☩「”反対”に出会ったとき、善をなす固い決意をもって応じよ」年間第13主日の正午の祈りで

Pope Francis greets the faithful at the weekly Angelus addressPope Francis greets the faithful at the weekly Angelus address  (Vatican Media)

 イエスはエルサレムに行くという決断は一つの転機だった。教皇は、「なぜなら、それが、拒絶、苦しみ、死に直面することを意味することを、ご存じだったからです」と指摘。

 そして、「私たちもまた、イエスの弟子になりたいのなら、私たちの人生のために確固たる決意を求められているのです」と語られた。

 そのうえで、「今日読まれたルカ福音書の一節は、この決意の意味を理解するのに役立ちます。つまり、私たちは、真の決意をもって、本気で、イエスの弟子にならねばならない。私が以前からよく言う年配の女性のような”バラ香水”(束の間だけ薫り高い)キリスト教徒ではなく、真面目なキリスト教徒であらねばならないのです!」と説かれた。

*自らに反対する振る舞いに直面したとき、神に立ち返る

 この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所(9章52-54節)には、こう書かれているーイエスのためにエルサレムに向かう準備をしようと、サマリア人の村に入った時、彼らはイエスを歓迎しなかった。これを見たヤコブとヨハネは、イエスに「お望みなら、天から火を下し、サマリア人たちを焼き滅ぼすように言いましょうか」と提案する。だが、イエスは、その提案を拒否し、2人をお叱りになる。

 教皇は、「それは、イエスが地上にもたらされた”火”が、『父の憐れみ深い愛』だからです。怒りを抑えきれないヤコブとヨハネのように、私たちも、物事が計画通りにいかないと、良い仕事をしている場合でも、怒りが表に出てしまうことがありますが、イエスはこれとは異なる対応をなさいます。怒りとはかけ離れた、確固として決意ー心静かで、忍耐強く、我慢強い、善を成すことに少しのためらいもされません」と説かれた。

*反対する振る舞いに、善を行うことで応じる

 さらに、教皇は「自分に反対する振る舞いに出会ったとき、私たちは、イエスのように、非難で応えるのではなく、別の場所で善を行うようにせねばなりません」とされたうえで、「反対や誤解に直面して、私たちは主に立ち返りますか?主に助けを求めますか?それとも、自分の努力が皆から称賛されないとき、苦いを思いをし、腹を立てますか?」と問いかけられ、「『自分の熱意が、正当な理由をもった正義感によるものだ』と思うことが、私たちにはあります。 しかし実際には、ほとんどの場合、それは、弱さ、敏感さ、そして焦りと結びついた”自尊心”によるものに他なりません」と注意された。

 最後に教皇は、「イエスの強さを私たちにもくださるように、主に願いましょう。私たちが困難に出会う時、善を行っても他の人が理解していない時、確固とした決意をもってイエスに倣い、罪を犯したり、不寛容になったりしないように」と、信徒たちに促された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年6月26日