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・菊地大司教の日記 ㉖アフリカ国際会議、ロメロ列聖、前田新枢機卿…
アフリカ開発の新しい視点を求めて@上智大学
主催者の一人であり、今回の企画を自らの人間関係の豊かさの中で実現した立役者である聖エジディオ共同体の事務局長、アルベルト・クアトルッチ氏を以前から存じ上げていたこともあり、東京の大司教として、また元アフリカ宣教師としてあいさつをしてほしいと依頼され、参加しました。
また講演者の一人は、ガーナ独立の父クワメ・エンクルマの娘サミア・エンクルマ女史でした。お名前は存じ上げていたものの、初めて話を聞き、挨拶をすることもできました。サミア女史は現在、ガーナの国民会議党の党首として、政治の場で活躍中ですが、ガーナにかかわるものとして、その父クワメ・エンクルマはガーナ独立の父として伝説の人物です。
1957年3月7日のガーナ独立の立役者であり、初代ガーナの首相、その後大統領になったエンクルマは、1966年に北京訪問中に起こったクーデターで失脚。そのままガーナへ帰ることなく、1972年にルーマニアで亡くなりました。現在首都のアクラに立派な記念廟が建立され、そこに葬られています。
エンクルマに対する評価は分かれるところがあり、パンアフリカニズムの旗手としてジョモ・ケニヤッタやユリウス・ニエレレなどとともに新生アフリカのリーダーとなったことは確かですし、非同盟運動においても重要な役割を果たしましたが、内政はそれほどうまくは運営されていなかったのも事実です。ちなみに1966年のクーデターは、共産化を恐れた米国のCIAが深くかかわっていたことは歴史的な事実であるといわれます。
サミアさんは1960年に生まれ、父の政権が転覆させられたクーデター後、一時は母親の祖国であるエジプトに住んでいたこともありましたが、その後帰国し、政治活動を続けています。
今回の会議には、多くの講演者が招かれており、それぞれの持ち時間が本当に短くて残念でした。次回以降の企画に期待したいと思います。なおバチカンからは、総合的人間開発促進の部署から、トマシ大司教が参加されました。
聖エジディオ共同体については、どう説明してよいかわからないのですが、1999年に庭野平和賞を受賞した時の、庭野平和財団のホームページの記載がわかりやすいので引用します。
カトリックの在家運動体として30年余、祈りの精神を基盤に国内外の社会的弱者への奉仕活動を展開。国際紛争の調停にも積極的にかかわり、1987年以降は、諸宗教の対話を促進するため、「人びとと諸宗教の出会いと平和の祈りの集会」を開催している。「聖エジディオ共同体のメンバーは誰もが、貧しい人びとやホームレスの人びとと日夜接しており、その中に友情と呼び得る個人的な絆を少しずつ築いています。実際、私たちは、誰かを支援したり、助けようとしたりするよりは、福音書がか弱き人と呼ぶ人びとの兄弟姉妹になり得るようにと努めています」
ローマのトラステベレに本部があり、日本でも宗教者の平和活動や死刑廃止運動にエキュメニカルにかかわっています。
先週はローマで会議でした。5月13日日曜日の夜9時過ぎに成田空港をトルコ航空機で出発し、イスタンブール経由で翌日の月曜日朝9時過ぎにはローマに到着。
その日は、駐バチカン日本大使館からのご招待で、京野菜を紹介するイベントに出席。場所はなんとバチカン美術館です。300人近くが参加しての夕食会では、京野菜がふんだんに使われた食事が提供され、京都のJA関係者や日本政府関係者、そして駐バチカンの各国外交官も招かれておりました。もちろん枢機卿たちも招待されており、一番のゲストはタグレ枢機卿でありました。
翌火曜の午後から木曜昼までの会議は、国際カリタスの年に二度の、評議員会にあたる地域代表会議。アジアからは責任者の私と、パキスタン、ミャンマーの代表、そしてタイに駐在する事務局長が参加。
毎年の恒例の議題に加え、2019年に開催される4年に一度の総会とその後の活動方針、さらには現在展開中の難民や移住者を受け入れようというキャンペーンについてなどが話し合われました。議長はタグレ枢機卿。すぐ隣に事務局がある総合的人間開発促進の部署から、責任者のタクソン枢機卿も参加してくださいました。(上の写真、右から二人目がタグレ枢機卿。その左隣がタクソン枢機卿。その左隣がミシェル・ロワ国際カリタス事務局長)
そして今回の会議のハイライトは、国際カリタスの保護の聖人である福者オスカル・ロメロ大司教の像の序幕と会議室への安置。福者オスカル・ロメロ大司教は、パウロ六世とともに、今年の10月に列聖が決まりました。世界に数えるほどしかないロメロ大司教のこの像は(確か四つしかないと聞きました)、同じものがエルサルバドルのロメロ大司教暗殺現場の聖堂に安置してあるのだそうです。
タグレ枢機卿によって安置された像のある場所は、以前から国際カリタスの「ロメロ・ルーム」と名付けられていました。今回、この像の安置を手配したのは、以前からロメロ大司教の列聖運動を中心になって進めてきた英国人のジュリアン・フィロコウスキー氏)。以前、イギリスのカリタスの責任者を務めていた人物です。(彼について、そして福者ロメロ大司教について詳しくは、拙著「真の喜びに出会った人々」を参照ください)
会議が終わった週末の19日土曜日には、パウロ六世やロメロ大司教の列聖を決める枢機卿会議があったこともあり、何人かの方から、そろそろ枢機卿の発表があるらしい、という噂は聞いていました。
そして5月20日。聖霊降臨の主日。教皇様は14名の新しい枢機卿の任命を発表され、そのうちの11名が80歳未満の教皇選挙権を持つ枢機卿。そしてそのうちの一人が、大阪の前田万葉大司教様でした。

久しぶりに、やっと日本にも枢機卿が誕生です。白柳枢機卿様がなくなられてからほぼ10年。この数年、機会あるごとに教皇様に、日本にもぜひ枢機卿をとお願いしてきました。長崎の信仰の歴史に生きる枢機卿の誕生です。
前田大司教様、おめでとうございます。6月29日が親任式になるそうですが、その日はちょうど、私も東京大司教としてのパリウムなるものを教皇様に祝福していただく日で、バチカンでのミサに参加することになっていましたので、枢機卿親任式を目の当たりにする栄誉にあずかることになりました。
ちなみにネット上では、前田大司教様が枢機卿になることで、大阪からいなくなるというような心配を記されている方が散見されます。枢機卿になったからと言って、大阪の大司教でなくなるのではありませんから、大丈夫です。そのまま大阪でお続けになります。ただ、ローマでのいろいろな役所の委員に任命されるでしょうから、その意味では、しばしばローマにお出かけになる機会は増えるでしょうし、アジアでの会議に出席を要請されることも増えるだろうと思います。重責を担われることになった前田大司教様のために、お祈りを忘れないようにしたいと思います。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
・菊地大司教の日記 ㉕使徒ヨハネ市川嘉男神父様葬儀
2018年5月 5日 (土)
4月29日に94歳で亡くなられた、東京教区司祭、使徒ヨハネ市川嘉男神父様の葬儀ミサが、5月5日午後1時半から、カテドラルの関口教会で執り行われ、200名近い方が参列してくださいました。連休中のお忙しいときに、お祈りをともにしてくださり、感謝申し上げます。
以下本日のミサの説教の原稿です。
使徒ヨハネ市川嘉男神父 葬儀ミサ 2018年5月5日
使徒ヨハネ市川嘉男神父様は、今週の初めの日曜日、4月29日に、94年の人生に幕を下ろされ、御父のもとに帰られました。現役であった頃の市川嘉男神父様を私は存じ上げませんので、何かの手がかりにと10年ほど前の東京教区報に掲載されていた神父様のインタビュー記事を拝読いたしました。
