教皇フランシスコの4年間の業績採点-成果、評価相半ば、未達成の課題(CRUX)

  • (2017.3.13 Crux  Editor John L. Allen Jr.)教皇フランシスコに感動しようと、怒りを覚えようと、この教皇の四年間がカトリック教会に地震を起こしたことに異議を唱える人はいないだろう。フランシスコはさまざまなやり方で、世界の耳目をそばだたせ、自身の率いるカトリック教会を揺さぶった。それらが持つ意味がすべて明らかになるのは、ずっと先にことだろう。棚卸をする気持ちで、この4年間で教皇が明確に勝ち取ったものの代表例、結果に白黒をつけがたい2つのもの、そして未達成なもの3つを見ていこうと思う。このことは、網羅的に概観することを意味しない。教皇の発電機のスイッチは切られていないし、彼の発言と業績のすべてをカタログ化しようとすることは、木を見て森を見ないことになりかねないからだ。

Pope’s first term: Clear wins, mixed verdicts and unfinished business

4年間で達成した成果

*世界の注目を集める

 リーダーは、誰にも知られないなら、世界を変えることはできない。だから、リーダーがまず越えねばならないハードルは「常に人々の注意を引くこと」だ。この点から見て、教皇は就任から4年経った今、「世界で,最も気になる人物」というタイトルをトランプ米大統領と共有し、他のリーダーが参加できない特権的なクラブのメンバーになっている。

 4年の間、フランシスコの特別な魅力は衰えを見せない。その人気は、彼の9通りのツイッターの閲覧件数が3000万件を超えていることに始まって、複数の世論調査で驚くべき高さの支持率を得ているところまで、様々な指標で明らかだ。彼の言葉から振る舞いに至るまで、過剰なまでの報道を続けるメディアについては言うまでもない。

 教皇は今、世界のリーダーたちの中で最も影響力のある立場にあり、どのようにそれを使うかが、とても重大なものになり得るのだ。

 

*「会話」を変える

 ロサンゼルスのロバート・バロン補佐司教は、こう語るのを好む。「教皇フランシスコの非凡な才能は、カトリックの教えを変えず、教えに関する会話を変えたことだ」と。

 カトリシズムについての公開討論が、フランシスコを教皇に選出するのに先立って行われたが、そこでは教会内部で賛否の議論のある問題に焦点が置かれた。堕胎、否認、同性愛と同性愛者の結婚。ただし、聖職者による幼児などに対する性的虐待の問題には言及されなかった。これらの問題は、教皇就任後も議論が続いたが、彼は、貧困者の問題、移民・難民問題、環境問題、紛争解決など、カトリックとして関心を持つべき他の問題を幅広く取り上げた。目新しい中身はなかったが、教皇フランシスコのもとで最重要課題とされたこと自体が多くの人には新鮮に感じられ、教会に対する印象を新たにしたのだ。

 さらに、フランシスコのオープンで異端とも思われるスタイルは、これまで教会にそっぽを向いていた世界の幅広い分野の人々の関心を引き、新たな宣教の動きの、少なくとも可能性を作り出した。Cruxのクレア・ジャングレイブが教皇のミレニアム世代に対するアピールを絶賛する記事の中で書いているように、フランシスコはローリング・ストーンのイタリア版のレコード・ジャケットにさえも登場している。カトリックの教えがどれほどそうしたチャンスを生かすことができるのか、まだ分からない。だが、新たな関心を引き起こしたという事実は、「勝ち」の欄に入れねばならない。

 

*外国訪問

 外国訪問は、教皇の標準的な仕事の一部になってきている。フランシスコの場合、これまでに17回外遊し、26の国を訪れ、さらに2017年もアジア、中南米、アフリカを含む外遊の予定を立てている。教皇の外国訪問の成功をどのような合理的な尺度で測っても、フランシスコはすべて合格だ。

 動員した人数は? 教皇就任後初の外遊となった2013年7月のブラジルの首都リオ・デ・ジャネイロで行われたワールド・ユース・デイでは、推定300万人を集めた。1994年にロッド・スチュアートが同市のコパカバーナ海岸で開いた演奏会に350万人を集めたのに匹敵する数字だ。さらに2015年のフィリピンの首都マニラ訪問ではその2倍、600万人から700万人と歴代の教皇が一回のイベントで集めた人数の最高を記録した。

 メディアの報道ぶりは? どこを訪問しても、教皇がいるだけでメディアの関心は搔き立てられた。2015年9月の米国訪問で、教皇は6日間でワシントン、ニューヨーク、フィラデルフィアを回ったが、まるで1週間にわたる就任祝いのように報道が続けられ、米議会の上下両院合同会議でのスピーチは、まるで大統領の一般教書演説のように報道された。

