
(2024.2.8 バチカン放送)
2月8日のカトリック教会「世界人身取引に反対する祈りと啓発の日」にあたって、教皇フランシスコが「尊厳のために歩む-聴く、夢見る、行動する」と題するメッセージを出された。
この中で教皇は「人身取引は多くの場合、目に見えない形で行われている」と指摘。勇気あるジャーナリストたちが今日の奴隷制度に光を当てているが、「無関心の文化が私たちを無気力にさせている」とされ、「奴隷のように扱われている多くの兄弟姉妹のために行動し、彼らのために自分たちの人生と心を開くように」と促された。
そして、「人身取引に対抗するために必要なこと」として、「耳を傾ける」「夢見る」「行動する」の3つを挙げ、まず、「苦しんでいる人に『耳を傾ける』ことは、この問題に取り組むために本質的なもの。人身取引の犠牲者たちの助けを求める叫びを聞き、彼らのたどった道をもとに自らの意識に問いかけ、人身取引の被害者たちと共に自由と尊厳ある世界を『夢見る』ことが大切です」と説かれた。
そして、「イエス・キリストの霊の力のもとに、人身取引に対抗する具体的な『行動』を通して、この夢を現実に変えなくてはなりません」と強調された。
さらに、人身取引に反対するだけでなく、「その原因となっているものを根絶するところまで、たどり着かねばなりません」と語られ、「人身取引に反対し、犠牲者たちに尊厳を取り戻すために、あらゆる力を動員し行動する必要がある。彼らの現実、声に目を背け、耳を塞ぐなら、私たちも人身取引の”共犯者”になります」と訴えられた。
「世界人身取引に反対する祈りと啓発の日」は、教会暦中の聖ジュゼッピーナ・バキータの日である2月8日に毎年記念される。スーダン出身の、カノッサ会修道女、聖バキータは、幼少時に奴隷商人に売られ、壮絶な体験を経ながらも、信仰の恵みに導かれ聖性へと達した。女子修道会の国際総長会議(UISG)は、聖バキータを人身取引反対のための取り組みの普遍的シンボルとし、聖バキータの日を同記念日に定めている。
(編集「カトリック・あい)
(2024.2.1 バチカン放送)
教皇フランシスコが1日、14日に始まる今年の「四旬節」に向けメッセージを発表された。
カトリック教会の典礼暦は、2月14日の「灰の水曜日」に復活祭の準備期間「四旬節」を迎える。
四旬節に向け、教皇は「荒れ野を通して神は私たちを自由へ導かれる(仮訳)」というタイトルのメッセージを発表された。
「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」(出エジプト記20章2節)。
四旬節メッセージで教皇は、シナイ山に登ったモーセに十戒を授けた時に言われた、この神の言葉を思い起こされた。
この時、神の民にとってエジプトでの隷属の記憶はまだ生々しく刻まれていた。「神は、彼らに十戒を与えることで、ご自分の愛を強調されると共に、民を教育されました」とされ、「四旬節は恵みの時」と強調。「四旬節には、預言者ホセアが言うように(参照 ホセア書2章16-17節)、荒れ野は、最初の愛の場所に戻ります。神はご自身の民に、奴隷の状態から脱し、死から命へと移ることができるよう教えられます」と語られた。
そして、「隷属から自由への脱出は、抽象的な歩みではありません。私たちの四旬節が具体的であるためには、現実を見ようとすることが最初の一歩です」とされ、出エジプト記を引用された―「私は、エジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。それで、私は下って行って、私の民をエジプト人の手から救い出し、その地から、豊かで広い地、乳と蜜の流れる地… に導き上る」(3章7-8節)。
「神がこのように燃える柴の間からモーセに話されたように、今日も虐げられた多くの兄弟姉妹の叫びが天に届いています」と述べられた教皇は、「その声が私たちのもとにも届いているのか、その声が心を揺さぶっているのか、自問するように」と勧められた。
そのうえで教皇は、「今日も私たちは”ファラオ”の支配下にいます。その支配は、私たちを疲弊させ、無感覚にさせます。人を分裂させ、未来を奪う成長モデルです。大地と空気と水は汚され、魂までもが汚染されています」と警告された。
その一方で、教皇は「私たちの解放が、洗礼と共に始まったにもかかわわらず、私たちの中には、奴隷だった時への説明しがたい郷愁があります」と指摘。「それは自由を犠牲にしてまでも、すでに体験したことの確かさの方に惹かれるようなもの」とされた。
