・菊地大司教の日記 ㉓今日こそ、召命の時ー世界召命祈願日に

2018年4月23日 (月)

世界召命祈願日ミサ 世界召命祈願日ミサ

4月22日の日曜日は、世界召命祈願日でもありました。東京教区では、一粒会の主催教区行事として、同日午後2時半からカテドラルの関口教会でミサが捧げられました。ミサには教区や修道会の司祭、神学生、そして女子修道会の会員や志願者も大勢参加してくださり、信徒の方々も合わせて400名近い方が集まって祈りを捧げました。

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またミサ中には、イエスのカリタス修道女会のシスター方の聖歌隊が美声を響かせてくださり、祭壇側から見るとよくわかるのですが、たまたま訪れた見学の方々が、パイプオルガンに合わせたシスター方の美声に聞き惚れてなのか、結構長い時間、立ち止まっているすがたも見られました。

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ミサ後には、ケルンホールを会場に、各修道会の神学生や志願者紹介。残念ながら神学生の多い神言会は名古屋にいるため誰も来られませんでしたが、神学生がいてもいなくても、東京にいるすべての修道会は男女を問わず紹介できるようにしたらよろしいのでは、とも感じました。来年以降検討です。

準備してくださった一粒会の皆さんありがとうございます。以下、ミサ中の説教の原稿です。

 私は1986年に司祭叙階を受けましたので、今年でもう32年司祭として生きてきました。司祭へと至る道を歩み始めたのは、小学校を卒業し、中学一年となった1971年ですから、そこから数えるともう47年も、この世界で生きてきたことになります。

 自分の司祭にまでいたる道のりを振り返ってみるとき、そういえばいったい、自分はいつどこで、神様から呼ばれたのだろうと、自分でも不思議に思うことがあります。

 聖書には、例えば少年サムエルが寝ていると、神が「サムエル、サムエル」と、三度も呼びかけたなどという話があります。または新約聖書にも、迫害に手を染めていたパウロに対して、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と主が直接に呼びかけた話があります。もちろん福音書には、例えばシモンとアンデレに主が直接、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかける場面が記されています。

 聖書に出てくる人たちは、そうやって直接呼びかけられて、従う者となっていくのです。そうしたら、わたしへの呼びかけはいつだったのだろう。わたしも、少なくとも自分では、主に従う道を歩んでいるつもりです。どこかで呼びかけられたに違いないはずですが、あまり気がついていない。その、呼びかけに気がついていないこと、または聞こえていないことが、今日の世界召命祈願日に当たり教皇様が発表されたメッセージの中心にあるテーマです。

 メッセージのタイトルは、「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」です。
教皇様は、この呼びかけは、「はっきりとしたものではありません」と言います。これで少し安心です。メッセージはこう続きます。「神は、わたしたちの自由を抑圧することなく、静かにそっと来られるのです」

 静かにそっとこられる神に、私たちはどうして気がつくことがないのか。教皇様はこう言います。「その声は、わたしたちの思いや心を覆っている心配や懸念によって、かき消されてしまうかも知れません」

 静かに呼びかけられる神の声が聞こえないのは、もしかしたら私たちの心が、現実社会の中で生きていくために必要な心配事や、人間関係の中での懸念に埋め尽くされているためではないのか。そんなとき、わたしたちは静かに語りかける神の声を聞き逃してしまうかも知れないのです。

 しかし考えてみれば、誰かのために心配したり、配慮したりすることは、少なくとも悪いことではないはずです。ですから教皇様の指摘はこう続きます。「自分だけの狭い世界にこもり人生を台無しにしている人に見られる無関心さの中に閉じこもるなら、神が、私たちのために考えてくださった各個人への特別な呼びかけに気づくことはできないでしょう」

 自分の世界のことだけを心配し、他者への配慮に背を向けているとき、神の声はかき消されてしまうと言うのです。ということは、神の声は、積極的に他者への配慮を示す中で、聞こえてくるのではないか。人との前向きな関係を生きようとする中で、その他者との出会いの中で、聞こえてくるのだと言うことであります。

 人生の中で、他者への積極的な配慮の関係に私たちが生きるとき、その人間関係のうちで神からの様々な語りかけがある。教皇様のメッセージは、それが何を語っているのか、そもそも神の語りかけなのか、識別するようにとも呼びかけます。霊的な識別とは、「人が、神との対話において、聖霊に声に耳を傾けながら、生き方の選択をはじめとする根本的選択を」行うことだと言います。

 「生き方の選択」です。お気づきのように、教皇様のメッセージは、召命を語るとき、単に司祭の召命だけを語っているのではなく、神に従う者すべてがどのように生きるのかについて語っています。

 私たちは、特に、まだ若い人たちは、将来を見据えて、幾度となく、どのように生きていくのか選択を迫られ、決断を重ねていきます。その選択は、どのような生き方となるにせよ、聖霊の声に耳を傾ける祈りのうちに、神の呼びかけを識別し、それに真摯に応えようとするところから始まります。司祭や修道者になることだけではなく、わたしたちが神に従う者としてどのような生き方を求められているのか、どのような生き方に招かれているのか、その神の呼びかけを聞く努力をすることは、男性女性を問わずすべてのキリスト者に共通している大事な務めです。

 その識別の過程にあって、ある人たちは司祭に、またある人たちは修道者の道へと招かれるのです。その道に招かれている人は、少なからずこの東京教区にもいるはずです。まだ神の声が聞こえていない人が、少なからずいるはずであります。

 召命のために祈るのは、単に、司祭が増えるようにとか、修道者が増えるようにと祈ることだけなのではありません。そうではなくて、キリストに従う者すべてが、自分中心の狭い世界の中だけのことにとらわれて生きるのではなく、積極的に出向いていって、そのなかで神からの呼びかけを識別しながら、命を生きるための最善の道を見いだすことができるようにと、祈ることでもあります。召命は、すべてのキリスト者の、そしてすべての人のものであります。神はすべての人に、それぞれの方法で語りかけ、すべての人にそれぞれの固有の使命を与え、それに生きるようにまねいておられるからです。

 そうして祈る中でも、果たしてそれが神からの呼びかけなのか、それとも単なる思い込みなのか、悩んでいる人もおられるのだろうと思います。

 そんな悩める人に、教皇様はメッセージでこう言われます。
「もっとふさわしい時を待っているのだと言い訳をしながら、より良い日和を期待しながら、窓から見ているだけでは、福音の喜びは訪れません。危険をいとわずに、今日、選択しなければ、福音の喜びは、私たちのもとで実現しません。今日こそ、召命の時なのです」

 私たちの祈りは、一歩踏み出すことを躊躇している方々への霊的な励ましにもなります。わたしたちは自分自身も含めて、すべての人が召命への決断をすることができるように祈るのです。祈りながら、自分も勇気を持って一歩踏み出そうと、努力を続けるのです。

 私自身はいったいいつ神様に呼びかけられたのか定かではないと申し上げました。きっといくつかの出会いの中にそのときがあったのだと思います。しかし一つだけ確実なのは、わたし自身の召命は、多くの人の祈りによって支えられてきたことです。これまでの司祭人生の中で、いったい何人の方が「あなたのために祈っています」といってくださったことかわかりません。新潟の司教の時代には、様々なグループの方が霊的花束をくださり、祈りの支えを目に見える形にしてくださいました。多くの司祭が、自分の力ではなく、たくさんの方の祈りに支えられていると感じ、感謝しています。祈りには力があります。お祈りください。そして互いの召命のために、祈り合いましょう。

 今日こそ、召命の時です。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

 

・三輪先生の国際関係論 ㉗核兵器開発の効用  

 軍備は平和構築の手段になる。だから困るのだ。いやだから現実主義は核兵器廃絶絶対主義にまさるのだ。…等々、いろいろな想いが湧きだし交錯する。北朝鮮の金正恩委員長の核兵器、長距離弾道弾開発実用化への采配が昨日までに朝鮮半島にもたらした結果を見て、大した男だとその政治感覚に刮目せざるをえなかった。

 かたや、「ポピュリズム」に堕しがちなのに、「民主主義」「自由主義」万歳の、重箱の 隅をほじくるような野党与党の舌戦に呆れかえっている自分が空しくなる。東京市民「ファースト」と恥ずかしくもなく、小さなエゴ丸出しの旗印。

 謙虚、互譲の隣人愛を忘れ、捨て去ってしまったようで、年寄りには住みずらい世間様にはなりました。どうしてくれる、血の気だけはたっぷりらしい、若者気取りの今様の政治屋の皆さん。あなた方が泳いでいるポピュリズムの池が、突然戦前のような、集団的独裁、暴走の政治体制に発展してしまわないと保証できますか。

 先の戦争への社会的、政治的変遷の道程を痛い体験として記憶している年寄りがいなくなっていくとき、その歴史を学習し、夜警の足音として常時耳下に響かせていてほしいと思うこと切なりです。 (2018・4・30)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

・Sr.石野のバチカン放送今昔 ㉒バチカンの空に泳ぐ日本の鯉のぼり!

