2014年以来7月30日は、国連薬物犯罪事務所United Nations Office on Drugs and Crime(UNODC)によって制定された人身取引反対世界デーとされています。(the World Day against Trafficking in Persons)
人身売買や人身取引というと、なにか現代世界とは関係のない、奴隷売買でもあったような時代の昔話のように響きますが、これは日本も無関係ではない21世紀の今の時代の世界的な問題です。
ユニセフのプレスリリースにこう記されています。「ユニセフ(国連児童基金)と人身取引反対機関間調整グループ(ICAT)は7月30日の「人身取引反対世界デー」を前に、世界で人身取引(人身売買)の被害者として確認できた人の約28%が子どもであることを本日明らかにしました。
サハラ以南のアフリカ地域、ラテンアメリカ・カリブ海諸国地域などでは、人身売買被害者に占める子どもの割合はさらに高く、それぞれ64%と62%です。特に人身売買に巻き込まれやすいのが、難民・移民・避難民の子どもたちです。戦争や暴力を逃れ、あるいはより良い教育や生活の機会を求める子どもたちが、家族と共に正規ルートで安全に移動できることはほとんどありません。そのために、子どもたちと彼らの家族は非正規の危険なルートを取り、あるいは子どもたちはひとりで移動することになり、人身売買業者による暴力、虐待、そして搾取に遭いやすくなります」
この日を前に、昨日7月29日のアンジェルスの祈りで教皇様は7月30日が人身取引反対世界デーであることに触れ、次のように述べられました。「人身取引の目的は、被害者を安価な労働力、売買春、臓器売買、物乞い、あらゆる悪行の対象として搾取することにあります。移住が、人身売買の隠れ蓑となり、移住者の中から新たな被害者が生まれています。これは人道に反する犯罪です」
人身取引は、国際条約によって定義が定められています。一般に「人身取引議定書」といわれる「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」には、次のような定義が掲載されています
「“人身取引”とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得し、輸送し、引渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷化若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める。」
(同議定書第3条(a)) 日本も例外ではありません。実際に警察によって摘発されている事件も毎年あり、移動の自由などを奪って、ほぼ強制的に労働に従事させるような事例が、人身取引にあたるのではないかという指摘も聞かれることがあります。また被害を受ける人は、海外からの移住者や難民の方々だけではなく、日本人も含まれます。
教皇様と国際カリタスの呼びかけに応えて、カリタスジャパンは難民移住移動者委員会と共同で「排除ゼロキャンペーン(Share the Journey)」を繰り広げています。これは、難民や移住者として来られる方々の体験に耳を傾け、互いを知ることで、排除ゼロの世界を目指し、互いに助け合って生きる世界を目指そうというキャンペーンです。同時に、人身売買の被害者は、教皇様が指摘するように難民や移住者の中に多く見られるのであり、またユニセフが指摘するように、子どもたちの多くが被害に遭っていることを考えるとき、人身取引に反対する意識を共有することも、このキャンペーンにとっては大切であると思います。
わたし自身に自分の人生のストーリーがあるように、すべての人にはそれぞれのストーリーがあり、すべてのストーリーは大切な宝物です。 それはキリスト教では、神が一つ一つの命をよいものとして創造されたと信じているからです。命は、この世界に存在するという事実を持って、すべからく大切な価値を持っています。その命の価値を、何らかの判断基準で勝手に決めることは、人には許されないことだと、信仰者は考えます。
ですから、危険にさらされている命を守るように、たとえ直接の行動が難しかったとしても、そういう現実があるのだと言うことを知り、その認識を通じて、それぞれの国が何らかの行動をとるように促していくことは、共通善に彩られた良い世界の実現に少しでも近づくために、大切なことだと思います。
旧聞になりますが、7月16日の午前11時から、大阪教区のカテドラル玉造教会で、二人の補佐司教の叙階式がありました。またこのミサは、前田枢機卿様の親任報告と感謝のミサでもありました。
今更言うまでもなく、とても暑い日でした。玉造教会にはエアコンがないので、氷柱と扇風機を各所に配置。たしかに「エコ・フレンドリー」と言えないこともありませんが、しかしあの気温と湿度では、身の危険を感じるほどです。
司祭のシャツの上にアルバ(白衣)をつけ、さらにカズラ(祭服)。頭にはズケット(赤い丸帽子)とミトラ。ミトラをつけるとこれまた暑く、ミサ中は頭から玉のような汗が流れておりました。冷たいおしぼりと水を大量に用意してくださった関係者に感謝です。(写真下、ミサ後の酒井司教)
叙階された方々も大変だったと思いますが、何よりも前田枢機卿が、式後に、あの緋色の枢機卿正装で、炎天下のテントを挨拶して回 ったのは、体重が減るほど大変であったと思います。
式中にはもちろん、前田枢機卿の俳句披露もありました。配られたカードに記された、ローマでの親任式翌日のミサの時の句です。
「緋色受く 五島椿や ペトロ祭」
酒井司教様、アベイヤ司教様、おめでとうございます。
日本の司教団は17名です。新潟が決まれば18名になります。私より先に司教になったのは5名だけとなりました(高見大司教、大塚司教、梅村司教、松浦司教、宮原司教)。また今回の任命で、修道会と属人区出身の司教が増えました。わたし、バーント司教、アベイヤ司教、酒井司教、山野内被選司教の5名です。司教団の構成が大きく変わろうとしています。どうか日本の司教団のためにお祈りください
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
2018年7月31日
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カテゴリー : 菊地大司教
七月も終わりに近づき…
I神父さま、メールをありがとうございます。 ローマ・ポーランドの 少し長めの出張から帰ってきて、猛暑+会議、行事、原稿(閉め切り過ぎ!)…で、その時々を ♪わた しの望みではなく、あなたの望みどおりに、あなーたの願いどおりに、わたしにーなるように…♪」という T神父さまの歌を口ずさみながら生きている、という感じです。
ちなみに、この、歌の繰り返し部分、覚えやすいし、何も考えられなくなったときに(暑くて頭が真っ白になったときなど)、よく歌っています。
「ローマ・ポーランド出張報告」も、ざっと書き留めたものの、まだ完成していません。後になったら忘れてしまうだろう、新鮮な印象、大切だと思ったことを、記しておきたいと思うので。落ち着いて書くことが出来るころには、その時の感動は色あせてしまう、今、書かなければ…と思いながらも、なかなか時間がなくて。
今度の『日本カトリック神学院紀要』第9号のために、「教会の母マリア」の名称についてまとめています。ローマに行った時、恩師のサルバトーレ教授が、発表前の自分の小論文を「参考にしなさい」と、わたしにくださいました。
恩師はありがたい!ほんとうに。日本ではアクセスが難しい、膨大な資料を駆使しての論文ですから。サルバトーレ教授の研究をもとに、日本の教会のため(大げさに聞こえますが、わたしなりに気合を入れて)、少しでも役に立てばと、書いています(というより、「あともうちょっとで終わり」というところで、じっと机の前に座れる時間が少ないのが現状です)。
その原稿、締め切りを過ぎているので、編集作業をしてくださっているO神父さまに、遅れていることをお詫びするメールを書きました。O神父さまからは、自分もまだ、なかなか編集作業に取り掛かれないから、いいですよ、と寛大な返事をいただきました とはいえ、出来れば8月始めには書き終えたいと思います。時間をかければよい論文が書けるというわけではない、区切りとけじめも必要だ、と、これまたサルバトーレ教授の言葉です。
たくさんの限界があるわたしですが、いつも、主の望みに対して、素直で謙虚、率直でありますように!と祈っています。
暑い夏、I神父さま、シスター方、信徒のみなさんの、心と体の健康を祈りつつ...