そして、「エジプトへの郷愁が、荒れ野の中でイスラエルの民の歩みを妨げたように、私たちの解放の旅も中断されかねません」と注意を喚起され、「そのように解釈しないと、普遍的兄弟愛と、すべての人の尊厳を保証できるレベルの科学的・技術的・文化的・法的な発展に近づいた人類が、不平等と紛争の闇の中で未だ迷っていることを、説明することはできないでしょう」と説かれた。
教皇は、「神は、私たちをあきらめることはありません」とされた教皇は、「神の御言葉に改めて耳を傾けながら、この四旬節を、回心の時、自由の時とするように」と信者たちを促され、「”ファラオ”と違い、神が望まれるのは、隷属する民ではなく、子たち。荒れ野は、二度と奴隷状態に陥らないように、私たちの自由を成熟させる場なのです」と強調。
「この四旬節が回心の時であるなら、道に迷った人類は、創造性のおののき、新しい希望の光のひらめきを感じるでしょう… 回心の勇気、隷属から抜け出す勇気を持つように」と信者たちに呼びかけられた。
(編集「カトリック・あい」=聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)
(2024.1.31 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは31日の水曜恒例一般謁見で、「美徳と悪徳」についての連続講話をお続けになり、今回は「怒りの罪」に焦点を当て、「暗い悪徳」と呼ばれ、「怒りはおそらく物理的な観点から最も簡単に検出できます。怒りに支配された人は、この衝動を隠すことはほとんどできません。体の動き、攻撃性、苦しそうな呼吸、険しく眉をひそめた視線によって、それが分かります」と語られた。
そして、「怒りが最も深刻に現れるのは、休む暇を与えない悪徳」と指摘。 「怒りは、自身が受けた不当行為、あるいはそのように見なされる行為から生じた場合、不当行為者ではなく、そのもとになっている人に対して発せられることが多い… 職場では怒りを抑え、冷静で思いやりのある態度をとっている男性もいますが、ひとたび家に帰ると妻や子供たちのことを考えて、怒りを抑えられなくなくなる人もいます」とされた。
さらに教皇は、「怒りが、という私たちの心の中に浸透し、睡眠を奪い、怒りを再燃させることがあります。それは人間関係を破壊しかねません。 恨みや嫌悪感が長引くと、ゆっくりと確実に、人間関係を悪化させます」と注意された。
また 使徒パウロを例にとり、「彼は、怒りを放っておくと、どんどん広がってしまうことを認識しており、信者たちに『今すぐ(怒りの原因になっている)問題に対処し、和解を目指すように』と勧めました。日が沈む前に、すべてを解消することが重要です」と説かれた。
そして、 「日中に相手との間に何らかの誤解が生じ、互いを理解できなくなり、互いに遠く離れていることに気づいたとしても、夜になって、悪魔に引き渡されないように。速やかに対処し、相手と和解しなさい」と述べ、「 そうしないと、怒りによって、暗闇の中で目覚め、自分の怒りの理由や、怒りが自分のものでなく、いつも他人のものだ、という説明のつかない間違いに思い悩むことになってしまいます」と語られた。
教皇は、「主の祈り」に赦しへの呼びかけがあることを思い起こし、「赦しが実践されなければ、人々は互いに離れ離れになります」と述べ、「怒りは、とてつもない悪徳であり、しばしば戦争や暴力の根源となりますが、怒りから生まれるものすべてが間違っているわけではありません」とされ、古代の人たちは「私たちの中に否定することのできない、否定してはならない『短気な部分』があるのを、よく知っていました」と振り返られた。
教皇は、「私たちには、怒りの発生においては責任がないとしても、怒りの発展には常に責任がある」と指摘。 「怒りをきちんと発散する 時には、正しい方法をとるのがいい」とされ、「もしあなたが絶対に怒らないなら、不正に対して憤慨しないなら、弱い人に対する抑圧に対して腹の中で何かが震えるのを感じないなら… 人間ではなく、ましてキリスト教徒ではありません」と強調。
そして、「聖なる憤り」の必要を説き、「イエスは生涯で何度かそのことを経験しました。決して『悪には悪』で応じることはなかったが、心の中で憤りを感じ、神殿の商人たちに対してあのような行動をとられました。 それは怒りによってではなく、主の家に対する熱意によって定められた、力強く預言的な行動だったのです」と語られた。