 リーン、リーン、オフィスの電話がなった。「もしもし・・・」なんと!横浜教区長の濱尾文郎司教さま(当時:のちに教皇庁移住・移動者司牧評議会議長・枢機卿、2007年没)のお声。「実はバチカンで鯉のぼりを揚げるために、ずっと前にバチカンに手紙を書き、万端整えてツアーを組んで、出発も間近に迫っているのに、バチカンから何の返事もない。ちょっと調べてほしい」とのこと。声と同時に司教さまの心配と焦りが伝わってきた。「ハイ、わかりました」と返事をして、教皇の秘書に連絡を取り、翌日倉庫に見に行った。

 あった!教皇さまが訪日された際、東京の武道館で行われた“young and Pope”の集いで「若さの力と勢いのシンボル」として献上した鯉が。早速、「日本の若者たちがローマに来る時、バチカンの空に泳がせたい」と教皇秘書にお願いした。

 彼は即座に命令を出してくれた。二日後には、バチカンの職人たちに手配して、バチカン宮殿の屋上、聖ペトロ広場に面したところにポールを立て、鯉を泳がせることに決まった。一般謁見の二日前、日本の若者たちの一行がローマ入りした。翌謁見の前日、8人の職人がバチカン宮殿の広場に面した屋上に長いポールを立てた。

 濱尾司教さまは工事が終わるまで現場で立ち会った。職人たちは「僕たちが働く現場に司教さまがずっといてくださるのは、初めてだ」と感激していた。司教さまにしてみれば、本当に実現するかどうか心配で、居ても立ってもいられなかったのだろう。

 翌日一般謁見の時、前日準備されたポールに3匹の鯉がとり付けられ、バチカンの空高く舞った。広場に集まった10万近い人々は、3匹の巨大な魚が宙に舞うのを見て歓声をあげた。・・こうして、教皇さまの招きに応えて、「バチカンの空に鯉のぼりを泳がせたい」という日本の若者たちの希望が実現したのだった。(写真は日本のもの、当時のものではありません「カトリック・あい」)

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

2018年4月28日 | カテゴリー :

・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑨ハーフェズ-生き方・想いが限られた詩の中に凝縮 

 筆者の外交官生活で3度目の勤務であり、最後の任地ともなるイランで、ペルシャの詩にとうとう出会うことになり、それ以降、特に退職後の生き方に大きな影響を受けることになる顛末は記した。ペルシャの大詩人の一人、ハーフェズの詩句のいくつかをこれまで、その生きた背景や生き様とともに紹介してきた。

 ハーフェズは、神への愛の道を求める中での至福と苦痛、社会の欺瞞と不正への怒りを原動力として詩的創造活動を続けた。モンゴル侵入後の不安定な社会、権力者の庇護を得られたり、得られなかったり、安定しない自らの生活の中で、詩的創造は、自己主張のよりどころであり、また慰みでもあったであろう。

 今回はその点を見てみる。
「短くはできない ハーフェズの話は長いから」と自ら歌っているのは、その作品がガザルという短形式の詩500編前後に集約されていることから見れば奇異にも思えるが、同時にその生き方・想いが、限られた詩の中に凝縮されているとみることができよう。

 具体的には、「(汝を求めて苦しむ)我 その目は充血し涙でいっぱい それを通して 我は 想いの世界に(汝を)描く(詩)」(カッコ内は訳者註)、
神の愛を成就しようとする修行の人生は茨の道、得られぬ苦しみは充血した目からあふれる真っ赤な涙となって流れる。真っ赤な涙のあふれる目を通して、ハーフェズはその体験を同じく色鮮やかな筆致で詩の世界に展開する。詩人の基本的姿勢である。

 また、「朝のそよ風は すべてのばらの花弁を 優しく水(露)で洗う書物にかじりついていれば 心が曲がっていると言われてもしょうがない 我にとり(修業の苦しみで流す)涙こそ ダイヤでありサファイヤであり宝物 天空の太陽に 幸運をすがるなど しはしない」

 詩人の自然を見る目は鋭い。シラーズは今でもバラで有名であり、神を求めて寝られず朝までバラ園で過ごした詩人が、露に濡れた花弁を朝の風がさっと洗い流す光景にふと安らぎを覚える。それは神が描き出した自然の光景と思えたのであろう。書物にかじりついて神学に思惟をめぐらすなど、まったく野暮でしかない。

 しかし、それは確かに一瞬の安らぎではあるが、修行の苦しみははるかに大きく、血の涙こそが詩人にとっての宝もの(ダイヤもサファイヤも血の涙と同じ真っ赤な色)。自分は天空に願を懸け、運に頼ってこの世の栄達を願うなどしない、と歌うのは負け惜しみともとれるが、それはまた、詩人の自負・誇りでもあった。

 「葡萄酒のおかげで育まれる想いは 自然が自分らしく巧みに飾るようバラの花のうちに バラ水がひそかに育まれるように 葡萄酒は、神との融合により得られる陶酔感を表象するもの、自然の巧みさも神の賜りもの、それらは今日もイラン人が愛好するバラ水が、バラの花びらに密かに育まれるがごとくと歌うのは、まさに神の道を求め、神の被造物たる自然の巧みさに心奪われる詩人の自負であり誇りである(バラ水はバラの花弁から絞り出すバラのエキス)。

 (ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)

(駒野欽一(国際大学特任教授、元イラン大使)

・Sr.岡のマリアの風 ㉗「危険を冒してください!」-中国出張を前に-

(独り言)「危険を冒してください!」-中国出張を前に-

Jさま、

 久しぶりのメール、うれしかった。ありがとうございます!

 実は、この週末、院長会議のすぐ後、中国(太原)出張のため出発することになり、バタバタしています。

 相手側、中国からのメールは…

 「ちょっと寒め」「だけど、すごくは寒くない」

 「(修道服ではなくて)私服を着て来てください」

 「空港のパスポートコントロールで、たぶん、大丈夫だと(中国に入れてくれると)思うけど」…

  パパ・フランシスコが、「若者たち」に、たびたび言っていますね。「恐れないで!」「Rischiate!(危険を冒してください!)」、その理由は、単純に、「キリスト者(キリストに従う者)なのだから」、と。

 そして、パパの思いの中では、ぬくぬくと自分の快適な場所に留まらず、「やっぱり、おかしい」、「とにかく、何かしよう」…と、「出て行く」人こそ、「若者」なのですね。年齢に関係なく。

 この、イエス・キリストの名のために、「危険を冒してください!」という呼びかけは、まさに、今のわたしに向けた、タイミングのよい声のように響きます。

 どういうことになるのか、まったく未知…。そういう旅、20代前後のころ、よく、しました。(わたしが修道院に入った時、これで娘も、少なくとも「住所の分かる場所」に落ち着くだろうと、父がほっとしたくらいです…)。

 わたしたちのパパ・フランシスコは、最近では、南イタリアのバリに(2018年4月20日)、チリとペルーに(2018年1月15日~22日)、昨年末、ミャンマー・バングラデシュに(2017年11月26日~12月2日)、コロンビアに(9月6日~11日)、ファティマに(5月12日~13日)、エジプトに(4月28日~29日)、「出て行って」いますね。まさに彼自身、言っているように、「貧しい一巡礼者として」、主がその地に、その民に託した「富」-文化の中に具体化した信仰の宝-に感謝し、祝い、学ぶために。

 それぞれの地で、パパは、さまざまな人々と出会い、共に主に感謝し、主が約束した希望のうちに、信仰にしっかり留まるよう励まし…。

 そんな、パパの姿、わざ、言葉に、日々触れながら、そして、同じように生きた数えきれない先輩たちの姿を思い巡らしながら、自問します。

 わたしは今、自分の修道院で、自分の部屋で、「キリストの熱い思い」に突き動かされ、「危険を冒して」、つねに「出て行って」いるだろうか。

 これは何も、物理的に外に出て行く、ということだけではありませんね。

 パパが再三言うように、「いつもこうだったから」「どうせ変わらないのだから」「するだけ無駄だから」…という、「キリストに似る者になる」歩みを弱らせ、「中和」させる、狡猾な「敵」と闘うために、危険を冒しているか、ということですね。

