(論評)シノドス総会の”賢者たち”に控えめな提案—「異端」「反動的」などの言葉を乱発せず、初段階を乗り切れ(Crux)

(Credit: Vatican News.)

A modest proposal for synod punditry: First accusation of ‘heresy’ or ‘rigidity’ loses

(2023.9.7  Crux Editor   John L. Allen Jr.)

    ローマ発 –10月4日からの世界代表司教会議(シノドス)通常総会の第一期まであと1か月を切った。

 この来年まで2期にわたるシノドス総会は、しばしば教皇フランシスコによる”第2バチカン公会議のミニチュア版”と呼ばれている。だが、大々的にメディアで取り上げられるのは、女性聖職者の是非、既婚司祭の是非、トランスジェンダーの権利、同性愛者の婚姻などに限られ、教会関係者の緊張と対立を煽ることになるだろう。

 最近のバチカン当局者との会話からも、このような可能性について強く懸念していることがうかがわれる。 メディアが、この会議を一種の「すべてを解決するための乱闘」のように書き立て、合意への期待が裏切られるのではないか、ということだ。

 それは的外れの懸念ではない。 私は1990年代半ば以来、14のシノドス総会を取材してきたが、その経験から、参加者が説明する会議の実際の中身と、報道での取り上げられ方がしばしば全く異なるのを知っている。全体として、会議の雰囲気は外部から見るほどは緊張しておらず、議論されるテーマも広範かつ建設的だ。

 そのギャップの程度は、対象となるシノドス総会のメディアの注目度や、取り上げられるテーマに対する重要性の認識度に相関する傾向がある。また、今回のシノドス総会のスケールは、先日教皇が訪問したばかりのモンゴルの草原のようなスケールになる可能性が強い。

 このような前提を踏まえたうえで、総会関係者が熟考する価値のある 4 つのポイントを挙げてみよう。

  まず、現実を正当に反映した報道を望むのであれば、当局は参加者に報道機関と関わるよう促す必要がある。 これまでのどのシノドス総会にも、公式発言と非公式発言を使い分け、問題を”かき混ぜる”ことに熱心な参加者が何人かいた。 これらは通常、総会で「研ぎ澄ますべき軸」と「推進すべき課題」を持った人々だ。

  特に今回は、聖職者、男女の修道者、男女の一般信徒など、司教以外の多数の代表が、議論に参加する。司教以外がシノドス総会に議決権を持って参加するのは、総会の歴史始まって以来であり、とくに注意する必要がある。”先輩”の司教の振る舞いに倣う傾向があるとすれば、司教たちがメディアのインタビューに応じるのを嫌う、という雰囲気を彼らが感じてしまうと、インタビューに応じるのを躊躇するだろうし、積極的に応じれば、彼らもそうする可能性が高くなる。

 当然ながら、総会参加者が自由に本音で議論ができるように、その内容がストレートに表に出ないような”機密保持”は必要だし、議場で会議の一部始終を放映するようなテレビカメラの設置について、誰も話していない。問題は、会議の中で何が起きているのかを聞き出そうと記者が参加者の話を聞こうとするとき、議場の外で参加者がどれだけオープンになれるか、ということだ。

 第二に、主催者は、参加者の間の意見の相違を認めることを恐れるべきではない。

  そもそも、世界中の約 300 人のカトリック教会のリーダーたちを約 1 か月にわたって一堂に会させる、という考えは、そのほとんどが、教会について確固たる見解を持ち、対立する意見を持たない”タイプAのパーソナリティ”の人たちだ、というのは幻想だ。

 ホイットマンの言葉を借りれば、カトリックの栄光はまさに、それが大きく、多くの人々を含んでいることにある。 意見の相違がしばしば致命的となる世界において、言語や文化が異なり、対立する見通し、経験、優先事項を持ちながらも議論のできる非常に多様な人々の集団であることを誇りにすべきだ。有害で極度に二極化した世界の諸文化の中で、これは悪いことではない。 人工的に均一性を装わず、必要に応じて美徳を作ってみてはどうだろうか。 そうすることは、問題を生じることを依然として懸念している人々にとって、真実を伝えるという利点もあるだろう。

 

 第三に、このシノドス総会は”目的地”ではなく、”旅”であるということだ。 この総会には準民主的なルールがあるが、最終的には単なる諮問機関であり、決定を下すのは依然として教皇なのである。 だから、総会の結果に焦点を当てることはしばしば要点を逸する。 シノドス総会の本当のメリットは、世界のさまざまな地域からの参加者が互いに異なる経験や視点を共有する、カトリック教会の世界的な現実についての”大学院セミナー”だということにある。

 このことは、米国のカトリックにとって特に重要だ。 世界には 13 億人のカトリック教徒がおり、そのうち7000万人が米国にいる。つまり、米国のカトリック教徒は世界全体のわずか 6% に過ぎないが、私たちの会話のほとんどで、米国の教会の優先事項や期待は普遍的なもの(少なくともそうあるべきだと)と見なす傾向がある。米国のメディアが、シノドス総会だけでなく、より広範な問題について意見を戦わせるために、世界の他の地域からの声を求めることで、ある程度の効果をあげることができるだろう。そしてシノドス総会の主催者も、そうした声が確実に反映されるようにすることで、役割を果たすことができるだろう。

 

 第四に、このシノドス総会の進行は、完全に教皇、主催者、参加者の手に委ねられているわけではない。部分的には、彼ら以外の私たちの反応にも依存する。

 そうした観点から、総会に向けたここに控えめな提案がある。

 「異端」「分裂主義者」「反動的」「閉鎖的」などの言葉を乱用せず、少なくとも会議の初めの段階を乗り切ることができるかどうか見てみよう。 そのような軽蔑的な言葉は思考の代替物であり、誰かのアイデアを真剣に受け止めず、先験的に却下することを可能にする。

 そこで、シノドスの賢者たちが、自分なりのゴドウィンの法則(議論が、そのテーマや対象範囲にかかわらず長引いたとき、早晩、別の誰か、何かをアドルフ・ヒトラーや彼の悪事になぞらえるようになること)を採用することを提案したい。 インターネット上の議論では、「最初にヒトラーやナチスと比較した方が負ける」という有名な格言がある。シノドス総会では、「異端」や「硬直性」などのレトリックを初めて使用した人にも、これと同じ法則が適用されるべきだ。

 ちなみに、この法則は、シノドス総会にぞっとするような見通しを持っている人々にも、魅了されている人々にも、等しく適用される。率直に言って、どちらの人々も、少なくとも総会の最初の1週間、ソーシャルメディアを控えることで、私たち皆を確実に救ってくれるだろう 私は、この提案が多くの支持を得る可能性が高いという幻想を抱いていない。 21 世紀のメディア環境では、”軽蔑の文化”に抵抗するのは難しいが、抵抗できることを否定しているわけではない。まだ夢を見ることはできる。

 

 

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2023年9月7日