そこには、「東京教区司祭で 『お兄ちゃん』 といえば、 市川嘉男神父を指します。 それは弟の市川裕神父と兄弟だからということもありますが、 市川嘉男神父のお人柄が、 呼びかけに反映されているということでしょう」と記されていました。「お兄ちゃん」とは、それだけで現役時代の市川神父様のお人柄をなんとなく想像させる呼び名であります。
そしてインタビューの中で、「司祭として大切にしてきたことは」という問いに、市川神父様はこう答えられています。
「特にはないけどねえ。 まあ、 司祭だからミサは大切にしてきたよ。 生来、 のんきな性格というか、 自分から積極的に何かをするというタイプではないから、 頼まれればするけど、 そうでなければじっと見て、 その都度対応していくという感じかな。 カッコよく言えば、 『あるがままを大事にする』 ってことかもしれないけど」「あるがままを大事にする」、そういう司祭としての人生は、自らのうちに秘めた信仰を素直に生き抜く人生であったと想像いたします。
先日、5月1日に、清瀬にある東星学園で、創立記念日のミサを捧げる機会がありました。ミサの前に校長先生から、是非、市川嘉男神父様の永遠の安息のためにミサで祈ってほしいと依頼をいただきました。それは神父様が、東星学園でミサを捧げたり、宗教を教えたりと、生徒さんたちの心の教育のために30年近くにわたって関わってくださったからだと伺いました。それもまた、「あるがままを大事にする」司祭の人生は、子どもの時代に信仰によって心を育むことの大切さを、自ら身にしみて理解されていたからだろうと想像いたします。
同じ日に、ベタニアのシスターからこんな話も聞かされました。すでに引退されてある程度時間が過ぎたときのこと、ある公的な文書に職業を記入する欄があり、記入した方が「無職」と記されたそうです。その頃、高齢のためすでにあまりいろいろとお話にならなかった神父様は、その書類をなかなか認めようとしない。そしてシスターに、職業欄を指さして、「私は東京教区司祭です」と言われたそうです。「あるがままを大事にする」司祭は、ただ時の流れに身を任せて何気なく生きていたのではなく、その人生が終わるときまで、自らの召命をしっかりと自覚して生きてこられたのではないでしょうか。司祭はその命が終わる日まで、司祭としての務めを果たし続けます。それは、そのときそのときの自らの有り様を受け入れ、まさしく「あるがままを大事に」して、そのときに与えられた可能性のうちに召命を生き抜くのです。
司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。
すなわち司祭には、三つの重要な役割があるとそこには記されています。一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。司祭のこの三つの務めは、すべてのキリスト者にとって、生きる姿勢の模範となるものです。
同時にこの三つの務めは、司祭にだけ与えられているものではありません。キリスト者は洗礼によってすべからく「キリストと合体され」、その「固有の立場に応じて、祭司、預言者、王としてのキリストの任務に参与」します。
わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したいのです。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたいのです。そしてわたしたちは司祭の示す模範に倣って聖なる者でありたいのです。
パウロはローマ人への手紙で、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださった」と記すことで、神のわたしたちへの愛には、世の理不尽さを遙かにしのぐ深さがあるのだと教えます。世の常識から言えば、あり得ないことを、神はわたしたちのために成し遂げられた。それほどにまで、神の愛といつくしみは、人間の理解を超えて深いものであります。
イエスは福音で、自分こそが「道であり、真理であり、命である」と宣言されました。イエスご自身が示された生き方にこそ、本当の命へ至る道があり、その道を歩むとき初めてわたしたちは、神とともにあると確信できるのです。
しかしながら、わたしたちが生きている今の社会は、神の御旨に従って成立しているとは言い難い。イエスの福音に忠実に生きようとすればするほど、それは理想主義であり、夢物語であり、非現実的だと見なされてしまいます。いったい、今の時代にあってわたしたちが生きるために頼りにし、その歩みを進めようとしている道は、正しい道なのでしょうか。その道は、真理へと続く道なのでしょうか。本当の命へと続く道でしょうか。それとも、刹那的な喜びと安楽を見いだすための、滅びへと続く道でしょうか。
御父を示してほしいと頼むフィリッポに対して、イエスは、ご自分とつながることこそが御父への道であると諭されます。
「あるがままを大事にする」生き方は、まさしく、イエスとのつながりに忠実に生きる生き方であったのではないでしょうか。まずもって大事にするのは、イエスとのつながりであり、そこがしっかりとつながっているのであれば、何も騒ぐことなく、うろたえることなく、自然体で生きることができる。この世の様々な思い煩い、この世が大切にする様々な価値観、社会の常識。そういった荒波に翻弄されることなく、イエスとのつながりに自信を持って身を任せ、悠々と生きる。市川神父様の生き方は、人生にとって一番大切なことは何かをしっかりと理解したうえでの、信仰における悠々自適な生き方ではなかったのかと思います。
わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に倣って聖なる者でありたい。生きる姿勢の模範を示される司祭に倣いながら、自分自身のイエスとのつながりをあらためて確認し、身を任せて、命へと続く真理の道を、歩んで参りましょう。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
・「他宗派、他宗教への理解を通して信仰を深めた」東京・小金井カトリック教会有志巡礼

東京・小金井カトリック教会では、信徒有志主催で1999年からほぼ毎年、都内を中心に長崎、山口に至る巡礼を続けていますが、今年は「他宗派、他宗教への理解を通して信仰を深める」をテーマに、5月4日に、教会管理者の加藤豊神父以下50名参加で都内巡礼を行いました。(写真左はカテドラルで菊地大司教から祝福をいただく巡礼団、右は日本基督教団・銀座教会で高橋牧師のお話を聞く巡礼団)
この日は、朝8時半に小金井教会に集合、巡礼を始める祈りと聖歌を捧げ、小型バス二台に分乗して、まず、関口のカテドラル聖マリア大聖堂を目指しました。大聖堂では昨年12月に就任された菊地功・大司教から祝福と激励をいただき、続いて、東京教区の初代司教座聖堂となったカトリック築地教会に向かい、レオ・シューマカ主任司祭のお出迎えをいただき、加藤司祭、関口教会のルイス叙任司祭と共同司式によるミサのあと、同教会の歴史や、築地近隣のマンション・ブームや外国人観光客の増加によるミサ参加者の増加が続く現状、それに対応した改築計画などについてご説明いただきました。
次に、浄土真宗本願寺派の築地本願寺に向かい、構内で昼食の後、本堂の最前列に用意していただいた席で、僧侶の方から同寺の歴史、浄土真宗本願寺派の教えの基本などについてお話をお聞きしました。最後の訪問先、日本基督教団の銀座教会では、高橋潤・主任司祭のお迎えをいただき、3階の主聖堂で、教会の歴史とご本人の東京下町の牧師の子としての生い立ちから現代にいたるまで、カトリック司祭やシスターとの交流も交えての心のこもったお話し、さらに将来に向けた教会一致への強い希望に、多くの参加者が共感と感動をいただきました。
