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・Sr.阿部のバンコク通信㉞ タイは今、雨季。でも、悪いことばかりではありません
亜熱帯地方の人々の生活は朝が早く、 涼しい暗いうちに始まります。今朝も渋滞を避け、午前四時半に修道院を出て、街中のパウロ書院に向かいました。 既に暗がりに立っている人々の姿。大通りで時刻表無しのバスを待っているのです。時には30分以上も来ない事もありますが、ひたすら待機。

紺色の空に映える月や明の星を見上げて、 同じ空を仰ぐ人々の事を偲びながら、 朝の祈りと黙想を、パウロ書院への道中に捧げます。今日も主に栄光、 人々に平和ありますように、と。
バンコクの天候は熱帯モンスーン気候に左右され、季節は主に 夏期3 ~ 5月、雨季6~10月、乾季11~2月です。今は雨季で、 忽ち黒雲がたちこめ、集中豪雨、さっと止むこともあれば、 水が引く間も無く、道路は洪水状態になり、ひどい交通渋滞になります。
それでもこの雨のお蔭で稲科の植物がよく育ち、乾季には樹木が落葉し、 日照時間が長く肥沃な土壌で、亜熱帯特産の豊富な果物、 山岳地帯には珈琲やサトウキビ、 歯ごたえのある味わいのある陸稲が栽培されます。
タイ生活25年。主観的な体験や常識で見渡せば、言いたい事が際限なく湧いてきます が、それは大変失礼な、心無い事だと思っています。そこそこに、 背景も長い歴史の営みも、理由もあります。 仲間に入れてもらい衣食住を共にして生き、ここに在る事を喜ぶー私は一介の日本人修道者です。
人々と共に喜び悲しみを噛み締め、今日も細やかな奉仕、 平素の生活に勤しんでいます。タイで味わう令和年の始まり、 主の福音のために全てを捧げ、感謝と賛美を奏でながら。- 読者の皆さん、日本をよろしく。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
・菊地大司教の日記㊻ 7月8月の主な予定・聖ペトロと聖パウロのお祝い、キリストの聖体の主日@築地、麹町
2019年7月 2日 (火)
7月8月の主な予定
- 7月3日(水)新潟教区司祭の集まり (新潟教会)
- 7月4日(木)常任司教委員会 (潮見)、神学院常任委員会(上石神井)
- 7月5日(金)神学院常任委員会(上石神井)、聖体奉仕会 (秋田)
- 7月6日(土)聖体奉仕会 (秋田)
- 7月7日(日)赤羽教会堅信式 (9時)
- 7月8日(月)~11日(木)司教総会 (潮見)
- 7月14日(日)荻窪教会主日ミサ (10時)
- 7月17日(水)18日(木)東京教会管区会議 (仙台教区)
- 7月19日(金)臨時常任司教委員会(潮見)、拡大青少年委員会 (真生会館)
- 7月20日(土)船橋学習センターガリラヤ訪問
- 7月21日(日)高円寺教会堅信式 (9時半)、中国センターミサ (14時半、上野)
- 7月22日(月)ロゴス点字図書館会議 (午後、潮見)
- 7月23日(火)神学院養成関連会議 (午後、潮見)
- 7月24日(水)大分教区カトリック幼稚園連盟研修会 (宮崎)
- 7月26日(金)名古屋教区カトリック幼児教育連盟研修会 (名古屋)
- 7月27日(土)上智大学神学部講座 (13:00)
- 7月28日(日)ベトナム共同体祈りの会とミサ (10時、マリアの御心会)
- 8月2日(金)3日(土)日本カトリック医療団体協議会大会 (長崎)
- 8月5日(月)6日(火)広島教区平和行事
- 8月7日(水)新潟教区カトリック保育者研修会 (新潟)
- 8月10日(土)11日(日)12日(月)東京教区平和旬間諸行事 (詳細は後日別途記載)
- 8月13日(火)臨時常任司教委員会 (11時、潮見)
- 8月15日(木)聖母被昇天祭ミサ (18時、東京カテドラル)
- 8月18日(日)宮古教会主日ミサ (岩手県宮古市)
- 8月23日(金)仙台サポート会議 (仙台)
- 8月24日(土)日本カテキスタ会信仰養成講座 (9時から、若葉修道院)
- 8月26日(月)27日(火)カリタスジャパン会議
- 8月28日(水)ロゴス点字図書館会議 (午後、潮見)
- 8月29日(木)~31日(土)東京教区神学生合宿
聖ペトロ・パウロのお祝い@金銀祝とペトロの家
今年は、聖ペトロ・パウロのお祝いを二回いたしました。一回目は6月24日午前11時に、東京カテドラルを会場にして、教区で働いてくださっている神父様方の司祭叙階ダイアモンド・金・銀のそれぞれのお祝いのミサを、聖ペトロ・パウロの祝日の典礼で捧げさせていただきました。
もともと、土井枢機卿にはじまり、白柳枢機卿、そして前任の岡田大司教と、東京の大司教はこの80年ほど霊名がペトロでありました。ですから聖ペトロ・パウロの祝日に当たる6月29日に一番近い月曜日に皆が集まり、お祝いのミサをしていたとのことです。その中で、その年に記念日を迎えられる司祭のお祝いも含めてきたと。ところが、ここに来て、大司教はペトロではなく、タルチシオです。祝日は8月です。どうするか思案しましたが、恒例のお祝い事ですからこれまで通り6月に行うことにしております。
当日は多くの司祭に集まっていただき、記念日を迎える司祭の中からも、それぞれ数名の参加がありました。残念なことにこの日は荒れた梅雨の天気で大雨が降り、多くの司祭や信徒の方が参加を断念された模様です。節目の年を迎えられた神父様方に、心からお祝いも仕上げ るとともに、これからもどうぞよろしくお願いします。神様のかわらぬ守りと導きを祈ります。以下一番下は、当日の説教の原稿です。
そして6月29日の午後2時半からは、東京教区の引退された司祭方の家「ペトロの家」の、後援会の方々とともに捧げるミサでした。ペトロの家は、高齢で現役を退かれた司祭や、病気療養中の司祭が暮らされる家で、高度なケアが必要となる前の段階で自立しておられる方々を中心に共同生活を営んでいる家です。修道会出身の私などには、なにか修道院共同体のようにもみえるところです。
常日頃から、ボランティアや祈りや献金で、ペトロの家を支えてくださる方々をお招きして、感謝のミサを捧げ、その後は神父様方と懇談会をもよしました。70名を超える方がおいでくださり、聖堂に入りきれないほどでした。みなさまの日頃のご支援とお祈りに、感謝申し上げます。
司祭は引退するのではなく、そのいのちが尽きる日まで、司祭として生き続けます。役職を果たすことがなくなっても、それが司祭としての引退ではありません。ベットの上に寝たきりになろうが、車椅子であろうが、生きている限り、司祭は司祭としての務めをそれぞれにとって可能のかたちで果たし、その生き様を持って、福音をあかし続
けています。その意味でも、ペトロの家のように、ともに支え合いながら、祈りの生活を持って共同体を作っている姿は、福音のあかしとして、重要だと思います。これからも、ペトロの家で生活される司祭のために、お祈りください。
以下、6月24日のカテドラルでのミサの説教の原稿です。
「それではあなた方は私を何者だというのか」
わたしたちはこの主からの問いかけに、自信をもって回答する言葉を持ち合わせているでしょうか。いくらでも学んだ知識を基にして、模範的な回答を並べることはできるかも知れません。でもそれは、結局のところ、誰かによって生み出され、わたしに与えられた知識でしかありません。「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」と言うイエスの問いかけに対して、弟子たちは様々に回答をいたします。それらの回答は、皆どこかの誰かがそう言っていたという伝聞の知識であります。
しかし一通りどこからか聞いてきた情報の開示が終わるのを待ったイエスは、「それではあなた方は私を何者だというのか」と問いかけます。イエスのこの言葉には、「そこら中で聞いてきたことを、そのまま繰り返すことは許さないぞ」と言う迫力があります。「どこからか聞いてきた知識は今出し尽くしただろう。もうそれに引きずられてはならない。自分の心の奥底にある本当の思いを言いなさい」と迫る、迫力があります。
イエスに迫られて、わたしたち自身はいったいなにをどのように答えるのでしょうか。しどろもどろになりながら絞り出す回答は、本音であればあるほど、模範解答とはかけ離れた、自分自身の心の奥底に潜む信仰の叫びであるのかも知れません。
私たち信仰者の人生は、終わりの時まで、このイエスの迫力ある問いかけに、自分はどのように答えることができるのかを模索し続ける旅路でもあると思います。とりわけ聖職者にあっては、わたしたちが人生のすべてをかけて付き従おうとする主なのですから、その方が自分にとって何者なのか、人生のすべての時にその答えを追い求めて生きなくてはなりません。
