♰「コロナ危機を回心と兄弟愛を世界に呼び覚ます機会に」バチカン幹部たちへ

教皇フランシスコとバチカンの高位聖職者・責任者らとの集い 2020年12月21日教皇フランシスコとバチカンの高位聖職者・責任者たちとの集い  (Vatican Media)

 教皇フランシスコは21日、ご自身の協力者としてバチカンの諸機関で働く高位聖職者や責任者たちと、降誕祭前の挨拶を交わされた。

 一年の教皇庁の活動を振り返る機会でもあるこの恒例の集いは、今年は新型コロナウイルスによる世界的大感染を背景に行われた。

 この席で教皇は、降誕祭を機会に、コロナ大感染によって、保健衛生、社会経済、さらには教会に至るまで、全世界が危機に巻き込まれたこの一年を振り返られた。

 教皇はこれらの危機を見つめる一方で、それを「回心と兄弟愛への渇望を世界に再び呼び覚ますための大きな機会」とするように求められた。

 そして、「危機をチャンスと見なす考えは、『教会を、過去や現在のスキャンダルが引き起こした危機をもとに性急に定義しようとする傾向』に注意を与えてくれます」と指摘。「教会に”見込みのない”診断を下すことは現実的ではありません。なぜなら、神は、私たちの間に御国の種を蒔き、育て続けておられるからです」と語った。

 また、教皇は「危機を”争い”と混同してはなりません… 危機は一般に良い結果につながりますが、争いは対立を残すだけです」と言明。教会は「一つの体として常に問題を抱えていますが、それは教会が生きているから。だからと言って、体の中で勝敗を争うような対立があってはなりません」とされ、「あらゆる危機は、常に物事を新たにするための正当な必要を伴いますが、教会の改革とは、”古い服に継ぎ当てをすること”でも、単純に”新しい憲章を起草すること”でもありません」ないと強調された。

 さらに、「『キリストの体』はすべての歴史を抱擁するものであり、教会はキリストの『服』のようなものではあらいません」と述べ、「聖霊の恵みがなければ、教会のシノドス的な在り方は、『交わりを構築』する代わりに、『多数派と少数派で構成される民主主義体制下の議会』のように理解されかねません。聖霊の存在だけが、そこに違いをもたらすのです」と説かれた。

 最後に教皇は、「私たちは『取るに足らない僕』(ルカ福音書17章10節)なのだ、という自覚を胸に、心に大きな平安を保ち、対立から抜け出し、歩みの中に戻るように感じること。それは、素晴らしいことです」と語られ、「貧しい人々の中に神の御顔を見出し、寛大に情熱的に福音宣教のために働くように」と参加者たちを励まされた。

(編集「カトリック・あい」)

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2020年12月22日