最後に 教皇は、「情熱を善のための道具に変えるために、情熱を適切に管理するために、聖霊の助けを求めるように」と信者たちに促され、講話を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2024.1.28 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは28日の正午の祈りの後の説教の終わりに、ミャンマー、中東、ウクライナ、ハイチ、イスタンブールで人々が苦しみに遭わされ続けていることを強く非難し、平和の道を追求することを改めて訴えられた。
*ミャンマーの人々に支援物資が届くように、平和が実現するように
「戦争は人々にとって災害であり、人類にとっての敗北です」とされた教皇は、まず、ミャンマーに焦点を当て、人道支援の促進と対話の道を追求するよう訴え、 「ここ3年間、ミャンマーの人たちの特徴である笑顔は、痛みの叫び声と武器の騒音に取って代わられてきました。この国の司教らと声を合わせ、破壊兵器が、人道と正義を成長させる道具に変えられるように祈ります」と語られた。
そして、「ミャンマーの地が友愛的和解という目標に到達」することができるよう、関係者全員に「対話のステップを踏み、理解を身につける」よう呼びかけられ、 「すべての人の必需品を確保するために、人道支援物資が現地に届くようにしてください」と訴えられた。
3年前に軍事クーデターで民主政権を打倒し、権力を握ったミャンマー国軍は、抵抗勢力との間で内戦を繰り広げ、多くの一般人が犠牲になり続けている。

*パレスチナ、イスラエル、ウクライナにも平和を
続いて教皇は、人道危機が続く中東に目を向け、 「中東、パレスチナ、イスラエル、そして戦闘が行われている地域で、人々の尊厳が守られるように!」 と訴えられた。
また、ロシアによる侵略が続くウクライナについても、「私は常に、この戦争によってもたらされているすべての犠牲者、特に一般人の方々のことを心から思います」とされ、平和を求める彼らの叫びを聞いてください。暴力に疲れ、人々にとって災害であり、人類にとっての敗北である戦争を止めたい、と願う人々の叫びを!」と呼びかけられた。
*ハイチは新たな支援を必要としている
教皇は、ハイチのために祈るよう求められた。ハイチでは、先に武装組織によって修道女たちが拉致され、先日になって解放されたが、依然として暴力と緊張が高まっている。「私は、今も各地で拉致され、囚われているすべての人々の解放と、すべての暴力の終結を求めます。 国の平和的発展に対する彼らの貢献には、国際社会からの新たな支援が必要です」 と訴えられた。
*イスタンブールの教会への武力攻撃
教皇はまた、イスタンブールのカトリック教会が28日のミサ中に武装集団によって襲撃され、一人が殺害、数人が負傷したことも取り上げ、哀悼の意を表明された。
*28日の世界ハンセン病デーに
最後に教皇は、28日が世界ハンセン病デー(WLD)に当たっていることに注意を向けられた。世界ハンセン病デー (WLD) は 毎年1月の最終日曜日 とされており、今年のテーマは「Ending Stigma, Embracing Dignity (恥辱に終止符を打ち、尊厳を抱く) 」。教皇は、 「この病気に罹患した人々の救済と社会復帰に携わるすべての人々を励まします。この病気は減少傾向にあるものの、依然として恐れられており、最も貧しい人々や最も疎外された人々に影響を与えています」と語られ、この日の意義を強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2024.1.28 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは年間第4主日の28日の正午の祈りの前の説教で、「誘惑に遭ったり、誤りを犯しそうになったりしたときは、いつでもイエスに助けを求め、私たちを奴隷にする力を持つものに抵抗するように。悪魔とは対話しないように」と信者たちに呼びかけられた。
説教で教皇は、この日のミサで読まれたマルコ福音書の「汚れた霊にとりつかれた男を癒す」(1章21-28節)箇所を取り上げ、「悪魔は私たちを捕らえようとしているが、主のそばに留まることで、悪魔に抵抗することができる」とされた。