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
わたしが修道院の門を初めてくぐったのは、今から60年以上も前のことである。戦争で東京も廃墟と化し、通っていた学校も講堂を残して全焼した。だから授業も午前と午後に分かれて二部授業が行われていた。なにをするでもなく時間を持て余していた。
そんなある日、「公共要理の勉強に行かないか」と、一人の学友から誘われた。「勉強」と聞いたわたしはとびついた。公共要理と言う言葉をまだ知らなかったから、代数や幾何学、国語などが学べると思ったのだ。放課後、行く先も知らずその友の後について歩いた。そして目的地に着いた。
近くまで戦火に見舞われているのに、立派な門構えの家が建っている。門の中に入ったわたしは度肝を抜かれた。青々と茂った大きな木々、話すのも控えたいような沈黙と静寂。修道院と聞いてわたしは緊張していた。恐ろしく緊張していた。
玄関までの砂利道を黙って歩いた。玄関を入り、シスターがいらっしゃるまで、ここに座って待つようにと勧められた椅子にも座らず直立不動でシスターをお待ちするほど程緊張していた。やがて美しい外人のシスターがにこにこしながら出ていらして挨拶し、会話が始まった。
わたしは緊張のあまり、シスターが何語を話していらっしゃるのか分からなかった。外国語と思いこんでいた。気持ちを落ち着け注意して聞いて、日本語だと分かった。
戦争に負けて街全体が焼け野原になった東京に、こんな清らかですがすがしい感じのするところがあったのか。大発見したわたしは、心が洗われたような思いで、また訪れることを約束して修道院を後にし、言葉に出せない深い幸せ感に包まれて家路に向かった。
その夜、わたしの心は満たされていた。何で?と聞かれても分からない。お布団に入っても眠れない。人生で初めて足を踏み入れた修道院で見たこと、聞いたこと、感じたことすべてがわたしの頭の中で走馬灯のように映し出され、心が平和と喜びに溢れた。
翌日、学校に行った。数人の友に、前日経験したことを語った。みな興味を示した。大好きだった代数や幾何学が学べなくてもよい、早口だけど日本語で話してくださる外人のシスターのやさしい笑顔に触れながら過ごす時間は、戦争や戦災で傷つき、これからの人生に対する夢も希望も見つけることの出来ない殺伐とした心を癒し、満たしてくれた。わたしは大きな宝を見つけたような思いで前日の出来事をあれやこれやと語った。
そして放課後、前日行ったところに自然に足が向いてしまうのを止めることは出来なかった。叱られるのを覚悟で、2・3人の友を連れて修道院を訪れた。前日シスターのやさしい笑顔に癒されたわたしは、その日はそれほど緊張していなかった。ただ二日も続けて来ることにお小言をいただくことだけは覚悟していた。
ところが・・・わたしたちをご覧になったシスターは両手を広げて歓待して下さった。緊張は一気に消え、嬉しさと喜びが込み上げてきた。そして、早口ではあったけれど、話される日本語はよく理解できた。「またお待ちしています」。
内容はよく分からなかったけれど、キリスト教について話してくださったシスターのやさしい心に触れて、その日も修道院を後にした。その日も前日のように、言葉に表すことが出来ない喜びと幸せ感に、心は満たされていた。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)
2018年7月29日
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カテゴリー : Sr石野
ペルシャの大詩人ハーフェズの詩に常に登場する美女と葡萄酒は、神の愛を求める修業人生の体験を象徴的・詩的に描写するめのシンボルに過ぎないのか、それとも実人生でもそのような恋愛を経験し、葡萄酒を嗜んでいたのだろうか。
ハーフェズは妻や子をこよなく愛したと伝えられるが、妻以外の美女たちとも関わりがあったのかは、あまりよく分からない。何せ五百数編の詩しか残っていないのだから。ハーフェズの詩は、神への愛を美女との恋に託してその愉悦と苦痛とを描いているが、自由な恋愛が行われる時代でも社会でもないことを考えれば、現実の描写というより、詩的表現のための工夫と考えざるを得ない。
それにしても、その描写は迫真に迫っている。その中でよく問題となるのは葡萄酒である。古来議論の分かれるところであるが、イランの革命後は、イスラームが禁じる酒はご法度である。したがって、イランの専門家に聞いても歯切れは悪い。ハーフェズは実際には酒は嗜まず、あくまで象徴的に葡萄酒のもたらす陶酔感を神との一体感にたとえたもの、という議論になる。
ハーフェズがこよなく愛した故郷シラーズは、ブドウの産地である。葡萄酒こそご法度であるが、イランでは今でも葡萄自体は普通に手に入る。シラーズの葡萄酒がおいしかったことは、シラーズ種の葡萄のワインが、今でも世界で嗜まれることで分かろう。
ハーフェズの時代に葡萄酒が嗜まれていたことは、すでに紹介した下記の詩句からも明らかである。
「美しき娘よ 公正の酒壺から葡萄酒を小さな杯に分けてくれ 乞食(紳士に道に励む者)が 世界をひっくり返さないように」
当時、「公正の壺」と言われた葡萄酒壺があり、支配者が商人に対して税を胡麻化すことがないよう、この壺を使って店にある葡萄酒の量を測り納税額の基準としていたことが知られる。
また、「忘れはしない 我は裏庭に住し(真摯に道に励む)(神に)酔うていた(自己滅却)今我のいるモスクにないものが そこにはあった」(カッコ内は訳者注)。本来、神を求めて自己滅却を目指す導師や修行者が、神への恋の道(徳)を説く傍ら、自己の欲望にふけるさまを嘆き糾弾するものであるが、ここでのハーフェズは、葡萄酒に酔っていたわけではない。あくまで、真摯な修行を通じて神との融合に愉悦・陶酔していたのである。むしろ、導師や同僚の修行者が、人目を盗んで葡萄酒を飲んでいたのであろう。
それならば、ハーフェズは葡萄酒を飲んでいなかった、と言い切れるであろうか。実はそうとも言えないような気がする。
「葡萄酒のもたらす至福を想えば 本源(万物の主、神)の巧みさが知れる バラの花びらの内で密かに バラ水が育まれるように」
ここでいうバラ水とは、アルコールを含まないバラのエキスで、今でもイラン(カーシャンという町はバラ水で有名)で作られている。バラのエキスは、バラの花びらがつぼみから開花していく過程で、人からは見えはしないが徐々に育まれていく。自然の妙であり神の力のなす業、それは葡萄酒についても同じである。
葡萄酒(味のみならず、香り色すべてを含めて)を本源(創造主)の巧みな力を示すものととらえているが、その味わいを自ら経験することなくそうまで言えるのであろうか。
これまでは、ハーフェズの得意とした「ガザル」という短編の詩形式の一部の詩句を引用して紹介してきたが、次回にはガザル一遍全体を紹介する。ハーフェズが、実際に葡萄酒を飲んだのか飲んでいなかったのか、参考になろう。
(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)
(駒野欽一=元イラン大使)
2018年7月29日
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カテゴリー : 駒野大使
ある夕刻、 書院勤務を終えていつものように渋滞の中を帰途に着きました。
タイでの生活で、感心する事は多々あります。不便を改善せず、 苦にせず、文句を言わず、面倒がらずやる、延々と待つ。 日本人の感覚では一つ一つが苦情の対象。
また、それぞれのやる事なす事に干渉しない。 無関心と言えば語弊があるが、自分の衣食住を悠々と、 人の目を気にせず思うままに営む。清々して、 自分を出して生きられる環境、日本から来た人々が「『 監視カメラから解放』された体験をしている」と言う、 正にその通り。