 「やっぱり違うと思う、もっと良くなると思う…」。

 「え~っ、その年で、まだそんな夢みたいなこと言ってるの?」

 「でも、今、わたしたちが動かなければ、一歩踏み出さなければ、次の世代の人たちはどうなるの?」

 「そんなこと言ったって、ど~せ反対されるよ。わたしたちだけ頑張ったって無理だし…」

 「パパ・フランシスコは、聖パウロの言葉をかりて、言いました。わたしたちを強めてくださる方-キリスト-と共にするなら、わたしたちはいつも勝利するって」

 「う~ん、でも、それって『現実的』じゃないよね~」

 「洗礼を受けたとき、わたしたちの中に、復活のキリストの力、聖霊が入って来たのだから、その力に信頼して一歩を踏み出してください、って、パパは言っているし…」

 「でも、聖霊って目に見えないし…本当に、ここで働いているのかな~」

 「いや、聖霊は、目に『見えます』…わたしたちが望みさえすれば…。わたしたちが思ってもみなかった、もっとも小さく、貧しいしるしの中に…。パパは言ってます、わたしたちの神は、『サプライズの神』だって」。…

 …と、こんなやりとりが、自分の中でも、人々との話の中でも、会議の中でも、あります。

 主を「安全地帯」に引き戻そうとしたペトロは、主から、「サタンよ、引き下がれ!」と叱られましたね。「ペトロって、しょうがないね~」と、わたしたちは簡単に言うけれど、でも実は、あのペトロの「もっともな理屈」は、わたしたちが、しょっちゅう使っている「理屈」ですね。

 主が、エルサレムに向かって、十字架に向かって進むのを、妨げようとする「もっともな理屈」。

 そして、もし、主がエルサレムに行かなかったら、十字架に向かって進まなければ、わたしたちは、今も、罪の闇の中、脱出するすべも知らずに…。

 なんと度々、わたしたちの「もっともな理屈」は、神の思い、「すべての人々の救い」のための思いに、反対するのでしょう!

 古代の教父たちは言いました。このような「闘い」の中で、「神の母」のマントのもとに駆け寄り、神の母マリアから、「主を真ん中に置く」ことを学びましょう、と。

 わたしたちのいのちの中心にいる主は、そこに「いる」のだけれど、神秘の中に留まります。わたしたちのただ中に、確かにいるのだけれど、でも同時に、わたしたちの思いを超える神秘でもあります。

 わたしたちが、何か、栄光に満ちた権力、光り輝く正義、悪者を打倒す勝利の王…というイメージで、この世に、周りに、キリストのしるしを探し求めるなら、簡単に、悪魔の罠に引っかかりますね。悪魔は、いつも言います、「そうそう、あなたの言うことはもっともだ。あなたは悪くない、あの人が、この状況が悪い。頑張ったって無駄。どうせ理解してもらえないのだから…」。

 神の母のマントのもとに逃れて、わたしたちはどうするのか?

 まず、わたし自身が、真に貧しく弱い者であることを、素直に認め受け入れることを学びます。わたしたちの力で、悪魔と闘うことなど出来ないことを、はっきりと悟ります。そして、そこから出発します。もう一度、キリストを中心に置いて、再出発します。キリストに従う、貧しく、小さな道を。主とともに、すべての人々の救いのために、十字架に向かう道を。マリアとともに、「母の愛」に内奥から突き動かされて、主に従う道を。

 神の母のマントのもとに逃れて、わたしたちは叫びます。「神の母よ、悪魔の誘惑は、とても巧妙で、執拗で、わたしの能力(知力、体力、気力)以上のものです。わたしは弱く貧しい、あなたの子です。どうか、急いで助けに、救いに来てください!主の望みが、主のことばが、主のわざが、わたしの中で行われますように!」

 そうやって、神の民は、ずっと、荒波、嵐の中を進んできました。神の母マリアを、荒れ狂う海の中の「はこぶね」、目的地を示すために空に輝く「星」と呼びながら。

 でも…話は元に戻って…初めての中国行き。神の母よ、あなたのためです。主のお望みが、主のお望みだけが行われますように、わたしを助けてください!思うとおりに行かないとき、まさにそのただなかに、主がおられることを見分ける知恵をください!そして、あきらめることなく、前を歩く主の足元だけを見つめて、一歩一歩、前に進む力をください!その、一歩一歩の先にあるものも、どこにたどり着くかも、それさえも、主に委ねることが出来るようにしてください!

アーメン!

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2018年4月27日 | カテゴリー :

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑲ 人は何歳まで……?

 厚生労働省は4月22日、横浜市在住で116歳の都千代(みやこ・ちよ)さんが国内最高齢者になったと発表した。これまで国内最高齢だった鹿児島

稲垣政則撮影

県喜界町の田島ナビさんが前日、117歳で死去したことによるものだ。都さんは、国際的な老年学研究団体ジェロントロジー・リサーチ・グループ(GRG)に「世界最高齢」であるとも認定されている。

 日本人の平均寿命は、2016年時点で女性が87・14歳、男性が80・98歳となり、いずれも過去最高を更新した。100歳以上の高齢者数も増えている。2017年度は前年から2132人増の6万7824人に達した。

 それでは一体、人間は何歳まで生きられるのだろうか?

 衛生・栄養状態の改善は著しく、健康に関する人々の意識も向上している。さらに医療技術が進歩すれば、最高齢者の記録も更新されていくのだろうか? 残念ながら、最近の研究結果は逆の方向を指し示している。

 米国のアルバート・アインシュタイン医科大学が2016年、英科学誌ネイチャー(電子版)に発表した論文は、「人間の最大寿命には限界があり、すでに限界に達している」としている。

 研究チームは、19世紀末以降の世界40か国以上に及ぶ人口と死亡の統計を詳細に分析。さらに、百寿者の多い日本、米国、英国、フランスの4か国を対象に、110歳以上の高齢者の生年・没年などを調査した。その結果、各年に亡くなった人の最高齢は、1968年に111歳にまで延び、その後、毎年約0・15歳のペースで上がっていった。だが次第にブレーキがかかり、1995年ごろには「高原状態」(プラトー)となる。いわば、寿命がピークに達してしまった状態だ。

 人の寿命が「高原状態」となった2年後の1997年には、当時の世界最高齢だったフランス人女性ジャンヌ・カルマンさんが122歳で亡くなっている。以来20年以上が経過したが、彼女の記録は更新されていない。

 これらのデータからアルバート・アインシュタイン医大の研究チームは、人間の寿命はおおむね115歳であると推定する。これより多少長生きする人は現れても、人間の究極的な寿命は125歳であり、この年齢を超えて生き続ける可能性は1万分の1未満である――と結論づけた。

 「人間の究極的な寿命は125歳」という米国の研究者による指摘は、別の意味でも興味深い。今から100年以上前、明治の元勲・大隈重信が、<人間は本来、125歳までの寿命を有している。適当なる摂生をもってすれば、この天寿をまっとうできる>と唱えているからだ(大隈重信述「人寿百歳以上」)。 長寿で世界一を走る日本が、長寿論でも世界をリードしていたのは興味深い。

 116歳の都さんは、5月2日に117歳の誕生日を迎える。「現在、食事も自分でとることができ、毎日元気に過ごしております。皆で5月のお誕生日を楽しみにしています」。ご家族が公表したコメントに、皆の幸せな顔が浮かぶ。

(みなみきょうこ・医師、作家: クレーム集中病院を舞台に、医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=を1月に刊行。http://www.gentosha.co.jp/book/b11411.html 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」収録)

 

2018年4月27日 | カテゴリー :

・Sr 阿部のバンコク通信 ⑳新札が流通開始―表は新国王だが、裏は故プーミポン前国王

  先日銀行で両替、受け取ったお札は新国王ワチラロンコーン(ラマ10世)陛下の新札でした。慣れ親しんだお顔が入れ替わり、遂にお札も、と思いました。

 タイの紙幣バーツには、20、50、100、500、1000、とあり、コインは25、50サタン(100サタン=1バーツ)1、2、5、10バーツ。1円が0.29バーツです。 コインはまだ見かけないですが、新札は、20バーツから500バーツまではそれぞれ表は新国王、裏は歴代ラマ国王陛下が1世から8世まで2人づつ印刷されています。

 最高額の1000バーツ札ではどうかと、表は当然、新国王。裏を返すと…プーミポン国王(ラマ9世)陛下の肖像! 国民の気持ちを大事にした名案、これには感嘆してしまいました。パウロ書院で、早速新札でお釣りを。皆が「あっ」と反応、裏を見てほっとした、という感じでした。

   国民に敬愛されたプーミポン国王を見送って後、街中は正装した新国王のお写真に取り替えられています。静かに音も立てずに、徐々に、惜しまれながら…。人々は黙々と、事態を受け止めて平常心で生活しているようです。国民が国王を見守り、タイ国を安泰に収める責務を果たせるよう、無言の示唆を与え続けることでしょう。 