カトリック教会による他宗教、キリスト教他宗派との対話は、第二バチカン公会議を受けて、歴代の教皇が半世紀にわたって積極的に取り組まれ、現在の教皇フランシスコのもとでさらに活発になっています。日本のカトリック教会も、昨秋、天理教、真言宗、曹洞宗、カトリックの4宗派の講師によるシンポジウム「若者と宗教」を主催するなど前向きに取り組んでおり、小金井教会も地域のプロテスタント各派の教会と交流をしています。
そのような動きを背景にした今回の巡礼は、5年前の神田カトリック教会と東京ジャーミィ・イスラム寺院、日本正教会・東京復活大聖堂(ニコライ堂)に続く「他宗派、他宗教への理解を通して信仰を深める」巡礼でした。菊地大司教をはじめ、訪問する先々で、心のこもった歓迎を受け、それぞれのお話をお聞きし、祈る中で、私たち人類を、この宇宙を創られた存在の下で、宗派、宗教の壁を超えて、信仰は一致できるし、そうあらねばならない、そのために、私たち一人ひとりは与えられた場で、努力を続ける必要がある、という思いを改めて強くしました。
(「カトリック・あい」南條俊二=小金井カトリック教会信徒)
初代カテドラル築地教会、築地本願寺、そして銀座教会―生き方を模索する機会になった
5月4日、小金井カトリック教会信徒有志による巡礼が「他宗派、他宗教への理解を通して信仰を深める」をテーマに実施された。同テーマによる都内巡礼は、2013年5月に続くもので、今回は、東京教区の初代カテドラル、カトリック築地教会、仏教・浄土真宗の築地本願寺、日本基督教団銀座教会を巡った。
*カテドラルで菊地大司教から祝福・・「他宗教理解を通して、神の求める生き方を知ろう」
爽やかな五月晴れに恵まれ、加藤豊神父様も同行してくださり、総勢50名が二台のバスで、東京カテドラル聖マリア大聖堂に向かった。聖堂内でお迎えくださった菊地功大司教様に祝福をいただき、「他宗教も目指すところは同じです。他宗教を理解することによって、神が求める生き方を知ることができるのではないでしょうか。自らの信仰を見つめながら人間としての生き方を模索できればよいでしょう」というお話を心にとめて、最初の巡礼地カトリック築地教会を訪れた。
*カトリック築地教会・・禁教下での先人の想いに触れる
カトリック築地教会で主任司祭レオ・シューマカ神父様の司式でミサが捧げられた。第一朗読の使徒言行録の初代教会について話された神父様は、同じようにこの築地の居留地も、教会の建物が建つ前に数人の共同体=教会があり、宣教が始まったと話された。
1871年、まだキリシタン禁教の高札が掲げられる中、パリ外国宣教会の二人の神父が築地居留地に派遣され、その後サン・モール会(現幼きイエス会)のシスターと共に宣教活動が始まった。身の危険を顧みず福音宣教のために働いた先人の熱い想いに触れることができた。1878年、レンガ造りのゴシック風聖堂が献堂され、1920年関口教会に移されるまで司教座が置かれた。その聖堂も1923年の関東大震災で崩れ、1927年に現在のギリシャ建築パルテノン風木造モルタルの聖堂が献堂された。
*築地本願寺・・すべてを任せ、信じる―私たちの信仰に通じるものを‥
他宗教を理解することは、まず知ることから始まる。築地本願寺構内で昼食後、僧侶のお話が始まる待ち時間に、思いもかけず加藤神父様から浄土真宗についてお話があった。「本願」とは人々を救い、幸せにしたいという阿弥陀仏の願いである。信心も阿弥陀仏から授かったもので、すべてをお任せする。その阿弥陀仏に感謝するのが「報恩」である。具体的にわかりやすく説明してくださった。
本堂での僧侶のお話は、一同「合掌」「礼拝(らいはい)」してから始まった。本尊阿弥陀如来(阿弥陀仏)が立像なのはいつでも救いに行く姿である。「南無阿弥陀仏」と唱えるとき、阿弥陀仏も共に唱えてくださり、「信じる」心も阿弥陀仏が育ててくださる。阿弥陀仏が救ってくださることを信じ、「ありがとうございます。おまかせします」「南無阿弥陀仏」と唱える。神様の救いを信じ、すべてを神様に委ねる私たちキリスト者の信仰に通じるものを感じた。
*日本基督教団銀座教会・・教会活動のあり方は―課題を共有
プランタン銀座の近くにある日本基督教団銀座教会は1890年に創立された。元はメソジスト派で、第二次世界大戦中、宗教団体法によって日本基督教団に統合された。主日の礼拝の他、毎日正午礼拝があり、創立以来開校された福音英語学校やギャラリーなど銀座という地の利を生かして、人々に開かれている教会の印象を受けた。それでも「この地でどのように伝道したらよいか、この建物をどのように用いたら神様の働きになるかが課題だ」と高橋潤牧師は話された。牧師は江戸川区の伝道所で育ち、カトリックとの接点も多い。友愛奉仕団としてカトリックの神父・シスターや信徒たちと共に生活能力の低い人々、残留孤児や在日韓国人のために活動した。主日の礼拝には300~350人集まるが、30~40代が少ないので対策を考えていることを伺った。人口の30~40代が一番多い小金井市の小金井教会も何か良い対策はないだろうか。
巡礼を終えて小金井教会に戻り、皆気持ちを一つにして「神に向かって喜び歌い、感謝の歌を捧げよう」と歌って神様に感謝した。大司教様が話された「巡礼を通して、自らの信仰を見つめながら人間としての生き方を模索する」の言葉を胸にそれぞれ家路についた。
(小金井カトリック教会信徒・下村はるみ)
・菊地大司教の日記㉔鎌田師が司祭叙階60年-カルメル会司祭叙階式-市川師帰天
2018年5月 2日 (水)
*鎌田耕一郎神父、司祭叙階60年@新潟教会
新潟教区司祭の鎌田耕一郎神父様が、今年で司祭叙階60年となりました。司祭に叙階されたのは、1958年3月21日ですから、なんと私の生まれた年です。私の人生と同じ年月、鎌田神父様は司祭を続けてきたことになります。そして鎌田神父様は今年の一月で90歳になられました。その叙階60年のお祝いミサが、4月30日の午前11時から、新潟教会で行われ、新潟近隣の多くの信徒、修道者、司祭が参加してくださいました。
鎌田神父様は基本的にとてもお元気です。私も新潟にいるときには、いつも一緒に食卓を囲んでおりました。残念なことに、この冬、スロープになっている廊下で転倒され、圧迫骨折で入院となりました。しかし懸命なリハビリのおかげで無事退院され、歩行器があれば移動もできるようになりました。
この日のミサでも、祭服に着替えられてから歩行器で内陣に入り、ちょっと腰高で座ることのできるバースツールのような特別ないすに腰掛けられて、共同司式されました。また聖体拝領も、このいすに腰掛けて授けられました。神父様は幼稚園に長年園長として関わってこられましたので、現役の教員職員の方々も参加され、信徒でない教職員も、神父様から祝福をいただいておりました。
ミサ後には、信徒会館で祝賀会。お酒を飲めない(体質的に)神父様に変わって、周囲の者が新潟のお酒をはじめいろいろといただきながら、大いに神父様の長寿を祝い、長年の司祭としての奉仕に感謝を申し上げました。
司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。すなわち司祭には、三つの重要な役割があると言うことです。
一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。その三つの務めのすべては、すべてのキリスト者にとって生きる姿勢への模範を示すものでもあります。わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に従って聖なる者でありたい。
