☩教皇、帰国途上の機内会見で、妊娠中絶の法制化、ワクチン接種、欧州連合問題、同性婚、聖体拝領問題などについて語る

Pope Francis during the press conference on the return flight from SlovakiaPope Francis during the press conference on the return flight from Slovakia  (Vatican Media)

 (2021.9.16 バチカン放送)

 ハンガリー訪問について、教皇は、ハンガリーの人々の持つ多くの価値の中でも、特にエキュメニズムの持つ深い意味に感銘を受けた、と語られた。

 ハンガリーの首相を主体とした会談では、環境問題が話題に上がり、首相から、どのように河川をきれいにするかの説明を受けたが、ハンガリーの人々の環境問題に対する意識の高さに脱帽する、と述べられた。このほか、国民の平均年齢など、人口統計上の傾向をめぐり、若い人たちの結婚を助ける政策を大統領が説明した、と話した。移民問題はテーマに上らなかったという。

 欧州のキリスト教の印象をめぐり、教皇は、欧州連合は何かをするための集まりではなく、その基礎にはこの構想を夢見た人々の精神がある、と述べ、欧州連合が単なる管理機関になってしまう危険を指摘しつつ、ヨーロッパの根源にある精神性を追求し、それを伝える必要を説いた。

 スロバキアでは新型コロナウイルスのワクチンがキリスト教信者を分裂させているが、ワクチン接種を受けることは愛の行為である、と以前から語られている教皇は、この状況をどう見るか、という問いに対し、教皇は、はしかやポリオなど、ワクチンの恩恵を受けてきた人類の歴史に触れ、ワクチンをめぐる過激な世論は、おそらく不安から来ており、その不安は新型コロナウイルスの大感染だけから来るのではない、と語られ。

  聖体拝領と堕胎をめぐる問題について、米国では人工妊娠中絶の合法化を支持する政治家の聖体拝領を拒むべきか否か、という論争があり、ある司教たちはそうあるべきと言い、ある司教らはご聖体を(政争の)武器のように使うべきでない、と言い、司教の間でも意見が割れているが、教皇は「ここ数年間に公的に誰かに聖体を拒んだことがあるか」との米国記者の問いに、教皇は「誰かに聖体を授けることを拒んだことはこれまで一回もないが、こうした状態にある人が(聖体を拝領に)来たかは知らない」と答えられた。

 人工妊娠中絶について、教皇は「堕胎は単なる問題を超えて、殺人」である、と強調。胎児は一人の命ある人間であり、人間の命は尊重されなければならない、この原則は明確なもの、と話された。

 同性愛者の結婚を認めるかどうか、についてどう考えるか、という問いには、「結婚は一つの秘跡であり、教会は主が制定した秘跡を変える力を持たない」と答えられ、「異なる性的指向を持つ多くの人々の状況を助けようとする法律がある」ことに言及しながら、「国々がこれらの人々を市民的に支援することは重要」とされた。そして、「私たちは兄弟姉妹であるこれらの人々に寄り添い、教会は彼らを助けるが、結婚の秘跡は別の問題」と語られた。

(編集「カトリック・あい」)

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(2021.9.15 Vatican News)

 記者会見での一問一答は次の通り

*欧州連合の理想を忘れず、”イデオロギー的植民地化”に利用されぬように

問:Istávan Károly Kuzmányi(MagyarKurír=ハンガリーのカトリック・メディア)

 ブダペストを訪れていただきありがとうございます。ブダペストで教皇は、「100万人のハンガリー人が祈っているなら、私は未来を恐れません…」と語ったミンツェンティ枢機卿(1892年3月29日 – 1975年5月6日第二次世界大戦後の1945年10月から約28年間、エステルゴム大司教=ハンガリーの首都大司教=を務めた)の言葉を引用されました。なぜ教皇として、今回の東欧2か国訪問の最初に国際聖体大会に参加されたのですか?あなたは欧州のキリスト教をどのように見、私たちハンガリー人はどうすればいいとお考えですか?

