・「『時のしるし』を、福音の光のもとに読み解こうとしているか」菊地大司教の年間第33主日メッセージ

2022年11月12日 (土)週刊大司教第101 回:年間第33主日2022_11_06_001

 典礼の暦も終わりに近づきました。年間第三十三主日は「貧しい人のための世界祈願日」と定められています。(写真は府中墓地で)

 本日から装いを新たにした「週刊大司教」の配信を始めました。今日が101回目となります。基本は主日の福音の朗読と、メッセージ、そして祝福です。メッセージを少し短くしました。

 時に大きく増減を繰り返していますが、徐々に感染症の状況も改善し、またこの状況とどのように適応していくのかが分かってきましたので、教会の活動も再開されつつあります。そこで新しい週刊大司教では、霊的聖体拝領の祈りを入れていません。

 しかし、様々な事情から出掛けることが困難な方は多く折られると思いますので、そのように事情があるときには、この「週刊大司教」とともに、それぞれご自分で霊的聖体拝領のお祈りを唱えるようにしていただければ、と思います。もちろんそれがミサの代わりというのではなく、それぞれの霊的成長に資するものですので、困難なご事情のある方にあっては、折を見て司祭に相談され、御司祭や聖体奉仕者が聖体を持って訪問されるようにされてください。

 以下、12日午後6時配信の、週刊大司教第101回目のメッセージ原稿です。

【年間第33主日C 2022年11月13日】

 典礼の暦は終わりに近づき、毎年この時期の福音は、世の終わりについて語り始めます。

 そうなると、一体のその終わりはいつ来るのかが気になってしかたがありません。例えば今回の感染症の世界的大流行の中で、二年ほども混乱が続き、命が危機に直面すると、「それこそが世の終わりのしるしだ」と考える人が出てきたり、世紀末のように区切れの良い時期が近づくと、「世の終わりが近い」と考える人も出現します。歴史はそれを繰り返してきました。

 しかしイエスは、そういった「諸々の不安を醸し出す出来事に振り回されないように」と忠告します。なぜなら、時の終わりは神の領域であって、人間の領域の出来事ではないからです。

 その代わりに、イエスは「しるし」を読み取ることを求めます。マタイ福音書16章には、もっとはっきりと、こう記されています。

 「あなたがたは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けでどんよりしているから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時のしるしは見ることができないのか」(2‐3節)

 ヨハネ二十三世が、1961年の降誕祭に「フマーネ・サルティス」をもって第二バチカン公会議の開催を告示された時、そこには「時のしるし」を読み解くことの重要性が記されていました。そこで第二バチカン公会議は「時のしるし」を読み解き、行動することを柱の一つに据えました。公会議を締めくくる「現代世界憲章」は「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、特に貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」と指摘した後に、社会の現実の中で、真理をあかし、世を救い、キリストの業を続けるために、教会は「常に時のしるしについて吟味し、福音の光のもとに、それを解明する義務を課されている(4項)」と記しています。

 「時のしるし」を福音の光に照らされて読み解くのは、私たちの務めです。

 教会は年間第33主日を、貧しい人々のための世界祈願日と定めています。教皇様の今年のメッセージは「イエス・キリストはあなたがたのために貧しくなられた」をテーマとし、特に感染症や戦争によって貧困が深まっている世界にあって、教会は義務だからではなく、イエスに倣って生きる者だから当然として、困窮する人々との連帯のうちに支え合って生きることの重要性を強調されています。

 私たちの心の目は、「時のしるし」を、福音の光のもとに読み解こうとしているでしょうか。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

 

(編集「カトリック・あい」)=漢字表記は当用漢字表による。聖書の引用は「聖書協会・共同訳」に改めました)

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2022年11月12日