☩復活徹夜祭ミサ説教「私たちが、イエスが蘇られたことを見、聴き、宣言できるように」

(2022.4.17 Vatican News  Thaddeus Jones)

   教皇フランシスコは16日夜、バチカンの聖ペトロ大聖堂での復活徹夜ミサに参加され、説教の中で、ルカ福音書に登場する女性たちが「この世の暗闇の中に立ち昇る神の命を示す夜明けの最初の光」を垣間見るのをどのようにして手助けしているか、主が死から生に”過ぎ越される”のを見、聴き、そして宣言するように私たちに教えているか、について語られた。

 5500人の司祭、信徒が参加した復活徹夜ミサは、枢機卿団のジョバンニ・バティスタ・レ主席枢機卿が司式し、教皇は、イタリア、米国、アルバニア、キューバの各国出身の成人7人に洗礼を授けられた。教皇はここ数か月、膝の痛みに苦しんでおられ、今回は、負担となるミサの司式は控えられた。

Easter Vigil in St. Peter's Basilica

*私たちはウクライナの皆さんと共にある

 ミサには、ウクライナの国会や地方自治体の代表からなる代表団も出席、その中には現在亡命中のメリトーポリ市長、イヴァン・フェドロフ氏もおり、教皇は次のような言葉をかけられた。

 「市長さん、そして議員の方々、あなた方が生きておられる暗闇、戦争と残虐の深い暗闇の中で、今夜、私たちは皆、あなたがたと共に、あなた方のために祈っています。私たちはすべての苦しみのために祈っています。私たちはあなた方と共におり、祈り、あなた方にこう申し上げますー勇気を出して!私たちはあなた方と共に歩みます!そしてまた、今日、私たちが祝っている素晴らしいことをあなた方に告げますーChristòs voskrés!キリストは蘇られました!」

 着席して説教をされた教皇は、満天に星が輝く夜空の素晴らしさを讃えた多くの作家たちがいる一方で、戦争の夜は、死の前兆となる光の流れによって特徴づけられていることを、思い起こされた。

*女性たちは聴いた

 教皇は説教で、ミサで読まれたルカ福音書の主の復活の箇所(24章1節以降)を取り上げ、まずその中の、「輝く衣を着た二人の人」が、墓にイエスの遺体を見つけられずに当惑している女性たちの場面に注目された。二人は、なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、このにはおられない。復活なさったのだ」と2人は女性たちに告げる。

 教皇は「『あの方は、ここにはおられない』ー私たちがこの言葉を耳にし、繰り返すのはよいことです」と語られ、「私たちが神について全て理解したと思い、自分の考えや見方に収めてしまう、あるいは、自分が必要な時だけ神を求め、それ以外の日々の生活では神を忘れてしまう、あるいは、私たちの助けが必要な兄弟姉妹の中におられる主をおろそかにしてしまうとき」に私たちも思い起こすべき言葉だ、と指摘。

 そして、教皇は、「私たちは、過去の囚人となり、神から赦しを得、イエスとその愛を得ようとする勇気を欠いた、力のない考え方や振る舞い方から解放されねばならない。私たちを変え、私たちの世界を変えたいと強く願われている、生ける神に出会い、受けれる必要があります」と説かれた。

 「それでも主は蘇られます!墓の間を歩き回らず、生きている方である主を見つけるために走りましょう!私たちの兄弟姉妹の顔の中に、主を求めるのを恐れることがないように。希望と夢を抱く人々の物語の中に、私たちが苦ませている人々の痛みの中に、主を求めることを恐れてはなりません。神はそこにおられるのです!」Easter Vigil in St. Peter's Basilica

 

*女性たちが宣言した

 さらに、教皇は、輝く衣を着た二人に主の復活を告げられた女性たちが、悪と死に対する神の勝利というメッセージに心を開き、復活の喜びを宣言したことに注目。「この喜びは、ただの喜ばしい慰めであっただけでなく、『蘇られたキリストの福音の全てをもたらす』宣教の使徒たちを誕生させる励ましとなりました」とされ、「主の復活を見、聴いた後、女性たちは、たとえ人々が自分たちを気が狂ったと思ったり、自分たちの言うことを信じようとしなかったりしても、この良き知らせを伝えようとする意欲と興奮が勝ったのです」と語られた。

 

*当惑から喜びへ

 そして教皇は、墓にイエスがおられないことを知った「福音の女性たち」が経験した「希望に満ちた夜明けの光」を見るようにミサ参加者たちに勧められ、「その光は、今の私たちの世界の暗闇の中に昇る神の命の『夜明けの最初の光』を示しています」と説かれた。

 また、週の初めの朝早く、イエスの遺体に香油を塗ろうと墓に出かけた女性たちが、墓が空になっていることに当惑していると、輝く衣を着た二人がそばに立ち、「イエスが復活された」と告げたことを取り上げ、「彼女たちの『見て、聴いて、宣言した』という三つの経験は、死から生への主の過ぎ越しを思い起こす時に私たちもできるものです」と指摘された。

 

*女性たちは見た

 「復活の最初の知らせは、熟考すべきものです。予想を完全に覆し、素晴らしい、希望として伝えられたからです」とされた教皇は、「ただ『意表を突くような良き知らせ』に対して、多くの人は、心の中にそれを受け入れる場がない。そして、この福音書に書かれた、女性たちから良き知らせを聞いた弟子たちのように、私たちはまず、この知らせを疑い、恐れます」と注意された。

 また教皇は、「私たちは時として、意気消沈した目で自分の人生と現実を見続け、自分の未来を帳消しにし、物事は決して変えられず、良くもできない、と信じ込み、人生の喜びを埋め込んでしまうことさえあります」とされたうえで、それに対して、「今日、私たちが宣言する主の復活がもたらす希望は、人生を別の目で見、『恐れ、痛み、そして死が、私たちにとって決定的な言葉にはならない』ことを信じるように、との主の呼びかけなのです」と説かれた。

 そして、死は、私たちを恐れと悲しみで一杯にすることが出来るが、そうした時も、「主はよみがえられた!」ことを忘れてはならない、とされ、「視線を上げ、悲しみのベールと嘆きを瞳から取り除き、神がくださる希望に心を開きましょう!」と励まされた。

 

*福音の喜び

 教皇は続けて、福音の喜び、そして、すべてのキリスト教徒が復活したキリストを経験し、そのことがもたらす喜びを他の人たちを分かち合うように召されていることを、同じやり方、おなじ熱意をもって、教会が宣言できるように、と願われた。

 「イエスを、生ける方を、私たちが封印した墓から蘇らせましょう… 私たちの日々の暮らしに持ち込みましょうー戦争の恐怖が刻印された今現在の平和の表現を通して、関係が崩壊する中で和解をめざす行動、助けを求める人々に対する思いやりの行動、不平等の状況の中での正義の行動、そして嘘に満ちた中での真実の行動を通して。そして何よりも、愛と兄弟姉妹同志の思いやりの業を通して」。

*希望には「イエス」という名がある

 説教の最後に教皇は、イエスがどのようにして「私たちの罪の墓」に入られ、「私たちの重荷」を負われ、私たちを生き返らせてくださったか、を思い起こされ、次のように語られた。

 「キリストと共に、復活祭を祝いましょう!キリストは生きておられます!今日も、キリストは、私たちの中を歩き、私たちを変え、私たちを解放されます… 復活された主イエスと共にある私たちに、夜が永遠に続くことはありません。そして、最も暗い夜でも、明けの明星は輝き続けるのです」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年4月17日