2019年に、司祭叙階の銀祝や金祝、そしてダイアモンド祝などをお祝いされる神父様方に、心からお祝いを申し上げます。司祭叙階されてから25年、そしてさらなる25年、さらにはその先までと、司祭としての人生の長い道のりは、常にこのイエスからの問いかけに答えようとする模索の旅路ではなかったかと思います。その模索の積み重ねが、それぞれの神父様の霊性を深めて来られたのだろうと推測いたします。25年、また50年、さらにその先へと続く司祭としてのお働きに、心から感謝申し上げるとともに、これからさらに教会の牧者として、またイエスの弟子として、人生の終わりまで豊かな模索の旅路を続けられますように、神様の祝福と導きをお祈りいたします。(叙階銀祝の猪熊師とガクタン師)
司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」と、教会憲章に記されています(28)。もちろん小教区での司牧や典礼を執り行うことは重要であり、また司祭に固有の役割でもありますが、それとともに、いやそれ以上に重要な司祭の務めは、福音を証しして生きること、つまり福音宣教であろうと思います。
自らの日々の生活を通じて、自らの日々の言葉と行いを通じて、まさしく「それではあなた方は私を何者だというのか」と言う主イエスの問いかけへの答えを力強く宣言できるような、そういう生き方が司祭には求められているのではないかと思います。
いまの日本社会にあって福音を宣べ伝えようとする司祭には、使徒たちの時代のような、または日本の宣教初期のような、肉体的な迫害という苦しみはありません。しかしそこには、肉体的な迫害に勝るとも劣らない精神的な挑戦、すなわち徹底的な宗教への無関心と、それを生み出すすさまじい世俗化、超越者への畏敬の欠如、いのちへの尊厳の軽視、などという様々な挑戦が存在しています。とりわけ、その始まりから終わりまで、徹底的に守り抜かれなければならない賜物である私たちのいのちが、これほどまでに軽く扱われ、その価値をこの世の価値観によって決めつけられている現実には、大きな危機感を覚えます。
わたしたちは、社会の勝ち組、負け組などという言葉が飛び交い、互いに助け合うことや困窮する人に手を差し伸べることには意味がない、自己責任だなどとまで言うような社会で、互いに助け合う者としての福音を証ししようとしています。
自分たちの生活を守るためには、異質な存在を排除し、時に武力を行使することも致し方がないと考える社会の中で、神の平和の確立、神の秩序の実現を求めています。
今年の復活の主日の、ウルビ・エト・オルビのメッセージで、教皇様は次のように言われました。
「現代の多くの苦しみに対して冷淡で無関心な者として、いのちの主がわたしたちのことをご覧になりませんように。わたしたちを、壁ではなく橋を築く者にしてください。・・・墓の入り口を開け放ち復活したキリストが、わたしたちの心を、困窮している人、無防備な人、貧しい人、失業した人、社会の片隅に追いやられた人、さらにはパンと逃れ場を求め、自分の尊厳が認められるよう望みながらわたしたちの扉をたたいている人に対して開いてくださいますように」わたしたちは愚直に、そして誠実に、主イエスの「それではあなた方は私を何者だというのか」という問いかけに対する答えの模索に、全力を傾けて生きていきたいと思います。
この世の常識にとっては愚かしいことであっても、夢物語だといわれても、勇気を失うことなく、福音をあかし続けていきたいと思います。
その始めから終わりまで、一つの例外もなくいのちの尊厳が守り抜かれるように主張し続け、社会にあって生きる希望と喜びを生み出す存在でありたいと思います。
司祭の長年の働きが、希望と喜びの源となりますように、生ける神の子、主イエスに、これからも勇気を持って付き従ってまいりましょう。
2019年6月27日 (木)
キリストの聖体の主日は、毎年恒例なのですが、午前中に築地教会で歴代教区長の追悼ミサを捧げました。
築地教会は、東京で一番最初に建てられた教会で、1877年にオズーフ司教が日本北教区の司教座を置かれました。1920年に司教座が関口教会に移るまで、カテドラルとしての役割を果たしていた教会です。
現在は、近隣のホテルに泊る海外からの観光客も多くミサに訪れる教会ですが、その歴史のある聖堂は、今年の末頃の完成を目指して、耐震修復工事中です。そのため、ミサは信徒会館二階ホールで行われました。
現在の主任司祭はレオ神父。大司教秘書のディンド神父と三人の共同司式ミサでは、お二人が初聖体を受けられました。おめでとうございます。
そして同じ日の午後3時半からは、麹町のイグナチオ教会での堅信式です。141名の方が堅信の秘跡を受けられ、英主任司祭と李助任司祭に加え、司牧に協力してくださるイエズス会の司祭たちも共同司式。
ミサでは入祭の挨拶の後、灌水式も行われました。イグナチオ教会では、毎年100人を優に超える方が堅信を受けられます。交通の便が良いこともありますが、多くの協力司祭と、シスター方、信徒の方がチームを組んで、入門講座や堅信の準備、さらには結婚講座の充実に取り組んでおられる努力の成果であろうと思います。これからも、充実した信仰養成の努力を続けられますように。
ミサ後には、ホールに場所を移して、堅信式のお祝いも行われました。皆さん、おめでとうございます。これからも教会での活躍を期待しています。
以下は、当日のイグナチオ教会での説教を、ある方が録音から文字おこししてくださったものです。
今日の御ミサの中で、堅信の秘跡を受けられる方々が141名おられると伺いました。141名の堅信を受けられる方々に、心からお祝いを申し上げたいと思います。
141名もいるということは、そこには141通りの信仰の出会いの物語があり、141通りの信仰の歩みがそれぞれあるのだと思います。みな同じイエス・キリストを信じているというところでは変わらないのでしょうけれども、イエス様にどこでどのように出会ったのか、そしてイエス様をどれくらい理解しているのか、というあたりでは一人一人に違いがあることだと思います。でもその141通りの違うイエス様との出会い、イエス様における信仰、その違いがあるけれども、一つのことでは みな同じように役割を与えられていると思います。
その役割は一体何なのかといえば、先ほど朗読でパウロのコリントの教会への手紙が読まれましたが、 今日はキリストの聖体、御聖体の祝日でありますので、パウロのコリントの教会への手紙は、最後の晩餐における主イエス・キリストによるご聖体の制定の物語でありました。そしてそれはわたしたちがミサに預かる度ごとに耳にしている、司祭が聖変化の時に唱えるあの言葉でありますけれども、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。」そして「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」 パンはご自分の体、そして杯に満ちたぶどう酒はご自分の血であると言われ、ご自分の体をわたしたちのために渡してくださった。そのご聖体の制定の出来事が起こった、最後の晩餐が今日のパウロのコリント人への手紙の中に記されています。
問題はそこに書かれている「記念として」と書いてあります。「記念」とは何とか記念日「わたしの記念としてこのように行いなさい」「飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」記念と書いてあります。ミサの中でも記念という言葉を司祭は唱えます。「わたしの記念としてこれを行いなさい。」記念とは何をどうしようと言っているのか。
ミサの中でも、さらりとこの部分は過ぎ去ってしまう言葉だと思います。でも考えてみたら、イエス様ご自身はもうこれで最後だ。 弟子たちと生きている間に食事を共にするのは最後。すなわち弟子たちに教えを伝えるのは、これが最後のチャンスだということをよく知っておられたわけです。その上でこれが最後だという思いを込めて、弟子たちに対して記念として行う。その記念とは何なのか。
「忘れるな」ということです。わたしが今まで語ってきたことを、わたしが行ってきたことを、あなた方が目の当たりにしてきた出来事を、決して忘れてくれるな。というイエス様の切なる願いがこの記念としてという言葉には込められていると思います。そしてその記念は誕生日とか、何かの出来事の記念日とか、自分の内輪でお祝いをするものではないのです。あの最後の晩餐の日に、イエス様はこんなことを言ったんだ。すごいな、と言って自分の心の中だけでお祝いをすることではなくて、実はこの記念は外に向かっての記念なのです。
