・「神の愛と慈しみのまなざしを、利己心、差別意識、排除の心が遮ることのないように」年間第25主日・菊地大司教メッセージ

2023年9月23日 (土)週刊大司教143回:年間第25主日

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 東京教区では悲しいことに、9月に入って帰天する司祭が相次いでいます。森司教様、西川神父様、古賀神父様に続いて、9月20日には星野正道神父様が73歳で帰天されました。葬儀ミサは9月26日の予定です。どうぞパウロ星野正道神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

 星野神父様は、長年にわたり教育界で働かれ、特に白百合女子大学で長く教授を務められました。

 9月はこれで、すべての火曜日が、教区司祭の葬儀ミサとなりました。帰天された司祭の永遠の安息をお祈りいただくとともに、彼らの後を継ぐ後継者が与えられるように、司祭の召命のためにも、どうかお祈りくださいますよう、心からお願い申し上げます。

 それでも新しい司祭は、少しづつではありますが、確実に誕生し続けています。9月23日土曜日の午後には、イグナチオ教会でイエズス会に二人の新しい司祭が誕生しました。叙階されたのはアシジのフランシスコ森晃太郎さん、洗者ヨハネ渡辺徹郎さんのお二人です。おめでとうございます。これからのお二人の司祭としての人生に神様の祝福を祈るとともに、その活躍に期待しています。

 以下、23日午後6時配信の週刊大司教第143回、年間第25主日メッセージ原稿です。

【年間第25主日A 2023年9月24日】

 マタイの福音に記されたぶどう園で働く労働者と主人の話は、なんとなく心が落ち着かない話であります。確かに記されている話では、主人は最初の労働者に一日につき一デナリオンの支払いを約束して雇用したのですから、何も約束違反はしていません。

 しかし実際には、明らかに自分より短い時間しか働いていない労働者が、「自分より先に一デナリオンもらっているのだから、もっと働いた自分にはより多くの報いがあるはずだ」と考えるのは、「支払いが、労働の対価である」という考え方からは当然です。実際、雇用の現場で、同じ職種にもかかわらず、丸一日働く人と1時間しか働かない人を、全く同じ給与にしたら、あっという間に労働争議が発生しそうです。

 しかしイエスの本意は、労働の対価としての支払いのことに無いことは、その終わりの方の言葉によって、少し理解できるような気がします。

 「私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」

 すなわち、イエスはここで、ご自分の慈しみについて語っておられます。ご自分が愛を持って創造し、賜物として与えられた命を、神がどれほど大切にしておられるか。その命に対する愛は、分け隔てなく、価値における優劣の差もなく、すべからく大切であり、愛を注ぐ対象であり、慈しみのうちに包み込む対象であることを、この言葉は明確にしています。

 この世界では、往々にして、数字で見える成果によって人間が評価され、格付されます。それが極端になると、人間の命の価値を、能力の優劣によって決定し、「この世界に役に立たない命には存在する意味がない」という暴力的な排除の論理にまで、到達してしまいます。

 数年前に発生した、障害者の方々の施設を元職員が襲撃し、19人の入所者を殺害する、という事件を思い起こします。犯人の「重度の障害者は生きていても仕方がない。そのために金を投じるのは無駄だ」などという主張が、極端に走った命への価値判断を象徴しています。神にとっては、どのような違いがあったとしても、ご自分が創造された命は、すべからく等しく大切な存在であることを、今日の福音は明確にしています。

 本日は、世界難民移住移動者の日であります。教皇様は「移住か、とどまるか、を選択する自由」をテーマとして掲げられました。メッセージの中で教皇様は、ヨハネパウロ二世のこの言葉を引用しています。

 「移民と難民のために平和的状況を築くには、まず、移民しない権利、すなわち母国に平和と威厳をもって住む権利の保護に真剣に取り組まなくてはなりません」

 その上で教皇様は「移民難民は、貧困、恐怖、絶望から逃れるのです。こうした原因を根絶し、やむにやまれぬ移住に終止符を打つには、私たち全員が、おのおのの責任に応じて、それぞれが協力して行う取り組みが求められます」と呼びかけておられます。

 すべての命は、優劣の差なく、すべてが神の目にとって大切な存在です。その愛と慈しみは、すべての命に向けられています。神の愛と慈しみのまなざしを、私たちの利己心が、差別意識が、排除の心が、遮ることのないようにいたしましょう。

(編集「かとりっく・あい」)

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2023年9月23日