(評論)教皇フランシスコ在位10周年:慈しみと平和の願いを込めた宣教の熱意(VN)

(2023.3.12 Vatican News   Isabella Piro )

 教皇フランシスコ、当時のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿がローマ教皇に選出された日から13日で10年が経つ。福音宣教への情熱と宣教的な意味での絶え間ない教会改革の歩みに特徴づけられた10年の時間の流れは、2つの異なる見方で捉えることができる。一つは「前に進んでいく時間」、もう一つは「他者と出会い、豊かになって戻る、めぐる時間」である。

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*「前進」と「巡回」が重なる形で進むフランシスコの教皇職

 

 「時間は、空間を超える」-教皇は、着座して最初に出された使徒的勧告「福音の喜び」の中でこう述べておられる。この勧告は、教皇着座から今日までの10年を、たくさんの意味とともに包み込んでいる。

  イエズス会士で南米出身の最初の教皇、フランシスコと名乗られ、さらには前任教皇の退位後に選出された近代初の教皇 にとって、「空間は、進行を強固なものにし、時間は、未来に向かって歩みを進め、希望をもって前進するよう私たちを力づける」ものだ。この時間の理解は、フランシスコの教皇職を解釈するうえでの鍵-「前進」と「巡回」が重なる形で展開する。前者は「人を歩み始めさせる時間」であり、後者は「出会いと兄弟姉妹愛の広がりを持つ時間」だ。

 

*使徒憲章「福音の宣教」に象徴される「前進の時間}

 「前進の時間」で第一に挙げられるのは、2022年に発布された使徒憲章「Praedicate Evangelium( 福音の宣教)」だ。この憲章は、教皇庁組織により宣教的な構造をもたらした。新しく導入されたものの中で、支援援助省や、教皇によって直接運営される新生の福音宣教省の設立などが目を引く。さらに、教皇庁における信徒の登用に目を向けるとともに、2015年の財務事務局の創設はじめ教皇のこの10年に経済・財政分野で行ってきた多くの改革の仕上げを目指している。

 教皇フランシスコによって始められた様々な歩みは、エキュメニズム、諸宗教対話、シノドスの中にも見られる。

 教皇は、毎年9月1日に正教会と共にキリスト者に「エコロジー的回心」をアピールする「環境保護のための世界祈願日」を2015年に創設。教皇は、同年に発表されたご自身の2番目の回勅(最初の回勅は、前任教皇ベネディクト16世との共著「信仰の光」)「ラウダート・シ − 共に暮らす家を大切に」の中でも同様の呼びかけを記している。

*地球環境,教会一致、諸宗教対話

 

 同回勅の主軸となるものは、「共に暮らす家を大切にする」ための取り組みを人類が責任をもって負うようにとの、「航路の変更」の勧告である。取り組むべきものの中には、貧困の根絶や、貧しい人々への関心、地球の資源に対するすべての人の平等なアクセスが含まれている。

 2016年2月12日、教皇はキューバで、モスクワおよび全ロシア総主教キリル1世と会見、「慈愛のエキュメニズム」-より兄弟愛に満ちた人類を築くキリスト者の共通の努力-を実践する共同宣言に署名した。この努力は、2022年3月16日、ウクライナにおける戦争のただ中という悲劇的な状況の中でも行われた。教皇フランシスコとキリル1世は電話会談を行い、この中で「和解プロセス」を目指す「停戦」への共通の努力を強調した。(「カトリック・あい」注:残念ながら、この”成果”は、ウクライナ軍事侵攻を止めないプーチン大統領を全面支持するキリル1世の声明や振る舞いによって踏みにじられているが。)

 また、今年2月に教皇が、イングランド国教会のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教と、スコットランド国教会の総会議長イアン・グリーンシェルズ牧師と共に行った、南スーダンの平和のためのエキュメニカルな巡礼も忘れがたい。

 諸宗教対話においては、2019年2月4日、アブダビで、教皇とグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師によって署名された共同文書「世界平和のための人類の兄弟愛」は、一つの道標となった。同文書は、キリスト教とイスラム教の関係の基礎をなす一歩であり、諸宗教対話を励まし、テロリズムと暴力をはっきりと非難するものだ。

*そして”シノドスの道”の開始、聖職者による性的虐待との戦い

 ”シノドスの道”を開始したことも、教皇フランシスコの教会変革の重要な取り組みの一つだ。耳を傾け、識別し、話し合うことを基本に据えた”シノドスの道”は、教区、大陸、普遍教会の3つのレベルで3年をかけて歩みが続けられており、その歩みを総括する「世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会」は当初、今年10月の一回とされていたが、教皇は、「共に歩む教会のため − 交わり、参加、そして宣教」をテーマに今年と来年の2回にわたって開く、という異例の決定をされた。