どうしてそう言えるかというと、そのパウロのコリント人への手紙の続きの部分に、パウロはイエス様の言葉に続けて「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」と記しています。決してパウロは、「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、」内輪でお祝いするんです。とは言われないんです。「主の死を告げ知らせるのです。」 と記しています。
すなわちこの記念は、ああ、すごいことがあった。と言って、自分の心の中でそれを覚えているだけにとどまらず、そこから外に出て行って、何が起こったのか、何が言われたのか、何が伝えられたのかを他の人たちに告げ知らせていく。他の人たちにそれを教えていく。それが記念の意味であります。
従ってご聖体を受ける時にわたしたちは、ただ単にイエス様がわたしたちに来てくださった。イエス様がわたしと一緒にいてくださるといって、自分の心を満足させる。それも重要なことだし、主がいつもいてくださるということを心で感じる、それもとても重要なことです。けれども そこにとどまっていたのでは、イエス様が最後の晩餐に言われた記念としてそれを行えというところには足りないわけです。わたしたちはあのイエス様の言葉に従っていくためには、イエス様が来られるまで、つまり世の終わりまで何が言われたのか、何が伝えられたのか、何が起こったのかを多くの人達に宣べ伝えていく義務を背負って生きているんです。
今日、堅信を受けられるお一人お一人は、聖霊はその秘跡によって豊かに与えられる。そして聖霊による様々な賜物が与えられることになります。あちらの台にはろうそくが並べてあって、聖霊の七つの賜物が記されています。弱い人間であり、力も足りない人間であるわたしたちが、イエス様がおっしゃったことを、たくさんの人に告げ知らせるなんて、とてもとてもできることではないと、おじけづく時に、この堅信の秘跡によって与えられる聖霊の力がわたしたちを後ろから押してくれるんです。
聖霊を受けたから、急に今日からスーパーマンに変わるわけではないです。聖霊を受けたら急に言葉ができるようになるとか、何かすごい力をもらう とかはないのです。そうではなくて、わたしは何と弱いんだと思った時に、わたしは何もできないと思った時に、聖霊が後ろから一生懸命支えてくれるんです。後ろから後押しをしてくれるんです。何を後押ししてくれるかというと、イエス様が何を言われたのか、イエス様が何をされたのか、わたしたちに何を残されたのか、それを他の人たちに伝えようとする、その心意気を後ろから聖霊が一生懸命になって支えてくれる。
堅信を受けられるお一人お一人は、是非とも今日からその聖霊の力を後ろから受けて、 勇気を抱いて、 イエス様の言葉を伝えていく。どう伝えていくのかはお一人お一人それぞれ生きておられる現実の中で考えていただけたらいいと思います。お一人お一人が、日々の生活の中で語る言葉、行いによって 福音の証しをしていっていただきたいと思います。かつては堅信を受けると、キリストの兵士になるんだという言い方もしました。今は堅信を受けると成熟した大人の信徒になるのだという人もいます。まさしくその通りだと思います。一人一人に与えられた義務を、務めを、勇気を持ってしっかりと果たしていこうとする。大人の信徒としてのこれからの毎日の生活を歩んでいただければと思います+
(菊地功=菊池・いさお=東京大司教)
・Sr.岡のマリアの風㊵ 「委ねる」と簡単に言うけれど…
「造り主である主よ、あなたにわたしのすべての苦しみを委ねます。そうすれば、主よ、あなたは、わたしに一番よいようにしてくださいます… 」
詩編作者とともに、わたしたちは毎日、このように祈る。自分が「元気」なとき、つまり、まだ自分の力で何かが出来るときは、「委ね」も何となく「割引」、「駆け引き」になっているのかもしれない。「わたしはここまでしました。あとは主よ、あなたに委ねます わたしも、やれるだけのことをやったんですよ、分かってくださいね」というニュアンスを含めて。
自分がいろいろな意味で、 元気でない ときは、「駆け引き」どころではない。自分の方からは何も出来ないことを、とことん経験する。自分の無力さに呆然とする。前に進みたくても、力が出ない…。そのようなとき、「委ね」は、まさに、「駆け引き無し、100%の委ね」になる。
6月末から、出張でローマ滞在中である。出発前に風邪をひいて、治りきらないうちにローマに来た。とにかく力が出ない。気力がない。仕事はあるのに、自分のイニシアティブでは何も出来ない。時間をかけて休むしかない。そんな状態の中で、「委ねる祈り」の日々を経験した。
滞在しているフランシスコ会の修道院から、ラテラノ大聖堂と、聖マリア大聖堂は歩いて数分の距離。朝夕の比較的涼しいうちに(それでも暑い!)、大聖堂を訪問し、何も考えず、神とその民との、数千年の長い歩みの中に、「今の、小さなわたし」の存在を置く。そのようにして、祈る。 少し元気になってくると、教皇庁立国際マリアン・アカデミー(PAMI)の事務所の一角で、ぼちぼちと仕事を始める。
先日は、ルーマニアから来た、ギリシャ・カトリック教会の司祭が、PAMIの事務所でビザンチン典礼のミサを二日間捧げ わたしもそれにあずかった。長い祈りが、ゆっくり、朗々と歌われる。祈りの中で、参列しているわたしの名前も呼ばれる。共同体、家族、友人、恩人たちが何度も思い起こされる。一時間半くらいの儀式。すべてイタリア語だったので、唱えられている祈りの意味を理解することが出来、深い祈りと交わりの時を共有した。
また、国際マリアン・アカデミーのアジア部門の責任者、インド人のデニス神父も訪れ、PAMI責任者のステファノ神父(わたしの先輩)と共に、アジアでの活動について話し合った。国際的視野でアジアのことを見るので、自分たちだけでは考えもつかない、さまざまな可能性が見えてくる。
PAMIの事務所には、毎日、さまざまな人が訪れる。司祭、修道者だけでなく、信徒、他の宗教の信徒。国籍もさまざま。ここにいるだけで、国際マリアン・アカデミーが目指していること、そのために実際に立ち向かっている課題、世界中の、アカデミーの協働者たちとのプロジェクト…を、リアルタイムで経験することが出来る。それは、メール通信などでは捉えることの出来ない、言葉になる前の、種が蒔かれた「土地」のようなものだ。これから、いろいろな形で芽を出し、さまざまな実りを結ぶだろう。しかしその力は、すでに地面の中の種が内包している。まだ言葉にはならない。
でも、沈黙の中で確かに何かを「語りかけている」。「委ねる」しかない、「元気ではない」ときのわたし。元気いっぱいのときには聞こえない、沈黙の中の声を、ゆっくりと吸収しているのかもしれない。自分の小さな世界から「脱出する」(解放される)ために、こういう時間も必要なのだと、しみじみと感じている。
ゆっくりと休みながら、もう少し深く、主の声がわたしの中に入ってくるに委ねたい。祈りつつ。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・Sr.石野の思い出あれこれ⑫ 続々・志願者生活-もう一つの重荷は”シエスタ”
プロパガンダ(注:キリスト教宣教活動の一環としての書籍の訪問販売)とは全く違った意味で重荷になることが、もう一つあった。それは “シエスタ”。つまり午睡。昼食後に皆、昼寝をしなければならなかったのだ。
シスターたちは志願者たちに、「あなた方も休みなさい」と言って、志願者にとっては禁域の二階に昇ってしまう。
イタリアでは初夏になると、“シロッコ”と呼ばれる高温湿潤の風が吹く。これは、アフリカのサハラ砂漠に起こり、地中海を渡ってイタリアに吹着つけてくる。空気は重くなり普段以上に疲れを感じる。このため、よく言えば優雅な生活を好み、悪く言えばあまり働き者でないイタリア人は、シエスタをする。
修道院では皆よく働くが、この習慣が取り入れられている。だから昼食後は皆、お昼寝をする。日本の文化も事情をまだよく分からないシスターたちは、イタリアのこの習慣をそのまま日本にも適用しようとした。
ところが私たち志願者は午睡の習慣もなければ、若くて力が溢れているので昼寝などしたくない。押し入れから布団を出して三枚敷くのは面倒くさいので二枚敷き、そこに三人で休もうとしたらそれはならぬ、各人それぞれに布団を敷きなさいとのこと。
布団を敷いてシスタ-たちが二階に上がるのを静かに待ち、シスターたちの姿が見えなくなると、もうこちらのもの。シエスタはそっちのけで”着衣ごっこ”をした。