答:教皇フランシスコ

 国際聖体大会への参加について、当初はよく理解されていませんでした。「あなたは国際聖体大会の式典のためだけに来て、私たちハンガリー人を訪ねないのですか」と。中には悪く考える人もいましたが、私は、その人たちにこう説明しました。「そうではありません。以前から考えていたのですースロバキアを始め他の国を訪問するということでしたが、あなたの国の大統領にお会いすると約束しました。彼に合うのは三回目でしたが、来年かその後にまた来れるか考えます、と約束しました。それは、ハンガリーの人たちには非常に多くの価値観があるからです。たとえば、あなた方は、とても奥深いエキュメニズムの感覚をもっておられます。そのことに私は感銘を受けています。

 欧州についてですが、私がいつも申し上げているのは、「欧州は、欧州連合の生みの親たちの夢を再認識しなければならない」ということ。欧州連合は事を成すための集まりではありません。欧州連合の背景には、シューマン、アデナウアー、デ・ガスペリなど偉大な人々の精神があります。ただの”管理事務所”であってはなりません。欧州のルーツを求めて、神秘主義に向かって、着実に前進する必要があります。欧州のすべての国が前進せねばならない、と思います。欧州連合を”イデオロギー的植民地化”に利用しようという考えが存在するのは確かです。おそらく欧州外の日との考えでしょうが、良くないことです。欧州連合は自立した存在でなければならず、偉大な生みの親たちの刺激を受けて、すべての国が独立している必要があります。これが私の考えです。

 

*新型コロナワクチン接種ー感染し治療を受けた反対派枢機卿もいる

 

問:Bohumil Petrik (Dennik Standard)=スロバキアのメディア)

 新型コロナ・ワクチンのVワクチン接種を巡ってキリスト教徒が割れています。スロバキアでもです。教皇は、「ワクチン接種を受けるのは、愛の行為です」と言われています。それでは、接種を受けない人がいたら、どうおっしゃいますか?接種を受けない人は、差別されているように感じています。教区によって、この問題への対応が違っています。今回のあなたのスロバキア訪問に当たっても、当初、接種を受けた人だけが、行事に参加できる、とされていて、後になって、接種していなくでも、検査で陰性なら参加してもいい、と改められました。この問題についてどのようにお考えですか?

答:教皇フランシスコ

 これは重要な問題です。ちょっと変でもありますね?なぜかと言えば、人類はこれまでワクチンとは友好な関係の歴史をたどってきたからです。私が子供だった頃、はしかやポリオが流行し…子供たちは皆、ワクチン接種を受けました。誰も「いやです」とは言いませんでした。(注:新型コロナ・ワクチンの接種を巡って問題が起きているのは)おそらく、接種による副反応と不確かだ、というのが理由になっているのでしょうー新型コロナ感染に関して、様々なワクチンがあること、ワクチンの中に感染防止に役立たず、蒸留水とあまり変わりがないものがある、という評判などです。

 それが、人々を怖がらせています。そして、ワクチンに含まれるウイルスが危険だ、という人もおり、多くの議論が起きて、人々の間に分裂をもたらしています。枢機卿団の中にも“反ワクチン派”がいますが、そのうちの一人が、可哀そうなことに新型コロナに感染して、治療を受けました。人生は皮肉なものです。私は良く説明できないのですが、ある人は、十分な検査を受けず、怖がっているのは、ワクチンの余って来るところが違うからだ、と言いますが、この問題については、明確にし、誠実に語ることが必要です。ちなみに、バチカンでは、どのように助けたらいいか検討中の少数の人を除いて、全員がワクチン接種を受けています。

*”人口の冬”が心配、若者、子供たちは未来の希望

問:Daniel Verdú Palay (El Pais=スペインのメディア)

 教皇は12日に、ハンガリーのオルバン首相(移民反対の強硬派)とお会いになりました。教皇は、移民問題や欧州問題、ナショナリズムの問題などで、彼と意見を異にしている、と言われていますが、会談はどのようなものだったのでしょうか?。教皇の側から、最近のアフガニスタン危機で最重要問題に再浮上している移民問題に触れられましたか?また、首相が施行した同性愛に関する法律についてどうお考えですか?また、首相に、「キリスト教のハンガリーを死なせないように」と求められた、と聞いていますが?最近の教皇の言動から、時としてキリスト教的な価値を殺してしまう政策が存在しているように思われるのですが?

