*日々、家族であることを学ぶ
もう一つの側面は、「どのようにして家族となるかを学ぶため、日々、心を開く必要性、に関するもの」であり、「それは、柔軟性と創造性を日々、必要とする新たな挑戦と機会を提供するからです」と教皇は語られ、「聖家族でさえも、予想もしないような問題、不安、苦しみに、どのように直面したか、を考えてみてください。”holy cards”を持った聖家族は存在しません」とされた。 さらに、マリアとヨセフがついに、神殿で教師たちと一緒にいるイエスを見つけ、イエスが「私の父のところにいるのをなぜとがめるのですか」と答えた意味は、その時は、2人には明らかにされてはいなかった、と教皇は語られた。そしてまた、「私たちは、どのように聴き、共に歩き、直面する挑戦に対処すべきか、を学ぶ必要があります。良き態度、単純明快な振る舞い、そして愛のこもったケアが求められる”日々の挑戦”への対処です」とされた。
*「私」より「あなた」を先に
また教皇は、「家族の調和を保つには、『私』という独裁、と闘わねばなりません。互いに耳を傾け合うべき時に相手の非をとがめたり、相手をいたわるべき時に自分自身のことに一生懸命だったり、対話すべき時に携帯電話と閉じこもったりすること、は危険です」と警告。
そして、「言い争うことがあっても、その日のうちに仲直りし、翌日に持ち越さないことが大切です」とされ、「家族の間で、長い間、口をきかないことや、配慮のないエゴイズムによって、争いが起きてしまいます。時には、それが肉体的・精神的暴力に至ることさえあります。それが家庭の調和を引き裂き、家族を破壊してしまう。そうならないように、『私』から『あなた』に向き直らねばなりません」と訴えられた。
最後に教皇は、「自分自身だけでなく、『私』よりも『あなた』に焦点を合わせ、いつも、平和の賜物を神に願うために、ほんの少し、共に祈るように」と促され、両親、子供、教会、社会に対して、「家族を養い、守り、保護することへの確約」を、この機会に新たにするよう、呼びかけられた。そして、「聖母マリア、ヨセフの伴侶でありイエスの母、私たちの家族をお守りください」との祈りで、説教を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)