四旬節が始まりました。第一主日には、多くの小教区で、今年の復活祭に洗礼を受ける準備をされている方の、洗礼志願式が行われたことだと思います。まだ次の日曜以降に行われる小教区もあるでしょう。四旬節は、一人ひとりの回心のときであると共に、教会共同体として、洗礼の準備をしている方々と歩みをともにする時でもあります。
「歩みを共にする」というと、実際に何かをしなければ、とお考えになるやも知れません。確かに直接に関わる方も、カテキスタだったり、代父母となる方だったり、司祭だったりと、いろいろ通られることでしょうが、そうではない多くの方も、祈りを持って歩みを共にすることができます。志願者は、四旬節を通じて、教会共同体の祈りに支えられながら、洗礼への道を歩み続けます。
ちょうど今週末は、アジアの大陸別シノドスが、バンコクで開催されています。前後に移動日を加えますが、会議自体は24日から26日までの日程です。ここから10月のローマでの会議へとつながっていきます。これについては別途、現地からお知らせします。参加者のためにお祈りください。 以下、25日午後6時配信の週刊大司教第115回目、四旬節第一主日のメッセージ原稿です。
【四旬節第一主日A 2023年2月26日】
四旬節は、私たちが信仰の原点を見つめ直し、慈しみに満ちあふれた御父の懐に改めて抱かれよう、と心を委ねる、回心の時です。創世記に記されているように、自由意志を与えられた人間は、自らの選択によって罪を犯し、パウロが記すように、「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するように」なりました。しかし、一人の人、すなわちイエスの「従順によって多くの人が正しい者とされ」、神からの恵みと賜物に豊かに満たされるようになりました。
四旬節は、このあふれんばかりの神の愛、すなわち、人類の罪を贖ってくださった主ご自身の愛の行動を思い起こし、それによって永遠の命へと招かれていることを心に刻み、その愛の中で生きる誓いを新たにする時です。そのために教会の伝統は、四旬節において「祈りと節制と愛の業」という三点をもって、信仰を見つめ直すよう呼びかけています。また四旬節の献金は、教会共同体の愛の業の目に見える記しでもあります。この四十日の間、互いに支え合う心をもって、愛の業の内に歩み続けましょう。
福音は主イエスが、その公生活を始めるにあたり40日の試練を受けられた、と記しています。この試練の中で、イエスは三つの大きな誘惑を受けたと、福音に記されています。
まず空腹を覚えた時に、石をパンにせよとの誘惑。それは人間の本能的な欲望や安楽・安定ににとどまることへの内向きな願望です。次にすべての権力と繁栄を手にすることへの誘惑。それは権力や繁栄という現世的で利己的で排他的な欲望です。そして、神に挑戦せよ、との誘惑。それは自分こそがこの世界の支配者であるという謙遜さを欠いた思い上がりの欲望です。
考えてみれば、その中味に大小の違いはあっても、私たちの人生はこういった欲望に支配されることの連続です。悪魔からの誘惑とは、神から離れる方向へと人をいざなう、さまざまな負の力のことです。そしてその誘惑は、実は、外からやってくるものではなく、結局のところ、私たち一人ひとりの心の中から生み出されています。他者へと目を向けず、徹底的に利己的かつ自己中心的になることへの誘惑です。
この困難な時期、教会共同体において、御聖体や御言葉の絆でつながっている兄弟姉妹に思いを馳せ、その絆の中で一致へと招かれていることを改めて思い起こしましょう。