・「信仰の原点に立ち返り、良い種を蒔く機会に」菊地大司教の四旬節第一主日のメッセージ

2022年3月 5日 (土)週刊大司教第67回:四旬節第1主日

2022_03_05_02 四旬節第1主日です。

 四旬節について全体像を一つにまとめて解説している記事が、中央協議会のホームページにあります。こちらのリンクです。良くまとめられているので、是非ご参照ください。

特にその記事の冒頭の典礼憲章の引用で、四旬節の持つ二重の性格が次のように強調されています。

 「四旬節の二重の性格が、典礼においても典礼に関する信仰教育においても、いっそう明らかにされなければならない。すなわち、とくに洗礼の記念または準備を通して、そして悔い改めを通して、信者は神の言葉をいっそう熱心に聞き、祈りに励んで、過越の神秘を祝うために備えるのである」

 人数に違いはあれど、多くの小教区で、復活祭に洗礼を受ける準備をしておられる方がおられることと思います。四旬節は、私たち自身の信仰を見つめ直す回心の時であると同時に、新しく信仰の道を歩もうとして準備の最終段階に入った人たちと共に歩んでいく時でもあります。洗礼志願者の方々のために祈りましょう。四旬節第一主日には洗礼志願式が行われる教会もあることと思います。

 ウクライナの状況は変わりません。世界中で平和のための祈りが捧げ続けられています。世界の進む方向を大きく変えてしまう可能性すらある大国の行動です。灰の水曜日だけでなく、ウクライナの平和のために、また政治の指導者が聖霊の導きによって、共通善の実現のためのふさわしい道を見い出すことができるように、祈り続けたいと思います。

 以下、5日午後6時配信の週刊大司教第67回、四旬節第1主日のメッセージ原稿です。

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【四旬節第1主日C(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第67回 2022年3月6日】

 3月2日の灰の水曜日から、四旬節が始まりました。今日は四旬節第一主日です。

 四旬節は、私たちの信仰を見つめ直し、その原点に立ち返るときです。また御父の慈しみを自らのものとし、それを多くの人に具体的に示す、証しの時でもあります。

 教会の伝統は、四旬節において「祈りと節制と愛の業」という三つの行動をもって、信仰を見つめ直すように、私たちに呼びかけています。また教会は四旬節に特別な献金をするようにも、呼びかけます。この献金は、犠牲として捧げる心をもって行う具体的な愛の業に他なりません。

 またその犠牲を通じて私たちは、助けを必要としている多くの人たちに思いをはせ、「傍観者」ではなく、「共に歩む者」になることを心掛けます。互いに支え合う連帯の絆のうちに、命を生きる希望を回復する道を歩みましょう。

 申命記は、イスラエルの民に原点に立ち返ることを説いています。神に感謝の捧げ物をするときに、自分たちがどれほどに神の慈しみと力に護られてきたのかを、共同体の記憶として追憶する言葉です。神に救われた民の原点に立ち返ろうとする、記憶の言葉です。

 パウロはローマの教会への手紙に、「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる」と記しています。申命記は、共同体の記憶に基づいたイスラエルの民に限定的な救いを記しますが、パウロはここで、神の救いがすべての人に向けられていることを明確にします。

 パウロは、復活された主イエスとの具体的な体験こそが、新約の民の共同体における共通の記憶であることを記します。私たちが立ち返る信仰の原点は、ここにあります。

 ルカ福音は、荒れ野における四十日の試みの話を記します。イエスは、命を生きるには極限の状態である荒れ野で悪魔のさまざまな誘惑を受けます。それは空腹の時に石をパンに変えることや、この世の権力と繁栄を手に入れることや、神に挑戦することでありました。

 すべてはこの世に満ちあふれている人間の欲望の反映であります。それに対してイエスは、申命記の言葉を持って反論していきます。共通の救いの記憶、すなわち共同体の信仰の原点に立ち返ることにこそ、この世のさまざまな欲望に打ち勝つ力があることを、イエスは明確にします。信仰共同体に生きている私たち一人ひとりは、立ち返るべき信仰の原点を共有しているでしょうか。

 四旬節の初めにあたり、教皇様はメッセージを発表されています。今年のメッセージのテーマは、ガラテヤの信徒への手紙6章のパウロの言葉で「たゆまず善を行いましょう。倦むことなく励んでいれば、時が来て、刈り取ることになります。それゆえ、機会のある度に、すべての人に対して… 善を行いましょう」とされています。(9 ー 10a節)

 その中で教皇様は、四旬節こそ、将来の豊かな刈り入れのために種を蒔く時である、として、「四旬節は私たちを回心へと、考え方を改めることへと招きます。それによって人生は、本来の真理と美しさを得るでしょう。所有するのではなく与えることが、蓄えるのではなくよい種を蒔いて分かち合うことが、できるようになるのです」と呼びかけます。

 その上で教皇様は、「他の人のためによい種を蒔くことは、個人の利益だけを考える狭量な論理から私たちを解放し、行動に無償性ゆえの悠然とした大らかさを与えてくれます。そうして私たちは、神の慈しみ深い計画の、すばらしい展望に加わるのです」と記されています。私たちもこの四旬節に信仰の原点に立ち返り、良い種を蒔く者となり、神の慈しみの計画に与る者となるよう、努めたいと思います。

(編集「カトリック・あい」=表記は原則として当用漢字表記に統一、聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用しました)

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2022年3月5日