第二バチカン公会議という教会の激動の時代を忠実な司祭として生き抜き、幼稚園教育をはじめとして様々な道で福音宣教に努めてこられた鎌田神父様のこの60年の司祭としての奉仕に感謝します。さらに神父様が日々示してくださる生きる姿勢の模範に倣い、わたしたち一人ひとりも勇気を持って、それぞれに与えられた固有の召命の道を生きていくことができるよう努めたいと思います。次は100歳の誕生祝いだと、参加者みなで確認し合いました。鎌田神父様、おめでとうございます。これからもお元気で。
*カルメル会司祭叙階式@上野毛教会
カルメル会で司祭が誕生しました。4月29日日曜日の午後2時から、東京の上野毛教会において、カルメル会員・志村武さんの司祭叙階式が行われました。天気にも恵まれ、近隣の宣教協力体の小教区をはじめ、多くの信徒、司祭、修道者が参加し、新司祭の誕生を祝いました。
私にとっても、東京大司教として初めての司祭叙階式です。上野毛教会は、カルメル会の修道院の聖堂が教会になって行ったような形でしょうか。聖堂の写真の祭壇後ろの壁にあるスリットの向こう側には、修道者の祈りのための聖堂があり、教会の聖堂と空間的に結ばれていると伺いました。
祭壇から会衆席を見渡しますと、ちょうど、新潟教会から回廊部分を取り除いたほどの大きさです。たぶん通常設置のベンチに座れる人数は、新潟教会と同じくらいではないでしょうか。その意味で、なにか安心した雰囲気の中でミサを司式することができた気がします。
叙階式後には、正面玄関前で参加したすべての人が順番に新司祭と私も入れて記念撮影大会。その後隣の信徒会館で、温かな雰囲気の祝賀会となりました。
カルメル会は管区長さんが名古屋におられます。名古屋教区はもともと神言会の担当する教区でしたから、現在カルメル会が担当されている教会のいくつかも、神言会から移管したものです(例えば、金沢教会など)。名古屋にいた頃は、わたしもカルメル会の神父様方と一緒に働きましたが、そのことを現在の管区長である大瀬神父様が挨拶で触れてくださり、恐縮でした。
以下、当日の説教の前半部分です(後半部分は、叙階式の儀式書にある定式文でした)
カルメル会司祭叙階式 2018年4月29日 受階者:ヨハネ志村武
わたしたちは今、あふれんばかりの情報に覆い尽くされた世界で生きています。とりわけインターネットの普及で、この20年くらいの間に、わたしたちを取り巻く情報量は、格段に増加しました。
わたしたちは今、自分たちを取り巻く情報量があまりにも多いため、そのすべてをひとりで把握することが不可能だと感じる世界に生きています。いわゆる高度情報社会とは、結局、いろんなことを知ることができる情報が豊かにある世界と言うよりも、しっかりと取捨選択をしない限りは、実際には何も知ることができない世界であることに、わたしたちはすでに気がついています。
この、情報があふれかえった世界で、近年、フェイクニュースなどという言葉が普通に聞かれるようになりました。結局あふれかえった情報の荒波に翻弄されるとき、それが本当なのか嘘なのか判断することは至難の業です。そんなとき、わたしたちは、簡単に多数の人たちの興奮の渦に巻き込まれ、冷静に物事の真偽を判断する余裕すら失ってしまいます。
そんな世界の直中で、わたしたちは神の言葉という情報を多くの人に伝えようとしています。イエス・キリストの福音という情報を、ひとりでも多くの人に伝えようと努力を続けています。あまりに多い情報のただ中で、人は自分の世界に閉じこもり、自分の世界観にとって都合の良い情報にばかり耳を傾けるようになってしまっている。その中で、神の言葉を語ることは、決して容易なことではありません。
使徒ヨハネは、「言葉や口先だけではなく、行いを持って誠実に愛し合おう」とその手紙で呼びかけます。それこそが真理に属する生き方であると指摘します。あまりに大量の情報が満ちあふれているこの世界こそは、まさしく「口先だけ」の言葉で満ちあふれている世界です。ただ言ってみただけ。面白そうだったから書いてみただけ。興奮するから言ってみただけ。そこには自分の口から発する言葉や、自らが綴る言葉への責任感はなく、ただただ、自分の興奮を追い求めているだけの、自分中心の世界が広がります。
そのような世界にあって意味を持っているのは、やはり具体的に目に見える行動であると、ヨハネの手紙は諭します。わたしたちを先に愛してくださった神の愛を、多くの人に具体的に示す行動こそが、わたしたちを真理に生きる者とするというのです。
バルナバは、サウロが使徒として神に選ばれた者であることを識別します。それこそ、様々な情報に翻弄されたことでしょう。サウロがあちらこちらで、いかに残忍にキリスト者を迫害してきたのか。多くの人が興奮して、サウロについての情報をまき散らしたことでしょう。そのような中にあって、バルナバはその情報の波に翻弄されることなく、神の御旨を識別し、その判断を勇気を持って行動に移します。バルナバの判断と決断と行動がなければ、サウロは使徒パウロとはなり得なかったのかも知れません。神のなさる業は不思議です。神のはからいは限りなく、生涯わたしたちはその中に生きるのです。しかし同時に、神のはからいが実現するためには、わたしたちの冷静な識別と決断と行動が必要なのです。
情報があふれかえったこの時代に、司祭として生きることは容易ではありません。真理の言葉に耳を傾ける人は少なく、多くの人は神からかけ離れた世界を代弁するような情報に翻弄され興奮しています。神の御旨を識別し、勇気を持って決断をし行動することで、神の真理を、イエス・キリストの福音を、あかしする司祭であってください。
東京教区司祭、使徒ヨハネ市川嘉男神父様が、4月29日夜、帰天されました。94歳でした。通夜は5月4日(金)午後6時から、また葬儀と告別式は5月5日(土)午後1時半から、どちらも東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われます。市川神父様は1951年12月の司祭叙階ですから、66年の司祭生活でした。神父様の永遠の安息のためにお祈りください。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
・菊地大司教の日記 ㉓今日こそ、召命の時ー世界召命祈願日に
2018年4月23日 (月)
世界召命祈願日ミサ 世界召命祈願日ミサ
4月22日の日曜日は、世界召命祈願日でもありました。東京教区では、一粒会の主催教区行事として、同日午後2時半からカテドラルの関口教会でミサが捧げられました。ミサには教区や修道会の司祭、神学生、そして女子修道会の会員や志願者も大勢参加してくださり、信徒の方々も合わせて400名近い方が集まって祈りを捧げました。

またミサ中には、イエスのカリタス修道女会のシスター方の聖歌隊が美声を響かせてくださり、祭壇側から見るとよくわかるのですが、たまたま訪れた見学の方々が、パイプオルガンに合わせたシスター方の美声に聞き惚れてなのか、結構長い時間、立ち止まっているすがたも見られました。

ミサ後には、ケルンホールを会場に、各修道会の神学生や志願者紹介。残念ながら神学生の多い神言会は名古屋にいるため誰も来られませんでしたが、神学生がいてもいなくても、東京にいるすべての修道会は男女を問わず紹介できるようにしたらよろしいのでは、とも感じました。来年以降検討です。
準備してくださった一粒会の皆さんありがとうございます。以下、ミサ中の説教の原稿です。
私は1986年に司祭叙階を受けましたので、今年でもう32年司祭として生きてきました。司祭へと至る道を歩み始めたのは、小学校を卒業し、中学一年となった1971年ですから、そこから数えるともう47年も、この世界で生きてきたことになります。
自分の司祭にまでいたる道のりを振り返ってみるとき、そういえばいったい、自分はいつどこで、神様から呼ばれたのだろうと、自分でも不思議に思うことがあります。