答:教皇フランシスコ

 私は首相とお会いしました。首相がおいでになったからです。彼は礼儀正しく、親切でした。お会いしたのは三度目で、大統領や副首相と一緒に来られましたが、話されたのは首相でした。 話された最初のトピックはーそれが会談の大半を占めましたがー環境問題でした。私は、あなた方ハンガリー人の環境に対する良心に脱帽しています。首相は、どのようにして河川を浄化しているか説明されました。私の知らなかったことです。

 それから、私から、ハンガリーの平均年齢について聞きました。なぜなら、私は”人口の冬”を心配しているからです。イタリアの平均年齢は確か47歳前後で、スペインはもう少し若かったかもしれませんが、多くの村で住む人はいなくなり、いてもわずかなお年寄りです。これは深刻な問題です。どのようにしたら解決できるでしょう?首相は私に説明しましたー私の国の法律は若い人たちが結婚し、子供をもつことを支援しています、と。これは興味があります。法律…フランスでも似たような、もっと進んだものがあるようです。だから、フランスではスペインやイタリアのような悲劇が起きていない… このことについて、法律の内容などについて、技術的な説明が、ハンガリー側からありました。

 そのほかのテーマとしては… 移民問題は話題になりませんでした。話題は環境問題に戻り、それと、私が尋ねた意味での「家庭の問題」。何と多くの若い人々、子供たちがいることか。スロバキアでも、私は、とても多くの子供たち、若い夫婦がいることに驚きましたー未来は明るいのです。

 それと直面する課題としては「雇用」です。 でも「外国に出る」ことを彼らは考えません。仕事が見つからないなら、外国に仕事口を見つけに行くことになるのですが。首相は、会談の間中、話しました。他の閣僚はいくつかの関係するデータを見せてくれました。会談は35分ないし40分ほどだったでしょうか、良い雰囲気で行われました。

 

問:Gerard O’Connell (America Magazine=イエズス会発行のメディア):

 まず、手術が素晴らしい効果をもたらしたことを私たちは皆、喜んでいます、あなたは若返りました!

答:教皇フランシスコ

 私に「誰かが手術を受けたいと言っています」と言う人がいました。それが誰か知りません… でも、(注:私の受けた手術は)は美容のためのものではありませんでしたよ!

問:O’Connell

 あなたは「私たちは皆、罪人であり、ご聖体は完璧な人への”報酬”ではなく、弱い人のための”薬””食べ物”だ、とよくおっしゃいます。ご存知のように、米国では、特に先の大統領選やその他の選挙の後、いや2004年以降、妊娠中絶を支持する法律と女性の選択権を支持する政治家にご聖体を授けることに、司教の間で議論がありました。そして、(注:カトリック教徒である)バイデン大統領や政権幹部のご聖体を授けたくない司教たちもいます。それに反対する司教もいれば、「聖体を武器として使う必要はない」と言う司教もいます。このような事態についてどう思われますか?司教たちに、どう助言されますか?また、教皇ご自身は、司教として、過去に、このような人にご聖体を授けるのを公に拒否したことがありましたか?

