また最終報告では、ペルがメルボルン大司教区の補佐司教をしていた当時起きた、ピーター・サーソン事件についても取り上げている。サーソン神父は1960年代から10年以上にわたって、教区や学校で、児童を性的に虐待したとして被害者などから訴えられた。正式に起訴されることはなかったが、犯行の際に司祭を務めていた教会から転出させるなど、適正な対応をとる立場にあったにもかかわらず、そうしなかった、としている(注:APによると、サーソンは2009年に死亡)。
これについて、ペルは、声明で「1989年にサーソンが司祭を務めていた教会の代表者たちと会ったが、性的暴行については彼らから言及がなく、サーソンを教会の担当から外すように求められることはなかった」とし、さらに、1996年にメルボルン大司教に指名された直後に、サーソンに休暇を取らせ、その二か月以内にその教会から転出させた、として、自身に手落ちがなかった、と主張している。
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一方、ペルが教区長を務めていたメルボルンのピーター・コメンソリ大司教とバララットのポール・バード司教も同日、声明を出し、その中でコメンソリ大司教は「幼児性的虐待に対する王立委員会の議会報告の資料が全て公開されたのは結構なことだ」とし、バード司教もそれに同調した。