その頃のシスターたちは皆、頭に長いベールをかむり、足のくるぶしまで来る長い服を身に着けていた。そしてこの服のことを修道服と呼んだ。修道服を身に着ける点ではどこの修道会も共通だったが、洋服の生地や形は修道会によって異なり、色もそれぞれで白、黒、ブルーなどさまざまだった。日本で創立された修道会のシスターたちは着物に袴のところもあった。”着衣ごっこ”とは、シーツや風呂敷を使い、頭をひねり、想像を働かせて修道服まがいのものを考え出して身に着けることだった。
当時、私たち志願者は8人いて、長い廊下で分かれている二つの部屋に4人ずつ休んでいた。一つの部屋の志願者が、考え出した修道服を身に着け、並んで廊下を歩いて他の部屋の志願者たちを訪ねる。その姿は滑稽でよく笑った。二階にシスターたちがいるのも忘れて笑った。重荷だったシエスタの時間は、楽しいリクリエーションの時間に変わった。そして、あっという間に時間が過ぎて行った。
ところが、あまりに楽しくて、禁を破って内緒ごとをしているのも忘れて笑ってしまい、その笑い声が二階まで聞こえたようだ。ある日、シスターが降りてきて、休まずにお遊びをしている私たちを見て驚き、「おやめなさい」と一言。
これで着衣ごっこもおしまい。さてどうしよう。シエスタの時間を持て余していた私たちは、勇気を出してシスターに許可を願い出て、休まずに、静かに自習をすることに成功したのだった。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)
・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㉜ 高島忠夫さんの訃報を聞いて
数多くのドラマや映画に出演した人気俳優で、テレビの司会や映画解説でもお茶の間に親しまれた高島忠夫さんが6月26日、亡くなった。享年88歳。宝塚歌劇団で活躍した寿美花代さんとのおしどり夫婦ぶりはつとに有名だが、最期は花代さんに看取られたという。
日々メディアを通じて耳にする芸能人の訃報の一つだが、高島さんの悲しい知らせには、特に目を引かれる思いがした。それは、高島さんが「老衰のため」「自宅で亡くなった」と報じられた点だ。
まずは、お亡くなりになった「場所」について見てみたい。著名人、とりわけ俳優や歌手といった芸能界のビッグネームが、「自宅で」息を引き取った――と報道されるケースは極めて少ない。2010年以降をたどってみると、明確に自宅で亡くなったことが報道され
ているのは、以下の方々に限られる。
・小沢昭一さん(享年83歳)2012年12月死去、前立腺癌のため
・加藤治子さん(享年92歳)2015年11月死去、心不全のため
・永六輔さん (享年83歳)2016年7月死去、肺炎のため
・小林麻央さん(享年34歳)2017年6月死去、乳癌のため
・樹木希林さん(享75歳)2018年9月死去、全身癌のため
・高島忠夫さん(享年88歳)2019年6月死去、老衰のため
豪邸に住まわれる方が多い(と推察される)芸能界でも、ご自宅で最期を迎える方は極めて少ない。年に1人もいない計算だ。世間一般ではどうか?
「最期は自宅で迎えたい」という希望を持っている人は、各種の世論調査でおおむね80%に達している。ところが、実際に自宅で亡くなる人は20%程度にとどまり、大多数は病院や施設など自宅外で息を引き取っているのが現在の状況だ。
一般論として、在宅医療を継続できない背景にはさまざまな事情がある。とにかく積極的な治療を優先して入院生活を続けるケース。自宅療養を希望しても事情がかなわず、やむなく施設・病院で介護・看護を受けるケース。長期にわたる自宅療養が続いた結果、疲弊した家族や本人が施設などへの入所を希望する場合、本人は家で亡くなる覚悟を決めていても、最後の最後に家族が救急車を呼び、大病院に運び込まれて亡くなるケースもある。
高島さんの場合は、花代さんが熱心な介護で夫を支える様子が伝えられていた。芸能界で活躍する二人の息子さんとの「距離」も近く、各種の好条件が整った中で、家族それぞれが望む形の在宅終末期ケアがなされていたのではないかと推察する。
もう一つ、今度は「死因」に注目して先の表を見直していただきたい。最も多い死因は「癌」で3人。これに、「心不全」1人、「肺炎」1人が続いている。そして今回、高島さんの死因として公表された「老衰」が加わった。これを聞いて、著名な芸能人の訃報ではあまり耳にしなかった気がする……」という思いを抱く方がいるかも知れない。
実は高島さんの訃報に先立つ6月7日に、ちょっとしたニュースがあった。厚生労働省が発表した2018年の人口動態統計月報年計(概数)で、日本人の「3大死因」の一つに、初めて「老衰」が加わったのだ。2018年に亡くなった日本人の死因を調べた統計で、第1位は「悪性新生物」(癌)、第2位は「心疾患」。第3位は「脳血管疾患」や「肺炎」を上回って、「老衰」がトップ3入りを果たしたのである。
「老衰」が増加したのは、医療者側の意識の変化が大きい。以前から医療界では、「『肺炎や誤嚥性肺炎で亡くなった』とされる高齢患者の多くは、加齢による衰弱こそが真の死亡原因だ」との指摘が多かった。そこへ、日本呼吸器学会が2017年に発表した肺炎診療に関する新たなガイドラインで、<患者が老衰状態にある場合は、個人の意思やQOLを重視し、必ずしも積極的な治療を行わない>とされたことも契機となり、自分の患者が老衰の状態にあるかどうかを意識する医師が増加。死亡診断書の死因病名に、「肺炎」ではなく「老衰」と記載するケースが増えたものと推測されている。
老衰はここ数年、右肩上がりで上昇している。同じ傾向は続く勢いにある。「老衰」で亡くなる芸能人は、今後もますます増えてくるだろう。
高島さんの悲報を通じて、在宅死をめぐる最近のトレンドと医師の意識の変化について考える機会をいただいた。ここに、心からのご冥福をお祈りしたい。
(みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎=が昨夏、文庫化されました。クレーム集中病院を舞台に医療崩壊の危機と医師と患者のあるべき関係をテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=も好評発売中)
・三輪先生の時々の思い⑤ 第一次世界大戦から第2次大戦へ
6月28日は、第1次世界大戦終結のいわゆるヴェルサイユ条約が成立してちょうど100周年の記念日であった。
アメリカの大統領ウッドロウ・ウィルソンが示していた原則にもとづいて形成された、いわく民族自決、公海の自由、国際連盟の形成が合意された。
しかし大統領の全国行脚の努力にもかかわらず、連邦議会の賛同を得ることが出来ず、国際的合意として成立したにもかかわらず、アメリカ合衆国はせっかくの国際協調機関たる国際連盟の主要リーダーとなるべき責任を忌避したことになった。
これが日本やドイツ、イタリアなどの拡張主義的対外行動を抑止する力とならず、結果的に第2次大戦を導くことになった。
(2019・6・29記)
・菊地大司教の日記㊺聖霊降臨・合同堅信式/教皇フランシスコ5
2019年6月11日 (火)
*聖霊降臨の主日、合同堅信式@東京カテドラル
聖霊降臨の主日の午後2時半、東京カテドラル聖マリア大聖堂において、東京教区の合同堅信式が行われました。
毎年、それぞれの小教区で堅信式を定期的に行う大きな共同体もいくつかありますし、または司教訪問の際に堅信式をする小教区もありますが、それではすべてを年内にカバーできないので、こういった合同堅信式も大切です。
とりわけ、教区はその司教とともに歩みをともにする一つの共同体なのですが、その「ひとつであること」を感じる機会はそれほど多くはありません。どうしても、一人ひとりが所属する小教区共同体を基準に教会を考えますし、それは当然です。しかし同時に、教区としての共同体の意識は重要ですし、その意識はひいては教皇様を牧者とする普遍教会の共同体の意識を持つためにも、重要です。わたしたちは一緒になって、時の流れの中を旅し続ける、神の民だからです。
今年は、22の小教区から168名の方が、合同堅信式に参加してくださいました。昨年は、わたしひとりですべての堅信を授けた結果、ミサの終了が夕方5時を遙かに過ぎることになってしまいました。遠方から来られる方も少なくありませんので、今年は、私と一緒に、堅信を授ける権能を委任した、関口教会と韓人教会の両主任司祭に、一緒に手伝っていただくことにいたしました。2時半に始まったミサは、4時半には終えることができました。
多くの神父様が共同司式に参加してくださり、今年からの式典係(小池、江部、高田神父様方)に従い、堅信前の按手の祈りでは、共同司式司祭が一列に並び、手を差し伸べて聖霊の助力を祈りました。なかなかの壮観ではなかったかと思います。
堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。それぞれの心の内に秘めた思いはわかりませんが、それに関わらず、聖霊の力をもってわたしたちをご自分の考えのように使われるのは、主ご自身であることを忘れずにいましょう。
以下、ミサ説教の原稿ですが、ミサ中には少し変更してお話ししています。
「この世界で、与えられたいのちをより良く生きていくために必要なことは、いったいなんでしょうか。
人ぞれぞれに思うところもあるでしょうし、それぞれの置かれた事情も異なりますから、そこには様々な答えがあることでしょう。わたしは、与えられたいのちをより良く生きていくために必要なことの一つは『未来への希望』であると思っています。
何年も前に訪問したアフリカの難民キャンプで、キャンプのリーダーに『何が必要か』と尋ねたとき、彼は『俺たちは世界中から忘れられた。まだここにいることを、皆に知らせてくれ』と訴えました。食べるものも、住むところも不足し、着るものさえも、不足している。ないないづくしの困難の中で彼が真っ先に訴えたのは、『皆から忘れ去られることへの絶望でした。
このとき、『人が生きていくためには、もちろん衣食住がそろっていることが不可欠だけれど、それ以上に、人とのつながりの中で、将来への希望を見いだすことが大切なのだ』と知りました。
希望のない世界で、いのちを豊かに生きることには、大きな困難がつきまといます。いのちの大切さを訴えるわたしたち教会は、生きていくための希望を失っている人たちに、なんとかその希望をもたらしていきたい。希望を生み出す社会を生み出していきたい。そもそも、わたしたち教会の共同体が『生きる希望を見いだす場』でありたい。そう思います。
復活祭のスリランカでの事件や、先日のカリタス小学校での事件のように、大切な人間のいのちが、暴力的に奪われる事件が相次ぎました。亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、残された方々の上に神様の慈しみ深い、いやしの手が差し伸べられるように、心から祈りたいと思います。
その上で、あらためて、『神から与えられたいのちの尊厳が守られ、賜物である命が始めから終わりまで守られるように』と、わたしたち教会は主張します。同時に、暴力的な犯罪に手を染めてしまったを犯人も含めて、すべての人に生きる希望が生み出されるように、希望に満ちあふれた社会を生み出していくことができるように、努めていきたいとも思います。
さて、五旬祭の日に、弟子たちは一つになって集まっていたと、第一朗読に記されていました。そこには共同体として一致している弟子たちの姿が描かれています。人々を恐れて隠れてしまうというほどに消極的だった弟子たちは、聖霊を受けることによって、『霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した』と記されています。
この弟子たちの様子を目撃した人々の言葉にこうあります。『彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは』。すなわち弟子たちは聖霊に満たされることによって、神の業を語り始めたのだけれど、それは人々が理解できる言葉であったということです。堅信の秘跡を受ける信仰者は、大人の信徒としての道を歩み始めます。大人の信仰には、与えられた賜物に応えていく責任が伴います。その責任とは、主イエス御自身が弟子たちを通じて私たちに与えられている、福音宣教の命令です。大人の信徒の責任は、派遣されて出た社会の現実の中で、人々が理解できる言葉で福音を語ることであります。いや、言葉以上に、わたしたちの生きる姿勢で、福音を目に見えるものとしているか、であります。
わたしたちは、自分の生きる姿を通じて、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。わたしたちはイエスのいつくしみを表すような生き方をしているでしょうか。いのちを大切にするような生き方をしているでしょうか。いのちを生きる希望に満たされているでしょうか。
わたしたちは、ほかの方々との関わりの中で、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。忘れ去られる人のいないように、手を差し伸べようとしているでしょうか。人間関係の中で、希望を生み出しているでしょうか。
わたしたちは、愛の奉仕の業を行うことで、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。わたしたちは、困難に直面する人たちの存在に気がついているでしょうか。必要な助け手をなり得ているでしょうか。愛において希望を生み出しているでしょうか。
本日の第二の朗読、ローマの教会への手紙でパウロは、霊の望むところと、肉の望むところは相反しているのだ。私たちは霊の導きに従って神の子となり生かされるのだ、と教えます。
肉の望むところ、すなわち、わたしたちが実際に生きているこの世界が大切だ、大事なのだ、と教えるところに従っていくことです。残念ながら、わたしたちが生きているこの世界は、完全なところではありません。悲しみや恐れを生じさせ、いのちを奪うことさえ許してしまうような世界です。
それに対してパウロは、霊に従って生きる、すなわち、神の霊によって導かれ、神の望まれるような生き方をするときに、わたしたちは神の子となり、イエスと同じ相続人となるのだ、と教えます。
イエスご自身の人生は、他者のために自らを犠牲にする人生でありました。わたしたちはそのイエスと同じ相続人となろうとするのですから、イエスとおなじように、他者への犠牲のうちに生きようとするのです。
わたしたちは相続人ですから、イエスと同じようにいのちを生きる希望を告げ知らせるのです。
わたしたちは相続人ですから、悲しむ人へ慰めをもたらし、すべての人が神に愛される大切な存在であることを、言葉と行いで示すのです。
一人ひとりの能力には限界があります。私たちはひとりでは完璧にはなることができません。でも私たちには互いを支え合う信仰の共同体があります。そして、なによりも、私たちを支え導く聖霊の照らしがあります。「上知、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬の七つの賜物が、聖霊によって与えられます。聖霊の導きに信頼しながら、そして共同体の支えに力づけられながら、勇気を持って、自らの言葉と行いで、希望を掲げてまいりましょう。
*教皇フランシスコ
教皇フランシスコの来日は、その可能性の報道や噂が先行し積み重なり、すでに確定したように語られていますし、教皇様自身も、先日国際カリタスの総会参加者謁見の終わりに、謁見室から退場する際、歩みを止められて最前列にいた私のところへ近づいてこられ、「次は東京で会いましょう」と言われたほどですから、かなりの程度で確定に近づいているのでしょう。
しかしながら、今の段階では、聖座から公式な決定の発表はなく、実は、完全に確定しているわけではありません。実現するように祈り続けたいと思います。
さてそんなわけで、中断していますが、使徒的勧告「福音の喜び」から、教皇フランシスコの考えているところを学び続けたいと思います。
「宣教を中心にした司牧では、『いつもこうしてきた』という安易な司牧基準を捨てなければなりません。皆さんぜひ、自分の共同体の目標や構造、宣教の様式や方法を見直すというこの課題に対して、大胆かつ創造的であってください。目標を掲げても、達成のための適切な手段の探求を共同体が行わなければ、単なる夢に終わってしまうでしょう」(「福音の喜び」33項)
ちょうどこの聖霊降臨祭を締め切りにして、東京教区の宣教司牧方針への提言をお願いしていました。メールだけでも60通の回答をいただきました。ありがとうございます。
教皇フランシスコは昨年開催された青年のためのシノドス最終日の10月28日、お告げの祈りに集まった人々に、シノドスのプロセスを振り返って、こう述べています。
「しかし、このシノドスの第一の実りは、これから見習うべき、準備段階から取り入れられた手法にあると思います。それは、書面の文書を作成することを第一の目的としない『シノドス様式』です。書面の文書も貴重で有益なものですが、それ以上に、現状に即した司牧的選択をするために、老若男女が集まり、協力しながら傾聴と識別を行う方法を推進することが重要です」
東京教区全体から代表者を集めて、実際に会議を開いて方針を話し合うことは、それに必要な準備も考えれば、あまり現実的な選択ではありませんでした。そこで会議を開かずに、できるだけ多くの人が互いの話に耳を傾け、祈りのうちにともに識別を進める方法を模索しました。それが今回の、祈りのうちに行われる話し合いであり、その実りの集約であります。少しばかり大げさですが、今現在東京教区の宣教司牧方針を識別するために、わたしたちはシノドス的な道を歩んでいると考えています。