 時に、怒涛のように流転する人の営みに揉まれながら、天地の創造主を仰ぎ、『Laudato sì 』と賛美しながら今日の営みを捧げています。 (阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年4月27日 | カテゴリー :

・菊地大司教の日記 ㉒習志野教会50周年

2018年4月21日 (土)

 習志野教会50周年

  習志野教会が創立50年を迎え、本日土曜日の午前10時から、感謝のミサが捧げられました。ミサには歴代の主任助任をはじめ、近隣の司祭も参加し、10名を超える司祭の共同司式ミサとなりました。現在の主任司祭は、教区司祭のディン神父様です。

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 習志野教会は、

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元々は船橋教会として始まり、その後2000年に現在地に移転して、その名を習志野教会と定めたと伺っています。最初は100名ほどの小さな集まりであったのが、現在は多国籍の信徒の方も含めて二千人を超える大共同体になり、英語やポルトガル語でのミサも捧げられていると言うことです。

 ミサ後には信徒会館で祝賀会があり、信徒の方のお手製のケーキに、本当に50本のろうそくがともされました。ろうそくを吹き消し、ケーキカットしたのは、この教会出身の三名の教区司祭。福島、高木、泉の若手三名でした。

 今回のお祝いには、立派な記念誌も制作されていました。記念誌をはじめ、お祝い全体を準備してくださった皆さんに感謝します。(写真下右は、習志野教会信徒でわたしの中学時代の先輩ご夫婦と。写真左下は挨拶する主任のディン神父)

Narashino1804Narashino1802_2以下、本日の説教の原稿です。

 習志野教会が誕生して50年が過ぎました。1968年に船橋の地に「復活のキリスト」船橋教会として創立後、将来を長期的に展望しながら、2000年に現在の習志野の地に移転をされたと伺いました。教会の移転という事業には、膨大な時間と、膨大な労力と、膨大な調整が必要であったことと想像いたします。それこそは、この移転という事業に関わられた司祭と信徒の方々の、福音宣教への熱意を具体化した行動ではなかったかと思います。

 50年という年月は、自分が若い頃にはとても長い時間の流れであると信じていました。しかし実際に自分が50歳を超えた頃から、50年というのは思いの外あっという間に過ぎ去る時間の流れであるということも分かってきました。今日お集まりの皆さんの中には、50年前、どのような思いを胸に抱きながら、新しい教会の誕生に立ち会ったのか、まだはっきりと記憶しておられる方も多くおられると思います。あっという間の50年であっただろうと思いますし、同時にその間には、語り尽くせぬほどの多くの出来事があったことだと思います。また多くの兄弟姉妹たちが、すでに御父のもとへ旅立って行かれました。

 教会創立50周年を記念するにあたり、船橋そして習志野教会のために尽くしてこられ、いまは神の御許に旅立たれた信仰の先達たちの永遠の安息のために祈りたいと思います。

 わたしたちは、教会というのは単に聖堂という建物のことだけを指しているのではないことを良く知っています。第二バチカン公会議は教会憲章において、教会はまず第一に「神の民」であると指摘していることは、わたしたちがよく知っているところです。

 そして教会憲章は冒頭で、教会とは何かを教えてこう記しています。
教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)。
ですからわたしたちは、この地域社会にあって「神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具」となるために存在する「神の民」であって、この「神の民」である共同体の存在こそが教会そのものであります。

 しかしながらこの共同体には、やはり集い祈る具体的な場が不可欠です。その意味で、聖堂の存在は、わたしたちが神の民としての互いの絆を具体的に確認し、「神との親密な交わりと全人類一致の」まさしく「道具」となるための目に見える場として、なくてはならないものでもあります。

 教会には、「神との親密な交わりと全人類の一致」の「しるし」としての意味と、「道具」としての意味の、二つの重要な役割があります。

 この地域にあって、この習志野教会の共同体と聖堂は、その「しるし」と「道具」となっているのでしょうか。その存在を通じて、「神との親密な交わりと全人類の一致」をあかししているでしょうか。50年を契機に、わたしたちの共同体のあり方を振り返ってみたいと思います。

 教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」において、あるべき教会のイメージを明確に示しておられます。教皇フランシスコにとって教会は、「出向いていく教会」でなければならないと言います。出向いていく教会は、「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」教会です。

 第一にわたしたちには具体的な行動が求められています。教会は社会の中心部に安住しているのではなく、社会の周辺部へと出向いて行かなくてはならない。その周辺部とは、社会の主流派から見れば排除され忘れ去られている人たちの所です。この世界に誰一人として忘れ去られて構わない人はおらず、排除されても構わない人もいない。神から与えられた賜物である生命を頂いているすべての人が、大切にされ神のいつくしみのうちに生きることができるような社会。それを築きあげるために、様々な努力を積み重ねていくことが、現代社会にあって福音を告げ知らせるキリスト者の使命であると教皇は主張されます。

 同時に教皇は、挑戦し続けることの重要さも説かれます。わたしたちは変化に対して臆病になりがちです。新しいことに挑戦していくことに、気後れしてしまいがちです。でも教皇はそういった姿勢を、「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった」と批判されます。これは教皇就任直後に訪れたランペドゥーザ島で、アフリカから海を渡ってきた多くの難民の方々と一緒にミサを捧げた時の、説教の一文です。変化を恐れ現状に安住しようとするとき、人は他者の叫びに耳を傾けようともしなくなる。自分たちのことばかりを考える利己主義に陥り、困難に直面する他者の叫びには無関心になってしまうという指摘です。

 教会の土台は、主イエスご自身であると、パウロはコリントの教会への手紙に記しています。復活の日から、わたしたちには変わることのない土台が存在しています。その上に築き上げられる教会共同体は、それぞれの時代の状況に適応しながら、土台である主イエスをあかしする存在であり続けようとしてきました。時にその行動は、世間の常識から見るとかけ離れているように見られることもありました。それでも教会は、土台である主イエスから離れることをせず、勇気を持ってあかしを続けてきました。それは主御自身が、神殿で、周囲の人々の常識をうち破り、弟子たちにでさえ、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉を思い起こさせるほどの熱さを持って、真理に生きようとされたからです。ですから迫害の時代にも、教会は土台である主イエスから離れることなく、勇気を持ってあかしを続けてきました。

 そしていま、日本において、わたしたちは、勇気を持って土台である主イエスから離れず、あかしする共同体として、しるしとなり続けているでしょうか。

 日本の教会はいま、とりわけ地方の教会において、少子高齢化の影響を大きく受けて、どちらかと言えば規模の縮小期に入っています。そういうときに私たちはどうしても、いまあるものを守ることを優先して考えてしまいます。守ろうとするとき、わたしたちは外に対して固い殻をまとってしまうことさえあります。この聖堂に満ちあふれているであろう教会共同体の雰囲気とは、そのわたしたちの心の反映であります。

 そういった消極的な姿勢に対して、教皇フランシスコは、かつてブエノスアイレスの教会で司祭や信徒に対して語った言葉を、使徒的勧告の中で繰り返しておられます。
「私は出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会の方が好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さ故に病んだ教会より好きです。中心であろうと心配ばかりしている教会、強迫観念や手順に縛られ、閉じたまま死んでしまう教会は望みません」

教会創立50年の節目に、教会共同体のあり方を今一度見つめ直してみましょう。社会におけるあかしの共同体として勇気を持った行動を積極的にとるためにも、主イエスご自 身の熱意にわたしたちも与ることができるよう、神様の導きを祈りましょう。

・菊地大司教の日記 ㉑多摩東宣教協力体堅信式@調布教会

多摩東宣教協力体堅信式@調布教会

  復活節第3の主日の今日、午後2時から、調布教会を会場に、多摩東宣教協力体の合同堅信式が行われました。多摩東宣教協力体は、調布教会、府中教会、多摩教会の三つからなり、それぞれ調布がサレジオ会、府中がミラノ外国宣教会、多摩が教区の司祭が主任を務めていますs。宣教協力体としての主な活動は、秋の府中墓地での合同慰霊祭を企画したり、同じく秋口に合同で宣教についての学習会を行ったりしているのだと、多摩教会の豊島神父様がミサの終わりに紹介してくださいました。

Chohu1803 今回の合同堅信式では、それぞれの教会から10数名ずつ、全部で44名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。年齢層は若い方から年配の方まで様々でした。朗読をしてくださった受堅者の方々はわかりやすい良い朗読でした。三つの教会からミサに参加してくださった方々で聖堂はいっぱいでしたが、三つの教会のそれぞれの雰囲気を反映しているのでしょう。聖堂は明るい喜びの雰囲 気に満たされていました。

