the spiral of violence  that kills thousands of children

 He mentioned in particular the thousands of children who have died since the outbreak of the conflict in Gaza over two months ago, but also those killed in Ukraine after the Russian invasion, and in the years-long war in Yemen.

“Do you know how many children died in Gaza in this war? More than three thousand. It’s incredible, but it’s the reality. And in Ukraine there are more than five hundred, and in Yemen, in years of war, there are thousands.”

 “Their memory – said the Pope – invites us to in turn be lights for the world, to touch the hearts of many people, especially those who can stop the spiral of violence.”

Loving God, the others and His creation

 The “wonderful gift” of God’s love at Christmas invites us to love Him, but it also shows “that we too can love one another as brothers,” Pope Francis said.

 He then drew attention to another love that ensues from God’s love: that for  His creation.

 In this regard, he expressed his appreciation the slogan the Italian Catholic association has chosen this year, ‘This is Your Home!’:the theme “ helps you understand that God calls us to recognize and respect the beauty that surrounds us, in nature and in people, and thus to grow in sharing and brotherhood”, he said,  encouraging them follow this path with commitment, which is in itself a message of hope.

 Concluding, Pope Francis exhorted the boys and girls of Azione Cattolica to heed God’s invitation by embracing “with their friendship and tenderness, heaven and earth.”

2023年12月16日

☩「AI(人工知能)が世界平和に与える影響は甚大、開発と使用を規制する国際条約が必要」-教皇が2024年元旦、「世界平和の日」メッセージで訴え

(2023.12.13 Vatican News Lisa Zengarini)

 

 教皇フランシスコが13日、2024年1月1日の第57回世界平和の日に向けたメッセージを発表した。今回のテーマは「AI(人工知能)と平和」。メッセージの中で、教皇は、人工知能が世界平和に及ぼす影響を指摘し、その開発と使用を規制する拘束力のある国際条約を採択するよう、世界の国々に訴えられた。 教皇は、新しく生み出されるテクノロジーは、常に「個人と共同体全体の進歩・発展に寄与し、平和と共通善の追求に向けられなければなならない」とされたうえで、「AIの開発、使用が進むことが、究極的に人類の友愛と平和の大義に役立つことを保証」するよう、世界の指導者たちに求めておられる。

 

 

*技術科学の進歩には、人類の発展への貢献と生存へのリスクの二面性がある
 メッセージで、教皇は、科学技術の進歩に内在する二面性を指摘。人間社会のあらゆる分野で革命をもたらしているAIを含む新技術の「倫理的側面」に注意を向けられ、それが「人間社会のより大きな秩序、より大きな友愛の交わりと自由に貢献するなら、人類の発展と世界の変革につながる可能性があります」とする一方で、特にデジタル分野における技術科学の進歩は、「人類の生存にリスクをもたらし、”共通の家”を危険にさらす可能性のあるものを含めた、膨大な選択肢を人間の手に委ねています」と警告された。

 

 

*いかなる技術革新も「中立」ではない
 また、教皇は、どのような科学的研究や技術的革新も「中立」ではないことを思い起され、「完全に人間的な活動としてそれらがとる方向は、いつの時代においても、個人的、社会的、文化的価値観によって条件付けられた選択を反映しています。 同じことが、それらが生み出す結果についても言えます」、さらに「私たちの周りの世界に接する明確に人間的な仕方の成果として、技術革新は常に倫理的な側面を持ち、それは、実験を計画し、特定の目的に向けて具体化を図る人物による判断と密接につながっています」と語られた。
 そして、このことはAIについても当てはまり、「AIの影響は、その基礎となるテクノロジーに関係なく、その技術的な設計だけでなく、その所有者や開発者の目的や利益、そしてそれが使用される状況に左右されるのです。ですから、私たちは、AIの開発と利用が人類の将来と平和に有益な貢献をするだろう、と頭の中だけで予想することはできません」とされた教皇は、「前向きな成果は、私たちが責任を持って行動できることを示し、『包摂性、透明性、安全性、公平性、プライバシー、信頼性』などの基本的な人間の価値観を尊重する場合にのみ達成されるのです」と説かれている。

 

 

*倫理的問題を調べ、AIの影響を受ける人々の権利を守る機関を設立すべきだ 
 具体的な対応として教皇は、「この分野で生じている倫理的問題を調査し、AIを使用する人々、あるいはその影響を受ける人々の権利を保護する責任をもつ機関」を設立することを提案された。また、「私たちには、個人と共同体社会の統合的な発展のために、視野を広げ、平和と共通善の追求に向けて科学技術の研究を導く義務があります。全人類の生活の質の向上につながらず、逆に不平等や紛争を悪化させる技術開発は、決して真の進歩とは言えません」と言明。AIによって「人類学的、教育的、社会的、政治的」な多くの課題がもたらされていることを指摘されている。

 

 

*民主主義社会に及ぼすリスク

 

 (AIのような)特定のデバイスが、公正で正確なテキストを生成できるかどうかについて、教皇は「(AIは)その信頼性を保証するものではありません。誤ったニュースを広め、通信メディアに対する不信感を増大させる偽情報の作成、拡散にAIが使われた場合、深刻な問題を引き起こすでしょう」と警告。 こうした科学技術の悪用は、「差別、選挙への干渉、監視社会の台頭、デジタル技術を使った排斥、社会生活から切り離された個人主義の悪化」などをもたらす可能性があり、「それらはすべて世界平和への脅威となります」とも指摘された。また、民主主義社会と、AIと際限ない人間の力の崇拝を背景にした技術家政治の傾向との、平和的共存のリスクについても警告されている。

 

 

