・新型ウイルス危機対応を巡る教皇フランシスコの内的葛藤(Crux)

(2020.4.19 Crux editor John L. Allen Jr

 ローマ発-イタリア政府の新型コロナウイルス感染拡大防止策を受けて公開ミサが中止されて、今日19日で42日目を迎えた。感染拡大が減速し続けていることを背景に、欧米では徐々に”正常化”を考えようとする動きが出ており、イタリアでは、司教団が教会の典礼再開の可能性について、政府と協議を始めている。

 新型コロナウイルス危機が続く中で、長期にわたる”活動停止”を巡る教会関係者と政府の間に緊張が、世界中で感じられるようになってきた。ドイツでは、司教団が、何千もの店舗の営業再開を認める一方で公開ミサなど宗教活動の禁止措置は続ける、とのメルケル首相の決定に抗議している。米国では、カンサス州知事が教会での集会制限を巡る法廷闘争に巻き込まれ、ニューメキシコ州ラスクルセスでは、ピーター・バルダッキノ司教が公開ミサの停止解除を自己判断で決めた。

 教会が揺れている原因の一つは、教皇フランシスコの姿勢にある。ミサなど教会の公開行事の中止から時間が経つにつれて、各国政府が課した制限に賛成する人々と、批判する人々の双方を勇気づける合図を送るようになっているのだ。

 教皇は、ご自分では信徒が参加しないミサをインターネットなどで動画配信し、人々と”社会的距離”を置くことで、新型コロナウイルス対策の模範を示している。また、さまざまな通信ル手段を使って人々ためにミサを捧げたりする創造的な方法ー規制を無視するのでなく、規制の中で可能性を見つける方法ーを採用する司祭たちを称賛している。

 その一方で、ご自分を補佐するアンジェロ・デ・ドナティス枢機卿(ローマ司教補佐)が公開の宗教行事中止を発表して24時間も経たないうちに、個人の祈りのために教会を開くよう求めたのも、教皇フランシスコだった。 (ド・ドナティス枢機卿自身はこの後の検査で新型コロナウイルスにい感染していたことが判明し、ローマ市内の病院で治療を受けた後、自宅で療養しようとしていた。)

 そして17日、教皇は朝のミサで、”危険”な人々なしの典礼を呼びかけた。教皇によると、このような措置は「この困難な瞬間」だが、それは「教会、秘跡、そして人々」を仮想現実に慣れさせることはできない。現在行われている規制は「トンネルから出る」ためであり、「そこに留まる」ためのものではないーなぜなら、教会は、「人々とのしっかりとした親密な関係」に基づいているからだ、という。

 規制を受容するカトリック教徒と反対するカトリック教徒の双方が「教皇は自分たちを理解してくれている」と感じる理由のひとつには、おそらく、現在の状況が、教皇のもつ「常に席を同じくするとは限らない2つの核心的価値観」が関係している。

 フランシスコは、複雑で共通の問題に直面した時、「教会は人文科学と対話し、そこから学ぶ必要がある」と信じている。教皇は2015年に出した環境回勅「 Laudato si」で、「私たちの共通の家のケア」に必要なことの一つは、地球温暖化に対する「非常に堅固な科学的コンセンサス」である、とした。

 過去5年間、フランシスコは、科学者たちの提言を真剣に受け止める必要があると主張し、信徒の中にもいる”エコ懐疑論者”や気候変動否定論者との闘いを続けてきた。だから、新型コロナウイルスの世界的大感染という大きな共通の課題に直面して、教皇が疫学者と公衆衛生の専門家の警告を最小限に抑えているように見える、とすれば、皮肉なことだ。

 ある意味で、気候変動の議論は、新型コロナウイルスをめぐる論争の型板を作った、と言える。なぜなら、科学的なお墨付きをもって国が行う危険防止のための措置を最も嫌う傾向にあるのが、「大きな政府」と「偽の科学」に懐疑的な保守派(カトリック教徒を含む)だということがよくあるからだ。

  直感的に見て、それは、フランシスコが強い共感を寄せる立場ではない。そのことは、イタリアの司教団が政府の判断に従ったことを、彼が支持したことで説明できるだろう。

 その一方で、フランシスコは、信徒たちの側にいる教会ー聖域から、街中に出て行く教会ーを最重要視し、聖職者主義の敵であることを確信し、そして、世界中で信徒の参加しないミサが捧げられることに、「聖職者選民主義」復活の危険を見ているようだ。

 今月初め、この点に関する興味深い記事が「司祭と新型コロナウイルスの時代の誘惑」と題して公になった。教皇の主要な支持者、イタリア人カトリック・ジャーナリストのリカルド・クリスティアーノが書いたもので、彼はイタリアのウンブリア地方の司教協議会が出した公開ミサ停止に関する司牧的見解に批判的だ。

 その見解の中で、司教たちはこう書いていたー「人々の集まりは祭儀に参加するが、司祭であれ司教であれ、叙階された聖職者に代わる秘跡の主体ではない」と。これは恐らく、単に、インターネットの動画配信でミサに参加している信徒たちに、それが有効であることを示そうとしたものだったのだが、クリスティアーノは、そこから警戒すべきことを感じ取ったのだ。

  「この苦痛に満ちた状況は、(聖職者の間に)自分自身が教会であろうとする、強い願望を引き起こす可能性がある。それは、新型コロナウイルスが、多くの司祭にもたらす深い衝動と挑戦だ」。クリスティアーノは書いている。 「それは、(注:ウンブリアの司教協議会の)文書よりもずっと深刻な危険だ。恐らく、署名者が実際に文書から読み取ることは全くないー聖職者主義(注:の危険)である」と。

 これは、恐らく、教皇フランシスコも抱いている懸念でもある。

 当然ながら、教皇は、新型コロナウイルスの世界的大感染で危機にある現況への相反する思いー命と健康を守ることの重要性への認識と、宗教的な慣行を無くても済む、必ずしも必要でないもの、として扱うことへの懸念ーを抱く、たった一人のカトリック信徒ではない。

 それでも、現在の状況が二つの旗印となるものを一つの穴に入れることで、互いを反目させると考えると、彼にとって、それは特段の苦痛ー不承不承の寛容と明白な苛立ちの両方を説明するかもしれない。

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(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年4月20日