聖書には、例えば少年サムエルが寝ていると、神が「サムエル、サムエル」と、三度も呼びかけたなどという話があります。または新約聖書にも、迫害に手を染めていたパウロに対して、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と主が直接に呼びかけた話があります。もちろん福音書には、例えばシモンとアンデレに主が直接、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかける場面が記されています。
聖書に出てくる人たちは、そうやって直接呼びかけられて、従う者となっていくのです。そうしたら、わたしへの呼びかけはいつだったのだろう。わたしも、少なくとも自分では、主に従う道を歩んでいるつもりです。どこかで呼びかけられたに違いないはずですが、あまり気がついていない。その、呼びかけに気がついていないこと、または聞こえていないことが、今日の世界召命祈願日に当たり教皇様が発表されたメッセージの中心にあるテーマです。
メッセージのタイトルは、「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」です。
教皇様は、この呼びかけは、「はっきりとしたものではありません」と言います。これで少し安心です。メッセージはこう続きます。「神は、わたしたちの自由を抑圧することなく、静かにそっと来られるのです」静かにそっとこられる神に、私たちはどうして気がつくことがないのか。教皇様はこう言います。「その声は、わたしたちの思いや心を覆っている心配や懸念によって、かき消されてしまうかも知れません」
静かに呼びかけられる神の声が聞こえないのは、もしかしたら私たちの心が、現実社会の中で生きていくために必要な心配事や、人間関係の中での懸念に埋め尽くされているためではないのか。そんなとき、わたしたちは静かに語りかける神の声を聞き逃してしまうかも知れないのです。
しかし考えてみれば、誰かのために心配したり、配慮したりすることは、少なくとも悪いことではないはずです。ですから教皇様の指摘はこう続きます。「自分だけの狭い世界にこもり人生を台無しにしている人に見られる無関心さの中に閉じこもるなら、神が、私たちのために考えてくださった各個人への特別な呼びかけに気づくことはできないでしょう」
自分の世界のことだけを心配し、他者への配慮に背を向けているとき、神の声はかき消されてしまうと言うのです。ということは、神の声は、積極的に他者への配慮を示す中で、聞こえてくるのではないか。人との前向きな関係を生きようとする中で、その他者との出会いの中で、聞こえてくるのだと言うことであります。
人生の中で、他者への積極的な配慮の関係に私たちが生きるとき、その人間関係のうちで神からの様々な語りかけがある。教皇様のメッセージは、それが何を語っているのか、そもそも神の語りかけなのか、識別するようにとも呼びかけます。霊的な識別とは、「人が、神との対話において、聖霊に声に耳を傾けながら、生き方の選択をはじめとする根本的選択を」行うことだと言います。
「生き方の選択」です。お気づきのように、教皇様のメッセージは、召命を語るとき、単に司祭の召命だけを語っているのではなく、神に従う者すべてがどのように生きるのかについて語っています。
私たちは、特に、まだ若い人たちは、将来を見据えて、幾度となく、どのように生きていくのか選択を迫られ、決断を重ねていきます。その選択は、どのような生き方となるにせよ、聖霊の声に耳を傾ける祈りのうちに、神の呼びかけを識別し、それに真摯に応えようとするところから始まります。司祭や修道者になることだけではなく、わたしたちが神に従う者としてどのような生き方を求められているのか、どのような生き方に招かれているのか、その神の呼びかけを聞く努力をすることは、男性女性を問わずすべてのキリスト者に共通している大事な務めです。
その識別の過程にあって、ある人たちは司祭に、またある人たちは修道者の道へと招かれるのです。その道に招かれている人は、少なからずこの東京教区にもいるはずです。まだ神の声が聞こえていない人が、少なからずいるはずであります。
召命のために祈るのは、単に、司祭が増えるようにとか、修道者が増えるようにと祈ることだけなのではありません。そうではなくて、キリストに従う者すべてが、自分中心の狭い世界の中だけのことにとらわれて生きるのではなく、積極的に出向いていって、そのなかで神からの呼びかけを識別しながら、命を生きるための最善の道を見いだすことができるようにと、祈ることでもあります。召命は、すべてのキリスト者の、そしてすべての人のものであります。神はすべての人に、それぞれの方法で語りかけ、すべての人にそれぞれの固有の使命を与え、それに生きるようにまねいておられるからです。
そうして祈る中でも、果たしてそれが神からの呼びかけなのか、それとも単なる思い込みなのか、悩んでいる人もおられるのだろうと思います。
そんな悩める人に、教皇様はメッセージでこう言われます。
「もっとふさわしい時を待っているのだと言い訳をしながら、より良い日和を期待しながら、窓から見ているだけでは、福音の喜びは訪れません。危険をいとわずに、今日、選択しなければ、福音の喜びは、私たちのもとで実現しません。今日こそ、召命の時なのです」私たちの祈りは、一歩踏み出すことを躊躇している方々への霊的な励ましにもなります。わたしたちは自分自身も含めて、すべての人が召命への決断をすることができるように祈るのです。祈りながら、自分も勇気を持って一歩踏み出そうと、努力を続けるのです。
私自身はいったいいつ神様に呼びかけられたのか定かではないと申し上げました。きっといくつかの出会いの中にそのときがあったのだと思います。しかし一つだけ確実なのは、わたし自身の召命は、多くの人の祈りによって支えられてきたことです。これまでの司祭人生の中で、いったい何人の方が「あなたのために祈っています」といってくださったことかわかりません。新潟の司教の時代には、様々なグループの方が霊的花束をくださり、祈りの支えを目に見える形にしてくださいました。多くの司祭が、自分の力ではなく、たくさんの方の祈りに支えられていると感じ、感謝しています。祈りには力があります。お祈りください。そして互いの召命のために、祈り合いましょう。
今日こそ、召命の時です。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
・三輪先生の国際関係論 ㉗核兵器開発の効用
軍備は平和構築の手段になる。だから困るのだ。 いやだから現実主義は核兵器廃絶絶対主義にまさるのだ。…等々、 いろいろな想いが湧きだし交錯する。 北朝鮮の金正恩委員長の核兵器、 長距離弾道弾開発実用化への采配が昨日までに朝鮮半島にもたらし た結果を見て、 大した男だとその政治感覚に刮目せざるをえなかった。
かたや、「ポピュリズム」に堕しがちなのに、「民主主義」「 自由主義」万歳の、重箱の 隅をほじくるような野党与党の舌戦に呆れかえっている自分が空し くなる。東京市民「ファースト」と恥ずかしくもなく、 小さなエゴ丸出しの旗印。
謙虚、互譲の隣人愛を忘れ、捨て去ってしまったようで、 年寄りには住みずらい世間様にはなりました。どうしてくれる、 血の気だけはたっぷりらしい、 若者気取りの今様の政治屋の皆さん。 あなた方が泳いでいるポピュリズムの池が、突然戦前のような、 集団的独裁、 暴走の政治体制に発展してしまわないと保証できますか。
先の戦争への社会的、 政治的変遷の道程を痛い体験として記憶している年寄りがいなくな っていくとき、その歴史を学習し、 夜警の足音として常時耳下に響かせていてほしいと思うこと切なり です。 (2018・4・30)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)
・Sr.石野のバチカン放送今昔 ㉒バチカンの空に泳ぐ日本の鯉のぼり!
