☩「聖人たちのように、平和を造る者となれ」諸聖人の祝日の正午の祈りで

(2022.11.1 Vatican News  Sophie Peeters)

 教皇フランシスコは1日、諸聖人の祝日の正午の祈りの説教で、「聖人たちの人生は、私たちが平和を生み出す者として生き、慈悲、愛、正義の働きを通じて大胆に平和への道を築くよう促しています」と語られた。

 教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「イエスの山上の説教での至福の教え」(5章1‐12節)を取り上げ、「この教えは、聖人たちの『身分証明書』の役割を果たしています」とされた。そして、「すべての聖人の人生は、”完璧”で”厳格”な生き方をした、という”お決まり”のものではなく、徹底して”反体制文化的”で”革命的”な生き方をした、という別の側面を示しています」と指摘された。

 

*「平和を造る人々は幸いである」

 さらに教皇は、イエスの至福の教えのうちの「平和を造る人々は幸いである」(5章9節)を例に挙げ、「イエスがもたらした『平和』の形は、私たちが想像したり、定義しようとするものとは大きく異なることが多い。私たちにとっての『平和』は、静穏、混乱や問題のないところに何もせずにいること、を意味することが多いようです」と述べられた。

 そして、イエスは私たちに求められているのはそうではなく、「正義と憐れみの業を通して平和を造るように、平和を造る者として行動するように、と求めておられるのです」と指摘。「聖書が『平和の種まき』について語っているのは、それが生命の土、心の種から芽を出すからです。私たちが今日、祝っている輝かしい証人が示しているように、その芽は正義と慈悲の働きを通して、日々静かに成長しています…」と語られた。

 続けて教皇は「イエスの生涯と聖徒たちの生涯は、成長して実を結ぶためには『平和の種がまず、死ななければならない』ことを示しています… 平和は、誰かを征服したり打ち負かしたりすることによって達成されるのではない。決して暴力によらず、武装することでもない」と強調された。

 

*心の武装を解く

 さらに教皇は「平和を造る人になるために、何をせねばならないのでしょう?」と問いかけられ、「私たちは皆、鋭い言葉を発したり、攻撃的な考えを持ったりする潜在的な傾向がありますが、平和を造る者になるための最初のステップは、イエスに心を開くことで武装を解くこと、十字架の前に立ち、告白して、イエスから”赦しと平和”を受けることです。これが私たちの出発点。平和を造る人ー聖人であることは、私たちの能力ではなく、神の賜物であり、恵みだからです」と説かれた。

 

*平和を造る者への永遠の報酬

 また教皇は「私たちは、日々の生活の中で平和をもたらすことを望んでいますか?それとも日々の行動を通じて痛み、ゴシップ、論争をもたらすことを求めていますか?」と問いかけられた。

 そして「平和を造ることは、社会の片隅にいる人々を気遣い、不正と戦い、他者を赦すこと、です… 平和への道を開く人は、イエスが言われるように、最終的に天国で報われ、『神の子』と呼ばれる。今日の世界では”場違い”に見えるかもしれませんが、天の国の平和を造る人は、神に最も近いのです」と強調。

 最後に「すべての人を愛し、誰も傷つけない者が勝ちます。詩篇にあるように、『平和な人には未来がある』のです」と語られ、「全ての聖人の女王である聖母マリアに取次ぎを願いましょう。私たちが日々の生活の中で、平和を造る者となるのを助けてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2022年11月2日