かと思えば、誰かが倒れれば必ず走り寄る、 困った人への素早く、優しい配慮。 タイの人々の「われ関せず」ではない気持ちに胸が熱くなります。
その日も、 バスを降り大通りから修道院のある路地に差し掛かると、 ちょっとした人だかり。 近づいて見ると、足首に怪我をしたおじさんを囲んで、 どくどく流れる傷口を何とか処置しようと駆け寄ったところ。
「何の役にも立てそうもない」と、通り過ぎようとした私。その日に限ってタオルを持っていたのを思い出し、彼の 傷口にタオルをしっかり当てて、病院に辿り着くまでの応急手当。 後は近所の人に任せて修道院へ帰り、 カバンを置いて急いで夕飯の仕度。 夕食時の話題の一つになりました。
思い出すと、今でもうれしい気持ちになります。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
2018年7月29日
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カテゴリー : Sr阿部
スイス・ジュネーブの町は涼しい。とりわけ、その高台にある世界保健機関(WHO) の本部は、美しい森の中にあるたたずまいだ。しかし最近の約3か月間、ここで働くメディカル・オフィサーたちの目は、遠くヨーロッパの外に向けられていたに違いない。
7月24日、ようやくの終息宣言にほっと息をついた。数年前の 「悪夢の再来」を懸念させるように拡大したアフリカのエボラ出血熱のことだ。
WHOは今年5月8日、アフリカ中部のコンゴ民主共和国(旧ザイール)で、エボラ出血熱の感染を確認したと発表した。7月9日までに 人がエボラウイルスに感染し、このうち疑い例も含めると29人が死亡。致死率は実に76%に達している。
2014年から16年にかけて、アフリカが史上最悪とされるエボラ感染を経験したのは記憶に新しい。前回のアウトブレイク(集団発生)では、ギニア、リベリア、シエラレオネの西アフリカを中心に約2万8000人が感染し、約1万1100人が死亡した。同じ時期、コンゴ民主共和国でも66人が感染し、少なくとも49人が死亡したと報告されている。同国に限って見れば、今回の感染拡大は前回と同じ規模の被害に迫りかねないものだった。
とりわけ今年のエボラ感染では、都市部でウイルス被害が広がっている事実が早くから報告され、WHO が警戒を強めた経緯がある。
エボラへの感染は、同ウイルスに感染したサルやコウモリ、ヤマアラシなどの野生動物やその死骸にヒトが触れるところから始まると見られている。つまり、初期段階のヒトへの感染は、森の周辺で発生する。過去に感染が確認されたケースでも、患者の発生が辺境の村落にとどまった事例も多い。
WHOによると、今回も当初は、都市部から150キロ以上離れた森林地帯に患者が限定されていた。ところが発生確認から1週間もたたない5月中旬、感染疑いの患者が同国北西部の主要都市ムバンダカで隔離される事態となった。
ムバンダカは、首都キンシャサと結ばれる空港を持ち、約120万人が住む大都市だ。感染拡大の不安が一気に広がったものの、 WHOや医療援助団体などの尽力で 開発中のワクチンを住民ら3300人以上に接種し ギリギリのところで食い止められた。
今回のエボラ感染では、医療関係者の間で懸念された点がもうひとつある。それは、アメリカ・トランプ政権のスタンスだ。今回のエボラ感染例が発表されたのと同じ5月8日、トランプ大統領は議会に対し、政府事業の見直しや予算削減を盛り込んだ法案を提出した。その中には、前回の被害を受けて創設されたエボラウイルス感染対策用の基金2億5200万ドルをそっくり削減することも盛り込まれていた。
基金は、アフリカ諸国に米兵を派遣する態勢を維持したり、ワクチン開発や感染防御対策を進めたりするための貴重な財源だった。削減の意図は明らかにされていないが、「アメリカ・ファースト」の一貫であると指摘されている感染症のアウトブレイクは、世界のどこで、いつ起こるか分からない。今回のエボラ感染は、トランプ大統領の見識の欠如が最悪のタイミングで露呈する寸前だったとも言えるだろう。
「次」が今回と同じ程度で収まるとは誰にも保証できない。あの涼しいジュネーブでWHO本部の仕事をいっときお手伝いした経験を思い起こし、震える思いでいる。
(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=が、7月12日に文庫化されました クレーム集中病院を舞台に医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中)
2018年7月26日
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カテゴリー : Dr.南
司教総会が終わった翌金曜日夕方の便で、フィリピンのマニラへ飛びました。アジアの司教協議会連盟(FABC)関係の会議に参加するためです。
マニラ空港の混雑でなかなか着陸できず、夜の9時前のはずが到着したら10時過ぎ。外へ出てタクシーを待ってさらに1時間。会場は結構空港からは距離的には近いはずのパコという地区にあるマニラ教区のピオ12世カトリックセンター。司教総会など大きな会議や研修会の開かれる宿泊できる施設です。これがまたマニラ湾沿いの道は大渋滞で、空港から1時間以上。結局宿舎に到着したのは真夜中12時過ぎでした。空港で並んで乗ったイエロータクシーのドライバーは、親切に開いている入り口を探してくれました。
会議はFABCのOHDというセクションの会議。OHDは「人間開発局」と訳されています。わたしはそこの委員であるとともに、協働するはずのカリタスアジアの責任者としても呼ばれました。
OHDはFABCができる以前に、社会活動に携わっていた司教や司祭や修道者、信徒の話し合いの中で1969年頃にフィリピンで誕生した組織で、1970年以降はFABCの一部門となりました。それでも誕生の経緯から、マニラに実際の事務所を構え、独立した組織として運営されてきました。故浜尾枢機卿様も、OHDの責任者を務めたことがあります。
わたしがカリタスに関わるようになった90年代後半までは、OHDの責任者がカリタスアジアの総裁を兼務していましたので、両者は協力しながら活動を進めてきました。ところがアジアのカリタスに関わるメンバーたちの希望で、1999年に、カリタスアジアはOHDから独立した組織となっています。
その後、紆余曲折があり、人材を見つけることもできない事情もあり、OHDを今後どのように運営していくのか、また事務所をこのまま運営するのかが、この数年の大きな課題でした。今回の会議は、これにめどをつけて、次の3年の計画を明確にすることにありました。
集まったのは、FABCの会長を務めるボンベイのオジワルド・グラシアス枢機卿。その補佐司教で、OHDの秘書を務めるアーヴィン司教。タイで難民救援組織に長年関わるピブル司教。そしてカリタスアジアを代表して私。加えてバチカンに新しくできたタクソン枢機卿の人間開発の部署から難民と移民セクションのアジアコーディネーター、ムラヤマさん。気候変動の専門家であるノエリン博士。そして香港のFABC事務局から司祭が一人。
少しは将来の方向性を定めることができたと思いますし、今後のカリタスアジアとの長期的な協力体制にも目処をつけることができたのではないかと思います。
私は明日の大阪での補佐司教お二人の叙階式に行かなくてはならないので、日曜日午後の便で早めに失礼することに。羽田行きの全日空便は午後2時40分の出発ですが、この土日は、マニラ市内で、キリスト教系の新興団体イグレシア・ニ・クリストが大規模集会を開催し、主な道路が閉鎖されることになっているのだとか。日曜とはいえ、大渋滞が懸念されていました。どうなるかわからないので、会議場の車で送って頂くことに。10時に玄関にやってきた車の運転席には、私が見た感じでは80歳ほどの超ベテランです。街の裏の路地のようなところを右に左にと走り抜け、最後は高速道路で、結局、40分で空港に到着。さすが、道を知り尽くしているベテラン。感謝でした。(2018年7月15日記)