 調布教会は広い敷地の中にサレジオ会の神学院などもあり、今日のミサには神学院で働く神父様方も、共同司式で参加してくださいました。その中には、ボリビアで働く倉橋神父様の姿も。まもなくボリビアに戻られるとのこと。ミサ後の茶話会の席で、得意のハーモニカ演奏を聴かせてくださいました。

 調布教会は、祭壇に向かって床が下がっていく劇場のような構造です。イグナチオ教会と同じ設計者だと伺いました。入り口から内陣までは緩やかなスロープで、入堂の時には、それほど感じなかったのですが、さすがに1時間半以上の堅信式で、ほとんど立ちっぱなしでしたので体が疲れてしまったのか、閉祭の時にはバクルス(牧杖)を、本当に杖のように使ってスロープを上りました。まだまだ若いつもりですが、徐々に、バクルスが本当に役立つようになってきました。

Chohu1805 午前中は雨模様の東京都内でしたが、午後からは曇り空でしたので、ミサ後の茶話会の前に、聖堂を出たところで記念撮影をしました。山のようにカメラがあったので、ネットのどこかを探せば、そのうち出てくるのかも知れません。

 堅信の秘跡を受けられた皆さんが、毎日の言葉と行いを通じて、福音をあかしする宣教者としての使命を果たされますように、聖霊を通じた神様の守りと導きを祈ります。

 本日の昼のレジナチェリの祈りで教皇様も力強くアピールされていましたが、他の多くの不安定な地域とともにシリアの情勢には心が痛みます。情報が報道されているとおりそのまま信じて良いものか確実ではありませんし、実際に現場にいても誰がどの攻撃を仕掛けているのかは判然としないでしょう。そんな中で、関わっている様々なサイドの非難の応酬が続いています。わたしには誰が本当のことを言っているのか、誰が正しい判断をしているのかを判断するすべはありません。ただわかっていることは、武力が行使されることで、実際にシリアの各地で命を失う人が存在し、家族を失う人が存在し、友人を失う人が存在し、親を失う子どもが存在し、子どもを失う親が存在しているという事実だけです。また、命の危険を感じ恐怖のうちに毎日を過ごさなければならない人たちが、そこに多くおられるという事実だけです。

 希望と喜びのうちにすべての人が安心して生活できる環境を取り戻すように、政治のリーダーたちには違いを乗り越え、またその行動を自制して、より良い道を見いだす努力をしてくださることを、心から期待します。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・三輪先生の国際関係論 ㉖敗軍の将の責任の取り方 

 古くは乃木希介将軍の割腹自裁がある。日露戦争時に旅順港を俯瞰する203高地奪取の激戦にわが子まで含めて数多の将兵を失ったことへの責任の取り方であった。

 先のアジア太平洋戦争では、連合艦隊司令長官山本五十六の下で参謀長を務め、山本亡き後、艦隊司令長官を務めて終戦を迎えた阿部纏海軍中将は既に天皇の終戦の詔勅も出ているのに、八月一五日、自決するために特攻のように飛び立とうとする。すると、配下の部隊全員二十二名が断固として同行すると申し出た。

 かくて先立ったものを弔うが如くに、全員爆撃機十二機に分乗シ阿部纏に従って南海に向けて飛び立っていった。「敵空母見ゆ」「われ必中突入す」を最後に通信は途絶えた。時に八月一五日午後七時三十分であった1。

 本土決戦を主張してきた阿南惟幾陸軍大臣は詔勅を聞いた後、詔書必謹を命令し辞表を書いた。家人には静粛を護らせ一人腹を切った。そこへ児玉誉士夫がたまたま訪ねてきた。「お前がくれた刀は鈍刀だから、なかなか死ねん」と呟いた。遺書は陸軍大臣の署名で「一死モッテ大罪ヲ謝シ奉ル」とあった2。

 戦犯容疑で米軍憲兵が拘束に到着した時、陸軍大将東条英機は拳銃自殺をはかったが、死に損ない、武人の風上には置けない、と世人の失笑をかった。

 シヴィリアンでは近衛文麿は息子からナチの戦犯裁判の様子を聞いていて、とてもその屈辱に耐えられない、と思っていた。憲兵が到着した時、近衛は寝室に延べられた布団のなかで死に絶えていた。青酸カリ自殺であった。

 松岡洋右は極東軍事法廷の開廷にはA級戦犯容疑の一人として出廷したが、持病の肺結核が悪化していたため、東京帝国大学病院に移され、そこで息を引き取った。少年のころ移民のような身分で生活していたカリフォルニアのオークランドの新聞は、反逆罪を犯したアメリカ市民を断罪するが如くに他のA級戦犯容疑者に絞首刑などの判決が下された時、「もしまだ生命を保っていたら松岡も東條や板垣同様、絞首刑に処せられる事になっていたろう」と報じた。

 戦犯としてはもとよりのこと、証人としてさえ喚問されなかった天皇に似て、もう一人特別な処遇を受けた者がいた、陸軍中将石原莞爾である。満州事変をマスターマインドした軍事戦略家は、米軍がわざわざ山形県の田舎まで出張してきて、リヤカーで運ばれてきた石原から事情聴取をしたのみだった。

 それだけではない。彼は新日本の進路についての提言を草し、マッカーサー元帥におくっている。国土は神代の時代と同じ大きさになったが、天皇のみいつは輝き、ますます八紘一宇の実をあげるべきである、とした。

 切腹で責任を取る、という古式を守った者は軍人だけではなく、大東塾の男たちにも及んだ。彼等の政治責任とは、政府軍閥の思想と行動を結社として下支えしていたとすれば、それだけのことだったろう。ある種の潔癖さがある。日本の精神文化に流れる一本の伝統であろう。それは何処かで天皇信仰に結びついていよう。その意味では明治になってから発明された伝統であったかも知れない。(2018・3・28)

注:
1 文芸春秋編『完本・太平洋戦争』(下)(文芸春秋社、1991)、481-482頁。
2 半藤一利『日本のいちばん長い日』(文芸春秋社、1995)、202頁

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

・森司教のことば ㉑『自己中心的な教会は、イエスを自身の目的のために利用し 、イエスを外に出さない。これは病気だ』・・教皇の言葉

 カトリック教会の現状について心配し、将来どうなるのだろうと不安を抱く人は、少なくないのではなかろうか。

 現教皇もその一人である。あまり知られていないが、まだ一枢機卿でおられたとき、ベネデイクト16世が引退した直後の、次期教皇を選ぶための準備の枢機卿会議の中で、教会の現状を憂いて、「教会は病気だ」とまで発言されているのである。

 「自己中心的な教会は、イエスを自身の目的のために利用し、イエスを外に出さない。これは病気だ。教会機関のさまざまな悪なる現象はそこに原因がある。この自己中心主義は教会の刷新のエネルギーを奪っている」と述べ、そして最後に、「2つの教会像がある。一つは福音を述べ伝えるため、飛び出す教会だ。もう一つは社交界の教会だ。それは自身の世界に閉じこもり、自身のために生きる教会だ。それは魂の救済のために必要な教会の刷新や改革への希望の光を投げ捨ててしまっている」(2013年3月)と。

 この発言には、列席していた他の枢機卿たちはきっと驚き、中には、その発言に眉をひそめた方もおられたかもしれない。しかし、枢機卿団は、そのような枢機卿を敢えて教皇に選出したのである。

 「自己中心的な教会は、イエスを自身の目的のために利用し、イエスを外に出さない。こんな教会は、病気だ」という教皇の言葉の背後には、長いカトリック教会の歴史がある。

 先ずは、16世紀に教会が分裂した後の、プロテスタントからカトリック教会を守らなければならないという思いから生まれた教会の護教的な体質である。

 教会分裂を招いた責任は、無論、教皇をはじめとする高位聖職者たちの腐敗堕落といかがわしい免罪符の乱発にある。直接のきっかけは、メジチ家出身のレオ10世が、サンピエトロ大聖堂改築の資金集めのために免罪符を乱発したことだった。

 こうした教会の腐敗堕落を目の当たりにして、刷新しなければという声をあげたのがルターである。彼によって始まったプロテスタント運動は、基本的には、教会の刷新・改革を求めたモーブメントと理解すべきである。

 分裂の痛みを体験したカトリック教会も、トリエント公会議(1545〜1563)を招集し、刷新・改革を図ろうとする。混乱した当時の社会状況から断続的な開催になったが、18年の歳月をかけて、教会の浄化と刷新について話し合い、分裂のきっかけとなった聖職者たちの腐敗堕落を払拭するために厳しい規律を設け、掟を前面に打ち出して、教会全体の綱紀粛正を図ると同時に、プロテスタントとの違いを明確にするために教義をまとめ、トリエント公会議の要理として一般に示して、教えと規律を中心とした流れを生み出したのである。

