☩教皇、帰国途上の機中会見で、ウクライナ、女性の権利、聖職者の性的虐待、移民・難民問題などについて語る

(2022.11.6  Vatican News  From the Papal flight)

   教皇フランシスコは6日午後、バーレーンから帰途途上の機中で、同行記者団たちと会見された。その中で、教皇はロシアのウクライナ軍事侵略はじめ世界の多くの地域で続く紛争について改めて強く批判、平和回復の努力を世界の指導者たちに訴えられた。また、バーレーン訪問中にも会われたイスラム教指導者、アル=アズハルのグランド・イマームとの親交、女性の権利と平等を確保することに重要性、移民・難民問題、聖職者による未成年性的虐待問題など幅広い質問に答えられた。

 (2022.11.7 バチカン放送)

 バーレーン訪問の手応え、また社会における宗教・民族・性別などの違いを超えた共存を推進する同国の努力について問われた教皇は、すべての人に開かれた文化から受けた新鮮な印象を振り返った。

 バーレーンではすべての人に居場所がある、と話す教皇は、国王も述べていたとおり、人々はそれぞれ自由な選択ができ、たとえば女性が働きたいと思えば、働くことができ、また、その開かれた性格は、宗教に関しても言えることである、と語った。

 また、教皇は、バーレーンで働き生活する、フィリピンやインド・ケララ州出身の多くのキリスト教徒の存在に胸を打たれた、と話した。

 この訪問は「出会いの旅」であった、と教皇は述べつつ、アル=アズハル・モスクのグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師をはじめイスラム教指導者らとの諸宗教対話、また正教会のエキュメニカル総主教バルトロメオス1世らキリスト教諸教会代表とのエキュメニカル対話を思い起こされた。

 教皇は、アフマド・アル・タイーブ師がイスラム教間のそれぞれの違いやアイデンティティーを尊重した一致の方向を考えているように、キリスト教間の一致や、他の宗教との対話を進めるには、自分のアイデンティティーを持っていなくてはならない、と強調。

 自身のアイデンティティーなしでは、対話は、行き先も到着点もない、実態のない困難なものとなる、と話した。

 イスラム長老評議会との会見で、イスラム関係者が被造物とその保護について言及したことに強い印象を受けた、と教皇は述べ、環境問題はイスラム教、キリスト教、そして皆が憂慮する問題になっている、と語った。

 教皇は、「(この日)バーレーンから(COP27会議が行われる)カイロへ、バチカンの国務長官とアフマド・アル・タイーブ師が兄弟のように共に同じ飛行機で向かっているが、これは非常に感慨深いこと」と述べた。

 教皇はこの記者会見で、アブダビで3年前にアル・タイーブ師と署名した共同文書「世界平和のための人類の兄弟愛」が生まれた経緯についても説明。

 同師が表敬のためバチカンを訪れた際、フォーマルな会見を行ったが、それが終わり、退出しようとする同師を見送りに出ながら、ちょうど昼どきだったので、「お昼はどこで召し上がるのですか」「一緒に昼食をいかがですか」と招き、それぞれの秘書や顧問と一緒に非常に兄弟的な雰囲気の中で食事をした。その食事が終わる頃、この出会いをもとにした文書を作らないかという話になったと、その時の様子を回顧した。

 そして同師と草案を交換しながら文書をまとめ、アブダビ訪問の際にそれを発表する運びとなったが、「これは神のおかげとしか思えない、誰もそのようなことは考えてもいなかったのだから」と教皇は語った。

 バーレーンで教皇は女性の権利と尊厳をも含めた基本的人権について話したが、近くのイランでは(スカーフの着用をめぐり)女性たちによる抗議が起きている、との記者の言及に、教皇は、「男性と女性の平等はどこにでもあるとはまだ言えない。女性であることは一つの恵みであり、男女平等が普遍的なものとなるよう闘い続けなくてはならない」と話した。

 「神は男と女を同じように作られた。女性を公的生活から消す社会は、自ら貧しくなる社会である。権利の平等はもちろん、機会の均等も必要だ。共に前進するための平等が必要であり、そうでなければその社会は疲弊する」と述べつつ、教皇は、女性たちの権利だけでなく、女性たちの社会進出のために取り組み、わたしたちが女性たちのおかげで変わることができるように、と呼びかけた。

