・主の「いつもあなたがたと共にいる」に、生きる希望を見出す―菊地大司教の「主の昇天」主日メッセージ

2023年5月20日 (土) 週刊大司教第125回:主の昇天の主日

2023_04_15    復活祭も終わりに近づき、「主の昇天」の主日となりました。本来は木曜日が「主の昇天」ですが、現在は多くの国でその直後の日曜日に移動されています。

 先週末はローマにいましたが、ローマでも、例えば国際カリタス本部のあるサンカリスト宮殿などの飛び地も含めて、バチカン市内では木曜日が「主の昇天」で休日ですが、ローマ教区を始めイタリアでは日曜日に移動されています。バチカン関係だけはローマでも先日の木曜日が休日となっていました。

Img_20230520_105930411
今年2月に相次いで二人の教区司祭が帰天されました。2月4日には茂原教会前主任司祭であったパウロ安次嶺晴実神父様が73歳で、そして翌2月5日には滞在先のフィリピンで、ヨハネ満留功次神父様が78歳で帰天されました。お二人の納骨式を、本日5月20日午前11時半から、カトリック府中墓地で行いました。

 また東京教区司祭のフランシスコ・ザビエル坂倉恵二神父が、5月17日午後2時54分、中咽頭癌のために、千葉寺教会内の居室にて帰天されました。71歳でした。坂倉神父様には、私が東京に赴任される以前から病魔と闘っておられました。坂倉神父様の葬儀は、5月22日月曜日の12時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われます。

 帰天された神父様方の永遠の安息をどうぞお祈りください。 以下、本日午後6時配信の、週刊大司教第125回、主の昇天の主日のメッセージ原稿です。

【主の昇天の主日A 2023年5月21日】

 使徒言行録は、新しい命へと復活された主イエスが、弟子たちとともに40日を過ごした後に天に上げられる時、弟子たちに対して、神の国について教え、「地の果てに至るまで、イエスの証し人となるように」と命じられた、と記しています。

 マタイの福音も、主イエスが残される弟子たちに、「あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい」と命じる言葉を記しています。 主の受難と死と復活に与り、新しい命へと招かれた私たちには、福音を告げ知らせる使命が与えられています。その使命を果たすことは、キリストに従う一人ひとりの責任です。同時に、パウロがエフェソの教会への手紙に記すように「教会はキリストの体」ですから、共に道を歩む教会共同体全体にとっての責任でもあります。

 福音を告げ知らせないキリスト者はいないのと同様、福音を告げ知らせない教会共同体もあり得ません。 主が取り去られてしまった弟子たちは希望を失い、大きな絶望を味わったことでしょう。茫然自失の状態で立ち尽くす弟子たちに、主御自身が希望の言葉を告げます。

 「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」

 困難な状況の中にある時こそ、未来への希望は人を生かします。希望は不安を打ち砕き、行動へと駆り立てる勇気を与えます。希望は、利己心にがんじがらめにされた心を解放し、助けを必要としている他者に向けて心を向けさせます。 だからこそ、マタイの福音に記されたイエスご自身の言葉は私たちの生きる希望です。

 「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」

 様々な困難に直面し、人間という存在の弱さと小ささを自覚させられる時、それでも私たちは見捨てられることはない。いつまでも共にいてくださる主が、未来に向かって歩みを共にしてくださる。私たちは、この約束の言葉に、生きる希望を見い出します。

 主が共に歩んでくださるからこそ、私たちはその主を具体的に証しするように努めましょう。世界を支配するのは暴力であってはなりません。命の選別であってはなりません。弱者の排除であってはなりません。困難に直面する社会で真の希望を生み出すために、すべての人と真の連帯を強め、忍耐と謙遜の内に希望の福音を証しする者となりましょう。

(編集「カトリック・あい」)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2023年5月20日