リ
ーン、リーン、オフィスの電話がなった。「もしもし・・・」なんと!横浜教区長の濱尾文郎司教さま(当時:のちに教皇庁移住・移動者司牧評議会議長・枢機卿、2007年没)のお声。「実はバチカンで鯉のぼりを揚げるために、ずっと前にバチカンに手紙を書き、万端整えてツアーを組んで、出発も間近に迫っているのに、バチカンから何の返事もない。ちょっと調べてほしい」とのこと。声と同時に司教さまの心配と焦りが伝わってきた。「ハイ、わかりました」と返事をして、教皇の秘書に連絡を取り、翌日倉庫に見に行った。
あった!教皇さまが訪日された際、東京の武道館で行われた“young and Pope”の集いで「若さの力と勢いのシンボル」として献上した鯉が。早速、「日本の若者たちがローマに来る時、バチカンの空に泳がせたい」と教皇秘書にお願いした。
彼は即座に命令を出してくれた。二日後には、バチカンの職人たちに手配して、バチカン宮殿の屋上、聖ペトロ広場に面したところにポールを立て、鯉を泳がせることに決まった。一般謁見の二日前、日本の若者たちの一行がローマ入りした。翌謁見の前日、8人の職人がバチカン宮殿の広場に面した屋上に長いポールを立てた。
濱尾司教さまは工事が終わるまで現場で立ち会った。職人たちは「僕たちが働く現場に司教さまがずっといてくださるのは、初めてだ」と感激していた。司教さまにしてみれば、本当に実現するかどうか心配で、居ても立ってもいられなかったのだろう。
翌日一般謁見の時、前日準備されたポールに3匹の鯉がとり付けられ、バチカンの空高く舞った。広場に集まった10万近い人々は、3匹の巨大な魚が宙に舞うのを見て歓声をあげた。・・こうして、教皇さまの招きに応えて、「バチカンの空に鯉のぼりを泳がせたい」という日本の若者たちの希望が実現したのだった。(写真は日本のもの、当時のものではありません「カトリック・あい」)
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)
・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」⑨ハーフェズ-生き方・想いが限られた詩の中に凝縮
筆者の外交官生活で3度目の勤務であり、最後の任地ともなるイランで、ペルシャの詩にとうとう出会うことになり、それ以降、特に退職後の生き方に大きな影響を受けることになる顛末は記した。ペルシャの大詩人の一人、ハーフェズの詩句のいくつかをこれまで、その生きた背景や生き様とともに紹介してきた。
ハーフェズは、神への愛の道を求める中での至福と苦痛、社会の欺瞞と不正への怒りを原動力として詩的創造活動を続けた。モンゴル侵入後の不安定な社会、権力者の庇護を得られたり、得られなかったり、安定しない自らの生活の中で、詩的創造は、自己主張のよりどころであり、また慰みでもあったであろう。
今回はその点を見てみる。
「短くはできない ハーフェズの話は長いから」と自ら歌っているのは、その作品がガザルという短形式の詩500編前後に集約されていることから見れば奇異にも思えるが、同時にその生き方・想いが、限られた詩の中に凝縮されているとみることができよう。
具体的には、「(汝を求めて苦しむ)我 その目は充血し涙でいっぱい それを通して 我は 想いの世界に(汝を)描く(詩)」(カッコ内は訳者註)、
神の愛を成就しようとする修行の人生は茨の道、得られぬ苦しみは充血した目からあふれる真っ赤な涙となって流れる。真っ赤な涙のあふれる目を通して、ハーフェズはその体験を同じく色鮮やかな筆致で詩の世界に展開する。詩人の基本的姿勢である。
また、「朝のそよ風は すべてのばらの花弁を 優しく水(露)で洗う書物にかじりついていれば 心が曲がっていると言われてもしょうがない 我にとり(修業の苦しみで流す)涙こそ ダイヤでありサファイヤであり宝物 天空の太陽に 幸運をすがるなど しはしない」
詩人の自然を見る目は鋭い。シラーズは今でもバラで有名であり、神を求めて寝られず朝までバラ園で過ごした詩人が、露に濡れた花弁を朝の風がさっと洗い流す光景にふと安らぎを覚える。それは神が描き出した自然の光景と思えたのであろう。書物にかじりついて神学に思惟をめぐらすなど、まったく野暮でしかない。
しかし、それは確かに一瞬の安らぎではあるが、修行の苦しみははるかに大きく、血の涙こそが詩人にとっての宝もの(ダイヤもサファイヤも血の涙と同じ真っ赤な色)。自分は天空に願を懸け、運に頼ってこの世の栄達を願うなどしない、と歌うのは負け惜しみともとれるが、それはまた、詩人の自負・誇りでもあった。
「葡萄酒のおかげで育まれる想いは 自然が自分らしく巧みに飾るようバラの花のうちに バラ水がひそかに育まれるように 葡萄酒は、神との融合により得られる陶酔感を表象するもの、自然の巧みさも神の賜りもの、それらは今日もイラン人が愛好するバラ水が、バラの花びらに密かに育まれるがごとくと歌うのは、まさに神の道を求め、神の被造物たる自然の巧みさに心奪われる詩人の自負であり誇りである(バラ水はバラの花弁から絞り出すバラのエキス)。
(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)
(駒野欽一(国際大学特任教授、元イラン大使)
・Sr.岡のマリアの風 ㉗「危険を冒してください!」-中国出張を前に-
(独り言)「危険を冒してください!」-中国出張を前に-
Jさま、
久しぶりのメール、うれしかった。ありがとうございます!
実は、この週末、院長会議のすぐ後、中国(太原)出張のため出発 することになり、バタバタしています。
相手側、中国からのメールは…
「ちょっと寒め」「だけど、すごくは寒くない」
「(修道服ではなくて)私服を着て来てください」
「空港のパスポートコントロールで、たぶん、大丈夫だと( 中国に入れてくれると)思うけど」…
パパ・フランシスコが、「若者たち」に、 たびたび言っていますね。「恐れないで!」「 Rischiate!(危険を冒してください!)」、 その理由は、単純に、「キリスト者(キリストに従う者) なのだから」、と。
そして、パパの思いの中では、 ぬくぬくと自分の快適な場所に留まらず、「やっぱり、おかしい」 、「とにかく、何かしよう」…と、「出て行く」人こそ、「若者」 なのですね。年齢に関係なく。
この、イエス・キリストの名のために、「危険を冒してください! 」という呼びかけは、まさに、今のわたしに向けた、 タイミングのよい声のように響きます。
どういうことになるのか、まったく未知…。そういう旅、 20代前後のころ、よく、しました。( わたしが修道院に入った時、これで娘も、少なくとも「 住所の分かる場所」に落ち着くだろうと、 父がほっとしたくらいです…)。
わたしたちのパパ・フランシスコは、最近では、 南イタリアのバリに(2018年4月20日)、チリとペルーに( 2018年1月15日~22日)、昨年末、ミャンマー・ バングラデシュに(2017年11月26日~12月2日)、 コロンビアに(9月6日~11日)、ファティマに(5月12日~ 13日)、エジプトに(4月28日~29日)、「出て行って」 いますね。まさに彼自身、言っているように、「 貧しい一巡礼者として」、主がその地に、その民に託した「富」- 文化の中に具体化した信仰の宝-に感謝し、祝い、学ぶために。
それぞれの地で、パパは、さまざまな人々と出会い、 共に主に感謝し、主が約束した希望のうちに、 信仰にしっかり留まるよう励まし…。
そんな、パパの姿、わざ、言葉に、日々触れながら、そして、 同じように生きた数えきれない先輩たちの姿を思い巡らしながら、 自問します。
わたしは今、自分の修道院で、自分の部屋で、「 キリストの熱い思い」に突き動かされ、「危険を冒して」、 つねに「出て行って」いるだろうか。
これは何も、物理的に外に出て行く、 ということだけではありませんね。
パパが再三言うように、「いつもこうだったから」「 どうせ変わらないのだから」「するだけ無駄だから」…という、「 キリストに似る者になる」歩みを弱らせ、「中和」させる、 狡猾な「敵」と闘うために、危険を冒しているか、 ということですね。
「やっぱり違うと思う、もっと良くなると思う…」。
「え~っ、その年で、まだそんな夢みたいなこと言ってるの?」
「でも、今、わたしたちが動かなければ、一歩踏み出さなければ、 次の世代の人たちはどうなるの?」
「そんなこと言ったって、ど~せ反対されるよ。 わたしたちだけ頑張ったって無理だし…」
「パパ・フランシスコは、聖パウロの言葉をかりて、言いました。 わたしたちを強めてくださる方-キリスト-と共にするなら、 わたしたちはいつも勝利するって」
「う~ん、でも、それって『現実的』じゃないよね~」
「洗礼を受けたとき、わたしたちの中に、復活のキリストの力、 聖霊が入って来たのだから、 その力に信頼して一歩を踏み出してください、って、 パパは言っているし…」
「でも、聖霊って目に見えないし…本当に、 ここで働いているのかな~」
「いや、聖霊は、目に『見えます』… わたしたちが望みさえすれば…。 わたしたちが思ってもみなかった、もっとも小さく、 貧しいしるしの中に…。パパは言ってます、わたしたちの神は、『 サプライズの神』だって」。…
…と、こんなやりとりが、自分の中でも、人々との話の中でも、 会議の中でも、あります。
主を「安全地帯」に引き戻そうとしたペトロは、主から、「 サタンよ、引き下がれ!」と叱られましたね。「ペトロって、 しょうがないね~」と、わたしたちは簡単に言うけれど、 でも実は、あのペトロの「もっともな理屈」は、わたしたちが、 しょっちゅう使っている「理屈」ですね。
主が、エルサレムに向かって、十字架に向かって進むのを、 妨げようとする「もっともな理屈」。
そして、もし、主がエルサレムに行かなかったら、 十字架に向かって進まなければ、わたしたちは、今も、 罪の闇の中、脱出するすべも知らずに…。
なんと度々、わたしたちの「もっともな理屈」は、神の思い、「 すべての人々の救い」のための思いに、反対するのでしょう!
