・豪王立委員会が聖職者児童性的虐待に関する報告公表ー”逆転無罪”のペル枢機卿は反論、メルボルン大司教は改めて謝罪

 

Cardinal George Pell arrives at the County Court in Melbourne, AustraliaCardinal George Pell (file photo)  (AAP Image)

(2020.5.7 Vatican News)

 オーストラリアの連邦最高裁判所が4月7日、ジョージ・ペル枢機卿(元メルボルン大司教、前バチカン財務事務局長官)を未成年性的虐待で有罪とした下級審の判決を無効とする判断を下したが、公判中は非公開とされていた同国の王立委員会による豪州議会への最終報告が明らかになった。

 報告によると、1970年代から1980年代にかけ、同国においてカトリック聖職者が犯した悪名高い性的虐待の複数の事件にペルが関与している、とし、ペルを批判しているが、ペル枢機卿は7日、声明を発表し、最終報告に盛られたこれらの内容について、「明確な証拠に基づくものではない。驚いている」と否定した。

 最終報告では、ベルが関与した事件の代表的なものとして、1960年代から30年にもわたって130件以上の児童性的虐待を繰り返したジョージ・リズデール神父を取り上げ、ペルを含めた教区の責任者たちは、同神父を犯行の場となった教会から他の教会に異動させる決定に関与した、としている(注:APによると、リスデールは1994年に34年の実刑判決を受け服役中)。

 そして、特に1977年と1982年に開かれた教区の人事委員会注目したが、ペルは声明で、「リズデールに関する人事を決定した当時、責任者たちには、彼の不法行為が知らされていなかった」と反論した。

 また最終報告では、ペルがメルボルン大司教区の補佐司教をしていた当時起きた、ピーター・サーソン事件についても取り上げている。サーソン神父は1960年代から10年以上にわたって、教区や学校で、児童を性的に虐待したとして被害者などから訴えられた。正式に起訴されることはなかったが、犯行の際に司祭を務めていた教会から転出させるなど、適正な対応をとる立場にあったにもかかわらず、そうしなかった、としている(注:APによると、サーソンは2009年に死亡)。

 これについて、ペルは、声明で「1989年にサーソンが司祭を務めていた教会の代表者たちと会ったが、性的暴行については彼らから言及がなく、サーソンを教会の担当から外すように求められることはなかった」とし、さらに、1996年にメルボルン大司教に指名された直後に、サーソンに休暇を取らせ、その二か月以内にその教会から転出させた、として、自身に手落ちがなかった、と主張している。

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 一方、ペルが教区長を務めていたメルボルンのピーター・コメンソリ大司教とバララットのポール・バード司教も同日、声明を出し、その中でコメンソリ大司教は「幼児性的虐待に対する王立委員会の議会報告の資料が全て公開されたのは結構なことだ」とし、バード司教もそれに同調した。

 そのうえで、大司教は、「カトリックのメルボルン大司教区が、若者たちと傷つきやすい成人たちを責任をもってケアし、保護する責任を果たさなかったこと」について、改めて、全面的に謝罪し、バード司教も「過去における教区の管理運営の失敗によって、教会を安全な場と確信していた極めて多くの子供たちに対して、ひどい性的虐待を許してしまった」「被害者とその家族の方々に悲惨な結果を生んだ」と深い反省と謝罪を表明した。

 

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2020年5月8日