「ピタウ先生、上智、そしてバチカン」菅原裕二・グレゴリアン大学教会法学部長

 (写真は上智大学ソフィア会提供)

2年前、やはりこの会議場で、「教皇フランシスコ」でとう変わるのか、という大きなテーマでお話をさせてもらいました。

突然、引退したベネディクト16世の後任に、教皇フランシスコが電撃的に選ばれた直後でした。なぜバチカンとはあまり縁のない方が選ばれたのか。時代が大きく変化して、カトリック教会、とくにバチカンの改革が求められていたからでした。

教皇就任から3年たって、まず驚くのは、毎日曜日、教皇がなさるアンジェラスの祈りにサンピエトロ広場で集まる人々の数が、教皇就任時とかわらない、ということです。バチカンの大聖堂前のこの広場は、立ったままなら5万人は収容できるという広さですが、それが今でも、世界中からやってきた人々で一杯になるのです。教皇の個人的な人気が今も続いているのです。

このように熱狂的な人気が長く持続するリーダーは、世界広しといえども、他にはいないのではないでしょうか。

先ほど申し上げましたが、カトリック教会は大きく変わってきています。私が上智大学で学んだ三十数年前は、「欧米の教会」「欧米のカトリック大学」だったのですが、今は違う。世界のカトリック教会の信徒の45パーセントが中南米の信徒で占められるようになっている。先日、仕事で中南米を回ったのですが、教会、信徒の勢いが違うのです。若くて、元気がいい。小教区が中心になっており、聖職者に頼らず、信徒が教会を引っ張っている。

ヨゼフ・ピタウ先生が学長をされた教皇庁立グレゴリアン大学は、1551年にイエズス会の創立者イグナチオ・ロヨラによって司祭養成のために設立された歴史のある大学です。ついこの間までは欧米の学生が大半を占めていましたが、今は2600人の学生中、イタリア人の割合は4分の1です。

cimg0291(写真は「ピタウ先生を語る会」提供)

20年前、1992年に学長になられたピタウ先生は、これからの教会は信徒の時代、聖職者が動かすヨーロッパのやり方では対応できない、とお考えになり、受け入れる学生を国際性豊かなものになるよう腐心されたのです。その結果、アジア、アフリカ、中南米の学生が大きく増えている。東欧も含めて、貧しい国々からの学生が多く、欧米など豊かな国では神学を学びたい、司祭・修道者になりたい、という若者が減っているのを実感しています。

ローマで長く暮らしてきて、世界各国を回り、たまに日本に帰ってくると、「テロもなく、安全で、何て平和ないい国だ」と痛感しますが、このような環境の中でぬくぬくとしていると、司祭職に一生を賭けようとする若者が出るのは難しそうです。貧しい国、困窮している国に出かけていく、それが無理なら何らかの形で、そういう国の人々とつながり、現実を体験していく努力が必要だ、とつくづく思います。

教皇フランシスコの人気持続のもとになっている新しさは、貧しい人たちの教会、平和のために働く教会、弱い人たちに寄り添う教会に変えていかなければならない、という強い使命感にある。そして、社会の底辺まで届くメッセージを発し続けている。それが、世界の若者の心をつかんでいるのです。

その具体的な現れが環境教書であり、貧しい人たちに開かれた教会、平和のために働く教会とするための教会改革、バチカン改革なのです。時代のしるし、変化を敏感に識別し、それをもとにタイムリーに、柔軟かつ大胆に行動に移している。

時のしるしを的確につかむ分析力、柔軟かつ大胆さは、ピタウ先生の特質でもありました。半世紀前の世界的な大学紛争の波に上智大学も襲われた時、理事長を努められていた先生は、全共闘学生の暴力をあくまで否定する原則を堅持する一方で、多くの学生たちに対して、柔軟かつ対話する姿勢を貫き、紛争を収拾するのに大きく貢献されました。

グレゴリアン大学学長、その後の教皇庁教育次官としてカトリック教会のとくに教育分野で大きな貢献をされましたが、2014年12月にお亡くなりになった時、イタリアの多くの新聞が彼の死を伝えた。彼は日本を離れたあと、24年間ローマにいたのですが、日本での活躍が主として取り上げられ、「ピタウ師は日本に派遣された、本当の宣教師だった」と称えました。

ピタウ先生は、その笑顔と気さくさで、ローマでも人気がありました。ですから、学長、さらに教育次官・大司教になっても、皆が「パードレ・ピタウ(ピタウ神父さん)」という呼び方を続けたのです。私が、法学部を卒業して翌日にイエズス会に入ったのですが、「こういう神父になりたい。だからイエズス会に入りたい」と思ったのは、当時学長だったピタウ先生と接することができたからでした。

現在の世界は「リーダー不在の世界」と言われます。多くの国のカトリック教会、日本の教会も例外ではない、との声も聞かれます。ピタウ先生には、教会のリーダーとして求められる信仰と制度の両立を教育の現場で貫く力がありました。

別の言い方をすれば、リーダーに必要なのは、まずコミュニケーション能力。語学力と言ってもいいでしょう。そして、伝える中身を持ち、相手の心に響くもの、残るものがなければならない。だぶりますが、相手に伝えたい、という強い思いが必要です。この三つの能力を、ピタウ先生はフルに発揮されました。先生がお亡くなりになったとき、教皇フランシスコが弔電を送られ、先生を「神に対する模範的な奉仕者」と讃えられました。

多くの聖職者が、そのような存在になるよう求められているし、私自身も一歩でも近づくように日々努めなければならない、と心を引き締める毎日です。

(2016.8.30 上智大学2号館・国際会議場で。ピタウ先生を語る会・上智新聞インテル会共催)(文責・南條)

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2016年9月15日