これからの道のりについては、後日教区ニュースで詳しく解説いたしますが、いずれにしろ目標を掲げて、その具体化を目指していくことになります。目標を掲げるプロセスで、また具体化する実行で、教皇様の『福音の喜び』の言葉を思い出したいと思います。
「大胆かつ創造的」に、『いつもこうしてきた』という判断基準を捨てて、東京教区のこれからのために、一緒になって道を見いだしていきたいと思います。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
(カトリック・あい:「司教の日記」から、ご本人の了解を得て転載しています)
・菊地大司教の日記 ㊹海外にいる間に…ひたすら悲しい‥ローマで国際カリタス総会
海外にいる間に 2019 年6月1日
国際カリタスの総会のためローマにいる間に、日本では生命に関わる悲しい事件が発生していました。
28日の朝、登校するためにスクールバスを待っていた川崎市のカリタス小学校の子どもたちが刃物を持った大人に襲われ、6年生の女の子お1人と、保護者の男性お1人が命を奪われ、17名が傷を負われた、と聞きました。
大切な存在を突然暴力的に奪われた方々。その心の悲しみに対しては、どんな言葉も足りないのだと思います。心からお悔やみ申し上げるとともに、わたしも言葉にならないくらいに悲しいことだけをお伝えします。亡くなられた方々の永遠の安息をお祈りするとともに、傷を負われた子どもたちの一日も早い回復をお祈りします。
カリタス小学校に通われている多くの子どもたち、その家族、そして教職員。多くの方が心におわれた悲しみ、恐れ、怒りなどを思うとき、犯行に及んだ人物の凄まじい暴力の負の力に、わたし自身の心をつぶされそうに感じます。
どんな理由があっても、神が与えられ愛される人間のいのちを、暴力的に奪い取ることは許されません。ましてや、人から生きるための希望を暴力的に奪うような暴虐も、許されてはなりません。
これからしばらくの間は、犯行に及んだ人物の背景などが報道されることでしょう。確かに背後には社会的な要因も指摘されることでしょうし、そういった社会的要因の解消に取り組むことも避けてはならないでしょう。
しかし、何にもまして、わたしは「この社会にあって、人間の生命を大切にすることは人間の務めだ」という価値観が、普遍的な価値観でなければならないことを、主張し続けたいと思います。「生命における希望を奪い取ることは、許されないのだ」と言うことを、主張し続けたいと思います。
カリタス小学校の皆さんに、そして関係する多くの方々に、生命の創造主である神様の慈しみと力に満ちた守りがあるように、心から祈ります。ただただ、悲しいです。
第21回国際カリタス総会@ローマ 5月23日~28日
国際カリタスは160以上の国と地域にある、それぞれの司教協議会などに認められたカリタス組織による連盟ですが、同時に教会の愛の活動の組織として、教会法上の法人格も与えられており、その本部はバチカンに置かれています。
全体の活動方針を定めたり、総裁や事務局長、また理事会に当たる地域代表会議のメンバー選出などのため、4年に一度、総会が開催されています。
去る5月23日から28日まで、ローマ市内のコンファレンスセンターを会場に、21回目の総会が開催され、450名以上が世界中から参集しました。日本からは、国際カリタスの連盟のメンバーであるカリタスジャパンから委員会の秘書と事務長の3名が参加しました。
国際カリタスは世界を7の地域に分けており、わたしはその一つであるカリタスアジアの総裁の立場で、カリタスアジア事務局長とともに参加してきました。(写真は、会場外に設けられた各地域のブースで作業をするカリタスアジアの代表たち)
国際カリタスの役職は4年が一期で、2期8年までとされています。わたしは2011年の総会でアジアの総裁に選ばれ、2015年に再選されていたので、今回が8年目で最後の総会となりました。1999年の総会以来、様々な立場で国際カリタスの総会に参加してきましたので、今回が5回目の総会参加となりました。
なお今回の総会の間にアジア地域の会議が行われ、その場で、新しい総裁に選ばれたバングラデシュのベネディクト・アロ氏にバタンタッチをいたしました。またカリタスアジアの理事会である地域会議へは、東アジアから韓国、東南アジアからフィリピン、南アジアからネパール、そして中央アジアからモンゴルが選出され、そのうちのフィリピンと韓国が国際カリタスの地域代表会議に参加することになりました。
国際カリタスの総裁は、マニラのタグレ枢機卿が4年の一期目を終わったところでしたから、ほかに対立候補もおらず、あと4年間の再選となりました。またわたしと同じく8年の任期を終えたミシェル・ロワ事務局長の後任には、彼と同じくカリタスフランス出身で、これまで国際カリタス事務局で働いていたアロイシウス・ジョン氏が選出されました。アロイジウス氏は、もともとインド出身で、アジアのカリタス組織とも長年の連携がある人物です。
また総会開始に先立って、23日の午後には、聖ペトロ大聖堂で教皇様司式の開会ミサが行われ、さらには、27日の月曜日午前中に、会議参加者全員との特別謁見も行われました。この謁見で教皇様は、なんと450人以上の参加者全員と握手をされました。
謁見が終わって退出される際には、一番前の席に座っていたわたしの方に近づいてこられ、「次は東京で会いましょう」と声をかけていただきました。(写真は、教皇様に挨拶するカリタスジャパンの田所事務長)
今回の総会のテーマは「One Human Family, One Common Home」とされていました。「One Human Family」は、このところの国際カリタスの継続したテーマで、「わたしたちは一つの人類家族」というような意味。「One Common Home」は、教皇様のラウダート・シによっていて、「共通の一つの家」というような意味です。
総会の中では、これまで国際カリタスが4年間取り組んできた活動計画を、さらに充実させて4年間継続するような内容の、活動の全体枠が採択されたり、それに掲げられた優先事項への具体的な取り組みについての、小グループでの話し合いも行われました。
ビジネスだけではなくて、会場のホテルには聖堂も設けられ、毎日朝7時からテゼ共同体のブラザーによる朝の祈りではじまり、会議前の朝8時半からは、タグレ枢機卿による30分の霊的講話。夕方6時半からはミサ。さらに夜9時からは、再びテゼ共同体のブラザーによる晩の祈りも行われ、カトリック教会の援助支援団体としての性格を明確にしました。
なお今回の総会で、アジアのカリタスから推薦していた、キルギスのカリタスと、シンガポールの二つ目のカリタスであるCharisの二つが、メンバーとして認められました。シンガポールは、国内の事情で、国内の活動に取り組むカリタスシンガポールと、海外の活動に取り組むCharisの二つがあり、これまではカリタスシンガポールだけが国際カリタスのメンバーでした。ただし一つの国に複数のメンバーがいても、投票の権利は一つの国、または地域で、一票だけとなっています。

会議初日には、国連のグティエレス事務総長からのビデオメッセージがあったり、国連食糧農業機関(FAO) 事務局長ジョゼ・グラチアノ・ダ・シルバ氏の講演があったりと、国際社会からのカリタスへの期待を感じさせるものがありました。
また教皇様は、ミサの説教でも謁見でも、完璧なプログラムではなくて人が大切であることを強調され、「耳を傾ける謙遜」「様々なカリスマの集まり」「捨てることの勇気」の3つをもった主にしたがって歩む教会で会ってほしい、と述べられました。
また、聖座の総合的人間開発促進の部署(タクソン枢機卿担当)が国際カリタスを担当するが、それは国際カリタスのが役所の下にあるのではなくて、ともに歩んでいくためだとも強調され、教会の愛の奉仕の業の手段としてふさわしく機能してほしいと期待を述べられました。
なお、わたしは、カリタスアジアとそれに伴う国際カリタスの役職は終わりましたが、カリタスジャパンの責任者は継続していますので、まだしばらくは、カリタスのことに関わり続けます。(写真上。カリタスアジアの総裁を引き継がれたベネディクト・アロ氏と私)
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)(「司教の日記」よりご本人の了解を得て転載)
・Sr.阿部のバンコク通信㉝来タイ25周年の私たちの修道会に、初のタイ人終生誓願者が2人!