*人権をどう理解するかをアルゴリズムに決めさせてはならない
 また教皇は、差別、操作、社会的統制など、AI によってもたらされる”重大かつ火急”な倫理的問題を取り上げ、「監視網の普及や社会的信用を判断するシステムの導入など、個人を差別化する自動的な字ステムへの依存も、同様に危険の可能性があります。 国民一人ひとりを”ランキングづけ”することで、社会構造に大きな影響をもたらす危険です」と、注意を促し、「私たちが『人権』をどう理解するかをアルゴリズムの決定に委ねたり、『思いやり』『慈悲』『赦し』などの人間の本質的な価値観を脇に置いたりすることを、アルゴリズムに認めてはなりません」と訴えられた。

 

 

*AIの兵器化を認めてはならない

 「AIの兵器化」について、教皇は強い懸念を表明、自律型致死兵器システム(LAWS)を例に挙げ、「高度な兵器がテロリストの手に渡るリスク」に注意を喚起され、 「最先端のテクノロジーの応用は、紛争の暴力的解決を促進するために採用されるべきではありません。平和への道を開くために活用されるべきです」と強調された。

  

 *「カトリック・あい」注*自律型致死兵器システム( Lethal Autonomous Weapons Systems)=人間の関与なしに自律的に攻撃目標を設定することができ、致死性を有する「完全自律型兵器」を指すと言われているものの、定義は定まっていない。2013年、国際NGOが「殺人ロボット阻止キャンペーン」を開始した。また、国連人権理事会のヘインズ特別報告において「自律型致死性ロボット」に対する国際社会の対処の必要性が指摘されている。)

 AIのプラスの側面としては、教皇は、「農業、教育、文化における重要な革新、国と国民全体の生活レベルの向上、人類の友愛の増大など、統合的な人類の発展を促進するために活用することができます」とされた。

 

 

*「若者の批判的思考を促進」する、AIについての教育が緊急に必要
 さらに、「テクノロジーが浸透した文化的環境」で育つ新世代の若者たちの教育にAIがもたらす課題を指摘。「若者にAIの活用について教育することが緊急に求められています。その場合、何よりも批判的思考を促進することを目的とすべきです」と述べられた。

 

 

*AIの開発と使用を規制する国際条約が求められている
 教皇は、メッセージでの以上のような指摘、警告をもとに、「さまざまな形態のAIの開発と使用を規制する拘束力のある国際条約の採択」に世界各国が力を合わせるよう呼びかけ、「AIの地球規模の開発と利用の拡大を見れば、主権国家の責任とともに、 その使用を規制するために、多国間条約の締結、その適用と施行の調整において、国際機関は決定的な役割を果たすことができます」と訴えられた。 そしてメッセージの締めくくりに教皇は「新年の初めに私は祈ります。AIの急速な発展が、今日の世界に存在する不平等や不正義の数々を増やさず、戦争を終わらせるのに役立ちますように。 国と国との戦争や国内での紛争を解決し、私たち人類家族を苦しめるさまざまな形の苦しみを軽減しますように」と願われた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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*カトリック中央協議会の翻訳による「世界平和の日」教皇メッセージ(2024年1月1日)の全文は以下の通り。

 

人工知能(AI)と平和

 新年の初め、主がわたしたち一人ひとりに与えてくださる恵みの時にあたり、神の民、諸国民の皆さん、各国首脳、他宗教指導者、市民社会の代表者、現代に生きるすべての人に、わたしから平和を祈るごあいさつを申し上げます。

1.科学技術の進歩を平和への道に

 聖書によれば、神が人にご自分の霊をお与えになったのは、「どのような工芸にも知恵と英知と知識」(出エジプト35・31)をもたせるためでした。知性は、わたしたちをご自分の似姿に造られた(創世記1・26参照)創造主から授かった尊厳の表れであり、それによってわたしたちは、そのかたの愛に、自由意志と理解をもってこたえられるのです。科学と技術は、人間の知性が本質的に備えるこの関係性という性質の特別な表出であり、どちらも知性の創造的な潜在能力による、傑出した産物です。

 第二バチカン公会議は『現代世界憲章』においてこの真理を再確認し、「人間は、労働と才能をもって自分の生活の向上を目指し、つねに努力してきた」と明言します1。人間は「技術を用いて」、大地が「全人類家族のよい住みか」2となるよう努力するとき、神の計画にかなう振る舞いをし、創造の完成をもたらし、諸民族の間に平和を広めようという、神のみ旨に協力しているのです。同じように科学技術の進歩は、それが人間社会のよりよい秩序に貢献し、自由と友愛ある交わりの拡大に寄与するかぎり、人間の向上と世界の変革へと結びつくのです。

 人間の生活を悩ませ、大きな苦しみを引き起こしてきた無数の不幸からの救済を可能にした、科学技術の驚異的な進展をわたしたちは率直に喜び感謝しています。同時に、テクノサイエンスの進歩は、かつてないほど現実を操作することを可能にし、人類の手に膨大な可能性をもたらしていますが、その中には人類の生存を脅かし、共通の家を危険にさらすものもあります3

 新たな情報技術の目覚ましい進歩はとりわけデジタル領域で著しく、それゆえ、諸民族間の正義と和合の追求にとって重大な意味をもつ、胸躍るチャンス、と同時に深刻なリスクをもたらしています。ですから、いくつかの差し迫った問いに向き合う必要があります。新しいデジタル技術がもたらす中長期的な影響とはいかなるものなのか。それは、個人の生活や社会生活に、国際社会の安定と平和に、どのような影響を与えるのか。

 

2.期待とリスクのはざまにある人工知能の未来

 

ここ数十年間の情報技術の進歩とデジタル技術の発展は、すでにグローバル社会とその動向に大きな変革をもたらし始めています。新しいデジタルツールは、コミュニケーション、行政、教育、消費、人的交流、その他日常生活の無数の側面に変化をもたらしています。

さらに、インターネット上に残されたデジタル記録から、さまざまなアルゴリズムを採用するテクノロジーによって、多くの場合利用者が知らないうちに、商業目的や政治的意図によって、人々のメンタリティーや人間関係における習性の操作を可能にするデータが抽出され、自由な選択を自覚的に行うことが制限されています。実際、情報の氾濫を特徴とするウェブのような空間では、利用者が認識するとは限らない選択基準に従って、データの流れが構成されうるのです。

