・教区司祭2人含めて6人の新司祭が東京カテドラルで叙階(菊地大司教の日記)

(2023年3月22日 (水) 菊地大司教の日記 「司祭叙階式@東京カテドラル」

2023_03_21_023 3月は卒業シーズンですから、各地の教育機関では卒業式が行われています。司祭を養成する学校である神学校も、この時期、神学生が巣立っていきます。厳密な意味では違うのですが(司祭の養成そのものは生涯養成で卒業がないので)、その卒業式にあたるのは司祭叙階式ですが、3月21日には、全国各地で叙階式が行われました。

2023_03_21_027 東京カテドラル聖マリア大聖堂では、久しぶりに多くの方に参加していただき、また内陣に司祭団もあげて、司祭叙階式を執り行い、六名の新しい司祭が誕生しました。

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 この六名の新しい司祭とは、東京教区のフランシスコ・アシジ 熊坂 直樹(くまさか なおき)師、フランシスコ・アシジ 冨田 聡(とみた さとし)師、コンベンツアル聖フランシスコ修道会の大天使ミカエル 外山 祈(とやま あきら)師、テモテ・マリア 中野里 晃祐(なかのり こうすけ)師、聖パウロ修道会のレオ 大西 德明(おおにし とくあき)師、そしてレデンプトール会のフランシスコ・アシジ 下瀬 智久(しもせ としひさ)師の六名です。みなさんおめでとうございます。

 神様からの呼びかけに応え、御父から司祭職を授けられました。この道を生涯歩み続けることができるように、共に祈りを続けたいと思います。

 なおこの日のミサには、先日叙階されたイエズス会の森・渡辺の二人の助祭も参加してくださいました。

 それぞれの修道会での喜びであり、個別にお祝いも考えられたかと思いますが、こうして教区の中心にあるカテドラルで一緒に叙階されることで、司祭誕生の喜びを修道会に留めることなく、教区全体の喜びをして祈りの時を共有できたかと思います。ご一緒にと言う教区からのお誘いに快く応じてくださった修道会の皆様に感謝します。昨日誕生したこの六名の司祭をはじめ、この時期に各地で誕生している新しい司祭たちの、これからの協会での活躍に期待しながら、司祭の召命のために祈り続けます。

 なお、熊坂新司祭は北町教会・豊島教会の助任司祭として、また冨田新司祭は松戸・市川教会の助任司祭として、それぞれ、復活祭後から派遣いたします。

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2023_03_21_073 以下、叙階式ミサの最中、呼び出しと養成担当者からの適格性の確認の対話後におこなった、説教の原稿です。

【東京教区、レデンプトール会、パウロ会、コンベンツアル会 司祭叙階式ミサ 東京カテドラル聖マリア大聖堂 2023年3月21日】

この三年間、感染症による危機的な状況の中で、私たちは、世界中のすべての人たちと一緒になって、どこに光があるのか分からないまま、暗闇の中を彷徨い続けてきました。

命は神の似姿として創造された尊厳ある存在であり、すべての命は例外なく神からの賜物として与えられたと信じる私たちには、この現実の中でとりわけ命の意味について深く考え、責任を持って命の尊厳を語り、そのために行動する務めがあります。

東日本を襲った巨大地震と津波の発生から、数日前に12年となりましたが、あの時、私たちは、自然の驚異的な力の前に、人間の知恵や知識のはかなさを痛感し、命の創造主の前で謙遜に生きなければならないことを、実感させられました。12年におよぶ復興の時にあっては、互いに支え合い、連帯のうちに歩むことこそが、命を生きる希望を生み出すことを学んだはずでした。しかし残念ながら、私たちは時の流れとともに教訓を忘れ去ってしまいます。忘れ去ったところに襲いかかったのが、この感染症でありました。

私たちはこの一連の時の流れの中で、私たちを巻き込む様々な出来事のただ中に身を置きながら、どこに向かって歩むように、と導かれているのかを考えてみる必要があります。

2023_03_21_159 感染症によってもたらされた危機は、私たちを疑心暗鬼の闇に引きずり込みました。先行きが分からない中で、人は自分の身を守ることに躍起になり、心は利己的になりました。利己的になった心は余裕を失い、社会全体は寛容さを失いました。寛容さを失った社会は、暴力的、攻撃的になり、異質な存在を排除して心の安定を求めるようになりました。深まる排他的感情の行き着く先は、命への暴力であり、さらには戦争の勃発です。

この感染症の危機の中で、皆で光を求め、共に歩まなくてはならないときであるにもかかわらず、ミャンマーではクーデターが起き、一年前にはウクライナで戦争まで始まり、いまだ終結の気配さえ見せていません。

ちょうどこの困難な時期に教皇様は、シノドスの道を共に歩むようにと呼びかけておられます。そのテーマは、「共に歩む教会のため-交わり、参加、そして宣教-」と定められました。私たちは今その道程を、全世界の教会とともに歩んでいます。各国が報告書を作成し、提出したらそれで終わりではないのです。私たちには、教会のあり方そのものを見つめ直し、新たに生まれ変わることが求められています。道程は、まだまだ続いていきます。

2023_03_21_274 私たちは一人で生きていくことは出来ません。孤独のうちに孤立して命をつなぐことはできません。神からの賜物である私たちの命は、互いに助けるものとなるために与えられています。互いに支え合って、共に道を歩むことで、私たちは命を生きる希望を見いだします。

人間関係が希薄になり、正義の名の下に暴力が横行し、排除や排斥の力が強まる陰で孤独や孤立による命への絶望が深まる今だからこそ、命の尊厳を守り抜き、そのために互いに連帯し、支え合いながら、道を歩むことが不可欠です。

命の与え主である神に向かってまっすぐと歩みを進めるために、聖霊の導きをともに見出さなくてはなりません。そのためにも、互いのうちに働かれる聖霊の声に耳を傾け、共に祈る中で、神の導きを見出していかなくてはなりません。教会共同体がともに歩むことは、命を生きる希望を生み出す源です。

交わりによって深められた私たちの信仰は、私たち一人ひとりを共同体のうちにあってふさわしい役割を果たすようにと招きます。交わりは参加を生み出します。一人ひとりが共同体の交わりにあって、与えられた賜物にふさわしい働きを十全に果たしていくとき、神の民は福音を証しする宣教する共同体となっていきます。果たして今、私たちの教会共同体は、何を証ししているでしょうか。

さて皆さん、この兄弟たちは間もなく司祭団に加えられます。・・・

(以下、叙階式定式文に続く)

ビデオでは、2:48:00から、叙階をうけた新司祭のインタビューをご覧いただけます。当日のライブ配信そのままの録画ですので、いろいろと周囲ががたがたしていますが、ご覧いただければと思います。またインタビュー前には、記念撮影の状況もご覧いただけます。

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2023年3月22日