 その姿勢は、徐々に教会の隅々にまで浸透し、そのお陰で教会は浄化され、新しく生まれ変わることが出来たが、結果としては、教えと規律で信者たちを縛り、教えと規律の枠をもって人々と世界と向き合う共同体を育ててしまうことになったのである。その姿勢が現代に至るまで受け継がれてきてしまっているのである。

 一般の人々に、カトリック教会は、心の清い人たちの集まりで、自分のように汚れた人間は相応しくないなどという印象を与えてしまったのは、このような背景があったからである。

 その後、カトリック教会の護教的な姿勢をさらに強固なものにしてしまったものは、近代主義との対峙である。近代主義とは、17世紀以降のヨーロッパ社会全体に芽生えた新しい価値観・世界観による、それまでにはなかった新しい流れである。

 それは、フランス革命の際に掲げられた『人間はみな自由・平等』であると言う理念と、ガリレオ問題に象徴される合理主義・実証主義と、それに産業革命とともに誕生した資本主義経済を柱とした社会の営みである。

 当時のカトリック教会は、合理主義・実証主義は聖書の信憑性への疑いを抱かせ、資本主義経済は人々の心を、富の豊かさに靡かせ、神から引き離して地上の幸せに引き寄せ、信教・信条の自由は、人々の教会離れを勢いづかせてしまう危険な毒として受け取ってしまったのである。

 教会は、そうした毒が教会全体に及ばないように、さまざまな手を打っていったのである。ピオ9世(1792〜1878)からはじまってピオ12世1876〜-1958)に至るまでの歴代教皇に共通するものは、教会内の引き締めと近代主義に対する断罪である。

 その中でも最も目立つのが、ピオ9世だ。彼は、機会がある毎にカトリック教会の絶対性を訴え、近代主義を厳しく断罪し続けます。いくつかの回勅をだしていくが、その中でも有名なものは、1864年12月8日に公布した回勅『クワンタ・クラ』(Quanta Cura)である。直訳すると『何と心配なことか!』になる。

 その中で教皇は、自由主義合理主義、実証主義、さらにはまだ芽生え始めたばかりの社会主義共産主義まで糾弾し、その回勅の公布に合わせて、「誤謬表」を発表する。それは、近代主義の考え方を80の命題にまとめ、過ちとして列挙したものである

 また、教会は一致団結して闘わなければならないと言う思いから、世界に散らばる教会を統合し、カトリック教会を、教皇をピラミッドの頂点とした、強固な中央集権的な組織に導いたのも、彼である。

 そんな教皇の下でその手足となって働くバチカンの省庁が、全世界の教会に対して非常に大きな影響力を持つようになったのも、このような背景からである。

 さらにまたピオ9世は、第一バチカンン公会議を招集し、教皇の不可謬権を信仰箇条として宣言する。教皇は不可謬であると言う教義は、教会が示し伝える教義に信者たちが疑義を抱くことなく受け取っていくことができるための根拠となったのである。

 こうして教会は、教義について疑うことも議論することも許されない、重々しい雰囲気に覆われるようになる。聖職者を始め信者たちの言動を監視し、それを取り締まる機関として検邪聖省が生まれたのも、この時期です。この時期、教会全体が、近代社会と対話も出来ず、思考停止のような状態になってしまった言っても言い過ぎではない。。

 教会が、単なる組織ではなく、キリストを頭とする神秘体であり、教会そのものが救いの秘跡である、教会に触れるものはキリストに触れる、などという教会の神秘的な側面を強く訴えたのが、ピオ12世である。つまり、教会に触れ、教会につながっていくことの重要性を強調したのである。

 しかし、社会の営みを世俗主義とした決めつけ、聖職者たちから教えを学び、教会につながることに救いがある、と強調し続けた教会が、世界の営みに対する影響力を失っていくのは、当然である。

 それは、第一次世界大戦、第二次世界大戦が勃発し、多くの町や村そして都市が破壊され、多くの人々が血を流し、多くの人命が奪われていく悲惨な状況に、何一つ手を打つことが出来なかったことからも、明らかである。

 ヨハネ23世の呼びかけによって開催された第二バチカン公会議後、頑なな教義主義、秘跡中心主義、そして権威主義はやわらいだことは確かである。それ以前の教会のありようと比べてみれば、自由な風が吹き始めたことは、誰もが認めるところであるが、トリエント公会議後、数百年と受け継がれてきた護教的な姿勢、教義や秘跡を中心とした姿勢は、今もって私たちの心の深くに刻まれおり、無意識のうちに、縛られ動かされてしまっていることも事実なのである。

 現教皇は、その弊害を、私たち以上に敏感に、そして痛切に感じ取っておられるのではないかと思う。カトリック教会が、今もって、教義主義、秘跡主義、権威主義から抜け出せず、複雑でしかも過酷な社会の仕組みの中でもがき苦しむ人々と直接向き合おうとしてないことに、現教皇は、苛立ち、そんな教会の姿を、「イエスを教えと規律の中に閉じ込めた自己中心的な教会」と断罪し、嘆かれたのだと私には思われるのである。

 教皇が、全教会に求めるものは、人への眼差しを中心にし、人への愛に軸足を置いた教会共同体への転換である。憐れみの特別聖年をよびかけたのも、そのためだと捉えていくべきである。

 (森一弘=もり・かずひろ=司教・真生会館理事長)⇒筆者のご都合により、5月号以降、しばらく休載いたします(「カトリック・あい」)

2018年4月16日 | カテゴリー :

・Sr 阿部のバンコク通信 ⑲タイ北部山岳民の村で「命をいただく」を実感

 今年も大阪教区、赤波江神父様の企画で、青年達一行を同伴し、タイ北部山岳民の村で10日ほど過ごしました。人間に本来秘められている感性、躍動する命が参加した皆の中に息づいているのを見て、心底嬉しく思いました。大自然の中、素朴で純な村の人々に抱かれ、心身ともに全開して生き生きです。
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(カレンの山でカレー作ってみんなにご馳走しました。)

   1人ずつ夫々の家族に迎えられ、寝食を共にし、農作業、家畜の世話を手伝い、子供達と思いっきり遊び、山や川で無邪気に楽しみました。皆んなの目が輝き、ほっぺが嬉しくて綻びっぱなし。毎日与る感謝の祭儀ミサは圧巻。日本、カレン、タイ語のチャンポン、響き渡る祈りと聖歌は腸にしみる味わい。

   国境も言葉の壁も超えて、同じ信仰で結ばれる体験は村人にも、日本の参加者にも、まさにカトリックを実感する機会、凄いことだと思いました。  家畜、果物、農作物、生花などで生計を立て、至極健康的な栽培をしています。日本の胡瓜や南瓜も見事に育っていて、思わず胡瓜をなま齧り。

   この村は、週一豚を買い、自分達で締めて捌き、皆で分担するとの事。ある日、300kg の巨体豚を絞める、というので皆で手伝いました。 見事な捌き。何も無駄にせず手際のよい作業には固唾を飲みました。捌きたてに醤油を付けて炙るステーキの美味しさ、「命をいただく」を名実共に体験。私は終始、巨大豚の頭の近くに立ち、嬉しそうに瞑っている目に見入り、感慨無量。

   聖木、金曜日の典礼に与り、イエスが聖体と十字架で人類への愛を告白、命を差し出す、感無量です。主の命の秘儀に、私をも与らせて下さい、アーメン。読者の皆さん、ご復活おめでとうございます。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2018年4月16日 | カテゴリー :

・菊地大司教の日記 ⑳ 岩手、岩手、そしてパナマ・・六本木チャペルセンターで堅信式

2018年4月10日 (火)

 岩手、岩手、そしてパナマ

  今日は岩手との絆を再確認させられた日でした。ちょっと大げさですが。

 昼過ぎに、4台の大型観光バスがカテドラル構内へ。教区本部の執務室の窓から、中学生とおぼしき制服姿の男女が降車してくるのが見えます。それぞれのクラスごとなのか、カテドラルを背景にまず記念撮影。その後、聖堂の中へ。何となく気になるものがあって、わたしも聖堂へ行ってみました。そのときにバスのフロントに張られた団体名は、なんと岩手県の某町立中学。岩手県です。私の故郷です。

 聖堂へ入ってみると、なんとマイクが立てられ、録音の準備が。職員によると、毎年この学校は、修学旅行の際にこの名建築を訪れ、さらにここで生のパイプオルガンの演奏を鑑賞し、さらに自分たちの合唱を録音していくのだとか。「岩手県は合唱が盛んなんです」とはカテドラル職員の弁。そうだったのか。知らなかった。練習が始まったので耳を澄ませていると、なんと歌い出したのは、典礼聖歌にも納められている高田三郎先生の「呼ばれています」であります。公立学校です。