科学研究と技術革新は、現実から切り離されたものでもなければ「中立」4でもなく、文化的な影響を受けるものであることを忘れてはなりません。ひたすら人間による活動である以上、その方向性は各時代の個人的、社会的、文化的価値観によって条件づけられた選択を反映しています。その結果についても同様です。それこそが、取り巻く世界に対する、まさしく人間からのアプローチの成果として必ず倫理的側面を有し、実験を計画して特定の目的へと生産を向かわせる人間の決断に密接に結ばれているのです。

これはまた、各種人工知能にも当てはまります。今のところ科学技術の世界では、その一義的な定義はなされていません。現在では一般化されたこの語自体は、人間の認知能力を機械に再現・模倣させることを目的とした、さまざまな科学、理論、技術を含んでいます。「各種知能」と複数形で語ることで、そうした圧巻的で強力なシステムと人間との間にある、埋めようのない隔たりを強調することができます。それらは、人間の知能の一部の機能を単に模倣・再現するにすぎないという意味で、結局のところ「半端」なものなのです。複数形を用いることは、多種多様なこれらのデバイスは、つねに「社会技術的(ソシオテクニカル)なシステム」として捉えなければならないことを明確にします。実際、基盤となっている技術とは関係なく、それらからどのような影響を受けるのかは、設計によるばかりでなく、その技術の保有者や開発者の目的と関心、そして使用される状況によっても異なります。

したがって人工知能は、さまざまな現実の集合体として理解されるべきもので、その開発が人類の未来や民族間の平和に有益な貢献をなすのは自明であると決めつけることはできません。そうした肯定的な結果が生じうるのは、わたしたちが責任をもって行動し、「包摂性、透明性、安全性、公平性、プライバシー、信頼性」5といった人間の基本的価値観を尊重できる場合のみです。

アルゴリズムやデジタル技術の設計を企図する側の、倫理的かつ責任ある行動の確約を前提とするだけでは十分ではありません。新たな倫理課題の検討や、各種人工知能を使用する人、また人口知能の影響を受ける人の権利保護を管轄する機関を強化し、必要であれば新設することが求められています6

それゆえ技術の大幅な拡充には、その後の進展に対する責任についての十分な養成が伴われるべきです。人間が利己主義、私利私欲、利益追求、権力欲の誘惑に負けたとき、自由で平和な共存は脅かされます。ですからわたしたちには、広く目を配り、人間と共同体の包括的発展に寄与するため、科学技術研究を平和と共通善の追求に向かわせる義務があるのです7

各人が本性的に備える尊厳と、わたしたちを唯一の人類家族として結びつける兄弟愛が、新技術の開発の基盤であるべきで、その実用化にあたっての評価の厳然たる基準とならなければなりません。正義を重んじつつデジタル技術が進歩し、平和に貢献するようにです。人類全体の生活の質を向上させず、逆に格差や争いを悪化させるような技術開発は、真の進歩とはいえません8

人工知能は、ますます重要なものとなるでしょう。そこにある課題は技術的なものばかりでなく、人間学的、教育的、社会的、政治的なものにも及びます。たとえば、手間の削減、効率的な生産、輸送負担軽減、市場の活性化、さらにはデータの収集・整理・分析プロセスにおける革命が約束されています。起きている急速な変化を認識し、基本的人権を守り、かつ人間の全人的発展を促進する制度と法律に沿って、その変化をうまく管理しなければなりません。人工知能は、人間の比類なき潜在能力や、より高い志に仕えるべきで、それらと競合するものであってはなりません。

 

 

3.未来の技術―自ら学習する装置

 

機械学習(ML=machine learning)技術に基づく人工知能は、さまざまな形態を有し、いまだ開拓段階にあるとはいえすでに社会構造に顕著な変化をもたらしており、文化や社会行動、平和構築といったものに多大な影響を及ぼしています。

機械学習やディープラーニングなどの開発は、技術や工学の領域を超えた、人間のいのちの意味、基本的な知の歩み、真理に至るための思考力、これらと強く結ばれた理解力に関する問いを提起しています。

たとえば何らかのデバイスに、構文的にも意味的にもまとまりのある文章を生成する能力があったとしても、それがその信憑性を保証するわけではありません。人工知能は「欺く」ことがある、つまり一見もっともらしくても、実際はでたらめだったり偏向性があったりする主張を生成することがあるといわれています。

人工知能が、フェイクニュースを拡散してメディア不信を高めるデマ活動に利用されれば、深刻な問題が引き起こされます。秘密保持、データ所有権、知的財産なども、問題とされるテクノロジーが深刻なリスクを招くまた別の分野であり、それが不適切に用いられると、差別、選挙活動への介入、監視・管理社会の定着、デジタル・デバイド(情報格差)、共同体から分離した個人主義の極端化などにさらなる負の影響を来します。これら要因にはどれも、対立を助長し、平和を阻害する危険があるのです。

 

 

4.技術主義的(テクノクラティック)パラダイムの限界を意識する

 

この世界はあまりにも広大で、多様であり、複雑で、完全に把握することも分類することもできません。人間の頭脳をもってしてでは、たとえ最先端のアルゴリズムの助けを借りたとしても、その豊かさを使い尽くすことはできないでしょう。事実、そうしたアルゴリズムは、確実な未来予想を提供するのではなく、統計的な近似値を提示するにすぎないのです。すべてを予測できるはずはなく、すべてを計算できるわけでもありません。結局のところ「現実は理念に勝る」9のであり、わたしたちの計算能力がどれほど驚異的であろうとも、いかなる測定の試みからもこぼれ落ち、手の届かない部分はつねに残るのです。