 影響力は? どの外国訪問も同じという訳ではないが、2015年11月の中央アフリカ共和国訪問についてみれば、教皇訪問がこの国に大きな自信を与えることで、平和的な選挙と3か月後の新政権への権限移譲を可能にし、世界中で最も血なまぐさい内戦を、完全ではないにしても抑え込むのに役立った。ドゥエドネ・ザパラインガ大司教は語っている。「私の国では今、誰もが同じことを言うでしょう。イスラム教徒もプロテスタント教徒もカトリック教徒も、誰もがです。『教皇フランシスコが、私たち1人1人の命と私たちの国に新鮮な空気を入れてくれた』と」。

 ことわざにあるように、〝1日の仕事″としては悪くない。

 

*外交

 歴代の教皇は本来、政治家ではないが、社会的、政治的生活の原理原則を明確にする道義上のリーダーだ。教皇フランシスコの場合、そうした原理原則を表わすのに巧みなやり方をする。例えば2013年9月、シリアのアサド大統領がダマスカス周辺の反対派支配地域に化学兵器を使用したという非難の声を受けて、西側諸国が軍事介入を検討した際、教皇は道義的な反対を唱えた。フランシスコは、紛争拡大に反対する全面的な外交的努力を展開し、G8諸国が教皇の主張を支持することでそうした軍事介入の流れを止めるように、ロシアのプーチン大統領を動かした。

 また2014年の終わりに米国とキューバが国交回復で合意した時には、キューバの指導者、ラウル・カストロ氏と米国のバラク・オバマ大統領が「国交回復実現の機運を作るのを教皇が助けてくれた」として謝意を表明した。同様に、2015年の終わり、パリで開かれた国連の地球温暖化防止のサミットでは、多くの世界の指導者たちが「フランシスコが発揮した環境保護についての道義上のリーダーシップが強力な合意実現の力となった」ことを確認した。

 教皇フランシスコのもとでこれまでに行われた外交努力すべてが実を結んだ、とは言えない。例えば、ベネズエラの和平交渉が成功するようにとのバチカンの試みはうまくいかなかった。それでも、フランシスコが、バチカンとカトリック教会の「地球的な役者としての存在感」を高めたことに疑問の余地はない。そして、今日の世界に、大きな違いを生むような教皇の介入が少なくとも論理的に可能でない紛争はほとんどない。

 

評価相半ば

Amoris Laetitia(使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」)

 フランシスコが2014年に家庭をテーマにした二度にわたるシノドスを始めるという容易でない歩みを始めた時、彼は「選択すべき正しい道について司教たちと幅広い教会員たちの間で強固な『合意』が得られることを期待している」と語った。その波乱に富んだ道のりが何を生んだにせよ、そのような『合意』が得られたようには見えないようだ。

 そればかりか、教皇が2016年4月に、二回のシノドスをもとにまとめたAmoris Laetitia(使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」)で示した判断、離婚して民法上の再婚をした信徒に聖体拝領を認めることについて注意深く道を開いたことが、カトリック教会内部に大きな議論を呼んでいる。

 このことを、多くの信徒は「世界の多くの教会で既定事実となっているものの公認に向けた一歩とは言えないが、長く待ち望んだ司牧上の慈しみの行為」と受け止めているが、一方で、「結婚と秘跡についての教会の教えが破棄されるのではないか」と懸念する声を強く支持する者もおり、論争が終息する気配は見えない。

 使徒的勧告が出された後、世界中の様々な司教たちが勧告の実施についての指針や声明を出し始めたが、内容は互いに大きく異なっていた。フランシスコが、この問題についてこれ以上踏み込んだ宣言を(少なくとも今は)出すつもりがないとすれば、取り組みの違いはそのままにされることになる。

 教皇令によってこの問題を簡単に解決する道を選ばないように、第二バチカン公会議の精神に基づいて自身がしばしば明らかにしている「協働性」を進めることへの熱意につながる言明をしないように、フランシスコは強く自制しているのだ、と言い募ることはできる。だが、いずれにせよ、結婚に関する司牧-彼の最優先事項の一つだ-について言えば、彼は、カトリック教会とその指導性の重要な部分を、自身の目指すところに従って板の上に載せることに、まだ成功していないのだ。

 

*教皇の教会における役割

 教皇のカトリック教会における役割についての伝統的な定義の一つは、全教会の一致の源である、ということだ。カトリックは、地球上に住む13億人の信徒の極めて多様な集合体であり、バラバラにならないための中心的な存在が必要不可欠である。

 だが、在位4年の間、フランシスコは、協業の精神の推進と同程度に、不一致の種を撒いてきた。

 教皇の掲げる教会や社会のあり方についての理想に強い感銘を受ける信徒は多いが、同時に、手を広げすぎる、無防備すぎる、感情をこめすぎるなど、危うさを感じてもいる。一方で、大部分の保守的な信徒にとって、教皇はリベラルすぎる存在であり、彼に対するいら立ちが間違いなくあることは、最近、ローマ市内に張り出され物議をかもした反フランシスコのポスターで目に見えるものとなっている。

 公平に言って、論争から超然としている教皇などいない。歴代のどの教皇も終身当初から批判を受け、反撃に直面している。それと現教皇が違うところは、情報が増幅されて素早く伝わるソーシャルメディアの時代にいる、ということだ。