 ロシアとウクライナ間の和平交渉に対するバチカン側の動きについての問いに、教皇は、バチカンはこの問題に継続的な関心を注ぎ、国務省および外務局長がそのために多くの働きをしていると答え、解決模索のための接触や、人質をめぐる働きかけなどに言及した。

 教皇は、先の2つの世界大戦の後、今ウクライナにおいて戦争が起き、さらにシリア、イエメン、エチオピア、ミャンマーなど、いたるところで紛争が続いていることに触れ、「100年余りの間に3つもの世界大戦」を嘆かれた。

 戦争の悲惨と無数の戦没者への思いを胸に、教皇は、「ジャーナリストの皆さん、平和主義者であってください。反戦を語り、戦争反対のために努力してください」と記者たちに願われた。

(2022.11.6 Vatican News)

 記者団との一問一答の要約は次の通り。

*バーレーン訪問の成果は

問:Fatima Al Najem Bahrain News Agency: バーレーン王国への歴史的な訪問の結果をどのように評価しますか。また、バーレーンが、社会のすべての分野、すべての宗教、性別、人種の共同生活を統合し、促進するために行っている努力をどのように評価しますか?

答:教皇フランシスコ:  バーレーン訪問の主な目的は、イスラム教指導者たちとの宗教間対話とギリシャ正教のバーソロミュー・コンスタチノープル総主教とのキリスト教一のための対話でした。

 イスラム教の長老評議会では旧知のグランド・イマームと顔を合わせました。彼の話を私は注意深く聞かせてもらいましたが、イスラム教内部での対話について、違いを消し去るのではなく、お互いを理解し、協力すること、敵対しないことを強調されたのに感銘を受けました。私たちキリスト教徒は、正統派やルター派に反対するカトリック教徒など、宗教戦争につながったという歴史を持っていますから。私たちは宗教を信じる者として、友人として、兄弟姉妹として共に歩み、善を行う必要があります。彼の被造物と被造物の保存についての発言にも感銘を受けました。これは、イスラム教徒、キリスト教徒など、すべての人に共通の関心事です。現在、バチカン国務長官とアル・アズハルのグランド・イマームは、兄弟として一緒に同じ飛行機でバーレーンからカイロに移動しています。これはかなり感動的です。

 バーソロミュー総主教はキリスト教一致の分野での権威であり、彼の存在はとても良い結果をもたらしています。

 バーレーンには、誰にでも受け入れられる場所があります。また、国王が私に完全な開放性。宗教的分野の開放性が自分の国にはあると言われました。実際、フィリピン人やケララ州から来たインド人など、大勢のキリスト教徒がこの国に住み、働いていることに感銘を受けました。

 

*レバノン訪問の可能性は

 

問:Imad Atrach: 教皇様、3 年前の人類の友愛に関する文書への署名以来、バグダッドへの訪問、そして最近のカザフスタンへの訪問に至るまで、目に見える成果を生んでいるとお思いですか?バチカンでの会議で最高潮に達すると期待できますか? そして、私たちレバノン人は、あなたの訪問を本当に緊急に必要としています。現在、私たちには大統領さえいない状況です。

 

答:教皇フランシスコ:  私は最近、アブダビ文書のアイデアがどのように生まれたか、私が共に作成した最初の文書について、多くのことを考えてきました。彼が表敬訪問のためにバチカンを訪れ、議定書について会議が行われた後、私たちは一緒に昼食をとることにしました。私たちはパンを取り、それを裂き、お互いに与え合いました。兄弟愛に満ちた、とても素敵なランチでした。そして食事の終わりに、誰が思いついたのかわかりませんが、この会議を文書にしようということになりました。双方の秘書役が作業に取り掛かり、最終的にアブダビ会議を利用してそれを文書を公開しました。それは神から来たものでした。そうでなければ理解できません。それは友好的なランチで実現したのです。

 アブダビ文書は私が出した回勅「兄弟の皆さん」の基礎になりました。主からの特別な祝福なくしては、そのような道を考えることはできなかった、と私は信じています私たちは、その後、友達になり、今では会うたびに話します。