答:教皇フランシスコ

 

*聖体拝領は完璧な人への報償ではない

 

 いいえ、私は誰に対しても、ご聖体を授けるのを拒否したことはありません。そのような方が来られたか分かりませんが、お断りしたことは一度もない。誰に対してもです。司祭としてそうするのです。絶対に拒否はあり得ません。あなたが言われるような方が前に来て、それに気づいたこともない。本当です。

 少しばかり、興味深い経験がありました。ある老人ホームにミサを捧げに出掛け、そこの居間にいた時のことです。私が「ご聖体をいただきたい方は、手を挙げてください」と言うと、全員が拝領を希望されました。そして、あるご婦人にご聖体を授けた時、彼女は私の手に取って、「ありがとう、神父さま。ありがとう。私はユダヤ人です」と語りかけたので、「大丈夫、私があなたにお授けした方も、ユダヤ人ですよ」と答えました。彼女はまず、ご聖体を拝領し、その後で、そのように言ったのです。

 聖体拝領は完璧な人に与えられる報償ではありません。そうでしょう?この問題に関連して、ポール・ロワイヤル修道院(パリシトー会女子修道院1634年に、ジャンセニズムの創始者、ヤンセニウス司教の盟友であるジャン・デュヴェルジェ・ド・オランヌが修道院の霊的指導者となった時から、付属の神学校のほとんどがジャンセニスムの神学校となった)、アンジェリック・アルノー(19世紀のフランスの小説家で男女同権主義者)、ジャンセニズム(信仰上人間の自由意志よりも神の恩恵を重視するアウグスティヌス思想を実践しようとして、17、18世紀にフランスを中心に展開された宗教運動。当時のカトリック教会から異端とされた)のことを考えてみましょうー完璧なものがご聖体を受けることができる、(と主張しました)。

 ご聖体は賜物、贈り物です。教会と教会共同体におけるイエスの現存です。これが神学です。そうすると、お話ししたご婦人のように教会共同体に所属していない方はご聖体を受けることができないことになりますが、主は、私が知らないうちに彼女に報いることをお望みになったのですー共同体から出されたー破門された人たちがいます。厳しい言い方ですが、彼らは共同体に属していない、それは、洗礼を受けていないか、何らかの理由でバプテスマを受けていない、あるいは共同体から何らかの理由で離れてしまったから。

*妊娠中絶は殺人、”殺し屋”を雇うのは正しくない

 もう一つのご質問。妊娠中絶の問題です。これは殺人です。妊娠中絶は… はっきりしていますー中絶をした人は誰でも、人を殺すのです。医学部の学生用の発生学(の発生を研究する学問)に関する本を手に取ってください。そこには、受胎して3週目から、多くの場合、妊婦が妊娠したと気付く前に、すべての臓器がすでに出来ており、DNAさえも伝えられている…と書いてあります。それは人ではありませんか?人の生命なのです。この人の命には敬意が払わられねばなりません。この原則は非常にはっきりしています。

 それが分からない方には、質問を二つします。第一に、問題を解決するために人間の命を奪うのは正しいことですか?科学的に、それは人間の命なのです。

 二つ目の質問です。問題を解決するために”殺し屋”を雇うのは正しいことですか?私はこれをジョルディ・エヴォル(スペインのジャーナリスト、脚本家)に対して公けに語り、COPE(英国の本部を置く国際出版倫理委員会)に伝えました。何度でも言いたかった… .そしてそれで十分です。変な質問をしないでください。科学的に、それは人間の命なのです。医学書はこれを説明しているのです。

 改めてお尋ねします。問題を解決するために人の命を捨てるのは正しいことですか?正しくない、と確信するから、教会はこの問題に非常に熱心に取り組んでいるのです。教会がこれ(妊娠中絶)を認めたら、日々の殺人を認めることになります。ある国の指導者は、私に、「人口減少は、彼ら(妊娠中絶者)によって始まった、(人口構成に)年齢差が生じている」と言いました。なぜなら、その国には、何年間かで600万人の妊娠中絶がされたほど強力な中絶法があったからです。その国の社会に大きな沈下が起きました。

*聖体拝領問題ー司教たちは「司牧者」でなく「政治的」に対応してきた

 ここで、教会共同体に属さない人、教会共同体の外にいるために聖体拝領ができない人の問題に戻りましょう。これは罰ではありません。外にいるのです。ご聖体を受けることは、あなた自身を共同体に結びつけます。でも、問題は神学的な問題ではありません。司牧上の問題です。私たち司教が、この原則を司牧上、どのように扱うかです。