 「呼ばれています いつも。聞こえていますか。いつも。はるかな遠い声だから、良い耳を良い耳を持たなければ」

すばらしい。その一言。東京のカテドラルの響きの素晴らしいこと。残響は7秒でしたっけ。明日もほかの学校が、修学旅行で来られるようです。

 今度は夕方に、後述のワールドユースデー関連の行事に出かけるためにタクシーを停めました。女性の運転手さん。後ろのドアのところには、「新人」のステッカーが。行き先を告げると、さて目白からどうやってそちらへ向かうのか逆に尋ねられました。「まだ慣れていないもので」と運転手さん。

 そこで、私も事前にグーグルマップなどで調べていたので、その知識を開陳して道を指示。走り出してから、「実は私も東京に来たばかりで、道はよく知らないんですけど」とわたしが言うところから会話が始まり、なんと運転手さんは岩手県から出てきて、半年前ほどからタクシーの運転を始めたとのこと。岩手です。私の故郷です。それから、目的地に着くまで、いかに東京の道がわからないかで話が盛り上がりました。彼女のイントネーションの懐かしいこと。

 岩手、岩手でした。

 そして目的地は駐日パナマ大使公邸。パナマと言えば、もちろん2019年1月のワールド・ユース・デーの開催地です。来年1月22日から27日まで、教皇フランシスコを迎えてパナマで開催されます。もちろんこの行事はカトリック教会の行事ですが、パナマ政府は全面的にバックアップしており、駐日パナマ大使館も、できるだけたくさんの青年たちにパナマへ出かけてほしいと、全面的に協力する姿勢を見せています。

 そして今夜は関係者を大使公邸に招いて、ワールド・ユース・デーをパナマ政府がいかに支援しているかを説明し、ついでにパナマ料理を味わい、さらにパナマ音楽を味わうひとときでした。ディアス大使が教区本部まで直々に招待においでになったので、私も出かけてきました。教会関係では、教皇庁大使館の参事官、都内の南米のシスターやこれまでワールド・ユース・デーに関わった方々、上智大学関係者が招かれ、それ以外の中米の大使館関係者や、たまたま来日中だったパナマ政府の港湾庁長官や、日本の外務省の中南米局長以下関係者が参加しました。

 1月の末で、大学生などは試験期間となるので難しいかもしれませんが、多くの方がパナマでのワールド・ユース・デーに参加されることを期待しています。

2018年4月 9日 (月)

 堅信式@フランシスカンチャペルセンター

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  復活節第二主日は、六本木にあるフランシスカンチャペルセンターで堅信式ミサでした。

 六本木なる地域にはほとんどなじみがなく、足を踏み入れるのも人生で二回目ですが、何というか、地域全体の雰囲気がほかとは何か異なる感じがする場所です。(なんと形容していいか)。そんな街の中にあるフランシスコ会の運営する小教区、チャペルセンターは、英語を話す信徒の方々のための教会です。女子パウロ会のホームページの教会の紹介記事に、次のように記されています。

 「第2次大戦後、六本木の元防衛庁の敷地内にGHQの建物があった。そこで働くアメリカ人兵士たちのために、フランシスコ会のニューヨーク管区から司祭たちが来日し、教会を開いたのがそのはじまりである。そして、それ以来、外国の方が多い六本木にあって、フランシスカン・チャペルセンターは、日本に住む外国の人たちのための宣教・司牧にあたっている」。足を踏み入れた瞬間から、どこか他の国に来たのかと思わせるような雰囲気。もちろん英語が飛び交っておりました。

 この日のミサでは25名の方が堅信の秘跡を受けられました。お一人のお父さんを除いてほかの24名はすべて小学生低学年ほどの少年少女。この日のミサで、初聖体も受けられました。男の子たちはスーツに身を包み、女の子たちは白いドレスに白いベール。ミサ後に写真撮影タイムがありましたので、ネットのどこかを探せば、あの数多いカメラのどれかの写真が、どこかに掲載されていることでしょう。

 ここでのミサはもちろん英語。とてもよく準備された聖歌隊があり、ピアノの伴奏と、さらにはトランペットやトロンボーンも加わり、壮大な聖歌の演奏でした。説教は英語でしたので、原稿の掲載はいたしませんが、英語の共同体も東京教区から切り離されて孤立して存在するのではなく、司教のもとで一つの教区共同体の一部として福音を告げる宣教者としての使命を果たしてほしいなどとお話しいたしました。

 明けて月曜日の今日は会議の日。午前中はほぼ毎月開催される司祭評議会。午後は宗教法人の責任役員会。東京教区は宗教法人立の幼稚園も多く運営しているので、責任役員会は教会の事案ばかりでなく、学校法人の理事会のような役目も果たしています。

・・・・・・・・・・・・・・

 ところで教皇様は、本日新しい回勅を発表されました。「聖性」について書かれており、タイトルは「Gaudete et exsultate (マタイ5章12節:新共同訳聖書では「喜びなさい。大いに喜びなさい。)」です。またこの数週間で要約などの記事が出てくることでしょうが、日本語訳はいつものように、時間がかかると思われますので、今しばらくのご辛抱を。

・菊地大司教の日記 ⑲「新しい場で働き始める皆さんに神様の守りと導きと祝福を」-4月5月の予定

2018年4月 5日 (木)

   東京は、あっという間に桜も散りました。4月に入り、学校や会社では新しい年度が始まり、各地の教会でも司祭の異動の季節となりました。

 東京教区は、わたしが着座して間もないこともあり、本当に必要な数カ所での異動といたしましたが、それでも数名の司祭には新しい場でのお仕事をお願いいたしました。新しい年度の初めに当たり、新しい場で働き始める皆さんに、神様の守りと導きと祝福を祈ります。

 この数日いろいろとありました。復活の主日は、浦野神父に連れられて本郷教会へ。表通りに面している本郷教会は、それでもこれだと指摘されなければ気がつかない佇まい。実は聖堂はこの裏手に隠れているのです。3階建てで、一階と二階が信徒会館やホール。三階が聖堂。そして裏手の道を挟んでもう一つの建物が司祭館や教室や、地域のための活動に使われている箇所など。復活徹夜祭に洗礼を受けられた三人の方を祝って、ミサ後には茶話会が開催されました。

 復活の月曜日は、年度初めと言うことで、東京教区が関わる二つの学校法人と教区立の幼稚園で採用された新人職員の方々への辞令授与式。その後、東京教区のカトリック幼児教育連盟主催で、新人教職員研修会が開催されました。午前中の基調講演は、長崎南山高校の西経一神父。ちなみに西神父は、わたしと同じ神言会の会員で、神学校ではわたしの2級ほど先輩ですが、今回の講師になったのは偶然で、わたしが呼んだわけではありません。話が上手な神父として有名な人物で、この日も思いっきり先生方を笑わせておられました。

 水曜日には、ペトロの家で生活されている東京教区の寺西神父様の誕生祝い。御年89歳は、元気です。準備されたチーズケーキのバースデーケーキに並べられた9本のろうそくを一気に吹き消されました。ちなみに寺西神父と司祭叙階の同級生が新潟の鎌田神父で、こちらも御年90歳。4月末には新潟で、司祭叙階のダイアモンド祝です。

 5日は朝から司教協議会で、毎月の常任司教委員会。いろんな議題がありましたが、例えば、先般教皇様が定められた聖霊降臨祭後の月曜日を「教会の母聖マリア」の義務の記念日にする件。そんなものはさっさと翻訳して発表をすれば良いと、待っておられる方も大勢いるのだと思います。でもこういうのは実は結構大変なのです。

 ラテン語からの翻訳では、以前に典礼で翻訳された日本語との整合性をとる必要があります。同じラテン語はなるべく同じ日本語にする必要があります。その上で、翻訳しなくてはならないのはミサの祈願文や入祭唱、拝領唱だけではありません。義務の記念日になったので、教会の祈りの読書課を用意しなくてはなりません。定められている読書の第2朗読は、第2バチカン公会議中のパウロ六世の説教。これはゼロからの翻訳です。

 さらに、今年から始めなくてはならないのですが、「毎日のミサ」はすでに印刷されていて、今から変更がききません。ではどうするかも決めなくてはなりません。これ以外にももう一つ、待たれていた典礼の訳語の問題があるのですが、そちらは著作権者の許諾が得られたので、教会が望むように読み替えることができるようになりました。このあたりはまた、中央協議会のホームページなどで公示されますので、またご覧ください。

