◎教皇の長期連続講話「ミサを味わう」⑤「ミサはすべての参加者による”シンフォニー”」

12月20日、バチカン・パウロ6世ホールでの、教皇フランシスコによる一般謁見

(2017.12.20 バチカン放送)

 教皇フランシスコは20日、バチカンで水曜恒例の一般謁見をされた。パウロ6世謁見ホールのステージには、モミノキやプレゼピオ(イエスの降誕場面を再現した馬小屋の模型)が飾られ、降誕祭を待つ喜びを演出。

 謁見中、教皇は「ミサ聖祭」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)で、ミサの儀式の具体的な進行の考察をされ、ミサの開祭の儀の所作や言葉、その意味を確認され、「ミサは『みことばの典礼』と『感謝の典礼』から成り、この二つの部分が緊密につながって、一つの礼拝の行為を形成しています」と説明。この前後に、導入としての「開祭の儀」、締めくくりとしての「閉祭の儀」が加わり、ミサの一連の流れを作っている、と話された。

  そして、儀式は全体で一つのものであり、切り離すことのできないものだが、「それぞれの場面を説明することで、信者たちがこれらの聖なるしるしの意味を知り、ミサを完全に体験し、その素晴らしさを味わうことができますように」と前置されたうえで、まず、開祭の儀について、「回心の祈り」「あわれみの賛歌(キリエ・エレイソン)」「栄光の賛歌(グロリア)」「集会祈願」と、進行の一つひとつをたどりながら、この導入部の目的を「共に集った信者たちが一つの共同体となり、神のみことばに耳を傾け、感謝の典礼をふさわしく祝えるようにすることにあります」と説明された。

  ミサは十字架のしるしをもって、共同体として神の礼拝を始めるが「この開祭の儀に遅刻しないことが大切であり、むしろ早めに着いてミサのために心の準備をすることが望ましいと思います」と述べられ、「時計を見ながら『説教の後に到着すれば、まだ間に合う』と思うのは、良くない習慣です」と注意された。

  入祭の歌と共に、司式者である司祭や、奉仕者たちは行列をつくり聖堂の内陣に進み、祭壇に向かって礼をし、崇敬のしるしとして祭壇に接吻し、献香するが「これはミサがキリストとの愛の出会いであり、祭壇はキリストご自身の象徴であることを表しています」とし、「共同体が祭壇の周りに集うのは、共同体の中心であるキリストを見つめ、キリストの近くにいるためなのです」と話された。

  さらに、司祭の言葉と所作に合わせて、一同は「父と子と聖霊のみ名によって」と十字架のしるしをきるが、「これによって信者たちは、これから行われるミサが『三位一体の神の名のもとに行われる』ことを意識します」とされ、「その意味や仕方を知らない子どもたちに、十字架のしるしを正しくすることを早くから教えるようにしましょう」と親たちに勧められた。そして、「十字架のしるしによって、私たちは自分自身の洗礼を思い起こすだけでなく、私たちのために人となられ、十字架上で死に、栄光のうちに復活されたイエス・キリストにおける神との出会いを、この典礼の祈りの中に改めて認識することができるのです」とその意味を強調された。

  ミサでは、これに続いて、司祭が「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに」とあいさつをし、会衆は「また司祭とともに」と答えるが、「ミサがこうして対話の形式のうちに始まり、様々な音程の声や、沈黙と共に、すべての参加者が一つの霊に生かされ、『一つのシンフォニー』を形作っていく」とされた。

  そして「生まれつつあるこの祈りのシンフォニーは、すぐに感動的な場面にさしかかります。それは『自分の罪を意識するように』と司祭が人々を回心へと導く場面です」と指摘。「私たちは皆、罪びとであり、それゆえ、ミサの始まりに、赦しを請うのです」とされ、「この回心の祈りは、ただ犯した罪を思うだけでなく、神と兄弟の前で、謙遜と誠実さをもって告白するように」と促すもの、と説明。

  最後に、「聖体が、キリストの死から命への、過ぎ越しの神秘を真に現存させるものであるなら、私たちがまず、すべきことは『キリストと共に新しい命に復活するために、自分たちの死の状況を認識することではないでしょうか」と語り、そのための「回心の祈り」の大切さを強調された。(バチカン放送の内容をもとに「カトリック・あい」が分かりやすく編集しました)

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