司教総会開催
7月9日から12日まで、日本のカトリック司教団の司教総会が、東京のカトリック中央協議会で開催されました。議事が思いの外早く進み。13日昼までの予定が、12日夕方で終わりとなりました。
今回は、この数週間の間に教皇様から新しく任命された4名の被選司教たちと、開催直前に引退が受理された郡山司教、そして後任が任命されたさいたま教区管理者の岡田大司教も加わり、19名の参加となりました。
11日の水曜日夕方には、場所をイグナチオ教会に移して、司教団主催で、ペトロ岐部と187福者殉教者の列福10周年と列聖祈願ミサを捧げました。司式はこのたび枢機卿の親任された大阪の前田枢機卿。教皇大使のチェノットゥ大司教も参加されました。
また、このたびの西日本豪雨災害で亡くなられた方々の安息と、被災された方々のために、ミサの中で祈りを捧げました。聖歌隊で奉仕してくださったイエスのカリタス会のシスター方、イグナチオ教会の皆様、ありがとうございました。
災害の発生中に司教総会があったこともあり、急遽でしたがわたしが起案して、豪雨災害で被災された方々へのメッセージを司教団として発表することができました。司教団の名前で出すメッセージは、司教全員の賛成が必要であるため、よく見ていただくとわかりますが、多くのメッセージはそれ以外の名称、つまり会長個人や、常任司教委員会や各委員会の名前で発信されています。今回は即座に賛成が得られたので、頂いた意見を基に加筆して発表メッセージとなりました。
カリタスジャパンは、被災された教区の担当者と連絡を取りながら、教会としてできることへ取り組むために動いているところです。(2018年7月14日記)
カリタス・ウガンダのンダミラ師の講演など
*十数年前、ンダミラ師に会いにウガンダまで
カリタスジャパンと長年のパートナー関係にあるアフリカのカリタス・ウガンダ。私が司教になる以前、2003年頃に初めて訪問したのは、当時、あまりにもたくさんの援助申請書がウガンダから届くようになり、添付の推薦状が同じ人物のはずなのに、どれもこれも署名の字体が異なる、という事態に直面したからでした。その署名の人物の名前はモンセニョール・ンダミラ師。これは本人に会って確かめなくてはと、ウガンダまで出かけました。
カンパラ郊外のエンテベ空港まで迎えに来てくれたンダミラ師は、笑顔の優しい神父さんでした。早速、彼の事務所で、持参した推薦状のコピーを見せながら話をすると、どれもこれも偽物。まるで本物のような司教協議会のレターヘッドの偽物までありました。
そのときに合意したのが、ンダミラ師の事務所と直接やりとりをして、現地で進められるプログラムをカリタス・ジャパンで支援すること。いわゆる持続可能な農業の様々なプログラムを中心に、それ以降、今に至るまで、カリタス・ジャパンはンダミラ師の率いるカリタスウガンダを支援してきました。カリタス・ジャパンからも、毎年現地視察に出かけ、日本からの支援が生かされている現状を確認してきました。
その後司教になった後に一度、ンダミラ師と一緒に、ウガンダ北部のグルへ出かけ、当時激化していた内戦とそれに伴う国内避難民の様子を、特に子どもたちの状況を中心に視察に出かけたことがあります。
グルのオダマ大司教は、国内避難民の子どもたちの保護に奔走し、反政府勢力と政府の和平の仲介になったりと、国際的に知られた人物です。そこで、農業支援に取り組む時とは異なる、平和構築に真摯に取り組むンダミラ師とカリタス・ウガンダの姿を見ることになりました。現時点では、ウガンダ北西部で、南スーダンからの難民への対応に当っておられます。
カリタス・ジャパンは、国際カリタスが昨年から推進する難民や移住者への理解を深め、排除することのない世界を築こうという「Share the Journey・排除ゼロ」キャンペーンに積極的に関わっています。司教協議会の難民移住移動者委員会とも連携し、様々な企画を行っています。ちょうど6月の末が、国際カリタスの進める世界的行動の週であったことから、日本での企画を考えました。
*ンダミラ師を招いて、アフリカの難民や移住者の現実を
そしてカリタスジャパンとの長年のパートナーとして信頼関係にあるンダミラ師を招いて、アフリカの難民や移住者の現実についてお話をしていただくことになりました。
講演会を一つだけではもったいないので呼びかけたところ、聖心女子大学のグローバル共生研究所の協力が得られ、同研究所との共催で、7月6日夜に、ンダミラ師の講演と、学生さんとのクロストークのイベントが開催され、100名を超える方々に参加していただきました。会場はかつてJICAの海外青年協力隊の研修所だった広尾の聖心女子大学の建物です。中心になって動いてくださる大橋正明先生は、シャプラニールをはじめ海外で活躍する多くのNGOに関わって来られた方です。
学生の皆さんからも、様々に興味深い質問をいただき、ンダミラ師のお話を皆で深く聞く機会となりました。ではもったいないので呼びかけたところ、聖心女子大学のグローバル共生研究所の協力が得られ、同研究所との共催で、7月6日夜に、ンダミラ師の講演と、学生さんとのクロストークのイベントが開催され、100名を超える方々に参加していただきました。(7月6日記)
*東京教会管区アクションデーを関口で:7月8月の予定
翌日、7月7日は、難民移住移動者委員会と共催で東京教会管区アクションデーを関口で行いました。これには遠くは札幌教区からも参加者があり、300人近い方が集まりました。東京教区の国際センターCTIC所長の高木健次神父がスタッフも動員して準備に奔走してくださいました。感謝です。
午前中は私の導入の後、私が質問してンダミラしに答えていただく形でお話を伺い、さらに難民や移住者としての当事者の方々3名のお話を伺い、キャンペー
ンの趣旨に則って一緒に昼食を分かち合い、午後はワークショップ。そして3時からカテドラルで国際ミサとなりました。ミサは基本は日本語でしたが、歌は、特にインドネシアの方々を中心とした素晴らしい聖歌隊が歌ってくださり、共同祈願も各国語で。多くの人が様々な役割を担うミサとなりました。
参加してくださった皆さん、準備してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
移民や難民として流入してくる人たちが、世界各国で増加するにつれ、どこの国でも排斥する傾向が強くなっています。それに対して教皇フランシスコは、手を広げて迎え入れようと呼びかけます。様々な理由で人は旅に出るのですけれど、自分自身の毎日と照らし合わせて考えてみれば、今の生活を捨てて旅に出ることは、簡単な決意でできることではありません。多くの人が重大な決断のもとに旅に出ます。その人たちを、迎え入れようというのが教皇フランシスコの呼びかけです。
同時に、そういった人たちを受け入れることを難しくしているのは、相手を知らないからだとも、教皇は指摘されています。知らないから不安になり、排斥に進むのだと。だから理解するためにも互いに知り合おう、互いの旅路を物語を分かち合おう。食事を分かち合おう.そこから相互の理解が生まれるのだと、教皇フランシスコは呼びかけています。
このキャンペーンも、まず互いに知り合って理解を深めようとするキャンペーンです。ンダミラ師はあと数日は日本に滞在され、今週初めには、名古屋の南山大学でも話をされることになっています。
あっという間に関東の梅雨は明け、真夏のような7月が始まっています。7月と8月の主な予定を記しておきます。
7月4日 ペトロの家司祭ミーティング (朝)
7月5日 常任司教委員会 (10時、潮見)
7月5日と6日 神学院常任司教委員会 (東京キャンパス)
7月6日 カリタスウガンダ講演会 (聖心女子大学)