 そして、教会の歴史を見ると、司教たちが「司牧者」としてではなく、問題に取り組むたびに、「政治的問題」として「政治的」に振るまっていたことが分かります。

 聖バーソロミューの夜(注:聖バーソロミューの虐殺とも呼ばれる。 1572年8月 23日から24日にかけて,サン=バルテルミの祝日にフランスのパリで起きたカトリックによるユグノー (プロテスタント) の人々の組織的大虐殺事件)について考えてみてくださいー「異端者たち、そうです。それは深刻な異端です… 彼らの喉をすべて切りましょう…」。いいえ、それは政治的な問題です。

 ジャンヌ・ダルクについて考えてみましょう。魔女狩りについて考えてみましょう。カンポ・デ・フィオリやサヴォナローラ(注:ジローラモ・サヴォナローラ  1452年9月21日 – 1498年5月23日。 イタリア・フェラーラ生まれのドミニコ会修道士。当時のフィレンツェの腐敗ぶりやメディチ家による実質的な独裁体制を批判し、信仰に立ち返るよう訴え、市民の支持を得たが、教皇の意向による裁判で有罪とされ絞首刑の後、火刑に処せられた)など、すべての人々について考えてみましょう。

 教会が非司牧的な方法で原則を擁護するとき、政治的な行動になります。そして、いつも繰り返されて来ました。歴史を見てください。司牧者は何をすべきでしょう?「司牧者」であることです。司牧者であり、断罪して回ってはなりません… 彼は破門された人たちの司牧者でもあるのですか?そうです。彼は司牧者であり、破門された人と共にある司牧者、神のなさり方に倣う司牧者であらねばなりません。神のなさり方は、親しさ、思いやり、そして優しさです。

 聖書全体がそのように語っています。申命記で、主はイスラエルの人々に、こう語りかけておられます。「言ってみよ。どの民に、私があなた方に親しく接するような神々がいるのか」と。親しさ、思いやりーエゼキエル書で、ホセア書で示されているように、主は私たちに思いやりを持っておられます。優しさは最初からありました。福音書やイエスのことを少し見るだけで十分です。

 神のなさり方に倣う方法を知らない司牧者は、足を滑され、司牧的でないことを沢山します。あなたは米国のことを話されましたが、私には米国のことを詳しく知らないので、具体的なことは申し上げたくありません。原則を申し上げましょう。

 あなたは私にこう尋ねるかも知れませんー「でも、あなたが人に親しく、優しく、そして思いやりがあるなら、その人にご聖体を授けるのですか?」と。これは仮定の質問です。司牧者でありまさい。司牧者は自分がいつも何をすべきか知っています。でも、教会の司牧から出てしまうと、たちまち”政治家”になってします。

 これは、すべての非難に見られることです。カトリック教会が行うすべての非司牧的な非難に… 諸原則を守り、司牧者はうまく立ち振る舞うべきだ、と私は思います。諸原則は神学から取られています。司牧的な教会運営は神学であり、このやり方であなたが立ち振る舞うように導かれる聖霊です。

 神はー私はあえてここまで申し上げます。あなたが「ご聖体を授けることができますか、できませんか」と尋ねるとしたら、これは、神学者が言う「決疑論」(注:カトリック倫理神学の用語。宗教または道徳の規範を個々具体的な行為や良心の問題にあてはめる方法のこと=「岩波キリスト教辞典」)です。あなたは覚えておられますか? 私が出した使徒的勧告「Amoris laetitia (家族における愛の喜び)」が巻き起こした”嵐”のことをー離婚した夫婦に寄り添うことに言及した章について、です。異端だ、異端だ!神のおかげで、偉大な神学者であるシェーンボルン枢機卿がおられました。彼は問題を明確にしてくれました。しかし、この方な非難はいつもあります。破門はたくさんです。これ以上、破門をしないようにしましょう。貧しい人たち、彼らは神の子供であり、私たちの牧歌的な寄り添いを求め、必要としています。司牧者は、御霊の言葉に従って、物事を解決するのです。