古代の教父たちは言いました。このような「闘い」の中で、「 神の母」のマントのもとに駆け寄り、神の母マリアから、「 主を真ん中に置く」ことを学びましょう、と。
わたしたちのいのちの中心にいる主は、そこに「いる」 のだけれど、神秘の中に留まります。わたしたちのただ中に、 確かにいるのだけれど、でも同時に、 わたしたちの思いを超える神秘でもあります。
わたしたちが、何か、栄光に満ちた権力、光り輝く正義、 悪者を打倒す勝利の王…というイメージで、この世に、周りに、 キリストのしるしを探し求めるなら、簡単に、 悪魔の罠に引っかかりますね。悪魔は、いつも言います、「 そうそう、あなたの言うことはもっともだ。あなたは悪くない、 あの人が、この状況が悪い。頑張ったって無駄。 どうせ理解してもらえないのだから…」。
神の母のマントのもとに逃れて、わたしたちはどうするのか?
まず、わたし自身が、真に貧しく弱い者であることを、 素直に認め受け入れることを学びます。わたしたちの力で、 悪魔と闘うことなど出来ないことを、はっきりと悟ります。 そして、そこから出発します。もう一度、 キリストを中心に置いて、再出発します。キリストに従う、 貧しく、小さな道を。主とともに、すべての人々の救いのために、 十字架に向かう道を。マリアとともに、「母の愛」 に内奥から突き動かされて、主に従う道を。
神の母のマントのもとに逃れて、わたしたちは叫びます。「 神の母よ、悪魔の誘惑は、とても巧妙で、執拗で、わたしの能力( 知力、体力、気力)以上のものです。わたしは弱く貧しい、 あなたの子です。どうか、急いで助けに、救いに来てください! 主の望みが、主のことばが、主のわざが、 わたしの中で行われますように!」
そうやって、神の民は、ずっと、荒波、嵐の中を進んできました。 神の母マリアを、荒れ狂う海の中の「はこぶね」、 目的地を示すために空に輝く「星」と呼びながら。
でも…話は元に戻って…初めての中国行き。神の母よ、 あなたのためです。主のお望みが、 主のお望みだけが行われますように、わたしを助けてください! 思うとおりに行かないとき、まさにそのただなかに、 主がおられることを見分ける知恵をください!そして、 あきらめることなく、前を歩く主の足元だけを見つめて、 一歩一歩、前に進む力をください!その、 一歩一歩の先にあるものも、どこにたどり着くかも、それさえも、 主に委ねることが出来るようにしてください!
アーメン!
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑲ 人は何歳まで……?
厚生労働省は4月22日、横浜市在住で116歳の都千代( みやこ・ちよ)さんが国内最高齢者になったと発表した。 これまで国内最高齢だった鹿児島

稲垣政則撮影
県喜界町の田島ナビさんが前日、 117歳で死去したことによるものだ。都さんは、 国際的な老年学研究団体ジェロントロジー・リサーチ・グループ( GRG)に「世界最高齢」であるとも認定されている。
日本人の平均寿命は、2016年時点で女性が87・14歳、 男性が80・98歳となり、いずれも過去最高を更新した。 100歳以上の高齢者数も増えている。 2017年度は前年から2132人増の6万7824人に達した。
それでは一体、人間は何歳まで生きられるのだろうか?
衛生・栄養状態の改善は著しく、 健康に関する人々の意識も向上している。 さらに医療技術が進歩すれば、 最高齢者の記録も更新されていくのだろうか? 残念ながら、最近の研究結果は逆の方向を指し示している。
米国のアルバート・アインシュタイン医科大学が2016年、 英科学誌ネイチャー(電子版)に発表した論文は、「 人間の最大寿命には限界があり、すでに限界に達している」 としている。
研究チームは、 19世紀末以降の世界40か国以上に及ぶ人口と死亡の統計を詳細 に分析。さらに、百寿者の多い日本、米国、英国、 フランスの4か国を対象に、110歳以上の高齢者の生年・ 没年などを調査した。その結果、各年に亡くなった人の最高齢は、 1968年に111歳にまで延び、その後、毎年約0・ 15歳のペースで上がっていった。だが次第にブレーキがかかり、 1995年ごろには「高原状態」(プラトー)となる。いわば、 寿命がピークに達してしまった状態だ。
人の寿命が「高原状態」となった2年後の1997年には、 当時の世界最高齢だったフランス人女性ジャンヌ・ カルマンさんが122歳で亡くなっている。 以来20年以上が経過したが、彼女の記録は更新されていない。
これらのデータからアルバート・ アインシュタイン医大の研究チームは、 人間の寿命はおおむね115歳であると推定する。 これより多少長生きする人は現れても、 人間の究極的な寿命は125歳であり、 この年齢を超えて生き続ける可能性は1万分の1未満である―― と結論づけた。
「人間の究極的な寿命は125歳」 という米国の研究者による指摘は、別の意味でも興味深い。 今から100年以上前、明治の元勲・大隈重信が、<人間は本来、 125歳までの寿命を有している。適当なる摂生をもってすれば、 この天寿をまっとうできる>と唱えているからだ(大隈重信述「 人寿百歳以上」)。 長寿で世界一を走る日本が、 長寿論でも世界をリードしていたのは興味深い。
116歳の都さんは、5月2日に117歳の誕生日を迎える。「 現在、食事も自分でとることができ、 毎日元気に過ごしております。 皆で5月のお誕生日を楽しみにしています」。 ご家族が公表したコメントに、皆の幸せな顔が浮かぶ。
(みなみきょうこ・医師、作家: クレーム集中病院を舞台に、 医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編 小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=を1月に刊行。http ://www.gentosha.co.jp/book/ b11411.html 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』 =幻冬舎=は5刷出来。日本推理作家協会編『ザ・ ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・ サバイバー」収録)
・Sr 阿部のバンコク通信 ⑳新札が流通開始―表は新国王だが、裏は故プーミポン前国王

先日銀行で両替、受け取ったお札は新国王ワチラロンコーン( ラマ10世)陛下の新札でした。慣れ親しんだお顔が入れ替わり、 遂にお札も、と思いました。
タイの紙幣バーツには、20、50、100、500、1000、 とあり、コインは25、50サタン(100サタン=1バーツ)1、 2、5、10バーツ。1円が0.29バーツです。 コインはまだ見かけないですが、新札は、20バーツから500バーツまではそれぞれ表は新国王、 裏は歴代ラマ国王陛下が1世から8世まで2人づつ印刷されています。
最高額の1000バーツ札ではどうかと、表は当然、新国王。裏を返すと…プーミポン国王(ラマ9世)陛下の肖像! 国民の気持ちを大事にした名案、 これには感嘆してしまいました。パウロ書院で、早速新札でお釣りを。皆が「あっ」と反応、 裏を見てほっとした、という感じでした。
国民に敬愛されたプーミポン国王を見送って後、 街中は正装した新国王のお写真に取り替えられています。 静かに音も立てずに、徐々に、惜しまれながら…。 人々は黙々と、事態を受け止めて平常心で生活しているようです。 国民が国王を見守り、タイ国を安泰に収める責務を果たせるよう、 無言の示唆を与え続けることでしょう。
時に、怒涛のように流転する人の営みに揉まれながら、 天地の創造主を仰ぎ、『Laudato sì 』と賛美しながら今日の営みを捧げています。 (阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
・菊地大司教の日記 ㉒習志野教会50周年
2018年4月21日 (土)
習志野教会50周年
