☩「分裂と紛争の世界で『対話と平和』の旅となった」教皇、バーレーン訪問を振り返る

Pope Francis greets crowds at General AudiencePope Francis greets crowds at General Audience  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2022.11.9 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは9日、水曜恒例の一般謁見で6日までのバーレーン訪問を振り返られ、「分裂と紛争に苦しむ世界における対話と兄弟愛の旅」だったと語られた。

 教皇は、紛争と戦争、特にウクライナでの戦争によって引き裂かれたこの世界で「平和を生み出す成果」を得たことを感謝された。

 そして、今回の旅の主目的が「平和に奉仕する宗教指導者を集めた、対話のためのバーレーン フォーラム参加」だったとされ、「なぜ私が、イスラム教徒が過半数を占めるこの小さな国を訪問したのか、不思議に思われる方も少なくないでしょう。その疑問に、『対話』『出会い』『歩み』の3つの言葉でお答えしたいと思います」と語られた。

(2022.11.9 バチカン放送)

 教皇の講話の要旨は次のとおり。

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 バーレーン王国の訪問から戻り、この訪問を祈りによって支えてくださった皆さん、大変温かくもてなしてくださった国王をはじめ同国当局と教会そして国民の皆さん、そしてわたしの訪問がスムーズに運ぶよう多大な仕事をしてくださった関係者らに心からのお礼を申し上げたいと思います。

 なぜ教皇はイスラム教徒が大部分を占めるこの小さな国を訪れることを望んだのか、という疑問がおのずとわくでしょう。この問いに、「対話」「出会い」「歩み」という3つの言葉を通して答えたいと思います。

 「対話」:この訪問のきっかけは、東洋と西洋の人類の共存を主題とする「対話のためのバーレーン・フォーラム」にバーレーン国王から招きを受けたことでした。

 他の人々や、宗教、伝統が持つ豊かさを発見するためには、対話が必要です。様々な島からなる列島バーレーンは、生きるためには孤立ではなく、歩み寄ることが大切だと教えてくれました。対話は平和のために必要であり、対話は「平和のための酸素」です。

 およそ60年前、第2バチカン公会議は、「平和の構築には、国家的なエゴイズムや他国に対する優越などの野心を捨て、国を超え、全人類に対する深い尊重を育みつつ、精神と心を広げる必要がある」と説きました。

 バーレーンではこのような必要を感じ、全世界の宗教者や社会の責任者らが自分の共同体の枠を超えた、全体を心にかけるために、自らの境界線の外を見るを力を養うことを願いました。こうしてこそ、神の忘却や、飢餓の悲劇、自然保護、平和などの普遍的なテーマと対峙することができるのです。

 「対話のためのバーレーン・フォーラム」は、出会いの道を選択し、衝突を拒むことを奨励するものであった。私たちはこれをどれほど必要としていることか。戦争の狂気の犠牲者であるウクライナをはじめ、他の多くの紛争も、幼稚な武力の論理ではなく、対話の穏やかな力を通してこそ解決できでしょう。

 「出会い」:しかし、出会いなくして対話はありません。バーレーンでは様々な出会いがあり、そこではキリスト教とイスラム教間の出会いと関係の強化を望む声が聞かれました。

 バーレーンでは、誰かに挨拶する時、手を胸にあてる。私も同じようにすることで、出会う人に心を開こうとした。相手を受け入れることがなければ、その対話は現実ではなく、理想だけの虚しいものになるからです。

 多くの出会いの中には、愛する兄弟、アル=アズハル・モスクのグランド・イマームや、カトリック学校での若者たちとの出会いもありました。そこで生徒たちは、キリスト教徒もイスラム教徒も、一緒に勉強しています。早くから互いを知ることが大事であり、このような兄弟的出会いは、イデオロギーによる分裂を予防します。

 「イスラム長老評議会」は、数年前に生まれた国際組織ですが、イスラム共同体間の良好な関係を推進し、原理主義や暴力に反対しながら、尊重、中庸、平和を教えています。

 「歩み」:バーレーンへの旅は、単独の出来事ではなく、聖ヨハネ・パウロ二世がモロッコを訪問して以来の、ひと続きの歩みとして捉えられるべきです。教皇によるバーレーン初訪問は、キリスト教とイスラム教の歩みにおける新たな一歩を表しています。

 その歩みは互いを混同したり、信仰を薄めるためのものではありません。それは、父祖アブラハムの名において、兄弟的な絆を築くためのものです。アブラハムは唯一の天の神、平和の神の慈しみの眼差しのもとに地上を巡礼しました。それゆえ、この訪問は「地には平和、御心に適う人にあれ」をモットーとしていました。

 バーレーンにおける「対話、出会い、歩み」は、キリスト者間においても行われました。そこでは兄弟であるバルトロメオス一世総主教をはじめ、キリスト教の諸教会や様々な典礼の人々との出会いがありました。

 また、バーレーンのカトリック信者たちは、まさに「歩み」を生きていました。彼らの多くは故郷を離れ、移民となって働きながら、神の民としてのルーツ、教会という大きな家族を再発見した人々です。

 司牧者や修道者などカトリック教会関係者らとの出会いや、湾岸諸国の多くの信者たちと祝った感動的なミサの中で、私は彼らに全教会からの愛情を伝えた。そして、今日、私は、彼らの純粋で素直で美しい喜びを、皆さんに伝えたいと思います。

 兄弟愛と平和の歩みを進めるには、すべての人、一人ひとりの力が必要です。聖母がこの歩みを助けてくださいますように。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2022年11月9日