・「シノドス総会は、教会が『教会』であるための、本当のあり方を再確立しようとする試み」菊地大司教の年間第26主日メッセージ

2023年9月30日 (土) 週刊大司教第144回:年間第26主日A

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 シノドス(世界代表司教会議)通常総会に参加するために、ローマに出かけています。10月末日までの一か月間、ローマから、またシノドスの様子などを報告させていただきます。出発前に準備していた、週刊大司教第144回、年間第26主日のメッセージ原稿です。

【年間第26主日A 2023年10月1日

 この週刊大司教をご覧いただいている9月30日、私はシノドスに参加するためにローマにおります。事前の予定では、9月30日の晩に、エキュメニカルな祈りの集いがあり、その後、10月3日まで、ローマ郊外で参加者全員が集まり黙想会が行われます。10月4日からバチカンで、今回のシノドス総会の第1会期がはじまります。来年の10月には、同じ参加者で、第二会期が行われる予定になっています。

 シノドス総会参加者に聖霊が豊かに注がれ、識別が深められ、教会のためによりよい道を見いだすことができるように、シノドス総会のために皆様のお祈りをお願いいたします。

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 マタイ福音には、父親の命令に対する兄と弟の答えと、実際の行動についてのイエスの話が記されています。兄は命令を拒んだものの、結局、考えを改め、父親の望み通りにしました。しかし弟は、命令に従うそぶりを見せたものの、結局それに従いませんでした。

 イエスは「どちらが父親の望み通りにしたか」と尋ねていますが、神にとって大切なのは、「結果として、神の望みを実現しようと行動すること」であって、表向きに積極的と思われるようなジェスチャーをすることではない、ということを、明確にされています。

 残念ながら私たちは、見た目にとらわれて人を裁きます。表向きのジェスチャーに、簡単にだまされます。かぶった仮面の内側を見抜くことができません。そして時として、「表向きの表現や行動をよりよく見せることが、信仰心を表現することだ」と勘違いすらします。でも、それは、神には通用しません。人の目をごまかすことは容易でも、神の目をごまかすことはできません。

 私たちは、神の望みをこの世界の中で実現するように、本当に努め、行動しているでしょうか。その私たちの姿勢を問いかけているのが、今回のシノドス総会です。

 今回のシノドス総会は、「教会が『教会』であるための、本当のあり方を再確立しよう」とする試みです。教会共同体が愛に満ちあふれ、敬虔で、喜びにあふれているのは、福音を告げ知らせるため、それも言葉の知恵によらずに、主の十字架をむなしいものとしないためであります。

 つまり、交わりの共同体は、それ自体が福音を証しする存在、宣教する共同体、でなくてはなりません。共同体が宣教する共同体であるからこそ、誰ひとり排除されることなく、その交わりにすべての人が招かれるのです。そのためにも、教会共同体は、常に、聖霊の導く方向性を識別することが必要であり、その導きに身を任せることで、ジェスチャーではない信仰のあり方を具体的に生きることが可能になります。

 何か雲をつかむような話をしてしまいましたが、公開されているシノドス総会の討議要綱などに目を通していただき、シノドス総会参加者と共に、みなさんそれぞれの場で、祈りと分かち合いのうちに、聖霊の導きを識別する道を歩んでいただければと思います。

(編集「カトリック・あい」)

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2023年9月30日