さらに、人工知能が分析する膨大なデータは、公平性をそのまま保証するものではありません。アルゴリズムが情報を割り出す際には、それを歪曲させる危険性がつねにあり、情報が生み出された環境にある不正義や偏見を再現してしまうのです。アルゴリズムが高速化、複雑化すればするほど、なぜそうした結果が得られたかを理解するのは難しくなります。

「知能」を搭載した機器は、課された仕事をこなすごとに効率を上げていくでしょうが、その作業の目的や意味は、固有の価値領域を有している人間の側が決定し意義をもたせることに変わりないでしょう。何らかの意思決定の基盤となっている基準が不明瞭になり、意思決定の責任の所在が分からなくなり、製作者が共同体の善益のために行動する義務を逃れようとする危険が存在します。ある意味これは、経済がテクノロジーと結託し、効率という基準を優先させ、目先の利益に結びつかないものはことごとく切り捨てる傾向のある、技術主義的なシステムによって助長されています10

ここからわたしたちは、今日の技術主義的でコスト重視の考え方では軽視されがちな、しかし個人と社会の発展にとって決定的な意味をもつ「限界の意識」について考えさせられます。実際、死ぬことを免れえない人間が、あらゆる限界をテクノロジーによって突破しようと考えれば、すべてを支配しようという考えに取りつかれ、自己を制御できなくなる危険があります。際限のない自由を求めて、技術主義の独裁の渦に飲み込まれてしまうのです。

被造物として、人間には限界があると認識しそれを受け入れることは、充満に至るため、さらにいえば贈り物として充足を受け取るために、欠いてはならない条件です。逆に、技術主義的パラダイムが思考の土台となる中では、自己充足というプロメテウス的思い上がりが勢いづき、格差が悲劇的に拡大し、情報と富は少数者の手の中で増大し、民主主義社会と平和的な共生は深刻な危機に陥りかねません11

 

 

5.喫緊の倫理的課題

 

将来的には、ローン申請者の信用調査、個々人の職業適性、有罪判決を受けた人の再犯可能性、政治亡命や社会的援助受給の適格性などが、人工知能システムによって決定されるようになるかもしれません。こうしたシステムによる仲立ちは多角性を欠いているため、さまざまな偏見や差別を露呈しがちです。システムエラーはたちまち増殖し、個々の事案に不正義を来すだけでなく、ドミノ効果によって、社会的不平等の現実形態を生み出しうるのです。

さらに、各種人工知能が、促進や抑止につながるあらかじめ定められた選択肢によって、あるいは情報整理に基づいて個人の選択を規制するシステムによって、個人の意思決定に影響力をもつように思えることもあります。こうした各種操作や社会的統制は細心の注意をもって監視する必要があり、製作者、利用者、政府当局にはそれぞれ明確な法的責任が課されます。

監視システムの拡大や、社会信用システムの導入などによる、個人の分類の自動処理を当てにすれば、市民の間に不当な格付けを定め、市民社会に深刻な影響を及ぼすおそれもあります。そしてこうした人為的な格付けの流れは、仮想の対象者だけでなく生身の人間も巻き込んだ権力闘争にもつながりかねません。人間の尊厳を根本から守るには、その人の唯一無二性が一連のデータに置き換えられることを否定しなければなりません。アルゴリズムには、わたしたちが人権をどのように理解するかを決めさせたり、共感、いつくしみ、ゆるしといった欠かすことのできない価値を無視させたり、個々人が変化して過去と決別する可能性を排除したりさせてはなりません。

こうした状況下では、新たなテクノロジーが就労の世界に与える影響を考えないわけにはいきません。かつては人間の労働力が独占的に担っていた仕事が、人工知能の産業への導入によって急速に奪われています。ここにもまた、多数の人の貧困化を代償にして少数の人が過多な利益を手にする、格差のおそれがあります。労働者の尊厳の尊重、個人・家庭・社会の経済的安定のための雇用の重視、雇用の安定、公正な賃金、これらはこうした各種テクノロジーの職場への導入が深く浸透する中にあって、国際社会の最優先事項とすべきです。

 

 

6.剣(つるぎ)を鋤(すき)にできるだろうか

 

昨今、わたしたちを取り巻いている世界に目を向ければ、軍需産業にまつわる深刻な倫理問題は避けて通れません。遠隔操作システムによる軍事作戦が可能になったことで、それらが引き起こす破壊やその使用責任に対する意識が薄れ、戦争という重い悲劇に対し、冷淡で人ごとのような姿勢が生じています。

人工知能の軍事利用を含む、いわゆる「自律型致死兵器システム」の分野における新規技術の研究は、重大な倫理的懸念となっています。自律型兵器システムは、道義的責任の主体にはなりえません。人間だけが有する道徳的判断力や倫理的意思決定能力は、複雑に集積されたアルゴリズムが及ぶものではなく、その能力をマシーンのプログラミングに落とし込むことは不可能です。マシーンに「知能」が搭載されているとしてもです。ですから兵器システムに対し、人間による適切で有意の一貫した監視を確保することが不可欠なのです。

高性能の兵器が正しくない人の手に渡り、たとえばテロ攻撃や、正当な政府機関を攪乱する活動を誘発する可能性も無視できません。つまり世界には、戦争の狂気を助長し、武器市場と武器取引の不当な拡大に加担する新規技術など必要ないのです。そんなことになれば、人間の知能ばかりか、心そのものが、いっそう「人工的」になるおそれがあります。最先端技術の応用は、暴力による紛争解決に加担するために用いられるべきではなく、平和への道を舗装するために使われるべきです。

肯定的な面からいえば、人工知能が全人的発展を促進するために用いられるならば、農業、教育、文化において重要な革新をもたらし、国や民族レベルにおいての生活水準を向上させ、人類の兄弟愛と社会的友愛を広げられるはずです。結局のところ、最後に回される人たち、つまりもっとも弱く助けを必要としている兄弟姉妹との共生のためにいかに人工知能を活用するのかが、わたしたちの人間性を明るみに出す尺度となるのです。