 

*反ユダヤ主義の”流行”は醜いこと

問:Stefano Maria Paci (Sky Tg 24=イタリアのテレビ局):

 13歳でアウシュビッツ強制収容所に入れられたユダヤ人作家のエディス・ブラック女史から昨日夕方、メールがありました。彼女は、私が今回の東欧二か国歴訪に同行することを知っていたのです。教皇は、彼女に会うためにローマの中心にある自宅においでになったことがあります。メールは「あなたの姉妹、エディス」と署名のある長文で、教皇が今回の東欧二か国訪問中に繰り返し、反ユダヤ主義を批判されたことに、感謝し、「親愛なる教皇フランシスコ、今も根絶されていない反ユダヤ主義についてのあなたの言葉は、訪問国だけでなく、欧州全体で、これまで以上に重みをもっています」と書いていました。

答:教皇フランシスコ:

 ご指摘の通りです。反ユダヤ主義は流行になっており、復活しています。それは醜い、醜い、醜いことです…。

*同性婚を法的に認める傾向についてー結婚の秘跡はあくまで男女カップルに

問:同上

 家族についての質問です。教皇は、この問題についてハンガリーの政治指導者たちと話されました。そして、昨日のスロバキアでの若者たちとの集いのあいさつでも、取り上げられました。欧州議会が加盟国に同性婚と親子関係を認めるよう求める決議した、昨日伝えられました。これについてどう思いますか?

 

答:教皇フランシスコ

 私はこれについて、はっきり申し上げています。そうでしょう?結婚は秘跡です。秘跡は主が定められ、教会には変える力がありません。性的指向が異なる多くの人たちの置かれた状況を改めようとする法律があり、これが重要なことですが、そうした人たちが助けを受けることができる、と言うことですが、義務を課さなくとも、それは自然なことですー教会に入らないように。

 彼ら同性愛カップルが、生活を共にしたい、と希望するなら、国は彼らを支援し、相続、医療などを保障することが可能ですが… フランスには、同性愛者だけでなく、交際を希望するすべての人たちのための法律があります。秘跡としての結婚についての判断ははっきりしています。フランスの民法では…たとえば、医療保健サービスを受け、彼女たちの間で相続できる法律によって、一緒になることを希望する3人の未亡人がいるとすると、そうします。

 詳細は知りませんが、同性愛カップルとは関係がありません。同性愛者のカップルがその法律を使うおうと思えば使えますが、秘跡としての結婚は男性と女性の間でなされるものです。私が良く申し上げているように、混乱が生じます。すべての人は平等であり、敬意を払わねばなりません。主は善い方で、すべての人を救うことでしょうーこれを大声で言わないでください(笑)。主はすべての人が救われることを望んでおられますが、教会に真理を否定させないでください。同性愛志向の多くの人たちが、司祭助言を求め、赦しの秘跡を受けようとすれば、教会は彼らの生活が前を向いて進むのを助けます。ただし、結婚の秘跡は別のものです。

 (会見の最後に、教皇は次のように語られた。)

 皆さんに感謝します!あなた方の一人について何か素晴らしいことを知りたいですか?休暇を取る前にこれを fioretto(小さな花)として残します。このジャーナリストは24時間仕事をすることができますが、いつも他の人を先にし、自分はその後を進みます。いつも他の人に話しをさせ、自分は黙っている、と言われています。ジャーナリストについてこのように言うことは、どれほど素晴らしいか。そしてこれはマヌエル・ベルトラン(スペインハエン出身の自転車競技選手?ドーピング検査で繰り返し陽性となり、出場禁止処分などを受けている)が、私たちのエバ・フェルナンデス(スペインのジャズシンガー)について語っていることです。ありがとうございました!

(翻訳・編集「カトリック・あい」)南條俊二)

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2021年9月16日