7月7日 排除ゼロキャンペーン・アクションデー (午前中、関口教会)
7月7日 国際ミサ (キャンペーン行事) (15時、東京カテドラル)
7月8日 下井草教会堅信式 (9時半、ミサ)
7月9日~13日 司教総会 (潮見)
7月14日 FABC/OHD (アジア司教協議会連盟人間開発局)会議 (全日、マニラ)
7月16日 大阪教区司教叙階式 (11時、玉造教会)
7月17日 新潟教区顧問会など (全日、新潟)
7月18日・19日 東京教会管区会議 (札幌教区)
7月21日 宣教司牧評議会 (14時半)、永代働く人の家 (夕方)
7月23日 HIV/AIDSデスク会議 (13時、潮見)
7月24日 ペトロの家運営会議 (14時)
7月25日 マリアの宣教者フランシスコ会瀬田修道院 (午後)
7月26日・27日 聖体奉仕会 (秋田)
7月29日 豊四季教会英語ミサ (14時)
8月3日 日本カトリック医療施設協会全国大会 (都内)
8月11日 平和旬間行事、平和祈願ミサ (14時、イグナチオ、18時、東京カテドラル)
8月12日 平和旬間行事、ミサ・講演 (10時、上野教会、18時半、立川教会ミサのみ)
8月15日 聖母被昇天祭
8月17日 新潟教区保育者研修会 (新潟)
8月19日 宮古教会ミサ (岩手県宮古)
8月21日 EWTNインタビュー収録 (午前中)
8月22日 生涯養成委員会 (夕方)
8月24日 仙台教区サポート会議 (10時、仙台)
8月25日 神言会宣教事務局講演会 (13時半、吉祥寺教会、16時ミサ)
8月27日 カリタスジャパン事務局会議 (9時半、潮見)
8月28日 カリタスジャパン会議 (午前午後、潮見)
8月29~31日 教区神学生合宿
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
2018年7月12日
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カテゴリー : 菊地大司教
過日このコラムで、ヴェトナム出身でカナダの大学教授の証言として、ヴェトナムなどいわゆる「仏領インドシナ」を植民地支配したフランス国家は「偉大な大帝国」でありましたといい、その規範として、植民地支配の公文書を細大漏らさず、フランス本国の公文書館に収蔵保管公開しているという主旨のことを書いた。
その証言にいささかの間違いも無いことを、7月6日の『日本経済新聞』が主要6カ国の歴史と現状を図式化して比較掲載しているのを見て、あらためて確認することが出来た。
日米英仏独韓のうちで、フランスは公文書館の設立においてダントツの1790年と最古であり、収蔵品のうちでも、「植民地資料」を項目立てしている国として唯一である。
フランスに続いて古いのはイギリスの1838年であるが、かって地表の4分の1を支配した大植民地帝国であった大英帝国時代があったにもかかわらず、フランスと同じく「政府機関公文書」という項目立てはあっても、フランスのような「植民地資料」という項目立てはない。
設立順位において第3位以下は1919年のドイツ、1934年の米国、1969年の韓国と続き、日本はドンジリの1971年である それも国際政治学者、外交史研究者、各種学会など国の内外からの長年にわたる日本政府への要望の積み重ねの結果といえた。
所蔵量ではアメリカが1400キロメートルと1位である。韓国が366.5キロメートルで第2位であり、第3位のフランスの350キロメートルを越えている。それは「大統領記録」という韓国にあって、フランスに無い項目立てのためでもあろうか。
それにしても、日本は収蔵量が62キロメートルといかにも僅少であり最下位というのは、文明国としての資格にかけるところ大とせざるを得まい。
その原因を忖度してみれば、「有能な官僚で日本の政治は動いている」という伝説に行き着く。官僚側から「公文書館の設立を」という提言があったということを聞いたためしがない。
じっさいこの一年間に国会で起ったことを思い出してみれば、まさにその「有能な官僚」こそが、公文書の「保全」よりも「破棄」の方向に傾きがちであることが分かる。責任の所在を明示できないようにする方向で業務を遂行しているということになる。 つまり「有能なる官僚」とはそうゆう事だったのかな、と考えてしまうことになる。
それが日本の政官関係であり、一般社会と国民の平穏無事な印象に貢献してきたのであろう。しかしこの日本にも、怪しげなポピュリズムで政治を壟断しようと画策しているように見える人物がいないわけでもない昨今の事、ご用心ごようじんと警告しておくのもいいだろう。
(2018 7 10記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)
2018年7月11日
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カテゴリー : 三輪先生
2018年7月4日
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カテゴリー : 菊地大司教
バンコクの 女子パウロ会はドンムアン空港の東、サパンマイ地区、 大通りにはBigC 百貨店、大きな市場、商店街が並ぶ便利な生活圏にあります。 交通網はバスですが、数年前からスカイトレイン(“ 空中”を走る電車)の延長工事で渋滞改修の為の酷い渋滞…もう暫くの辛抱。
私達の使命はメディアを通して人々に福音をもたらす事。 タイ語の出版は、書籍45点、視聴覚CD、 DVD、 VCDが合わせて25点程になり、 人々の心に福音を届けながら着実に歩み続けています。 教会外の人々を含めた対象を常に考慮し、 タイの人々の好みに合った、 ピリッと効いた甘みのある味付けで出版しています。
セントルイス カトリックの総合病院内にパウロ書院があり、 小さな宣教の拠点になっています。タイ語、英語、信心用具、 聖像など、タイ社会の要望に叶う奉仕に努め、 日本語の書籍コーナーも設けています。
在タイの日本企業は多く、在留 登録している日本人だけでも4万人近いと思います。 これはと思う書籍を選び、機会あるごとに紹介し、役立てています。 一冊の本との出会いがもたらす恵みを考え、 祈り込めて待機しています。
先日も、大学の日本語科教授のお母さん( 85歳で末期がんの痛みに耐えておられる)に「何か良い本がないか」と教授の親友が書院へ。日本語が解らないので、 家で編集の仕事をしていた私に連絡があり、LINE- Videoで本の紹介、 星野さんの詩画集と晴作久神父の説教集を選び贈物。後日、 娘教授のメンセージを添えた感謝と喜びの知らせがありました。 子供のような喜びの笑顔で、 本を抱いて読んでいるお母さんの写真も添えてありました。 癒しと喜びをもたらした書物、暫くして更に3冊、 その後日本に帰ってホスピスに入る事に決めたので、 最後のプレゼントにと来院。
魂に届く福音の良薬は、苦味なく喜びと癒しをもたらす。 バンコクの片隅で、 今日も人々と福音との喜びの出会を祈りつつ励んでいます。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
今年度、神学校の授業が終わり、毎年のように、感謝・反省・祈り…という気持ちです。
わたしなりに全力を傾けるので、ホッとして、感謝。同時に、自分の(いろいろな意味での)足りなさが見えて来るので、反省。さらに、短い間とはいえ、関わってきた神学生たち(すでに司祭になっている方々も含め)のために、祈る。
何を祈るかというと…主よ、あなたの望みが行われますように!… そして、すべての司祭を、主の母マリアの、母のご保護に委ねて…
