(2024.2.21 バチカン放送)
復活祭に備える悔い改めの時、四旬節が始まり、教皇フランシスコはじめ、ローマ在住の枢機卿、教皇庁諸機関の責任者たちが18日午後から23日午後にかけて、個人的な形で黙想期間を過ごしている。
この機会に、Vatican Newsは、教皇付き説教師ラニエーレ・カンタラメッサ枢機卿に、ビデオを通した数分間の黙想を依頼した。6回にわたって行われる小さな黙想で、枢機卿は毎回、イエスの言葉を一つ示し、それを一日中、心の中で思いめぐらすように、と勧めている。
第一回目の黙想で、カンタラメッサ枢機卿は、イエスが最初の弟子たちとの出会いの場面で言われた、「何を求めているのか」(ヨハネ福音書1章38節)という言葉を取り上げた。
第1回目の内容は次のとおり。
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私は、6日にわたって、皆さんと共に毎回、1分程度の黙想を分かち合って欲しいと求められ。1分間で話せる、ほんのわずかな言葉で、一日を、そして全生涯を満たすことができるもの、それはイエスの口から出た言葉です。
毎回、それを一つずつ提示しますから、その言葉を一日中、いわば魂のチューインガムのように、どうかよく「噛みしめて」くださるようにお願いします。
さっそく今日噛みしめる言葉にまいりましょう。それは、イエスが、ご自分の後ろに従って来る洗礼者ヨハネの二人の弟子たちに向けて尋ねた、「何を求めているのか」という言葉です。
その後の展開を思い出してください。弟子たちが「先生、どこに泊まっておられるのですか」と尋ねると、イエスは「来なさい、そうすれば分かる」と答えられました。
ここで重要なのは、「何を求めているのか」というイエスの問いかけです。これを聞いておられる兄弟姉妹の皆さんも、「私は人生に何を求めているのだろうか」と自問したことが、これまでに一度はあるでしょう。
すぐに答えが見つからないなら、私が助け舟を出しましょう。あなたが求めているものは皆が求めているもの、それは「幸福」です。フロイトより先に、聖アウグスティヌスはそれを理解しました。「皆が、幸せになりたいと言っていました」。
フロイトと異なり、アウグスティヌスはこの普遍的な衝動に理由を与えました。アウグスティヌスは『告白』の冒頭で、神に言います。「あなたは、私たちをあなたのために作られました。私たちの心は、あなたの中で憩うまで、安らぎを得ることはありません」と。
兄弟姉妹の皆さん、まさにここに、あなたの多くの悲しみや不安の説明があることを考えてみてください―自分は、「神」という生きた水に満たされた泉の代わりに、ひび割れた水槽の中に水を探してはいなかっただろうか。
(編集「カトリック・あい」)