世界に対する人道的な視点とよりよい未来への願いから、アルゴリズムにおける倫理、すなわち新技術の進路を規定する価値観となる――アルゴレシックス(algor-ethics)――の確立を目指した学際的対話の必要性が叫ばれています12。倫理的懸案については、研究の初期段階から、また実験、設計、製作、流通、販売の各段階でも考察されなければなりません。これは企図に対しての倫理的なアプローチであり、そこにおいては、教育機関や意思決定の責任者が重要な役割を担うのです。

 

 

7.教育の課題

 

人間の尊厳を尊重し、それに寄与する技術の開発は、教育機関や文化界にとって大きな意味があります。コミュニケーションの可能性を広げることで、デジタル技術は新しい形の出会いをかなえました。ただし、新技術によってわたしたちが引き入れられる関係性とはどういったものであるのか、継続して考察する必要があります。若者は技術が浸透した文化環境で育っていますから、指導や養成のあり方について審議しないわけにはいきません。

各種人工知能の活用に関する教育は、批判的思考の養成に重点を置くべきです。インターネット上で収集された、あるいは人工知能システムが生成した、データやコンテンツを利用する際の識別能力はどの年代においても養われなければなりませんが、とりわけ若者にはそれが求められています。学校、大学、学術団体には、学生と研究者がテクノロジーの開発と活用における社会的・倫理的視点を習得できるよう支援することが求められます。

新しいコミュニケーションツールの利用についての養成は、偽情報やフェイクニュースについてだけでなく、「新しい科学技術を隠れ蓑にして、力をつけていた」「先祖伝来の恐怖」13が不穏にも再燃していることについても顧慮すべきです。残念なことに、わたしたちは再び、平和的で友愛に満ちた共生の発展と「他の文化、他の人々とのこうした接触を防ぐために、壁の文化を作ろうとする……壁を築こうとする誘惑」14と戦わなければならない状況にあるのです。

 

 

8.国際法を拡充させるうえでの課題

 

人工知能の世界規模の普及から明らかになったのは、その活用を主権国家が自国内で規制する責任と並び、多国間協定を確立し、その適用と実施を整備するうえで、国際機関が決定的な役割を果たすはずだということです15。これについてわたしは、多国間共同体が、さまざまな形で人工知能の開発と活用を規制する拘束力のある国際条約を採択するべく、一致して働くよう強く訴えます。当然のことながら法制化は、有害な慣行の予防に加え、好例の推奨、新たな創造的取り組みの活性化、個人や団体による新規参入の促進も目指すべきです16

結局のところ、デジタルテクノロジーの開発者に倫理指針を示すはずの法規範を探るうえでは、必要な法的枠組みの策定、採択、適用という社会の責務の基礎となるべき、人道的な諸価値の割り出しが欠かせません。各種人工知能を製作するうえでの倫理的指針の起草作業では、人間の存在の意味、基本的人権の保護、正義と平和の追求、これらに関する深遠な問いの熟慮をなおざりにはできません。こうした倫理的・法的観点からの識別の過程は、個人生活や社会生活においてテクノロジーが果たすべき役割や、より公正で人間的な世界の創造にテクノロジーがいかに貢献しうるかを、ともに考える貴重な機会となるはずです。ですから人工知能の規制に関する論議においては、世界規模の意思決定プロセスから締め出されている貧困層や社会から疎外されている人々を含め、あらゆる利害関係者の声を考慮すべきなのです。

…………

各種人工知能の開発の進展が、最終的には、人類の兄弟愛と平和の大義への確実な貢献となるべく、以上の考察が励ましとなるよう願っています。これは一部の人の責任ではなく、人類家族全体の責任です。平和はまさに、侵すことのできない尊厳を有するものとして他者を認め受け入れるというかかわりの果実であり、すべての人とあらゆる民族の包括的発展を求める協働と努力の果実なのです。

新年の初めにあたり祈ります。各種人工知能の急速な発展が、世界にすでにある、あまりに多くの格差と不正義を増大させることなく、戦争や紛争を終わらせ、人類家族に及ぶさまざまな形態の苦しみを減らす助けとなりますように。キリスト信者、さまざまな宗教の信者、そして善意ある人たちが、デジタル革命による機会をとらえ、そこにある課題に取り組み、連帯のある公正で平和な世界を次世代に残すため、調和のうちに協力していくことができますように。

バチカンにて 2023年12月8日 フランシスコ
2023年12月14日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」最終回「『主を宣べ伝えたい』と思うほど、私は主を愛しているか?」

(2023.12.13 Vatican News Lisa Zengarini)

 教皇フランシスコは13日の水曜恒例一般謁見で、これまで続けて来られた「使徒的熱意について」の連続講話を締めくくるに当たり、「洗礼を受けたすべてのキリスト教徒に、すべての人々に福音を宣べ伝えることが求められています」と強調された。

 講話の冒頭で、教皇は「福音を宣べ伝える熱意は、すべてのキリスト教徒が最初から関わっているもの」とされ、信者たちにまず、洗礼の秘跡にある「エッファタ(開け)の儀式」に注意を向けるよう勧められ、 この儀式がイエスがガリラヤでなさった奇跡-耳の聞こえない男の人を治癒したこと-に由来していることを指摘された。

 教皇の講話の要旨は次のとおり。(以下はバチカン放送による)

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「イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖に来られた。人々は耳が聞こえず口の利けない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで呻き、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すようになった(マルコによる福音書7章31-35節)」

 「使徒的熱意について」をテーマとしたこれまでの連続講話で、私たちは、福音宣教の情熱を育てるための助けを、神の御言葉からくみとりました。それは、洗礼の際、「主の声を聞くことができるように」、「神の言葉に応えることができるように」、耳や唇に十字架のしるしを受けることからも分かるように、すべてのキリスト者に言えることなのです。