聖パウロ女
子修道会がタイ国に設立されて25年の月日が経ちました。 派遣された1994年4月21日と同じ日、 修道院の小さな聖堂で感謝のミサを捧げ、 心新たに再出発しました。
これまでのお導き、 多くの方々の支え励ましを偲びながら、3日間黙想巡礼を計画し、 創設当初の家、毎朝黙々と通った教会、 お世話になった修道院などを御礼訪問しました。
中でも、この6月15日に終生誓願を立てる初のタイ出身の2人を伴っての、25周年のミサと巡礼は、 正に感無量でした。 設立当初からいる私が、当時の様子を説明し、一緒に祈りました。 華やかさは一切避けた25周年のお祝い、 感謝と賛美を、心をひとつにして捧げました。
2人の入会は、私たちの修道会がメディアを通じてタイでささやかに始めた、福音宣教の 道々の出会いの中にありました。
タイ語を学びながら家探し、友人宅に2年余りの仮住まいの後、 郊外の聖ミカエル教会の前に居を構え、次いで最初の出版に挑戦。 日本の女子パウロ会の『ベンハー』2巻の翻訳出版、続いて『 白い鳩のように』、『クォヴァディス』、講談社『漫画聖書物語』などの単行本を、それぞれ5,000 冊づつ出版し続けました。
なぜ漫画? お世話になっていた修道院の経営する学校の子供達のカバンの中が 、日本の漫画本(タイ語) でいっぱいだったのを見て、そこからヒントを得たのです。 早速、日本の本部から本を取り寄せ、版権使用許可を得て翻訳、 当初はフィルムに手書きで書き入れる作業をしていました。
この漫画本を、タイの北の果てのメーホンソン、 南はチョンブリに住む、本大好きのアティタヤー、 メディアや漫画好きのパリチャットが手にし、私たちの修道会を知って入会。 長い養成の後、終生誓願を銀祝の年の贈り物にしてくれたのです。
刈り入れの主に感謝し、働き人を切に祈る日々です。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員=写真は、左右がタイ出身の初の終生誓願者二人)
・三輪先生の時々の想い ④フランスの経験に学べ-無防備な”隣人愛”の日本を憂う
外国人のご意見番として知る人ぞ知る高名なフランス人歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏は「問題の所在が明らかになっているのに、日本政府は明確な対応策を確立していない」と警鐘を鳴らしている。少子化に対して具体策は示さずに、人手不足を補う策を労動力たりうる人材の受け入れだけを示しているに過ぎない。
そうしてようやく、外国人受け入れに舵を切ったかに見える政府だが、変な”人類愛”だか”隣人愛”だか、はたまた変な”平等主義”だか知らないが、選別の目安さえ明確に認識している様子が無い。トッド氏は、その事に警告を発している。
フランスでは、多文化主義的に移民を受け入れたが、イスラム系移民の同化が進まず問題が多発し、「 いずれフランス語を話し、 フランス国民になる」との期待が報いられなかった。「フランスの轍を踏むな」「多文化主義だ」などと書生っぽいユーピア思想に酔ったりしていたら、とてつもない”禍根”を残す事になるーとも、彼は指摘する。
”禍根”の恐れの最たるものは、中国と中国人。人口十数億を擁する巨大な隣国である。ひとたび移動が始まれば、やがて巨大な流れに発展して止まるところを知らぬだろう。独裁国家中国から来る中国人はそれぞれ国家的使命を託されている、と見るべきである。隣人として無防備な友好関係を築くと危険である。
ところがそんな潜在的な危険因子に気付いていないのか、あるいは気付いているが日中友好の看板のためなのか、日本のメディアは民間の日中交流を高く評価するニュースを採り上げたがっているように見える。トッド氏の警鐘には、ほうっかむりを決め込んでいるようだ。
例えば『日経』の特集記事「令和に生きる」2(2019年5月22日付け)の紙面である。「外国人と共に暮らす 店主や住民深まる交流」と大小の見出しのもとに、次のように報告する。
「かつて違法な性風俗店が乱立していたJR西川口駅(埼玉県川口市)前の繁華街。2006年ごろの摘発強化で空いた物件に中国人が相次いで飲食店を出し、中国語の看板が並ぶリトル・チャイナに生まれ変わった」
経済的ばかりでなく、軍事的にもアメリカ合衆国と、つばぜり合いを始めてしまっている超大国、巨大な独裁国家の”人民”としてやって来た在日中国人。彼らに何の疑心も抱かず、彼らの愛国心が時としてわが日本国の国益と両立しえない方向に向かうかも知れないことに、全く気配りもせず、「友情の花を咲かせた」と自己満足に陥ってしまったかのような言いようだ。
こんな無防備な”隣人愛”と”国際親善感覚”でいいものだろうか。(2019・5・27記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授・元同大学国際関係研究所長)
・Sr石野思い出あれこれ⑪続・志願者生活-いちばん辛く苦しいのは、本の”プロパガンダ”
朝の祈りを唱えてからミサに与る。ミサの後は黙想、朝食と続く。 朝食には苦手のチーズが頻繁に出て情けなかった。出されたものは何でも食べること、と言われていたので、残すわけ にもいかず、ナイフとフォークでチーズを細かく刻んで水と一緒に薬のように飲みこんだ。それを見ていたシスター は止めてもくれず何も言わなかった。でもそのおかげで、今はチーズが食べられるだけでなく、大好きになった。
朝食が済むと一人ずつ名前を呼ばれて、その日の仕事が割り当てら れる。「Aさんはお洗濯」、「Bさんはお掃除」、「Cさんはお台所」、「Dさんはお使い」など。私たちはこれを「 お告げ」と呼んでいた。
ある日、聖パウロ修道会(男子修道会)で印刷され、製本されたカ トリック関係の本が私たちの修道院に運び込まれた。それらを普及することによって直接の布教活動をするためだった。黒い布の大き なカバンに入るだけの本を詰め込み、イタリア人のシスターと志願者が二人ずつ一組になってそのカバンを持って出かける。
一軒 一軒家を訪ね、「私たちはカトリックの修道院から参りました。よいご本をたくさん持っておりますので、どうぞ、ご覧になって下 さい」と、イタリア人の神父様がローマ字で書いてくださった文章を丸暗記して口に出し、玄関先に本を並べる。たいていの家で 本を買ってくださった。こうしてキリスト教の布教につとめた。
これを私たちは「プロパガンダ」と呼んでいた。私にとってこの仕事は 非常に辛く苦しいものだった。重いカバンを下げて歩くことは、まだ若い私にとってそれほど苦にはならなかった。しかし、布教と いう大切な仕事をしているにもかかわらず、私には行商をしているように思え、また私を見る人からもそのように見られているのでは ないだろうかという思いが頭に去来し、自分が惨めで、哀れで、情けなかった。修道院が阿佐ヶ谷、実家が阿佐ヶ谷だから知人に会 わないわけがない。
「ごめんください」とお玄関のドアを開けると「ハイ」と言って出てきた人が学校時代の上級生だったり、駅の改 札口を出た途端に実家の近くに住んでいる人に出 会ったり、今なら何でもないことだが、その頃の私は顔から火が出そうなほど恥ずか しく、足が動かなくなってしまった。
それでも夜、綿のように疲れた体を布団の中に横たえた時「今日も 一日神様のために働くことが出来た」という感謝と喜び、幸福感が心を満たしてくれるのだった。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)
・Sr.岡のマリアの風 ㊵㊴日々の生活の中で、神さまの夢が、ちょっと見える時…
昨年、イタリアの母校の先輩、フランシスコ会のステファノ神父が、教皇庁立国際マリアン・アカデミー(略称PAMI)の長官となった。北イタリア出身のステファノ神父は、「ほんとに、アシジの聖フランシスコの子やな~」と感じさせる人柄だ。
