☩「愛に燃える心臓が、今の教会にあるか」教皇、リジューの聖テレジア生誕150年に使徒的勧告

リジューの聖テレジア (1873 - 1897)リジューの聖テレジア (1873 – 1897) 

 教皇フランシスコが15日、幼きイエスと尊き面影の聖テレジアがフランスのアランソンに誕生してから150年を記念し、使徒的勧告「セ・ラ・コンフィアンス」を発表。24歳の若さで帰天した「宣教の保護者」リジューの聖テレジア(テレーズ)の「神の慈しみにおける愛と信頼」を教会の本質として示された。


 「私たちを愛に導くのは信頼であり、信頼以外の何ものでもありません」。教皇フランシスコがリジューの聖テレジア(テレーズ)に捧げた使徒的勧告のタイトルは、同聖人が1896年9月に記したこの言葉から採られている。

教皇たちが認めた小さき聖テレジアの証し

 教皇フランシスコは、リジューの聖テレジアの証しの類いまれなる価値を認めた歴代の教皇たちの行いを「テレジアに15歳で修道院に入ることができるよう計らったレオ13世」から、「テレジアを1925年に聖人として、1927年に宣教者の保護の聖人として宣言したピオ11世」、「1980年にリジューの聖テレジアに教会博士の称号を与えた聖ヨハネ・パウロ2世」に至るまで振り返っている。

 リジューの聖テレジアは、その修室で「イエスは私の唯一の愛」と記し、自身の霊的体験を分析した。教皇フランシスコは、「イエスとの出会いがテレジアを宣教へと召し、その奉献は兄弟たちの善の追求なしには考えられないものだったとし、事実、テレジアがカルメル会に入会したのは、人々の魂を救うためだった」と述べている。

信頼と愛の道

 教皇は、小さきテレジアの霊性の中心である「小さき道」「霊的幼児の道」の考察へと向かう。幼きイエスの聖テレジアにとって、大切なのは神の働きかけ、恵みであり、個人の功績ではなかった。なぜならば物事を聖化するお方は主だからだ。教皇はこうしたことから、「最もふさわしい態度は、心の信頼を自分自身の外に、すなわち、私たちを際限なく愛され、イエスの十字架においてすべてを与えられた神の無限の慈しみの中に置くことです」と記している。

神の御手の中での委託

 教皇は、私たちの人生はしばしば「恐れや、人間的な安泰への願望、すべてをコントロール下に置く必要」に押しつぶされている、と言う。小さきテレジアが勧める神における信頼と委託は、「私たちを強迫観念的な計算や、未来の不安、平和を乱す心配から私たちを解放してくれる。(…)もし、私たちを際限なく愛してくださる御父の御手の中にいるなら、あらゆる状況に見舞われても、あらゆることが起きても、進んで行けることは確かです」と述べている。

「信仰に対する試練」と慈しみにおける信頼

 この若きカルメリットの霊的生活は、信仰に対する試練にも無縁ではなかった。小さきテレジアの時代、近代的無神論が大きな広がりを見せていた。そして、聖テレジアは「無神論者たちの姉妹」であると感じ、彼らのために取り次ぎ、彼らのために人生を差し出し、信仰の証しを新たにしていた。聖テレジアは神の無限のいつくしみを信じていた。神におけるすべては愛、そして正義である。教皇は言う。「これは小さきテレジアの最も重要な発見の一つであり、彼女が神の民全体に与えた最も偉大な貢献の一つである。素晴らしい方法をもって、聖テレジアは神の慈しみの奥深くへと入り込み、そこで神の無限の希望の光を得た」。

「母なる教会の心臓の中で、私は愛となりましょう」

 小さきテレジアは、アヴィラの聖テレジアから「教会への偉大な愛を受け継ぎ、この神秘の奥深くに到達することができた」と教皇は記す。自叙伝の中で小さき聖テレジアはこう書いている。「私は悟りました、教会には一つの心臓が、愛に燃える心臓があると。 […] 私の母なる教会の心臓の中で、私は愛となりましょう」。教皇フランシスコはこのようにコメントする。「その心臓とは凱旋的な教会のものではなく、愛にあふれ、謙遜で、慈しみ深い教会の心臓である。[…] 小さき聖テレジアが教会の心臓を見出したことは、今日の私たちにとっても、闇や罪に傷つけられた教会組織の限界や弱さにつまずかないための、偉大な光なのです」。

最後に重要なのは愛のみ

 最後の章で、教皇はこの使徒的勧告は、「福音の喜び」にもあるように、宣教的な教会において「福音の告知は、最も美しく、最も偉大で、最も魅力的であり、同時に最も必要な本質に集中すること」を思い出させる、と述べている。「最後に重要なのは愛のみ」と教皇は強調しながら、小さきテレジアのこの非凡な直感を受け入れ、内的な大胆さと自由をもって、その論理的、実践的、教義的、司牧的、個人・共同体的な実りを引き出す必要を神学者や倫理学者たちに呼びかけている。

小さき道の今日性

 結論に導く中で、教皇はリジューの聖テレジアの「小さき道」の本質的な点を思い起こすと共に、その今日性に触れている。そして、教皇は「愛する小さき聖テレジア、あなたがそうであったように、神が私たちに持たれる偉大な愛にいつも信頼できるように、助けてください。あなたの聖性の小さき道に私たちも毎日、倣うことができますように」と、祈りをもってこの使徒的勧告を締め括っておられる。

(編集「カトリック・あい」)

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2023年10月16日