 レバノンに関しては…  私にとって悲しいことです。レバノンは国ではありませんが、私たち全員にとって非常に大きな意味を持っています。そしてレバノンは今苦しんでいます。私は祈り、レバノンの政治家たちに訴えます。「私利私欲を脇に置き、最初に神、次に国、次に利益だということに同意してください」と。「レバノンを救え」とは言いたくありません。”救世主”ではないからです。しかし、レバノンを支援してください。レバノンがその偉大さを取り戻すことができるように助けてください。手段があります…レバノンの寛大さがあります。レバノンには何人の政治難民がいるのでしょう! 彼らは苦しんでいます。この機会にレバノンのために祈りをお願いします。祈りは友情でもあります。あなたはジャーナリストです。レバノンを見据え、現状を伝えてください。

 

 

*世界ではまだ女性差別が存在する、男女平等へ戦い続けねばならない

問:Carol Glatz, CNS:今回のバーレーン訪問中に、女性の権利、女性の尊厳、社会的および公共の領域に女性の居場所を持つ権利などの基本的権利についてお話しになりました。また、より公正な世界に向かって前進するために、若い人たちに勇気を持って声を上げるよう勧められました。イランでは、自由を求める一部の女性と多くの若者によって抗議行動が引き起こされています。基本的権利を要求する人々の努力を支持されますか?

答:教皇フランシスコ:  私たちはお互いに真実を語らねばなりません。女性の権利のための闘争は進行中です。女性が男性と平等な場所もあれば、そうでない場所もあるからです。権利は基本的なものです。しかし、どうして今日の世界で、若い女子の陰門封鎖の悲劇を止めることができないのでしょうか?この慣行がいまだに存在するという事実、人類はこの犯罪、犯罪行為を止めることができないという事実!私が聞いた 2 つのコメントによると、女性は「使い捨て」の素材であるか(それは悪いことです)、または「保護された種」だというのです。男性と女性の間の平等はまだ普遍的に見られるわけではなく、女性が二級市民以下である場合があります。男女平等のために、私たちは戦い続けねばなりません。

 神は人間を男女平等に創造されました。そして、聖パウロは、男性は女性を自分の肉として世話するべきだ、と言いました。これは、当時としては画期的なことでした。すべての女性の権利は、この平等から生まれます。女性に居場所を与えられない社会は前に進みません。世界には経済のビジョンを変え、それを前進させることができる女性経済学者がいます。彼女たちは、男性とは別の賜物を持っている。物事を別の方法で実行する方法を知っています。女性は男性より劣っているのではなく、相互補完なのです。

 一国の政府のトップを務める、数人の子供の母親と会ったことがあります。彼女は、その国の困難な状況を解決するのに非常に成功していました。私は彼女に「教えてください。どうやってこのような困難な状況を解決したのですか」と尋ねました。彼女は黙ってこのように手を動かし、それから私に言いました。「[これが] [私たち] 母親のやり方です」と。 女性には、男性のやり方ではなく、問題を解決する独自の方法があります。女性が持つ洞察力で共通の利益のために働きます。

*バチカンでは女性を要職に就けるたびに状況は良くなっている

 バチカンでは、女性がバチカンで仕事をするたびに状況が良くなっています。バチカン市国の次長は女性です。物事は最善の方向に変わっています。バチカンの財務評議会にはこれまで枢機卿が6人、信徒が6人で全員が男性でした。私は一般信徒6人を男性1人と女性5人に変えました。女性は正しい道を見つけ、前進する方法を知っている。これは革命です。そして今、私はマリアンナ・マツカート(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)教授を教皇庁生命科学アカデミーのメンバーに入れました。アメリカ出身の偉大なエコノミストです。

 私たちは女性たちを必要としており、公の場から女性を排除する社会は、社会そのものを貧しくします。権利の平等、機会の平等が無ければ、私たちは貧しくなります。

 

*ウクライナ和平への努力は具体的になされているのか?

問:Antonio Pelayo, Vida Nueva: バーレーン訪問中に、ウクライナ問題への言及は「苦しむウクライナ」と「和平交渉」だけでした。交渉実現にバチカンはどのように取り組んでいるのでしょうか。進展は?プーチン大統領と最近話されましたが、会談を近い将来なさるおつもりですか?