 「聖職者などによる未成年者に対する性的虐待との戦い」も、教皇フランシスコが注力されているものの一つだ。未成年者の保護に関する世界の司教協議会会長による会合を2019年2月に開かれ、真実と透明性をもって行動する教会の意志を確認。それをもとに自発教令「Vos estis lux mundi(あなたがたは世の光である)」を発出、被害者たちが虐待や暴力を届け出るための新しい手続きを定め、司教や修道会の長上らにとるべき態度を周知することに努められた。

 

*「 巡回の時間」としての40回の海外司牧訪問、移民・難民問題への対応

 「前進の時間」に対し、教皇フランシスコの「巡回の時間」は、地理的、あるいは実存的な意味での「辺境」への関心を中心に動いている。

 教皇は、「現実は、中心から見るより、隅から見た方がよく見える」と言われる。それを象徴するのは、教皇の40回にわたる海外司牧訪問だ。36回を数えるイタリア国内訪問と同様、ほとんどの訪問地はいわゆる「辺境」だった。2013年7月8日、教皇としての初めての訪問地は、地中海における移民・難民問題の舞台、ランペドゥーサ島だった。

 2016年4月、ギリシャ・レスボス島の難民キャンプ訪問も記憶に残る。訪問の終わりに、教皇はご自分の特別機にシリア難民12名を同乗させ、ローマの支援団体に託された。難民問題は、「巡回の時間」の中のもう一つの重要なテーマだ。教皇はこのテーマを「進んで受け入れる」「保護する」「助ける」「統合する」という4つの動詞に沿って発展させた。このテーマは、「切り捨ての文化」や「無関心のグローバル化」との、継続的な戦いも含んでいる。

*回勅「兄弟の皆さん」と世界平和への努力

 

 教皇フランシスコの「巡回の時間」の中には、平和に対する絶え間ない努力がある。2020年10月4日に発表された回勅「 Fratelli tutti兄弟の皆さん)」は、それを見事に表現している。同回勅は、兄弟姉妹愛と社会的友愛を呼びかけ、断固として戦争に反対している。2年後、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった時、「連帯のグローバルな倫理」から生まれる「現実的で恒久的平和」を説くこの回勅は、「散発的な第三次世界大戦」を次第に体験しつつある世界において、”預言”的なものとなった。

 教皇によって推進された「平和の外交」の別の例として、2014年6月8日、バチカン庭園で、イスラエルのペレス大統領とパレスチナのアッバース大統領と共に行われた「聖地の平和のための祈り」がある。

 また、同年12月17日発表された、米国とキューバの国交正常化という歴史的な出来事のために、教皇フランシスコは両国の元首、オバマ大統領とカストロ国家評議会議長に親書を送り、「新しい段階を始める」よう呼び掛けてきた。

 教皇庁と中国間の司教任命をめぐる暫定合意も同じ方針の上にある。2018年に署名されたこの暫定合意は、2020年に延長され、さらに2022年さらに2年延長された。

 さらに、ウクライナにおける戦争が大きな影を落としたこの1年、教皇は自ら平和のために取り組んだ。2022年2月25日、教皇は駐バチカン・ロシア大使館に大使を訪問。また、数回にわたりウクライナのゼレンスキー大統領と電話で会談した。教皇は停戦に向け、数多くのアピールを繰り返してきた。

 

*連続講話「使徒的熱意について」に込めた宣教する教会への願い。前任者たちとの絆

 

 一般謁見の連続講話で現在進められている「使徒的熱意について」も、教皇の「巡回の時間」の重要な部分を占めている。2013年に発表された使徒的勧告「Evangelii gaudium(福音の喜び)」以来強調されてきた宣教への情熱は、喜びと、神の救いの愛の美しさ、「外へ出て行く」教会、信者に寄り添う、「優しさの革命」に応える教会に特徴づけられる。

 教皇フランシスコは、前任の教皇たちと強い絆で結ばれている。それは、2014年4月17日の、ヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世の列聖にも、よくしるされている。さらに、2018年10月14日にパウロ6世、 2022年9月4日にはヨハネ・パウロ1世の列福が加わった。現教皇は、ヨハネ・パウロ1世の微笑みを「喜びの顔を持つ教会」の象徴、として思い起こしておられる。

 また、教皇フランシスコの中で特別な位置を占めているのは、2022年12月31日に帰天した名誉教皇ベネディクト16世だろう。この10年、教皇フランシスコは、ヨセフ ・ラッツィンガーへの大きな尊敬を隠されることがなかった。様々な機会に、その神学的な洗練、優しさ、献身を称えてきた。今年1月5日、教皇フランシスコは、前任者の葬儀を主宰する近年初の教皇として、ベネディクト16世の葬儀をなさった。

 今、教皇フランシスコは在位11年目に入ろうとしておられる。教皇はそれを希望と共に始められる。「希望する者は、決して失望することがない」と教皇は言われる。なぜなら、「希望は、復活の主の御顔を持っている」からだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)

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2023年3月13日