そして、「悪魔は、私たちの魂を鎖で縛るために、私たちに取り付こうと懸命になっています。ですから、私たちは自由を窒息させて心を縛る『鎖』から身を守らなければなりません… 私たち皆が直面するさまざまな種類の束縛が、私たちを奴隷にし、常に不満を抱かせ、エネルギー、財、愛情をむさぼり食わせるのです」と警告された。
*イエスは私たちを解放してくだる
そのうえで教皇は「イエスは、これらすべての鎖と悪魔の容赦ない攻撃から私たちを解放するために来られたのです。イエスは決して悪魔と対話することはありません!」と強調され、「私たちはしばしば、鎖で拘束され、大きな害を受ける。それから自分自身を解放することは困難を伴いますが、キリストは、私たちが悪魔と決して交渉しないことを、思い起させてくれます」と説かれた。
そして、「では、誘惑や抑圧を感じたときはどうすればよいでしょうか?」と問いかけられ、「イエスを呼んでください。悪と恐怖の鎖が最も強く締め付けられていると私たちが感じる場所で、イエスを呼んでください」と促された。
*悪魔と対話してはならない
教皇はさらに、 「悪魔と対話してはならない。悪魔との対話はありません。悪魔と対話すれば、常に悪魔が勝つからです。気をつけてください」と注意され、 「主は聖霊の力によって、今日も”悪しき者”に対して、こう繰り返すよう願っておられます-『出ていけ。心を縛るな。世界、家族、私たちの共同体を分断するな。平和に暮せるようにしろ。そうすれば私の心は、そこで、お前のところではないところで、たくさんの実を付けるだろう』と」と語られた。そして、暴力や憎しみの叫びの代わりに「愛、喜び、柔和が支配」し、「自由、平和、思いやり」があることを、主が望んでおられることを強調された。
*愛と喜びに満ち、警戒を怠るな
説教の最後に教皇は「主は、私たちの人生が愛と喜びに満ちることを望んでおられますが、そのために私たちはいつも注意していなければなりません」とされ、「 イエスは、『悪魔と対話しない』ように用心深くすることと、私たちを主に立ち戻させてくださるように祈ることを、求めておられます」と改めて念を押された。そして、聖母マリアに、「私たちを、悪からお守りください」と願われた。
*正午の祈りの説教の英語版全文はバチカンのウエブサイト the full text of the Pope’s Angelus Address に。
Pope Francis meeting with members of “Nolite timere” (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2024.1.27 Vatican News Joseph Tulloch)
教皇は27日、30年前1994年のルワンダ大虐殺を受けて設立されたルワンダの孤児院支援のイタリアの非営利団体「Nolite Timere (‘Do not fear’)」のメンバーたち会見され、 「あの虐殺はとても酷かった。決して忘れてはなりません。同じことが二度と起きないように」と語られた。
は、このルワンダ大虐殺で孤児となった子供たちを支援するためにルワンダのムバレに設けられた孤児院の運営資金を集めている。
教皇は会見で、「『Nolite Timere 』のスローガンは『再び始めることへの希望をもたらす』です。『再び始めるために』、これは素晴らしいこと。皆さんが何百人もの子供たちを施設に迎え、このような具体的なやり方で続けて来たのは素晴らしいことです」 と讃えられた。
ルワンダの首都キガリ郊外にある孤児院は、当時のバチカン大使、ペンナキオ大司教によって設立された。「Nolite Timere」のウェブサイトによると、この施設には現在、ルワンダ全国から 429 人の孤児と貧しい子供たちを受け入れている。そして資金援助だけでなく、ボランティア グループもこの孤児院に派遣している。
教皇は、「四半世紀にわたって、皆さんは開かれた心と無条件の愛をもって、『子どもたちに笑顔と未来への希望を与えたい』という願いで一致し、彼らのために尽くしてきました」とされ、この施設のロゴに注目し、「団結と分かち合いの象徴であるルワンダのバスケットを描いています。このロゴは、私たちに、人々の間、そして民族の間の壁や分断が増大している現代世界にあって、『慈善活動には障壁がない』ということを思い起させます」と語られた。