 私たちは、耳が聞こえず、舌の回らない人を癒すイエスのエピソードに先ほど耳を傾けました。福音記者マルコは、イエスの足取りをたどりながら、この奇跡がどこで起きたかを記しています。これらの地方に共通することは何でしょうか。そこには異教徒が多く住んでいた、ということです。

 聖書の中で、耳が聞こえない状態は、「神の呼びかけに心を閉じていること」の隠喩でもありました。

 福音は、このエピソードにおけるイエスの決定的な言葉をアラム語で伝えています。それは「エッファタ」(開け)という言葉です。この耳が聞こえない人にだけでなく、当時の、そしてあらゆる時代の、イエスの弟子たちに向けられているのです。

 私たちも、洗礼において、聖霊の「エッファタ」を受け、「開く」ようにと召されました。「開きなさい」と、イエスはご自身の教会のすべての信者に言われます。それは福音のメッセージが証しされ、伝えられるために、私たちが必要とされているからです。

 キリスト者は神の御言葉に心を開き、また、他者への奉仕に心を開いていなければなりません。心を閉じたキリスト者は、キリストを信じる者ではなく、イデオロギーの信奉者です。キリスト者は御言葉の告知に心を開き、兄弟姉妹たちの受け入れに心を開いていなければなりません。ですから、この「エッファタ」は、私たちすべてに自らの心を開くように、との招きなのです。

 マルコの福音書の最後でも、イエスは私たちに宣教の願望を託されています-「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(16章15節)と。

  兄弟姉妹の皆さん、私たちは皆、洗礼を受けた者として、イエスを証しし、宣べ伝えるよう召されていることを深く受け止めましょう。 そして教会として、司牧的、宣教的な回心をもたらす恵みを求めましょう。 ガリラヤ湖のほとりで、主はペテロに愛しているか尋ね、羊の世話をするよう求められました。

 私たちも一人ひとり、自分自身に問いかけてみましょう。「 主を宣べ伝えたいと思うほど、私は、本当に主を愛しているのか?」「 私は主の証人になりたいのか、それとも主の弟子であることで満足なのか?」「 私は出会った人々のことを心に留め、イエスに祈りを捧げているか? 」「私の人生を変えた福音の喜びが、出会う人々の人生をもっと素晴らしくするために、何かしようとしているか?」。

 以上のような問いかけについて考え、そして、私たちの証しをもって先に進みましょう。

 

(編集「カトリック・あい」=最後の部分は、バチカンの発表した講話の原稿を翻訳、また聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

2023年12月13日

☩「兵器は”ノー”、平和は”イエス”!」教皇、改めてガザ地区の即時停戦を訴え

Israeli artillery fires towards GazaIsraeli artillery fires towards Gaza  (AFP or licensors)

 教皇フランシスコは13日の水曜恒例の一般謁見で、「武器は”ノー”、平和は”イエス”」とされ、ガザ地区での即時停戦と人質全員の解放を改めて訴えられた。

  「私は多くの心配と痛みを抱えながら、イスラエルとパレスチナの紛争を見守り続けています」と語られた教皇は、 「私は人道的な見地から、即時停戦を改めて求めます。そこには非常に多くの苦しみがある… すべての関係者に対し、交渉を再開するよう、強く促します」と訴えられた。さらに、「ガザの人々に人道支援物資を届けるために緊急の対応をとるように」と当事者たちに求められた。

  教皇はまた、ハマスに捕らえられているイスラエル人全員の即時解放を改めて訴え、「イスラエル人とパレスチナ人にとってのこの大きな苦しみが終息するように」と懇願された。

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 ガザ地区は「完全崩壊」の瀬戸際にある 。イスラエルは同地区への砲撃を続けており、現在は南部のハーンユニスに攻撃を集中している。 エジプト国境近くのラファや占領下のヨルダン川西岸のジェニンでも戦闘が起きており、人道危機をめぐって国際的な圧力が高まっている。

 国連パレスチナ難民救済事業機関は、ガザ地区の残りの地域は「完全な治安崩壊の瀬戸際にある」と警告し、 ハマスが管轄するガザ保健省は、戦闘開始以来、1万8000人以上が殺害されたと発表。戦闘は、もともとイスラム過激派 ハマスがイスラエル人1200人以上を殺害し、200人以上の人質を取ったことに、イスラエル軍がガザ地区に拠点を置くハマスに反撃したことで始まっているが、同地区の多くの民間人犠牲を出し続けていることで、バイデン米大統領も、ガザへの「無差別爆撃」で、イスラエルが「世界的な支持を失い始めている」と懸念を表明している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年12月13日

☩「私たちが『沈黙』を大切にし、『耳を傾け』、間もなくおいでになる御子を証しする『声』となれますように」教皇、待降節第二主日に

(2023.12.10 Vatican News   Linda Bordoni)

   教皇フランシスコは待降節第二主日の10日、正午の祈りの説教で、「沈黙」持つ力と、耳を傾ける必要性、そして神の御子の到来を証しする信頼に足る「声」となる必要性について語られた。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたマルコ福音書(第1章1‐8節)を取り上げ、まず、そこに登場する洗礼者ヨハネについて、「荒れ野で叫ぶ声」と表現された。そして、「話す手段である声」と「コミュニケーションが取れない、何もない場所である荒れ野」という一見矛盾した場面が設定され、そこに 「洗礼者ヨハネが加わります」とされ、洗礼者ヨハネの説教における荒れ野の意味を説かれた。

 ヨルダン川のそばの彼がいた場所、何世紀も前に”神の民”が約束の地に入ったとされる所に近い、彼が説教をする荒れ野は、沈黙と欠くことのできないものの場。そこは、「人が、無益なものにこだわる余裕をもつことができない、生きるのに欠かせないものにひたすら専心する必要のある所です」とされた教皇は、「これはいつも、適切な注意喚起のメッセージです-人生の旅を続けるために、私たちはもっと多くのものを脱ぎ捨てる必要がある、なぜなら生きることは、無益なもので満たされることを意味せず、余計なものを持たず、自分自身の内面を深く掘り下げ、神の前に本当に重要なものをしっかりと掴むことだからです」と強調。

