(2022.12.11 Vatican News Thaddeus Jones)
教皇フランシスコは11日、待降節団参主日の正午の祈りの説教で、洗礼者ヨハネのように、「私たちがどのようにして主が誰であるかについての理解を新たにし、神の憐れみと優しさに感嘆することができるか」に焦点を当てて語られた。
教皇は、信徒たちが持ち寄った幼子イエスの像に使徒的祝福を与えられるのに先立つ説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書(11章2-11節)の箇所を考察された。
この箇所で書かれているように、牢の中にいた洗礼者ヨハネは、キリストのなさったことを聞いて、イエスが本当にメシアであるかどうかを本人に尋ねるために弟子たちを送った。そして、イエスが本当にキリストー預言者たちが言っているように、すべての人に対する思いやりの言葉と行為、愛ある憐みをもって病いの人を癒し、目の見えない人を見えるようにし、死者をよみがえらせ、貧しい人に良いたよりを宣べ伝える方ーであることを知った。

*イエスが本当にキリストなのか、という疑い
教皇はまず、牢の中にいるヨハネについて、「牢という物理的な制約以上に、心の内的限界に置かれていることを想像できます。つまり、イエスの中に待ち望んでいた救い主を見ることができなくなったかのようであり、本当に救い主であるかどうか、確認するために弟子たちを送ったのです」と語られた。