・「教皇の数知れぬ訴えは聴き入れられていない…」ロシアのクライナ侵略2年(Vatican News )

ウクライナ・ミコライウの墓地 2022年3月ウクライナ・ミコライウの墓地 2022年3月  (ANSA)

(2024.2.24 Vatican News  Andrea Tornielli)

 ウクライナにおける2年間の戦争、爆撃と苦難の後、攻撃を止め、公正な和平交渉の席に着くために、これ以上何が起こる必要があるのだろうか。

 ここ数か月の聖地から届いた恐ろしいニュース、そして、今はロシアの反体制派、ナワリヌイ氏の死が、ウクライナからの戦争のニュースをトップ記事から押しやったとしても、私たちは今日、ウクライナのことを思い出したい。

 私たちは、この戦争を目撃した人々、憎しみの論理に屈しない人々、24か月にわたる爆撃に心が折れた人々の苦しみを和らげるために祈り、行動し続ける人々の声を届け、数字に語らせながら、ウクライナのことを伝えてきた。なぜなら、今やしばしば世間の注目から遠い所で起きている残酷な現実が、この戦争の不条理な非道を物語っているからである。

 数キロメートルの領土を征服するために、何万人もの人命が犠牲になり、若者をはじめとする何万もの人々が負傷し、障害を負い、ウクライナの町全体が破壊され、何百万もの避難民が国外で生活し、無数の地雷が罪なき人々の未来の生活を脅かそうとしている…。攻撃を止め、公正な和平交渉の席に着くためには、もうこれ以上何が起こる必要があるだろうか?

 「苦しむウクライナ」への関心を喚起するための教皇フランシスコの数知れぬ訴えは、聴き入れられず、もはや戦争と暴力が紛争解決の手段であるかのような様相である。将来の戦争を見据えた軍拡競争は今や現実となり、これすら避けがたいものとして容認されている。

 幼稚園や学校の建設や、効率的な医療システムへの出資、飢餓との闘い、地球の保護を目的とするエコロジー的移行の促進などのためには決して捻出できない資金が、軍備となると常に準備されている。外交は交戦のサイレンの前で沈黙しているように見える。平和、交渉、停戦、対話などの言葉は、疑いの目で見られる。ヨーロッパは、それぞれのリーダーが個々の主人公を演じる以外に、多くの気力を持っていなかった。

 今ほど、戦争の論理に屈しないことが必要とされている時はない。教皇が疲れを知らず祈り続けるように、平和の賜物を神に絶えず祈り求めなければならない。降り積もる憎しみの灰の下に、希望の熾火が燃えていることに気づかなくてはならない。

 問題に立ち向かい、平和に賭け、人類の未来を担うことができる、預言的かつ創造的で自由な、新しいリーダーシップが必要である。私たちを自滅に導く「軍閥」の「兄弟殺し」の論理に屈しない人々の声を、力強く断固として聞かせる、すべての人の責任ある努力が必要とされている。

(翻訳「バチカン放送」、編集「カトリック・あい」)

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2024年2月25日