 だが、簡単に説明してしまえば、フランシスコが並外れた行動力のある、目につくリーダーであるがゆえに、通常よりも深いところで感銘と驚きを人びとの与えている、と言うのが、おそらく正直なところなのだろう。それは、仕事をするために払う代償以上のものではないが、それでも、教皇は単なる一致の代理人にとどまらず、しばしば〝火付け棒″になっている、というのが現実なのである。

未達成の課題

*バチカンの財政改革

 2013年3月に改革を使命の一つとして教皇に選ばれたフランシスコは、透明性を高め、説明責任が果たせるようにする目的で、バチカンの財政面の構造・体制を抜本的に改める作業に着手した。だが、新たな体制は、ほどなくバチカン内部の官僚の闘争に巻き込まれ、当初目指した期限までに約束を達成することがなかった。

 4年間の改革の取り組みでは、パズルを完成させるための3つピ-スがまだ欠けている。それは①収入と損失を表示するだけでなく、バチカンが保有する資産が具体的にどのように管理運営されているかについての全体像を示す「信頼できる年次財政報告」②外部の監査法人か教皇庁自身の検査官によって行われ、正真正銘の説明責任を果たせるような「意味のある年次会計監査」③ベネディクト16世とフランシスコの2人の教皇のもとで作られた新たらしいルールによる「財政・金融犯の訴追、有罪判決の実施」。今までに少なくとも40の案件がバチカンの検察官のもとに送られされたが、制度が実効性を持っていることを人々に納得させるのに必要な有罪判決は一つも出ていない。

 パズルの完成へ、まだ時間はある。だが、ピースを欠いたままの時間が経てばたつほど、改革はうわべだけの話、と見られるようになるだろう。

*聖職者による性的虐待問題への対処

 教皇就任当初、聖職者による性的虐待の被害者とその支援者たちは、フランシスコが前向きに取り組んでくれることを強く確信した。それは、彼が、この問題に“zero tolerance(例外を認めない)”政策をとる決意を示し、ボストン大司教のショーン・オマリー枢機卿を長とする「弱者保護のための教皇立委員会」を設置して、具体的行動に移る準備を整えたと思われたからだった。

 だが、時間が経つにつれて、彼らの確信の潮は引き始めた。その原因の一つは、チリで最も酷い性的虐待を犯した司祭をかばった経歴を持つ聖職者を司教に指名するという、被害者を冒涜する無神経な行為と受け取られる教皇による人事だ。また、幾つか約束された改革の方策について、性的虐待の訴えへの対応を誤まらせないための司教たちに規律を課す仕組みの導入に見られるように、実施が遅れていることも原因になっている。

 最近では、性的虐待対策を検討する「弱者保護のための教皇立委員会」にただ1人残っていた被害者代表委員、アイルランド出身のマリー・コリンズ女史が、委員会の活動に対するバチカン官僚の妨害に強い不満を示して、辞任するという事件も起きている。

 司教たちが”zero tolerance”のルールを支持しないことで重大な結果を招くケースが少なくとも2つは出てくるまで、「フランシスコの約束は単なる美辞麗句に過ぎない」と、多くの関係者が考えるだろう。確かに、教皇が始めた取り組みの達成までに、まだ時間が残されてはいる。それでも、多くの性的虐待被害者と関係者が、実現までに長い時間がかかっていることに疑問を抱くのを避けることはできまい。

*教会における女性の役割向上

 フランシスコは、カトリック教会における女性の役割を、バチカン内部でもその他の場でも、権限と指導力が発揮される形で飛躍的に高めてたい、と繰り返し言明してきた。だが、これまでのところ、それが実現するための対策は一貫していない。

 教皇はまだ、教皇庁の主要部局のトップに女性を任命しておらず、それ以外の部局の適任と思われるポストにも女性を就けていない。経済評議会を新たに設置した際、一般信徒がバチカンの政策決定機関で枢機卿と対等な権限を初めて持つことになったが、教皇はそのポストをすべて男性に占めさせ、「教皇は本当に、財政・金融分野で女性の有資格者を1人も見つけることができなかったのだろうか」という疑問を多くの関係者に抱かせた。

 フランシスコは「女性司祭」を認める考えを否定しており、女性を「聖職者とする」試みにも懐疑的、と一般には見られている。(彼が設置した女性助祭について検討する委員会の結果がどうなるかは、まだ分からないが)。

 教皇がまだ手を付けていないのは、聖職者とすることを考えずに女性の役割を高めるための効果的な戦略の策定だ。カトリック教会では長い間、権力は聖職者の地位と密接につながってきた。教皇には、そのつながりを絶つ時間がまだ残されてはいるが、「もしそれが本当に優先事項なら、教皇の2期目に向けてどこまで熱心に取り組もうとなさるのですか」と問わずにいられない人もいるだろう。

 (南條俊二訳)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

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2017年3月17日