答:教皇フランシスコ:  ウクライナ問題について、バチカンは常に注意を払っており、国務長官はよく対応し、外務局長のギャラガー大司教もよく働いてくれています。

 ロシアの軍事侵攻が始まった翌日、私はバチカン駐在のロシア大使館に出向き、大使と話をしました。「必要があればモスクワに行ってプーチン大統領と話をする用意がある」と彼に伝えました。彼から連絡を受けたラブロフ外相は、とても丁寧な返事をくれましたー「ありがとう」。でも、モスクワ訪問は今のところ必要ではない、と。それ以来、私はゼレンスキー大統領と電話で2回話しました。その後、ロシア大使とさらに数回。解決策を模索する作業が続いています。

 ウクライナの人々はロシア軍の残酷な行為に苦しめられていますが、おそらくロシアの人々の行為ではない。傭兵、冒険するために戦争に行く兵士によるものでしょう。 私はロシアの人々、ロシアのヒューマニズムに対して敬意を持っているので、そう考えたい。今日に至るまで私たちキリスト教徒に刺激を与え、キリスト教について考えるように促してきたドストエフスキーのことを考えてみてください。

 私はロシアの人々にも、ウクライナの人々にも大きな愛情を持っています。 11 歳の時のことです。近所の教会の司祭がウクライナ語によるミサを捧げ方を教えてくれました。ですから、私はウクライナの典礼に大きな愛情を持っています。私はロシア人、ウクライナ人という大好きな二人の真ん中にいるのです。バチカンは非公式の会議を何度も開き、良い結果をもたらしています。

 それにしても嘆かわしいのは、この100年余りの間に、3回の世界大戦が起きていることです。 1914年から1918年の第一次大戦、1939年から1945年の第二次大戦、そして、今、ウクライナなど世界中で起きている戦争。今日、最大の”災難”は武器産業です。1年間武器を作らなければ、世界の飢餓を終わらせることができる、と言う人がいます。イエメンでも、エチオピアでも、ミャンマーでも、武器と闘いのある所で、多くの人が飢え苦しんでいます。欧州の人々は、ロシアとウクライナの戦争の影響を強く受けています。

 2019年6月に 連合軍のノルマンディー上陸作戦75周年の記念式典が行われた時のことを思い出します。式典には、非常に多くの国の代表が出席しました。上陸作戦の成功は、ナチズムの崩壊の始まりとなりましたが、ノルマンディーの海岸には、何人の若者たち(の遺体)が残されたでしょう。3万人ともいわれます。出席者の誰がその若者たちのことを考えたでしょうか。戦争はこれらすべての悲劇の種をまきます。だからこそ、ジャーナリストであるあなたは、平和主義者として、戦争に反対してください。兄弟としてお願いします。

 

 

*司祭の性的虐待で信徒は”破壊”される、たとえ一件でも重大

 

問:Hugues Lefevre I.Media: フランスでは、つい先日、1990 年代に性的虐待を犯し、現在は引退している司教の 2021 年の有罪判決を、教会が秘密にしていたことが明らかになり、多くの信者が、あなたがバーレーンでの聖職者との集いで言われた「キリスト教徒である喜び」を失いました。  今日、多くのカトリック教徒は、教会の”秘密の文化”を改め、透明にすべきか、知りたいと思っています。

答:教皇フランシスコ:   性的虐待の問題は、教会だけでなくあらゆる場所で常に存在しています。非常に深刻な問題ですが、これまで常に隠ぺいする習慣がありました。自身もスキャンダルで辞任したバーナード・ロー枢機卿がボストン大司教を務めている時に聖職者の性的虐待スキャンダルが初めて表面化しました。私たちカトリック教会は、家庭や社会の中で起きている性的虐待のスキャンダルの中では”少数派”だ、と言う人もいますが、たとえそれが、一件だとしても、重大です。信徒を育てる使命を持つ司祭の行為は、信徒を破壊するからです。司祭にとって性的虐待は、司祭として、社会人として、そのあるべき姿に反する悲劇であり、隠してはなりません。

 ボストンでのスキャンダル発覚以来、私たちは聖職者による性的虐待について、調べ、告発を進める中で、すべてを透明にしようとしています。ボストンでの発覚以前に、教会は、発覚前に人々が入れ替わった(つまり、司祭を他地域に移動させた) ことがあった。今、別の司教の問題が私のところに報告されていますが、「私たちは知らなかった」とか「それは当時の文化であり、今でも隠す文化が続いています」と言うのは容易なことではありません。