習志野教会が創立50年を迎え、本日土曜日の午前10時から、感謝のミサが捧げられました。ミサには歴代の主任助任をはじめ、近隣の司祭も参加し、10名を超える司祭の共同司式ミサとなりました。現在の主任司祭は、教区司祭のディン神父様です。
習志野教会は、
元々は船橋教会として始まり、その後2000年に現在地に移転して、その名を習志野教会と定めたと伺っています。最初は100名ほどの小さな集まりであったのが、現在は多国籍の信徒の方も含めて二千人を超える大共同体になり、英語やポルトガル語でのミサも捧げられていると言うことです。
ミサ後には信徒会館で祝賀会があり、信徒の方のお手製のケーキに、本当に50本のろうそくがともされました。ろうそくを吹き消し、ケーキカットしたのは、この教会出身の三名の教区司祭。福島、高木、泉の若手三名でした。
今回のお祝いには、立派な記念誌も制作されていました。記念誌をはじめ、お祝い全体を準備してくださった皆さんに感謝します。(写真下右は、習志野教会信徒でわたしの中学時代の先輩ご夫婦と。写真左下は挨拶する主任のディン神父)

以下、本日の説教の原稿です。
習志野教会が誕生して50年が過ぎました。1968年に船橋の地に「復活のキリスト」船橋教会として創立後、将来を長期的に展望しながら、2000年に現在の習志野の地に移転をされたと伺いました。教会の移転という事業には、膨大な時間と、膨大な労力と、膨大な調整が必要であったことと想像いたします。それこそは、この移転という事業に関わられた司祭と信徒の方々の、福音宣教への熱意を具体化した行動ではなかったかと思います。
50年という年月は、自分が若い頃にはとても長い時間の流れであると信じていました。しかし実際に自分が50歳を超えた頃から、50年というのは思いの外あっという間に過ぎ去る時間の流れであるということも分かってきました。今日お集まりの皆さんの中には、50年前、どのような思いを胸に抱きながら、新しい教会の誕生に立ち会ったのか、まだはっきりと記憶しておられる方も多くおられると思います。あっという間の50年であっただろうと思いますし、同時にその間には、語り尽くせぬほどの多くの出来事があったことだと思います。また多くの兄弟姉妹たちが、すでに御父のもとへ旅立って行かれました。
教会創立50周年を記念するにあたり、船橋そして習志野教会のために尽くしてこられ、いまは神の御許に旅立たれた信仰の先達たちの永遠の安息のために祈りたいと思います。
わたしたちは、教会というのは単に聖堂という建物のことだけを指しているのではないことを良く知っています。第二バチカン公会議は教会憲章において、教会はまず第一に「神の民」であると指摘していることは、わたしたちがよく知っているところです。
そして教会憲章は冒頭で、教会とは何かを教えてこう記しています。
教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)。
ですからわたしたちは、この地域社会にあって「神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具」となるために存在する「神の民」であって、この「神の民」である共同体の存在こそが教会そのものであります。しかしながらこの共同体には、やはり集い祈る具体的な場が不可欠です。その意味で、聖堂の存在は、わたしたちが神の民としての互いの絆を具体的に確認し、「神との親密な交わりと全人類一致の」まさしく「道具」となるための目に見える場として、なくてはならないものでもあります。
教会には、「神との親密な交わりと全人類の一致」の「しるし」としての意味と、「道具」としての意味の、二つの重要な役割があります。
この地域にあって、この習志野教会の共同体と聖堂は、その「しるし」と「道具」となっているのでしょうか。その存在を通じて、「神との親密な交わりと全人類の一致」をあかししているでしょうか。50年を契機に、わたしたちの共同体のあり方を振り返ってみたいと思います。
教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」において、あるべき教会のイメージを明確に示しておられます。教皇フランシスコにとって教会は、「出向いていく教会」でなければならないと言います。出向いていく教会は、「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」教会です。
第一にわたしたちには具体的な行動が求められています。教会は社会の中心部に安住しているのではなく、社会の周辺部へと出向いて行かなくてはならない。その周辺部とは、社会の主流派から見れば排除され忘れ去られている人たちの所です。この世界に誰一人として忘れ去られて構わない人はおらず、排除されても構わない人もいない。神から与えられた賜物である生命を頂いているすべての人が、大切にされ神のいつくしみのうちに生きることができるような社会。それを築きあげるために、様々な努力を積み重ねていくことが、現代社会にあって福音を告げ知らせるキリスト者の使命であると教皇は主張されます。
同時に教皇は、挑戦し続けることの重要さも説かれます。わたしたちは変化に対して臆病になりがちです。新しいことに挑戦していくことに、気後れしてしまいがちです。でも教皇はそういった姿勢を、「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった」と批判されます。これは教皇就任直後に訪れたランペドゥーザ島で、アフリカから海を渡ってきた多くの難民の方々と一緒にミサを捧げた時の、説教の一文です。変化を恐れ現状に安住しようとするとき、人は他者の叫びに耳を傾けようともしなくなる。自分たちのことばかりを考える利己主義に陥り、困難に直面する他者の叫びには無関心になってしまうという指摘です。
教会の土台は、主イエスご自身であると、パウロはコリントの教会への手紙に記しています。復活の日から、わたしたちには変わることのない土台が存在しています。その上に築き上げられる教会共同体は、それぞれの時代の状況に適応しながら、土台である主イエスをあかしする存在であり続けようとしてきました。時にその行動は、世間の常識から見るとかけ離れているように見られることもありました。それでも教会は、土台である主イエスから離れることをせず、勇気を持ってあかしを続けてきました。それは主御自身が、神殿で、周囲の人々の常識をうち破り、弟子たちにでさえ、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉を思い起こさせるほどの熱さを持って、真理に生きようとされたからです。ですから迫害の時代にも、教会は土台である主イエスから離れることなく、勇気を持ってあかしを続けてきました。
そしていま、日本において、わたしたちは、勇気を持って土台である主イエスから離れず、あかしする共同体として、しるしとなり続けているでしょうか。
日本の教会はいま、とりわけ地方の教会において、少子高齢化の影響を大きく受けて、どちらかと言えば規模の縮小期に入っています。そういうときに私たちはどうしても、いまあるものを守ることを優先して考えてしまいます。守ろうとするとき、わたしたちは外に対して固い殻をまとってしまうことさえあります。この聖堂に満ちあふれているであろう教会共同体の雰囲気とは、そのわたしたちの心の反映であります。
そういった消極的な姿勢に対して、教皇フランシスコは、かつてブエノスアイレスの教会で司祭や信徒に対して語った言葉を、使徒的勧告の中で繰り返しておられます。
「私は出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会の方が好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さ故に病んだ教会より好きです。中心であろうと心配ばかりしている教会、強迫観念や手順に縛られ、閉じたまま死んでしまう教会は望みません」教会創立50年の節目に、教会共同体のあり方を今一度見つめ直してみましょう。社会におけるあかしの共同体として勇気を持った行動を積極的にとるためにも、主イエスご自 身の熱意にわたしたちも与ることができるよう、神様の導きを祈りましょう。





