☩「私たちが『沈黙』を大切にし、『耳を傾け』、間もなくおいでになる御子を証しする『声』となれますように」教皇、待降節第二主日に

(2023.12.10 Vatican News   Linda Bordoni)

   教皇フランシスコは待降節第二主日の10日、正午の祈りの説教で、「沈黙」持つ力と、耳を傾ける必要性、そして神の御子の到来を証しする信頼に足る「声」となる必要性について語られた。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたマルコ福音書(第1章1‐8節)を取り上げ、まず、そこに登場する洗礼者ヨハネについて、「荒れ野で叫ぶ声」と表現された。そして、「話す手段である声」と「コミュニケーションが取れない、何もない場所である荒れ野」という一見矛盾した場面が設定され、そこに 「洗礼者ヨハネが加わります」とされ、洗礼者ヨハネの説教における荒れ野の意味を説かれた。

 ヨルダン川のそばの彼がいた場所、何世紀も前に”神の民”が約束の地に入ったとされる所に近い、彼が説教をする荒れ野は、沈黙と欠くことのできないものの場。そこは、「人が、無益なものにこだわる余裕をもつことができない、生きるのに欠かせないものにひたすら専心する必要のある所です」とされた教皇は、「これはいつも、適切な注意喚起のメッセージです-人生の旅を続けるために、私たちはもっと多くのものを脱ぎ捨てる必要がある、なぜなら生きることは、無益なもので満たされることを意味せず、余計なものを持たず、自分自身の内面を深く掘り下げ、神の前に本当に重要なものをしっかりと掴むことだからです」と強調。

 「神の前で本当に大切なものをしっかりと掴んでください… 沈黙と節制-それが物質的な所有物の使用についてであれ、メディアとの関わりについてであれ-キリスト教徒の生活において不可欠な要素であるべきなのです」と付け加えられた。

 続いて、「声」と「沈黙」の関係を強調された。その理由を「(沈黙の中で)聖霊の勧めに耳を傾けることから、内面的な成熟がにじみ出されるからです」とされ、 「もしも、沈黙の中でそうする方法を知らないなら、良い言葉は語れません。そして、沈黙に注意を払えば払うほど、語る言葉はもっと強力になります」と説かれた。

 教皇は最後に、「私の日々の暮らしの中で、『沈黙』はどのような位置を占めているだろうか?」と自問するように信者たちに勧められ、 「その『沈黙』は空虚な、あるいは抑圧的なものでしょうか? それとも、(聖霊の声に)耳を傾け、祈り、自分の心を守るための空間でしょうか? あなたの暮らしは、質素ですか、それとも余計なものでいっぱいですか?」 と問いかけられた。

 そして、 たとえそれが世の中の流れに逆らうことを意味するとしても、「『沈黙』『節制』、そして『耳を傾けること』を大切にしましょう」と信者たちに勧められ、 「沈黙の聖母マリア、私たちが荒れ野を愛し、間もなくおいでになる御子を証しする信頼できる声となれるますよう、お助けてください」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年12月11日