7月4日から18日までの2週間、ローマ出張と、ポーランドの共同体訪問です。ローマでは、アジアとオセアニアのマリアン・アカデミー(MAAO)の責任者、デニス神父との話し合い。教皇庁立国際マリアン・アカデミー(PAMI)長官、神学院での先輩、ステファノ神父に相談ごと。そして、わたしの博士論文担当教授だったサルバトーレ・ペレッラ神父を母校に訪問…。
ポーランドの、わたしたちの修道会の共同体(ストラホチナという小さな村にある)のシスターたちは、今、黙想会や巡礼に訪れる人々への奉仕で忙しい時期とか。でも、どんなに疲れていても、シスターたちは、マリア論の話を聞きたがる。わたしの方も、まさに「イエス・キリスト中心」を、日々の生活の中で生きている-祈り・奉仕…-シスターたちに、学ぶことが多くあります。
どのような「旅」になるのか…
祈りは、いつも同じです
…主よ、あなたの望みが行われますように!… …聖母よ、わたしの中で「みことば」が実現するよう、助け、守ってください!…
*海外出張前・・定期健診
健康診断で、骨が弱いと言われた。「あなたの年齢に対して、骨は、20歳くらい年を取っていますよ(!)。転んだら骨を折るかもしれないから気を付けてください。今から、薬を定期的に飲むことをお勧めします」…。
ということで、生まれて初めて「定期通院」を始めた。約一か月に一回、薬をもらうために、お医者さんのところに行く。優しいH先生は、「一か月、どうでしたか?何かあったら、何でも言ってくださいね」と言ってくださる。
「あの~、骨とは全く関係ないのですが…」「いいですよ、何でも言ってください」…そこで、わたしは、H先生に、お腹をこわしたとか、風邪を引いたとか、海外出張の後、時差ボケで眠れないとか、ほんとうに骨とは全く関係ないことを「報告」する。H先生は「薬を出しましょうか?市販の薬よりも安いですよ」、と丁寧に処方してくださる。
ということで、わたしは今、一か月に一回、健康チェックをしていただいている。自分ではよく見えないことも、お医者さんのH先生には見えるみたいだ。何度も行くうちに、わたしの体の傾向、癖(?)なども分かるのだろう。
この前、風邪を引いたときは(そのくらいでは普通、病院には行かないが)、たまたま「定期通院」の時だったので、それを言ったら、「どんな症状ですか?咳が出ますか?のどが痛いですか?…」と、わたしの状態に合った薬を処方してくださった(それも、毎食後、四錠!あまり薬を飲まないわたしにとっては、何だか病人になった気分)。さすがに、病院の薬(?)。効き目は早かった。
***
月一回の、体のチェックが、こんなに大切だとは思わなかった。もっと目に見えない「心」のチェックは、もっと大切だな、と思った。放っておけば、どんどん流される。奉献生活者といえども、ぼ~っとしていたら、この世のロジックに簡単に振り回される。
だから、祈り、なんだ。だから、奉献生活者は、日に数回、特に、朝、昼、晩、聖堂に、イエスの前に集まって、共同で、祈る。
「共同の祈り」が始まる、少なくとも五分前には聖堂に行って、心を整えなさい、と言われる。バタバタと聖堂に入って、すぐ、共同の祈り、ではなく、仕事を後ろに残して、聖堂に行って、自分の席に座り、十字架の印をゆっくりとする。「主よ、あなたはわたしに、今、何をお望みですか?」「聖母マリア、わたしが、どんな逆境にあっても、あなたのように、ひたすら主の望みだけを求めていけるよう、助けてください」と、ゆっくりと祈る。
朝、昼、晩、心の「チェック」をする。一日の終わりに、心のチェックをする。毎月一回、心のチェックをする。…
教皇フランシスコは、「識別」について話すとき、先ず、主の前で、主のみことばに照らして、自分自身の心を見つめたら、今度は、周りにいる「知恵ある人」と対話、相談しなさい、と言う。知恵ある人とは、聖霊に導かれて、霊の識別をする賜物をいただいている人のことで、若くても、そのような人はいる、とパパは言う。体のチェックを、お医者さんにしてもらうように、心のチェックを、先ず、主の前で、そして、知恵ある人にしてもらう。
その時、大切なのは、(体のばあいも、心のばあいも)嘘をつかない、率直であることだろう。良く見せようとしたり、言い訳を先に並べたりすると、だんだん、嘘になってくる。言葉で表現するのが恥ずかしいことであればあるほど、聖霊に祈りながら、率直に、そして安心して、心を開く。
「知恵ある人」といっても(魔法使いではないので)、わたしが心を開かなければ、何がそこにあるのかは見えないだろう。わたしも、わたしを助けてくれる人も、みな、主の霊の協力者だ-と、わたしはイメージする。
「すべてのものを一つに集める」キリストの霊。キリストの「集める」は、無理やりに、ではなく、自らをすべて差し出し、降り尽くした方の「集める」だ。
わたしの、月一回の、心の「チェック」は、そのキリストの心との「ぶれ」を認めることから始まるのだろう。だから、謙虚、柔和、忍耐、率直…
***
結局、海外出張前になっても、咳が止まらなかったので、またH先生のところに行った。「(出張が2週間なので)、念のため、2週間分、お薬出しておきましょうね。あとは、何かありますか?」と、いつものように優しい。「出張すると、時々、お腹をこわす…ことがある…」と言ったら、「分かりました、お腹の薬も2週間、処方しましょうね」。
***
こんなことで、よかったのだろうか、主よ、わたしはあなたの望みだけを求めているでしょうか、と祈っていたら、誰かから、ポン、と、言葉が来る。メールが来る。わたしの祈りについては、知らないはずなのに、あたかも、その答えのように。
***
神は、時に、ピリ辛で、時に優しさで、足りないばかりのわたしを、忍耐深く、あたたかく、導いてくださる。日々の何気ない出来事の中に、祈り求めていることの答えを見つける。
ご自分の民と、共に歩いてくださる神。本当に、十字架の傷をもって、傍らにいてくださる主キリスト。見えなくなったときに、いつでも、そっと、キリストに導いてくださる、聖母マリア。神との対話の中で、わたしを支えてくださる、たくさんの聖人、兄弟姉妹たち。
***
海外出張前と言っても、考えてみれば、わたしたち奉献生活者は、文字通り「着の身着のまま」で出かけられるはず。マリアの、エリザベト訪問のように。軽やかに、率直に、喜んで…。いつのまにか、あれも、これも…と、「旅慣れ」してしまったな~、と反省。
大切なものが見えなくならないように、単純に、素朴に生きたい。「あなたのことばが、わたしのことばとなるように!」アーメン。
*二週間の出張の前に…今朝の独り言…
いつくしみ深い父である神は…ご自分の「幸い」を共有するために…被造界を造り、人間を造った… 父である神は、ご自分が造ったものが、一つでも滅びることは、「幸い」に入らないことは、望まない…
「分からんちゃん」の人間(わたしたち)は、父である神の心はいざ知らず…「滅び」に向かう道にばかり行きたがる… でも、父である神は、ほんとうに、真に、「すべての人の救い」を望んでいる… その、父の「思い」「心」を、ほんとうに、真に実現したのが、「子」である神、イエス・キリスト…「時が満ちた」ときに… 父が「子」に託した「思い」は、さらに、「悪い奴を滅ぼす」ことではなく、「悪い奴のためにも、すべてを、いのちまでも差し出す」ということだった…
受肉から始まる、「神の降下-ケノーシス-」…どんなに、何度も考えても、思いめぐらしても、想像しても、祈っても…やっぱり「すごい」… 「神の降下」は、受肉で終わらない。それは、「過越-受難・死・復活-」にまで行く。
そう、「復活」でさえも、「降下」だ。東方教会の「復活イコン」は、「陰府降り」と呼ばれる。まさに、闇の中で救い主・メシアを待っていた、アダムとエバから始まるすべ
ての人たちのところにまで降っていく、メシア・キリストの姿だ。
キリストが「王」であるという真理は、十字架の「苦しむしもべ」の中に輝き出る。神の「力」「権力」は、滅ぼす力ではなく、救う力、まさに、「愛の力」だ。しかも、わけ隔てのない、「出来の悪い子らこそいつくしむ」父の愛の力だ。だから、「すべての人の」救い。
