・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」②「私たちに必要な、ただ一つのことは」

(2024.2.22 バチカン放送)

 教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の2回目、「マルタとマリアの家に迎えられた時のイエスの言葉」は次の通り。

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 イエスを家に迎えたマルタは、もてなすためにせわしく立ち働きますが、妹マリアはイエスの足元もとに座って、話に聞き入ります。マルタがイエスに、「マリアに手伝うように言ってください」と頼むと、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけです。マリアは良い方を選びました。それを取り上げてはなりません」(ルカ福音書10章42-43節)とお答えになりました。

 今回の黙想のテーマは、イエスが言われた「必要なことはただ一つだけです」という言葉です。福音書に記されたイエスの言葉はとても「濃度」が高い。一滴、一滴を味わうものです。そして、今日の一滴は、イエスが、あれこれとせわしく働くマルタにかけた言葉―「マルタ、マルタ…  必要なことはただ一つだけ」です。

 この言葉は今、私たち一人ひとりに向けられています-「必要なことはただ一つだけ」。

 もし、あなたがこのただ一つのことを持っているなら、たとえ他に何も持っていなくても、すべてを持っていることになります。もし、あなたがそれを持っていないなら、たとえ全世界を持っていても、何も持っていないことになるのです。

 この「だた一つの必要なこと」とは、何でしょう。19世紀の偉大な哲学者で信仰の人、セーレン・キェルケゴールに語ってもらいましょう。

 「人は、人生の無駄遣いについてよく話す。しかし、無駄に費やされたのは、人生の喜びや心配事に惑わされて、神が存在し、その人、まさにその人自身が神の御前に立っていることに、決して気づかない男(そして「女性」を私が加えます) の人生だけである(キェルケゴール『死に至る病』)」。

 「ただ一つの必要なこと」とは、何でしょうか。イエスはそれについて、二つのたとえ話をもって語られました-そのためにすべてを売り払う価値のある隠された宝」、そして「すべての真珠を売り払ってでも得る価値のある貴重な真珠」です。( マタイ福音書13章44-46節)。

 必要なことはただ一つ、それは「神の御国」、すなわち「神」なのです。

(編集「カトリック・あい」)

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2024年2月23日