 「神の前で本当に大切なものをしっかりと掴んでください… 沈黙と節制-それが物質的な所有物の使用についてであれ、メディアとの関わりについてであれ-キリスト教徒の生活において不可欠な要素であるべきなのです」と付け加えられた。

 続いて、「声」と「沈黙」の関係を強調された。その理由を「(沈黙の中で)聖霊の勧めに耳を傾けることから、内面的な成熟がにじみ出されるからです」とされ、 「もしも、沈黙の中でそうする方法を知らないなら、良い言葉は語れません。そして、沈黙に注意を払えば払うほど、語る言葉はもっと強力になります」と説かれた。

 教皇は最後に、「私の日々の暮らしの中で、『沈黙』はどのような位置を占めているだろうか?」と自問するように信者たちに勧められ、 「その『沈黙』は空虚な、あるいは抑圧的なものでしょうか? それとも、(聖霊の声に)耳を傾け、祈り、自分の心を守るための空間でしょうか? あなたの暮らしは、質素ですか、それとも余計なものでいっぱいですか?」 と問いかけられた。

 そして、 たとえそれが世の中の流れに逆らうことを意味するとしても、「『沈黙』『節制』、そして『耳を傾けること』を大切にしましょう」と信者たちに勧められ、 「沈黙の聖母マリア、私たちが荒れ野を愛し、間もなくおいでになる御子を証しする信頼できる声となれるますよう、お助けてください」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年12月11日

☩世界人権宣言採択75周年―教皇「人権を守る取り組みに、決して終わりはない!戦火に苦しむ人々のために平和を祈り続けよう」

国連における「世界人権宣言」採択から75年

 教皇フランシスコは10日の正午の祈りで、この日、採択75周年を迎えた国連・世界人権宣言に触れ、「これは、”マスタープラン”のようなもの。これまで沢山の対策が講じられてきましたが、まだまだ多くのことを行う必要がありす」とされた。

 そして、「残念なことに、時には後退していることもあります。人権への取り組みに、決して終わりはありません!」と強調。「日々の生活の現実の中で、人権を守るために働き、闘うすべての人々の側に、私はいます」と語られた。

 また、人権が蹂躙され、戦火に苦しむ人々のために祈り続けるように求められた。

 降誕祭が近づいている今、「神の助けをもって、平和への具体的な歩みは可能でしょうか」と問いかけられ、「紛争によっては深い歴史的な背景があるため、平和への道のりは決して容易ではありませんが、平和的共存のために賢明さと忍耐をもって働いた人々の証しを忘れないように」と語られた。

 さらに、「これらの人々の模範に倣い、紛争の原因と向き合い、それをとり除くために、あらゆる努力を惜しまぬように」と訴えられ、最後に、苦しむウクライナ、パレスチナ、イスラエルのために祈ることを忘れないで欲しい、と呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2023年12月11日

☩「会議が私たちの共通の家とその住民に良い結果をもたらすように」COP28の12日閉幕を前に

教皇フランシスコ 2023年12月10日のお告げの祈り

 教皇フランシスコは10日の正午の祈りで、12日に閉幕する国連気候変動枠組条約・第28回締約国会議(COP28)の成果を願うと共に、戦争に苦しむすべての人々のため、平和の歩みを忍耐強く祈るよう、世界の信者たちに求められた。

 COP28について教皇は「この会議が、私たちが共に住む家である地球と、そこに暮らす人たちのために、良い結果をもたらすように祈ってほしい」と願われた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2023年12月11日

☩「不正義、貧困、戦争に押しつぶされた人々に慈しみの眼差しを向け、回心の道を私たちに示してください」-教皇「無原罪の聖マリア」の祝日に

Pope Francis deposes roses at the footvof the colum bearing the statue of the Virgin Mary in Piazza di Spagna during the Act of Veneration on the Feats of the Immaculate ConceptionPope Francis deposes roses at the footvof the colum bearing the statue of the Virgin Mary in Piazza di Spagna during the Act of Veneration on the Feats of the Immaculate Conception  (Vatican Media)

(2023.12.8 バチカン放送)

 カトリック教会の典礼暦で「無原罪の聖マリア」の祝日を迎えた8日、教皇フランシスコは聖母への崇敬を表すため、ローマ市内の聖マリア大聖堂「サルス・ポプリ・ロマーニ」の祭壇を訪問、続いてスペイン広場の聖母のモニュメントの前で献花と祈りを捧げられた。

 、教会は、聖母マリアが「その母の体内に宿られた瞬間に、全能の神の特別な恩恵と特典によって、原罪のすべての汚れから、あらかじめ守られた」ことを祝う。

 この日、教皇は「お告げの祈り」を、バチカン宮殿の窓から聖ペトロ広場に集まった巡礼者と共に唱えられた。

 教皇は呼吸器の炎症のため、予定されていたドバイでの国連気候変動枠組条約第28 回締約国会議(COP28)への出席を断念され、10日の主日の正午の祈りも、お住まいのサンタ・マルタ館から中継でされていたが、順調に回復され、この日は従来のようにバチカン宮殿の窓辺に姿を見せられ、説教と祈りをなさった。

 夕方には、ローマ市内の聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ)を訪問され、古くから保管される聖母子を描いたイコン「サルス・ポプリ・ロマーニ(ローマ人の救い)」の前に金の薔薇を捧げ、祈りの時を持たれた。

Poe in front of the Icon of Mariia Salus Populi Romani

Poe in front of the Icon of Mariia Salus Populi Romani

 「サルス・ポプリ・ロマーニ」にローマ教皇が金の薔薇をオマージュとして贈る行為は、約400年ぶりのこと。最初に行われたのは、1551年、教皇ユリウス3世によるもので、その後、パウルス5世(カミッロ・ボルゲーゼ)が聖マリア大聖堂内にパオリーナ礼拝堂(またはボルゲーゼ礼拝堂とも呼ばれる)を建設し、1613年、「サルス・ポプリ・ロマーニ」を同礼拝堂に安置した際にも金の薔薇を贈っている。