ステファノ神父と共に、PAMIは今、「境を越える」歩みを始めている。あらゆる境を超えて-個々のカリスマ、修道会、信心会、巡礼地…、国境、文化、言語、さらには、宗教も超えて、「平和、赦し、和解の道としての、母マリア」というテーマに向かって。
わたしたち、PAMIの、アジアとオセアニア部門とも言える、AOMA(アジアとオセアニアのマリアン・アカデミー)は、PAMIの小さな「反映」「証し」となれれば、と願いつつ、ひじょうにささやかだが、一歩一歩、とにかく前に向かって歩みを続けている、という感じ。
まことに、手探りのように模索している状態だけれど、「境を超える」動きに共感しながら。何といっても、まず「自分の考え、自分の利益、自分の興味」を超える。「マリアのためのアカデミー」と言いながら、「わたしはこう思う、わたしの方が正しい…」と言っていると、いつのまにか、「マリアの道」から離れていく。
神さまが地上に蒔いた「みことば」から、野原にさまざまな花、植物、木…が生えている。それぞれが「誰が一番きれいか」と競争している間は、一つにはなれない。いろいろな花、いろいろな色、花の咲かない木や野菜があってもいい。それぞれが、「神さまの夢」-ありとあらゆる「違い」が、違いのままで、美しい園-の実現のために、救いの歴史の中の「自分のパート」を一生懸命生きるとき、初めて一つになっていくのでは、と感じている。
歩みを止めてしまって、議論していても、一つにはなれない。人間の理屈が造り出す「一致」は、はかなくもろいものだ。神の夢である「一つになること」は、理屈ではない。誰の方が正しい、ということではない。みんなそれぞれ、わたしもあなたも、足りないところがある、間違っていることがある、だから、足りないところを補い合って、間違っていることを共に悔い、そして改めながら、歩んでいく。神さまのふところで「一つになる」ために。
議論していても、和解の道が見つからなくても、同じ目的に向かって、共に汗をかくとき、知らない内に、わたしの手が、あなたの手と重なって、同じものを造り出していく。いつのまにか、「わたしの幸せ、わたしの成功」ではなく、共に造り出している「わたしたちの幸せ」を望んでいることに気づく。
それが、神さまのイメージ(姿)として、自由の賜物を与えられて、「共通の家-人類家族-」を造り出す協力者として呼ばれている、人間の本当の姿だろう。
神さまの夢は、神さまのイメージである「すべての人間」が、正義といつくしみ、和解と赦しの社会-共通の家-を造り出すことにある。もしわたしたちが、「わたしが、わたしが…」と自分の世界に閉じこもっているなら、それは神さまの夢から「後退している」ことになるだろう。
わたしは、イスラエルの民の娘、ナザレのマリアの道は、小さな者たちの道、地道で、でも具体的な道だと思っている。「お母さん」のふところの中で、どの子どもも、みんな大切。だから、マリアの道は、差別せずに、すべてをふところに受け入れていく道。神さまの夢は、いつも、もっと大きいことを知っているから、マリアの道は、神さまの大きい心に信頼して、あきらめずに歩んでいく道…だと、わたしは感じている。
マリアのように、みことばに耳を傾け、心を開き、祈りつつ、一歩一歩、謙虚に歩いて行く。小さな者たちが、共に、歩いていく。神さまの夢の実現のために!
祈りつつ
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」㉛ 100年前に学ぶ「在宅」
今から113年前の明治39年4月1日に世に出た医学書が手元にある。刊行されたのは、日露戦争の終戦翌年に当たり、「満鉄」設立の勅令が出され、夏目漱石が『坊っちゃん』と『草枕』を発表した年だ。本の題名は、『実用家庭看護法』(目黒書店)。当時はまだ相当に珍しかった女性の医師・大八木幸子氏が編集した家庭向けの医学書である。現代医学の立場から眺め直して、違和感を覚える記述もある。しかし、「在宅医療」に関する記述には、大いに学ぶべきところがあると感じた。
明治の世に病気を患った人々は、家庭で療養生活に入り、必要に応じて医師の往診を受けるというケースが非常に多かった。俳人・正岡子規が結核で療養生活を送り、36歳の若き一生を閉じたのも自宅だ。その<終の間>を公開している東京・根岸の「子規庵」を見学されたことのある方も多いだろう。子規の没年は明治35年。『実用家庭看護法』が刊行される4年前に当たる。
一方、明治政府のテコ入れもあって、首都・東京を中心に近代的な病院の整備は急速に進みつつあった。患者や家族にとっては、「在宅医療を受けるか?」「入院生活を送るか?」を選択できるようになった初めての時代だった。
こうした中で、前掲の『実用家庭看護法』は次のように記述する。
〈病人は、心静かに、快楽に日を送らしむることをはかるべし。人の、病にかかりたる時に、家族の者より慰めを受くるは、最大幸福なることにして、これをもって家庭療養の病院療養にまされりとするところなり〉(第二編『病者の衛生および各容体について』の『慰愉』の章から=仮名遣いなどを一部改め、句読点も追記した)
在宅医療には家族の慰めがある――。自宅に身を置いて療養生活を送ることの長所をずばりと指摘した記述だ。家族とともに穏やかで安らぎに満ちた時間を過ごせる点を強調することで、在宅医療のメリットをうたう。
求められる家族のケアについては、次のように記述されている。
〈病人には、病苦を忘れしめむために、その病人の好むところに従いて、花を活け、琴を弾じ、書籍を読み聞かせ、また静かに談話などして気を転ぜしむべし。しかしながら、ただ安静をのみ必要とする場合には、これらも害あり〉(同)
令和の時代に、ベッドサイドで琴を演奏するのはさすがに難しい。だが、患者が好む環境を作り出す工夫を指摘している点は、なるほどとうなずける。注目したいのは、介護に当たる家族に対して「休息を取る」ことの重要性を繰り返し説いている点だ。
〈病人のある家にては、看護する人も良く摂生を守り、相当に休息せざれば、第二の病者を生ずることあり。あるいは、看護に怠たりを生ずるものなれば、看護者も疲労せざるようにすべし。夜間看護を要する場合には、二人以上あい交代し、睡眠時間はかならず六時間以上取り、食事を正しくし、滋養分を取り、日々入浴して身体清潔にし、健康を破らざるようにすべきなり〉(第二編の『診察を受け看護するについての注意』の章から、同)

















東京教区のカトリック小金井教会では信徒有志による実行委員会の企画・実施で1999年5月5日に「キリスト教伝来450年記念―江戸の殉教者を偲ぶ巡礼」を実施して以来、今年で20年目を迎えた。今回は、5月7日に「富士(富士吉田教会・富士の聖母像・富士聖ヨハネ学園)をめぐる巡礼」を、主任司祭の加藤豊神父さまと信徒49名の参加により実施された。
合目と3合目の間にある樹海台駐車場から整備された階段を10分ほど徒歩で登って、高さ3㍍の純白の大理石の富士聖母像に到着。加藤神父さまからルルド、ファティマ、無原罪、扶助者それぞれのマリアさまのお姿について説明があった。綠の木々を背景に白さの際立つマリア像の前で聖歌「あめのきさき」と、喜びの原義のロザリオ一環を捧げ、最後に「アベマリア」を歌った。晴れ間の見えた天気が途中で小雨になるなど富士の春らしい天気となったが、駐車場に下るころには雨は上がった。
スタッフから「あなたは今日、何回、笑いましたか」という園生への問いかけを大切にしていると聞いたが、園生たちの明るい表情からその意味が納得できた。人生の最後は、マリアンナホールでの通夜ミサ、ソフィアホールでの葬儀ミサと学園全体でお別れ会が行われるという。学園での生活を維持するには莫大な費用がかかるが、多くの方々から援助をいただいているという。「キリストのように人を愛し、病める人、苦しむ人、弱い人に奉仕します」という言葉が生きていることを目の当たりにする思いだった。