 私は、バチカンに未成年者保護委員会を設け、さらにそれを強化しています。(聖職者による性的虐待をなくし、被害者の権利確保、ケアのために)私たちはできる限りの努力をしていますが、教会の中に、事の重大性をはっきり認識せず、認識を共有していない人々がいることも、私は知っています。誰もが勇気を持っているわけではありません。「妥協したい」という誘惑に駆られることもありますが、教会の意志はすべてを明らかにすることにあるのです。

 私はここ数ヶ月で、隠蔽され、教会によって適切に判断されなかった性的虐待の事例について、2 件の苦情を受け取りました。これもまた、古い判断、適切に行われていない[適切に与えられていない]ことの修正が求められる事例です。私たちはできることをします。

 

*アフリカからの移民・難民は欧州連合加盟国全体で責任を持つべきだ

 

問:Vania De Luca Rai-Tg3:  移民・難民問題ですが、イタリアでは新政権が中道右派による「港湾閉鎖」政策をとるのではないか、と言われています。女性が首相の政権がイタリアで初めて誕生しましたが、どのような印象、どのような評価をお持ちですか?

答:教皇フランシスコ:  移民・難民は進んで受け入れられ、共に歩み、促進され、現地社会の一員とされねばなりません。これらの 4 つのステップを踏むことができなければ、移住者との関係はうまくいきません。

 現在は、地中海に最も近いキプロス、ギリシャ、イタリア、スペインの 4 つの国が移民・難民を受け入れていますが、欧州連合の加盟国は受け入れ可能な移民・難民の数について合意する必要があります。海を渡ってくる移民・難民の安全を確保する必要もあります。移民政策は、すべての国の間で合意されねばなりません。欧州連合は協力と支援の政策を採用する必要があります。キプロス、ギリシャ、イタリア、スペインの沿岸に到着するすべての移民に対する責任を放棄することはできません。

 イタリアのこれまでの政権の方針はある時点まで、移民・難民の命を救うことでした。新政権も同じ方針だと思います。ただ、欧州連合加盟国の合意なしには何もできません。責任は欧州全体にあります。

 関連してアフリカに関する欧州の責任です。ドイツのメルケル前首相は、移民・難民の問題はアフリカ自身で解決されねばならない、と言いましたが、「アフリカは搾取されなければならない」という発想では、人々がこの地域から脱出しようとするのは当然です。欧州は、アフリカの開発計画を立てねばなりません。アフリカのいくつかの国では、いまだに植民地勢力に依存していると考える人がいる。アフリカの人々が受けている搾取はひどいものです。

 イタリアの新政権について。政府はすべての人のためのものであり、イタリアを前進させるために最善を尽くすことを常に願っています。そして、政府与党に反対している他のすべての人たちが批判的な感覚で協力することを願っています。21 世紀になって今までに、イタリアでは政権交代が20 回もあったというのは望ましいことなのでしょうか。

 

*毎年30万人が去るドイツのカトリック教会に処方箋は

 

問:Ludwig Ring-EifelCentrum informationis Catholicum:  バーレーンで見たものとドイツの状況をどのように関連付けることができるでしょうか。 バーレーンでは、小さな教会、小さな群れ、貧しい教会、多くの制限などがありますが、希望に満ちた活気のある教会が成長しています。対して、ドイツには大きな教会があり、素晴らしい伝統があり、資産もあり、神学的、財政的、その他すべてを備えているにもかかわらず、毎年30万人の信者を失い、深刻な危機に瀕しています。 ”偉大なドイツ”がバーレーンから学ぶべきことは?

 

教皇:ドイツには長い宗教の歴史があります。ドイツには大きな素晴らしい福音派教会があります。私は別のものを望みませんが、福音主義者と友愛関係をもつカトリック教徒を希望します。時々、私たちは、神の聖なる信徒たちの宗教的感覚を見失い、倫理的な議論、偶発的な事柄についての議論、神学的な結果をもたらす議論に陥ります。神の民は何を考えていますか?何を感じていますか?彼らのところに行って、彼らが感じるもの、祖父母に見られる率直な宗教性を探してください。信仰のルーツを見つけてください。信仰は、イエス・キリストとの出会いから始まります。イエス・キリストとの出会いがなければ、キリスト教を装った倫理になってしまうでしょう。

(Working transcription and English translation prepared by the Dicastery for Communication)

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2022年11月7日