 続いて、教皇はローマの繁華街、スペイン広場へと向かわれ、隣接のミニャネッリ広場に高くそびえる「無原罪の聖マリア」のモニュメントの前で献花を行われた。そして、無原罪の聖母への祈りの中で、「不正義や、貧困、戦争に押しつぶされたすべての人々に慈しみの眼差しを向けてください」と願われ、特に苦しみに引き裂かれたウクライナと、暴力の連鎖に再び陥ったパレスチナ、イスラエルの人々のために嘆願。戦争やテロで子を失った母たち、絶望的とも言える希望に賭けて旅に出る子を見送る母たち、薬物依存や長く辛い病気に苦しむ子を見守る母たちを、自ら深い苦しみを体験された聖母に託された。

 「赦しの無いところに平和はありません。悔い改めの無いところに赦しはありません」と語られた教皇は、聖母に「回心の道を、私たちに示してください」と願い求められた。

(編集「カトリック・あい」)

2023年12月9日

・「告知を受けたマリアの『驚き』と『忠実』に学ぼう」—無原罪の聖マリアの祝日・正午の祈りで

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年12月8日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」㉘聖霊は私たちの活動の源泉

 (2023.12.6  バチカン放送)

 教皇フランシスコは6日の水曜恒例の一般謁見で、「使徒的熱意について」をテーマとする連続講話を続けられ、今回は、「聖霊が使徒的熱意の源」であることを中心にお話しになった。このテーマの連続講話は今回で終了となる。

 謁見の冒頭で、教皇は参加者に挨拶された後、ご自身の呼吸器の炎症について、「ずいぶん良くなりましたが、まだ長く話すと疲れるので、講話の内容については国務省のフィリッポ・チャンパネッリ師の代読にお任せします」と説明された。

 講話の要旨は次の通り。

 教皇のカテケーシスの要旨は次のとおり。

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 「使徒的熱意について」をテーマに続けて来た連続講話で私たちは、福音の告知とは「喜び」、「皆のため」「今日のためのもの」であることを学びました。今日はもう一つの本質的要素「福音宣教は聖霊を通して行われる」という点に注目しながら、このシリーズの考察を終えましょう。

 事実、「神を伝える」には、喜びにあふれた信頼することのできる証しと、福音の告知の普遍性、メッセージの今日性だけでは十分でありません。聖霊なしでは、あらゆる情熱も無駄であり、また使徒的とは言えません。つまり、福音宣教が自分たちだけのものに終わり、真の実りをもたらすことがないのです。

 使徒的勧告『福音の喜び』の中で、私は「イエスは最初の、最も偉大な福音宣教者である」こと、「あらゆる形の福音宣教において、第一人者は常に神である」こと、そして神は「ご自身に協力するようわたしたちを呼ばれ、聖霊の力をもってわたしたちを励まされた」ことを強調しました。聖霊の重要性がお分かりになるでしょう。聖霊は福音宣教の主役であり、常に宣教者に先立ち、実りのために芽吹かせる。教会はその使徒的熱意において、自分自身ではなく、恵みを告げるのであり、聖霊こそがまさに「神の賜物」であることを思い出しましょう。

 聖霊の主役だからといって、私たちが怠けることがあってはならない。種が自分で成長するからといって、畑の世話が要らない、というわけではありません。イエスは昇天される前に、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、[…]地の果てに至るまで、私の証人となる」(使徒言行録1章8節)と言われました。聖霊がもたらす大胆な行動力は、聖霊の持つ二つの性質、「創造性」と「単純さ」というスタイルを私たちに取らせます。

 イエスを、「喜び」をもって、「すべての人」に、「今日の世界」で伝えるための、「創造性」について考えましょう。人生を宗教的な眼差しで見つめるための助けがなく、様々な場所で福音宣教が困難になったこの時代、司牧をあきらめようとする誘惑も生まれかねません。

 これに対し、司牧的な創造性、聖霊における大胆さ、燃える宣教精神は、神に対する忠実のしるしです。それゆえ、私は以前、このように記しました-「イエス・キリストは、私たちがそこにイエスを閉じ込めようとするつまらない枠を打ち壊し、その絶え間ない神なる創造性をもって、私たちを驚嘆させます。私たちが源泉に立ち返り、福音本来の新鮮さを取り戻そうとするたびに、今日の世界のための、新しい道、創造的な方法、別の表現の形、雄弁なしるし、新しい意味に満ちたことばが現れてくるのです」(「福音の喜び」11項)。

 次に、聖霊の持つもう一つに性質、「単純さ」について考えたいと思います。それは、まさに聖霊が私たちを「最初の告知」へと送り出すからです。実際、「聖霊の火が、私たちにイエス・キリストを信じさせ、イエスの死と復活を通して、御父の限りないいつくしみを啓示する」のです(同164項)。

 これが「福音宣教の活動と教会のあらゆる刷新の意志の中心を占めるべき」、「最初の告知」です。「イエス・キリストはあなたを愛している。イエスはあなたを救うためにご自分の命を差し出された。今、イエスは生きておられ、あなたを照らし、強め、自由にするために、毎日あなたのそばにおられる」(同164項)。

 聖霊に引き寄せられるがままに、聖霊を毎日祈り求めましょう-「聖霊が私たちの生活と活動の源泉、出発点であるように」と。聖霊は教会を生き生きとさせ、若返らせる。聖霊と共にあるなら、恐れることはありません。聖霊は「調和」であり、創造性と単純さを共に保ち、交わりを生み出し、宣教に送り出し、多様性に開かせ、一致に再び導くからです。聖霊は私たちの力、われわれの福音宣教の息吹き、使徒的熱心の源です。聖霊、来てください!

(編集「カトリック・あい」)

2023年12月6日