 というわけで、4月と5月の主なわたしの予定です。なおこれ以外にも所用で不在のことがありますから、わたしに御用の際は、教区本部の事務局長にお問い合わせください。

 4月=8日フランシスカンチャペルセンター堅信式・9日司祭評議会(関口)・12日「師イエズスの友」研修会(関口)・15日 多摩東合同堅信式(調布)・16日 新潟教区司祭の集まり(新潟)・17日 カリタスジャパン会議(潮見)・20日 聖心女子学院始業ミサ・21日 習志野教会50周年 ・22日 世界召命祈願日ミサ(関口、14:30)・23日 司祭月例集会、顧問会(関口)・28日 (全国カトリック学校)校長・理事長・総長・管区長の集い ・29日 カルメル会司祭叙階式(上野毛)・30日 鎌田神父ダイアモンド祝(新潟)

 5月=1日 東星学園創立記念日ミサ(清瀬) ・6日 梅田教会ミサ ・7日 司祭評議会、CTIC運営委員会(関口)・10日 常任司教委員会(潮見)・12日 井手神父納骨式(府中)・14日から18日 国際カリタス理事会(ローマ)・20日 聖霊降臨、合同堅信式(関口)・21,22日 日本カトリック女性団体連盟総会(新潟)・23,24日 男子修道会宣教会管区長協議会総会(軽井沢)・25日 東日本大震災仙台教区サポート会議(仙台)・26日 宣教司牧評議会(関口)・27日 志村教会ミサ ・28日 司祭月例集会(関口)・29日 聖母学園理事会(新潟)・30日 WCRP関連会議 ・31日 ロゴス点字図書館理事会、HIV/AIDSデスク会議(潮見)

  (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

・菊地大司教の日記 ⑱ご復活!新たな生き方へ出発する神の民でありたい

御復活おめでとうございます

 皆様、御復活おめでとうございます。

 暖かな復活祭になりました。東京はすでに桜も散り始めました。

 初めての関口での聖金曜日。やはり聖堂が物理的に大きいことや、そのため参加してくださる方の数が多いことから、新潟では経験したことのないことが起こります。たとえば十字架の崇敬の時に歌う典礼聖歌には、かなり多くの節が用意されていますが、新潟に限らず多くの教会では、崇敬の行列が終わってしまうために、かなりの節を飛ばして歌い、ちょうど良いくらいに合わせて最後の節に来るようにするのが、聖歌隊長の腕の見せ所です。しかし関口では、すべて歌いきってもまだ崇敬の列が終わらない。いや、驚きました。しかも一度に4名ずつも崇敬に並ぶにもかかわらずです。

 この日は古郡神父に説教をお願いしました。たとえばサンピエトロの教皇様司式の聖金曜日の受難の祭儀は、このところいつもカンタラメッサ神父さんの説教です。それに負けないほどに力のこもった良い説教を、古郡神父から聞かせてもらいました。

 そして復活徹夜祭。30名ほどのかたが洗礼を受けられました。すみません、正確に数えておけば良かったのですが、それくらいでした。多いです。要理を担当したグループごとに洗礼を行うので、西川神父と古郡神父はそれぞれご自分が担当した方々に洗礼を授け、私はシスターなどが担当された方々8名に洗礼を授けさせていただきました。

 この8名の中には、全くの偶然なのですが、私の中学時代からの友人が含まれておりました。このような形で、東京で再会し、しかも洗礼を授けさせていただくことになろうとは、思ってもみませんでした。洗礼を受けられた皆さん、おめでとうございます。

 復活の主日は、浦野神父が担当している本郷教会へ。マンションのようなたたずまいの立派な建物でびっくり。ミサ後には、復活徹夜祭で洗礼を受けられた3名の方々を囲んで、茶話会も行われました。おめでとうございます。

 以下、復活徹夜祭の関口での説教の原稿です。

 今宵、主イエスの復活を祝うわたしたちは、旧約聖書における出エジプトの出来事を記した聖書の言葉を聞きました。神はモーセにこう言われたと記されていました。「なぜ、私に向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい」。神に選ばれたイスラエルの民がエジプトにおける奴隷の状態から解放されるためには、いまの現実を完全に離れ、具体的にそして物理的に体を使って移動し、新たな地へ向かって出発することが求められたのです。

 古い生き方からまったく異なる新しい生き方への「過ぎこし」によって解放は実現します。しかしその「過ぎこし」は、与えられるのではなく、イスラエルの人々がモーセとともに自ら行動することによって、初めて達成されたのです。神の愛といつくしみは、待って願っているだけでは実現しない。それはまず出発という行動を必要とするのです。

 「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探している」。先ほど朗読された福音に記された神の使いの言葉です。イエスの復活を告げるこの言葉は、単に「あなたがたはイエスを捜しているが」といえばよいものを、わざわざ「十字架につけられたナザレのイエス」と形容しています。つまり、復活されたイエスと、これまでの弟子たちが知っているあのナザレ出身で十字架上で殺されていったイエスとは同一ではない、全く異なる生命に生きている存在なのだということを、この言葉は示唆します。その上で、過去との決別を促すように、その過去のイエスは「ここにはいない」と宣言するのです。主イエスを失ったという悲しみと絶望に至ったこの場所にとどまり続けるのではなく、全く新しい生き方へと出発するようにと、行動を促します。それが、エルサレムを離れてガリラヤへ旅立つよう、弟子たちに命じる言葉です。

 わたしたちの信仰は、恵みが与えられるのを座して待ち続ける受け身の信仰ではなく、その恵みの中に生きるために積極的に行動するよう促される信仰であります。しかも、神がイスラエルの民全体に旅立ちを求めたように、わたしたち信仰に生きる者が皆で生み出す信仰共同体が、全体として行動することを促されているのです。

 教皇フランシスコは、旅立ち行動する教会共同体を、「出向いていく教会」という言葉で表されました。「『出向いていく教会』は、宣教する弟子たちの共同体です」と「福音の喜び」に記されています。あらためて言うまでもなく、わたしたちキリストにおける信仰に生きる者には、自らが信じる福音をすべての人に伝えていく務めが与えられています。ですから「出向いていく教会」とは福音を告げ知らせる教会であります。そのことを教皇フランシスコは、こう記しています。

 「福音を宣教する共同体は、行いと態度によって他者の日常の中に入っていき、身近な者となり、必要とあらば自分をむなしくしてへりくだり、人間の生活を受け入れ、人々のうちに苦しむキリストのからだに触れるのです。・・・福音宣教する共同体には『寄り添う』用意があり、それがつらく長いものであっても、すべての道のりを人類とともに歩みます。」

 もう50年以上前、1965年12月に、第二バチカン公会議が採択した現代世界憲章の冒頭で、教会は高らかに次のように宣言しました。

 「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」

 わたしたちは、それぞれの時代の現実における、人々の「喜びと希望、苦悩と不安」に寄り添うために、「出向いていく教会」であります。

 それでは人間が生きていく人生の中で、一番の喜びと希望とはいったい何なのでしょう。もちろん、それぞれの方にとって自分の喜びや希望があることではありましょうが、しかし信仰の立場にとって一番の喜びと希望は、人間の命の誕生とその尊厳が護られることであります。なぜならば、本日一番最初の創世記の朗読で耳にしたように、神はわたしたちの命を、神ご自身の似姿として、そして良いものとして創造された。私たちの命を至高の賜物として創造されたと、信仰者は信じているからです。その最高の賜物が誕生し、十全に育まれるようにと、その尊厳が護られること以上の、喜びと希望はありません。

 しかし現実はどうなのでしょうか。いま、神の賜物である人間の命は、その始まりから終わりまで、大切にされ、その尊厳は護られているのでしょうか。

 世界の各地では、今このときも地域紛争はやむことがなく、特に将来を担うはずの子どもたちを中心に賜物である命は危機にさらされています。どこに生きるどの命であっても、神が愛され大切にされているのだから、それは徹底的に護られなくてはなりません。どのような形であれ、暴力的な手段で命が奪い取られるような状況や、その尊厳がないがしろにされるような事態に、教会は賛同できません。

 私たちの国にあっても、近年、命の尊厳をどう考えているのか理解できない大量殺人ともいうべき事件を耳にすることもありました。障害とともに生きる方々の施設で、19名が殺害されるという事件も発生し、その後には、その殺害行為を正当化する考えに同調する論調が、インターネット上を中心に少なからず見られました。その現実が、日本における命に対する価値観が、身勝手で利己的なものになってしまったことを強く感じさせます。命が持つ価値を人間が決めることができるという考え方に、教会は賛同できません。

 「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」

 教会共同体は、社会の現実の中にあって、困難に直面し、生きることに困難を感じている方々に寄り添い、すべての命を大切にし、人間の尊厳を尊重する価値観のために、積極的に「出向いていく教会」でありたいと思います。信仰にあって神と共に歩む人生を送るために、人間中心の価値観に生きた過去と決別し、新たな生き方へと出発する神の民でありたいと思います。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教)