☩「 愛しながら、神に会いに行く」死者の日・過去一年に亡くなった枢機卿・司教を追悼

教皇フランシスコ、この一年に亡くなった枢機卿・司教のための追悼ミサで 2022年11月2日 バチカン・聖ペトロ大聖堂教皇フランシスコ、この一年に亡くなった枢機卿・司教のための追悼ミサで 2022年11月2日 バチカン・聖ペトロ大聖堂  (ANSA)

(2022.11.2 バチカン放送)

 「死者の日」を記念する2日、教皇フランシスコは聖ペトロ大聖堂で、この1年間に亡くなった枢機卿・司教のためにミサを捧げられた。

 教会の典礼暦は、「諸聖人」の祭日の翌日2日、帰天したすべてのキリスト者を記念する。教皇はこのミサを通して、昨年10月末から今日までに帰天した9人の枢機卿、148人の司教を思い起こされた。

 説教で、「私たちは皆、『さあ、私の父に祝福された人たち』(マタイ福音書25章34節)と、いつかイエスに呼ばれる日を希望のうちに待ちながら生きています」、さらに「私たちはこの世の”待合室”にいて、天国に入り、主が催される『すべての民のための祝宴』(参照 イザヤ書25章6節)にあずかる日を待っている状態にあります」と語られた。

 そして、「天を待ち望む希望を育む一方で、私たちの望みが地上の過ぎ去るものだけにとらわれていないか」自省するように、そして「天国を待ちながら、どのような態度で生きるべきか、その答えをマタイ福音書の25章から学ぶように、と勧められた。

 マタイ25章のイエスが語る最後の審判の場面で、より分けられた正しい人々が驚いて「主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て、食べ物を差し上げ…たでしょうか」( 37節参照)と言い、一方で、正しくない人たちが驚いて「主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て…お仕えしなかったでしょうか」(44節参照)言う、いずれにも共通する「主よ、いつ私たちは」に、教皇は注意を向けられた。

 そして、「『いつ私たちは』の問いかけに対する答えはただ一つです。『いつ』とはまさに今、この時であり、自分の行いの責任は私たちの手の中に、私たちの慈しみの業の中にあるのです」と語られた。

 教皇は最後に、「この福音は、『どのようにして、私たちは天に入る日を待って生きるべきか』を説明しています。それは『愛しながら、神に会いに行くこと』です。なぜなら、神は愛だからです」とされ、「神は、この世の貧しい人や傷ついた人の間で、私たちを待っておられるのです」と説かれた。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

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2022年11月3日