◎教皇の長期連続講話「ミサを味わう」⑦「集会祈願の前の『沈黙』は、聖霊の声に耳を傾けること」

 

教皇フランシスコ、1月10日、バチカンでの一般謁見 – ANSA

(2018.1.10 バチカン放送)教皇フランシスコは10日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、ミサ聖祭をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)で、ミサの「栄光の賛歌」と「集会祈願」の部分について考察した。

 教皇はまず、ミサの始めの「回心の祈り」で「信者たちは自らの思い上がりを脱ぎ捨てた後、罪びとであることを自覚し、赦しに対する希望のうちに、ありのままの姿で神と向かい合うことになる」と前回解説のポイントを改めて指摘したうえで、「まさにこの、人間の惨めさと神のいつくしみの出会いから、『栄光の賛歌』に表現される主への感謝が生まれてくるのです」と「栄光の賛歌」の解説に進まれた。

 そして、栄光の賛歌の冒頭で「天のいと高きところには神に栄光」と、ベツレヘムでイエスが降誕した際の天使たちの歌が、天と地を結ぶ喜ばしい知らせとして再び繰り返され、「地には善意の人に平和あれ」と、祈りながら私たちもこれに関わっていく過程を示された。

 「栄光の賛歌」に続いて、また「栄光の賛歌」がない場合は「回心の祈り」に続いて、「集会祈願」が唱えられる。「集会祈願」の内容は、典礼暦に沿いつつ、日ごとに変り、そのミサを特徴づけるものとなる。そして、司祭は「祈りましょう」と、信者たちをしばらくの間、沈黙の祈りに導くが、教皇はこの沈黙を「神の御前で良心を正し、それぞれの祈りを心にわき上がらせるために必要なものです」と指摘、「沈黙とは単に話さないことではなく、心の声、特に聖霊の声に耳を傾けることなのです」と強調された。。

 さらに、祈りの前の沈黙は「気持ちを集中し、なぜ自分がそこ(ミサ)にいるのかを意識させ、心に耳をすまし、その心を神に向かって開くために重要」とし、「そこで私たちは、毎日の苦労や、喜び、苦しみを主に打ち明け、助けと寄り添いを求めると共に、病気や試練にある家族や友人のために祈り、教会と世界の未来を神に託すのです」と語られた。

 司祭は一人ひとりの祈りを集め、会衆全体の名によって、共同の祈りを神に上げて、ミサの導入部は終了する。教皇は司祭たちに対し「この祈りの間、沈黙を大切にし、決してミサの進行を急ぐことのないように」と願われた。また、司祭は集会祈願を、初代教会のキリスト者のように両手を広げて祈るが、「その姿は十字架上で両手を広げたキリストに倣うものであり、キリストは祈りと共にそこにおいでになるのです」と話された。

 「ローマ典礼の祈りは、簡潔であると同時に、豊かな意味に満ちています」とされた教皇は、「いかに神と向き合い、どのように何を神に願うのか、を学ぶために、ミサ以外の機会にもミサ典書の中の祈りを観想する」ように勧められた。

(バチカン放送日本語版をもとに「カトリック・あい」が編集しました)

 

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