そして、「戦争と武器は、子どもたちの笑顔と未来を奪います。そうならないように、年齢、国籍、文化、社会的地位の違いを超えて、友情の機会を作り、長続きする関係を築こうとするのは素晴らしいことなのです」と強調された。
(2024.1.27 Vatican News Francesca Merlo)
国連「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」の27日、教皇フランシスコはメッセージを出され、憎悪と暴力を非難し、平和な未来を築く上でこの日を追悼することの重要性を強調された。
メッセージで教皇は、「憎しみの論理は決して正当化されません」とされ、「注意してください。この死、皆殺し、残虐な行為がどのようにして始まったのかに」と語られた。
そして、「追悼することは人間性の表現。文明のしるしです。平和と友愛のより良い未来のための条件です」 と追悼することの意義を強調された。
教皇は、この日公開されたX(旧Twitter)への投稿で、次のように書かれている。
「 前世紀に行われた何百万ものユダヤ人と他の宗教の人々の恐ろしい大虐殺を追悼し、非難することが、『憎しみと暴力が決して正当化され得ないのだ』ということを、忘れないようにしてくれますように。そのような行為は、私たちの人間性そのものを否定するものだからです」。
また教皇は24日の水曜恒例の一般謁見で、27日のに記念される「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」の重要性について、「何百万ものユダヤ人や他の信仰を持つ人々のこの恐ろしい大虐殺を追悼し、非難することは、憎しみと暴力の論理が私たち自身の人間性を否定するものであり、決して正当化できないことを、誰もが忘れないように」と世界のすべての人に求められている。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコ、教皇庁教理省の定例総会参加者と( バチカン宮殿 で、Vatican Media)
(2024.1.26 バチカン放送)
教皇フランシスコが26日、定例総会開催中の教理省の関係者との集いの挨拶で、「秘跡」「尊厳」「信仰」の3つの言葉をキーワードを用いて語られた。
最初に教皇は、この定例総会で「秘跡の有効性」について考察したことを取り上げ、「教会生活は秘跡によって養われ、成長するものであり、司祭たちには、それを行う上で、また信徒たちにその秘跡を通して恵みの宝を伝える上で、特別な配慮が必要とされます」と話された。
そして、「秘跡を通して、信者たちは預言と証しの力を得ます… 今日、私たちは『新しい命の預言者と愛の証人』を緊急に必要としています。秘跡の素晴らしさと、その救いの力を愛することで、信者たちにもその愛を伝えましょう」と参加者たちを促された。
次に、教皇は「尊厳」に関して、「キリスト者として、あらゆる状況において人間とその尊厳の保護を、第一に据える努力を怠らないように」と求められた。
そして、教理省が現在、「尊厳」をテーマにした文書を準備していることに触れ、「この文書が、見捨てられた人たちの権利のために、日常生活を通して闘うすべての人に寄り添い、彼らを助けることができるように」と希望された。
また「信仰」については、ご自身の使徒的勧告「福音の喜び」の発表10周年と、2025年の聖年を踏まえつつ、「現代世界、特に若い世代に、福音を告知し信仰を伝えるために、新たな情熱と考察を必要とする時が来ています」と強調。
関連して、先に教理省から発表された「祝福の司牧的意味についての宣言『フィドゥチァ・スプリカンス』」に関して様々な議論が起きていることについて、「信仰の歩みを進めるために助けを求めるすべての人々に、『司牧的、自発的祝福』を通し、主と教会の寄り添いを、具体的に示すことを意図したもの」と説明。
この宣言を読み解く上で重要なのは、「これらの祝福は、典礼的性格を持つあらゆるコンテクストと形式には含まれないものであり、これを受けるには倫理的完全性を必要としないこと、また、あるカップルが自発的に祝福を求めて近づく時、祝福の対象は『カップル』ではなく、単に『その祝福を願う人たち」である、という2点」を強調された。
教皇は教理省関係者の日ごろの任務に感謝され、主の助けと共に前進するよう励まされた。
(編集「カトリック・あい」)