・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」③「『繋がり』は、信仰によって得られる」

(2024.2.23 バチカン放送)

 Vatican News が企画した、教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の第3回は以下の通り。

 枢機卿はこの回で、イエスが死んだラザロを生き返らせるエピソードの中で、ラザロの姉妹マルタに言った「信じるか」(ヨハネ福音書11章26節)を観想すべき言葉として取り上げた。

 マルタと姉妹マリアの兄弟ラザロは病気で死に、イエスが彼らの所に来た時には、すでに墓に葬られて4日もたっていた。イエスは「あなたの兄弟は復活する」とマルタに言い、「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と尋ねられた( ヨハネ福音書11章17-27節)。

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 今日、かみしめる言葉は、イエスがラザロの姉妹に向けて、死んだ兄弟の墓の前で言った「信じるか」という問いかけです。

 あなたがカテキズムで覚えたことや、「信徒信条」で繰り返し唱えていることを、すべて一瞬脇に置いてください。そして、あなたと神しかいない、秘密の場所に入ってください。そして、自分に尋ねてみてください。「私は信じているか」「私は本当に信じたことがあるのか。誰かや、普遍の教会を介してだけでなく、自ら信じたことがあるのか」と。

 聖パウロは、「人は心で信じ、口で公に言い表す」と記しています( ローマの信徒への手紙10章10節)。私の信仰告白は、心の奥底から来ているでしょうか。信仰は新しい地平を開きます。それは、「自分は何者なのか。どこから来て、どこへ行くのか」という、人間の最も重要な問いに、唯一誠実な回答を与えることができるものです。

 ITの時代、それは私たちにこれまでにない信仰のイメージを見せてくれます。それはインターネット接続のイメージです。Googleのページを開けば、あなたはもう、繋がっています。仮想空間の世界があなたの前に開きます。

 これと似たようなことが、信仰によって得られます。回線も要らなければ、コストもゼロです。短い祈りで、心の単純な動きで、机の上にあるキリストの御絵を見つめるだけで、あなたはもう、繋がっているのです。繋がるのは、仮想空間の世界ではありません。現実の世界です。それは唯一、真に現実のものです。なぜなら永遠だからです。それは神の世界です。

 試してみてください。私が言うことが本当であるかが分かるでしょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2024年2月25日