(Credit: Both images by Associated Press.)
(2023.3.12 Crux Editor John L. Allen Jr.)
”彼”が権力の頂点に立って10 周年を迎える頃には、この”異端児”の指導者の下では何も変わらないことが明らかになった。 彼の開放性、改革への情熱、可能性への感覚は、世界の想像力を捉え、彼が率いる組織を未知の領域へと駆り立てたが、やがて制御不能に…。
海外での絶大な人気にもかかわらず、国内では、左右両陣営からの断固たる攻撃を受け、彼自身の組織は引き裂かれ、二極化し、ますます脆弱になっていく。
これまで考えられなかった 10 年間の変化は、伝統的な確信を打ち砕き、ほぼすべてのことが可能に見える状況を作り出した。その中には、”指導者”が考えも、望みもしなかったものも含まれている。
このように、聖ペトロの後継者に選ばれて 10 周年を迎えた教皇フランシスコを説明できるかもしれない。しかし実際には、それは1991年初頭、トップとして懸命に内部から革新しようとしていた「帝国」が崩壊する直前のソ連大統領、ミハイル・ゴルバチョフの姿だ。
そして今、教皇フランシスコが”ゴルバチョフ問題”を抱えていることは明らかなようだ。
*教会外での絶大な称賛、内における左右双方からの攻撃…
カトリック教会の外では絶大な称賛を得ているが、内においては、批判的な声がますます高まりを見せている。ゴルバチョフのように、フランシスコは、進歩的な姿勢に不満を持つ伝統主義の右派と、単なる”改革”ではない、実のある”改革”を渇望する性急な左派の両方から攻め立てられている。
*”グラスノスチ”を旗頭とする「ペレストロイカ(改革)」の推進
ゴルバチョフは、病弱なアンドロポフ、チェルネンコという二人のソ連共産党書記長の下で実質的な支配者として数年間を過ごした後、 1980 年代半ばにトップの座に就き、「開放性」を意味する”グラスノスチ”を旗頭とする「ペレストロイカ(改革)」に着手した。
洗練された、改革志向のゴルバチョフは、すぐに世界的なセンセーションを巻き起こし、共産党政権下で行き詰まりを見せていたソ連の政治・経済・社会制度が本当に変化を遂げることができる、という希望を与えた。
フランシスコも、カトリック教会版”グラスノスチ”に手を付け、古いタブーを破り、同性愛者に手を差し伸べ、教会における女性の役割の向上、既婚の聖職者の是非など、これまでタブー視されていた問題について活発な議論を奨励した。 ”地方分権化”のプログラムを立ち上げ、今では“synodality(共働性)”というキャッチフレーズのもとに進められている。
政権を取った後、ゴルバチョフは前任者の立場のいくつかを公然とひっくり返すことで、過去とはっきりと決別する意思を示した。ソ連を代表する科学者で政治家のサハロフなどの反体制派を解放し、衛星国へのソ連軍の侵攻を正当化する「ブレジネフ・ドクトリン」を否定し、ソ連軍をアフガニスタンから撤退させた。
同じようにフランシスコも、前の教皇の下で過小評価されていた人々―ウォルター・カスパー枢機卿、オスカー・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿など―を復権させ、離婚して民法上の再婚をしているカトリック教徒に聖体拝領を認めることや、ラテン語のローマ典礼ミサの規制など、教会の方針を逆転させた。
*制御不能の地滑りを起こしたゴルバチョフの二の舞となるか、それとも…
今から見て、ゴルバチョフが何を目指していたかは明らか―社会正義と世界的連帯を約束するソ連の政治システムをその約束通り実現させたかったのだ。彼のビジョンは、素晴らしい未来を約束するに十分強力なソ連の政治機構だった。
そのような試みが、実際にはどう展開したか。過去の復活を目ざす”8人の盗賊”が率いる保守反動分子による1991 年 8 月の反ゴルバチョフ・クーデターの挑戦を受け、それを失敗させた後、 ボリス・エリツィンに政権を譲り、彼の下でソビエト連邦は、12か国による独立国家共同体に移行、連邦は終焉を迎えた。そして… ゴルバチョフは昨年亡くなるまで主張し続けていた―新しいソ連の政治システムというビジョンが勝利を収めていれば、ロシアは、共産主義と経済の崩壊、そして独裁全体主義国家への回帰-プーチン大統領の下での”帝国”には立ち至らなかったろう、と。だが、実際には、ゴルバチョフ自身が制御不能の地滑りを引き起こしてしまったのだった。
そして今の問題は、フランシスコもまたゴルバチョフと同じ運命をたどるのか、それとも”魔神”を瓶の中に閉じ込めることに成功するのか、である。
先行したゴルバチョフのように、フランシスコは今、自身のカトリック教会のシステムの内部で強力な”右翼”の動きに直面している。 彼らが実際に”クーデター”を試みる可能性は低いものの、教皇が推進する課題の多くに対して、積極的に、あるいは受動的に抵抗する傾向があるのは確かなことだ。
その一方で、さらに抜本的な教会改革を実行する許可を待とうとしないリベラル派集団の増加にも直面している。その動きは現在、ドイツやベルギーなどの西欧の一部の国で顕著だ。 バチカンの指針をあからさまに無視して、同性婚に祝福を与えるのを認める方向でのドイツの司教団の採決は、ゴルバチョフの回避の呼びかけを無視してエリツィンたちリベラル派が強行した1990年ロシア連邦人民代議員大会選挙を想起させる。
*ソ連を凌駕する持続力を持つ教会、だが穏健な改革が左右両派の攻撃に耐えられるか?
確かに、カトリック教会は、ソ連をはるかに凌駕する持続力を持っている。 ソ連の寿命は70年足らずだったが、 カトリック教会は2000年以上前から存在している。 フランシスの下で対立がどれほど激しくなったとしても、彼が率いる教会が単純に解体されることはまずない。
にもかかわらず、問題は残っている― フランシスコによって描かれた穏健な改革は左右両派の攻撃に耐えることができるだろうか? それとも、二極化が進む時代の強力な遠心力の働きで、破断は避けられないのだろうか?
言い換えれば、フランシスコは、ゴルバチョフの台本に最後まで倣う運命にあるのだろうか? 詩篇で語られているように、この苦杯をなめる運命にあるのだろうか? それとも、カトリック教会の回復力が予想外に強力で、フランシスコ自身も経験から学ぶ機会を与えられているとすれば、ゴルバチョフが失敗したところで成功し、新しいエネルギーと目的意識をもって課題に立ち向かう用意のある組織体制を後に残すことができるだろうか?
それを判断するのは時期尚早だが、フランシスコが 教皇在位10 周年を迎えた今、少なくとも次のように言うことはできる―教皇職の残りの期間で、”歴史上に実在したゴルバチョフ”となるのか、それとも物事が実際に計画通りになる”ゴルバチョフが歩んだ時空とは別の時空のゴルバチョフ”になるのか、だ。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
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