その、父である神の心、子である神の心は、十字架上のメシアの最後のいのちの息吹-聖霊-を渡された「教会」に受け継がれていく。
十字架のもとで、「すべての人」の母となる使命を受けた、「生まれつつある教会」の「原型」、イエスの母マリアを通して、キリストの「思い」は、単なる概念でも、象徴で
もなく、具体的に、リアルに、受け継がれていく。
「すべての人」の母となるよう呼ばれた、旧約の神の民、イスラエルの民。そのイスラエルの娘、マリア。キリストによって、実際に、ほんとうに、あがなわれた「すべての人」の母となるよう呼ばれた、キリストの民、教会。その「原型」、「初穂」であるマリア。マリアを通して、天地創造の「原型のペア-アダムとエバ-」から始まる、壮大な「契約」のプロジェクトが、引き継がれていく。最終目的、「天のエルサレム」、「完成、成就のペア-キリストと教会(神の民)-」に至るまで。
***
何を朝っぱらから、大きなことを考えているのか、と言われそうだけれど…。でも、これこそ、わたしたちが「共同体」で、今、わたしがいる、「この」共同体で、丸ごと、誰も欠けることなく、天の国に行くこと-神の永遠のいのちを共有すること-を、「真剣に」「本当に」心から望まなければならない理由だと、思う。
「わたしは天国に入りたい」「わたしは救われたい」「あの人も、救われて欲しい」「でも、あの人は、知らない」「あの人と一緒に、天国に行きたくはない」… そんなこと、口に出してはいなくても、時に、そう思っているかのように行動しているわたしたち。
「あんなことをする人は、神の救いに入らなくていい」「あんな恩知らず、滅んで自業自得だ」と、一瞬でも神が思ったなら、わたしたち誰一人として、神の国に入れなかった
だろう。悪魔の誘惑に負けて、ぼろぼろになったわたしたちを見捨てたなら、「神の降下」は、なかっただろう。神は、「降下」する必要など、なかっただろう。
「共同体」は、わたしの共同体は、みんなが聖人みたいだから救われるのではない。「わたし」も含めて、みんな、「欠けている」。その欠けているわたしたちが丸ごと、天の国に、神のいのちに、入る。わたしは、それを、本当に望んでいるだろうか?
***
先日、共同の祈りの先唱者(当番)が、祈りを間違えた(というより、その日にするはずではなかった祈りを始めた)。みんな、ちょっと、「あれっ?」と思った。新しく就任
した院長シスターは、助けを求めるように、きょろきょろ。オルガン当番だったわたしと、目が合う。
暗黙のうちに、「でも…いいよね。せっかく、祈りを始めたんだし、姉妹たちも、最初はちょっと心もとなげに、でも、だんだん声を大きくして祈り出したし…」。 …というわけで、結構長い祈りだったが、姉妹一同、最後まで「祈り上げた」。
祈りが全部終わった後で、先唱当番のシスターにちょっと教えてあげる。彼女も、祈り始めたものの、みなが小さい声だったので、「なんで~、もっと大きな声出してよ」と思
ってた、「えっ?わたしが間違えたのか」と。そして、二人で大笑い。共同体って、そういうものではないか、と思った。
間違いを指摘することも出来るけど、まあ、みんな、「欠けた者同士」だし、祈ってわるいってことではないし、一緒に付き合って、祈りましょう…そして、声を合わせて祈っ
ているうちに、間違えたなどということは忘れて、一緒に主に心を向けている…という感じ。
主は、そんな「欠けた者同士」で受け入れ合っている共同体の祈りを、ほほえんで受け入れてくれたのではないか…(実際、それは、「イエスのみ心の連祷」だったし…)
***
明日の朝から、二週間の海外出張。
この地上の「信仰の旅」を共に歩んでいる、「共同体」の存在がなつかしくなるだろう(いつも、そうだから)。でも今回、半分は、ポーランドの自分たちの共同体だから、二
週間ずっと、何か少し「緊張」している必要はない。感謝。
「遺言」ではないけれど、長期出張の前は、やはり、ちょっと立ち止まって、共同体の姉妹たちに「ありがとう」と言いたい。二週間後に帰ってきたら、「また、よろしくお願
いします」、と…「欠けた者」同士、それでも、いっしょに天の国に向かって、また歩いて生きましょう!…主よ、あなたの望みが、行われますように!母マリアよ、わたしたちの、よろよろの信仰の歩みを支えてください。教会が、キリストが集めるすべての人々の救いの「場」となりますように!
アーメン
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
ペルシャの大詩人ハーフェズの詩に繰り返し登場する「美女」と「葡萄酒」についての続きである。
ハーフェズは、神への愛の道の実践を自らの人生とし、美女と葡萄酒に仮託してその生きざまを詩的に表現した。神への愛の道は、至福よりもむしろ苦難や苦痛に満ちていた。しかしそれが自分の人生である以上進むほかに道はない。
「すき間がある限り すべてを埋め尽くせ」である。
愛は報われずとも、進むほかにない。「汝のもとに赴けば何をも耐えるほかにない 何者をも成就できなければ最後は恥じるほかにない」
従って、「汝(美女)が千里の道ほどに自分を裏切っても 自分は汝の心と身に危害が及ばないよう願う」覚悟である。これが神の愛への道を求めるハーフェズの人生への心構えであるが、それは、「痛みの激しさはいかなる説明も描写もかなわない」。
そうした中での慰み、あるいは救いは、「嗚呼、汝(美女)がおでこに皺を寄せれば(それだけで)自分は力が抜けてしまう しかし それはまた、汝の身と心からのメッセージを示唆するもの」。
美女がおでこに皺をよせ不快を示すだけで、自分の心は引き裂かれてしまうが、しかし、美女の振る舞い、美女が反応を示すこと自体、同時に何か自分へのメッセージを示すものと受け止めることである。
もとより、そう受け取る背景には、「人生における良きことも悪しきことも 喜び悲しむ必要があるのか この世界の出来事はすべて跡形もなくなる」、また、「天国の宮殿は この世の行為の褒美として与えられるもの 我は無頼漢にして乞食 道の長老がいれば十分 流れのほとりに座して時の流れを見よ それだけで移ろう世界は自分にとって十分」との見えざる世界への深い信念がある。
ここでいう無頼漢、あるいは乞食とは、実際のそれではなく、富や権力など移ろう世界に惑わされず、唯一絶対と信じる神のみを求める生き方、すなわち神以外のすべてを捨て去って世の柵から自由に生きる人生、ハーフェズ自身のことである。
このハーフェズの詩句は、ほぼ同時代の日本の知識人の生き方を思い起こさせる。もとより、唯一絶対神という考え方は異なるものの、鴨長明が小さな庵に座して、変転極まりない世のありさまを「方丈記」で、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」と、ハーフェズと似たような人生観を吐露したのは13世紀の初めであり、ハーフェズのほぼ一世紀半前のことである。そのことはあとでまた触れる。
ハーフェズが描き上げた美女は、イランの伝統芸術である細密画(ミニアチュール)の格好の題材となっている。イラン美女の典型であるが、そこでは顔、唇、目・瞳、まつ毛、黒髪、うなじ、えくぼが微細に描かれている。
次回は同じくハーフェズの詩で多用される葡萄酒についてである。
(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)
2018年6月30日
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カテゴリー : 駒野大使
ポール・クローデルは、大東亜会議の共同宣言を、日本民族の精神の高貴さの証として 評価したのではないか。
かつて、大正から昭和にかけて駐日フランス大使を務めたことのある詩人外交官Paul Claudel (1868-1955)は、日本人について、次のように語ったことがある。
