・「それぞれの信仰の原点を見つめ直す機会に」菊地大司教の四旬節第二主日の説教

2022年3月12日 (土)週刊大司教第六十八回:四旬節第二主日

Michinoseibo22 四旬節は第二週に入ります。復活祭に向けて、洗礼の最終的な準備をされている方々のために、この四旬節の間は特に祈りましょう。また洗礼志願者の方々とともに、私たち自身も信仰の歩みを振り返り、何を信じているのか、どうして信じているのか、信じているのであればどう生きるのか、改めて見つめ直してみましょう。(写真は本所教会の「みちの光なる聖母」の像)

 この一週間は、年に二度ほど開催される定例のFABC(アジア司教協議会連盟)の中央委員会会議の週でした。FABC中央委員会は、アジア各地の司教協議会会長で構成されています。今回私は、日本の司教協議会会長として、またFABCの事務局長(SG)として参加しました。

 会議はボンベイ(ムンバイ)で開催の予定でしたが、このような世界の状況ですので実際に集まることは難しく、オンラインを併用したハイブリッド会議です。最初の二日間は、FABCの各部局の責任者も入れての会議で、特に、今年の秋10月に予定されているFABC50年を記念する総会の準備についてが主要議題でした。

 FABC50年は2020年でしたが、当然この状況で2年間延期され、今回の秋の総会もハイブリッドになる模様です。開催地はバンコクが予定されています。もっともオンライン会議に対する否定的な意見も多くあり、できる限りタイに集まることが勧められる模様ですが、広いアジアですから、それぞれの地域の状況も異なり、実際にこの秋にどうなっているのかは分かりません。

 ただ逆にそれは準備をするバンコク教区に、非常に大きな負担を強いることになります。あと半年ほどしかないのに、具体的にどうなるのかが分からないのですから、準備のしようがありません。

 いずれにしろ、FABC自体がアジアの各地の教会でよく知られているわけでもありませんし、創立から50年経って、日本の教会でも、FABCの活動がそれほど知られていないのも事実です。

 また、実際に関わっている司教たちには、アジアの教会のこれからの方針の策定という思いがありますが、アジアの教会全体で見れば、FABCが司教さんたちの内輪の団体と見なされている嫌いもあります。10月に予定されている総会が、これまでの歴史を振り返り、しっかりと評価を行い、今の時代に何ができるのか、見つめ直す機会になればと思います。

 以下、本日午後6時配信の週刊大司教第68回、四旬節第二主日のメッセージ原稿です。

【四旬節第二主日C(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第68回 2022年3月13日】

 四旬節は、私たちが信仰の原点に立ち返るときです。その原点は、一体どこにあるのでしょうか。

 創世記は、まだアブラムと呼ばれていたアブラハムを神が選び、契約を結ばれた出来事を記しています。暗闇の中で天を仰ぎ、「星を数えることができるなら、数えてみるが良い」と告げられたアブラハムの驚きを想像します。

 現代の東京の夜空であれば、もしかしたらすべての星を数えてしまえるのかも知れませんから、それでは何とも情けない話ですが、創世記の時代の夜空ですから、まさしく満天の星であったことだろうと思います。逆に言えば、そのこと自体が、「人間が築き上げた繁栄が、結局は、神の存在を見えないものとしてしまっていること」を象徴しているのかも知れません。アブラハムの信仰の原点は、暗闇に満天の星を眺め、未来に向けた想像を超えた約束を与えられ神と契約を結んだ、その時の驚きであったと思います。

 パウロはフィリピの教会への手紙で、「キリストの十字架にこそ、私たちの信仰の原点があること」を強調し、信仰における旅路は、私たちを、この世での繁栄ではなく、”本国”である「天の国」へと導いていることを指摘します。

 ルカ福音は、イエスがペトロ、ヨハネ、ヤコブの眼前で栄光を示された御変容の出来事を記します。神の栄光を目の当たりにしたペトロは、何を言っているのか分からないままに、そこに仮小屋を三つ建てることを提案した、と福音は伝えます。

 ペトロはその栄光の中にとどまりたかったのでしょうが、イエスは困難に向けて前進を続けます。福音はモーセとエリヤが共に現れたと記します。律法と預言書、すなわち旧約聖書は、神とイスラエルの民との契約であり、信仰と生活の規範でありました。そこに神の声が響いて、「これは私の愛する子。これに聞け」と告げたと記されています。イエスこそが旧約を凌駕する新しい契約であること、すなわちイエスに従う者にとっての信仰の原点であることを、神ご自身が明確にされました。

 私たちの信仰の原点は「イエスの言葉と行い」にあります。教皇ベネディクト16世は、それについて、「信仰とは、何よりもまず、イエスとの深く個人的な出会いです。そして、イエスの近さ、友愛、愛を体験することです(2009年10月21日の一般謁見)」と述べています。

 四旬節は、信仰の原点、すなわち「イエスとの個人的出会い」に立ち返るために、御父の慈しみに生きるように、と勧めます。慈しみの具体的な行動の中で、私たちは人と交わり、そこに慈しみそのものである主がおられるからに他なりません。私たちは自らの憐れみ深い行動を通じて、また他者からの憐れみの業によって、そこにおられる主と出会います。私たちの信仰の原点の一つは、「慈しみの業」「愛の業」であります。

 3月11日で、東日本大震災から11年となりました。教会は、災害の前から地元に根付いて共に生きてきた存在として、これからも東北の地元の方々と共に歩み続ける存在です。

 教会の東北におけるこの11年間の歩みは、どこからかやって来て、去って行く一時的な救援活動に留まらず、東北のそれぞれの地で、地域共同体の皆さんと将来にわたって歩みを共にする中で、命の希望の光を生み出すことを目指して来ました。そこに主イエスがおられます。連帯と支え合いの交わりの中に、主イエスがおられます。具体的な人と人との交わりの中で、私たちは主と個人的に出会います。それぞれの信仰の原点を、見つめ直しましょう。

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2022年3月12日