「大東亜戦争」中の事で、1943年11月23日の事であっ た。この月の6日には、日本軍が占領「解放」した諸民族の国家代表を東京に集めて開催した「大東亜会議」は、共同宣言を発していた。それはチャーチルとローズヴェルトの1940年8月にはっした「大西洋憲章」 を超える理念を盛り込んだ戦争目的の表明であった。23日のクローデルの語りは、この共同宣言を評価しての言葉であっ たのではないか。
彼はこう言っていたのである。「もし、この戦争に生き残る価値のある 民族があるとすれば、それは日本民族である。彼らは物質的には貧しいが、高貴な精神の持ち主である・・・」。
この発言は、1943年11月23日、つまり東京の「大東亜宣言」から2週間余たってのことだったのである。それはPrincesse Helene Shakowskoyの家で、クローデルとポール・ヴァレリー(詩人でアカ デミー会員、クローデルも1946年4月4日には、アカデミー会員に選出されている)が話した内容の一部である。記録に残っているところから原文で示せば、以下のとおりである。
Un peuple pour lequel je souhaite qu’il ne soit jamais ecrase,c’est le peuple japonais. Il ne faut pas que disparaisse une antique civilisation si interessante. Nul peuple ne merite mieux sa prodigieuse expansion. Ils sont pauvre, mais nobles, quoique si nombreux.(アクサンは省略)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)
2018年6月30日
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カテゴリー : 三輪先生
これまで二年ほど、コラム「バチカン放送・今昔」を担当させていただきました。お読みくださったみなさまに心より御礼を申し上げます。少ない字数の中で、思ったことを十分表現できず、舌足らず文章になったこともあり、読んでいらしてご理解に苦しまれたところもおありになったのではないかと思っております。どうかその点ご容赦ください。
バチカンでの働きは、ずいぶん昔のことなのに、時間の隔たりを少しも感じないで、つい最近の出来事のように、いろいろの場面を思い出しながら、一コマ一コマを楽しく書かせていただきました。
バチカン放送に勤務当初は、放送局があまりののんびりムードに、「放送は秒刻み」という日本の常識にとらわれていた私は驚きました。「何とか、日本の通念を貫こう」と頑張りましたが、緊張と疲労が募るばかりでした。
「朱に染まれば赤くなれ」。いつか知らないうちに、というよりは自覚してだんだんと、日本的繊細さを失い、イタリア色に染まりながら、それでも楽しく仕事をしていました。そのうち放送局も少しずつ改革が行われ、だいぶ日本の放送感覚に近いものに変わってきました。
現在は、バチカンの広報関係は、放送、新聞、テレビ、広報室などが一本化されたと聞いています。どのようになったのか、詳細は分かりませんが、永遠の都ローマの中心にあるバチカンにも改革・変革の波は押し寄せてきているようです。たとえどんなに変化しようとも、教皇様に直接お仕えできたバチカン放送での思い出は、私の心の中で、一生涯生き続けることでしょう。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)
*「カトリック・あい」よりお知らせ‥Sr石野のコラムは「Sr.石野のあれこれ思い出」という新たなタイトルで8月以降も随時継続させていただきます。お楽しみに)
2018年6月27日
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カテゴリー : Sr石野
新人の介護福祉士の日常を描き、その成長ぶりを通じて「介護の仕事」のやりがいや喜びを描いた映画「ケアニン~あなたでよかった~」(鈴木浩介監督)の上映を支援する動きが全国に広がっている。
映画の主人公は、21歳の男性・大森圭。高校卒業後、これといって希望する進路を見いだせなかった圭は、漠然とした思いから介護の専門学校へ通い、郊外にある小さな介護施設で「ケアニン」(ケアする人)として働き始める。
圭が就職先に選んだのは、「小規模多機能型居宅介護」の施設で、「通い」「宿泊」「訪問」を一つの事業所で一体的に提供するサービス拠点だ。しかし圭は、認知症を患う利用者たちとなかなかコミュニケーションが取れず、トイレの世話が必要な利用者に怒鳴られたり、施設の利用を考える家族から不安な目で見られたりするなど悪戦苦闘を続ける。
「どこにやりがいがあるのか?」「自分は何のために仕事をしているのか?」と、介護の職場を選んだことを毎日のように後悔する圭。そんなある日、彼は79歳の元幼稚園教諭・敬子のケアをメインで担当する。利用者と家族との間に立ち、先輩スタッフの協力も仰ぎながら、試行錯誤の末に敬子と向き合うことを学んでいく――。
映画は2017年6月に劇場公開されてから、ちょうど1年が経過した。全国約30館での公開はおおむね終了したものの、今も自主上映の形でスクリーンにかけられ、全国各地の公共ホールや学校、福祉関係施設などで多数の観客を呼び込んでいる。この7月以降、首都圏だけでも文京区、大田区、府中市、日野市、横浜市、鎌倉市などで上映会が企画されている。
この作品を通じて学ぶことは数多い。介護することの意味、家族としての認知症患者への接し方、看取りのあり方……。しかし、それ以上に強く感じられるのは、<多くの人に介護の現場を知ってもらい、介護職のネガティブな印象を払拭したい>という制作側の思いにほかならない。
映画は社会問題を描く作品制作で定評のある「ワンダーラボラトリー」(東京)などが手がけた。山国秀幸プロデューサーは、約30か所にのぼる介護施設などに取材し、職員から聞き取ったエピソードをもとに原作を執筆したという。
厚生労働省は、団塊の世代(1947~49年生まれ)が75歳以上になる2025年には、介護職員が約38万人不足するとの見通しを示している。介護サービスの利用者は約253万人に達するのに、現在の採用ペースでは約215万人しか確保できないという試算だ。どの施設でも離職率は高く、介護をめぐる人材確保の状況は非常に厳しいものがある。
筆者が今年1月に上梓した医療小説『ディア・ペイシェント』(幻冬舎)では、26歳の介護職員・瀬戸翔太が、日々のつらい仕事に悩んだ末に病院を辞めるシーンを描いた。介護の仕事を辞してしまう瀬戸翔太と、続ける道を選ぶ大森圭。そのいずれもが、紛れもない現実の若者の姿である。ただ、医療・介護の現場に立つ者としては、圭のように「この仕事でよかった」と考える介護スタッフがひとりでも増えてくれることを切に望みたい。そのために私たちは、さらに社会は、どのような具体策を講じるべきか? ぜひとも多くの人に考えてもらいたい。
(みなみきょうこ・医師、作家: クレーム集中病院を舞台に、医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=を1月に刊行。http://www.gentosha.co.jp/book/b11411.html 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」収録)
2018年6月26日
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カテゴリー : Dr.南
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